三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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きのうは好天に恵まれた。なぞがたりなばり講演会の関連イベント、まちなかミニツアーの案内役も、コートなしのセーター一枚で済ませることができた。ツアーを終えて、講演会場の名張市総合福祉センターふれあいに顔を出した。いあわせた名張市生活環境部のお嬢が、いいお天気でよかったですね、と声をかけてくれたので、はっはっは、それはもう案内役の心がけがいいからなのさ、とお決まりの返事を返したところ、きゃはは中さん、だーれもゆうてくれへんから、きゃはは、と笑われてしまった。図星である。自分でほめてやらないことには、だれも当方の心がけなどほめてくれんのである。
毎日新聞:なぞがたりなばり:「乱歩、常にそばに」 名張で作家・芦辺拓さん講演 /三重
まちなかミニツアーは午前10時、近鉄名張駅東口に集合。改札を出たところで、怪人二十面相に扮した名張市の若手職員が参加者を出迎えるという趣向であった。マイクロバスに乗りこみ、まず桜ヶ丘の市立図書館へ。一階の乱歩コーナーをそそくさと見学し、二階の視聴覚室で十分間あまり乱歩講座。ふたたびバスに乗車して、丸之内の名張藤堂家邸跡前で下車。そのあとは徒歩でまちなかを散策するという寸法である。中町のはなびし庵では、座敷にあがって影絵「乱歩誕生」を鑑賞。おなじく中町の山本松寿堂では、二銭銅貨煎餅がそこそこの売れゆき。本町の大和屋では、もなかの試食が好評であった。
そのあとは、いよいよ本町の江戸川乱歩生誕地碑広場へ。広場の整備作業が進められていたが、あやしげな神社のようなたたずまいになっていて、いささか驚いた。カメラを持参していなかったので、画像をご覧いただくことができないのだが、いずれ出直して撮影してくるつもりである。それにしても、どこのだれがあんな図面を引いたものか。いっそ生誕地碑の前に賽銭箱でも設置すればいいのではないか、と思われる眺めであった。
つづいて、新町のやなせ宿の前を通過。もちろん、一億円かけてわけのわからない施設を整備してしまった、ということは声を大にして説明しておいた。無駄に立派な公衆便所をぜひご利用いただきたい、と力説してみたところ、勇気ある男性参加者が突入してくれることになったのだが、便所の前の格子戸に鍵がかかっている。すぐそこにみえている便所に、すんなり入ることができない。なんのための公衆便所か。焦ってるやつならちびってしまうぞ。しかたないからやなせ宿の入口から入ってもらったのだが、あの狭く小さい入口が、この内部にはいったいなにがあるのかという疑問を抱かせるらしく、ほかの参加者も身をかがめるようにしてやなせ宿に入ってゆく。きのうのやなせ宿入場者数、大きく跳ねあがったはずである。
昼食は鍜冶町の清風亭でうな重。一部、中町のかみ六にまわった参加者もあった。当方は清風亭派で、二階の座敷に怪人二十面相もふくめ十二人が陣取った。参加者にお訊きしてみると、みなさんきのうのうちにお帰りとのことであった。遠いところでは東京や埼玉からもおみえだったので、もしも名張に一泊されるのであれば、お酒のお相手はいくらでも務めます、と熱弁をふるったのであるが、残念至極なことであった。
ちなみに、清風亭のうな重と肝吸い、ひとり千百円という料金だったのだが、市民の税金で支払ってくれることになっていた。もとより自腹を切るつもりだったのだが、そういうことならと気が大きくなって、そしたらビールもつけてくれ、と市職員に依頼したところ、そッ、そんなことはできません、とのことであった。さすがあぼーん目前の名張市、じつに細かい。ともあれ、名張市民のみなさんには、ごちになってありがとう、と心からお礼を申しあげる次第である。
講演会は、午後1時30分開演。芦辺拓さんが「〈乱歩〉を生きた男──戦略的な、あまりに戦略的な」と題しておはなしになった。今年で十八回目を迎える名張市主催のミステリ講演会の歴史のなかで、最初から最後まで一貫して乱歩のことが語られたのは、今回が初めてではないか。馳星周さんの講演はサッカーの話題がメインであったし、戸川昌子さんの場合は子育ての話にシャンソン二曲つきであったと記憶する。
