三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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昨日、名張市長の回答を頂戴した。待望の回答である。
よーし。上等である。10月29日、水曜日。なんだ。仏滅ではないか。縁起でもねーなーまったく。しかし、もともとがあまり縁起のよろしい話ではない。というか、人間豹刺止鉤爪である。にんげんひょうとどめのかぎづめ、である。
それはそれとして、きのうのエントリに、こんなコメントを頂戴した。
10月20日:手駒ぬすっと隠街道市 > ここもなかなか。
ここもなかなか、とご推奨をいただいたのだから、やはりこの隠街道市広報部とやら、ちょいとつっついてみることにしたい。
隠街道市広報部:n-thinks@e-net.or.jp
きのうも記したとおり、このメールアドレスは名張シンクスのものである。
名張シンクスの公式サイトがこれ。
名張シンクス:トップページ
名張シンクスは、隠街道市の協力団体のひとつであるらしい。ポスターにそう記してある。公式サイトによれば、隠街道市にあわせて「隠街道手づくり市」とやらを主催するという。告知を転載して、当プログでもPRにこれ努めておくことにする。
さて、隠街道市広報部に、こんなメールを送信した。件名は「隠街道市について」。
よーし。上等である。
景気づけに、「仁義なき戦い」の予告篇でもみるとするか。
本日のところは、まあこういったようなことである。
中 相作 さま
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。 ご要望の面談の件につきまして、次のとおり予定させていただきます。 なお、今回は教育委員会として、ご意見・ご提案を承らせていただきますので、ご了承ください。 【日 時】:10月29日(水) 午前11時 【場 所】:名張市役所 3階 教育委員会室 ご都合が悪い場合には、ご連絡をお願い致します。 連絡先:63−7402 広報対話室 大西 今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。 平成20年10月20日 □名張市長 亀井利克 |
よーし。上等である。10月29日、水曜日。なんだ。仏滅ではないか。縁起でもねーなーまったく。しかし、もともとがあまり縁起のよろしい話ではない。というか、人間豹刺止鉤爪である。にんげんひょうとどめのかぎづめ、である。
それはそれとして、きのうのエントリに、こんなコメントを頂戴した。
10月20日:手駒ぬすっと隠街道市 > ここもなかなか。
ここもなかなか、とご推奨をいただいたのだから、やはりこの隠街道市広報部とやら、ちょいとつっついてみることにしたい。
隠街道市広報部:n-thinks@e-net.or.jp
きのうも記したとおり、このメールアドレスは名張シンクスのものである。
名張シンクスの公式サイトがこれ。
名張シンクス:トップページ
名張シンクスは、隠街道市の協力団体のひとつであるらしい。ポスターにそう記してある。公式サイトによれば、隠街道市にあわせて「隠街道手づくり市」とやらを主催するという。告知を転載して、当プログでもPRにこれ努めておくことにする。
▼what's new 最終更新日:2008年6月17日
● 平成20年6月14日(土)~15日(日) 第10回伊賀の手づくり作家展はおかげさまで、来場数・出展作家数とも今年もまた記録を塗り替え、かけねなしの大盛況と言わせていただけると思います。無事閉幕させていただきました。ご来場のお客に厚く御礼申し上げます。一方出展できなかった作家の方にはお詫び申し上げますとともに、協力いただいた作家の皆さん、まことにありがとうございました。 ● 次回は平成20年11月2日(日)~3日(月) 隠街道手づくり市です。 またのご来場をお待ちいたしております。 ● これまでの、伊賀の手づくり作家展の会場風景や出展作家の写真をまもなく掲載します。 ご協力支援いただいている企業(五十音) 味ふく 亀井商事 建築の友 澤佐商店 想樹デジタル工房 銘菓大和屋 名阪警備保障 永尾不動産 メガネセンターフジモリ れんが亭 e-net H&K 丸栄建設 |
さて、隠街道市広報部に、こんなメールを送信した。件名は「隠街道市について」。
招福黒猫B'Lucky cat様
隠街道市のことでお訊きしたいことがあるのですが、こちらのメールアドレスに質問を送信すれば、隠街道市の主催団体である名張地区まちづくり推進協議会のお答えを頂戴できるのでしょうか。その点について、メールでお知らせいただければ幸甚です。ご多用中、勝手なことを申しあげてまことに恐縮なのですが、よろしくお願いいたします。 2008/10/21 |
よーし。上等である。
景気づけに、「仁義なき戦い」の予告篇でもみるとするか。
本日のところは、まあこういったようなことである。
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月曜である。いくらなんでも今週中には、名張市長の回答を頂戴できることであろう、みたいなことばっか書いてると、われながらばからしくなってくるので、本日はコミュニティイベントの話題。
行政の手駒は名張市内にいくらでもごろっちゃらしているけれど、代表格といえばやっぱりこれだ、という声価があっというまに定着してしまった名張地区まちづくり推進協議会が、すでにばらまかれてしまったものであるとはいえ、もとをただせばまぎれもない名張市民の税金で催す隠街道市というコミュニティイベントが、11月の2日と3日に迫った。隠街道市は、なばりかいどういち、と読む。
隠街道市は、ことしで三回目。これまでの主催団体をあげてみると、こうなる。
・第一回(平成18・2006年) 名張まちなか再生委員会
・第二回(平成19・2007年) 名張地区まちづくり推進協議会
・第三回(平成20・2008年) 名張地区まちづくり推進協議会
これをみるだけで、名張まちなか再生委員会と名張地区まちづくり推進協議会とが、いくらでも代替可能な組織であるということがよくわかる。代替可能というよりも、両者は双頭の蛇である。地域社会にあだをなす二頭一体の怪物なのである。いやいや、やなせ宿を運営しているまちなか運営協議会も加わったわけだから、奇怪な進化をとげた三頭一体のモンスターというべきか。
かくも奇怪な進化を可能ならしめた環境は、いうまでもなく名張市が提供した。みずからは徹底的な思考停止を決め込んで、協働がどうのまちづくりがこうのと薄っぺらなお題目を唱えるばかり、あとさきも考えず丸投げに継ぐ丸投げをかましていれば、それにつけこんだ行政の手駒がこんなモンスターに進化してしまうことにもなるであろう。
さて、隠街道市である。隠街道市の公式サイトなのかどうか、もうひとつ素性が知れないのだが、こんなページがある。
隠街道市:http://www.geocities.jp/nabarikaidouiti/
「隠街道市ポスター」というテキストをクリックすると、ポスターのPDFファイルが開かれる。
そのPDFファイルをJPG画像に変換して、無断転載しておく。
右上の写真だけをトリミング。
で、三重県立名張高等学校マスコミ論受講生が去年の1月に発行した「名張まちなかナビ」の表紙がこれ。
パクリである。完全なパクリである。隠街道市のポスターには、「名張まちなかナビ」に使用されていた写真が、堂々と盗用されているのである。いうまでもなく、違法行為である。犯罪である。みごとなものだなあ名張地区まちづくり推進協議会。ただの行政の手駒から、一気に犯罪者集団へステップアップか。いっそのこと、名張地区ぬすっと推進協議会、とでも改称してはどうか。
さて、どうするか。名張地区まちづくり推進協議会にメールを送り、事実関係の確認を求める。ほぼ完璧に盗用であると判断されるが、念のために確認しておく必要がある。「名張まちなかナビ」の表紙に使用された画像は、当方の手許にある。この写真がそうである。
これをポスターに使用された画像と比較して、両者が同一かどうかを鑑定する。やはり盗用であった、ということになれば、名張地区まちづくり推進協議会に対して、経緯の説明を求める。同時に、対応の検討も求める。ポスターの回収もふくめ、名張地区まちづくり推進協議会がどのような善後策を講じるのか、それを示していただく。対応が不十分であれば、著作権の侵害なのであるから、法的措置に訴える。
それにしても、ほんとにみごとなものだなあ名張地区まちづくり推進協議会。なにからなにまでなあなあのずぶずぶで、自他の区別がつかない。名張地区まちづくり推進協議会の手がけた事業が、名張まちなか再生委員会の手がけた事業として、再生委員会の総会で報告されたり、名張地区まちづくり推進協議会の主催行事が、まちなか運営協議会の主催行事として、やなせ宿の公式サイトで告知されたり、そんなことばかりやってるから、ついには犯罪という結果にたどりついてしまうことになるのである。たかが写真一枚の問題だというのに、いちいち人のふんどしで相撲をとってんじゃねーぞこのぬすっと。
ともあれ、名張地区まちづくり推進協議会に「隠街道市のポスターにおける写真盗用疑惑について」と題したメールを送信してやるか、と思って、隠街道市の公式サイトらしいページをみてみると、こんなアドレスが記されている。
隠街道市広報部:n-thinks@e-net.or.jp
これはたしか、名張シンクスという団体のアドレスではないか。こんなところに連絡しても、おそらく埒なんていっこうに明かぬことであろう。それに、まちなか運営協議会に質問のメールを送信したときもそうであったのだが、このあたりの関係者はとにかくちんたらしている。打てば響く、ということがまったくない。
それならいっそ、名張市をまきこむべきか。地域づくり委員会の担当セクションにメールを送り、名張市が発足させた地域づくり委員会というのは、もともとあまり評判がよろしくないようだが、とうとう犯罪を犯してしまった、そんな組織を生み出した責任、あるいは、野放しにしている責任、なんてものが名張市にはあるのだから、どうかひとつ、名張地区まちづくり推進協議会が写真盗用の事実を確認し、経緯を説明し、対応を検討するよう、行政として毅然とした態度で指導にあたられたい、と名張市に要請する。
で、名張市役所における地域づくり委員会の担当セクションはどこか、と調べてみると、生活環境部まちづくり推進室であるらしい。
まちづくり推進室:machi@city.nabari.mie.jp
しかし、よく考えてみたら、まちづくり推進室というのは、なぞがたりなばりのオプショナルイベントであるまちなかミニツアーの担当セクションではないか。こりゃいかん。人のふんどしで相撲をとることしかできぬ行政が、行政の手駒に対して、おまえら人のふんどしで相撲とってんじゃねーぞこら、などと説教できるわけがない。泥棒がぬすっとに説教できるわけがないではないか。
いかんなあ。じつにいかん。なんかもう無茶苦茶ではないか。なにがなにやらさっぱりわからぬ。とりあえずきょうのところは、つぎのごとく呼びかけておくことにしたい。
名張地区を犯罪のない明るいまちにいたしましょう。
行政の手駒は名張市内にいくらでもごろっちゃらしているけれど、代表格といえばやっぱりこれだ、という声価があっというまに定着してしまった名張地区まちづくり推進協議会が、すでにばらまかれてしまったものであるとはいえ、もとをただせばまぎれもない名張市民の税金で催す隠街道市というコミュニティイベントが、11月の2日と3日に迫った。隠街道市は、なばりかいどういち、と読む。
隠街道市は、ことしで三回目。これまでの主催団体をあげてみると、こうなる。
・第一回(平成18・2006年) 名張まちなか再生委員会
・第二回(平成19・2007年) 名張地区まちづくり推進協議会
・第三回(平成20・2008年) 名張地区まちづくり推進協議会
これをみるだけで、名張まちなか再生委員会と名張地区まちづくり推進協議会とが、いくらでも代替可能な組織であるということがよくわかる。代替可能というよりも、両者は双頭の蛇である。地域社会にあだをなす二頭一体の怪物なのである。いやいや、やなせ宿を運営しているまちなか運営協議会も加わったわけだから、奇怪な進化をとげた三頭一体のモンスターというべきか。
かくも奇怪な進化を可能ならしめた環境は、いうまでもなく名張市が提供した。みずからは徹底的な思考停止を決め込んで、協働がどうのまちづくりがこうのと薄っぺらなお題目を唱えるばかり、あとさきも考えず丸投げに継ぐ丸投げをかましていれば、それにつけこんだ行政の手駒がこんなモンスターに進化してしまうことにもなるであろう。
さて、隠街道市である。隠街道市の公式サイトなのかどうか、もうひとつ素性が知れないのだが、こんなページがある。
隠街道市:http://www.geocities.jp/nabarikaidouiti/
「隠街道市ポスター」というテキストをクリックすると、ポスターのPDFファイルが開かれる。
そのPDFファイルをJPG画像に変換して、無断転載しておく。
右上の写真だけをトリミング。
で、三重県立名張高等学校マスコミ論受講生が去年の1月に発行した「名張まちなかナビ」の表紙がこれ。
