三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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きのうのつづき。
名張市公式サイト:名張市議会会議録
平成9・1997年第275回(3月)定例会である。例によって教育委員会による新年度教育行政の方針と施策から。
おなじく平成9・1997年、今度は第278回(9月)定例会。名張市の答弁。
市町村合併で伊賀市を発足させる、という構想にかんする質問への答弁であったらしい。
おなじく第278回(9月)定例会。名張市の答弁。
いやびっくりした。自分の名前が出てくるとは知らなんだ。しかし平成9・1997年といえば、名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブック1『乱歩文献データブック』が世に出た年だから、これは乱歩生誕地の市長としておおいに誇っていいことであった。乱歩なんたら館をつくりますなどと大風呂敷をひろげるのではなく、市立図書館が開館以来の年月をかけて収集してきた資料にもとづき、名張市の身のたけ身のほどというものをよくわきまえつつ手がけた乱歩関連事業として、ひろく天下に誇ってもいいものだったのである。
いや、いやいや、大風呂敷もひろげてはおった。この年、平成9・1997年の年頭におこなわれた記者会見では、乱歩記念館の建設が派手にぶちあげられていた。新聞記事の切り抜きが残っていたはずだが、と思って探してみると、平成17・2005年8月8日、名張市役所の市議会特別委員会室で開催された「名張市議会議員の先生方のための乱歩講座」で資料として使用したスキャン画像が出てきた。記事をまるごと紙面そのままに転載してしまうのはいろんな権利関係で問題のある行為なのだが、確信犯として断行する。平成9・1997年1月11日付中日新聞伊賀版の記事である。
しかしまあ、いくら大風呂敷をひろげたって無理なものは無理なのである。うえに引いた9月定例会の答弁では乱歩記念館のらの字も言及されていないのだから、年頭の記者会見から半年あまりで、この構想はあっさりぽしゃってしまっていたということであろう。だが、たしかに平成9・1997年の時点で、当時の名張市長によって、乱歩記念館の構想がいったんは明らかにされたのである。かりにふたたび同様の構想が検討されることになった場合には、このときの構想がどの程度実施に移され、なにゆえ頓挫したのか、そのあたりを確認しておくのは重要なことである。
なあ名張市役所のみなさんや。みなさんがどこかでおはなしするとき頻用される慣用的表現に、過去の経緯を踏まえながら、とか、こうした流れのなかにおいて、とか、そういうやつがあるではないか。いかにも地頭のわるそうな表現ではあるのだが、過去に学ぶのはやはりたいせつなことである。ところがみなさん、実際には経緯も流れも関係ないではないか。早い話、名張まちなか再生プランがらみの乱歩なんとか館構想だって、過去にどんなプランがあり蹉跌があったか、そんなこといっさい関係なしに話が進んでいたではないか。
いや、まあいいか。過去の経緯やこれまでの流れどころか、ろくに乱歩作品を読んだこともなく、乱歩のことを知ろうともせず、もとより乱歩へのリスペクトなどかけらもない連中がぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ、何もわからんくせしてぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ、ほんとにぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ騒いでいただけの話であったのだからな。えーいッ。やかましいわッ。
おまえのほうがよっぽどやかましいではないか、とお思いの向きもあろうが、かまわず進める。ついでだから、新聞記事をもう一本。おなじく平成9・1997年の6月8日付毎日新聞読書面の記事である。
