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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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2月25日に開かれた名張まちなか再生委員会理事会の報告はきのうで終わったつもりだったのだが、みたいなことを連日いってるわけであるが、報告し忘れていたことがあった。追加で記しておく。定番ギャグの件である。1月29日に開かれた名張まちなか再生委員会乱歩関連事業プロジェクトチームの会議において、こんなことを宣言した。

1月30日:乱歩関連事業PT会議報告

引用。

   
なんなんだこらこの低能自治体。ならばいっといてやる。宣言しといてやる。プロジェクトチームの会議であれ理事会であれ総会であれ、この名張まちなか再生委員会が会合を開くたび、毎回その席でかならず、最低いちどは、ケータイで市長を呼び出せ、という定番ギャグをかましてやることにする。それでもいいのか、と口角あわを飛ばして詰め寄ったところ、それはなかなか面白い考えだと思う、みたいな場の空気になったので、名張まちなか再生委員会が生んだ初のルーティンギャグとして、ケータイで市長を呼び出せをここに登録する次第である。どこに登録したんだかは、もうひとつよくわからない。

かくも高らかに宣言したのだから、むろん2月25日の理事会でも、

──ケータイで市長を呼び出せ。

というギャグはかましておいた。どういう局面でかましたのであったか、いまとなっては記憶があいまいなのだが、かましたことはまちがいない。議事録を読むのが楽しみである。

議事録が楽しみといえば、理事会の席でしゃべりながらやはり、このあたり議事録が楽しみだな、と思ったことがある。これも話の流れは仔細には記憶していないのだが、名張まちなか再生プランに乱歩関連事業のことがなにも記されていなかった、といったことにかんしての発言であったか。とにかく、名張まちなか再生プランの素案が平成17・2005年2月に開かれた市議会重要施策調査特別委員会に示されたとき、議員側から、プランが桝田医院第二病棟にふれていないのはおかしい、早急に活用策を盛り込むように、との要請があった、と理事会の席で説明した。いまはもうないけれど、当時の重要施策調査特別委員会というのは議員全員参加の委員会であり、この指摘は議員のたごー先生からなされたものであって、当時の市議会にはたごー先生がおふたりいらっしゃったのだが、この発言はおつむのおよろしいほうのたごー先生がなさったものである、とさらに説明を加えておいたのだが、議事録ではいったいどうなっているのか、読むのがほんとに楽しみである。

しかしまあ、いまからこんなこといったってどうしようもないのであるけれど、あのときおつむのおよろしいほうのたごー先生の要請を素直に容れて、桝田医院第二病棟の活用策をプランに盛りこんでおきさえすれば、四年も経過したいまごろになってから、わざわざ理事会を開いて「乱歩関連事業プロジェクトチームの位置付け(補足説明)について」なんてことを協議するような羽目にはなっておらなんだのである。なぜ盛りこめなかったのかというと、それはもう名張市がまったくの無能力だったからである、あほだったからである、としつこくぎゃあぎゃあわめいておると、先日も記したとおり聞いてるほうはもうたまんなくなってくるのか、批判するのはよくないことだ、過ぎてしまったことではないか、みたいなことをいいだすやつが出てくる。はっはーん、てなものである。昔のことをほじくり返されるのが、それほどいやなのか。どうしてなのかな。はっはーん、さてはあの件か。てめーこらやなせ宿の空調設備工事を随意契約でかっさらっていったことがそれほどうしろめたいのか、そうであろうがそうであろうが、そうに決まっておるではないかこの越後屋が、みたいなことはいってやらなかった。武士のなさけにござそうろう。

そんなことはともかく、なにしろ中先生、名張まちなか再生委員会を本気になってぶっ壊してやるつもりなのであるから、委員会のみなさんもだな、もっと前向きに、であるとか、批判はいけないと思います、であるとか、そんな泣きごとをいじいじいじいじ並べてばかりいないで、委員会が存続しなければならぬ理由を合理的に説明できるようにしておかなければいかんぞ。名張まちなか再生プランを指針とする、などとたわけたことをぬかすのであれば、昨日付エントリでプランから抜き出しておいたプロジェクトチームごとのプロジェクト概要、あれを指針として今後どのような活動を展開するのか、それをきっちり説明する必要がある。わが歴史拠点整備プロジェクトの場合はというと、「初瀬街道沿いの町並み修景整備事業」「歴史資料館の整備事業」「担い手の育成事業」のみっつがプロジェクト概要としてあげられておったわけであるが、歴史資料館の整備はできなかった。残りの修景とか育成とかのことは、プロジェクト発足以来こんにちまで、なーんにも考えてこなかったはずである。むろん、これから考える予定もまるでない。

ほかのプロジェクトも似たようなところだと思うけど、たとえば水辺整備はどうよ。名張まちなか再生プランを指針とするのであれば、プロジェクト概要にはいろいろごちゃごちゃ書いてあるけど、「城下川沿いのポケットパーク整備」とか、「一の鳥居広場整備」とか、あるいは「空き家を活用したミニ水族館整備」とか、「川の駅の整備」とか、そういうことをやらなければならんのだぞ。交流拠点整備はどうよ。「新しい商業の拠点整備事業」だの、「空き店舗を活用したパイロット事業」だの、そういった大風呂敷はどこまで話が進んでおるのかな。生活拠点はどうよ。「地区保健福祉センター(まちの保健室)整備事業」だの、「町単位の福祉交流施設(小規模複合「夢づくり広場」)整備事業」だの、そんなものは名張まちなか再生委員会がなくたってとっとと整備されたはずのものであるが、整備はもう終わったことであろうから、今後はなにを指針にするというのかな。歩行者空間整備はどうよ。「まちなかを散策するネットワーク整備事業」って、いったいなにを整備するつもりなのかな。

といったあたりのことを明確に説明できなければ、名張まちなか再生委員会のみなさんには、名張まちなか再生プランを指針といたします、なんてせりふは口が裂けたっていえないはずである。こんなあたりまえのことが、名張まちなか再生委員会のみなさんには理解していただけないのかな。理解していただけないというのであれば、いたしかたないではないか。理解していただくまで、つぎの理事会でまたぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあわめきつづけてやることにする。血へど吐くまでわめいてみせるぞ。

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2月25日に開かれた名張まちなか再生委員会理事会の報告はきのうで終わったつもりだったのだが、ちょっとだけ補足しておく。ぶっ壊すぶっ壊すとぎゃあぎゃあわめいた甲斐あって、委員会の解散が理事会の話題にのぼったことはきのうも記したが、存続か、解散か、今後の方向性というやつについても話し合われた。もう少し具体的に書いておく。

