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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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 のりピーまーだみつかんねーのかよ、と心から案じられる次第ではあるが、名張まちなか再生委員会の第五回理事会はいよいよあすに迫った。どうなるんだろうね、とこちらのほうも心から案じつつ、本日はややおもむきを変えて、徳島県の小西昌幸さんから頂戴したメールをごらんいただくことにする。
 
 小西昌幸さんは、このメールにもあるとおり、「文化施設で変なことを仕掛けているユニークな館長(?)」として全国的に知られているかたであるが、徳島市出身の作家、海野十三の顕彰活動を進める「海野十三の会」のメンバーでもいらっしゃる。この会は毎年、5月17日の海野十三忌の前後に講演会を開いたり、機関誌「JU通信」を発行したり、年会費二千円でそういった活動をつづけている。海野十三の没後六十年にあたる今年は、5月17日の日曜日、野村恒彦さんによる記念講演会が開かれた。徳島まで足を運んだところ、海野十三の会の会員は、講演会に先立って、徳島市中央公園内にある海野十三文学碑の前に集合し、文学碑の清掃に汗を流していた。たまに拓本をとってゆく人があるらしく、文学碑に残った油墨がなかなか落ちない、とか、最近ちょっと腰をやられちゃってさ、とか、あれこれ話しながらの作業が終わったあとは、文学碑への献花もおこなわれた。格式張ったことはなにもなく、派手めかしたところもまったくない催しではあったが、海野十三に対する敬愛の念がまぎれもなく感じられて、ま、こういうことがだいじなのだろうな、と思った。
 
 ひるがえって、名張市はどうよ、ということになると、これはもうひどいものである。敬愛の念? そんなものがどこにある。名張市にとって乱歩というのは、敬愛の対象なんかではまるでない。7月28日の乱歩の命日に、それにちなんでだれかなにかやったか? なーんにもなかったはずだぞ。かくいうおれだって、じつは乱歩の命日のことなどすっかり忘れ果てていた次第で、面目ないったらありゃしないのだが、名張市にとって乱歩とは、あくまでも自己顕示の素材にしか過ぎないのである。それならそれでまあいいのだけれど、乱歩のことなんかなにも知りません、作品を読んだこともありません、みたいなうすらばかばかりでは、自己顕示の素材にすることさえできんではないか。だからもうどうしようもないことになってしまって、市政とは縁もゆかりもない乱歩令息の平井隆太郎先生に市政功労者になっていただく、などといった信じられないようなことをしでかしてしまうわけなのである。なんかほんとにね、恥ずかしくってとても外に出せない、とはこのことか。怒る気にはなれず、あきれるのも通り越して、おれはもう、ただ泣きたい。
 
 さて、小西さんのメールである。内容は、ひとことでいえばまちなか再生事業にかんするご所見である。関係各位には耳の痛いところもあるかもしれぬが、だからこそ、名張市の外部から寄せられた貴重な意見として、じっくりお読みいただきたい。でまあ、おれがなにをいいたいのかというと、名張市民でなくたって、まちなか再生のことを気にかけてくれていた人はあったということなのである。どうして気にかけてくれたのかというと、名張が乱歩の生まれたまちだからである。ところが、とどのつまり、うすらばかが寄り集まって大騒ぎしたあげくがこのざまなんだから、名張市の外部からまちなか再生に期待をかけてくれていた人は、失望というか、失笑というか、いまやそんな状態なのである。まちなか再生事業関係者のだれひとりとして、こんなことにはかけらほどもお気づきではないであろうが、名張市ってのはもう、一部ではかなりの笑いものなのである。
 
 では、ごらんいただく。むろん転載のご了解はいただいてあるのだが、転載にあたって一箇所だけ手を加えた。「遠藤ミチロウやあがた森魚などは○万円前後の現金を」とあるところ、「○」はゼロではなくてマルである。つまり、原文にあった数字を伏せ字とした次第である。
 