なにしろ読書面である。全国の毎日新聞に掲載されたわけである。乱歩なんとか館がどうとかこうとか、ばかが集まって乱歩を売名に利用するべく愚にもつかぬこと騒いでるひまがあったら、ちっとは地に足をつけろということだ。自分たちに何ができるかを考えて、やるべきことをちゃんとやれということだ。たんなる売名として考えたって、収集資料にもとづいて乱歩の目録を発行するというただそれだけの、あたりまえすぎるほどあたりまえのことをやっていれば、たとえば毎日新聞がそれをとりあげて全国に紹介してくれることもあるのである。あるのであるといったって、理解できぬか不憫なことに。
どうも長々しくなっていけない。つぎの年に行く。
平成10・1998年第281回(6月)定例会。名張市の答弁。
名張市の公式サイトが開設された年である。で、「観阿弥、江戸川乱歩、夏見廃寺、藤堂家邸といったような、どちらかというと名張の文化遺産等の発信を対外的にしていく」とのことである。いうまでもなく、ここに列記されたなかで突出した素材が乱歩である。しかも、市立図書館が『乱歩文献データブック』というリファレンスブックを刊行したあとである。ならば名張市が、その内容にもとづいてインターネットを利用したサービスをはじめても、けっしておかしくはないのである。おかしくないどころか、ごくあたりまえの話ある。流れとしては当然そうなるべき話である。
ところが、そうはならなんだのである。名張市教育委員会が話を蹴りやがったのである。何もわからず、知ろうとせず、ただの無駄飯食いというしかない名張市教育委員会のぼんくらどもが、あっさり蹴ってくれたのである。いまから思えば、たぶん当時の市長に直訴しておれば、話はすんなり通っていたはずである。そのあたりのことは、市長としてきっちり見極めのできるかたではいらっしゃった。それをまあ、しかたのないことであるとはいえ、お役所のヒエラルキーのなかで教育委員会などに提案したのがよくなかったのである。いまからいったって取り返しなどつかぬことだが、インターネットを活用して乱歩を、あえていうならば売名に利用する道を、名張市はみずから鎖してしまったのである。
しかしそれにしても残念な話である。あーこれこれ名張市教育委員会のあほのみなさんや。おまえらいっぺん泣かしたろかこら。
名張市公式サイト:名張市議会会議録
平成9・1997年第275回(3月)定例会である。例によって教育委員会による新年度教育行政の方針と施策から。
P.10 ◎ 教育委員長(辻敬治君)
□図書館につきましては、すべてのものをすべての人にという公共図書館の理念に基づいて、市民の多様な要望にこたえられるような資料を収集、整備し、新鮮で話題性に富んだ魅力ある蔵書づくりと、サービスの資質向上に努めてまいります。また、国際化時代に対応した外国人のための情報サービスを図り、さらには乱歩関係資料の充実整備を図るほか、学校や公民館との連携、協力により、地域に密着した親しまれる図書館づくりを進めたいと考えております。 |
おなじく平成9・1997年、今度は第278回(9月)定例会。名張市の答弁。
P.123 ◎ 市長(富永英輔君)
□それから、これからいろんな、例えば図書館一つをとりましても、この上野の図書館が芭蕉なら芭蕉についての専門性をより全体として高めていく、あるいは名張の図書館が江戸川乱歩や、あるいは能楽に関する文献資料を集めていってそれに特徴を持たしていくと、そのことによって全国からあるいは全世界からその注目を浴びる一つの方向へと進んでいくんではないかと。そしてそういったものを伊賀地区全体で共有していってはいいんではないかと。ですから逆に言うと、他の町村では図書館がございませんから、この上野市や名張市の図書館を伊賀地域全体の皆さん方も活用できるようなネットワークを結んでいこうじゃないかと、こういうことをしながら、お互いに自分たちの持っている個性的なまちづくりをお互いに補完し合いながら協働でやっていこうと、こういうことが実は私どものもくろみであります。 |
市町村合併で伊賀市を発足させる、という構想にかんする質問への答弁であったらしい。
おなじく第278回(9月)定例会。名張市の答弁。
P.38 ◎ 市長(富永英輔君)