パクリである。完全なパクリである。隠街道市のポスターには、「名張まちなかナビ」に使用されていた写真が、堂々と盗用されているのである。いうまでもなく、違法行為である。犯罪である。みごとなものだなあ名張地区まちづくり推進協議会。ただの行政の手駒から、一気に犯罪者集団へステップアップか。いっそのこと、名張地区ぬすっと推進協議会、とでも改称してはどうか。
さて、どうするか。名張地区まちづくり推進協議会にメールを送り、事実関係の確認を求める。ほぼ完璧に盗用であると判断されるが、念のために確認しておく必要がある。「名張まちなかナビ」の表紙に使用された画像は、当方の手許にある。この写真がそうである。
これをポスターに使用された画像と比較して、両者が同一かどうかを鑑定する。やはり盗用であった、ということになれば、名張地区まちづくり推進協議会に対して、経緯の説明を求める。同時に、対応の検討も求める。ポスターの回収もふくめ、名張地区まちづくり推進協議会がどのような善後策を講じるのか、それを示していただく。対応が不十分であれば、著作権の侵害なのであるから、法的措置に訴える。
それにしても、ほんとにみごとなものだなあ名張地区まちづくり推進協議会。なにからなにまでなあなあのずぶずぶで、自他の区別がつかない。名張地区まちづくり推進協議会の手がけた事業が、名張まちなか再生委員会の手がけた事業として、再生委員会の総会で報告されたり、名張地区まちづくり推進協議会の主催行事が、まちなか運営協議会の主催行事として、やなせ宿の公式サイトで告知されたり、そんなことばかりやってるから、ついには犯罪という結果にたどりついてしまうことになるのである。たかが写真一枚の問題だというのに、いちいち人のふんどしで相撲をとってんじゃねーぞこのぬすっと。
ともあれ、名張地区まちづくり推進協議会に「隠街道市のポスターにおける写真盗用疑惑について」と題したメールを送信してやるか、と思って、隠街道市の公式サイトらしいページをみてみると、こんなアドレスが記されている。
隠街道市広報部:n-thinks@e-net.or.jp
これはたしか、名張シンクスという団体のアドレスではないか。こんなところに連絡しても、おそらく埒なんていっこうに明かぬことであろう。それに、まちなか運営協議会に質問のメールを送信したときもそうであったのだが、このあたりの関係者はとにかくちんたらしている。打てば響く、ということがまったくない。
それならいっそ、名張市をまきこむべきか。地域づくり委員会の担当セクションにメールを送り、名張市が発足させた地域づくり委員会というのは、もともとあまり評判がよろしくないようだが、とうとう犯罪を犯してしまった、そんな組織を生み出した責任、あるいは、野放しにしている責任、なんてものが名張市にはあるのだから、どうかひとつ、名張地区まちづくり推進協議会が写真盗用の事実を確認し、経緯を説明し、対応を検討するよう、行政として毅然とした態度で指導にあたられたい、と名張市に要請する。
で、名張市役所における地域づくり委員会の担当セクションはどこか、と調べてみると、生活環境部まちづくり推進室であるらしい。
まちづくり推進室:machi@city.nabari.mie.jp
しかし、よく考えてみたら、まちづくり推進室というのは、なぞがたりなばりのオプショナルイベントであるまちなかミニツアーの担当セクションではないか。こりゃいかん。人のふんどしで相撲をとることしかできぬ行政が、行政の手駒に対して、おまえら人のふんどしで相撲とってんじゃねーぞこら、などと説教できるわけがない。泥棒がぬすっとに説教できるわけがないではないか。
いかんなあ。じつにいかん。なんかもう無茶苦茶ではないか。なにがなにやらさっぱりわからぬ。とりあえずきょうのところは、つぎのごとく呼びかけておくことにしたい。
名張地区を犯罪のない明るいまちにいたしましょう。
いやー、なんか知らんが2ちゃんねる名張市政スレではこのところ、「行政の手駒」というフレーズがことしの流行語大賞を獲得しそうな勢いではないか。さもあろうさもあろう。人の心によほど訴えるものがあったのであろう。人が漠然と抱いていた印象に、明確な表現を与えることができたということであろう。行政の手駒、いいえて妙、と感じる人間が少なからず存在しているということであろう。そして、この名張市には行政の手駒と呼ぶべき人間が腐るほどごろっちゃらしている、ということでもあるだろう。手駒なんてのはどうせ程度の悪いものなんだから、名張市もそろそろ、名張市手駒管理委員会、なんてのをつくらねばならぬ時期かもしれんな。
それにしても、たしかに、
──市民は行政の手駒ではない」
というのは至言である。こんな至言はめったにない。しいて探せば、
──おれは藤波の噛ませ犬じゃない」
といったあたりが思い浮かぶが、近年のものから選ぶとなると、
──おまえに食わせるタンメンはねえ」
といったあたりか。
──ベンチがあほやから野球がでけへん」
なんていうのは、実感としてものすごくよく理解できる至言ではあるのだが、いまの場合はあまり関係がない。関係はないのだが、なんだかここに書きつけておきたいような気がしたので、書きつけておいた。ベンチがあほやから、というのは、ほんとになあ。
さて、きのうのつづきである。名張市は人のふんどしで相撲をとることしか考えない、という話である。名張市役所には、人をみたら手駒と思え、という合言葉がある、というのはうそであるが、とにかく、そんなことでどうする、という話である。行政の手駒に堕してしまったひとりの有能な市民が、人間としての誇りをかけて、行政のふところ深くから赤裸々な内部告発をぶちかます次第である。
11月22日のまちなかミニツアー、参加者には名張ロータリークラブ謹製「少年少女乱歩手帳」が配付されることになっている。
10月9日、なぞがたりなばりの担当セクションである名張市生活環境部まちづくり推進室で聞きおよんだところでは、名張ロータリークラブに依頼して、必要数をもらってきてあるとのことであった。当方も、ツアー参加者に「少年少女乱歩手帳」を手にしていただくべく、まちづくり推進室にその手配を要請するつもりであった。それはそれでよろしい。
よろしいのではあるけれど、これにもまあ、ちょっと驚いた。「少年少女乱歩手帳」を入手してあるのなら、案内人など必要はない。「少年少女乱歩手帳」を頼りにすれば、名張市の職員だけで、あるいは共催団体になっている乱歩蔵びらきの会のメンバーだけで、まちなかミニツアーを先導する程度のことはいくらだって可能である。事前に乱歩の「ふるさと発見記」や「生誕碑除幕式」あたりに眼を通しておけば、それで充分である。
どうして、その程度の労を惜しむのか。自分でやろうとしないのか。人をあてにするのか。他人に丸投げしたがるのか。名張市役所というところには、職員は頭をつかったり手足を動かしたり汗を流したりしてはいけません、などという内規でもあるのか。
セクションは変わっても、体質には変わりがない。話はやや横にそれるが、名張まちなか再生事業を例にあげるならば、6月17日付エントリに記したことが思い出される。
6月17日:やなせ塾は自腹となった
関連箇所を引いておく。
詐欺みたいな話である。というか、これは詐欺である。名張市の今年度予算に、「まちづくり活動推進事業」というもっともらしい事業名で、四百五十万円が計上されている。しかし、こんな事業名は、明らかな詐称である。市民を瞞着するための偽装である。事業名の四百五十万円はそのまんま、コンサルタントのふところに入ってしまうのである。
よくも懲りないものである。似たようなことは以前にもあった。名張まちなか再生事業に関連して、「名張まちづくり塾」という名目の予算が計上されていた。ちょっと調べてみたところ、まちづくり塾なんてのはまったくのうそっぱち。百五十万円の予算はそのまんま、三重大学のふところに入っていたのである。
しかも、なんの役にも立たぬ研究とやらを三重大学のインチキ研究室に依頼したのは、そこらのインチキ民間組織だったのである。その研究の対価としての百五十万円、ご親切に名張市が市民の税金で支払っていたのである。だから、住民監査請求をかまして、こんなことではいかんぞと、名張市長は名張市に百五十万円を返還しなさいと、懇切丁寧に忠告してさしあげた次第である。その忠告も、しょせん蛙のつらに小便であったということか。
いやいや、そんなことはどうでもよろしい。話がそれすぎた。今年度予算に計上された四百五十万円の話である。四百五十万円はそのまんま、上の引用にあるとおり、コンサルタントに流れてしまうのである。しかし、いくら考えたって、報告書とやらは市職員の手でまとめられるべきものである。そのための職員ではないのか。どうしてその程度の労を惜しむのか。自分でやろうとしないのか。他人に丸投げしたがるのか。
セクションは変わっても、体質には変わりがない。名張市役所というところには、職員は頭をつかったり手足を動かしたり汗を流したりしてはいけません、などという内規でもあるのか。あるとしか思えぬ。たかがまちなかミニツアー、どうして職員が案内に立とうとしないのか。あるいは、名張市といわゆる協働関係にある名張まちなか再生委員会や、はたまた乱歩蔵びらきの会、そうでなければ、まちなかの観光交流拠点に陣取って観光情報の発信とやらを手がけてくれているらしいまちなか運営協議会、そのあたりと連携しようとしないのか。なんの関係もない当方が手駒に指名されるのか。わけがわからぬ。
わけのわからぬことはまだある。わけがわからぬというより、絶句してしまうようなことがある。名張市ってのはつくづくひどいところであると、あらためて実感させられたことがある。どんなことかというと、それはまあ、黙っておくことにする。きのうの時点では、きょうの話題にするつもりであったのだが、気が変わった。ネタとして温存しておくことにする。名張市がいつまでも人のふんどしで相撲をとろうとしつづけるようであれば、その極端な一例として、いずれ披露する機会もあろう。土曜日なのにわざわざ自宅パソコンでご閲覧いただいた名張市職員のみなさんは、いささか拍子抜けといったところか。いや、すまんなどうも。
さて、きのう予測したとおり、やっぱり今週中には回答を頂戴できなかった。
上のような要請を頂戴したので、下のような要請を送信した。
この回答が、まだ頂戴できない。むろん、市長、教育長、前教育次長、このお三方に日程を調整していただくのは容易なことではないであろうし、とりたてて急ぐ必要もないのであるが、しかし、もしもこのまま、ずーっとずーっと音沙汰なし、ということになったら、さてどうなるのか。
その場合は、名張市長が当方の協力を拒んでいらっしゃる、というふうに判断するしかないであろう。どこかで聞いたせりふだが、
──現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聞く考えはない」
といったことででもあろうか。ならばしかたがない。協力は不要である、とおっしゃるのであれば是非もない。
したがって、せっかく白羽の矢を立てていただいたのだから、行政の手駒としてめいっぱい名張市に協力するつもりではいるのだが、名張市長からNOをつきつけられた人間が、名張市主催のまちなかミニツアーで案内役を務めるわけにはまいらぬであろう。そんなことは、世間さまだって許してくれぬことであろう。当方などいなくたって、「少年少女乱歩手帳」さえあれば、案内役などだれにだって務まるのだから、その点の心配はいらないのだが、しかし、しかしやっぱり、手駒として協力したいなあほんとに。
それにしても、たしかに、
──市民は行政の手駒ではない」
というのは至言である。こんな至言はめったにない。しいて探せば、
──おれは藤波の噛ませ犬じゃない」
といったあたりが思い浮かぶが、近年のものから選ぶとなると、
──おまえに食わせるタンメンはねえ」
といったあたりか。
──ベンチがあほやから野球がでけへん」
なんていうのは、実感としてものすごくよく理解できる至言ではあるのだが、いまの場合はあまり関係がない。関係はないのだが、なんだかここに書きつけておきたいような気がしたので、書きつけておいた。ベンチがあほやから、というのは、ほんとになあ。
さて、きのうのつづきである。名張市は人のふんどしで相撲をとることしか考えない、という話である。名張市役所には、人をみたら手駒と思え、という合言葉がある、というのはうそであるが、とにかく、そんなことでどうする、という話である。行政の手駒に堕してしまったひとりの有能な市民が、人間としての誇りをかけて、行政のふところ深くから赤裸々な内部告発をぶちかます次第である。
11月22日のまちなかミニツアー、参加者には名張ロータリークラブ謹製「少年少女乱歩手帳」が配付されることになっている。
10月9日、なぞがたりなばりの担当セクションである名張市生活環境部まちづくり推進室で聞きおよんだところでは、名張ロータリークラブに依頼して、必要数をもらってきてあるとのことであった。当方も、ツアー参加者に「少年少女乱歩手帳」を手にしていただくべく、まちづくり推進室にその手配を要請するつもりであった。それはそれでよろしい。