存続の道はふたつ。

・規約第二条をそのままにして、存続する。
・規約第二条を改正したうえで、存続する。

規約第二条とは、名張まちなか再生プランを指針としてとかなんとか、とにかくわけがわかんない例の条項である。しかし、こんなものは関係ない。中先生のねらいは、あくまでも委員会をぶっ壊すことである。

解散にも、ふたつの道がある。

・解散する。
・解散したうえで、新たな組織を発足させる。

つまり、単なるスクラップか、スクラップアンドビルドか、ということである。委員会の今後がここまで踏みこんで話し合われたのだから、やはりぎゃあぎゃあいってやった甲斐はあったのである。とはいえ、スクラップアンドビルドなんてのは、しょせんは無理な話であろう。新しい組織を発足させて、いったいどうするというのか。なにをするのか。なにができるのか。おんなじことをくり返すだけであろう。名張市に意見具申する、などといってみたところで、おさなご講座において述べてきたとおり、名張市には意見を受け容れたうえで、理解し、判断し、実行する能力がないのである。なんつーか、とにかくうわっつらの点数稼ぎだけやってりゃ機嫌がいいのである。

ただまあ、ビルドするならビルドするでもいいけれど、だったらいよいよ、名張まちなか再生プランとは手を切るべきである。理事会では、どうせなら、十年がかりで進められているらしい名張まちなか再生事業が折り返し点を過ぎたいまの時点で、新たなプランを策定してはどうか、それが筋であろう、と述べておいた。こんなこといっても、名張市にはそんな気はさらさらねーんだろーけどよ、ともいっておいた。行政サイドからの返答はなかった。しかし、現実に、名張まちなか再生プランの目玉だった旧細川邸の整備は終了しているのであるから、その意味において、いまやプランは用なしである。プランに描かれたほかの構想も、実現性は皆無である。というか、プランはほんとに、なんの指針にもなってこなかったのである。

たとえば、プランのうち「歴史拠点の整備」に掲げられたプロジェクト概要を列記してみる。

1.初瀬街道沿いの町並み修景整備事業
2.歴史資料館の整備事業
3.担い手の育成事業

結局、プランにうたわれていたことは、なにひとつ実現しておらんではないか。歴史資料館は整備されなかった。まちなみの修景とやらはどうなっておるのか。担い手なんてどこにいるのか。

「水辺の整備」のプロジェクト概要。

1.まちなかを流れる簗瀬水路の整備事業
・水路整備のためのデザインガイドラインづくり
・城下川沿いの歩行者空間整備と町並み修景整備
・中町と城下川をつなぐひやわいの整備
・城下川沿いのポケットパーク整備
・一の鳥居広場整備
・大手橋詰めの駐車場の開渠化
・初瀬街道沿いの環境整備
・リバーナと中町をつなぐ公園道路整備
・蛍のいる簗瀬水路と歩行者空間の整備
・暗渠の開渠化による親水空間整備
2.名張川の存在が感じられる整備と子供や市民との交流促進事業
・エコロードの拡張
・こどもが遊べる河川敷の整備
・名張川と親しむためのイベント開催
・空き家を活用したミニ水族館整備
・青空市の開催
・川の駅の整備
・まちなかを見下ろす展望台と散策路の再整備
3.簗瀬水路と名張川を結びつける散策路整備事業
・まちなか散策ルートとサイン計画

みごとなまでに、なにひとつ実現されておらんではないか。書き写しているだけで、あほらしくなってくる。

つづいて「交流拠点の整備」のプロジェクト概要。

1.新しい商業の拠点整備事業
2.個性ある老舗を改修支援事業
3.空き店舗を活用したパイロット事業
4.空き店舗の提供システム

これもゼロである。なにも達成されておらん。

おつぎは「生活拠点の整備」のプロジェクト概要。

1.地区保健福祉センター(まちの保健室)整備事業
2.町単位の福祉交流施設(小規模複合「夢づくり広場」)整備事業
3.担い手の育成事業

うかつなことに、まちの保健室や夢づくり広場が名張まちなか再生プランに組みこまれていたとは知らなかった。というか、知ってはいたはずだが、忘れてしまっていた。まちの保健室や夢づくり広場は、たしかに実現されている。とはいえ、運営の内容については、まったく知るところがない。そこで、インターネットをざーっと検索してみると、兵庫県は洲本市で市議会議員をお務めのかたの視察報告があった。うわべだけなぞってアリバイ工作やってまーす、みたいな記事ではあるが、リンクを掲げておく。

広田恵三の視察報告ブログ:三重県名張市(2009年1月23日)

まちの保健室は「地域にはなくてはならない存在になっている」とのことである。結構なことではないか。ちゃんと点数稼ぎができておるではないか。しかしこれ、まちの保健室も夢づくり広場も、「地域福祉計画により整備」と紹介されている。要するに、名張まちなか再生プランがなくたってできていた施設である、ということである。

洲本市で市議会議員をお務めのかたのなかには、YouTubeを利用して視察報告を進めていらっしゃる先生もある。なかなか手のこんだアリバイ工作である。

岩橋久義の活動:2009.1.20 会派視察1日目(三重県名張市)

YouTubeの映像がこれ。尺は九分四十六秒。


では最後、「歩行者空間の整備」のプロジェクト概要。

1.まちなかを散策するネットワーク整備事業

以上である。くだくだしく述べる必要はなにもあるまい。こんなプラン、なんの指針にもならんのである。なんの指針にもなってこなかったのである。ただ決めてみただけ、思いつきを並べてみただけ、というしろものでしかない。したがって、名張まちなか再生委員会を解散し、そのあと新たな組織を発足させるというのであれば、いやいや、かりに委員会をそのまま存続させるとしても、こんな役立たずなプランを指針にするなどと、そんな気のふれたようなことをいっておってはいかん。ずんべらぼんのあほかいな、といわれるぞ。ま、あほなのであるが。
2月25日に開かれた名張まちなか再生委員会理事会の報告である。名張川の鮎のことなどどうでもいいとして、ぶっ壊してやるぶっ壊してやるとぎゃあぎゃあわめきつづけてきたのが奏功し、理事会において委員会の解散がふつうに話し合われるようになった。慶賀である。たとえば、名張まちなか再生委員会を解散したら、いったいどんな支障が生じるのか、といった質問が提出された。支障なんてない。あるわけがない。早い話、昨年6月1日の定期総会以来、名張まちなか再生委員会はなんの活動もしていないのである。なにか支障が生じておるのか。ぜーんぜん。しかし、にもかかわらず、あるいは、当然のことながら、というべきか、委員会はそれを認めようとしない。事務局、つまり行政サイドも確答できない。だから、話がまえに進まないのである。1月25日の臨時総会でもいったことだが、現在ただいまの名張市は、名張まちなか再生委員会をどう位置づけているのか、委員会になにを求めているのか、それがわからなければ規約改正もくそもないのである。規約における最重要事項、委員会の目的というやつが明確にならぬのである。

