三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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すっかりばれてしまったみたいだな、という印象を抱いた。少し以前まで、一部の乱歩ファンのあいだには、名張市って結構すごくね? という認識が存在していた。市立図書館が長きにわたって乱歩関連資料を収集し、それにもとづいて江戸川乱歩リファレンスブックなんてのを出版したりしていたのだから、結構すごくね? と思ってくれる人があったのも当然である。しかし、もう、ばれている。名張市という自治体が、じつは腰もくだけそうになるほどばかなのだという認識が、一部の乱歩ファンのあいだにすっかり浸透してしまっている。そんな印象を受けた。とくに10月3日の大宴会では、
「乱歩の生家を復元する話はどうなったんですか」
「乱歩の生誕地碑には屋根くらいつけなきゃ」
「ミステリー文庫はどうしたあッ」
いやもうさんざんであったぞ。こうした声をお寄せいただけるというのは、おとといも記したごとく、乱歩の生誕地である名張市に興味をもってくださったり、名張のことを気にかけてくださったり、そういう人が全国に確実に存在していることの証左なのである。しかし、残念なことに、このところの名張市は、そういった人たちの信頼や期待をことごとく裏切りつづけている。それはまあ、ろくに乱歩作品を読もうともせず、乱歩のことを知ろうともせず、ただ乱歩というビッグネームを自己顕示の素材として利用し、ご町内でうわっつらだけ乱歩乱歩とかっこつけてりゃ機嫌がいい、みたいな連中ばっかりなんだから、乱歩ファンの信頼や期待に応えることなんてできるわけがないのであるが。
10月3日(土)
ミステリー文学資料館は豊島区池袋、光文社ビルの一階にある。開館は平成11・1999年4月。早いもので、もう十年が経過した。
ミステリー文学資料館:トップページ
開館十周年を記念して、トーク&ディスカッション「『新青年』の作家たち」が催されることになった。10月と11月の毎土曜日、九回にわたる連続講座が開講される。
ミステリー文学資料館:トーク&ディスカッション「『新青年』の作家たち」のご案内
10月3日、「『新青年』の作家たち」第一回の「江戸川乱歩」が開催された。この日は、神奈川近代文学館で「大乱歩展」が開幕し、小林信彦さんの記念講演会が催される日でもあった。えらい日に講師を担当することになったものである。むこうは午後2時から、こちらは午後1時30分から。みごとなまでにかぶっている。会場は光文社ビル地下一階の会議室、定員は三十五人と小規模な講座だが、「大乱歩展」で小林さんの講演会が開かれるとなると、トーク&ディスカッションに足を運んでくれる人などほとんどいないのではないか、三十五人どころか、五人とか六人とか、そんな程度の入りではないのか、と不吉な予感にさいなまれつつ当日を迎えた。
ミステリー文学資料館の館長は、評論家の権田萬治さんである。
権田萬治ホームページ Mistery&Media:トップページ
権田さんの、というか、当日はずっと権田先生とお呼びしていたので、以下、権田先生と記すことにするが、権田先生のブログには、この日のことがこんなふうに記されている。10月3日付記事(資料館の開館10周年行事始まる)をお読みいただきたい。
権田萬治ホームページ Mistery&Media:日記
不吉な予感は一掃され、権田先生もお書きになっていらっしゃるとおり、「狭い地下会議室はいっぱいになった」。会議室には楕円形のテーブルが置かれ、空いたスペースにはパイプ椅子が二列か三列並べられていたのだが、なにしろ狭いところだから、すぐいっぱいになるのである。念のために会場の証拠写真を、なんの証拠なんだかよくわからんのだが、とりあえず掲載しておく。
午後1時30分、開講。「涙香、『新青年』、乱歩」と題して、一時間ほどしゃべった。内容は省略する。近くウェブサイト名張人外境に記すつもりなので、内容を知りたいとおっしゃるかたはそちらでどうぞ。
