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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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 うっかりしておった。
 
 やはり、いまだ平常心を取り戻せていないのであろうな。
 
 昨日付エントリの冒頭でお知らせした講演会の件、スキャン画像を掲載しただけで、説明するのをすっかり失念してしまっておった。
 
20110320a.jpg
 
 同封されていた文書によると、この「まちなか連続講演会」、3月6日に第一回が開かれて、講師は内山節さん、参加者は五十人、名張まちなか再生委員会の元委員に案内状を送付したのだが、一部に送付漏れがあった、とのことであった。
 
 ちなみに、おれもお漏らしされてしまったひとりである。
 
 で、スキャン画像に名が記されている「(仮称)町の会」だが、これが名張まちなか再生委員会の後継組織を目指しているのかどうか、そのあたりのことはまったくわからない。
 
 しかし、ただひとつたしかなのは、この二回連続の講演会がまちなか再生事業の掉尾を飾るものになる、ということである。
 
 この講演会の費用はすべて、名張市のまちなか再生事業関連予算でまかなわれるはずで、なんとか年度内に予算を消化しなくちゃなんない、ってんでこの時期の開催になったのではないかとも思われるのであるが、まちなか再生事業そのものはとっくの昔に雲散霧消してしまっているから、わずかに残っていた予算をこれですっかりつかいきり、みごとなまでの大失敗に終わったまちなか再生事業はこれにてすべておしまい、ということになる。
 
 なんか、最後の最後まで、さっぱりわけのわかんない事業であった。
 
 ところで、平常心を取り戻せていなかったせいで、本来であれば表も裏もスキャンして掲載すべきところ、きのうは表をごらんいただくだけで済ませてしまった。
 
 だから、本日ここに、裏面のスキャン画像を掲載しておく。
 
20110321a.jpg
 
 ちなみにいっとくと、おれはこの講演会、たぶん行かないと思う。
 
 さて、ディスカウントスーパー問題。
 
 最新情報は、おそらくこれだろう。
 
「名張を本気で変える!!」田合たけしの活動日記:火曜日に全員協議会(2011年3月19日)
 
 要するにあす22日、全員協議会で市の結論が報告されるらしい。
 
 しかし、結論といったって、どんな結論が出るのかは最初から知れている。
 
「名張を本気で変える!!」田合たけしの活動日記:希央台の公益用地(2011年3月8日)
 
 ここに記されているごとく、「このまま議案は進められる」ということになるはずである。
 
 無駄にごたついただけの話である。
 
 どうして、無駄にごたついたのか。
 
 名張市役所のみなさんが、自分たちのことしか眼中にないみなさんだからである。
 
 自分たちの都合を最優先させるばかりで、他者に配慮するということをまるで知らないからである。
 
 名張市という地域の全体を視野に入れ、共同体全体の責任を負う、ということをまったくしないからである。
 
 思慮も足りなきゃ配慮も足りぬ、ほんにおまえはあほかいな、みたいなみなさんだからなのである。
 
 もともと、思慮が足りない。
 
 だから、ものごとをちゃんと考える、ということがまったくできず、すべて思いつきで進めてしまう。
 
 そのうえ、配慮も足りない。
 
 つまり、ひとのことなんか意にも介さず、歯牙にもかけず、頭から無視してしまう。
 
 ただの思いつきで、ディスカウントスーバーだよーん、ということにしてしまい、商業者の意向も市民の感情もいっさいおかまいなし、いきなり発表なんかしてしまうから、こんなことになってしまったのである。
 
 ほんと、どうしてこうも、おんなじことばかりくり返すのであろうな。
 
 まちなか再生事業でいえば、思慮も配慮もなく、名張まちなか再生委員会の意向や感情を顧慮することすらせず、施政方針でいきなり「名張まちなか再生委員会と共に、5ヵ年の事業内容を見据えた今後の計画づくりを進めてまいります」などと発表して委員会サイドの感情を逆なでしたことがあったではないか。
 
 ほれ。
 
 
 あのときといっしょである。
 
 名張市役所のみなさんにゃ、学習能力というものがかけらほどもないのであろうな。
 
 おんなじことを、まーたくり返してくれたわけなのな。
 
 しかしなあ、思いつきでしかものごとを進められんというのは、まあばかなんだからしかたがないとしてもだな、その思いつきが周囲にどんな影響をおよぼすか、みたいなことを考えてみることはできるはずなんだがなあ。
 
 今回の大震災で、といったって、むろん報道を通してのことであるけれど、いろいろ気づかされたことがあったそのうちのひとつは、日本人の善良さということであった。
 
 被災しなかった人間が被災した人間に配慮する、というのはいわば当然のことだけれど、おなじ大災害に見舞われた人間同士、理不尽な不幸に打ちのめされながらもなお他者への配慮を忘れない善良さを、日本人はまちがいなくもちあわせているらしい、と気づかされた。
 
 そうした善良さは、たとえば国際社会という競争の場ではときにマイナスに働く要素なのかもしれないが、しかし紛れもなく日本人の美質のひとつに数えるべきものだろう。
 
 そして、名張市役所のみなさんも、ひとりの個人としてはそうした善良さをごくあたりまえに身につけたひとばかりなのだろうけれど、というか、おれの知るかぎりではそうしたひとばかりなわけなんだけど、どうしてそういった個人がお役所という名の愚者の城に寄り集まったそのとたん、配慮のはの字もわきまえず自分たちのことしか眼中にございません、みたいなみなさんになってしまうのであろうなあ。
 
 市民に配慮することが、どうしてできない。
 
 もちあわせているはずの善良さを、いったいどこへ置き去りにしてきた。
 
 ほんと、おれは泣きたいよまったく。
 
 ではここで、さしたる関連性はないけれど、「アルゼンチンよ泣かないで」、マドンナで行ってみよう。
 
 
 いやほんと、泣いてばかりもおられんぞ。
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