芦辺さんの講演は熱のこもったもので、タイトルどおり、タクティシャンとしての側面を浮かびあがらせることで新しい乱歩像を提示した。とはいえ、芦辺さん、相当しゃべりにくかったであろうな、とも思われる。なにしろ、乱歩の孫でいらっしゃる平井憲太郎さんが東京から駆けつけてくださって、最前列で講演をお聴きだったからである。じつは先日、当方が日本推理作家協会の土曜サロンでしゃべったときも、憲太郎さんがわざわざおいでくださって、むろんそれはとても嬉しく光栄なことであったのだが、憲太郎さんの前で憲太郎さんのおじいさんのことを乱歩乱歩と呼び捨てにするのは、やはりじつに心苦しいことであった。
芦辺さんの講演内容は、もしかしたら名張市のオフィシャルサイトに掲載されることになるかもしれない。そうなったら、じっくりお読みいただきたい。ちなみに、光文社文庫版の江戸川乱歩全集第二十二巻『ぺてん師と空気男』の巻末エッセイは芦辺さんのご担当で、タイトルは今回の講演とおなじ「〈乱歩〉を生きた男──戦略的な、あまりに戦略的な」である。えへん。当方の名前も出していただいてあるので、一部を引用しておく。えへんえへん。「何と後世のアカデミズムや評論家の諸氏は、いともやすやすと乱歩の残した言葉に乗せられ、信じ込んでしまっていることでしょうか!」という文章につづいて──
『子不語の夢』は三重県民の、『江戸川乱歩リファレンスブック』は名張市民の税金で出版したものであるが、じつに有意義な税金のつかいみちであったとあらためて思い返される。名張市もこの路線で行ってれば乱歩の生誕地として胸を張ることができたのであるが、最近はばかなことばっかやっておって、乱歩都市交流会議とかいう愚劣な思いつきのあとは、あやしげな神社のような乱歩生誕地碑広場の登場となる。ばかか実際、みたいなことはどうでもいいのだが、芦辺さんの乱歩像に興味がおありのかたは、とりあえずこの巻末エッセイに眼を通されたい。気になるお値段は本体千と四十八
円。むろん、芦辺さんのエッセイだけ立ち読みするという手もある。
毎日新聞:なぞがたりなばり:「乱歩、常にそばに」 名張で作家・芦辺拓さん講演 /三重
まちなかミニツアーは午前10時、近鉄名張駅東口に集合。改札を出たところで、怪人二十面相に扮した名張市の若手職員が参加者を出迎えるという趣向であった。マイクロバスに乗りこみ、まず桜ヶ丘の市立図書館へ。一階の乱歩コーナーをそそくさと見学し、二階の視聴覚室で十分間あまり乱歩講座。ふたたびバスに乗車して、丸之内の名張藤堂家邸跡前で下車。そのあとは徒歩でまちなかを散策するという寸法である。中町のはなびし庵では、座敷にあがって影絵「乱歩誕生」を鑑賞。おなじく中町の山本松寿堂では、二銭銅貨煎餅がそこそこの売れゆき。本町の大和屋では、もなかの試食が好評であった。
そのあとは、いよいよ本町の江戸川乱歩生誕地碑広場へ。広場の整備作業が進められていたが、あやしげな神社のようなたたずまいになっていて、いささか驚いた。カメラを持参していなかったので、画像をご覧いただくことができないのだが、いずれ出直して撮影してくるつもりである。それにしても、どこのだれがあんな図面を引いたものか。いっそ生誕地碑の前に賽銭箱でも設置すればいいのではないか、と思われる眺めであった。
つづいて、新町のやなせ宿の前を通過。もちろん、一億円かけてわけのわからない施設を整備してしまった、ということは声を大にして説明しておいた。無駄に立派な公衆便所をぜひご利用いただきたい、と力説してみたところ、勇気ある男性参加者が突入してくれることになったのだが、便所の前の格子戸に鍵がかかっている。すぐそこにみえている便所に、すんなり入ることができない。なんのための公衆便所か。焦ってるやつならちびってしまうぞ。しかたないからやなせ宿の入口から入ってもらったのだが、あの狭く小さい入口が、この内部にはいったいなにがあるのかという疑問を抱かせるらしく、ほかの参加者も身をかがめるようにしてやなせ宿に入ってゆく。きのうのやなせ宿入場者数、大きく跳ねあがったはずである。
昼食は鍜冶町の清風亭でうな重。一部、中町のかみ六にまわった参加者もあった。当方は清風亭派で、二階の座敷に怪人二十面相もふくめ十二人が陣取った。参加者にお訊きしてみると、みなさんきのうのうちにお帰りとのことであった。遠いところでは東京や埼玉からもおみえだったので、もしも名張に一泊されるのであれば、お酒のお相手はいくらでも務めます、と熱弁をふるったのであるが、残念至極なことであった。