一時間のトークのあとは、休憩をはさんで、ディスカッション。休憩に入ったところで、名張市民の血税で購入していただいた山本松寿堂謹製「二銭銅貨煎餅」が登場した。
先日もお知らせしたが、さっそくブログにとりあげてくださったかたがあった。ブログ記事の名義は菅野覚兵衛さん。
山口敏太郎の妖怪・都市伝説・UMAワールド「ブログ妖怪王」:乱歩の生誕地名物「二銭銅貨せんべい」(10月6日)
くどくどと記すが、ほんと、この日のトーク&ディスカッションに顔を出してくれるのは、小林信彦さんの講演会とかぶってしまった不幸を哀れんでくれる知り合いばかり、それもわずかに五、六人か、と不吉な予感にさいなまれていたので、菅野さんをはじめ見知らぬ乱歩ファンにたくさんおいでいただけたのは、じつにありがたいことであった。菅野さんからは会場で、名張市立図書館のことや乱歩にちなんだ名張の物産についてのご質問もいただいた。ことほどさように、乱歩の生誕地であるという理由で名張市に興味をもってくださっているかたは、全国に確実に存在しているのである。そのことをあらためて、名張市民各位にお伝えしておく次第である。
以下、思いつくまま、ご本人にはまったく無断で、当日ご参加くださったかたがたにご登場いただくことにして、まず「『新青年』の作家たち」の講師陣では、第二回「横溝正史」の浜田知明さんと、第六回「小栗虫太郎」の平山雄一さん。第三回「海野十三」の末永昭二さんにもおいでいただけるはずだったのだが、1日に逝去された作家、若山三郎さんのお別れの会が3日になったとのことで、急遽ご欠席となった。ほかに、末國善己さんと谷口基さんも駆けつけてくださった。お名前を列挙しただけだが、みなさんなんらかのかたちで評論や研究、さらには資料の発掘といった活動に携わっていらっしゃるかたで、いうまでもないことながら、乱歩にかんしてなにかとお世話になってきたみなさんである。
あと、大宴会の幹事役を買って出てくださった阿部崇さんと、奥さんの弓子さん。崇さんは日本にたったひとりしかいない小酒井不木の研究家で、じつに無残な失敗に終わった三重県の官民協働事業「生誕360年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」で不木と乱歩の書簡集『子不語の夢』を刊行したおりには、とても判読しづらい不木書簡の翻刻を一手に引き受けてくださったかたである。ウェブサイトはこちら。
奈落の井戸:トップページ
それから、当ブログでもおなじみの、というか、最近はあまりおなじみでもないのだが、永遠のJガールこと新矢由紀さん。新矢さんは今春、天下の吉本興業を円満退社され、東京にあるユマニテという芸能事務所にお勤めになった。とはいえ、ずいぶんおひさしぶり、というわけでもない。新矢さんのブログで調べみると、8月23日にお会いしている。
永遠のJガール:風人短歌会と常光寺の櫓(8月23日)
お読みいただいたとおり、義母の主宰する「風人」という短歌会があって、新矢さんはその最年少会員。例会は月一度、伊賀市で開かれているのだが、8月例会のあと、義母といっしょに拙宅を訪ねてくださったので、10月に上京することをお知らせした。トーク&ディスカッションのあと、大宴会にもおつきあいいただいたのだが、渋谷のバルコ劇場で翌4日まで上演されていた寺山修司作「中国の不思議な役人」の打ちあげが渋谷で待っているとのことで、会費五千円で飲み放題の大宴会から、ものすごく豪華な料理が並んでいるのであろうお芝居の打ちあげに、途中退席してそそくさと移動された。なにしろわれわれの大宴会では、芸能界関係者にはまずお目にかかれない。新矢さんがその業界の人だとわかったとたん、いきなり、「小川範子にお会いになったことはありますか」と質問する出席者があったのには笑ってしまった。
探偵小説研究家の、とお呼びしていいのかどうかよくわからないのだが、とにかく在野で横溝正史あたりの研究をこつこつとつづけていらっしゃる黒田明さんには、昨年の11月、神戸で催された正史の生誕地碑建立四周年記念イベントではじめてお会いした。その黒田さんもトーク&ディスカッションに来てくださって、おみやげまで頂戴した。昭和24・1949年に出た「アベック」という雑誌で、乱歩の関連文献が掲載されている。これである。