□まず第1点目に、文化のまちづくりについてご所見をいただきました。たびたびこの問題について、中島議員は議場でご発言をなさっているわけでございます。まず、冒頭、私どもの、この富永市政における文化行政のあり方についてもご所見をいただきました。中島議員と文化論でいろいろと議論をこの場ですると言いますよりは、もう少し私どもの事業そのもの、あるいは施策の展開そのものについて的確なご判断も一方ではいただきたいと、かように思うところでございます。と申しますのも、私が市長になりましてから、まずみんなで大事にしながらまちづくりのコンセプトを考えていきますときに、何を大事にしていこうかと、当時の言葉で言いますとアイデンティティーという言葉が出てまいっておったわけでありますけれども、名張らしさというものをみんなで大事にしようと、名張の持っている固有の文化を大事にしていこうと、こういうことを訴えながら進めてきたところでございます。そういう中で、舞台芸能の分野で申し上げますと、観阿弥創座の地にふさわしいように能楽の振興を図り、薪能をやり、あるいは能舞台を作成し、観阿弥公園を整備をしながら、一方では市民の皆さん方の能楽を振興していくために、子供たちの謡曲教室でございますとか、あるいは子供たちの子ども狂言でございますとか、そういった数々の、そういった観阿弥創座の地にふさわしい、名張にしかない、こういった文化を継承発展させるべく大きく前進をさせているわけであります。また一方、江戸川乱歩の生誕の地にふさわしいように、ミステリーを一つのまちづくりにしながら、図書館の一角で資料を整えたりをいたしまして、そして先般来この乱歩にかかわる文献等の目録を中 相作君に制作をしていただいたようなところでもございます。あるいは、藤堂家邸の整備でございますとか、あるいは壬申の乱ゆかりの夏見廃寺の整備でございますとか、美旗古墳群の公有地化の問題でございますとか、こうして考えてまいりますと、さまざまな点で大きく名張市の文化行政というのは具体的にも前進をしております。したがって、私の文化行政が最も不十分で消極的だと、この点については、中島議員の一つのめがねを通した一部分についてご所見がおありかと思いますけれども、全体から見ますと、これほど前進しているところはないと、かように考えるわけでございます。 |
いやびっくりした。自分の名前が出てくるとは知らなんだ。しかし平成9・1997年といえば、名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブック1『乱歩文献データブック』が世に出た年だから、これは乱歩生誕地の市長としておおいに誇っていいことであった。乱歩なんたら館をつくりますなどと大風呂敷をひろげるのではなく、市立図書館が開館以来の年月をかけて収集してきた資料にもとづき、名張市の身のたけ身のほどというものをよくわきまえつつ手がけた乱歩関連事業として、ひろく天下に誇ってもいいものだったのである。
いや、いやいや、大風呂敷もひろげてはおった。この年、平成9・1997年の年頭におこなわれた記者会見では、乱歩記念館の建設が派手にぶちあげられていた。新聞記事の切り抜きが残っていたはずだが、と思って探してみると、平成17・2005年8月8日、名張市役所の市議会特別委員会室で開催された「名張市議会議員の先生方のための乱歩講座」で資料として使用したスキャン画像が出てきた。記事をまるごと紙面そのままに転載してしまうのはいろんな権利関係で問題のある行為なのだが、確信犯として断行する。平成9・1997年1月11日付中日新聞伊賀版の記事である。
しかしまあ、いくら大風呂敷をひろげたって無理なものは無理なのである。うえに引いた9月定例会の答弁では乱歩記念館のらの字も言及されていないのだから、年頭の記者会見から半年あまりで、この構想はあっさりぽしゃってしまっていたということであろう。だが、たしかに平成9・1997年の時点で、当時の名張市長によって、乱歩記念館の構想がいったんは明らかにされたのである。かりにふたたび同様の構想が検討されることになった場合には、このときの構想がどの程度実施に移され、なにゆえ頓挫したのか、そのあたりを確認しておくのは重要なことである。
なあ名張市役所のみなさんや。みなさんがどこかでおはなしするとき頻用される慣用的表現に、過去の経緯を踏まえながら、とか、こうした流れのなかにおいて、とか、そういうやつがあるではないか。いかにも地頭のわるそうな表現ではあるのだが、過去に学ぶのはやはりたいせつなことである。ところがみなさん、実際には経緯も流れも関係ないではないか。早い話、名張まちなか再生プランがらみの乱歩なんとか館構想だって、過去にどんなプランがあり蹉跌があったか、そんなこといっさい関係なしに話が進んでいたではないか。