   
第2条 この委員会は、「名張まちなか再生プラン」を指針として取り組む、市民・事業者・行政などの多様な主体協働の各事業を継続的かつ円滑に運営するための総合的執行管理に対し、意見具申又は答申を行い、支援することをもって名張地区既成市街地の再生を図ることを目的とする。なお、「名張まちなか再生プラン」とは、名張市が、名張市総合計画に位置づけられた「まちの顔づくりプラン」の実現に向け、平成17年3月に市民・事業者・行政の共通共有の計画として、策定したものである。

こんな条文、だれひとりとして理解できんのではないか。なにがいいたいのか、なにがやりたいのか、さっぱりわからん。だから、この第二条がいかに意味不明なものであるかを具体的に示すために、名張まちなか再生プランなどというインチキプランが指針になると思ってんのか、なるわけねーじゃねーか、旧細川邸を歴史資料館にいたしますと明記したプランがやなせ宿整備の指針になったとでもいうのかこら、といってやってるのである。しかも、プランの中味がいいかげんであったことに加えて、もとより察しのついていたことではあったが、名張市が終始ぶれまくりであったという事実も、1月25日の理事会で明らかになった。旧細川邸のいわゆる公設民営にかんして、行政サイドの見解がまるで一定しておらず、会合のたびに変化し、ぶれまくっていたとのことである。名張市名物ぶれまくり、いまさら驚くにはあたらぬが、ぶれるといえば、こんなウェブニュースが眼にとまった。

中国新聞:「首相は人心を惑わせた」 給付金受け取り、識者ら批判(3月3日)

キツネ目の男疑惑の宮崎学さんが、定額給付金問題における麻生太郎首相のぶれまくりにかんして、「ぶれているというより、そもそも考えることができない人なのではないか。世間の風向きを見て決めているのだろう」とのコメントを寄せているが、名張市もそうなのではないか。ぶれるというより、なにかを考えることができない。名張まちなかの再生においても、確固たる信念もなければ、明確なビジョンもなく、あるのはてめーらの都合ばかり、うわっつらの思いつきだけでことを進めるから、ぶれまくるしかないのである。もう少し、ほんとにもう少しでいいから、ものを考えるということにチャレンジしてみてくれんか。ちっとはものを考えろ、みたいなことは、それはもう再三再四いってやったではないか。住民監査請求をかましたときにも、参考資料として提出した「僕の住民監査請求」にこう書いてやったではないか。

   
「ここでふり返っておくならば要するに内発的なものがどこにもないんです」
「内発的なものといいますと」
「内側から発した動きのことです」
「それがないということはつまり外側から動かされてるゆうわけですか」
「伊賀の蔵びらきでは三億円のばらまきという外在的要因に芭蕉生誕三百六十年という中途半端な思いつきを無理やりこじつけただけでしたし」
「名張まちなか再生プランの細川邸は内発的なものやないんですか」
「素材そのものは内側にありますね」
「細川邸を素材として活用したいという声は以前からあったようですけど」
「そうした声が内発的な動きとして出てくるまでにはいたらなかった」
「なんでですねん」
「内発的なことを自分の頭で考えられる人間がおらんかったからでしょうね」
「それがまちづくり交付金という外側からの働きかけによって動きが出たと」
「その動きが一歩目でずっこけまして」
「ずっこけたといいますと」
「わけのわからん策定委員会つくって丸投げした時点ですべてが終わりました」
「丸投げはあきませんかやっぱり」
「ですから結局は名張市が悪いんです」
「どのへんが悪いんですか」
「名張市が名張まちなかの再生を主体的に考えていなかったのが明らかに悪い」
「他人まかせにしてしまっていたと」
「これは完全に行政の問題なんです」
「それはそうでしょうね」
「名張市は名張まちなかについてどう考えているのかをまず示すべきなんです」
「基本的な考え方を明らかにせよと」
「名張市全体のグランドデザインのなかに名張まちなかの再生を位置づけてそれを住民に提示することが先決です」
「それは住民にはできないことですか」
「地域住民は近視眼的になりがちですから別の視点を導入することが必要です」
「高い視点とか広い視野とか」
「よその事例も参考にせなあきませんし地域住民が気づいていないまちなかの可能性を発見する視点も要求されます」
「そうなると住民の手にあまりますね」
「そうゆうことを考え抜いて明確なビジョンを示すのが行政の務めなんです」
「それが全然できてなかったと」
「大切な務めを放棄してそこらのあほに丸投げするだけでは何もできません」
「あほ呼ばわりはやめとけゆうねん」
「ですから名張まちなかのアイデンティティの拠りどころは何かというような共通認識はなんにもないままに」
「寄せ集めの委員会に共通認識を期待するのは無理かもしれませんね」
「いきなり細川邸がどうのこうのとハコモノの話に入ってしまうわけなんです」
「土木建設事業のレベルですか」
「そんなインチキなことでええと思とるのやったら大きなまちがいじゃあッ」
「君いくら怒ったかて手遅れですがな」
「たしかに手遅れですけどこのままにしておくのもまずいかなと思いまして」
「いったいどないしますねん」
「名張市がこうゆうインチキだらけの歴史を二度とくり返さないように住民監査請求をがつーんとかましたります」
「なんやて君」

しかしまあ、こんなことをこんなところに書きつけておってもどうにもならん。だから、もしも中先生、かりに名張市長ということになったなら、まずそのへんから手をつけることにしたい。以前にも書いたことだが、とりあえず、職員諸君にポテンシャルを10%ほど底上げしてもらいたい。難しいことではない。職員諸君に、とにかくものを考えてもらう、ということである。考えた結果、どんな結論にたどりついたってかまわない。考えるということに慣れてもらいたい。考えるという行為の面白さに気づいてもらいたい。みずからの主体的な問題として、名張市が直面しているさまざまな課題問題を、じっくり考えてもらいたい。お役所の人間として、公務員として、全体の奉仕者として、パブリックサーバントとして、死ぬほど考えてもらいたい。いやいや、いくら考えたって死ぬようなことはない。心配無用である。

よその事例ということでいえば、JANJANのコラムにこんなのがある。

竹内謙の『Samurai Mayors』:福島県矢祭町(4)「合併をしない宣言」から芽生えた自律意識(2005年3月29日)