こうしてなにかと気にかけていただけるのは、いうまでもなく乱歩の偉大さのおかげである。気にかけていただいたといえば、弥生美術館学芸員の堀江あき子さんも、美術館のチラシと招待券をおみやげに、トーク&ディスカッションに参加してくださった。弥生美術館は文京区弥生にある。弥生式土器の、あの弥生である。
弥生美術館・竹久夢二美術館:トップページ
堀江さんにはじめてお会いしたのは、平成14・2002年のことである。名張市が「江戸川乱歩ふるさと発見五十年記念事業」の一環として、「探偵講談、乱歩を読む。」の池袋公演を催した。会場は豊島区民センター、共催は豊島区、出演は旭堂南湖さん。ちょうど堀江さんの『江戸川乱歩と少年探偵団』(河出書房新社)が出版されたころで、記憶はかなりあいまいなのだが、もしかしたらその献呈本を手に、探偵講談の会場を訪ねてくださったのではなかったか。探偵講談のあとには大宴会が控えていたので、かなり強引にお誘いして、大宴会にも加わっていただいた。翌日には、探偵講談のために上京していた当時の市立図書館長、それから、セクション名はなんであったか、とにかく探偵講談を担当していた部署の市職員ふたり、合計四人で弥生美術館にお邪魔した。地下鉄の根津駅で降りたのだが、美術館の場所がよくわからない。近所の奥さんに道を尋ねながらようやくたどりつき、堀江さんにはお昼をご馳走になったりもしたのではなかったか。その堀江さんから、トーク&ディスカッションのあとに頂戴したのが、このチラシである。
堀江さんから「あした、いかがですか」と美術館にお誘いいただいたのだが、いやー、じつはあした、甲府の竹中英太郎記念館にお邪魔するつもりなんです、と翌4日の予定をお伝えすると、「あ、それなら、事前に電話を入れてからいらっしゃったほうがいいですよ。あそこは個人美術館で、館長さんがお留守のこともあるみたいですから」と親切なアドバイスをくださった。
ここまでを読み返してみると、男性よりは女性の紹介のほうに、はるかに多く筆が費やされている。性別による差別が、ここには歴然と存在している。しかし、いたしかたあるまい。そういう人間なのである、と思ってあきらめていただきたい。
トーク&ディスカッションは、自分でいうのもあれだけど、好評のうちに終了した。会場の会議室でしばらく時間をつぶしたあと、いよいよ大宴会である。お世話になった権田先生や、苗字しか存じあげないのだが女性スタッフの安達さん、そのほかミステリー文学資料館のみなさんにご挨拶を申しあげ、おなじ池袋にある大宴会の会場にむかった。ここである。
ぐるなび:南部地鶏と江戸ちゃんこ 池袋 蔵之助
蔵之助とのつきあいも、もう十年以上になる。上京して、乱歩のことでお世話になったみなさんと飲むことになり、池袋で適当な店を探して、たまたま入ったのがこの蔵之助だったのだが、いつのまにか、大宴会は蔵之助、ということになってしまった。平成14・2002年、探偵講談池袋公演のあとの大宴会は、探偵講談の会場で飛び入りの参加者を募ったせいもあって、広い座敷に七十人ほどが押しあいへし合いする仕儀となった。あんな大人数の大宴会は、蔵之助でもめったにないのではないか。その日の幹事役は、その筋で「女王」の尊称をたてまつられているミステリーマニア、石井春生さんにお願いしたのだが、会費を集計した石井さんが、「中さ〜ん、『貼雑年譜』が買えるくらいお金が集まっちゃいましたよ〜」とうれしそうにおっしゃっていたのが記憶に残っている。『貼雑年譜』というのは、おとといも記したとおり、乱歩がつくったスクラップ帳なのだが、探偵講談池袋公演の前年に東京創元社から二百部限定の復刻版が出版され、内容のみならず本体三十万円という価格でも、乱歩ファンや探偵小説マニアをうならせていたのである。
10月3日の大宴会は、正式名称「『新青年』の作家たち」&「大乱歩展」 開幕記念大宴会。午後5時に開宴した。みごとなまでにシンプルな飲み会で、幹事の阿部さんの発声による乾杯のあとは、ただ飲み食いし、ひたすらしゃべりまくるだけである。挨拶もなければ自己紹介もない。近況報告もなければ演芸タイムもない。悪鬼のごとく飲み食いし、羅刹のごとくしゃべりまくる。ただそれだけの大宴会なのである。べつのテーブルには女王の石井さんもおいでくださっていて、ほかにも懐かしい顔をあちこちにおみかけしたのだが、とにかく飲むのが先である。ろくに挨拶もせず、悪鬼羅刹となりはてる。