よろしいのではあるけれど、これにもまあ、ちょっと驚いた。「少年少女乱歩手帳」を入手してあるのなら、案内人など必要はない。「少年少女乱歩手帳」を頼りにすれば、名張市の職員だけで、あるいは共催団体になっている乱歩蔵びらきの会のメンバーだけで、まちなかミニツアーを先導する程度のことはいくらだって可能である。事前に乱歩の「ふるさと発見記」や「生誕碑除幕式」あたりに眼を通しておけば、それで充分である。
どうして、その程度の労を惜しむのか。自分でやろうとしないのか。人をあてにするのか。他人に丸投げしたがるのか。名張市役所というところには、職員は頭をつかったり手足を動かしたり汗を流したりしてはいけません、などという内規でもあるのか。
セクションは変わっても、体質には変わりがない。話はやや横にそれるが、名張まちなか再生事業を例にあげるならば、6月17日付エントリに記したことが思い出される。
6月17日:やなせ塾は自腹となった
関連箇所を引いておく。
ついでに記しておくと、まちづくり活動推進事業という名目の予算がある。四百五十万円がまちづくり活動とやらを推進するためにつかわれるのである。これはなんだ、という話になった。名称から判断すれば、年度はじめにプールしておき、まちづくりとやらのための事業に必要に応じて配分される予算、といった印象があるが、そうではないのか、と質問した。事務局すなわち名張市からは、そうではない、との説明があった。何に使用するのかは、すでに決定されているという。
となると当然、じゃあ何よ? 何につかうのよ? ということになる。事務局の説明を総合して判断すると、つまりはこういうことらしい。名張市は国土交通省にたいして、頂戴いたしましたまちづくり交付金、てまえどもの市におきましてはこのようにつかいました、ありがたくつかわさせていただきました、とても有意義につかわさせていただきましたでございます、といった報告書のようなものを提出しなければならぬらしい。で、その報告書のようなものの作成は、いわゆるコンサルタントにアウトソーシングするのだそうである。コンサルタントに報告書のようなものをつくってもらうための予算、それが四百五十万円、それがまちづくり活動推進事業、ということになっているらしい。なんかもう、あきれてものもいえんような話ではないか。 |
詐欺みたいな話である。というか、これは詐欺である。名張市の今年度予算に、「まちづくり活動推進事業」というもっともらしい事業名で、四百五十万円が計上されている。しかし、こんな事業名は、明らかな詐称である。市民を瞞着するための偽装である。事業名の四百五十万円はそのまんま、コンサルタントのふところに入ってしまうのである。
よくも懲りないものである。似たようなことは以前にもあった。名張まちなか再生事業に関連して、「名張まちづくり塾」という名目の予算が計上されていた。ちょっと調べてみたところ、まちづくり塾なんてのはまったくのうそっぱち。百五十万円の予算はそのまんま、三重大学のふところに入っていたのである。
しかも、なんの役にも立たぬ研究とやらを三重大学のインチキ研究室に依頼したのは、そこらのインチキ民間組織だったのである。その研究の対価としての百五十万円、ご親切に名張市が市民の税金で支払っていたのである。だから、住民監査請求をかまして、こんなことではいかんぞと、名張市長は名張市に百五十万円を返還しなさいと、懇切丁寧に忠告してさしあげた次第である。その忠告も、しょせん蛙のつらに小便であったということか。
いやいや、そんなことはどうでもよろしい。話がそれすぎた。今年度予算に計上された四百五十万円の話である。四百五十万円はそのまんま、上の引用にあるとおり、コンサルタントに流れてしまうのである。しかし、いくら考えたって、報告書とやらは市職員の手でまとめられるべきものである。そのための職員ではないのか。どうしてその程度の労を惜しむのか。自分でやろうとしないのか。他人に丸投げしたがるのか。
セクションは変わっても、体質には変わりがない。名張市役所というところには、職員は頭をつかったり手足を動かしたり汗を流したりしてはいけません、などという内規でもあるのか。あるとしか思えぬ。たかがまちなかミニツアー、どうして職員が案内に立とうとしないのか。あるいは、名張市といわゆる協働関係にある名張まちなか再生委員会や、はたまた乱歩蔵びらきの会、そうでなければ、まちなかの観光交流拠点に陣取って観光情報の発信とやらを手がけてくれているらしいまちなか運営協議会、そのあたりと連携しようとしないのか。なんの関係もない当方が手駒に指名されるのか。わけがわからぬ。
わけのわからぬことはまだある。わけがわからぬというより、絶句してしまうようなことがある。名張市ってのはつくづくひどいところであると、あらためて実感させられたことがある。どんなことかというと、それはまあ、黙っておくことにする。きのうの時点では、きょうの話題にするつもりであったのだが、気が変わった。ネタとして温存しておくことにする。名張市がいつまでも人のふんどしで相撲をとろうとしつづけるようであれば、その極端な一例として、いずれ披露する機会もあろう。土曜日なのにわざわざ自宅パソコンでご閲覧いただいた名張市職員のみなさんは、いささか拍子抜けといったところか。いや、すまんなどうも。
さて、きのう予測したとおり、やっぱり今週中には回答を頂戴できなかった。
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。 今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。 平成20年10月 9日 □名張市長 亀井利克 |
上のような要請を頂戴したので、下のような要請を送信した。
ご回答ありがとうございました。せっかくの仰せですから、おことばに甘えて、「貴重なご意見・ご提案」を具申したいと思います。つきましては、そのための面談の場を設けていただきたく、ご手配をお願いいたします。面談の場には、貴職のほか、教育長と前教育次長にもご臨席たまわりますよう、勝手ながら願いあげます。面談の日時と場所のご連絡をお待ちしております。ご多用中恐縮ですが、よろしくお願いいたします。
2008/10/10 |
この回答が、まだ頂戴できない。むろん、市長、教育長、前教育次長、このお三方に日程を調整していただくのは容易なことではないであろうし、とりたてて急ぐ必要もないのであるが、しかし、もしもこのまま、ずーっとずーっと音沙汰なし、ということになったら、さてどうなるのか。
その場合は、名張市長が当方の協力を拒んでいらっしゃる、というふうに判断するしかないであろう。どこかで聞いたせりふだが、
──現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聞く考えはない」
といったことででもあろうか。ならばしかたがない。協力は不要である、とおっしゃるのであれば是非もない。
したがって、せっかく白羽の矢を立てていただいたのだから、行政の手駒としてめいっぱい名張市に協力するつもりではいるのだが、名張市長からNOをつきつけられた人間が、名張市主催のまちなかミニツアーで案内役を務めるわけにはまいらぬであろう。そんなことは、世間さまだって許してくれぬことであろう。当方などいなくたって、「少年少女乱歩手帳」さえあれば、案内役などだれにだって務まるのだから、その点の心配はいらないのだが、しかし、しかしやっぱり、手駒として協力したいなあほんとに。
今週中には回答が頂戴できると踏んでいたのだが、無理っぽいらしい。名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して、かくのごとく依頼した件である。
名張市にとって、こんな耳よりは話はない。万障くりあわせて飛びついてきていただけるはずである。なにしろ名張市は、こんななさけない状態なのである。
ありえない話である。四十年にわたって収集してきた資料をどう活用するのか、その具体的な方針が「現在のところございません」という信じられないような状態なのである。信じられないといえば、ぬけぬけとこんな回答を表明することじたい、信じられない。名張市は無策無能無責任でございますと、ここまで堂々と発表されてしまっては、市民のひとりとしては恐れ入るしかないように思う。
恐れ入りつつ、回答をお待ちするしかないであろう。お待ちするつれづれに、まちなかミニツアーの話題をつづけることにする。きのうで終わりにしたつもりであったが、ネタならまだある。市長回答が着信するまで、名張市にとって都合の悪い話題がつづくことになるかもしれぬ。いやいや、都合が悪いといったって、名張市役所における市職員と市民とのやりとりを話題にするだけなのであるから、さほど心配していただく必要もあるまい。
10月9日木曜日、なぞがたりなばりの担当セクションである名張市生活環境部まちづくり推進室に足を運んだときのことである。人のふんどしで相撲をとることばかり考えておってはだめである、と忠告してきた。それはまあ、みずから企画したまちなかミニツアーの案内すらできず、市民を手駒あつかいしてその場をごまかそうとする自治体のことであるから、人のふんどしで相撲をとるのはあたりまえのことかもしれぬ。というより、人のふんどしで相撲をとることしかできぬのであろう。しかしそれにしても、名張市というのは、つくづくひどいところである。あらためてそう実感した。
あすにつづく。あすは土曜日だが、つづきが気になってしかたがないとおっしゃる名張市職員のみなさんは、ご自宅のパソコンでご閲覧あれ。
ご回答ありがとうございました。せっかくの仰せですから、おことばに甘えて、「貴重なご意見・ご提案」を具申したいと思います。つきましては、そのための面談の場を設けていただきたく、ご手配をお願いいたします。面談の場には、貴職のほか、教育長と前教育次長にもご臨席たまわりますよう、勝手ながら願いあげます。面談の日時と場所のご連絡をお待ちしております。ご多用中恐縮ですが、よろしくお願いいたします。
2008/10/10 |
名張市にとって、こんな耳よりは話はない。万障くりあわせて飛びついてきていただけるはずである。なにしろ名張市は、こんななさけない状態なのである。
中 相作 さま
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。 名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。 今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。 平成20年10月 9日 □名張市長 亀井利克 |
ありえない話である。四十年にわたって収集してきた資料をどう活用するのか、その具体的な方針が「現在のところございません」という信じられないような状態なのである。信じられないといえば、ぬけぬけとこんな回答を表明することじたい、信じられない。名張市は無策無能無責任でございますと、ここまで堂々と発表されてしまっては、市民のひとりとしては恐れ入るしかないように思う。
恐れ入りつつ、回答をお待ちするしかないであろう。お待ちするつれづれに、まちなかミニツアーの話題をつづけることにする。きのうで終わりにしたつもりであったが、ネタならまだある。市長回答が着信するまで、名張市にとって都合の悪い話題がつづくことになるかもしれぬ。いやいや、都合が悪いといったって、名張市役所における市職員と市民とのやりとりを話題にするだけなのであるから、さほど心配していただく必要もあるまい。
10月9日木曜日、なぞがたりなばりの担当セクションである名張市生活環境部まちづくり推進室に足を運んだときのことである。人のふんどしで相撲をとることばかり考えておってはだめである、と忠告してきた。それはまあ、みずから企画したまちなかミニツアーの案内すらできず、市民を手駒あつかいしてその場をごまかそうとする自治体のことであるから、人のふんどしで相撲をとるのはあたりまえのことかもしれぬ。というより、人のふんどしで相撲をとることしかできぬのであろう。しかしそれにしても、名張市というのは、つくづくひどいところである。あらためてそう実感した。
あすにつづく。あすは土曜日だが、つづきが気になってしかたがないとおっしゃる名張市職員のみなさんは、ご自宅のパソコンでご閲覧あれ。
さ、きょうもばんばんかましてやることにして、結局まあ、名張市には、まちなかミニツアーで名張のまちを案内することすらできない、ということなのである。ならば、いったいなにができるのか。ちゃらちゃらちゃらちゃらうわっつらだけかっこをつけて、お題目を唱えたり、看板を掲げたり、そういうことはできるらしい。できるという以上に、とっても好きであるらしい。しかし、内実がともなわない。中味のことにはまったく頭がまわらない。だから、よく笑われる。
忘れっぽい向きも多いかもしれぬから、昨年6月3日付毎日新聞のウェブニュースから引用しておく。
どこからわいて出たのかは知らぬが、乱歩文学館などという思いつきの看板を掲げる。しかし、それだけのことである。中味のことにはまるで頭がまわらない。だから、こんなぶざまな結果になって、笑われてしまう。
なにしろ、先日頂戴した市長回答がこれである。