引用。

   
「職員が考える」のを待っていた町長
それにしても、なぜ、これほどの短期間に、これほど盛りだくさんの行財政改革ができたのだろうか。結論から言えば、「合併しない宣言」が職員の意識を一変させる効果を生んだということだろう。

「ほんとうは町長に行革なんてやるつもりはなかったんですよ」
自立に向けて役場改革の牽引車になってきた自立推進グループ長の高信由美子さんが意外なことを打ち明けてくれた。

どういうことか。高信さんの話によると、「市町村合併をしない矢祭町宣言」(01年10月)からというもの、矢祭町は全国の自治体からの視察ラッシュに襲われた。当時、議会事務局勤務だった高信さんがもっぱら応対係になった。視察団から、自立のための財政、行革、街づくりをどう考えているのか、矢のような質問が飛んできた。

役場のだれも、なにも考えていなかったので、なにも答えられない。町長は適当なところで席を立ってしまう。高信さんは「町長は現状維持で大丈夫ぐらいにしか考えていなかった」とみる。あとに残される高信さんは、来る日も来る日も視察団が繰り出す同じ質問に、だんだん不安が募ってきた。意を決して「本格的な行革をしなければ町は自滅する」と町長に直訴した。町長の指示は「お前さんたちが考えてやれ」だった。町長はなかなか人使いに長けた人だ。何ごとにつけて職員が自ら立ち上がるのを待つ手法をとる。

家貧しくして「孝子」あらわた町役場
町民の間には、地方交付税が削られる恐れがある「合併しない」選択によって「住民サービスが低下するのではないか」という不安と疑心を生んでいた。自立と住民サービスを検討する行財政改革の作業は、4人のプロジェクトチームからスタートした。これまでの役場の古い慣習と変えることへの抵抗と衝突し、会議の度に大声が飛び交い合いながらも、次第に全庁に広がった。そして03年8月の機構改革で「自立推進課」が生まれ、ようやく軌道に乗った。

03年12月には全職員が自分の事務事業を見直す事務改善検討委員会が立ち上がった。3人を除いて自分の考え、提案を提出した。「何をしても変わらない」から「できることから変えよう」へ、職員の意識が変わってきた。なかでも中堅でみんなをまとめる人がいるグループは改革に拍車がかかった。「経費節減が住民サービスの低下を招いては何もならない。経費節減と同時に住民サービスの向上を図る」ことが行財政改革の共通認識になった。

高信さんは「ここまで行財政改革を進めてこられたのは、町民の不安の声と全国からの視察団の叱咤がわれわれを変えてくれたお陰なのです。人は出会いによって成長するものだとつくづく思います」という。

根本町長は「総務省の合併はありがたかった。あれがなければ、みんな、きっと、のんびりしていたよ。ほんとうの町づくりができるようになったのは、宣言からですよ。家貧しくして孝子あらわる。おカネなんかない方が、よほど自立の気持ちが起きるのです」という。

お役所の改革なんてものは、それこそ内発的なものでなければ成就するはずがない。からっからっからっからっと寒風のなかの風車みたいに、かけ声ばかり空回りさせてたってどうしようもないではないか。必要なのは、職員諸君に変わってもらうことである。だから、お役所の改革を、いやいや、中先生は改革などということばは使用しないつもりなのであるが、お役所がどうあるべきか、地域社会がどうなるべきか、自分たちの問題として考えるところからスタートしてもらう。保身と昇進だけを考えて長い公務員人生を無駄にまっとうする、なんてことでは困るのである。

そんな話はまあいいとして、名張まちなか再生委員会の理事会にかんしていえば、やはり無茶苦茶であった。事実上はもうぶっ壊れているのだが、名張まちなか再生委員会、きっちり解散に追い込んでやらねばなるまい。その日が来るまでぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ、ほんとにぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあわめきつづけてやる。覚悟しておけ。それと、各プロジェクトチームにもち帰った理事会の宿題、すなわち、「乱歩関連事業プロジェクトチームの位置付け(補足説明)について」と「名張まちなか再生委員会規約第2条(目的)について」の二点をチーム単位で検討するという話は、とくに期限も設けられなかったので、というか、こんなものは期限を決めたうえで宿題にするべきものなのだが、期限がないというのだから、とりあえず田植えが終わってから検討する、ということにしておいた。
 そもそも、名張まちなか再生委員会がどうして理事会を開いたのかというと、1月25日の臨時総会で収まりがつかなかったからである。理事会の検討テーマは「乱歩関連事業プロジェクトチームの位置付け(補足説明)について」と「名張まちなか再生委員会規約第2条(目的)について」となっていたが、問題は同根である。どういうことか。臨時総会で規約改正について協議したとき、あの無茶苦茶な第二条をちょいとつついてやった。

   
第2条 この委員会は、「名張まちなか再生プラン」を指針として取り組む、市民・事業者・行政などの多様な主体協働の各事業を継続的かつ円滑に運営するための総合的執行管理に対し、意見具申又は答申を行い、支援することをもって名張地区既成市街地の再生を図ることを目的とする。なお、「名張まちなか再生プラン」とは、名張市が、名張市総合計画に位置づけられた「まちの顔づくりプラン」の実現に向け、平成17年3月に市民・事業者・行政の共通共有の計画として、策定したものである。

ツッコミどころは数々あれど、とりあえず、名張まちなか再生プランが指針になるわけねーじゃーねーか、といってやった。そこから派生して、名張まちなか再生プランには乱歩のことが記されていないのだから、あのプランを指針にするというのであれば、乱歩関連事業プロジェクトチームは存在の根拠を失ってしまう、という話にもなった。だが、臨時総会では結論が出なかった。とりあえず規約改正を済ませてしまって、そのあとで再協議すればいい、ということになった。だから、おとといの理事会において、規約第二条と乱歩関連事業プロジェクトチームとがテーマになったのである。

しかし、いくら話し合ってみたところで、どうなるものでもない。げんに、おとといの理事会でもなんの進展もみられず、プロジェクトチーム単位で協議してみる、などという意味不明な落としどころにもちこむしか手がなかったことは、きのうも記したとおりである。名張まちなか再生プランには、旧細川邸は歴史資料館として整備する、と明記されていた。しかし、そうはならなかった。やなせ宿は歴史資料館なんかではまったくない。そんなもん、いったいどこの世界に日替わりランチののぼり立てた歴史資料館があるっちゅうねん、という話なのであり、この一事だけをもってしても、名張まちなか再生プランが指針になどならぬことは明白である、という話なのである。いくら協議検討を重ねてみたところで、この事実を合理的にオーソライズできる道理などどこにもない。

