三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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会う人ごとにいちいち説明するのが面倒になってきたので、そうした負担の軽減につながるかと考え、ここにいささかを記しておく。ごくドメスティックな話題である。
11月7日、母が死去した。午後2時30分、入院先の病院でのことである。八十八歳であった。
おととしの夏、暑さのせいで体調を崩して入院し、退院したあとも介護老人保健施設と病院とを往復して、二年あまりが過ぎていた。すでに清明な意識はなく、いつ行っても、病院のベッドでただ眠っているばかりであった。とくにどこが悪いということはなく、肺炎の症状が出たり改善されたり、といった状態がつづいていた。
9月30日、入院先の病院から電話があった。相談があるという。行って、医師から、ものを食べたり飲んだりすることができなくなった、いまは点滴で生命をつないでいるが、いずれ点滴もできない状態になる、との説明があり、そのあとの栄養補給はどうするか、と質問された。結局、過剰な延命措置は望まない、ということに決め、10月1日、その旨を記した書類に署名捺印して提出した。点滴が入らなくなれば、生命が終わりを迎える。そういう終末を選択した。
だからといって、すぐに終わりが来るわけではない。近い将来であるという覚悟はできても、むろん予測などつくものではない。10月1日の時点では、10月26日にさる短歌会で講師を務めることが決まっていて、これは会場が伊賀市だし、万一の場合には日程を先送りしてもらうことも可能とのことだったので、あまり心配はしていなかったのだが、11月15日には、東京にある日本推理作家協会の書記局で話をする予定が入っていた。これは、はずすことができない。じつに悩ましく日々を過ごさなければならなかった。
だから、ちょうどうまいぐあいに、などと記すのは不謹慎なことであるが、死んでくれたものだと思う。11月7日に死去し、翌8日の土曜日が通夜、9日が葬儀で、10日には初七日を済ませた。親族と近隣に知らせただけで、葬儀はごく簡素なものにした。たまたま9日が休刊日だったこともあって、日刊紙地方版の訃報欄に掲載されたのは、たしか11日のことであった。
母には妹がふたりいて、7日に連絡すると、ひとりはひ孫のお宮参りで奈良県にいた。奈良で一泊する予定だったところを、夜遅くわざわざ帰ってきてくれた。もうひとりの妹は、夫、つまり当方の叔父にあたるわけだが、その叔父から一枚の短冊をことづかってきてくれた。短冊には、叔父の筆で、母の俳句が記されていた。母が詠んだ俳句のなかで、叔父がいちばん好きな句だという。
母はいまの土地に住んで、近隣の高齢者がやっている句会に加えてもらった。俳句などまったく未知の世界だったはずだが、それなりに句作を楽しんでいたようである。叔父が短冊に書いてくれたのは、当方にとっては初見のものであったが、なかなかいい句だと思われたので、9日の葬儀が終わる間際、喪主挨拶のなかで披露しておいた。こんな句である。
恙なき夕餉の祈り蜆汁
(つつがなきゆうげのいのりしじみじる)
喪に服す、というような殊勝な心がけなどさらさらなく、母の死がえらくショックである、といったようなこともまるでない。いまの時点では、長くひきつづいていた悩ましい問題にひとまずピリオドが打たれ、そのことで安堵している、というのが正直なところである。アドバンスコープからやなせ宿についてしゃべってくれという要請があれば、それはもう二時間でも三時間でも四時間でも五時間でも、喪中もくそも関係なく、というか、こうなりゃ弔い合戦じゃねーか、上等である、官民双方のうすらばかにかんして悪口雑言罵詈讒謗のかぎりを尽くしてやる用意はいくらだってあるのだが、残念ながらそんな要請があるわけはないのである。
母親のあぼーんにかんする話はここまでとするが、あぼーんといえば、名張市あぼーんの日程がそろそろみえてきたらしい。きのう開かれた市議会全員協議会において、平成23・2011年度決算の時点で早期健全化団体に転落する可能性が高いことが明らかにされたという。けさの日刊紙地方版でいっせいに報じられているが、現時点ではウェブニュースは掲載されていない。YOUの記事をリンクしておく。
YOU:5年以内の黒字化目指す 中期財政見通しを公表 名張市
