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昭和八年(一九三三)
年齢:三十八歳→三十九歳、数え年四十歳
住居:東京市淀橋区戸塚町二丁目
→芝区車町八番地
□探偵小説四十年:細目□
精神分析研究会【昭和八年度】
昭和八年度の主な出来事
又もや不愉快な新聞記事
精神分析研究会
J・A・サイモンズ
鼻茸の手術
「緑館」を売却・芝区車町に移転
中絶作「悪霊」
一月一日(日)
□雑誌□「新青年」新年特大号(第十四巻第一号)の奥付発行日。
「編輯だより」でJ・M(水谷準)が、乱歩の長篇を四月号から連載すると予告した。[探偵小説四十年 中絶作「悪霊」/昭和29年6月、7月]
一月
大槻憲二が昭和八年の初めごろ結成した精神分析研究会に誘われて入会した。[探偵小説四十年 精神分析研究会/昭和29年4月]
《【一月】大槻憲二氏の精神分析研究会に加わり毎月の例会に出席、機関誌「精神分析」にも執筆す》[探偵小説四十年 昭和八年度の主な出来事/昭和29年4月]
大槻憲二は昭和三年、東京精神分析学研究所を創設して所長となった。[コトバンク:大槻憲二]
このころ
放浪旅行に出たり東京市内のホテルを泊まり歩いたりすることが多かった。[探偵小説四十年 精神分析研究会/昭和29年4月]
三月十三日(月)
佐左木俊郎が三十二歳で死去した。[コトバンク:佐左木俊郎]
《【三月】佐左木俊郎君死去》[探偵小説四十年 昭和八年度の主な出来事/昭和29年4月]
三月二十七日(月)
日本が国際連盟に正式に脱退を通告した。
《【三月】(日本、国際連盟より脱退す)》[探偵小説四十年 昭和八年度の主な出来事/昭和29年4月]
三月
《【三月】倅、隆太郎府立第五中学校に入学す》[探偵小説四十年 昭和八年度の主な出来事/昭和29年4月]
《【三月】末より四月初めにかけて浅草橋近くの千葉病院に入院し左右鼻茸を摘出す》[探偵小説四十年 昭和八年度の主な出来事/昭和29年4月]
四月一日 (土)
□雑誌□「新青年」四月増大号(第十四巻第五号)の奥付発行日。「よだれかけ」が掲載された。
「編輯だより」でJ・M(水谷準)が、連載開始を予定していた乱歩の長篇が間に合わなかったと告知した。[探偵小説四十年 中絶作「悪霊」/昭和29年6月、7月]
四月二十四日(月)
□雑誌□「探偵クラブ」第十号の奥付発行日。「探偵小説界の為に惜しむ」が掲載された。
四月
東京市淀橋区戸塚町から芝区車町八番地に転居した。家族は、きく、龍子、隆太郎。ほかに女中がいた。[貼雑年譜]
《【四月】下宿「緑館」の建物を売却、芝区車町に移転す。このころ、J・A・サイモンズの諸著を集め耽読、その影響により愈々古ギリシャに親しみを感じ、ローブ希英対訳叢書などにより古典を読む》[探偵小説四十年 昭和八年度の主な出来事/昭和29年4月]
「新青年」十一月号で「悪霊」の連載を始めるまではサイモンズの著書に没頭していた。[探偵小説四十年 精神分析研究会/昭和29年4月]
四月
《【四月】山本直一君博文館を退社し浪人となれるため、助手の如き仕事をたのむ》[探偵小説四十年 昭和八年度の主な出来事/昭和29年4月]
《【四月】「ぷろふいる」五月号創刊》[探偵小説四十年 昭和八年度の主な出来事/昭和29年4月]
五月一日 (月)
□雑誌□「精神分析」創刊号に「J・A・シモンズのひそかなる情熱」第一回が掲載された。
□雑誌□「ぷろふいる」創刊号(第一巻第一号)の奥付発行日。「ぷろふいるに寄する言葉」が掲載された。
五月七日(日)
横溝正史が喀血。[横溝正史:途切れ途切れの記(七)/昭和45年7月]
五月二十日(土)
□新聞□「読売新聞」に「探偵小説と瀉泄」第一回が掲載された。二回分載で、二十一日に完結。
五月二十一日(日)