やなせ宿の名前が出てきたから、話題をスライドさせる。旧細川邸の整備は、名張まちなか再生プランの核となる事業であった。しかし、完成したやなせ宿は、名張まちなか再生委員会とは無縁の施設ということになってしまっている。これは明白にそうである。1月25日の臨時総会でそれが確認された。理事会では、これはおかしいではないか、という意見が出た。まちなか再生のために組織された名張まちなか再生委員会が、やはりまちなか再生のために整備されたやなせ宿と無関係であり、やなせ宿の運営に直接タッチできないなんてのは、おかしすぎる話ではないか、という指摘がなされたのである。それはたしかにそうなのであるが、もうどうしようもないのではないか。ここ名張市という低能自治体においては、びっくりするくらいなんでもありなのである、うすらばかが好きなことできるのである、まともな感覚をもった人間は茫然としているしかないのである、というしかないように思う。

やなせ宿にかんしては、あんなものができたからといって、まちなか再生にはまったく寄与していないではないか、という批判も出された。名張のまちは衰退一直線、いまや待ったなしの状態であるから、まちなか再生に期待をかけ、やなせ宿が再生の拠点として機能しはじめる日を待望していたのだが、いっこうにそうならない。やなせ宿ができて、名張のまちがよくなったのか。なにかいいことがあったのか。なにもないではないか。いいことがあったのは、やなせ宿の運営を手がけているまちなか運営協議会の役員だけではないか、といった意味の指摘まで飛び出して、それはもうえらい面白かったのであるけれど、やなせ宿にはもはや、なんの期待もできぬのではないかいな。とはいえ、せっかく整備されたやなせ宿、有効に活用したいという市民が存在しているのもまた事実であって、理事会のあと、市役所を出てコメダ珈琲店名張店で開かれた二次会に臨んだところ、やなせ宿をどうするか、という話題が出た。

中先生は、やなせ宿のことなんかもう知らん、と思っているのであるが、二次会の雑談では、中先生をやなせ宿の名誉館長にして人集めの広告塔とし、やなせ宿は地元物産の販売やPRを主体にして運営してゆくのが望ましい、みたいな意見も示された。いやそんな人集めの広告塔などと、中先生をまるでマルハンとかいうパチンコ屋におけるアントニオ猪木さんみたいなものにしてどうする、とか思っているうち話題はさらに移り、中先生が名張市長選挙に出馬したら当選するかどうか、みたいな話になったので、いやいや、現市長をばかにしてはいかんぞ、なんらかの方法で市民アンケートを実施したならば、現市長の支持率はそこそこ高いはずである、といっておいた。それに当選もなにもだな、選挙に当選するために自分の顔と名前をでかでかと印刷したポスターをそこらじゅうに貼りまくるなどという破廉恥な真似は中先生、とてもとてもいやなのである。なんで市長になどならねばならぬのか、と強く思いはするけれど、ならなくちゃならんのかもしれないなという気がしないでもない。微妙である。

かりに中先生が名張市長ということになったなら、これは以前にもこのブログに書いたことだが、やなせ宿には市長室を設ける。まちの市長室、という寸法である。不退転の決意でまちなか再生に取り組むため、最前線に市長室を置くのである。名張まちなかは、高齢者特区、とでもいったものにして、おじいちゃんおばあちゃんが不安なく生きられるまちを目指す。毎週土曜の夜にはやなせ宿を寄席にして、おじいちゃんおばあちゃんがにこにこできる場を提供する。アイデアならばほかにもあって、これぞ福祉の理想郷ではないか、とは思うのであるが、とにかく市長になるのなんていやである。いやなのではあるが、微妙である。

閑話休題。いくら話し合ったところでどうしようもない、という話に戻る。もうばかなんだからどうしようもない、といってやった。よく思い出してみろ。名張まちなか再生プランは、じつにとんでもないプランであった。一読すれば、そんなことはすぐわかるではないか。展示すべき歴史資料などどこにもないのに、旧細川邸を歴史資料館にすると書いてある。だからこら低能自治体、そんなばかな話はあるまいと、ちゃんとパブリックコメントまで出して教えてやったではないか。乱歩のことも同様である。せっかく桝田医院第二病棟の寄贈を受けたというのに、あのプランではその活用策について片言隻句もふれられていなかった。じゃによって、パブリックコメントでちゃーんと説いてやったではないか。こら低能、低能自治体、それをいっさい無視したあげくがこのざまではないか。低能自治体が発足させた低能委員会は、低能プランを指針といたしますなどと低能そのもののことをいまだに口走りつづけて、にっちもさっちも行かなくなっているではないか。ばかかこら低能。

みたいなことをぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあわめいていたら、聞いておるほうはもうたまんなくなってくるのであろうな。もっと前向きな話をするべきだ、みたいなことで逃げようとするやつが出てくる。前向きな話、というのはどういうことか。過ぎたことは水に流そう、ということである。くさいものにはふたをしてしまいたい、ということである。過去のプロセスを検証し、こんなとんでもない事態に立ちいたった原因を確認し、それを反省して将来に生かす、というのが本来の前向きな話であるはずなのだが、ここ名張市という名の低能自治体においては、そんな常識などとても通用せんのである。過去をないがしろにする人間に、未来を語ることなどできんのである、というあったりまえの道理が理解されんのである。ずぶずぶなあなあのムラ社会で生きている田舎者には、ものの道理もことの本質も関係ないのである。

それにしても、聞いておるほうはほんとにたまんなくなってくるのであろうな。批判するのはよくないことだ、みたいな意見まで出てくる。さすがムラ社会、さすが田舎者、みごとなまでのずぶずぶなあなあである。正当な批判の応酬によってものごとを前に進める、というあったりまえのことが理解できんのである。そんな連中が偉っそうにしておるのである。偉っそうにしておるといえば、じつに偉っそうにまったくわけのわからんことを話しはじめるやつもいて、あれには心から驚いた。予想もつかぬことであった。脈絡もなくなぜか突然、名張川の鮎がどうのこうの、という話が出てきたのである。なんか、いわゆる地域おこしイベントの話みたいであった。ようやく話が終わったので、議論の流れに関係のない発言は控えていただきたい、と要望した。しばらくすると、また名張川の鮎である。ようやく話が終わったので、名張川の鮎の話はなかなかいいと思いますので、このさいですから鱒の養殖も考えてみてはいかがでしょうか、と提案した。しかし、このおちょくりが通用せんのである。ほんと、腰が抜けたぞ。あんなのはもう、鮎の稚魚といっしょに名張川に放流してやったらいいのではないかいな。
憂鬱だ憂鬱だとぼやいていてもしかたがないのであるが、本日はきのうの夜、名張市役所で開かれた名張まちなか再生委員会第一回理事会の報告となる。わが名張まちなか再生委員会は1月25日の臨時総会で規約改正を断行した次第であるが、新しく定められた規約にもとづいて初の理事会が催されたという寸法である。配付された事項書がこれ。