すでに所蔵している資料の活用についてなにも考えられぬ自治体が、ごたいそうに乱歩文学館などつくってなにをするというのか。だいたいが、市役所内部で乱歩文学館とやらのことをあーでもないこーでもないとひねくり回してくださったみなさんは、そもそも乱歩作品をろくに読んだこともなく、文学館というのがいったいどんな施設なのか、それすら理解できていない連中ではなかったのか。だから、「予算の制約や、建設後の維持管理費などを考えると、市としては難しい」と金のことしかいわないのであろう。中味のことには、まったく考えがおよんでいなかったのであろう。乱歩文学館なんてものが必要なのかどうか、そんなものをつくってどう運営するのか、そういった重要な問題を検討することなどいっさいなかったのであろう。大丈夫かこら。
要するに、構図としては同一である。乱歩文学館という看板を掲げてみたのはいいけれど、なにも考えられなくてずっこける。名張市立図書館に乱歩コーナーという看板を掲げておきながら、乱歩にかんする問い合わせがあったらまともに答えることなどとてもできず、結局は当方にお鉢がまわってくる。まちなかミニツアーという看板を掲げておきながら、案内役がみつからず、自分で案内することすらできず、とどのつまりは当方の出番となってしまう。大丈夫かこら。
名張市公式サイト:第18回なぞがたりなばり開催
このページには、
「昨年のアンケートで要望のあった「まちなかミニツアー」(乱歩生誕地碑、清風亭等乱歩ゆかりの場所を訪ねる。)を実施します」
とある。つまり、まちなかミニツアーの準備期間は一年間あった、ということになる。にもかかわらず、
「案内者:未定」
とある。一年準備してまだ決まっていないことがある、と告知することが、名張市は無能であり怠慢である、という印象を与える結果になりかねない、といったことには思いがおよばぬのかな。
はたまた、告知した時点では「案内者:未定」であったのだが、その後、めでたく案内者がみつかった、となった場合、そのみつかった案内者はあまりいい印象を抱かないのではないか、といったことには思いがおよばぬのかな。
いやいや、当方はOKである。じつに協力的な人間であるから、そんなことにはまったくこだわらぬ。しかし、人によっては、案内役を頼むのなら最初から頼んでこい、と思う人間だってあるかもしれない。すなわち、最初の告知で「案内者:未定」だったということは、その時点ではわしは除外されていた、排除されていた、お呼びでなかった、というわけなのであるが、それはもう明白にそうなのであるが、しかるに、いったん除外し排除しお呼びしようとしなかった人間であるわしに対して、どんな事情があるのかは知らねども、急にてのひらを返して案内役を依頼してくるというのはどういうことか、どういう了見か、人をなんだと思うておるのか、お役所の勝手な都合で無視されたり担ぎあげられたり、わしがそんなことに振りまわされて喜ぶ人間だと思うておるのか、わしの身につけている知識や能力に敬意を払うこともせず、しかしその知識や能力を手前勝手に利用するだけ利用してやろうというのか、だれがそんな案内役なんぞ頼まれてやるものか、自分でやれ自分で、自分が掲げた看板の尻ぬぐいは自分でやらぬか、と考えてしまう人間もいるかもしれない、といったことには思いがおよばぬのかな。
はっきりいっておこう。これは別に、なぞがたりなばり関係スタッフ各位に、ということではない。名張市役所のみなさんに、このさいだから、はっきりといっておく。
市民は行政の手駒ではない。
こんなあたりまえのことを、どうしてわざわざ声を大にしていわなければならんのか。それはもちろん、行政の手駒になって大喜びする市民だってあるだろう。そんな手合いは、そこらの区長会だのなんとか協議会だのかんとか委員会だの、そのあたりには少なからずいることであろう。市議会にだって、ごろごろしておるはずである。行政の手駒となることで名誉欲だの金銭欲だのといったつまらぬ私利私欲を満足させ、そのことで行政を思いきり堕落させている人間は、この名張市には掃いて捨てるほど存在しているのかもしれない。しかし、だからといって、あーこれこれ名張市役所のみなさんや、思いあがってはいけない。市民は行政の手駒ではない。このことを、きっちり肝に銘じていただかなければならない。
そういえば、2ちゃんねる名張市政スレの投稿によれば、きょう16日、津地方裁判所で、名張市のいわゆるごみ問題にかんする口頭弁論がおこなわれるという。
三重県名張市の市政について語りませんか?:834
これだって結局、根っこのところには、市民は行政の手駒ではない、という問題があるのではないか。名張市が市民を手駒にしようとしている、ということではないのか。それが市民を怒らせている、ということではないのか。市民は、行政が意のままに動かせる手駒ではない。そんなあたりまえのことが、名張市にはよく認識できていない、ということがあるのではないか。
三重県名張市の市政について語りませんか?:814-819
このあたりのレスを読むと、むろん2ちゃんねるの匿名投稿であるから、すべてまるごと鵜呑みにはできぬであろうが、名張市が市民を手駒あつかいしているという事実が、ある程度の明晰さでみえてくるように思える。勝手なお題目を掲げ、しかし、お題目の根拠を示すことはなにもできず、レス番815の表現を借りるなら「誠意を示すこともなく、知恵を絞ることもせず」、そのくせ、市民をそれこそ駒のように思いどおり裏返したりまた表を向けたりすることができると勘違いして、レス番818の表現を借りるなら「市民は敵、市民はアホ、市民は盲目、市民は従順と勘違い」したあげく、結局は身動きできなくなってしまった。それが名張市なのではないか。
話が横道にそれてしまった。まちなかミニツアーの話題である。しかしまあ、なにしろ名張市のやってることなのであるから、まるで金太郎飴であるかのごとく、どこを切ったって同質のものが顔を出すのは無理からぬことなのであろう。ただの思いつきで勝手な看板を掲げ、どうにも身動きできなくなって、結局は市民を手駒あつかいして、その市民に案内役を丸投げする、といったことがげんにおこなわれているのであるが、当方はきわめて協力的な人間であるのだから、その点、名張市はじつにラッキーだったというしかあるまい。よかったなあ名張市。おまえら、にっぽんいちのしあわせものだぞ。
さて、そんなこんなの当方が僭越ながら案内役をつとめるまちなかミニツアーは、11月22日の開催である。お誘いあわせてお運びをいただきたいのであるけれど、しかしあれだなあ、こんなこと書いてしまったら、案内役は別の人にお願いいたしましたので、となぞがたりなばりの担当セクションである名張市生活環境部まちづくり推進室から電話がかかってくるかもしれんなあ。そうなったらそうなったで、それはしかたないことではあるだろうなあ。しかしまあ、そうなったらそうなったで、やっぱり大騒ぎにはなるだろうなあ。というか、大騒ぎしてしまうだろうなあ。ほんと、ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ、大騒ぎがしてみたいなあ。
忘れっぽい向きも多いかもしれぬから、昨年6月3日付毎日新聞のウェブニュースから引用しておく。
名張まちなか再生委:総会で乱歩施設巡り紛糾 事業計画案、承認先送り /三重
□官民一体で名張市の活性化推進を目指す「名張まちなか再生委員会」(田畑純也委員長)の07年度総会が2日、同市役所で開かれ、関係者約50人が出席した。市財源での実現が困難とされる江戸川乱歩顕彰施設の整備計画を巡り議論がまとまらず、今年度の事業計画案は、同事業を除いて承認される異例の事態となった。【傳田賢史】 □冒頭、来賓として出席した亀井利克市長が「全国に例のない試み。住民が支えあう、まちなか再生を成功させたい」と力説した。その後、今年度役員の改選や、施設整備後の管理運営に当たる「まちなか運営協議会」設置が承認された。 □続いて、事業計画案の検討に入った。乱歩関連施設整備事業で、生誕地の「旧桝田医院第2病棟」(同市本町)の解体工事費などに計950万円が計上された計画案に対し、出席者から「昨年度の計画案では乱歩文学館の整備が明記され、総会で承認もされた。変更に関し、なぜ何の情報もないのか」「市長が『乱歩』をどうしたいのかが見えてこない」などと不満の声が相次ぎ、承認が先送りされた。 □総会後、同市の荒木雅夫・まちなか再生担当監は「予算の制約や、建設後の維持管理費などを考えると、市としては難しい」と話した。 |
どこからわいて出たのかは知らぬが、乱歩文学館などという思いつきの看板を掲げる。しかし、それだけのことである。中味のことにはまるで頭がまわらない。だから、こんなぶざまな結果になって、笑われてしまう。
なにしろ、先日頂戴した市長回答がこれである。
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
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すでに所蔵している資料の活用についてなにも考えられぬ自治体が、ごたいそうに乱歩文学館などつくってなにをするというのか。だいたいが、市役所内部で乱歩文学館とやらのことをあーでもないこーでもないとひねくり回してくださったみなさんは、そもそも乱歩作品をろくに読んだこともなく、文学館というのがいったいどんな施設なのか、それすら理解できていない連中ではなかったのか。だから、「予算の制約や、建設後の維持管理費などを考えると、市としては難しい」と金のことしかいわないのであろう。中味のことには、まったく考えがおよんでいなかったのであろう。乱歩文学館なんてものが必要なのかどうか、そんなものをつくってどう運営するのか、そういった重要な問題を検討することなどいっさいなかったのであろう。大丈夫かこら。
要するに、構図としては同一である。乱歩文学館という看板を掲げてみたのはいいけれど、なにも考えられなくてずっこける。名張市立図書館に乱歩コーナーという看板を掲げておきながら、乱歩にかんする問い合わせがあったらまともに答えることなどとてもできず、結局は当方にお鉢がまわってくる。まちなかミニツアーという看板を掲げておきながら、案内役がみつからず、自分で案内することすらできず、とどのつまりは当方の出番となってしまう。大丈夫かこら。
名張市公式サイト:第18回なぞがたりなばり開催
このページには、
「昨年のアンケートで要望のあった「まちなかミニツアー」(乱歩生誕地碑、清風亭等乱歩ゆかりの場所を訪ねる。)を実施します」
とある。つまり、まちなかミニツアーの準備期間は一年間あった、ということになる。にもかかわらず、
「案内者:未定」
とある。一年準備してまだ決まっていないことがある、と告知することが、名張市は無能であり怠慢である、という印象を与える結果になりかねない、といったことには思いがおよばぬのかな。
はたまた、告知した時点では「案内者:未定」であったのだが、その後、めでたく案内者がみつかった、となった場合、そのみつかった案内者はあまりいい印象を抱かないのではないか、といったことには思いがおよばぬのかな。
いやいや、当方はOKである。じつに協力的な人間であるから、そんなことにはまったくこだわらぬ。しかし、人によっては、案内役を頼むのなら最初から頼んでこい、と思う人間だってあるかもしれない。すなわち、最初の告知で「案内者:未定」だったということは、その時点ではわしは除外されていた、排除されていた、お呼びでなかった、というわけなのであるが、それはもう明白にそうなのであるが、しかるに、いったん除外し排除しお呼びしようとしなかった人間であるわしに対して、どんな事情があるのかは知らねども、急にてのひらを返して案内役を依頼してくるというのはどういうことか、どういう了見か、人をなんだと思うておるのか、お役所の勝手な都合で無視されたり担ぎあげられたり、わしがそんなことに振りまわされて喜ぶ人間だと思うておるのか、わしの身につけている知識や能力に敬意を払うこともせず、しかしその知識や能力を手前勝手に利用するだけ利用してやろうというのか、だれがそんな案内役なんぞ頼まれてやるものか、自分でやれ自分で、自分が掲げた看板の尻ぬぐいは自分でやらぬか、と考えてしまう人間もいるかもしれない、といったことには思いがおよばぬのかな。
はっきりいっておこう。これは別に、なぞがたりなばり関係スタッフ各位に、ということではない。名張市役所のみなさんに、このさいだから、はっきりといっておく。
市民は行政の手駒ではない。
こんなあたりまえのことを、どうしてわざわざ声を大にしていわなければならんのか。それはもちろん、行政の手駒になって大喜びする市民だってあるだろう。そんな手合いは、そこらの区長会だのなんとか協議会だのかんとか委員会だの、そのあたりには少なからずいることであろう。市議会にだって、ごろごろしておるはずである。行政の手駒となることで名誉欲だの金銭欲だのといったつまらぬ私利私欲を満足させ、そのことで行政を思いきり堕落させている人間は、この名張市には掃いて捨てるほど存在しているのかもしれない。しかし、だからといって、あーこれこれ名張市役所のみなさんや、思いあがってはいけない。市民は行政の手駒ではない。このことを、きっちり肝に銘じていただかなければならない。
そういえば、2ちゃんねる名張市政スレの投稿によれば、きょう16日、津地方裁判所で、名張市のいわゆるごみ問題にかんする口頭弁論がおこなわれるという。
三重県名張市の市政について語りませんか?:834
