三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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ハコモノとイベントを反省する
そんなこんなで、「なぞがたりなばり委託事業募集要項」にもとづいて名張市乱歩関連事業ビジョンを検証してみたのだが、結論としては、もうどうしようもない、といったところであろう。どうしようもないぞまったく。いまのままではどうしようもない。ならば、どうすっぺや。
とりあえず、反省する必要があるだろうな。しかし、お役所には、検証ということばもなければ、反省ということばもない。なぜか。検証とか、反省とか、そんなことに首をつっこんだら、どうしたって責任ということばにぶつかってしまうからである。それだけは避けたい。責任ということばとは生涯、完全に無縁でいたい。それが公務員の悲願である。したがって、お役所のみなさんにいくら反省を求めても、そんなことにはまったく意味がない。
よーし。そういうことだったら、ひと肌ぬいでやることにするか。遠慮するな遠慮するな。お役所のみなさんになりかわり、真摯な検証を進めてきたおれである。このままの勢いで、ついでに反省も肩代わりしてやるよ。いいってことよいいってことよ。名張市長三選記念特別出血大サービスだいッ。
まず反省すべきは、ハコモノ崇拝主義とイベント尊重思想であろうな。このふたつは全国の自治体に蔓延し、猖獗をきわめているわけなんだけど、さすがにそろそろおさらばしてもいいんじゃね? ハコモノやイベントにいくら税金つぎこんだって、とくにどうってことにもならない。むしろ税金の無駄づかいだと批判される。それが当節の風潮ってやつであって、そのあたりのことはお役所の中のみなさんにもご理解いただけていると思うのだが、どうなのであろうな。
まず、ハコモノ。乱歩関係でいうと、乱歩記念館とか、乱歩文学館とか、そういうハコモノの構想は、これまでにもいくたびか浮上し、そのたびに沈没してきた。沈没フェチかよ。なんど沈没したら気が済むというのか。直近の例が、まちなか再生事業である。所有者から寄贈された桝田医院第二病棟という場所、国土交通省のまちづくり交付金という予算、乱歩文学館という方針、この三つの条件がそろっていたというのに、それでもあっけなく沈没してしまうのだからなあ。ばーか。
だからもう、これに懲りて、乱歩文学館だの乱歩記念館だの、気のふれたような思いつきをわめき立てるのはおしまいにしような。いくらわめき立てたところで、結局それだけのことである。そこから先には一歩も進めぬ。うわっつらのことしか考えられない人間には、そこまでのことしかできない。骨身にしみてよくわかったであろう。
乱歩のことも知らなければ、文学館のこともわからない。そんな連中が何十人、何百人と集まったところで、乱歩文学館なんてできるわけがない。そもそも、乱歩文学館なんてものが必要かどうかを考えることすらせず、うわっつらのことばかりわめき立ててんじゃねーよまったく。反省だ反省。ちっとは反省して、これからはもう少しものごとを考えてみることにしような。
つづいて、イベント。ミステリ講演会は、検証の結果、要検討、ということになった。これは、あたうかぎり公平公正な立場に立っての結論であって、個人的な意見をいえば、そろそろやめてもいいコロナ、である。少なくとも、二十年も前に決められたことをそのまま、無批判に踏襲してるってのはまずかろうが。
平成2・1990年に三代目市長に就任した前市長が、さーあ、観阿弥と乱歩を素材に名張市のグレードアップを進めるぞ、とお考えになった。で、翌年、ミステリ講演会と薪能がスタートした。しかし、グレードアップなんてのは、しょせん見栄である。ミステリ講演会も薪能も、見栄を張るためのブランド商品にしかすぎない。しかも、いくらブランド商品でおめかししてみても、ばかはばか、まぬけはまぬけ、とんちきはとんちき、むしろ見栄を張ることによって、かえって中味のすかすかぶりが際立ってしまう。
とくに、先日のミステリ講演会はひどかった。名張市は今年度、というか、もう昨年度ということになってしまったのだが、講演会を民間委託したわけである。なあ、名張市役所のみなさんや。かりにも民間委託ってんだから、たとえうわっつらだけでも、民の視点、民の発想、民の手法を導入いたしました、みたいなことをやってもらわんと、どうにもかっこがつかんのではないか。しかしミステリ講演会、そんなことはなんにもなかったと思うぞ。
しかも、入場券の予約はメール不可の往復はがきのみ、有料入場者は四十人に満たないという惨状だったんだからなあ。やっぱ反省しないとな。反省だ反省。ほんとにもう少し考えよう。頭をつかおう。見栄を張ることばかり考えてないで、ていうか、そもそも見栄を張ろうとして失敗し、笑いものになってるのが名張市なのであるけれど、とにかくもう少しまともになろうな。
以上、反省してみた。しかし、反省したからといって、とくにどうということもない、というのがお役所のすごいところなのである。お役所の中の人をいくら叱り飛ばしたって、効果なんかゼロなのである。なぜか。お役所の中の人には、あ、自分はいま叱られているんだな、ということはわかる。それはよくわかる。しかし、自分はいま、どうして叱られているのか、ということはわからない。皆目わからない。理解できない。
だから、いくら叱り飛ばされても、悔い改めるということがない。またおなじことをくり返してしまう。また叱られる。しかし、悔い改めない。またおなじことをする。そうするともう、叱り飛ばしてるほうが、いやになってくるのな。なんなんだこいつらは、と思ってしまう。こんなことなら、うちの犬っころのほうがまだ理解力があるではないか、と思ってしまう。叱り飛ばす気も失せてしまう。だからなんかもう、お役所の中の人って、はっきりいって無敵じゃね? 最強じゃね?
したがって、結論としては、いくら市民がお役所の人になりかわって検証や反省に努めてみたところで、冒頭にも記したとおり、そんなことはまったく無益だ、ということになる。テロしかねーぞテロしか、ということになる。さーあ、どうすっぺや。
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