   
第1回名張まちなか再生委員会理事会事項書

        日時:平成21年2月25日(水)19時〜
        場所:名張市役所2階 庁議室

1.あいさつ

2.次回の総会に向けた整理事項について
0.〇乱歩関連事業プロジェクトチームの位置付け(補足説明)について
0.〇名張まちなか再生委員会規約第2条(目的)について
  第2条 この委員会は、「名張まちなか再生プラン」を指針として取り組む、市民・事業者・行政などの多様な主体協働の各事業を継続的かつ円滑に運営するための総合的執行管理に対し、意見具申又は答申を行い、支援することをもって名張地区既成市街地の再生を図ることを目的とする。なお、「名張まちなか再生プラン」とは、名張市が、名張市総合計画に位置づけられた「まちの顔づくりプラン」の実現に向け、平成17年3月に市民・事業者・行政の共通共有の計画として、策定したものである。

3.まちなか再生における今後の取組みについて

4.その他
0.〇(報告事項)乱歩生誕地碑広場工事完成記念式の開催について
0.  平成21年2月28日(土)午前11:00〜(於:乱歩生誕地碑広場地内)

えらいものであった。なにがえらいものであったか。午後7時から9時まで休みなしに協議がつづいて、結局なんの進展もなかったのだからえらいものである。「2.次回の総会に向けた整理事項について」にあげられた〇ふたつのテーマは、委員会の内部組織であるむっつのプロジェクトチームにもち帰り、チーム単位で検討を進めたあと、さらに理事会を開いて協議されることになった。チーム単位でなにを検討すればいいのか、もうひとつようわからん次第であるが、そういったあたりを落としどころとしなければ、理事会の収拾がつかなかったということである。

なぜ収拾がつかんのか。中先生がぎゃあぎゃあいってやったからである。中先生がひとたびぎゃあぎゃあいったならば、だれもまともには反論できんからである。中先生がすごいのではない。名張まちなか再生委員会があまりにもひどいのである。無茶苦茶なことをしてきたのである。ちょっとつっつかれるだけでぐうの音も出なくなるようなことを、平成17・2005年6月26日の発足以来、名張まちなか再生委員会はえんえんとつづけてきたのである。げんにつづけているのである。収拾なんかつくわけねーじゃねーか。

したがって、「3.まちなか再生における今後の取組みについて」なんてものも検討できない。よく考えてもみろ。昨年6月1日の定期総会で、プロジェクトチーム単位の事業計画が決定された。あの計画どおりに事業を進めておるチームがひとつでもあるのか。あるまい。断じてあるまい。少なくともわが歴史拠点整備プロジェクトはなーんにもしてない。というか、事業計画の内容なんか忘れてしまっておる。とにかくなーんにもしてないのである。しいていうならば、年末の12月27日に忘年会をやったくらいだが、あれはなかなかの盛況でじつによかった。とにかく、今年度なんにもやってない名張まちなか再生委員会に今後の取り組みもくそもあるものか、ということで、今後の取り組みもくそもなかったのである。

だからまあ、理事会の報告といったって、報告すべきことはなにもない。名張市役所二階の庁議室で、無駄に電気代つかってしまった、といった程度のことなのである。以上、報告終わり、ということで全然OKなのであるが、それでは愛想というものがなさすぎるか。それにだいたい中先生、名張まちなか再生委員会をぶっ壊してやるために委員会入りを果たしたのであるから、ぶっ壊すためにはもう少し具体的に、いかに意味のない理事会であったか、すっとこどっこいなものであったか、うすらとんかちなものでしかなかったか、それを報告しなければならんのかもしれん。ということで、報告はあすにつづく。

ところで、きのうの理事会には、かんなくずの親分もご出席であった。親分とは、2月8日、八日えびすの人出でにぎわう蛭子神社の社前ででっくわして以来である。で、親分、ブログ「永遠のJガール」に堂々のご登場ということになった。

永遠のJガール:名張に春を呼ぶ 八日戎(2月8日)

以来、行く先々で、そのことが話題になったらしい。名張市役所の内部にも、親分と永遠のJガールさんが遭遇した話があっというまにひろまっていたという。おまえら仲ええんかッ、と尋ねてくる知人もあれば、三重県内某所でJガールさんにお会いしました、という報告を寄せてきた知人もあったとのことで、かんなくずの親分、とてもうれしげであった。
中先生のおさなご講座も第八回を迎えたが、しかし、という気はする。しかし、いかにも現実性というやつがないではないか。中先生、いってることにおかしな点はないのであるが、おかしな点がないからこそ、お役所というおかしな世界では現実性がほとんどゼロになってしまう。名張市という自治体には、江戸川乱歩をどのように扱えばいいのか、とくに、四十年間にわたって収集してきた乱歩関連資料をどのように活用すればいいのか、それを考えることができない。ちゃんとやれ、といってやっても、いつまでたっても先送りである。中先生、じつはもう、あきらめている。あきらめてはいるが、市立図書館の嘱託として乱歩資料活用の道を身をもって示し、その道をあっさり否定されてしまった人間として、せめて落とし前だけはつけてもらわなくっちゃな、という気ではいた。しかし、落とし前のつけかたも知らないだろうしな、と考え、もう少し前向きな話にはならんものか、と考え直して、名張市がみずからの主体性のもと、乱歩をテーマに関係者や市民と話し合う場を設け、乱歩にかんして自治体としての理解や判断や実行をうながしてはどうか、との結論にいたった。とにかく、先送りはやめて、ちゃんと考えてもらいたい。ちゃんと考えるべきである。これは、ごくまっとうで、どこにもおかしな点のない話なのであるが、名張市の現実というやつのなかに置いてみると、たちまち現実性のない話になってしまう。自分が幼児のごとく無力である、という気になってしまう。どっちがおさなごなんだか、ようわからんようになってくる。いやはや、困ったものである。とはいうものの、やるだけのことは、やっとかなくちゃならんであろうしなあ。いつまでたっても堂々めぐりか。なんとも憂鬱な話である。
やなせ宿ってなに? とお若い衆から質問されたときには、リンカーンのゲティスバーグ演説を踏まえて、うすらばかのうすらばかによるうすらばかのためのイミフ施設、とでも答えればよいのであろうか。さらにアレンジして、あほのあほによるあほのためのイミフ施設、というのもありであろう。同様に、すっとこどっこいのすっとこどっこいによるすっとこどっこいのためのイミフ施設、でもOK。便所下駄の便所下駄による便所下駄のためのイミフ施設、とかなんとか、もう好きなようにいってやってくれ。文句はないであろうな、おさなごよ。
おとといきのうと、思わず中先生のおさなご講座を休講してしまったが、なにしろひどかった。あれはいったいなんであったのか。みんなで寄ってたかって酔っ払いをいじめて、そんなことのどこが面白いというのか。現地時間2月14日午後、ローマ市内のホテルで催された先進七か国財務相・中央銀行総裁会議閉幕後の記者会見で、中川昭一前財務相兼金融担当相がへべれけであったというニュースのことである。当節とんと信用のないマスメディアから読み書きすらあやしいそこらのブロガーまで、まるで親のかたきをみつけたみたいな集中砲火をかましたのはなんとしたことか。おまえらそこまで酔っ払いが憎いかこの人非人。人間らしい心はどこへやった。