午後6時ごろのことであったか、神奈川近代文学館で小林信彦さんの講演をお聴きになった一行がご到着。前日にもお会いした新保博久さん、石塚公昭さんのほか、『虚無への供物』で知られる作家、中井英夫の最後の助手、といった紹介はそろそろやめたほうがいいと思われるので、ここでは平井隆太郎先生の『乱歩の軌跡』(東京創元社)の仕掛け人、とご紹介しておくことにするが、カメラマンでもいらっしゃる本多正一さん、さらには年季の入ったミステリーファンで、名張においでいただいたこともある岩堀泰雄さんらのご一行である。本多さんは、小林さんの講演がはじまる前、会場で椅子に腰かけていらっしゃったところ、ある人がつかつかと歩み寄ってきて、「本多さん、きょうは中さん裏切ってこっちにいらっしゃったんですか」といわれてしまった、とおっしゃっていた。やはり、裏切り者のそしりはまぬかれぬところであろう。小林さんの講演の模様をお訊きしたところ、みなさん筋金入りの乱歩ファンだけあって、一般を対象にした講演内容には、ややものたりなさをお感じになったようである。講演の内容は、2ちゃんねるの一般書籍板でうかがい知ることができる。
小林信彦・中原弓彦 22:89−155
やがて、いわゆる宴たけなわ、というころおいになった。悪鬼羅刹がいよいよ本性をあらわにして、
「乱歩の生家を復元する話はどうなったんですか」
「乱歩の生誕地碑には屋根くらいつけなきゃ」
「ミステリー文庫はどうしたあッ」
となさけ容赦もあらばこそ、名張市にたいする批判をお寄せくださるわけである。先述のとおり、乱歩の生誕地である名張市に興味をもってくださったり、名張のことを気にかけてくださったり、名張市が乱歩にかんしてなにをするのか期待してくださったり、そういう人が全国には確実に存在しているのであるが、まことに遺憾なことながら、名張市にはもう、そうした期待や信頼を裏切りつづけることしかできない。なにしろ、ろくに乱歩作品を読もうともせず、乱歩のことを知ろうともせず、ただ乱歩というビッグネームを自己顕示の素材として利用し、ご町内でうわっつらだけ乱歩乱歩とかっこつけてりゃ機嫌がいい、みたいな連中ばっかりが幅を利かせているのである。みずからの無力不徳を棚にあげ、こんなことを申しあげるのははなはだ心苦しいかぎりではあるが、名張市にたいしてはなんの期待も抱いていただかぬよう、全国の乱歩ファンのみなさんに、ここでお願いを申しあげておく次第である。
そういえば、トーク&ディスカッションのあと、飛び入りで大宴会に参加してくださった男性があって、蔵之助では隣り合って着席したのだが、高校の先生だとおっしゃるこのかたから、「乱歩に関係のある都市が集まってなにかやる、という話はどうなったんですか」とのお尋ねを頂戴した。三重県にはまるで無縁なかたがどうしてこんなことをご存じなのか、といささか驚いた。名張市の提唱で発足した「乱歩都市交流会議」のことである。一年近く前の読売新聞のウェブニュースがまだ生きているから、リンクを掲げておく。
YOMIURI ONLINE:乱歩の偉業 後世に 「都市交流会議」発足へ(2008年10月29日)
こんなことにまで興味をもち、期待してくださっている乱歩ファンが、げんに存在するのである。なんとも申しわけがない。穴があったら入りたい。しかし、蔵之助の座敷には穴などどこにもなかったので、いやー、あれはただの思いつきなんです、と正直なところをお伝えしておいた。ただの思いつきですから、それ以上のことはなにもありません、先のことはなにも考えず、その場かぎりの思いつきをぶちあげただけの話ですから、そこからなにかがはじまることなんかまったくありません、思いつきをぶちあげて、あとは知らん顔をしている、それが名張市なんです、とお知らせしておいた次第なのであるが、こうなるともう、はた迷惑というしかあるまい。中身などなにもない思いつきでも、いったんニュースとなってインターネット上を駆けめぐれば、それを受信して期待してしまう人も出てくるわけである。じつに申しわけのない話である。申しわけないといえば、大宴会のいってみれば巻き込まれ型参加者であったこの男性、男子校の先生だというそれだけの理由で、周囲にいあわせた人間によって無理やり、というか、ごく当然のことのように、変態教師、ということにされてしまった。それもまた、まことに申しわけのないことであった。