だからまあ、どこの大学教授であれ馬の骨であれ、こんな時期に名張市長になどなるものではないというのである。市長選挙に出馬するなどと口走ってる時点で、あ、名張市の現状をなにも理解していない人間なのだな、ということがまるわかりなのである。それにしても、名張市の財政もいよいよあぼーんか。あぼーん、ということばもいまや死語なのかもしれぬが、ともあれ、うたた感慨を禁じえない。
さて、あす11月22日は、いずれ名張市のあぼーんにともなってピリオドが打たれることになるはずのなぞがたりなばり講演会、その第十八回が催される日である。どうせピリオドということになるのなら、今年の芦辺拓さんの講演会でおしまいにしてしまえば、有終の美が飾れるものと思われるのであるが、そうも行かんのであろうな。というのも、なぜか名張市役所のみなさんには、財政難にかんする危機意識というやつがうかがえない。少なくとも一般市民の眼には、そうとしかみえない。職員が危機意識なんかもったってどうにもならない、という心理もあるのかもしれぬが、とにかくそういった印象である。
要するに、市職員のみなさんにとっては、すべてが他人ごとなのである、といったことなのであろう。したがって、みずからの利害得失に直接かかわることであれば、つまりたとえば退職金なんかのことにかんしては、市役所のみなさんはそれはもうたいへんな危機感を抱いていらっしゃることであろう。しかし、われら名張市民はじつに大きくてとても広い心をもって、わざわざ起債までして、つまり借金してまで市職員のみなさんに退職金をお受け取りいただいているのである。借金の返済は子や孫の代のことになるのかもしれぬが、市や市民の将来のことだって、市役所のみなさんにはしょせん他人ごとなのではないか。
いやいや、話が横道にそれてしまったが、根っこの話は共通していて、名張市役所のみなさんはもうちょっと身を入れて仕事をしてはどうか、ということである。自分の頭をつかい、手足を動かし、汗を流してはどうか。いつまでも人のふんどしで相撲とってんじゃねーぞうすらとんかち、という話なのである。あす22日の午前中、なぞがたりなばりのイベントとしてまちなかミニツアーが催される。名張市の担当セクションから、ツアーの案内役を依頼されている。むろん、やぶさかではない。
やぶさかではないのだが、それくらいのことは市職員でもできるはずである。ごく簡単なことである。市職員が無理でも、なぞがたりなばりの共催団体である乱歩蔵びらきの会には可能であろう。名張のまちを乱歩がらみで案内することもできなくて、いったいなんのための共催団体か。なんのために乱歩という冠を掲げておるのか。まったくわけがわからぬ。
問題はまだある。名張市長との面談が実現しておらぬということである。名張市公式サイト「市長への手紙」を利用したやりとりで、市長からじきじきに「今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします」との依頼を頂戴したから、そのための場を要請している。しかし、うんともすんとも返答がない。ならば、市長は当方の協力を拒否していらっしゃる、と判断せざるをえない。市長から協力を拒否されている市民が、名張市主催のまちなかミニツアーで案内役を務めるわけにはいかんのではないか。
なにしろこちとら、本気である。本気で怒っているのである。名張市は乱歩をどうする気? というテーマを、市長に本気で問い質したいと考えているのである。そう考えているところへ、乱歩都市交流会議などというたわけたニュースが飛びこんできて、いよいよ腹を立てているところである。腰がくだけそうになりながら激怒しているところである。カテゴリ名のとおり人間豹刺止鉤爪、にんげんひょうとどめのかぎづめをスイッチオンするべきところなのかもしれないけれど、まだそこまでは逆上していない。
そういった次第であるから、当然の結果として、まちなかミニツアーの案内役を引き受けるわけにはまいらぬ。いつまでも当方をあてになんかしていないで、市職員がみずからのスキルアップを図る場、あるいは、乱歩の名を冠した市民団体がその存在意義を示す場とするべきなのであるし、そもそも、市長からNOをつきつけられている人間が、まさかそんな嬉々としてたりらりらーんと行政の手駒を務めるわけにはまいらぬではないか。
とはいえ、まあ、なぞがたりなばり担当セクションの苦衷が理解できぬということもない。こうみえて当方、名張市職員のみなさんの苦衷というやつは、結構理解できているつもりでいるのだが、それはともかく、当方が出張らねば、話がはじまらぬであろう。話がおさまらぬのであろう。それにそもそも、市職員の苦衷はどうでもいいとしても、まともな案内ができないとなれば、まちなかミニツアーの参加者に、とくに遠方から参加してくださる人たちに、はなはだしく礼を失してしまうことになる。それはもちろん、当方の本意ではない。
