三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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ご苦労であった。やればできるではないか。なんのことか。名張市公式サイト「市長のまちかどトーク」のページにおいて、平成19・2007年度の1月25日、産業振興センターアスピア開催分と、平成20・2008年度の7月7日、すずらん台市民センター開催分、ふたつのトークの報告がまったくの同文になっていたので、おとといのエントリでそれを指摘しておいたところ、きのうのうちに修正されたようである。ごらんあれ。
名張市公式サイト:1月25日 名張まちづくりの会
名張市公式サイト:7月7日 すずらん台町づくり協議会
新たに掲載されたすずらん台町づくり協議会におけるトークの内容も、わからんといえばようわからん。たとえば、冒頭の意見とコメント。
「努力したいと考えています」などという紋切り型の回答で、なにかを説明したことになるのかな。交付金の原資となる基金がなくなってしまったら、それっきりあとはどうしようもない。そんな明々白々な事実を前にして、いったいなにをどう努力するというのか。まったくようわからん話ではないか。だいたいそれ以前に、地域づくり交付金が「地域のさまざまな課題の解決」とやらに役立っているのかどうか、それを検証することが必要だと思われる次第であるが、結局は原資が尽きたらそれっきり、なにもかもうやむやになってしまってあとは白波、みたいなことでまるく収まるのかな。なかなかよくできておるではないか。
それはそれとして、昨年7月7日のトークの内容として1月25日に催されたトークの報告が公表されていたのだから、いったいどうなっておるのかと首をかしげざるをえない点があったのも無理はない。去年の1月25日といえば、やなせ宿もミステリー文庫も、なにがどうなるのやらだれにも見当がつかなかったころのことである。なーにやってんだすっとこどっこい、というツッコミが名張まちなかにこだましていたころのことである。以来一年以上が経過した現在、やなせ宿は無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館としてまちなか運営協議会の手で運営が進められており、食堂化路線まっしぐら。いっぽうのミステリー文庫は影もなければ形もなく、きれいに雲散霧消してしまっている。なーにやってんだうすらとんかち、というツッコミももう聞こえなくなったほど、名張のまちはひっそりしておる。どーすんだよまったく。
しかし、それはまたそれとして、名張市役所のみなさんもやればできるのである。なにができるのか。理解、判断、実行、それができるのである。すなわち、当ブログのおとといのエントリを閲読し、書かれてあることを理解した。たんに理解しただけではだめであるが、その理解にもとづいて、サイトに修正を加えなければならないと判断した。で、その判断にもとづいて、休みが明けたきのうの月曜日、「市長のまちかどトーク」のページを本来あるべき姿に修正した。つまり、理解と判断と実行がすみやかに進められた、というわけである。やればちゃんとできるではないか。関係セクションの担当スタッフにたいし、ご苦労であった、迅速で適切な処置であった、と市長になりかわってここに述べておく。
そんなのはあたりまえの話ではないか、と人はいうかもしれぬ。だが、こんなあたりまえのことが、名張市という自治体にはできておらんのである。公式サイトにミスがあるとの指摘を受け、それをすみやかに訂する程度のことならいくらでもできるのであるが、ちょっとこみいった話になるとたちまちお手あげなのである。それはもう信じられぬくらいそうなのだぞ。名張市のやってることはなんか変である、と市民から指摘されても、聞く耳をもたんのである。馬の耳に念仏なのである。蛙のつらに小便なのである。理解できず、判断できず、実行できない。ただかたくなに、みずからの無策無能を隠し通そうとする。その結果、抜き差しならぬ事態にまで立ちいたってしまう。そんな事例がそこここに転がっておるではないか。
だからこそ、市民が動かんことには、もうどうしようもないのである。市民が行政のけつを叩いてやるしか道はないのである。思いっきり蹴りあげてやるから覚悟しとけよ、てなものなのであって、そのために、とっかかりとして、いっちょ乱歩のことを俎上に載せてやるか、というのが中先生のもくろみである。じつに前向きな話である。わかるか、おさなご。
おさなごよ
おさなごよ
何故躍る
市民の心がわかって