午後8時、大宴会お開きの時間となった。最後にひとことだけご挨拶を申しあげることにして、トーク&ディスカッションからおつきあいくださったかたにも、小林信彦さんの講演会が終わってから駆けつけてくださったかたにも、わけへだてすることなく心からの謝意を表しておいた。ちなみに、横浜からいらっしゃった新保さんと石塚さんは、罪ほろぼしのつもりででもあったのか、「早稲田文学フリーペーパー」や「中央公論Adagio」といった大判の雑誌をプレゼントしてくれた。幹事の阿部さんは、蔵之助店長さん心づくしのクーポン券を手渡してくれる。これである。
エレベーターで一階におり、蔵之助のあるビルから出て、右に歩いてすぐのビル、こんどは階段を地下におりてゆく。悪鬼羅刹の二次会がはじまる。
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暴政と言論の死をまのあたりにできるかもしれません
●壱市民様
ご投稿ありがとうございます。
このたびはミステリー文学資料館のトーク&ディスカッションで配付するための二銭銅貨煎餅を血税でご負担いただき、お礼を申しあげます。
さて、一般的に、たとえば「名張市はばかである」と論評する場合、「名張市」というのは「名張市という地方自治体」あるいは「名張市という地方公共団体」を指します。これはごくあたりまえのことで、手近な新聞記事を例にとりますと、たとえばこんなのがあります。
西日本新聞:阿久根市長 実は人気上司? 課長1人公募に全国から45人 「改革に共感」が大半(10月11日)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/127585
記事には「鹿児島県阿久根市が課長職1人を公募したところ」とありますが、職員の公募を決定したのは、いうまでもなく阿久根市長の竹原信一さんでしょう。しかし、新聞記事では、阿久根市の市長がうんぬん、とは書かれません。阿久根市がうんぬん、と記されます。阿久根市長による決定は、そのまま阿久根市という自治体による決定だからです。もしかしたら、職員ひとりを公募するというこの決定は、竹原市長の完全な独断であったかもしれません。しかし、たったひとりの人間によって決定されたことであっても、その人間が市長というポジションについているのであれば、それはそのままひとつの自治体が決定したことである、ということになってしまいます。ですから、もしもこの試みが失敗に終われば、それはむろん阿久根市長の失敗なのですが、阿久根市という自治体の失敗でもある、ということになります。阿久根市はあほである、と論評されてしまうことになります。いわゆる世間からは、そんなふうにみられてしまうわけです。
したがって、おことばを借りて表現するならば、「名張市長の専売」は、そのまま名張市という自治体の専売である、ということになってしまうわけです。「思いつきをぶちあげて後は知らんぷりの名張市」というのは、あくまでも名張市長個人の問題であって、名張市という自治体や名張市民の問題ではない、というのは、なんの説得力もないいいわけにすぎません。あるいは、ご町内だけで通用するいいわけ、と申しあげるべきでしょうか。いわゆる世間からみれば、ひとつの自治体による決定の背後には、いうまでもなくその自治体に帰属する市民が存在しています。「見識も良識も知恵も知識もない奥ゆかしさも人間的豊かさや厚みもない愚人が市長をしている」のだとしても、そんな市長を選んだのは市民ではないか、といわれてしまえば、返す言葉がないのではないでしょうか。市長を選んだ責任は市民にあるわけで、そのあたりのことについては以前、8月9日付エントリのコメントで、こんなふうに記しました。