□新聞□「東京朝日新聞」に「『謎』以上のもの」第一回が掲載された。三回分載で、二十三日に完結。
六月一日(木)
□雑誌□「精神分析」第二号に「J・A・シモンズのひそかなる情熱」第二回が掲載された。
このころ
六月の終わりか七月の初めごろ、医者から絶対安静を命じられていた正史を見舞い、富士見高原療養所への転地を勧めて現金千円を置いていった。[横溝正史:途切れ途切れの記(七)/昭和45年7月]
七月
横溝正史が長野県諏訪郡の富士見高原療養所に入り、正木不如丘の指示を受けた。[中島河太郎:横溝正史年譜(横溝正史追憶集)/昭和57年12月]
富士見高原療養所の記録によれば、正史の入所は八月十一日。[富士見高原医療福祉センター:高原療養所で療養されていた方々]
七月
《【七月】長野善光寺、上諏訪、箱根、熱海、伊香保などに旅行。箱根以下は妻を呼びよせ同行》[探偵小説四十年 昭和八年度の主な出来事/昭和29年4月]
このころ
旅行の途中、上諏訪から水谷準に葉書を出し、「新青年」のために小説の筋を考えていると伝えたため、編集後記で予告されて原稿の催促が始まった。[探偵小説四十年 中絶作「悪霊」/昭和29年6月、7月]
八月一日(火)
□雑誌□「新青年」八月号(第十四巻第九号)の奥付発行日。
「編輯だより」でJ・M(水谷準)が、乱歩の長篇について次号に「吉報を掲げる」と予告した。[探偵小説四十年 中絶作「悪霊」/昭和29年6月、7月]
□雑誌□「精神分析」第四号に「J・A・シモンズのひそかなる情熱」第三回が掲載された。
八月九日(水)
第一回関東地方防空大演習が行われた。
《【八月】(初めて関東地方防空演習あり)》[探偵小説四十年 昭和八年度の主な出来事/昭和29年4月]
九月一日 (金)
□雑誌□「新青年」九月号(第十四巻第十一号)の奥付発行日。
「編輯だより」でJ・M(水谷準)が「乱歩の出陣」を予告した。[探偵小説四十年 中絶作「悪霊」/昭和29年6月、7月]
□雑誌□「ぶろふいる」九月号(第一巻第五号)の奥付発行日。「陰獣劇について」が掲載された。
九月十八日(月)
□書籍□『現代日本文学短篇名著集 第三巻』の奥付発行日。陸軍恤兵部から出版され、「屋根裏の散歩者」が収録された。
このころか
秋、新潮社の「日の出」編集部から執筆依頼を受け、横溝正史の著書を新潮社から出すことを交換条件として引き受けた。翌年一月、「日の出」で「黒蜥蜴」の連載が始まり、二月には新潮社から正史の『塙侯爵一家』が出版された。[大潟若郎:続文壇友情物語/昭和10年4月=貼雑年譜]
十月一日(日)
□雑誌□「精神分析」第六号に「J・A・シモンズのひそかなる情熱」第四回が掲載され、中絶。
十月二十六日(木)
横溝正史が富士見高原療養所を退所、武蔵野町吉祥寺の自宅に帰宅した。[富士見高原医療福祉センター:高原療養所で療養されていた方々]
十月
《【十月】昨年筆を断ちてより一年七カ月ぶりに、「新青年」十一月号より長篇「悪霊」を書きはじめたるも、翌九年一月号までに三回執筆せしのみにて中絶す》[探偵小説四十年 昭和八年度の主な出来事/昭和29年4月]
十一月一日(水)
□雑誌□「新青年」十一月号(第十四巻第十三号)の奥付発行日。「悪霊」第一回が掲載された。翌年一月までで中絶。
「編輯だより」でJ・M(水谷準)は「悪霊」に言及しなかった。[探偵小説四十年 中絶作「悪霊」/昭和29年6月、7月]
十二月一日(金)
□雑誌□ 「キング」十二月号(第九巻第十二号)の奥付発行日。「妖虫」第一回が掲載された。連載は翌年十月まで。
□雑誌□「新青年」十二月号(第十四巻第十四号)の奥付発行日。「悪霊」第二回が掲載された。
「編輯だより」にJ・M(水谷準)が、「悪霊」で「大旋風捲き起り」「再版をしなくてはならないような騒ぎ」と記した。[探偵小説四十年 中絶作「悪霊」/昭和29年6月、7月]
[2012年8月15日]