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昭和十年(一九三五)
年齢:四十歳→四十一歳、数え年四十二歳
住居:東京市豊島区池袋三丁目一六二六
□探偵小説四十年:細目□
小栗、木々の登場【昭和九・十年度】
昭和十年の主な出来事
「ドグラ・マグラ」出版記念会
「探偵文学」江戸川乱歩号
小栗虫太郎と木々高太郎
「ぷろふいる」誌の情熱
日本探偵小説第二の山
蓄膿症を手術
鬼の言葉
日本探偵小説傑作集
世界探偵小説傑作叢書
蒼井雄「船富家の惨劇」
世界文芸大辞典
浜尾四郎
一月一日(火)
□雑誌□「講談倶楽部」新年号(第二十五巻第一号)の奥付発行日。「人間豹」第十一回が掲載された。
□雑誌□「新青年」新年特大号(第十六巻第一号)の奥付発行日。「ホイットマンの話」が掲載された。
□雑誌□「ぶろふいる」新年号(第三巻第一号)の奥付発行日。「『探偵小説の鬼』その他」が掲載された。
一月二十日(日)
□書籍□乱歩傑作選集第一巻『黄金仮面』の奥付発行日。平凡社から出版された。
《【一月】平凡社「江戸川乱歩全集」の改題改装版「乱歩傑作選集」を出版》
一月二十六日(土)
午後六時からレインボー・グリルで夢野久作の『ドグラ・マグラ』出版記念会が開かれ、出席。[探偵小説四十年 「ドグラ・マグラ」出版記念会/昭和29年9月]
《【一月】夢野久作君『ドグラ・マグラ』出版記念会》
一月末
名古屋の井上良夫から初めて手紙が届き、探偵小説の感想を長い手紙でやりとりするようになった。井上からフィルポッツ『レッド・レドメインズ』を借覧し、英米の長編探偵小説を物色して読み始めた。[探偵小説愛読記/昭和10年5月]
二月一日(金)
□雑誌□「講談倶楽部」二月号(第二十五巻第二号)の奥付発行日。「人間豹」第十二回が掲載された。
二月十六日(土)
□書籍□乱歩傑作選集第二巻『蜘蛛男』の奥付発行日。
三月一日(金)
□雑誌□「講談倶楽部」三月号(第二十五巻第三号)の奥付発行日。「人間豹」第十三回が掲載された。
三月五日(火)
□書籍□乱歩傑作選集第三巻『白髪鬼』の奥付発行日。
三月七日(木)
「探偵文学」第一巻第一号の奥付発行日。探偵文学社から発行された。第一巻第九号から第二巻第三号までは学芸書院、第二巻第四号から第六号までは古今荘内探偵文学編輯部、第二巻第七号から第十二号までは古今荘が発行し、第三巻第一号から第三号までは「シュピオ」として古今荘から発行された。
《【二月】「探偵文学」三月号より創刊。十一年十二月号にて廃刊、「シュピオ」に転身す》
三月二十八日(木)
「探偵小説愛読記」を脱稿。[初出末尾]
四月一日(月)
□雑誌□「講談倶楽部」四月特大号(第二十五巻第四号)の奥付発行日。「人間豹」第十四回が掲載された。
四月三日(水)
□書籍□乱歩傑作選集第四巻『一寸法師』の奥付発行日。
□雑誌□「探偵文学」五月号(第一巻第二号)の奥付発行日。「江戸川乱歩号」として特集が組まれた。「探偵小説愛読記」が掲載された。[探偵小説四十年 「探偵文学」江戸川乱歩号/昭和29年9月]
《【四月】》「探偵文学」五月号を「江戸川乱歩号」として発行。
四月四日(木)
小栗虫太郎『白蟻』の「推讃」を脱稿。[初出末尾]
四月七日(日)
小栗虫太郎『黒死館殺人事件』の「序」を脱稿。[初出末尾]
四月三十日(火)
□新聞□「読売新聞」に「『奇蹟の処女』を薦む──宇陀児の作風を評して」が掲載された。
四月
天皇機関説を唱えた美濃部達吉の『憲法撮要』などが発禁処分を受けた。
《【四月】》(美濃部博士の憲法論発禁処分を受く)
五月一日(水)
□雑誌□「講談倶楽部」五月号(第二十五巻第五号)の奥付発行日。「人間豹」第十五回が掲載され、完結。
五月三日(金)
□書籍□新作探偵小説全集第一巻『蠢く触手』の奥付発行日。新潮社から出版された。
五月七日(火)
□書籍□乱歩傑作選集第五巻『吸血鬼』の奥付発行日。
五月二十一日(火)
神田のニコライ堂そばの小野耳鼻科医院に入院、蓄膿症の手術を受けた。[探偵小説四十年 蓄膿症を手術/昭和29年12月]
《【五月】二十一日、駿河台小野病院に入院、左右上顎の蓄膿症手術を受け、六月十五日退院す》
六月一日(土)
□書籍□乱歩傑作選集第六巻『闇に蠢く』の奥付発行日。
六月十日(月)
□書籍□『人間豹 』の奥付発行日。松柏館書店から出版された。
六月十五日(土)
小野耳鼻科医院を退院。
六月二十九日(土)
牧逸馬が死去。三十五歳。
《【六月】二十九日、牧逸馬(林不忘)歿す》
六月三十日(日)
□書籍□乱歩傑作選集第七巻『陰獣』の奥付発行日。
七月
隆子の母が死去し、三重県志摩郡坂手村で営まれた葬儀に夫婦で列席。[貼雑年譜]
夏ごろ
