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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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地域の名門、三重県立名張高等学校のマスコミ論の授業を、伊賀タウン情報「YOU」に取材していただいた。掲載は10月13日発行の10月前半号(469号)。きょうは12日だが、名張市内をはじめとした配布地域には、もう出回っているものと思う。

編集部にお願いして、紙面のPDFファイルを送ってもらい、ブログに掲載することの許可も頂戴したので、取材から何からおんぶにだっこ、JPG画像にしてアップロードする。本文も、なんとか判読可能であろう。
20071012a.jpg
名張まちなかの再生というのは、たとえばこういうことであると知れ。こういう試みが不可欠であると知れ。

名張まちなかへの理解と愛着のうえに立つことが、名張まちなか再生プランの策定では、何よりも求められたはずである。しかし、そんなものはまったくなかった。行政の点数稼ぎと民間の私利私欲、それがあったばかりなのである。

名張まちなかの再生というお題目をかかげて、実際のところ、何がおこなわれたのか。わけのわからんNPOによる細川邸の私物化である。理解も愛着も、そんなものは最初から最後まで、どこにもなかったのである。

細川邸の改修は着々と進み、来春には「やなせ宿」としてオープンすると伝えられるが、それがどんな施設なのか、何を目的として整備されるのか、オープンしてどのように利用が進められるのか、明確なことはいっさい不明である。おそらく、何も決まっていないのである。

こんな愚劣なことを、いったいいつまでつづけるのか。どこまで下手を売りつづければ気がすむというのか。

いやいや、このエントリにはこんなことを記すつもりではなかった。

名張まちなかにお住まいで、長く家庭科の高校教師をしていらっしゃった方から、名張まちなかの高校に通う生徒が、いまは忘れられてしまった名張まちなかの郷土食を教えていただいた、というニュースをごらんいただいた。

で、名張まちなかの再生というのは、たとえばこういうことなのであると思う。まちなかを再生するというのであれば、こういう試みが不可欠なのであろうと思う。理解と愛着とがふたつながら、こうした試みから生じてくるのではないかと思う。

それをまあ、あのうすらばかどもと来た日には、以下略。
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