いや、まあいいか。過去の経緯やこれまでの流れどころか、ろくに乱歩作品を読んだこともなく、乱歩のことを知ろうともせず、もとより乱歩へのリスペクトなどかけらもない連中がぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ、何もわからんくせしてぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ、ほんとにぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ騒いでいただけの話であったのだからな。えーいッ。やかましいわッ。
おまえのほうがよっぽどやかましいではないか、とお思いの向きもあろうが、かまわず進める。ついでだから、新聞記事をもう一本。おなじく平成9・1997年の6月8日付毎日新聞読書面の記事である。
なにしろ読書面である。全国の毎日新聞に掲載されたわけである。乱歩なんとか館がどうとかこうとか、ばかが集まって乱歩を売名に利用するべく愚にもつかぬこと騒いでるひまがあったら、ちっとは地に足をつけろということだ。自分たちに何ができるかを考えて、やるべきことをちゃんとやれということだ。たんなる売名として考えたって、収集資料にもとづいて乱歩の目録を発行するというただそれだけの、あたりまえすぎるほどあたりまえのことをやっていれば、たとえば毎日新聞がそれをとりあげて全国に紹介してくれることもあるのである。あるのであるといったって、理解できぬか不憫なことに。
どうも長々しくなっていけない。つぎの年に行く。
平成10・1998年第281回(6月)定例会。名張市の答弁。
P.104 ◎ 市長(富永英輔君)
□それから、インターネットでございますけれども、最近のさまざまな技術革新によってそういった情報機器類が大変高度に発達をし、それぞれネットワークシステムができ上がってきている今日であります。現在、全国の自治体では800程度の市町村がインターネットのホームページを開設をいたしておりますけれども、私どももこの4月よりインターネットのホームページを開設をさしていただきまして、そして内容的には市民ふれあいの館という部分とそれからふるさと館という部分と2つの柱で構成をされておりまして、市民ふれあいの館の方につきましては、名張市の自然や歴史や伝統といったようなもののほかに、ハーモニープラン名張21の概要でございますとか、広報なばり、あるいは広報ビデオ、あるいは戸籍、税、保健福祉、ごみの収集、そのほか公共施設の案内等々暮らしに役立つ情報を、この市民ふれあいの館の方では出しております。それからふるさと館の方は、どちらかと言いますと、観阿弥、江戸川乱歩、夏見廃寺、藤堂家邸といったような、どちらかというと名張の文化遺産等の発信を対外的にしていくということになろうかと思いますけれども、こういうことで、大体情報量としましてはA4判にいたしまして150ページ分ぐらい発信をしているわけであります。今日まで2カ月でありますけれども、4,350件のアクセスがございました。一日平均では 70件というアクセスになります。そのほか、災害面につきましても、避難場所でございますとか、災害時には救援情報、避難所情報、安否情報、交通情報など有効な情報伝達には努めてまいりたいと思っております。 |
名張市の公式サイトが開設された年である。で、「観阿弥、江戸川乱歩、夏見廃寺、藤堂家邸といったような、どちらかというと名張の文化遺産等の発信を対外的にしていく」とのことである。いうまでもなく、ここに列記されたなかで突出した素材が乱歩である。しかも、市立図書館が『乱歩文献データブック』というリファレンスブックを刊行したあとである。ならば名張市が、その内容にもとづいてインターネットを利用したサービスをはじめても、けっしておかしくはないのである。おかしくないどころか、ごくあたりまえの話ある。流れとしては当然そうなるべき話である。