……………………………………………………………………………
市長を選んで雇っている市民にも責任ってやつはある
●市民様
ご投稿ありがとうございます。
なんといえばいいのか、「市長には軽薄に言い出すことはできても、成果、経過、結果に責任を持つことは出来るでしょうか」とのご質問には、できないと思います、とお答えするしかないのがつらいところです。とはいえ、これは名張市長だけにかぎった話ではなく、そもそもお役所の辞書には「責任」ということばが載っておりませんから、日本全国津々浦々、どこの自治体でも事情は似たり寄ったりではないでしょうか。しかし、それでは困る、と私は思います。ならば、どうすればいいのか。市長にちゃんとしてもらえばいい。そういうことになります。
市長なんてしょせん、市民が選挙で選び、自分たちの税金で雇っている存在でしかありません。ですから、たとえば「結果に責任を持つことは出来るでしょうか」との疑問を抱かざるをえないような市長には、責任を持ってくださいね、と市民サイドから働きかければいい、ということになるわけです。市民には市長を選んだ責任というやつがありますから、その責任を果たすためには、市長への働きかけが必要な場合も出てくるはずです。げんに、名張まちなか再生委員会におきましては、このエントリにも記しましたとおり、いまや委員会から市長にたいして働きかけをおこなうべきときに来ている、と私は判断しております。
働きかけといったって、たいしたことではありません。けっして、責任を取れ、と迫ることではありません。責任を取れといってみたところで、なにをどうすれば責任を取ったことになるのか、明確な答えなんてだれにも出せないことでしょう。ですから、ここはまず、市長に責任を自覚していただいて、つまり、まちなか再生事業の最高責任者は自分である、ということをよく認識していただいて、そのうえで、いまの時点で、市長として、できることはなにか、なすべきことはなにか、それを熟慮して決断していただく。そのための働きかけです。ものすごくわかりやすい働きかけですから、これが実現しないようなら名張市はほんとに終わりだぞ、ということになると思いますし、もしかしたらこういうことこそが、協働とかいうやつの本来の姿なのではないかしら、とも思います。
しかしまあ、ここ名張市における協働とかいうやつは、行政が市民にたいして、仰せのような白蟻や寄生虫が発生しやすい土壌をたっぷり提供することなのである、みたいなことになってしまっているのかもしれません。なんかもう、いっそ台風でも来ればいいのに、と思わざるをえません。
今後ともよろしくお願いいたします。
……………………………………………………………………………
お読みいただきましたとおり、8月上旬の時点では、「いまや委員会から市長にたいして働きかけをおこなうべきときに来ている」と認識していたのですが、もはや「働きかけ」などは無効である、というのが現在の私の認識です。すでにこのブログに記しましたとおり、最近の名張市における暴政や言論の死は、市民に市政への「働きかけ」をあきらめさせてしまうほど、換言すれば、テロリズムに根拠を与えてしまいかねないほど、徹底したものになっていると思われます。さあ、どうしましょうか。
10月18日に予定されている名張まちなか再生委員会の説明会は、委員会のメンバーを対象にした催しとして設定されているはずですが、一般市民が傍聴することは可能だと思います。一般市民を閉め出してしまう理由は思い当たりません。ただしこの説明会、逃げ切りのためのセレモニー、といったものにしかならないと予想されます。名張市における暴政と言論の死をまのあたりにできる、ということ以外には、傍聴していただいてもさしたる意味はみつけられないのではないでしょうか。
今後ともよろしくお願いいたします。
ご投稿ありがとうございます。
このたびはミステリー文学資料館のトーク&ディスカッションで配付するための二銭銅貨煎餅を血税でご負担いただき、お礼を申しあげます。