おそろしいのか
夢野久作で締めてみた。
名張市公式サイト:1月25日 名張まちづくりの会
名張市公式サイト:7月7日 すずらん台町づくり協議会
新たに掲載されたすずらん台町づくり協議会におけるトークの内容も、わからんといえばようわからん。たとえば、冒頭の意見とコメント。
【ご意見】
○地域づくり交付金の原資となっているのはなんですか。これが、底を突きかけていると聞きましたが、どうなんでしょうか。 【市長のコメント】 ○ふるさと創生基金が地域づくり交付金の原資となっています。 確かに、この基金もなくなってきていますが、地域のさまざまな課題の解決に向け地域の皆さんに取り組んでいただくためにも、使い道の決まった補助金という形ではなく、地域づくり交付金という形で続けていくように努力したいと考えています。 |
「努力したいと考えています」などという紋切り型の回答で、なにかを説明したことになるのかな。交付金の原資となる基金がなくなってしまったら、それっきりあとはどうしようもない。そんな明々白々な事実を前にして、いったいなにをどう努力するというのか。まったくようわからん話ではないか。だいたいそれ以前に、地域づくり交付金が「地域のさまざまな課題の解決」とやらに役立っているのかどうか、それを検証することが必要だと思われる次第であるが、結局は原資が尽きたらそれっきり、なにもかもうやむやになってしまってあとは白波、みたいなことでまるく収まるのかな。なかなかよくできておるではないか。
それはそれとして、昨年7月7日のトークの内容として1月25日に催されたトークの報告が公表されていたのだから、いったいどうなっておるのかと首をかしげざるをえない点があったのも無理はない。去年の1月25日といえば、やなせ宿もミステリー文庫も、なにがどうなるのやらだれにも見当がつかなかったころのことである。なーにやってんだすっとこどっこい、というツッコミが名張まちなかにこだましていたころのことである。以来一年以上が経過した現在、やなせ宿は無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館としてまちなか運営協議会の手で運営が進められており、食堂化路線まっしぐら。いっぽうのミステリー文庫は影もなければ形もなく、きれいに雲散霧消してしまっている。なーにやってんだうすらとんかち、というツッコミももう聞こえなくなったほど、名張のまちはひっそりしておる。どーすんだよまったく。
しかし、それはまたそれとして、名張市役所のみなさんもやればできるのである。なにができるのか。理解、判断、実行、それができるのである。すなわち、当ブログのおとといのエントリを閲読し、書かれてあることを理解した。たんに理解しただけではだめであるが、その理解にもとづいて、サイトに修正を加えなければならないと判断した。で、その判断にもとづいて、休みが明けたきのうの月曜日、「市長のまちかどトーク」のページを本来あるべき姿に修正した。つまり、理解と判断と実行がすみやかに進められた、というわけである。やればちゃんとできるではないか。関係セクションの担当スタッフにたいし、ご苦労であった、迅速で適切な処置であった、と市長になりかわってここに述べておく。
そんなのはあたりまえの話ではないか、と人はいうかもしれぬ。だが、こんなあたりまえのことが、名張市という自治体にはできておらんのである。公式サイトにミスがあるとの指摘を受け、それをすみやかに訂する程度のことならいくらでもできるのであるが、ちょっとこみいった話になるとたちまちお手あげなのである。それはもう信じられぬくらいそうなのだぞ。名張市のやってることはなんか変である、と市民から指摘されても、聞く耳をもたんのである。馬の耳に念仏なのである。蛙のつらに小便なのである。理解できず、判断できず、実行できない。ただかたくなに、みずからの無策無能を隠し通そうとする。その結果、抜き差しならぬ事態にまで立ちいたってしまう。そんな事例がそこここに転がっておるではないか。
だからこそ、市民が動かんことには、もうどうしようもないのである。市民が行政のけつを叩いてやるしか道はないのである。思いっきり蹴りあげてやるから覚悟しとけよ、てなものなのであって、そのために、とっかかりとして、いっちょ乱歩のことを俎上に載せてやるか、というのが中先生のもくろみである。じつに前向きな話である。わかるか、おさなご。
おさなごよ
おさなごよ
何故躍る
市民の心がわかって
おそろしいのか
夢野久作で締めてみた。
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