だから、結局、節を屈して、筋の通った話ではまったくないゆえお恥ずかしいかぎりなのであるが、あす22日のまちなかミニツアー、たりらりらーんと案内役に立つこととした。なんかもう、ばかみたいな話である。
11月7日、母が死去した。午後2時30分、入院先の病院でのことである。八十八歳であった。
おととしの夏、暑さのせいで体調を崩して入院し、退院したあとも介護老人保健施設と病院とを往復して、二年あまりが過ぎていた。すでに清明な意識はなく、いつ行っても、病院のベッドでただ眠っているばかりであった。とくにどこが悪いということはなく、肺炎の症状が出たり改善されたり、といった状態がつづいていた。
9月30日、入院先の病院から電話があった。相談があるという。行って、医師から、ものを食べたり飲んだりすることができなくなった、いまは点滴で生命をつないでいるが、いずれ点滴もできない状態になる、との説明があり、そのあとの栄養補給はどうするか、と質問された。結局、過剰な延命措置は望まない、ということに決め、10月1日、その旨を記した書類に署名捺印して提出した。点滴が入らなくなれば、生命が終わりを迎える。そういう終末を選択した。
だからといって、すぐに終わりが来るわけではない。近い将来であるという覚悟はできても、むろん予測などつくものではない。10月1日の時点では、10月26日にさる短歌会で講師を務めることが決まっていて、これは会場が伊賀市だし、万一の場合には日程を先送りしてもらうことも可能とのことだったので、あまり心配はしていなかったのだが、11月15日には、東京にある日本推理作家協会の書記局で話をする予定が入っていた。これは、はずすことができない。じつに悩ましく日々を過ごさなければならなかった。
だから、ちょうどうまいぐあいに、などと記すのは不謹慎なことであるが、死んでくれたものだと思う。11月7日に死去し、翌8日の土曜日が通夜、9日が葬儀で、10日には初七日を済ませた。親族と近隣に知らせただけで、葬儀はごく簡素なものにした。たまたま9日が休刊日だったこともあって、日刊紙地方版の訃報欄に掲載されたのは、たしか11日のことであった。
母には妹がふたりいて、7日に連絡すると、ひとりはひ孫のお宮参りで奈良県にいた。奈良で一泊する予定だったところを、夜遅くわざわざ帰ってきてくれた。もうひとりの妹は、夫、つまり当方の叔父にあたるわけだが、その叔父から一枚の短冊をことづかってきてくれた。短冊には、叔父の筆で、母の俳句が記されていた。母が詠んだ俳句のなかで、叔父がいちばん好きな句だという。
母はいまの土地に住んで、近隣の高齢者がやっている句会に加えてもらった。俳句などまったく未知の世界だったはずだが、それなりに句作を楽しんでいたようである。叔父が短冊に書いてくれたのは、当方にとっては初見のものであったが、なかなかいい句だと思われたので、9日の葬儀が終わる間際、喪主挨拶のなかで披露しておいた。こんな句である。
恙なき夕餉の祈り蜆汁
(つつがなきゆうげのいのりしじみじる)
喪に服す、というような殊勝な心がけなどさらさらなく、母の死がえらくショックである、といったようなこともまるでない。いまの時点では、長くひきつづいていた悩ましい問題にひとまずピリオドが打たれ、そのことで安堵している、というのが正直なところである。アドバンスコープからやなせ宿についてしゃべってくれという要請があれば、それはもう二時間でも三時間でも四時間でも五時間でも、喪中もくそも関係なく、というか、こうなりゃ弔い合戦じゃねーか、上等である、官民双方のうすらばかにかんして悪口雑言罵詈讒謗のかぎりを尽くしてやる用意はいくらだってあるのだが、残念ながらそんな要請があるわけはないのである。
母親のあぼーんにかんする話はここまでとするが、あぼーんといえば、名張市あぼーんの日程がそろそろみえてきたらしい。きのう開かれた市議会全員協議会において、平成23・2011年度決算の時点で早期健全化団体に転落する可能性が高いことが明らかにされたという。けさの日刊紙地方版でいっせいに報じられているが、現時点ではウェブニュースは掲載されていない。YOUの記事をリンクしておく。
YOU:5年以内の黒字化目指す 中期財政見通しを公表 名張市
だからまあ、どこの大学教授であれ馬の骨であれ、こんな時期に名張市長になどなるものではないというのである。市長選挙に出馬するなどと口走ってる時点で、あ、名張市の現状をなにも理解していない人間なのだな、ということがまるわかりなのである。それにしても、名張市の財政もいよいよあぼーんか。あぼーん、ということばもいまや死語なのかもしれぬが、ともあれ、うたた感慨を禁じえない。