   
中相作様
 
徳島の小西昌幸です。
毎日暑くて、おまけに不順な天候が続いております。
 
私にはもはや乱歩さんの生誕地碑の場所や、
どこかから寄付された土地(病院跡地?)のことなどがこんがらがって、
よく分からないのですが、
別に分からなくてもぜんぜん困らないのですが、
名張市が陥った袋小路は次のような構図だと推察いたします。
 
一.かつての市の中心部が寂れているので何とか活性化したい
一.幸い、ある場所が提供された
一.せっかくなので多くの市民に参加してもらって、
  意見と知恵を出し合ったらきっとよいものができるのではないか
 
そういうことでメンバーを集めてどんどん進めて
なにかをめざしてやろうとするのだが、
こういうものはよほど上手にやらないと絶対うまくゆかない。
 
その理由は次のとおり。 
各種文化団体や
団体代表者(商工会、青年会議所、PTA、などなど)をいくら集めても、
銘々は何かの委員に選ばれたことがうれしいので
よい結果を生むことが少ない。
メンバーはよい格好をして
それぞれが自分の得意分野をしゃべり、
しゃべりっぱなしになることが多い。
船頭さんがたくさんいて、
気が付いたら川を進むのではなく、
舟を担いで山を上っていたような結果を生みかねない。
 
大体各地の地域再生委員会はこういう袋小路に陥りやすい。
そもそも、地域再生の特効薬や妙案はないと思う。
徳島県の上勝町のような事例は本当にまれだ。
そしてそういう例は唯一のものなので、
まねをしても(二番煎じ三番煎じ)うまくゆかない。
 
一方近年の住民の自立心というか
自治への参加欲求のようなものは
どんどん高まりを見せているので、
住民参加でとてもよいアイデアを生んで
成功例として全国に名を轟かせてみたいという、
非常に底の浅い夢(幻想)を
自治体関係者はついみてしまいがちである。
 
やがて、会議を何年続けてもうまくゆかないことに
やっと気づいた事務局は(最初から気づいておけ)、
協議会をアリバイ工作の場(お墨付き機関)にしてしまおうと考える。
 
だが協議会メンバーもバカではないから、
そんならはじめから事務局サイドだけで、
理事者だけで何もかも決めてやってゆけばよいではないかと
事務局を突き上げる。
当然のことです。
 
少し大きな公民館施設を作って、
いくらそこに幻想と肥大した期待を込めて
コじゃれたネーミングにしたところで、
維持管理費がかさむだけになりかねない。
 
だったらはじめから背伸びせずに、
地域の集会所的なものをもうひとつ作ります、
管理は地元の老人会にお願いします、
ということでよかったのではないでしょうか。
 
乱歩に特化するのなら中さんの知恵を全面的に採用し、
その方向で名張市は突き進むべきであった。
しかし、もはやすべて手遅れである。
ああ、さようならさようなら。
 
以上のような感じなのではないかと
私は想像いたしました。
 
私は、
文化施設で変なことを仕掛けている
ユニークな館長(?)ということで
これまでにいくつか地域の何とか委員会に呼ばれて
いやいや参加したことがありますが、
じっと眺めてみてろくな物がありませんでした。
何年も議論を積み重ねて、
ボトムアップ方式で徳島県の西部地域に
文化の広域拠点を作ろうという作業は、
各地の県議会議員の暗躍で一瞬で消滅しました。
(俺の地元に作れという意見が出てにらみ合いがおこり、
ぽしゃった)
 
私の本音は、
誰か(たとえば自治体関係者)の強力なリーダーシップと、
誰か個人のよほど奇抜なアイデアが、
奇跡のように有機的に結びついたとき
はじめて、面白いこと(地域活性化)ができる【かもしれない】、
という考えです。
 
名張市は中さんの案にかけてみるべきだった。
だがそれは、市役所のうぬぼれた体質が災いし、
謙虚に耳を傾けることがなかったため(逆に中さんに非礼を積み重ねる結果となり)、
もはやどうにも立ち行かなくなってしまった。
 
