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大正十二年(一九二三)
年齢:二十八歳→二十九歳、数え年三十歳
職業:大橋弁護士事務所勤務→大阪毎日新聞広告部勤務
住居:大阪府北河内郡守口町字守口六八九ノ三
→大阪府北河内郡門真村一番地
*以下、平井太郎という本名ではなく、江戸川乱歩という筆名で記述を進める。乱歩という主語は、おおむね省略する。
二月十五日(木)
■書簡■森下雨村に手紙、雨村から送られた感想文への弁明などを記す。[江戸川乱歩推理文庫64]
二月十六日(金)
■青島■の井上勝喜に手紙、バルザック、ポーや探偵小説などについて記す。[江戸川乱歩推理文庫64]
三月一日(木)
■雑誌■「新青年」三月号(第四巻第四号)の奥付発行日。四月号の予告ページで「二銭銅貨」が紹介され、「編輯局から」で「海外作家の作品と伍して何等の遜色なき傑作である」と紹介される。
四月一日(日)
■雑誌■「新青年」四月春季増大号(第四巻第五号)の奥付発行日。「二銭銅貨」「探偵小説に就て」が掲載された。[1923-04-01-に][1923-04-01-た]
発売は三月中旬。不木生(小酒井不木)「『二銭銅貨』を読む」を併載。原稿料は一枚一円で、新人としてはそれほど安くなかった。探偵小説を書いて生活できるとは考えていなかったので、勤めは辞めなかった。[探偵小説四十年 二年間に五篇/昭和25年2月][貼雑年譜]
四月二十三日(月)
■書簡■森下雨村に手紙、「一枚の切符」再送遅延を詫びる。情味のある作品に直そうと思ったが、家族が病気になるなどで暇がなく、小酒井不木に注意された点だけに手を入れて郵送した。[江戸川乱歩推理文庫64]
五月
隆子が腹膜炎となり、大阪赤十字社病院に入院。入院費用は繁男の貯金約六百円の全額をあて、大阪毎日新聞社広告部に入ってから返済した。病院の付き添いとして隆子の母に鳥羽から来てもらった。夕食後、隆太郎を抱いて近所の原っぱを散歩し、唱歌を歌って歩きながら眠りつくのを待った。[探偵小説四十年 大正十二年度の主な出来事/昭和25年2月][貼雑年譜]
六月二十一日(木)
北河内郡守口町の繁男の家から、門真村一番地に転居。隆子が退院したが、病後なので子守を雇って隆太郎の世話をさせた。[探偵小説四十年 大正十二年度の主な出来事/昭和25年2月][貼雑年譜]
六月
「恐ろしき錯誤」を脱稿、森下雨村に送った。「恐ろしき錯誤」の腹案は入院中の隆子のベッドの枕元で下書きした。[探偵小説四十年 大正十二年度の主な出来事/昭和25年2月、二年間に五篇/昭和25年2月][貼雑年譜]
六月末
大橋弁護士事務所を辞めた。[貼雑年譜]
七月一日(日)
■雑誌■「新青年」七月号(第四巻第八号)の発行日。「一枚の切符」が掲載された。[1923-07-01-い]
大阪毎日新聞社に入社、広告部に勤務した。繁男が名古屋時代に店員として雇っていた大口政夫が広告部の古顔だったので、その紹介で就職した。隆子の退院はこの日ともいう。[探偵小説四十年 大正十二年度の主な出来事/昭和25年2月][貼雑年譜]
名古屋の小酒井不木に初めて手紙を出し、「新青年」四月春季増大号の「『二銭銅貨』を読む」の礼を述べた。京都の山下利三郎にも初めて手紙を出し、一度伺いたいと伝えた。[江戸川乱歩推理文庫64]
七月三日(火)
■書簡■小酒井不木が乱歩に手紙、才能を認め、激励した。[子不語の夢]
九月一日(土)
関東大震災。大阪市内の床屋から出たときに揺れを感じた。数時間後に出た号外で東京の地震を知った。[探偵小説四十年 大正十二年度の主な出来事/昭和25年2月]
十月五日(金)
■書簡■井上勝喜に手紙、宇野浩二の「蔵の中」の感想などを記す。[江戸川乱歩推理文庫64]
十一月一日(木)
■雑誌■「新青年」十一月帝都復興号(第四巻第十三号)の奥付発行日。「恐ろしき錯誤」が掲載された。[1923-11-01-お]
十一月十三日(火)
■書簡■井上勝喜に手紙、「新青年」十一月号に掲載された山下利三郎「哲学者の死」、甲賀三郎「カナリヤの秘密」の感想を述べ、「恐ろしき錯誤」は「二銭銅貨」「一枚の切符」より「数段上等の様な気がした」と記す。[江戸川乱歩推理文庫64]
[2012年6月6日]