これだって結局、根っこのところには、市民は行政の手駒ではない、という問題があるのではないか。名張市が市民を手駒にしようとしている、ということではないのか。それが市民を怒らせている、ということではないのか。市民は、行政が意のままに動かせる手駒ではない。そんなあたりまえのことが、名張市にはよく認識できていない、ということがあるのではないか。
三重県名張市の市政について語りませんか?:814-819
このあたりのレスを読むと、むろん2ちゃんねるの匿名投稿であるから、すべてまるごと鵜呑みにはできぬであろうが、名張市が市民を手駒あつかいしているという事実が、ある程度の明晰さでみえてくるように思える。勝手なお題目を掲げ、しかし、お題目の根拠を示すことはなにもできず、レス番815の表現を借りるなら「誠意を示すこともなく、知恵を絞ることもせず」、そのくせ、市民をそれこそ駒のように思いどおり裏返したりまた表を向けたりすることができると勘違いして、レス番818の表現を借りるなら「市民は敵、市民はアホ、市民は盲目、市民は従順と勘違い」したあげく、結局は身動きできなくなってしまった。それが名張市なのではないか。
話が横道にそれてしまった。まちなかミニツアーの話題である。しかしまあ、なにしろ名張市のやってることなのであるから、まるで金太郎飴であるかのごとく、どこを切ったって同質のものが顔を出すのは無理からぬことなのであろう。ただの思いつきで勝手な看板を掲げ、どうにも身動きできなくなって、結局は市民を手駒あつかいして、その市民に案内役を丸投げする、といったことがげんにおこなわれているのであるが、当方はきわめて協力的な人間であるのだから、その点、名張市はじつにラッキーだったというしかあるまい。よかったなあ名張市。おまえら、にっぽんいちのしあわせものだぞ。
さて、そんなこんなの当方が僭越ながら案内役をつとめるまちなかミニツアーは、11月22日の開催である。お誘いあわせてお運びをいただきたいのであるけれど、しかしあれだなあ、こんなこと書いてしまったら、案内役は別の人にお願いいたしましたので、となぞがたりなばりの担当セクションである名張市生活環境部まちづくり推進室から電話がかかってくるかもしれんなあ。そうなったらそうなったで、それはしかたないことではあるだろうなあ。しかしまあ、そうなったらそうなったで、やっぱり大騒ぎにはなるだろうなあ。というか、大騒ぎしてしまうだろうなあ。ほんと、ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ、大騒ぎがしてみたいなあ。
きのうのつづき。本日も、この話題である。
名張市公式サイト:第18回なぞがたりなばり開催
まちなかミニツアーのコースは、なぞがたりなばりの担当セクションである名張市生活環境部まちづくり推進室の手でまとめられていた。みてみると、名張市立図書館がコースに入っていない。いたしかたのないところであろう。名張のまちなかを散策する動線から、市立図書館はやや離れている。距離的に離れているだけでなく、高低差もある。だから、一日がかりの散策ならばともかく、二時間たらずのミニツアーからはずされるのはしかたあるまい。
念のために、名張ロータリークラブ謹製「少年少女乱歩手帳」の地図を引用して、位置関係を確認しておく。
赤の丸囲み数字で示したのが、乱歩ゆかりのスポット。東のはずれにぽつんとあるのが、市立図書館。遠いから行かない、ということになるのは無理もないのだが、しかし、名張市民はともかくとして、わざわざ遠方から乱歩の生まれたまちを訪ねてくれた参加者には、やはり市立図書館の乱歩コーナーをご覧いただくべきなのである。というか、はずせるわけがないのである。
そこで、まちづくり推進室に特段の配慮をお願いして、市立図書館をまちなかミニツアーのコースに組み入れてもらった。移動時間の短縮を図るため、名張市のマイクロバスを利用することにしてもらった。集合場所の名張駅からマイクロバスで市立図書館におもむき、ついでだから宇流富志禰神社と名張藤堂家邸跡もバスの窓からながめて、そのあとが徒歩によるツアーとなる。たいそうといえばたいそうな話だが、乱歩の生まれ故郷を訪ねてくださったみなさんに、これくらいのサービスを提供するのは当然のことであろう。
こんなたいそうなことをしなければならぬのも、やなせ宿を整備するにあたって、乱歩と関連づけることを怠ってしまったからである。乱歩の生まれた新町にハコモノを整備するというのだから、これは絶好のチャンスであった。平尾山のてっぺんにある市立図書館まで足を運ばなくても、新町に行きさえすれば乱歩関連の展示品を見ることができるという、あたりまえといえばあたりまえの話を実現するチャンスであった。
いまさらこんな愚痴を並べても意味はないが、名張まちなか再生プランがもう少しまともであれば、ということは、名張のまちのことや乱歩のことを真剣に考えられるだけの知識と見識をもったメンバーによってプランがまとめられていたら、こんなことにはなっておらなんだのである。
いやいや、プランの素案が発表された段階で、こちらはそれに対するパブリックコメントを提出し、細川邸を乱歩と関連づけることを提案したのである。その時点で、当方の指摘を受けて名張市があたりまえのことに気がついておったなら、こんなことにはなっておらなんだのである。
いやいや、乱歩と関連づける、という話もないではなかったようなのだが、いつのまにか立ち消えになってしまった。忘れっぽい向きも多いかもしれぬから、今年2月6日付毎日新聞のウェブニュースから引用しておく。
その川蔵は、いつのまにか、FMなばりのスタジオということになってしまっている。なんでそんなことになったのか、経緯は毛筋ほども明らかにされていない。観光交流施設として整備されたやなせ宿に、どうしてFM局のスタジオが必要なのか、と首をかしげる市民もげんに存在しているのだが、やなせ宿が観光交流施設だと思い込んでいるかぎり、そうした不審は消えないはずである。
しかし、実際には、やなせ宿は無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館with小判鮫なのである。したがって、日銭を稼ぐためにFM局を相手に貸し館事業をおこなっているのだと考えれば、ある程度の得心は行くであろう。むろん、そう考えてみたところで、釈然としないものは残るのだが、まあもういまさら、そんなことはどうだっていいや、という気がする。
とにかくもう、どうだっていいや、という感じなので、11月22日のまちなかミニツアーは、やなせ宿には立ち寄らない。完全にスルーする。これは当方の意向ではなく、まちづくり推進室のプランがそうなっている。じつにおかしな話である。まちなか再生の拠点として整備された観光交流施設という名目のやなせ宿を、まちなかミニツアーは素通りしてしまうのである。そのかわり、わざわざマイクロバスに乗って、市立図書館まで足を運ぶのである。
まともな話ではない。要するに、名張市が名張市を否定している、ということである。名張市の手がけるまちなかミニツアーという事業が、名張市の手がけたやなせ宿の整備事業を、完全に否定している。やなせ宿の整備が明らかに失敗であったという事実が、ここに明々白々と示されているのである。名張市のやることには整合性などみじんもなく、そこらじゅうに矛盾撞着が露出している、というわけなのである。
しかし、ご心配なく。いくらなんでもやなせ宿を素通りしてしまっては、愛想というものがなさすぎる。だから、まちづくり推進室に特段の配慮をお願いして、ミニツアーではあの無駄に立派な公衆便所を見学し、使用したい人には心ゆくまで便所を使用していただく、ということにしてもらった。小でも大でも出し放題。心づくしの特別サービスである。どうぞお気軽にご参加を。
名張市公式サイト:第18回なぞがたりなばり開催
まちなかミニツアーのコースは、なぞがたりなばりの担当セクションである名張市生活環境部まちづくり推進室の手でまとめられていた。みてみると、名張市立図書館がコースに入っていない。いたしかたのないところであろう。名張のまちなかを散策する動線から、市立図書館はやや離れている。距離的に離れているだけでなく、高低差もある。だから、一日がかりの散策ならばともかく、二時間たらずのミニツアーからはずされるのはしかたあるまい。
念のために、名張ロータリークラブ謹製「少年少女乱歩手帳」の地図を引用して、位置関係を確認しておく。
赤の丸囲み数字で示したのが、乱歩ゆかりのスポット。東のはずれにぽつんとあるのが、市立図書館。遠いから行かない、ということになるのは無理もないのだが、しかし、名張市民はともかくとして、わざわざ遠方から乱歩の生まれたまちを訪ねてくれた参加者には、やはり市立図書館の乱歩コーナーをご覧いただくべきなのである。というか、はずせるわけがないのである。
そこで、まちづくり推進室に特段の配慮をお願いして、市立図書館をまちなかミニツアーのコースに組み入れてもらった。移動時間の短縮を図るため、名張市のマイクロバスを利用することにしてもらった。集合場所の名張駅からマイクロバスで市立図書館におもむき、ついでだから宇流富志禰神社と名張藤堂家邸跡もバスの窓からながめて、そのあとが徒歩によるツアーとなる。たいそうといえばたいそうな話だが、乱歩の生まれ故郷を訪ねてくださったみなさんに、これくらいのサービスを提供するのは当然のことであろう。
こんなたいそうなことをしなければならぬのも、やなせ宿を整備するにあたって、乱歩と関連づけることを怠ってしまったからである。乱歩の生まれた新町にハコモノを整備するというのだから、これは絶好のチャンスであった。平尾山のてっぺんにある市立図書館まで足を運ばなくても、新町に行きさえすれば乱歩関連の展示品を見ることができるという、あたりまえといえばあたりまえの話を実現するチャンスであった。
いまさらこんな愚痴を並べても意味はないが、名張まちなか再生プランがもう少しまともであれば、ということは、名張のまちのことや乱歩のことを真剣に考えられるだけの知識と見識をもったメンバーによってプランがまとめられていたら、こんなことにはなっておらなんだのである。
いやいや、プランの素案が発表された段階で、こちらはそれに対するパブリックコメントを提出し、細川邸を乱歩と関連づけることを提案したのである。その時点で、当方の指摘を受けて名張市があたりまえのことに気がついておったなら、こんなことにはなっておらなんだのである。
いやいや、乱歩と関連づける、という話もないではなかったようなのだが、いつのまにか立ち消えになってしまった。忘れっぽい向きも多いかもしれぬから、今年2月6日付毎日新聞のウェブニュースから引用しておく。
やなせ宿:旧細川邸改修概要 観光情報発信や交流スペース設置--名張 /三重
□名張市は、今年6月のオープンを目指し、改修工事を進めている旧細川邸「やなせ宿」(同市新町)の施設概要を明らかにした。観光情報の発信や交流スペースを設置するとしている。しかし一部施設の利用法は未定で、今後、市民らで作る委員会で協議を続ける。 □〔略〕 □一方、川蔵は同市出身のミステリー作家、江戸川乱歩に関連する施設にすることなどが検討されていたが、現在具体的な活用法は未定。再生委員会での協議が続いており、市は「遅くても3月には利用法を決めたい」と話している。【金森崇之】 |
その川蔵は、いつのまにか、FMなばりのスタジオということになってしまっている。なんでそんなことになったのか、経緯は毛筋ほども明らかにされていない。観光交流施設として整備されたやなせ宿に、どうしてFM局のスタジオが必要なのか、と首をかしげる市民もげんに存在しているのだが、やなせ宿が観光交流施設だと思い込んでいるかぎり、そうした不審は消えないはずである。
しかし、実際には、やなせ宿は無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館with小判鮫なのである。したがって、日銭を稼ぐためにFM局を相手に貸し館事業をおこなっているのだと考えれば、ある程度の得心は行くであろう。むろん、そう考えてみたところで、釈然としないものは残るのだが、まあもういまさら、そんなことはどうだっていいや、という気がする。
とにかくもう、どうだっていいや、という感じなので、11月22日のまちなかミニツアーは、やなせ宿には立ち寄らない。完全にスルーする。これは当方の意向ではなく、まちづくり推進室のプランがそうなっている。じつにおかしな話である。まちなか再生の拠点として整備された観光交流施設という名目のやなせ宿を、まちなかミニツアーは素通りしてしまうのである。そのかわり、わざわざマイクロバスに乗って、市立図書館まで足を運ぶのである。
まともな話ではない。要するに、名張市が名張市を否定している、ということである。名張市の手がけるまちなかミニツアーという事業が、名張市の手がけたやなせ宿の整備事業を、完全に否定している。やなせ宿の整備が明らかに失敗であったという事実が、ここに明々白々と示されているのである。名張市のやることには整合性などみじんもなく、そこらじゅうに矛盾撞着が露出している、というわけなのである。
しかし、ご心配なく。いくらなんでもやなせ宿を素通りしてしまっては、愛想というものがなさすぎる。だから、まちづくり推進室に特段の配慮をお願いして、ミニツアーではあの無駄に立派な公衆便所を見学し、使用したい人には心ゆくまで便所を使用していただく、ということにしてもらった。小でも大でも出し放題。心づくしの特別サービスである。どうぞお気軽にご参加を。