木々高太郎が海野十三と連れ立って初めて来訪し、「石榴」を面白く読んだと述べた。[探偵小説四十年 中央公論の「石榴」/昭和29年7月、8月]
夏ごろ
須藤憲三によれば、講談社の野間清治社長を囲む有力寄稿家の懇親会、交談会が東京会館で開かれ、その席で初めて会った乱歩に「少年倶楽部」への執筆を依頼した。乱歩は驚きながらも、興味を抱いた様子だった。「少年倶楽部」新年号のプランは、六月に原案がまとめられ、七月の中会議、八月下旬から九月初旬にかけての大会議を経て決定されることになっていたが、須藤は中会議で了解をとりつけたあと、交談会に臨んでいた。数日後、自宅を訪問すると、乱歩はすでに書く気になっていて、編集部との話し合いも支障なく進んだ。[須藤憲三:乱歩先生の「少年もの」/昭和44年11月]
八月十六日(金)
□書籍□乱歩傑作選集第八巻『魔術師』 の奥付発行日。
八月十八日(日)
□新聞□「読売新聞」に「郷愁としてのグロテスク」が掲載された。
九月一日(日)
□雑誌□「ぷろふいる」九月号(第三巻第九号)の奥付発行日。「鬼の言葉」第一回が掲載された。連載は翌年五月まで。
九月二日(月)
□書籍□乱歩傑作選集第九巻『盲獣』の奥付発行日。
九月二十二日(日)
□書籍□『日本探偵小説傑作集』の奥付発行日。編纂を担当し、「はしがき」と「日本の探偵小説」を執筆、「心理試験」が収録され、春秋社から出版された。
六月に蓄膿症手術で入院する少し前、来訪してきた大下宇陀児に、ヴァン・ダインやセイヤーズが編んだ傑作集を示して、日本にもこうした傑作集が出てもいいころではないか、と話したことがきっかけで出版されることになった。[探偵小説四十年 日本探偵小説傑作集/昭和29年12月]
《【九月】「日本探偵小説傑作集」を編纂、春秋社より出版》
九月二十七日(金)
□新聞□「読売新聞」に「探偵小説壇の新なる情熱」第一回が掲載された。三回分載で、二十九日に完結。
十月一日(火)
□雑誌□「改造」十月号(第十七巻第十号)の奥付発行日。「日本探偵小説の多様性について」が掲載された。
□雑誌□「新青年」十月特大号(第十六巻第十二号)の奥付発行日。「ハアリヒの方向」が掲載された。
□雑誌□「探偵文学」十月号(第一巻第七号)《小栗虫太郎号》の奥付発行日。「鬼の経営する病院」が掲載された。
□雑誌□「中央公論」五十周年記念特大号(第五十年第十号)の奥付発行日。「群集の中のロビンソン・クルウソウ」が掲載された。
□雑誌□「ぷろふいる」十月号(第三巻第十号)の奥付発行日。「鬼の言葉」第二回が掲載された。
十月四日(金)
□書籍□乱歩傑作選集第十巻『孤島の鬼』の奥付発行日。
十月二十日(日)
柳香書院「世界名作探偵全集」第一巻『赤毛のレドメイン一家』の奥付発行日。
柳香書院主人の勧めにより、森下雨村と共同で監修したが、全三十巻のうち五巻を出版しただけで中絶した。[探偵小説四十年 世界探偵小説傑作叢書/昭和29年12月号]
《【十月】柳香書院「世界探偵叢書」を森下雨村氏と共同監修す》
十月二十五日(金)
□書籍□『石榴』の奥付発行日。柳香書院から出版された。
自作の純探偵小説を代表する「石榴」「陰獣」「心理試験」を収め、装幀なども贅沢で、著書のうちでもっとも気に入っている。[探偵小説四十年 中央公論の「石榴」/昭和29年7月、8月]
十月二十九日(火)
浜尾四郎が脳溢血で死去。三十九歳。
《【十月】》二十九日、浜尾四郎歿す。春秋社より遺稿随筆集出版のことに尽力す。
十一月一日(金)
□雑誌□「ぷろふいる」十一月号(第三巻第十一号)の奥付発行日。「鬼の言葉」第三回が掲載された。
十一月二十二日(金)
□書籍□乱歩傑作選集第十一巻『猟奇の果』の奥付発行日。
十二月一日(日)
□雑誌□「ぷろふいる」十二月号(第三巻第十二号)の奥付発行日。「鬼の言葉」第四回が掲載された。
□雑誌□「文芸通信」十二月号(第三巻第十二号)の奥付発行日。「探偵小説界への希望」が掲載された。
「月刊探偵」第一巻第一号の奥付発行日。黒白書房から発行された。第二巻第六号を最後に廃刊。
《【十一月】「月刊探偵」十二月号より創刊。(十一年七月終刊)》
十二月三日(火)
□雑誌□「東京日日新聞」に「幻影の城主」が掲載された。二回分載で、四日に完結。
十二月五日(木)
□書籍□乱歩傑作選集第十二巻『湖畔亭事件』の奥付発行日。
十二月八日(日)
午後七時三十分からラジオ第二放送で「放送作家座談会」が放送され、甲賀三郎、大下宇陀児、森下雨村、海野十三、水谷準、夢野久作、木々高太郎、延原県と出演。[貼雑年譜]
《【十二月】探偵作家座談会放送》
十二月
一人で九州旅行に出かけた。[探偵小説四十年 意気あがらず/昭和30年2月]
[2012年10月28日]