さて、あす11月22日は、いずれ名張市のあぼーんにともなってピリオドが打たれることになるはずのなぞがたりなばり講演会、その第十八回が催される日である。どうせピリオドということになるのなら、今年の芦辺拓さんの講演会でおしまいにしてしまえば、有終の美が飾れるものと思われるのであるが、そうも行かんのであろうな。というのも、なぜか名張市役所のみなさんには、財政難にかんする危機意識というやつがうかがえない。少なくとも一般市民の眼には、そうとしかみえない。職員が危機意識なんかもったってどうにもならない、という心理もあるのかもしれぬが、とにかくそういった印象である。
要するに、市職員のみなさんにとっては、すべてが他人ごとなのである、といったことなのであろう。したがって、みずからの利害得失に直接かかわることであれば、つまりたとえば退職金なんかのことにかんしては、市役所のみなさんはそれはもうたいへんな危機感を抱いていらっしゃることであろう。しかし、われら名張市民はじつに大きくてとても広い心をもって、わざわざ起債までして、つまり借金してまで市職員のみなさんに退職金をお受け取りいただいているのである。借金の返済は子や孫の代のことになるのかもしれぬが、市や市民の将来のことだって、市役所のみなさんにはしょせん他人ごとなのではないか。
いやいや、話が横道にそれてしまったが、根っこの話は共通していて、名張市役所のみなさんはもうちょっと身を入れて仕事をしてはどうか、ということである。自分の頭をつかい、手足を動かし、汗を流してはどうか。いつまでも人のふんどしで相撲とってんじゃねーぞうすらとんかち、という話なのである。あす22日の午前中、なぞがたりなばりのイベントとしてまちなかミニツアーが催される。名張市の担当セクションから、ツアーの案内役を依頼されている。むろん、やぶさかではない。
やぶさかではないのだが、それくらいのことは市職員でもできるはずである。ごく簡単なことである。市職員が無理でも、なぞがたりなばりの共催団体である乱歩蔵びらきの会には可能であろう。名張のまちを乱歩がらみで案内することもできなくて、いったいなんのための共催団体か。なんのために乱歩という冠を掲げておるのか。まったくわけがわからぬ。
問題はまだある。名張市長との面談が実現しておらぬということである。名張市公式サイト「市長への手紙」を利用したやりとりで、市長からじきじきに「今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします」との依頼を頂戴したから、そのための場を要請している。しかし、うんともすんとも返答がない。ならば、市長は当方の協力を拒否していらっしゃる、と判断せざるをえない。市長から協力を拒否されている市民が、名張市主催のまちなかミニツアーで案内役を務めるわけにはいかんのではないか。
なにしろこちとら、本気である。本気で怒っているのである。名張市は乱歩をどうする気? というテーマを、市長に本気で問い質したいと考えているのである。そう考えているところへ、乱歩都市交流会議などというたわけたニュースが飛びこんできて、いよいよ腹を立てているところである。腰がくだけそうになりながら激怒しているところである。カテゴリ名のとおり人間豹刺止鉤爪、にんげんひょうとどめのかぎづめをスイッチオンするべきところなのかもしれないけれど、まだそこまでは逆上していない。
そういった次第であるから、当然の結果として、まちなかミニツアーの案内役を引き受けるわけにはまいらぬ。いつまでも当方をあてになんかしていないで、市職員がみずからのスキルアップを図る場、あるいは、乱歩の名を冠した市民団体がその存在意義を示す場とするべきなのであるし、そもそも、市長からNOをつきつけられている人間が、まさかそんな嬉々としてたりらりらーんと行政の手駒を務めるわけにはまいらぬではないか。
とはいえ、まあ、なぞがたりなばり担当セクションの苦衷が理解できぬということもない。こうみえて当方、名張市職員のみなさんの苦衷というやつは、結構理解できているつもりでいるのだが、それはともかく、当方が出張らねば、話がはじまらぬであろう。話がおさまらぬのであろう。それにそもそも、市職員の苦衷はどうでもいいとしても、まともな案内ができないとなれば、まちなかミニツアーの参加者に、とくに遠方から参加してくださる人たちに、はなはだしく礼を失してしまうことになる。それはもちろん、当方の本意ではない。
だから、結局、節を屈して、筋の通った話ではまったくないゆえお恥ずかしいかぎりなのであるが、あす22日のまちなかミニツアー、たりらりらーんと案内役に立つこととした。なんかもう、ばかみたいな話である。