連休が明けた。いくらなんでも今週中には、名張市長から回答を頂戴できるであろうと思う。下記の要請に対する回答である。
当方、きわめて協力的な人間である。したがって、たとえメールで寄せられたものではあっても、名張市長からじきじきに、「貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします」との要請を頂戴したのであるから、市民のひとりとして、知らん顔などできない。できるものではない。誠心誠意、意見提案を具申して、力のかぎり協力にこれ努める所存である。市長、教育長、前教育次長、このお三方から拝眉の機を頂戴するのは、いったいいつのことになるのかな。
当方、なにしろ協力的なのである。もちろん、てんで筋の通らない話であるとか、ジャスティスやフェアネスのかけらもない話であるとか、そういうたぐいには協力できない。あたりまえのことである。しかし、そうでなければ、協力を惜しむものではけっしてない。早い話、今般、名張市が主催するミステリ講演会に協力する運びとなった。ばんばん協力してやる。
講演会は、11月22日の午後1時から名張市総合福祉センターふれあいで開かれる。講師は芦辺拓さん。午前中には、名張まちなかの乱歩ゆかりの地を訪ねるミニツアーも開催される。
名張市公式サイト:第18回なぞがたりなばり開催
当方のウェブサイトで9月28日、さっそく宣伝に努めたのだが、ミニツアーの案内人が「未定」となっているので、ちょっとおちょくっておいた。
ここまでおちょくってやったのだから、ふつうなら、当方に案内役がまわってくるはずはない。ところが、まわってきた。10月8日に電話がかかってきて、翌9日木曜日、なぞがたりなばりの担当セクションである名張市生活環境部まちづくり推進室に足を運んだところ、まちなかミニツアーの案内人をやってくれと頼まれた。むろん、上に引いた9月28日付の文章も織り込み済みの話であった。当方なにしろ協力的な人間だから、快く承諾した。
しかし、大丈夫か、と思わぬでもない。当方が名張のまちなかを案内しながらいろいろ口走るとしたら、口走る内容の半分がたは市政批判になってしまうのではないか。いやいや、むろん当方とて、市政批判のために案内をするわけではない。そんなつもりはさらさらないのだが、過去の実績というやつがある。
近い例としては、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館を知の殿堂に生まれ変わらせるやなせ宿連続講座やなせ塾があげられよう。あの二回の講座では、市政批判もかなり口走ったような記憶がある。その市政批判がまた、ものすごく受けた、という記憶もある。
そういえば、11月の15日、東京の日本推理作家協会事務局で開かれる土曜サロンという催しに招かれている。ゲストとして、なにかしゃべらなければならない。テーマは「江戸川乱歩と津藩藤堂家」ということにしているのだが、ここでもたぶん、名張市政に対する批判が飛び出してしまうような気がする。むろん、そんなつもりはさらさらないのだが、飛び出してしまうものはしかたがないという気がする。
だからなあ、11月の22日、ということはたぶん寒々しい一日になるものと予想されるのだが、そんな日に、あの荒廃感たっぷりの桝田医院第二病棟跡地に立ち、幼稚園児が切り貼りしたような江戸川乱歩生誕地碑広場案内板を目にしたら、当方がいくら冷静沈着温厚篤実な人間であっても、堰を切ったように市政批判をわめきたててしまうことになるかもしれんなあ。えらいことになるかもしれんなあ。しかしまあ、そんなことは百も承知の織り込み済みで案内役を依頼してきてくれたんだから、ここはとりあえず、名張市の勇気をほめたたえておかなければならんだろうなあ。あっぱれあっぱれ。
さらに、おちょくりをつづける。それにしても、これはいったいなにごとであるのか。どうして当方に、案内役など要請してくるのか。むろん、ウェブサイトにも記したとおり、当方ほど案内役にふさわしい人間はおらん。それはたしかである。しかし、たかが名張のまちを案内するだけの話ではないか。その程度のことを、名張市という自治体はどうして、自前で片づけようとしないのか。
似たような催しは、以前にもあった。六年前、平成14・2002年のことである。ポスターのデータが残っているので、掲げておく。
案内されている催しのうち、「乱歩ひやわい散歩」というのが、今回のミニツアーとおなじ趣向のものである。どんな内容であったのかは、よく知らない。同行したわけではないからである。たしか、桝田医院前の新町通りに立つ乱歩の写真が『わが夢と真実』という本に収録されているのだが、そのおなじ場所で、おなじ構図で記念写真を撮影する、という企画が盛り込まれていたように思う。ただし、同行したわけではないから断言はできない。
つまり、そんな程度のことでいいのである。六年前の乱歩ひやわい散歩にしろ、ことしのまちなかミニツアーにしろ、当方が同行するまでもないことなのである。名張のまちを歩き、乱歩ゆかりの場所を案内するなどというのは、いとも簡単なことである。そんなことくらい、名張市が自前でできなくてどうする、という話なのである。げんに六年前の乱歩ひやわい散歩では、当方の出番などなかったのである。六年前にできたことが、いまなぜできぬのか。この六年間で、名張市はどうなってしまったというのか。
かりに名張市が、名張のまちを案内するというただそれだけのことさえできない自治体になってしまったのだとしても、名張市名物の官民協働はどうした。たとえば、名張まちなか再生委員会があるではないか。あの委員会には歩行者空間整備プロジェクトというのがあって、江戸川乱歩生誕地碑広場をはじめとして、まちなかの四か所に八百万円ほどかけて案内板を設置してくれたのである。ならば、そのプロジェクトのチーフあたりが、まちなかミニツアーの案内にお立ちになればいいのではないか。というか、立つべきである。そんなこともできなくて、なにが歩行者空間整備プロジェクトか、なにが名張まちなか再生委員会か、なにが協働か。
名張まちなか再生委員会は無理だとしても、名張市公式サイトのなぞがたりなばりのページには、「主催:名張市 共催:乱歩蔵びらきの会 協賛:社団法人日本推理作家協会」と書いてあるのだから、乱歩蔵びらきの会はどうした、という話になる。当然、そんな話になる。名張のまちを乱歩がらみで案内することもできない組織が、ごたいそうに乱歩の看板をかかげて活動しているのか、という話になる。というか、乱歩蔵びらきの会は、すでに活動を停止しているのではなかったのか。ことしはたぶん、総会も開催してないはずである。だから、こんなところに名前が出ているのを見て、ちょっとびっくりしたというのが正直なところである。
ともあれ、まちなかミニツアーがオプションでついている第十八回なぞがたりなばり、お申し込みはお早めにどうぞ。それはそれとして、おちょくりはあすもつづける。
ご回答ありがとうございました。せっかくの仰せですから、おことばに甘えて、「貴重なご意見・ご提案」を具申したいと思います。つきましては、そのための面談の場を設けていただきたく、ご手配をお願いいたします。面談の場には、貴職のほか、教育長と前教育次長にもご臨席たまわりますよう、勝手ながら願いあげます。面談の日時と場所のご連絡をお待ちしております。ご多用中恐縮ですが、よろしくお願いいたします。
2008/10/10 |
当方、きわめて協力的な人間である。したがって、たとえメールで寄せられたものではあっても、名張市長からじきじきに、「貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします」との要請を頂戴したのであるから、市民のひとりとして、知らん顔などできない。できるものではない。誠心誠意、意見提案を具申して、力のかぎり協力にこれ努める所存である。市長、教育長、前教育次長、このお三方から拝眉の機を頂戴するのは、いったいいつのことになるのかな。
当方、なにしろ協力的なのである。もちろん、てんで筋の通らない話であるとか、ジャスティスやフェアネスのかけらもない話であるとか、そういうたぐいには協力できない。あたりまえのことである。しかし、そうでなければ、協力を惜しむものではけっしてない。早い話、今般、名張市が主催するミステリ講演会に協力する運びとなった。ばんばん協力してやる。
講演会は、11月22日の午後1時から名張市総合福祉センターふれあいで開かれる。講師は芦辺拓さん。午前中には、名張まちなかの乱歩ゆかりの地を訪ねるミニツアーも開催される。
名張市公式サイト:第18回なぞがたりなばり開催
当方のウェブサイトで9月28日、さっそく宣伝に努めたのだが、ミニツアーの案内人が「未定」となっているので、ちょっとおちょくっておいた。
□ここで名張市が日本推理作家協会の協力を得て毎年開催しているミステリ講演会「なぞがたりなばり」のお知らせです。11月22日土曜日、名張市総合福祉センターふれあいで第十八回が催されます。講師は芦辺拓さん。テーマは「〈乱歩〉を生きた男──戦略的な、あまりに戦略的な」。タイトルから察しますに、最初から最後までずっと乱歩のことが語られる本格的な作家論になるのではないでしょうか。詳細は名張市オフィシャルサイトの「第18回なぞがたりなばり開催」でどうぞ。入場券はきょう発売開始です。
□11月22日の午前中には名張のまちで乱歩ゆかりの地をめぐる「まちなかミニツアー」も企画されておりますので、こちらにもお気軽にご参加ください。ツアーの案内役は未定とのことですが、名張市には私に案内役を依頼するような勇気はとてもないということでしょうか、全然お声がかかりません。はっはっは。案内役としてこれほど適任な人間もおらんのだが、そうかそうか、恐ろしくてとても依頼などできんのか。はっはっは。 |
ここまでおちょくってやったのだから、ふつうなら、当方に案内役がまわってくるはずはない。ところが、まわってきた。10月8日に電話がかかってきて、翌9日木曜日、なぞがたりなばりの担当セクションである名張市生活環境部まちづくり推進室に足を運んだところ、まちなかミニツアーの案内人をやってくれと頼まれた。むろん、上に引いた9月28日付の文章も織り込み済みの話であった。当方なにしろ協力的な人間だから、快く承諾した。
しかし、大丈夫か、と思わぬでもない。当方が名張のまちなかを案内しながらいろいろ口走るとしたら、口走る内容の半分がたは市政批判になってしまうのではないか。いやいや、むろん当方とて、市政批判のために案内をするわけではない。そんなつもりはさらさらないのだが、過去の実績というやつがある。
近い例としては、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館を知の殿堂に生まれ変わらせるやなせ宿連続講座やなせ塾があげられよう。あの二回の講座では、市政批判もかなり口走ったような記憶がある。その市政批判がまた、ものすごく受けた、という記憶もある。
そういえば、11月の15日、東京の日本推理作家協会事務局で開かれる土曜サロンという催しに招かれている。ゲストとして、なにかしゃべらなければならない。テーマは「江戸川乱歩と津藩藤堂家」ということにしているのだが、ここでもたぶん、名張市政に対する批判が飛び出してしまうような気がする。むろん、そんなつもりはさらさらないのだが、飛び出してしまうものはしかたがないという気がする。
だからなあ、11月の22日、ということはたぶん寒々しい一日になるものと予想されるのだが、そんな日に、あの荒廃感たっぷりの桝田医院第二病棟跡地に立ち、幼稚園児が切り貼りしたような江戸川乱歩生誕地碑広場案内板を目にしたら、当方がいくら冷静沈着温厚篤実な人間であっても、堰を切ったように市政批判をわめきたててしまうことになるかもしれんなあ。えらいことになるかもしれんなあ。しかしまあ、そんなことは百も承知の織り込み済みで案内役を依頼してきてくれたんだから、ここはとりあえず、名張市の勇気をほめたたえておかなければならんだろうなあ。あっぱれあっぱれ。
さらに、おちょくりをつづける。それにしても、これはいったいなにごとであるのか。どうして当方に、案内役など要請してくるのか。むろん、ウェブサイトにも記したとおり、当方ほど案内役にふさわしい人間はおらん。それはたしかである。しかし、たかが名張のまちを案内するだけの話ではないか。その程度のことを、名張市という自治体はどうして、自前で片づけようとしないのか。
似たような催しは、以前にもあった。六年前、平成14・2002年のことである。ポスターのデータが残っているので、掲げておく。
案内されている催しのうち、「乱歩ひやわい散歩」というのが、今回のミニツアーとおなじ趣向のものである。どんな内容であったのかは、よく知らない。同行したわけではないからである。たしか、桝田医院前の新町通りに立つ乱歩の写真が『わが夢と真実』という本に収録されているのだが、そのおなじ場所で、おなじ構図で記念写真を撮影する、という企画が盛り込まれていたように思う。ただし、同行したわけではないから断言はできない。
