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大正五年(一九一六)
年齢:二十一歳→二十二歳、数え年二十三歳
学年:大学本科三年
職業:加藤洋行勤務
住居:東京市牛込区新小川町
→牛込区新小川町三丁目一九番地
→大阪市西区靭中通二丁目
一月二十二日(土)
平井繁男、家族で牛込区新小川町三丁目一九番地へ転居。岩田家と共同の住まいで、家族は、岩田家が六人、平井家が、繁男、きく、太郎、通、敏男、本堂つま。[貼雑年譜]
三月一日(水)
太郎、探偵小説に関するメモを整理して清書し、製本した「奇譚」の「Preface」を執筆。[探偵小説四十年 手製本「奇譚」/昭和24年11月][奇譚][貼雑年譜]
三月十三日(月)
繁男の次女・玉子、誕生。[貼雑年譜][平井系譜]
七月
太郎、早稲田大学を卒業。卒業論文は「競争進化論」。卒業までに、大正五年の日記帳に探偵小説「火縄銃」の下書きを執筆した。卒業直前には、アメリカに渡航して皿洗いでもしながら英語に習熟し、アメリカやイギリスで英文の探偵小説を発表することを夢見た。先輩にも相談したが、賛成してくれる人はなく、費用も工面できなかった。[二十年前の日記/昭和10年12月][探偵小説四十年 アメリカ渡航の夢/昭和24年11月|最初の密室小説/昭和24年11月][貼雑年譜]
八月
太郎、川崎克の紹介により、大阪市靭中通二丁目の加藤洋行に就職、二階に寄宿する。経営者の加藤常吉も川崎同様、代議士だった。木綿結城縞の一重に綿の角帯で赴任し、命じられていないのに店の庭の掃除をすることから始めたが、衣服や勤務の一風変わったスタイルは加藤洋行支配人の覚えがめでたかった。南洋方面から受注した雑貨の仕入れを担当し、大阪市内外の問屋を歩き廻った。勤務のあとは毎晩、同僚に盛り場などを案内され、大阪の遊蕩的な雰囲気に親しんでいった。[先生に謝す/昭和31年2月][若気のあやまち/昭和34年2月][貼雑年譜]
年末
太郎、帆船一艘分の二百トンほどの雑貨を一手に仕入れて手柄を立て、暮れに思いがけないボーナスを貰って遊蕩をおぼえた。[貼雑年譜]
この年
太郎、三重県津市で徴兵検査を受け、第二乙種合格、歩兵補充兵となる。入営はせず、数年間、簡易点呼を受けた。[貼雑年譜]
[2012年5月19日]