ちなみに、清風亭のうな重と肝吸い、ひとり千百円という料金だったのだが、市民の税金で支払ってくれることになっていた。もとより自腹を切るつもりだったのだが、そういうことならと気が大きくなって、そしたらビールもつけてくれ、と市職員に依頼したところ、そッ、そんなことはできません、とのことであった。さすがあぼーん目前の名張市、じつに細かい。ともあれ、名張市民のみなさんには、ごちになってありがとう、と心からお礼を申しあげる次第である。
講演会は、午後1時30分開演。芦辺拓さんが「〈乱歩〉を生きた男──戦略的な、あまりに戦略的な」と題しておはなしになった。今年で十八回目を迎える名張市主催のミステリ講演会の歴史のなかで、最初から最後まで一貫して乱歩のことが語られたのは、今回が初めてではないか。馳星周さんの講演はサッカーの話題がメインであったし、戸川昌子さんの場合は子育ての話にシャンソン二曲つきであったと記憶する。
芦辺さんの講演は熱のこもったもので、タイトルどおり、タクティシャンとしての側面を浮かびあがらせることで新しい乱歩像を提示した。とはいえ、芦辺さん、相当しゃべりにくかったであろうな、とも思われる。なにしろ、乱歩の孫でいらっしゃる平井憲太郎さんが東京から駆けつけてくださって、最前列で講演をお聴きだったからである。じつは先日、当方が日本推理作家協会の土曜サロンでしゃべったときも、憲太郎さんがわざわざおいでくださって、むろんそれはとても嬉しく光栄なことであったのだが、憲太郎さんの前で憲太郎さんのおじいさんのことを乱歩乱歩と呼び捨てにするのは、やはりじつに心苦しいことであった。
芦辺さんの講演内容は、もしかしたら名張市のオフィシャルサイトに掲載されることになるかもしれない。そうなったら、じっくりお読みいただきたい。ちなみに、光文社文庫版の江戸川乱歩全集第二十二巻『ぺてん師と空気男』の巻末エッセイは芦辺さんのご担当で、タイトルは今回の講演とおなじ「〈乱歩〉を生きた男──戦略的な、あまりに戦略的な」である。えへん。当方の名前も出していただいてあるので、一部を引用しておく。えへんえへん。「何と後世のアカデミズムや評論家の諸氏は、いともやすやすと乱歩の残した言葉に乗せられ、信じ込んでしまっていることでしょうか!」という文章につづいて──
□たとえば、初期作品以外は「生きるとは妥協すること」の産物で、そこでの名声を「虚名」だと言えばハイハイハイ、「魔術師」における時計塔の首切りシーンが「ポーの短篇の着想を通俗化したもの」とあれば具体的な作品名を確かめもしなかったり(最近、乱歩ファン諸氏のご協力と藤原義也氏の指摘により、偽文「ある苦境」と判明しました)と、あっさり撒き餌に飛びつき、検証もせずに彼の意のままとしか思えない〈乱歩〉像を描いて怪しまない先生方。彼らは乱歩に関して生じた私の疑問や疑惑に、何一つ答えてくれませんでした。
□近年そうした不満は、右の『子不語の夢』や中相作氏編纂の『江戸川乱歩リファレンスブック』によって解消されつつありますが、それとは別に、乱歩の作品だけでなく彼の作家人生をたどるうち、私の中で見えてきた人物像がありました。それは、探偵小説を愛し、全身全霊をそれに捧げ、同時に空恐ろしいほど生涯を戦略的に生き貫き、〈乱歩〉という名のもとで生涯の七分の四を生きた男の稀有な姿でした。それも、しばしば戦略的でありすぎるほどに……。 |
『子不語の夢』は三重県民の、『江戸川乱歩リファレンスブック』は名張市民の税金で出版したものであるが、じつに有意義な税金のつかいみちであったとあらためて思い返される。名張市もこの路線で行ってれば乱歩の生誕地として胸を張ることができたのであるが、最近はばかなことばっかやっておって、乱歩都市交流会議とかいう愚劣な思いつきのあとは、あやしげな神社のような乱歩生誕地碑広場の登場となる。ばかか実際、みたいなことはどうでもいいのだが、芦辺さんの乱歩像に興味がおありのかたは、とりあえずこの巻末エッセイに眼を通されたい。気になるお値段は本体千と四十八
円。むろん、芦辺さんのエッセイだけ立ち読みするという手もある。
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