結局その施設は喫茶店にするとか、
時々映画会をしたり、
フォークコンサートをするような施設でよいのではないでしょうか。
 
だけど、化石のような市役所が絡む限り、
自由なフォークコンサートなどは絶対出来ないでしょうなー。
遠藤ミチロウやあがた森魚などは〇万円前後の現金を用意できたら
十分演奏会ができるのですが、
手続き問題を言い始めたら結局それも出来ないことになるのではないでしょうか。
 
そうなると後は、
選挙のときの投票所とか、
碁会所とか、
集会所でもよいのでは?
 
ホントにホントにご苦労様です。
 
長々と失礼いたしました。
中さんの応援をしている立場から、愚考を書き連ねました。
お目汚し、お許しください。
お酒は飲み過ぎないように。
 
小西昌幸
 
 小西さんがお書きのとおり、「もはやすべて手遅れである」。そういうことである。というか、ほんとのところは、最初から手遅れだったのである。名張まちなか再生プランなどという脳内妄想を並べただけのプランをつくり、その素案を発表した時点で、じつは手遅れだったのである。おれだってお役所の内実というやつをまったく知らないわけではないんだから、手遅れだろうな、という察しはついていた。しかし、なにもしないわけにもいかんのよ。だから、素案に対してパブリックコメントを提出した。提出はしたものの、いくらおそまつなプランであるとはいえ、修正を加えるような真似はとてもできぬであろうな、とは思っておった。修正といったって、はんばなものではない。新町の細川邸を歴史資料館にする、というプランの目玉を根底から覆さなければならなくなる。そんな芸当が、つまり、策定したプランを頭から否定してしまうような芸当が、名張市にできるわけがないではないか。要するに、手遅れだったのである。いくらパブリックコメントを提出してみたところで、いっさいが徒労に終わることは最初から眼にみえていたのである。
 
 名張市民のだれひとりとして、そんなことにお気づきではないであろうが、これは千載一遇のチャンスであった。なんのチャンスか。乱歩が生まれた名張のまちに、乱歩にちなんだ施設整備を進めるチャンスであった。きょうびのことばでいえば、百年に一度の好機であった。空前絶後の好機であった。これまでにただの一度もこんなチャンスはなく、これを逃したら二度ともう、これほどのチャンスはめぐってこない。それほどのチャンスであった。百年に一度の好機、と呼べるだけの条件が、きれいにそろっていたのである。どんな条件か。
 
・乱歩が生まれた新町にある細川邸を公的施設として整備する話が出てきた。
・国土交通省のまちづくり交付金という予算的な裏付けが得られた。
・乱歩生誕地碑のある桝田医院第二病棟が寄付されるという僥倖がもたらされた。
・市立図書館が乱歩の目録をつくることで積みあげてきた蓄積がわずかずつながら全国的に知られるようになっていた。
・市立図書館には慶應義塾大学推理小説同好会OB会をはじめとした団体や個人などから寄贈されたミステリー関連図書が死蔵されていた。
 
 おれがパブリックコメントを提出した四年前、平成17・2005年3月15日の時点において、これだけの要素が手を携えて、ここでシュートを決めろといわんばかりに、名張市の前に転がっていたのである。乱歩を自己顕示に利用したくってうずうずしている名張市の前に、これだけの条件が転がっていたのである。ここでシュートすれば、だれが打ったって確実に決まる、という場面だったのである。だからおれは、打てよほら、ここでシュート打たなくてどうするよ、とパブリックコメントで指示を出してやったのである。で、われらが名張市、どうしたのか。なさけねーことに、思いっきりシュートミスしてやんの。そのまま打てば絶対に入る、というシーンで、思いっきりシュートミスしてやんの。あれはまったく、ありえないほどのミスであったな。ここが日本だからいいようなものの、南米だったら射殺されててもおかしくないくらいのシュートミスであった。いやほんと、思い出すだけでおれはもう、ただ泣きたい。
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