ところが、そうはならなんだのである。名張市教育委員会が話を蹴りやがったのである。何もわからず、知ろうとせず、ただの無駄飯食いというしかない名張市教育委員会のぼんくらどもが、あっさり蹴ってくれたのである。いまから思えば、たぶん当時の市長に直訴しておれば、話はすんなり通っていたはずである。そのあたりのことは、市長としてきっちり見極めのできるかたではいらっしゃった。それをまあ、しかたのないことであるとはいえ、お役所のヒエラルキーのなかで教育委員会などに提案したのがよくなかったのである。いまからいったって取り返しなどつかぬことだが、インターネットを活用して乱歩を、あえていうならば売名に利用する道を、名張市はみずから鎖してしまったのである。
しかしそれにしても残念な話である。あーこれこれ名張市教育委員会のあほのみなさんや。おまえらいっぺん泣かしたろかこら。
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きのうのつづき。
名張市公式サイト:名張市議会会議録
名張市の平成6・1994年第263回(9月)定例会における質疑応答である。市議会議員の質問の要旨は、江戸川乱歩関連資料は市立図書館が収集をつづけてきたところであるが、乱歩のご遺族が保有する資料を提供していただくことも視野に入れ、名張市に独立した乱歩資料館を建設すべきではないのか、といったことであった。
名張市教育委員会の答弁。
名張市教育委員会などというのはむろんいまでもばかなのだが、当時からばかだったのだということである。だいたい乱歩関連資料というのがたんに乱歩の遺品のことであるとしか考えられないところがばかなのであるが、そんなことはまあいい。それに名張市サイドとしては、あわよくば乱歩のご遺族から遺品をせしめて乱歩館たらいうものを建設し、超一流ブランドのオーナーになった気分でおおいに自慢したいとか誇りたいとか誉められたいとか認められたいとか有名になりたいとか、そんなおもわくを胸に秘めるのは無理からぬ話でもあったのであろうなこの俗物ども。
しかしこら俗物、少しはものの道理というものを考えてみろ。そんな皮算用が成立すると思うか。乱歩のご遺族の立場に立って考えてみたことがあるのか。ご遺族としては、どうしてわざわざ名張のような草深い土地に乱歩の遺産を提供しなければならぬのか、ということになるはずである。それでもまだ、田舎者というのは無神経無配慮でひたすら厚かましいものであるから、ご遺族のもとに足しげく通っておねだりすれば終始は一貫しておった。田舎者が乞食根性丸出しでアプローチすればよかったのである。
ところが何もしなかったんだからなあ。どんなアクションも起こそうとせず、ただ「名張市が夢を見ております乱歩館」だの「夢の夢」だのと寝言みたいなをことを並べるだけであったのだから、いやもう無駄飯食いってのはほとほとどうしようもないものである。いやまあ、何もせずに人がものをくれるのをただ待ってるだけだったんだから、それが乞食の王道であったというべきか。
いやいや、そんなこともまだいい。かまわん。この答弁を読んで心底びっくりしたのは、「慶応大学で乱歩先生の研究会というのがあるそうでございます。その研究会から研究したいろんな資料等について、名張市さんに協力したいんだということをごくごく最近でございますが、情報が入ってきておりまして」というところである。なんなんだこのでたらめは。嘘八百は。名張市教育委員会などというのはむろんいまでもばかなのだが、当時からばかだったのだということである。というか、名張市教育委員会はいったいどこまでばかであったら気が済むのか。ばかの頂上をめざしておるのか。
慶應義塾大学に乱歩の研究会なんてものはないのである。ないはずの研究会から研究の資料を提供してもらえるわけなどないのである。存在しない組織から存在しない資料をもらえると本気で考えていたのだから、乞食というのはつくづくあさましいものである。こらばか。このぼんくら委員会。どうせなら正直に、名張市乞食委員会とでも看板をかけ替えておいたらどうだ。
正確なところを記しておく。それは慶應義塾大学推理小説同好会OB会のことである。乱歩を研究する組織なんかではまったくない。会名が示すとおり、内外の推理小説が好きな人たちの集まりである。そのOB会のみなさんから、この定例会が開かれた平成6・1994年ころ、自分たちが私蔵しているミステリー関連書を乱歩の生まれ故郷にある名張市立図書館に寄贈してやろうという申し出をいただいた、というだけの話である。それがどうして乱歩の研究会がどうのこうのという話になってしまったのか。じつに飛躍の多い伝言ゲームであったというしかないが、名張市教育委員会が市議会の定例会で無茶苦茶な答弁をしておったというのはまぎれもない事実である。あの委員会にはおそらく、情報を正確に理解し伝達する能力がないのであろう。