さて、一般的に、たとえば「名張市はばかである」と論評する場合、「名張市」というのは「名張市という地方自治体」あるいは「名張市という地方公共団体」を指します。これはごくあたりまえのことで、手近な新聞記事を例にとりますと、たとえばこんなのがあります。
西日本新聞:阿久根市長 実は人気上司? 課長1人公募に全国から45人 「改革に共感」が大半(10月11日)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/127585
記事には「鹿児島県阿久根市が課長職1人を公募したところ」とありますが、職員の公募を決定したのは、いうまでもなく阿久根市長の竹原信一さんでしょう。しかし、新聞記事では、阿久根市の市長がうんぬん、とは書かれません。阿久根市がうんぬん、と記されます。阿久根市長による決定は、そのまま阿久根市という自治体による決定だからです。もしかしたら、職員ひとりを公募するというこの決定は、竹原市長の完全な独断であったかもしれません。しかし、たったひとりの人間によって決定されたことであっても、その人間が市長というポジションについているのであれば、それはそのままひとつの自治体が決定したことである、ということになってしまいます。ですから、もしもこの試みが失敗に終われば、それはむろん阿久根市長の失敗なのですが、阿久根市という自治体の失敗でもある、ということになります。阿久根市はあほである、と論評されてしまうことになります。いわゆる世間からは、そんなふうにみられてしまうわけです。
したがって、おことばを借りて表現するならば、「名張市長の専売」は、そのまま名張市という自治体の専売である、ということになってしまうわけです。「思いつきをぶちあげて後は知らんぷりの名張市」というのは、あくまでも名張市長個人の問題であって、名張市という自治体や名張市民の問題ではない、というのは、なんの説得力もないいいわけにすぎません。あるいは、ご町内だけで通用するいいわけ、と申しあげるべきでしょうか。いわゆる世間からみれば、ひとつの自治体による決定の背後には、いうまでもなくその自治体に帰属する市民が存在しています。「見識も良識も知恵も知識もない奥ゆかしさも人間的豊かさや厚みもない愚人が市長をしている」のだとしても、そんな市長を選んだのは市民ではないか、といわれてしまえば、返す言葉がないのではないでしょうか。市長を選んだ責任は市民にあるわけで、そのあたりのことについては以前、8月9日付エントリのコメントで、こんなふうに記しました。
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市長を選んで雇っている市民にも責任ってやつはある
●市民様
ご投稿ありがとうございます。
なんといえばいいのか、「市長には軽薄に言い出すことはできても、成果、経過、結果に責任を持つことは出来るでしょうか」とのご質問には、できないと思います、とお答えするしかないのがつらいところです。とはいえ、これは名張市長だけにかぎった話ではなく、そもそもお役所の辞書には「責任」ということばが載っておりませんから、日本全国津々浦々、どこの自治体でも事情は似たり寄ったりではないでしょうか。しかし、それでは困る、と私は思います。ならば、どうすればいいのか。市長にちゃんとしてもらえばいい。そういうことになります。
市長なんてしょせん、市民が選挙で選び、自分たちの税金で雇っている存在でしかありません。ですから、たとえば「結果に責任を持つことは出来るでしょうか」との疑問を抱かざるをえないような市長には、責任を持ってくださいね、と市民サイドから働きかければいい、ということになるわけです。市民には市長を選んだ責任というやつがありますから、その責任を果たすためには、市長への働きかけが必要な場合も出てくるはずです。げんに、名張まちなか再生委員会におきましては、このエントリにも記しましたとおり、いまや委員会から市長にたいして働きかけをおこなうべきときに来ている、と私は判断しております。