つまり、そんな程度のことでいいのである。六年前の乱歩ひやわい散歩にしろ、ことしのまちなかミニツアーにしろ、当方が同行するまでもないことなのである。名張のまちを歩き、乱歩ゆかりの場所を案内するなどというのは、いとも簡単なことである。そんなことくらい、名張市が自前でできなくてどうする、という話なのである。げんに六年前の乱歩ひやわい散歩では、当方の出番などなかったのである。六年前にできたことが、いまなぜできぬのか。この六年間で、名張市はどうなってしまったというのか。
かりに名張市が、名張のまちを案内するというただそれだけのことさえできない自治体になってしまったのだとしても、名張市名物の官民協働はどうした。たとえば、名張まちなか再生委員会があるではないか。あの委員会には歩行者空間整備プロジェクトというのがあって、江戸川乱歩生誕地碑広場をはじめとして、まちなかの四か所に八百万円ほどかけて案内板を設置してくれたのである。ならば、そのプロジェクトのチーフあたりが、まちなかミニツアーの案内にお立ちになればいいのではないか。というか、立つべきである。そんなこともできなくて、なにが歩行者空間整備プロジェクトか、なにが名張まちなか再生委員会か、なにが協働か。
名張まちなか再生委員会は無理だとしても、名張市公式サイトのなぞがたりなばりのページには、「主催:名張市 共催:乱歩蔵びらきの会 協賛:社団法人日本推理作家協会」と書いてあるのだから、乱歩蔵びらきの会はどうした、という話になる。当然、そんな話になる。名張のまちを乱歩がらみで案内することもできない組織が、ごたいそうに乱歩の看板をかかげて活動しているのか、という話になる。というか、乱歩蔵びらきの会は、すでに活動を停止しているのではなかったのか。ことしはたぶん、総会も開催してないはずである。だから、こんなところに名前が出ているのを見て、ちょっとびっくりしたというのが正直なところである。
ともあれ、まちなかミニツアーがオプションでついている第十八回なぞがたりなばり、お申し込みはお早めにどうぞ。それはそれとして、おちょくりはあすもつづける。
(6)9月28日 → 10月9日
ということになった。きのうのエントリが功を奏したのか、きのうの午前中に、名張市長の回答が着信した。
質問はこれ。
きのう頂戴した回答がこれ。
論理の破綻、というか、ここへきて急に知られるようになった「対称性の破れ」ということばにならって、論理性の破れ、とでもいっておこうか。とにかく、この回答における論理性の破れには、ほとんど空恐ろしいものをおぼえる。
もとより、論理などと呼べるものは、この回答には存在していない。論理性は破れている。にもかかわらず、そんな回答が、まぎれもない名張市長の名義で、平然と送信されてくる恐ろしさ。そして、名張市政の多くの局面が、こうした論理性の破れに支配されているのではないかということに思いいたると、空恐ろしさはいやますばかりである。
悪態をつく気にもなれぬほどだが、せっかくいただいた回答である。論理性の破れを指摘しておく。引用は太字。
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、
という前半と、
今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
という後半によって、ひとつの文章が構成されている。だが、前半と後半には、論理的な脈絡は存在していない。まったく別のことが述べられている。すなわち、前半では資料の活用について、後半では資料の収集と保存について。
もちろん、いうまでもなく、資料の収集と活用とは密接に関係している。表裏一体のものである。ここに一冊の資料があるとするならば、それは収集されたものであると同時に、活用されるべきものでもある。図書館の資料収集は、あくまでも活用を前提として進められるべきものなのである。ところが、この回答においては、ひとつのセンテンスのなかで述べられてはいるものの、収集と活用という表裏一体であるべき行為は、きれいに分断されてしまっている。
回答には、なんと書かれてあるのか。活用のことはまったく考えておりませんが、収集と保存には努めたいと考えております。そんなことが書かれている。活用はしないが、収集はする。そう書いてある。この回答は、図書館の役割というものをまったく理解できていない人間が、その場しのぎのために書き散らしたものでしかない。多少なりとも、図書館や資料にかんする知識のある人間であれば、いやいや、とくに知識のない人間だって、いくらなんでもここまで愚かしい回答はできないであろう。
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、
と素直にみずからの無能と怠慢とを認めたのであれば、そのあとにはたとえば、
「早急に具体的な方針をとりまとめたうえで」
とでもいったぐあいに、これまでの無能と怠慢とをどうカバーするのか、その点を明記したうえで、
今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
とつづけるのがまともな回答というものである。市民から寄せられた指摘を受けて、現在ただいまの事態や状況をどう認識し、それにどう対処しようとしているのか、その点を明確に説明するのが、この場合の市長回答というもののはずである。しかるに、この回答が表明しているのは、思考の放棄でしかない。思考することを完全に放棄してしまい、ただただ現状を無批判に追認するだけの回答なのである。
これはもう、名張市はなにも考えません、考える能力がありません、と市長みずからが宣言しているにひとしい。それはたぶん、市立図書館の資料にかんしてのみならず、市政全般にわたる宣言ではないのか、と思いいたると、ほんとうに空恐ろしくなってくる。
しかしまあ、ここまではっきりと、名張市長みずからが、名張市立図書館が所蔵している江戸川乱歩関連資料の活用については、なにも考えておりません、と表明していらっしゃるのである。名張市立図書館の開館は、昭和44・1969年のことである。以来ほぼ四十年。四十年にわたって収集された乱歩関連資料を前にして、資料の活用のことなどなにも考えておりませんと、全国の図書館関係者が聞いたら卒倒してしまうような、いやいや、図書館関係者でなくたって、まともな人間ならとてもにわかには信じがたいようなことを、ここまで平然と表明していらっしゃるのである。
だからもう、名張市立図書館は乱歩の看板をおろしてしまうべきであろう。看板をあげていても、もはや意味はあるまい。だいたいが、乱歩のことで問い合わせがあっても、まともに答えることはできないのである。たとえば、8月6日付エントリに記したとおり、愛知県から名張市立図書館まで調査のために足を運んでくださる人があっても、いわゆる対応のお鉢は当方にまわってくるのである。
8月6日:愛知県からのお客さん
そのあとも、たとえば9月9日には、名張市立図書館もずいぶんお世話になった探偵小説評論家の中島河太郎先生のご遺族が、東京から京都まで来る用事があったからついでに名張にも、とわざわざお立寄りくださった。市立図書館でお相手したのは当方である。9月13日には、SRの会というミステリー愛好家の全国組織が、伊勢で全国大会を開くついでに名張にも、と有志によるオプショナルツアーでおいでくださった。市立図書館でお相手したのは当方である。
こういうことは、もういいかげんにしておいたほうがいいと思う。乱歩のことでなにかしら問い合わせてくださったり、はるばる訪ねてくださったりした人のお相手ができないというのであれば、乱歩の看板を掲げている資格はとてもない。はっきりいって詐欺である。
といったような次第であるから、たったったっ、とテンポよく話を進めるために、名張市公式サイト「市長への手紙」へさらに一通。送信IDは20081010081336404とのことであった。文面はつぎのとおり。
文中にも記したとおり、
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
とわざわざ要請を頂戴したのだから、まことにおそれおおいことではあるけれど、勇を鼓して、意見提案をお寄せすることにした次第である。当方はもう、市民の鑑と呼ばれてもおかしくない人間なのかもしれん。ほんとは人間豹だけど。
ということになった。きのうのエントリが功を奏したのか、きのうの午前中に、名張市長の回答が着信した。
質問はこれ。
ご回答ありがとうございました。やなせ宿にかんするお尋ねはひとまずここまでとし、新しい質問を提出いたします。つぎの一点です。
・名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針はあるか。 念のために申し添えますと、展示用資料のことをお尋ねしているわけではありません。市立図書館が開館準備の段階から収集してきた図書や雑誌などの資料のことです。この点につきましては、昨年の2月から3月にかけて、名張市教育委員会の当時の教育次長にお訊きしたのですが、お答えはいただけませんでした。その後、公文書公開請求によって確認したところでも、乱歩関連資料の活用にかんする公文書は存在していないとのことでしたので、具体的な方針はまとめられていないものと推測される次第ですが、念のためにお尋ねいたします。 ご多用中恐縮ですが、よろしくご回答たまわりますようお願いいたします。 2008/09/28 |
きのう頂戴した回答がこれ。
中 相作 さま
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。 名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。 今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。 平成20年10月 9日 □名張市長 亀井利克 |
論理の破綻、というか、ここへきて急に知られるようになった「対称性の破れ」ということばにならって、論理性の破れ、とでもいっておこうか。とにかく、この回答における論理性の破れには、ほとんど空恐ろしいものをおぼえる。
もとより、論理などと呼べるものは、この回答には存在していない。論理性は破れている。にもかかわらず、そんな回答が、まぎれもない名張市長の名義で、平然と送信されてくる恐ろしさ。そして、名張市政の多くの局面が、こうした論理性の破れに支配されているのではないかということに思いいたると、空恐ろしさはいやますばかりである。
悪態をつく気にもなれぬほどだが、せっかくいただいた回答である。論理性の破れを指摘しておく。引用は太字。
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、
という前半と、
今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
という後半によって、ひとつの文章が構成されている。だが、前半と後半には、論理的な脈絡は存在していない。まったく別のことが述べられている。すなわち、前半では資料の活用について、後半では資料の収集と保存について。
もちろん、いうまでもなく、資料の収集と活用とは密接に関係している。表裏一体のものである。ここに一冊の資料があるとするならば、それは収集されたものであると同時に、活用されるべきものでもある。図書館の資料収集は、あくまでも活用を前提として進められるべきものなのである。ところが、この回答においては、ひとつのセンテンスのなかで述べられてはいるものの、収集と活用という表裏一体であるべき行為は、きれいに分断されてしまっている。
回答には、なんと書かれてあるのか。活用のことはまったく考えておりませんが、収集と保存には努めたいと考えております。そんなことが書かれている。活用はしないが、収集はする。そう書いてある。この回答は、図書館の役割というものをまったく理解できていない人間が、その場しのぎのために書き散らしたものでしかない。多少なりとも、図書館や資料にかんする知識のある人間であれば、いやいや、とくに知識のない人間だって、いくらなんでもここまで愚かしい回答はできないであろう。
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、
と素直にみずからの無能と怠慢とを認めたのであれば、そのあとにはたとえば、
「早急に具体的な方針をとりまとめたうえで」
とでもいったぐあいに、これまでの無能と怠慢とをどうカバーするのか、その点を明記したうえで、
今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
とつづけるのがまともな回答というものである。市民から寄せられた指摘を受けて、現在ただいまの事態や状況をどう認識し、それにどう対処しようとしているのか、その点を明確に説明するのが、この場合の市長回答というもののはずである。しかるに、この回答が表明しているのは、思考の放棄でしかない。思考することを完全に放棄してしまい、ただただ現状を無批判に追認するだけの回答なのである。
これはもう、名張市はなにも考えません、考える能力がありません、と市長みずからが宣言しているにひとしい。それはたぶん、市立図書館の資料にかんしてのみならず、市政全般にわたる宣言ではないのか、と思いいたると、ほんとうに空恐ろしくなってくる。