とはいえ、中川先生もたしかにいけない。中途半端である。まっとうな酔っ払いなら、あの場合、記者会見のテーブルのうえに、旭金時でも高砂でも参宮でもなんでもいいから、日本名物一升瓶をどーんと置いておくべきであった。置いておくだけではなく、ときどきラッパ飲みしながら、酔眼で周囲をにらみつけ、大任を無事に務め終えてことのほか酒がうめーやちきしょー、ぐび、とやればよかったのである。まわりからは好意的な視線が注がれたはずである。もしもごちゃごちゃいうやつがいたら、日本人なめてんじゃねーぞこの腐れ毛唐が、と吠えてやればいいのである。しまいにゃそこらじゅう吐きまくるぞ、と啖呵を切ってやればよかったのである。そこのパツキン一発やらせろ、と日本男児の気概を示しておくのも一興であっただろう。ジャパニーズサムライ、ミキヒラテ、ユーノー? と日本文化の紹介に努めてもよかった。ネクタイを鉢巻がわりにするという日本の伝統的な酔っ払いスタイルを披露してもよかったし、七生報国と墨で書いた白鉢巻を準備しておけばさらによかった。とにかく、そこまでやれば洋の東西を問わず絶讃の嵐になっていたものを、あの先生、せっかくいいキャラクターをもっていながら、酔っ払いとしての自覚にいささか足りぬ点があった。惜しまれることである。

しかし、それはそれとして、ちょっと失敗した人間を発見するやいなや、得たりやおうとばかり寄ってたかって叩いてしまう昨今の風潮はいかがなものか。おかげで中先生、マスメディアやインターネットで中川先生が叩かれているシーンに遭遇するたび、まるで自分が叱られているような気がしてきてしかたなかった。意気消沈してしまったではないか。ほんと、おまえらそこまで酔っ払いが憎いのか。人間らしい心はないのか。東洋的な他者への愛はどうした。慈悲の心はどうしたというのだ。最低だな。そこらじゅう反吐の海にしてやろうかこら。うっぷ。

そんなこんなで、乱歩生誕地碑広場完成記念セレモニーの日程が決定したようである。名張市から案内状が届いた。

   
乱歩生誕地碑広場工事完成記念式の開催について(ご案内)

時下、ますますご健勝のことと、お慶び申し上げます。
さて、みだしの広場工事につきましては、昨年10月より着工し、お陰をもちまして、この度、無事、工事を完成することができました。
つきましては、広場の完成を記念して下記のとおり完成記念式を開催させていただきたいと存じます。
何かとお忙しい中、御足労をおかけすることとなりますが、ご出席頂きますようご案内申し上げます。
 

日時:平成21年2月28日(土)午前11時〜
場所:名張市本町210番地(乱歩生誕地碑広場内)

つづいて、名張まちなか再生委員会から文書が二通。これはきのう届いた。

   
第1回名張まちなか再生委員会理事会の開催について

下記のとおり開催させていただきますので、ご出席賜りますようお願い申し上げます。
 

開催日時:平成21年2月25日(水) 19時00分より
開催場所:名張市役所2階 庁議室

   
第1回名張まちなか再生委員会理事会事項書

〇        日時:平成21年2月25日(水)19時〜
〇        場所:名張市役所2階 庁議室

1.あいさつ
2.次回の総会に向けた整理事項について
0.〇乱歩関連事業プロジェクトチームの位置付け(補足説明)について
0.〇名張まちなか再生委員会規約第2条(目的)について
3.まちなか再生における今後の取組みについて
4.その他
0.〇(報告事項)乱歩生誕地碑広場工事完成記念式の開催について
0.  平成21年2月28日(土)午前11:00〜(於:乱歩生誕地碑広場地内)

よーし。では、おさなごよ、またあしただ。
ご苦労であった。やればできるではないか。なんのことか。名張市公式サイト「市長のまちかどトーク」のページにおいて、平成19・2007年度の1月25日、産業振興センターアスピア開催分と、平成20・2008年度の7月7日、すずらん台市民センター開催分、ふたつのトークの報告がまったくの同文になっていたので、おとといのエントリでそれを指摘しておいたところ、きのうのうちに修正されたようである。ごらんあれ。

名張市公式サイト:1月25日 名張まちづくりの会
名張市公式サイト:7月7日 すずらん台町づくり協議会

新たに掲載されたすずらん台町づくり協議会におけるトークの内容も、わからんといえばようわからん。たとえば、冒頭の意見とコメント。

   
【ご意見】
○地域づくり交付金の原資となっているのはなんですか。これが、底を突きかけていると聞きましたが、どうなんでしょうか。
 
【市長のコメント】
○ふるさと創生基金が地域づくり交付金の原資となっています。
確かに、この基金もなくなってきていますが、地域のさまざまな課題の解決に向け地域の皆さんに取り組んでいただくためにも、使い道の決まった補助金という形ではなく、地域づくり交付金という形で続けていくように努力したいと考えています。

「努力したいと考えています」などという紋切り型の回答で、なにかを説明したことになるのかな。交付金の原資となる基金がなくなってしまったら、それっきりあとはどうしようもない。そんな明々白々な事実を前にして、いったいなにをどう努力するというのか。まったくようわからん話ではないか。だいたいそれ以前に、地域づくり交付金が「地域のさまざまな課題の解決」とやらに役立っているのかどうか、それを検証することが必要だと思われる次第であるが、結局は原資が尽きたらそれっきり、なにもかもうやむやになってしまってあとは白波、みたいなことでまるく収まるのかな。なかなかよくできておるではないか。

