三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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旧乱歩邸の土地建物や所蔵資料が立教大学に譲渡されたのは、平成14・2002年のことであった。
名張市立図書館が編集発行した江戸川乱歩リファレンスブックの三冊目、『江戸川乱歩著書目録』が完成したのは平成15・2003年。
この年、おれは当時の教育長に、これからどうしましょうか、インターネットを活用するのはいかがでしょうか、しかし本当は乱歩から手を引くのがいちばんいいと思うんですけど、とかあれこれ提言し、またあらためてみんなで話し合いましょう、とのおことばを頂戴しながら、実際には話し合いの場などいちども設けられなかった、という苦い経験をしたわけである。
どんならんなほんまに。
その翌年、平成16・2004年には、三重県とかつての伊賀地域七市町村が血税三億円を気前よくどぶに捨て去った「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業が5月から11月までのロングランで実施され、みるも無残な大失敗に終わった。
これも、どんならん話であったな。
おなじく平成16・2004年、やはり大失敗に終わって大笑いされることになる名張市のまちなか再生事業が実質的にスタートし、6月23日には第一回名張地区既成市街地再生計画策定委員会が開かれた。
これこそほんと、眼がくらみ、とてもまともに立ってはいられず、意識が遠のき、川のむこうにご先祖さまがずらりと並んでいるのがはっきりみえてしまうほど、じつにどんならん話であった。
同年9月5日、おれは桝田敏明先生のご遺族からお電話をいただき、桝田医院第二病棟の土地建物を名張市に寄贈したいのだが、とのご下問をたまわった。
どうしておれのもとに電話が入ったのか、それはよくわからないのだが、ま、乱歩のことならおれ、という認識が名張市内の一部に存在していた、ということであろうか。
おれはその日のうちに名張市に連絡を入れ、かくかくしかじかだからこの話はぜひお受けいただきたいとぞ思います、と意見を述べた。
同年11月1日、伊賀市が誕生した。
同年11月24日、桝田医院第二病棟の土地と建物が名張市に寄贈された。
同年12月7日、名張市が桝田医院第二病棟の寄贈を受けたと発表し、翌8日の全国紙地方版で報道された。
桝田医院第二病棟をめぐるこのあたりの動きは、けけけ、いずれ漫才にして地域雑誌「伊賀百筆」に寄稿することになるはずなのであるが、けけけけけ、まあざっとそんなところであった。
そして、平成17・2005年。
この年、まちなか再生プランが決定され、名張市のまちなか再生事業は大失敗へむけて大きく歩を踏み出した。
いまから振り返ると、名張市政のレベルダウンが覆いがたくあらわになってしまったのが、この平成17・2005年という年であった。
乱歩関連の話題に限定しても、レベルの低下は一気に進んだ。
同年5月17日、乱歩蔵びらきの会が発足。
同年6月26日、名張まちなか再生委員会が発足。
同年7月10日、名張市の市民公益活動実践事業のひとつとして旧細川邸の裏にこんなものが。
同年7月15日、名張市観光協会の「なばり夏の観光キャンペーン」の一環として名張市議会議員二十人が怪人二十面相に扮し、大阪・道頓堀でこんなことを。
いやー、あの夏の脱力感をおれはいまでもまざまざと思い出せるぞ。
そういえば、あの夏、こんなこともあったな。
名張人外境:人外境だより > エジプトの怪人たち
困ったものである。
名張市政のレベルダウンというのは、この手のうすらばかをのさばらせたことに起因している。
要するに、うすらばかはうすらばかとしかつるまない、ということであろう。
「そもそも江戸川乱歩みたいなものどうでもええねん。20面相のキャラで又スフインクスのナンチャッテ写真で公益活動を実践しているのだから貴様につべこべ言われる筋合いとちがうねん!」
などとうっかり口走ってしまうようなうすらばかとばかりつるみ、のみならずそういった手合いにいいようにつけこまれさえしておるのだから、名張市政がレベルダウンするのも無理はない。
ちっとはしっかりしてみろよ。
しかし、しっかりなんか全然しないまま、というか、ますますレベルをダウンさせながら、ここ名張市に時間は流れた。
まちなか再生事業の大失敗がだれの眼にも明らかになりつつあったころ、おれは当時の教育次長にこんなメールを送信した。
お世話になっております。単刀直入に申しあげます。以下に一点、質問を記します。ご多用中恐縮ですが、お答えをいただければ幸甚です。
名張市教育委員会は市立図書館の運営における江戸川乱歩の扱いについて、構想や方向性のようなものをおもちなのでしょうか。おもちなのであれば、それを示していただきたく思います。また、これからお考えになるというのであればその時期はいつごろなのか、構想や方向性は存在しないというのであればその旨をお知らせいただきたく思います。
私個人は、これまでに市立図書館が発行した江戸川乱歩リファレンスブックによって具体的に示しましたとおり、図書館が過去に収集した乱歩関連資料にもとづいて、全国を対象にしたサービスを提供することが望ましいと考えております。そのサービスはインターネットを活用して進めるべきであるとも愚考いたします。