しかしまあ、ここまではっきりと、名張市長みずからが、名張市立図書館が所蔵している江戸川乱歩関連資料の活用については、なにも考えておりません、と表明していらっしゃるのである。名張市立図書館の開館は、昭和44・1969年のことである。以来ほぼ四十年。四十年にわたって収集された乱歩関連資料を前にして、資料の活用のことなどなにも考えておりませんと、全国の図書館関係者が聞いたら卒倒してしまうような、いやいや、図書館関係者でなくたって、まともな人間ならとてもにわかには信じがたいようなことを、ここまで平然と表明していらっしゃるのである。
だからもう、名張市立図書館は乱歩の看板をおろしてしまうべきであろう。看板をあげていても、もはや意味はあるまい。だいたいが、乱歩のことで問い合わせがあっても、まともに答えることはできないのである。たとえば、8月6日付エントリに記したとおり、愛知県から名張市立図書館まで調査のために足を運んでくださる人があっても、いわゆる対応のお鉢は当方にまわってくるのである。
8月6日:愛知県からのお客さん
そのあとも、たとえば9月9日には、名張市立図書館もずいぶんお世話になった探偵小説評論家の中島河太郎先生のご遺族が、東京から京都まで来る用事があったからついでに名張にも、とわざわざお立寄りくださった。市立図書館でお相手したのは当方である。9月13日には、SRの会というミステリー愛好家の全国組織が、伊勢で全国大会を開くついでに名張にも、と有志によるオプショナルツアーでおいでくださった。市立図書館でお相手したのは当方である。
こういうことは、もういいかげんにしておいたほうがいいと思う。乱歩のことでなにかしら問い合わせてくださったり、はるばる訪ねてくださったりした人のお相手ができないというのであれば、乱歩の看板を掲げている資格はとてもない。はっきりいって詐欺である。
といったような次第であるから、たったったっ、とテンポよく話を進めるために、名張市公式サイト「市長への手紙」へさらに一通。送信IDは20081010081336404とのことであった。文面はつぎのとおり。
ご回答ありがとうございました。せっかくの仰せですから、おことばに甘えて、「貴重なご意見・ご提案」を具申したいと思います。つきましては、そのための面談の場を設けていただきたく、ご手配をお願いいたします。面談の場には、貴職のほか、教育長と前教育次長にもご臨席たまわりますよう、勝手ながら願いあげます。面談の日時と場所のご連絡をお待ちしております。ご多用中恐縮ですが、よろしくお願いいたします。
2008/10/10 |
文中にも記したとおり、
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
とわざわざ要請を頂戴したのだから、まことにおそれおおいことではあるけれど、勇を鼓して、意見提案をお寄せすることにした次第である。当方はもう、市民の鑑と呼ばれてもおかしくない人間なのかもしれん。ほんとは人間豹だけど。
おっかしいなあ。まーだ返事が来ないぞ。おっかしいなあ。いくらなんでも遅すぎじゃね? 住民不満足度は最高潮ッ! というのはむろん、名張市は乱歩をどうする気? という本命のテーマにかんして、名張市公式サイト「市長への手紙」に送信した質問への回答のことである。
「市長への手紙」における過去のレスポンスは、さてどのようなものであったか。
(1)5月15日・5月20日 → 7月11日・7月18日
はじめて質問を送ったのは、5月15日のことである。五日後の20日には、回答を催促した。当方、そこそこイラチである。5月20日付エントリにはこう記した。
ところが、当時、「市長への手紙」のメールサーバーに不具合があって、メールが届いていなかったらしい。7月11日、名張市企画財政部広報対話室からその旨を知らせるメールが届いた。で、名張市長の回答が着信したのは7月18日のことであった。だから実質、7月11日に届いた質問に対して七日後の18日に回答があった、ということになる。
(2)7月21日 → 8月7日
再度、質問を送信したところ、今度はやや時間がかかり、十七日後に回答があった。
(3)8月12日 → 8月19日
今度は、七日後に届いた。
(4)8月27日 → 9月2日
そのつぎは、六日後に届いた。
(5)9月8日 → 9月18日
そのあとは、十日後。
で、9月28日に送った質問への回答が、まだ届かない。送信してから、きょうで十一日が経過することになる。
質問というのは、これである。
・名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針はあるか。
ごく簡単な質問である。答えるのは雑作もない。そんな方針などなーんにもない、と答えるしかないのである。だというのに、どうしてこんなに時間がかかるのか。存在していないものをいくら探してみたところで、みつかるはずがないではないか。
質問に付記したとおり、この点にかんしては、去年、教育次長に質問してもなんの回答もなかったし、公文書公開請求でチェックしても一枚の公文書も出てこなかった。要するに、資料を活用するための具体的な方針なんて、どこにも存在していないのである。いくら探したって、時間の無駄である。じゃと申すに、なーにちんたらしておるのじゃ。たったったっ、とテンポよく、話を進めてもらいたいものである。
きょうは名張市役所に足を運ぶ用事があるから、ついでに教育委員会にもお邪魔しようかな。いやいや、そこまで催促がましいことは、現段階では控えることにして、5月20日付エントリに記したことを、あらためてここに書きつけておく。
どうも困ったものである。この程度の質問に回答がいただけないというのは、じつに困ったものである。先日も記したとおり、近くこの「市長への手紙」を利用して、名張市は乱歩をどうする気? みたいなことを明確にしてゆきたいなと考えているのだが、梨のつぶてでは困ってしまうではないか。催促するだけで疲れてしまう。
「市長への手紙」における過去のレスポンスは、さてどのようなものであったか。
(1)5月15日・5月20日 → 7月11日・7月18日
はじめて質問を送ったのは、5月15日のことである。五日後の20日には、回答を催促した。当方、そこそこイラチである。5月20日付エントリにはこう記した。
どうも困ったものである。この程度の質問に回答がいただけないというのは、じつに困ったものである。先日も記したとおり、近くこの「市長への手紙」を利用して、名張市は乱歩をどうする気? みたいなことを明確にしてゆきたいなと考えているのだが、梨のつぶてでは困ってしまうではないか。催促するだけで疲れてしまう。
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ところが、当時、「市長への手紙」のメールサーバーに不具合があって、メールが届いていなかったらしい。7月11日、名張市企画財政部広報対話室からその旨を知らせるメールが届いた。で、名張市長の回答が着信したのは7月18日のことであった。だから実質、7月11日に届いた質問に対して七日後の18日に回答があった、ということになる。
(2)7月21日 → 8月7日
再度、質問を送信したところ、今度はやや時間がかかり、十七日後に回答があった。
(3)8月12日 → 8月19日
今度は、七日後に届いた。
(4)8月27日 → 9月2日
そのつぎは、六日後に届いた。
(5)9月8日 → 9月18日
そのあとは、十日後。
で、9月28日に送った質問への回答が、まだ届かない。送信してから、きょうで十一日が経過することになる。
質問というのは、これである。
・名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針はあるか。
ごく簡単な質問である。答えるのは雑作もない。そんな方針などなーんにもない、と答えるしかないのである。だというのに、どうしてこんなに時間がかかるのか。存在していないものをいくら探してみたところで、みつかるはずがないではないか。
質問に付記したとおり、この点にかんしては、去年、教育次長に質問してもなんの回答もなかったし、公文書公開請求でチェックしても一枚の公文書も出てこなかった。要するに、資料を活用するための具体的な方針なんて、どこにも存在していないのである。いくら探したって、時間の無駄である。じゃと申すに、なーにちんたらしておるのじゃ。たったったっ、とテンポよく、話を進めてもらいたいものである。
きょうは名張市役所に足を運ぶ用事があるから、ついでに教育委員会にもお邪魔しようかな。いやいや、そこまで催促がましいことは、現段階では控えることにして、5月20日付エントリに記したことを、あらためてここに書きつけておく。
どうも困ったものである。この程度の質問に回答がいただけないというのは、じつに困ったものである。先日も記したとおり、近くこの「市長への手紙」を利用して、名張市は乱歩をどうする気? みたいなことを明確にしてゆきたいなと考えているのだが、梨のつぶてでは困ってしまうではないか。催促するだけで疲れてしまう。
きのう、伊賀市の上野公園にそびえたつ伊賀上野城の天守閣で、「高虎の魅力〜講演と音楽絵巻〜」という催しがあった。三重大学教授の藤田達生さんが「藤堂高虎の藩(くに)づくり〜伊賀を中心に〜」と題して講演し、つづいて旭堂南青さんが講談「新藤堂高虎伝〜わが命、この国とともに……〜」を読む。高本一郎さんのリュート演奏が入る「音楽絵巻」という趣向で、講談は中野順哉さんが藤田さんから取材して台本をまとめたという新作。講演で最新の研究成果にもとづいた高虎像の骨格が示され、講談ではその骨格にドラマティックな肉づけがほどこされる。講演と講談を一貫して高虎像にいささかのブレもないことが相乗効果をもたらし、予想していた以上に面白いコラボレーションであった。
催しのあと、いささか用事があったので、伊賀上野城の事務室にお邪魔した。平井という名の津藩の藩士を話題にしたところ、えらいもので、事務室には『庁事類編』の人名索引なんてものが備えられていた。むろん公刊されたものではない。こういうものがすっと出てくるのが、やはり上野の伝統というやつであろう。旧上野市は『庁事類編』のみならず、『宗国史』『永保記事略』『公室年譜略』といった津藩の資料を公刊していて、これだけでもたいしたことなのだが、そうした資料を活用するべく、まったく人目につかぬところで、たとえば『庁事類編』の人名索引が作成されているのである。
ひるがえって名張市はというと、これはもうどうしようもない。財政難で市史が出せません、というのだから目もあてられないのだが、財政の問題以前に、歴史というものにどう向き合うべきなのか、それがてんで理解できていない。端的な例が、細川邸を歴史資料館にいたしましょう、などと気のふれたようことを記した名張まちなか再生プランである。とても正気の沙汰ではない。まったくもう、市民としては、おてあげであるというしかない。
だから当方、名張市にはすっかり見切りをつけておるのであるが、けりをつけておかねばならぬ問題もある。それゆえ、名張市公式サイトの「市長への手紙」を利用して、名張市は乱歩をどうする気? という本命のテーマに着手した次第である。回答は、いまだ届かぬ。届いたら届いたで、そのあとはまたえらいことになるはずなのである。なにしろ人間豹刺止鉤爪である。人間豹がとどめさしちゃるけん、てなものなのである。具体的にどんなとどめになるのか、それはいまのところよくわからないのだが、とにかくとどめはとどめである。とりあえず、誠意ある回答というやつを期待している次第である。
催しのあと、いささか用事があったので、伊賀上野城の事務室にお邪魔した。平井という名の津藩の藩士を話題にしたところ、えらいもので、事務室には『庁事類編』の人名索引なんてものが備えられていた。むろん公刊されたものではない。こういうものがすっと出てくるのが、やはり上野の伝統というやつであろう。旧上野市は『庁事類編』のみならず、『宗国史』『永保記事略』『公室年譜略』といった津藩の資料を公刊していて、これだけでもたいしたことなのだが、そうした資料を活用するべく、まったく人目につかぬところで、たとえば『庁事類編』の人名索引が作成されているのである。
ひるがえって名張市はというと、これはもうどうしようもない。財政難で市史が出せません、というのだから目もあてられないのだが、財政の問題以前に、歴史というものにどう向き合うべきなのか、それがてんで理解できていない。端的な例が、細川邸を歴史資料館にいたしましょう、などと気のふれたようことを記した名張まちなか再生プランである。とても正気の沙汰ではない。まったくもう、市民としては、おてあげであるというしかない。
だから当方、名張市にはすっかり見切りをつけておるのであるが、けりをつけておかねばならぬ問題もある。それゆえ、名張市公式サイトの「市長への手紙」を利用して、名張市は乱歩をどうする気? という本命のテーマに着手した次第である。回答は、いまだ届かぬ。届いたら届いたで、そのあとはまたえらいことになるはずなのである。なにしろ人間豹刺止鉤爪である。人間豹がとどめさしちゃるけん、てなものなのである。具体的にどんなとどめになるのか、それはいまのところよくわからないのだが、とにかくとどめはとどめである。とりあえず、誠意ある回答というやつを期待している次第である。