それはそれとして、昨年7月7日のトークの内容として1月25日に催されたトークの報告が公表されていたのだから、いったいどうなっておるのかと首をかしげざるをえない点があったのも無理はない。去年の1月25日といえば、やなせ宿もミステリー文庫も、なにがどうなるのやらだれにも見当がつかなかったころのことである。なーにやってんだすっとこどっこい、というツッコミが名張まちなかにこだましていたころのことである。以来一年以上が経過した現在、やなせ宿は無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館としてまちなか運営協議会の手で運営が進められており、食堂化路線まっしぐら。いっぽうのミステリー文庫は影もなければ形もなく、きれいに雲散霧消してしまっている。なーにやってんだうすらとんかち、というツッコミももう聞こえなくなったほど、名張のまちはひっそりしておる。どーすんだよまったく。

しかし、それはまたそれとして、名張市役所のみなさんもやればできるのである。なにができるのか。理解、判断、実行、それができるのである。すなわち、当ブログのおとといのエントリを閲読し、書かれてあることを理解した。たんに理解しただけではだめであるが、その理解にもとづいて、サイトに修正を加えなければならないと判断した。で、その判断にもとづいて、休みが明けたきのうの月曜日、「市長のまちかどトーク」のページを本来あるべき姿に修正した。つまり、理解と判断と実行がすみやかに進められた、というわけである。やればちゃんとできるではないか。関係セクションの担当スタッフにたいし、ご苦労であった、迅速で適切な処置であった、と市長になりかわってここに述べておく。

そんなのはあたりまえの話ではないか、と人はいうかもしれぬ。だが、こんなあたりまえのことが、名張市という自治体にはできておらんのである。公式サイトにミスがあるとの指摘を受け、それをすみやかに訂する程度のことならいくらでもできるのであるが、ちょっとこみいった話になるとたちまちお手あげなのである。それはもう信じられぬくらいそうなのだぞ。名張市のやってることはなんか変である、と市民から指摘されても、聞く耳をもたんのである。馬の耳に念仏なのである。蛙のつらに小便なのである。理解できず、判断できず、実行できない。ただかたくなに、みずからの無策無能を隠し通そうとする。その結果、抜き差しならぬ事態にまで立ちいたってしまう。そんな事例がそこここに転がっておるではないか。

だからこそ、市民が動かんことには、もうどうしようもないのである。市民が行政のけつを叩いてやるしか道はないのである。思いっきり蹴りあげてやるから覚悟しとけよ、てなものなのであって、そのために、とっかかりとして、いっちょ乱歩のことを俎上に載せてやるか、というのが中先生のもくろみである。じつに前向きな話である。わかるか、おさなご。

おさなごよ
おさなごよ
何故躍る
市民の心がわかって
おそろしいのか

夢野久作で締めてみた。
気を取り直して先に進む。名張市は乱歩をどうする気? みたいなことをテーマにしたシンポジウムなりミーティングなりコンファレンスなり、そういった場として名張市が設けている「市長のまちかどトーク」は有効か、代替させることが可能か、という問題である。名張市公式サイトによれば、このトークは「市内に在住・在勤・在学の10人以上の参加者が見込めるグループ・団体などが対象」で、「原則として1つのテーマを選択」することになっている。テーマは、「名張市による乱歩資料の収集について」といったことでOKであろう。「グループ・団体など」はどうするのかというと、これはもう迷うことなく名張まちなか再生委員会でいいのである。

名張まちなか再生委員会が「市長のまちかどトーク」を開催する。なんの支障もあるまい。名張まちなかと乱歩資料にどんな関係があるのか、などとばかなことを尋ねる向きもあるかもしれぬが、たとえば、ミステリー文庫とやらはどうなったの? といった一点にも、乱歩資料と名張まちなかはまぎれもなく交差している。とはいえ、名張まちなか再生委員会が市長にトークを要請するなどというのは、ありえないことのはずである。できるわけがない。ならば、名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトはどうか。プロジェクトとして「市長のまちかどトーク」を要請することは可能なはずであるが、プロジェクトチーフであるかんなくずの親分のお考えはいかがなものか。

しかし、かんなくずの親分のお考えはいかようなものであれ、「市長のまちかどトーク」なんてものは役には立たない。なぜか。方向性が逆だからである。あくまでも名張市の主体性にかんする問題だからである。名張市にはなにも考えることができぬゆえ、現状を公開し、それにもとづいて市民の知恵をお借りしたい、と行政が市民にたいして素直に顔を向ける場が必要だ、という話なのである。名張市が主体的に、みずからの無策無能を公表し、そのうえで行政と市民との本来あるべき協働とやらに望みをつなぐ場をつくってはどうか、という話なのである。みたいなことをいっても、おさなごには理解が届かないのかな。

なにしろ、おさなごなのである。だからこそ、おさなごにはまったく困ったものだ、などとぼやいてばかりいないで、この名張市という名のおさなご自治体、市民が本気で教え諭し導き育ててやらなければならんのである。そうしないと、いつまでたってもいまのままだぞ。市民は永遠に怒りつづけておらねばならんのだぞ。もう勘弁してくれんか、という市民だって結構たくさんおるはずである。だからこそ、行政と市民がつどうシンポジウムなりミーティングなりコンファレンスなり、そういう場を設けるべきではないのか。理解も判断も実行もできないおさなごに、理解や判断や実行というのがいったいどういうものなのか、市民が手取り足取りして教え諭し、そうすることでおさなごを導き育ててやる場が必要だという話なのである。

そういった場を試験的に設ける場合、乱歩というテーマは非常に都合がよろしい。市民生活に、直接的にはなんのかかわりももたぬからである。名張市がこれ以上、乱歩資料の収集を進めるべきかどうか、というテーマは、いってみればどこにも差し障りがない。容易に結論にいたることができるはずである。おさなごがお役所の内部で、ということは要するに、おつむのおよろしくない人間が自分たちの都合だけにもとづいて理不尽不合理な、ひらたくいえばばかなことばかり決めている、あるいは、決めなければならないことをいつまでも先送りしている、そんなあほそのものの状況から一歩でも前進するために、親切な市民がおさなごのけつを叩いてやろう、蹴りあげてやろうという寸法なのである。なかなかいい話、じつに前向きな話である。

結構結構。まことに結構である。これでまあ、いずれ名張市公式サイトの「市長への手紙」を利用して、市長、前教育次長、企画財政部総合企画政策室長あたりとの面談を要請することになるのだが、その面談の席になによりのみやげができたというものである。名張市がみずからの主体性のもと、乱歩をテーマに関係者や市民と話し合う場を設け、知識や見識のない自治体に市民が理解や判断や実行をうながすオープンな場を実現することができれば、百年に一度というほどの画期的な試みになることうけあいである。全国から注目が集まるにちがいない。名張市は一躍、先進的自治体の仲間入りである。いやー、よかったなあ。うれしいかおさなご。うれしいだろうなあ。泣くな泣くな。

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