しかるに、2月1日に開かれた名張まちなか再生委員会の第一回乱歩関連施設整備事業検討委員会において、貴職は私の考えを必ずしもそのまま受け容れるとはかぎらないという旨のご発言をなさいました。正確なところは事務局による録音を聴いてみなければわかりませんが、とにかく貴職は、私が示した方向性を100%受け容れるかそうでないか、それはこれから考えることであるとおっしゃったように記憶しております。
私にとってこれは驚くべきご発言で、名張まちなか再生プランには直接関係のないことですから委員会の席では何も申しあげませんでしたが、貴職にお訊きして確認したいことは少なからず存在いたします。しかし、いまはほかのことには触れません。ただひとつ、私の示したところをそのまま受け容れるにせよそうでないにせよ、名張市教育委員会が市立図書館の運営における乱歩の扱いをどのようにお考えなのか、あるいはお考えではないのか、その点に関して上記の一点をお訊きする次第です。
お答えはメールでお願いできればと思います。また、お答えは当方のサイトで公開させていただきたく思っておりますが、もしも差し支えがある場合は非公開といたしますので、その旨お知らせくださいますようお願いいたします。
年度末を迎えてお忙しいところ、勝手なお願いを申しあげて心苦しく思っております。よろしくお願い申しあげます。
2007/02/28
催促しても、返事はなかった。
お願いだからこの件について考えてくれんか、と依頼しても、なにも考えない、なにも答えない。
それがお役所というところである。
無能と怠慢に支配されたお役所という世界では、なにをいってやってもなにも動かない。
だれひとりとして、ものごとを真剣に考えようとしない。
思考を停止させ、先送りとだんまりを決め込み、責任を回避してあやしむことがない。
やってらんねーよばーか、とおれが思ったのも、無理のないことであったとおれは思う。
しかも、これとはべつに、テロ用特選素材として秘匿温存している門外不出のエピソードもあって、やれやれ、そこまでいわれたんじゃいつまでも図書館の嘱託やってるわけにもいかねーじゃねーか、なんかもうばからしいしな、と思って、おれは名張市立図書館とおさらばしたのである。
しかし、乱歩にかんしてやらねばならんことはあるのだから、名張市立図書館にはおさらばするとして、NPOでもつくって活動するか、と考えた。
ま、血迷っていたのであろうな。
おれはもともとNPOなんて嫌いなのだが、にもかかわらずNPOでもつくろうかと考えたのは、それほどまでにお役所の現実というやつに絶望していた、ということであったとご理解いただきたい。
とはいえ、NPOをつくって活動するにしても、活動の柱のひとつは、名張市立図書館が収集した乱歩関連資料を活用する、ということになるはずだったから、NPOをつくるにあたっては市立図書館とのあいだに密接で良好な関係性を構築することが前提になる。
そのあたりのことも含め、NPOつくろうかと考えておるのですがいかがなものでしょうか、と名張市に文書を提出して見通しを質問したのじゃが、例によって例のごとく、返答はない。
とにかくもう、なにかを考えるのがとてもいや、ということなのであろうな。
なにしろ、これだもんよ。
中 相作 さま
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
平成20年10月 9日
名張市長 亀井利克
ほんと、考えるのがそれほどいやか、という話である。
打てば響くように、手前どもはなーんにも考えないことにしておりますッ、という答えが返ってくる。
それがお役所である。
それが、考えていただける、ということになったのである。
重畳至極のありがたきしゃーわせ、っつーやつであろうな。
一年以上にわたる粘り強い働きかけが功を奏し、乱歩にかんしてなにをすればいいのか、名張市立図書館がみずから主体的に考える、というところまで、ようようこぎつけたのである。
ようやくにして、そういうところまで、といったって、一般的な感覚でいえばごくごくふつうのことなのであるが、ものごとを考えない世界でものごとを考えていただくというのは、やはりずいぶん大変なことであるらしく、無能と怠慢に支配されたそんな世界でようようそういうところまで、ようやくにしてたどりつくことができたのである。
にしても、ほんと、お役所ってのはどうしてここまで世話が焼けるのであろう。
考えていただかねばならぬことを考えていただく、というあたりまえのことをやっていただくのに、どうしてここまで手間ひまがかかるのであろう。
では、そろそろ行ってみようか。
名張市乱歩関連事業アドバイザー就任を記念して、カラフルな感じで行ってみる。
名張市役所のみなさんも、どうぞごいっしょに。
いくら田舎のお役所じゃとて
はあどーしたどしたあ
ずんずびずばーん
ぱっぱやーん
ここまであほではちょいと困る
それからどしたあ
ずんずびずばーん
ぱっぱやーん
ちょいとどころかだいぶ困る
はあもっともだーあもっともだあ
ずんずびずばーん
ぱっぱやーん
ぱっぱやーん
ぱっぱやーん
以上、正調名張市役所音頭スキャット付き、であった。
それはそれとして、じつにありがたきしゃーわせではあるのじゃが、やっぱものすごい不安でもあるわけな。
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