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たぶん番じゃ屋敷で盛りあがる件についてひとこと
●永遠のJガール様
ご投稿ありがとうございます。
まあ、あれはあれで大往生と呼べる臨終であったと思います。というようなこともあって、つらいという実感はほとんどないのですが、それはもう、名張市ってのはどうしてここまですっとこどっこいでうすらとんかちなのであろうかと、そっちのほうが市民としてよほどつらい感じなのですが、この二週間あまり、日々がめまぐるしく過ぎ去ってしまいましたので、自分の感情にちゃんと向き合うことができていない、ということもあるのかもしれません。
乱歩歌舞伎の再演は喜ばしいことで、当然のことだとも思います。歌舞伎入門にもうってつけでしょう。今年の江戸川乱歩大賞は、岩波文庫の『江戸川乱歩短篇集』を押しのけて「江戸宵闇妖鉤爪」ということになりそうです。来月20日公開の映画「K-20」も有力候補で、もしかしたら最後に大波乱が待っているのかもしれませんが、現時点では乱歩歌舞伎が最有力候補です。ちなみに、江戸川乱歩賞というのはありますが、江戸川乱歩大賞なんてのはありません。私が勝手に妄想しているだけの話です。
さて、そろそろ財政があぼーんしてしまうらしいすっとこどっこいでうすらとんかちでいかれぽんちであっちょんぷりけな名張市にわざわざおいでくださいます由、捨てる神あれば拾う神ありとはこのことかと喜んでおります。関西方面からなぞがたりなばり講演会にご参加いただいたみなさんには、ここ何年か、会場の名張市武道交流館いきいきから近鉄名張駅までシャトルバスで移動し、居酒屋中むら西口店で湯豆腐系安酒宴会をお楽しみいただいているのですが、今年は会場が名張市総合福祉センターふれあいとなっておりますので、たぶん番じゃ屋敷で宴会ということになると思います。名張市の内部機密をばらしてしまいますと、今夕、なぞがたりなばりの講師先生を囲む伊賀牛系宴会というのが企画されていて、私はそちらに乗りこんでいいだけ酔っぱらってもいいということになっているのですが、関西方面をはじめ遠方からお運びいただいたお客さんにつれない真似はできませんので、やっぱ番じゃ屋敷で盛りあがりたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
ご投稿ありがとうございます。
まあ、あれはあれで大往生と呼べる臨終であったと思います。というようなこともあって、つらいという実感はほとんどないのですが、それはもう、名張市ってのはどうしてここまですっとこどっこいでうすらとんかちなのであろうかと、そっちのほうが市民としてよほどつらい感じなのですが、この二週間あまり、日々がめまぐるしく過ぎ去ってしまいましたので、自分の感情にちゃんと向き合うことができていない、ということもあるのかもしれません。
乱歩歌舞伎の再演は喜ばしいことで、当然のことだとも思います。歌舞伎入門にもうってつけでしょう。今年の江戸川乱歩大賞は、岩波文庫の『江戸川乱歩短篇集』を押しのけて「江戸宵闇妖鉤爪」ということになりそうです。来月20日公開の映画「K-20」も有力候補で、もしかしたら最後に大波乱が待っているのかもしれませんが、現時点では乱歩歌舞伎が最有力候補です。ちなみに、江戸川乱歩賞というのはありますが、江戸川乱歩大賞なんてのはありません。私が勝手に妄想しているだけの話です。
さて、そろそろ財政があぼーんしてしまうらしいすっとこどっこいでうすらとんかちでいかれぽんちであっちょんぷりけな名張市にわざわざおいでくださいます由、捨てる神あれば拾う神ありとはこのことかと喜んでおります。関西方面からなぞがたりなばり講演会にご参加いただいたみなさんには、ここ何年か、会場の名張市武道交流館いきいきから近鉄名張駅までシャトルバスで移動し、居酒屋中むら西口店で湯豆腐系安酒宴会をお楽しみいただいているのですが、今年は会場が名張市総合福祉センターふれあいとなっておりますので、たぶん番じゃ屋敷で宴会ということになると思います。名張市の内部機密をばらしてしまいますと、今夕、なぞがたりなばりの講師先生を囲む伊賀牛系宴会というのが企画されていて、私はそちらに乗りこんでいいだけ酔っぱらってもいいということになっているのですが、関西方面をはじめ遠方からお運びいただいたお客さんにつれない真似はできませんので、やっぱ番じゃ屋敷で盛りあがりたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。