いやはや、ばかをおちょくってると長くなって困るのだが、もう少し説明を加えておく。名張まちなか再生プランがらみでいうと、例のミステリー文庫の具体的なアイテムというのが、この慶應義塾大学推理小説同好会OB会のみなさんからの寄贈図書なのである。長く市立図書館の地下書庫に死蔵されたままである。だから細川邸を整備するというのなら、乱歩が生まれた新町にある細川邸をまちなか再生のために整備するというのなら、乱歩という素材を利用しない手はないし、さらに現実に即していうならば死蔵された寄贈図書をそれこそ再生しない手はないのである。名張まちなか再生プランに対して提出したパブリックコメントにはっきりそう明記しておいてやったというのに、それをいっさい無視したあげく、いまごろになって細川邸の川蔵にミステリー文庫をつくります、いややっぱりつくりませんなどとわけのわからんことほざいてるうすらばかども、やっぱりおまえらをおちょくってると長くなって困る。
長くなってほんとに困るのではあるけれど、さらにいささかを付記しておくならば、名張市は慶應義塾大学推理小説同好会OB会のみなさんから長くご高誼をたまわり、数えてみれば十三年、毎年秋になると首都圏や関西圏などにお住まいのメンバー有志が「名張ツアー」と称して名張まで足を運んでくださっていたのだが、そうした縁も去年で切れてしまった。名張市が愛想を尽かされたということであろう。それはもうしみじみと実感されることである。市民のあずかり知らぬことではあれど、乱歩にかんして、あるいはミステリーにかんして、名張市はこれまでお世話になっていたあちらこちらのみなさんからすっかり愛想を尽かされているのである。
名張ツアー二年目から昨年まで、OB会のみなさんからひとかたならずお引き立てをいただいて、昨年11月には伊賀市の金谷で伊賀牛のすき焼きをご馳走になったりしていた身としては、はっきりいってメンバーのみなさんにあわせる顔がないのである。あわせる顔がないといえば、桝田医院第二病棟をご寄贈くださった桝田敏明先生のご遺族に対してもそうであるし、あるいはなんかもう乱歩のご遺族にも、さらにいえばこれまでさまざまなご協力をかたじけなくしてきた全国の乱歩ファンのみなさんにも、はっきりいってあわせる顔なんてどこにもありゃせんのだぞ実際。
つぎ、市議会議員の再々質問。
だからいくらお願いをしておいたところで、名張市教育委員会なんてまったく頼りにならぬのであるし、「ご遺族ご所有の重要な資料」なんてのを名張みたいな辺鄙な山のなかに提供していただける道理もないのである。名張市としては、みずからの身のたけや身のほど、あるいは分際というものをよくわきまえて、乱歩にかんして分相応に、できることをしっかり地道にきっちり着実にやってゆけばいいのである。ただそれだけの話なのであるが、ろくに乱歩作品を読んだこともなく、乱歩のことを知ろうともせず、もとより乱歩へのリスペクトなどかけらもないくせにやたら乱歩を売名に利用しようとする無教養きわまりない俗物どもには、そんなあたりまえのことすらわからぬのであろうな。
つづいて、平成6・1994年第264回(12月)定例会。
名張市の答弁。質問はふるさと振興基金にかんするもので、乱歩関連事業にも基金をちょこっとつかいましたという報告である。
明けて、平成7・1995年第269回(12月)定例会。乱歩にかんしてどうということもない言及がみられるのみなのであるが、まあひろっておく。
市議会議員の質問。
名張市の答弁。
おなじく平成7・1995年第269回(12月)定例会。この質問にも乱歩への言及がある。やはりどうということのない言及である。
平成8・1996年もみておくことにして、まず第270回(3月)定例会。教育委員会が新年度教育行政の方針と施策について述べたくだりである。
おなじく平成8・1996年の第271回(6月)定例会。名張市の答弁である。
