三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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大正四年(一九一五)
年齢:二十歳→二十一歳、数え年二十二歳
学年:大学本科二年→三年
住居:東京市牛込区喜久井町→牛込区赤城下町
→牛込区新小川町
二、三月ごろ
平井繁男、家族で牛込区赤城下町に転居。一家がもっとも困窮したころで、繁男は火災保険会社に勤務し、太郎も内職をしながら大学に通った。[貼雑年譜]
四月ごろ
繁男、家族で千代田区丸ノ内の三菱ビル地下室に転居。ビルには奥田正吉商店が事務所を借りており、奥田の好意でその地下に住むことになった。[貼雑年譜]
七月から八月
太郎、暑中休暇中、川崎克の紹介により、下谷区上野黒門町附近の小学校にあった市立図書館で貸出係として働いた。[貼雑年譜]
九、十月
繁男、家族で牛込区新小川町に転居。[貼雑年譜]
十一月
太郎、川崎克の紹介により、京橋区本八丁堀の天野という株式仲買人の家で家庭教師を務めた。天野家は川崎の実妹の嫁ぎ先で、太郎は三人の子供を同時に教えた。翌年七月に大学卒業するまで週二回ずつ通い、謝礼は月五円だった。[貼雑年譜]
この年
太郎、大学三年当時、時局財政経済問題研究会に加わって研究報告「交戦国の財政」を発表した。[貼雑年譜]
[2012年5月18日]
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