働きかけといったって、たいしたことではありません。けっして、責任を取れ、と迫ることではありません。責任を取れといってみたところで、なにをどうすれば責任を取ったことになるのか、明確な答えなんてだれにも出せないことでしょう。ですから、ここはまず、市長に責任を自覚していただいて、つまり、まちなか再生事業の最高責任者は自分である、ということをよく認識していただいて、そのうえで、いまの時点で、市長として、できることはなにか、なすべきことはなにか、それを熟慮して決断していただく。そのための働きかけです。ものすごくわかりやすい働きかけですから、これが実現しないようなら名張市はほんとに終わりだぞ、ということになると思いますし、もしかしたらこういうことこそが、協働とかいうやつの本来の姿なのではないかしら、とも思います。
しかしまあ、ここ名張市における協働とかいうやつは、行政が市民にたいして、仰せのような白蟻や寄生虫が発生しやすい土壌をたっぷり提供することなのである、みたいなことになってしまっているのかもしれません。なんかもう、いっそ台風でも来ればいいのに、と思わざるをえません。
今後ともよろしくお願いいたします。
……………………………………………………………………………
お読みいただきましたとおり、8月上旬の時点では、「いまや委員会から市長にたいして働きかけをおこなうべきときに来ている」と認識していたのですが、もはや「働きかけ」などは無効である、というのが現在の私の認識です。すでにこのブログに記しましたとおり、最近の名張市における暴政や言論の死は、市民に市政への「働きかけ」をあきらめさせてしまうほど、換言すれば、テロリズムに根拠を与えてしまいかねないほど、徹底したものになっていると思われます。さあ、どうしましょうか。
10月18日に予定されている名張まちなか再生委員会の説明会は、委員会のメンバーを対象にした催しとして設定されているはずですが、一般市民が傍聴することは可能だと思います。一般市民を閉め出してしまう理由は思い当たりません。ただしこの説明会、逃げ切りのためのセレモニー、といったものにしかならないと予想されます。名張市における暴政と言論の死をまのあたりにできる、ということ以外には、傍聴していただいてもさしたる意味はみつけられないのではないでしょうか。
今後ともよろしくお願いいたします。
無題
中先生 こんにちは
いつも楽しく拝見しています
中先生のおっしゃる事はいつも
ユーモアにとみ、面白く、最も
な事ばかりですが、「思いつき
をぶちあげて後は知らんぷりの
名張市」には少し引っかかりま
す。それは亀井市長の専売であ
って、名張市や名張市民ではな
いと思います。中には思いつき
イベントをまちづくりだと思い
込んでいる人々がいますが、
利権私欲にとらわれている小人
を除くとまだ愛すべき輩です。
見識も良識も知恵も知識もない
奥ゆかしさも人間的豊かさや厚
みもない愚人が市長をしている
うちは誤解も致し方ないでしょ
うが。
そういう事が最も暴露される再
生委員会の説明会は一般参加で
きますか。恥ずべき防災イベン
トの参加のあと一般市民も参集
すべきと思います。今後のご活
躍を祈念いたします
いつも楽しく拝見しています
中先生のおっしゃる事はいつも
ユーモアにとみ、面白く、最も
な事ばかりですが、「思いつき
をぶちあげて後は知らんぷりの
名張市」には少し引っかかりま
す。それは亀井市長の専売であ
って、名張市や名張市民ではな
いと思います。中には思いつき
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込んでいる人々がいますが、
利権私欲にとらわれている小人
を除くとまだ愛すべき輩です。
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奥ゆかしさも人間的豊かさや厚
みもない愚人が市長をしている
うちは誤解も致し方ないでしょ
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生委員会の説明会は一般参加で
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トの参加のあと一般市民も参集
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