これまたどうということもない言及であるが、こうしたどうということもない言及合戦からうかがえるのは、いわゆる観光資源としてであれいわゆる全国発信の素材としてであれ、名張市は江戸川乱歩をうまく活用すべきあるということはだいたいわかっているのだけれど、どんなふうに利用すればいいんだか誰にもまったくわかっていない、という一事であろう。あたりまえである。虫のいいことを考えるばかりで、ろくに乱歩作品を読んだこともなく、乱歩のことを知ろうともせず、もとより乱歩へのリスペクトなどかけらも、以下略。
あすにつづく。
名張市公式サイト:名張市議会会議録
名張市の平成6・1994年第263回(9月)定例会における質疑応答である。市議会議員の質問の要旨は、江戸川乱歩関連資料は市立図書館が収集をつづけてきたところであるが、乱歩のご遺族が保有する資料を提供していただくことも視野に入れ、名張市に独立した乱歩資料館を建設すべきではないのか、といったことであった。
名張市教育委員会の答弁。
P.243 ◎ 教育長(梅田馨君)
◎教育長(梅田馨君) 乱歩先生のお子さんであります平井隆太郎さんのお持ちの遺品について、過去にも何とか名張市にひとつご協力いただきたいということを再三お願いした経過がございます。その中で、現在は12点について平井隆太郎さんから遺品をお借りして展示をしているのが現状でございます。なかなか譲っていただくことについては難しいことだと思っておりますし、逆に平井隆太郎さんの方は、最近、より一層やはり親の遺産でありますそういうふうな遺品を集めているというふうなことを承っておりまして、今後名張市が夢を見ております乱歩館等が仮に実現したときはどうなるかということについては、少しまだそんなことで接触もしておりません。まだそういうものが夢の夢でございますので、そう先走った話もできておりませんが、なかなか貴重な遺品でございますので、譲ってもらうについては難しいのでなかろうかなと。むしろそういう機会が今後起きていったら、お借りすることでお願いをしなきゃならんのかなというふうなことも現時点では担当者を含めて論議をした経過が最近ございます。また、慶応大学で乱歩先生の研究会というのがあるそうでございます。その研究会から研究したいろんな資料等について、名張市さんに協力したいんだということをごくごく最近でございますが、情報が入ってきておりまして、そういう観点では、その中にどういうものが入っているか、まだ詳しく関知してないわけでございますが、そういう等が意義のあるものであれば、ぜひご協力もお願いしていきたいなと、かように思っておるところでございます。 |
名張市教育委員会などというのはむろんいまでもばかなのだが、当時からばかだったのだということである。だいたい乱歩関連資料というのがたんに乱歩の遺品のことであるとしか考えられないところがばかなのであるが、そんなことはまあいい。それに名張市サイドとしては、あわよくば乱歩のご遺族から遺品をせしめて乱歩館たらいうものを建設し、超一流ブランドのオーナーになった気分でおおいに自慢したいとか誇りたいとか誉められたいとか認められたいとか有名になりたいとか、そんなおもわくを胸に秘めるのは無理からぬ話でもあったのであろうなこの俗物ども。
しかしこら俗物、少しはものの道理というものを考えてみろ。そんな皮算用が成立すると思うか。乱歩のご遺族の立場に立って考えてみたことがあるのか。ご遺族としては、どうしてわざわざ名張のような草深い土地に乱歩の遺産を提供しなければならぬのか、ということになるはずである。それでもまだ、田舎者というのは無神経無配慮でひたすら厚かましいものであるから、ご遺族のもとに足しげく通っておねだりすれば終始は一貫しておった。田舎者が乞食根性丸出しでアプローチすればよかったのである。
ところが何もしなかったんだからなあ。どんなアクションも起こそうとせず、ただ「名張市が夢を見ております乱歩館」だの「夢の夢」だのと寝言みたいなをことを並べるだけであったのだから、いやもう無駄飯食いってのはほとほとどうしようもないものである。いやまあ、何もせずに人がものをくれるのをただ待ってるだけだったんだから、それが乞食の王道であったというべきか。
いやいや、そんなこともまだいい。かまわん。この答弁を読んで心底びっくりしたのは、「慶応大学で乱歩先生の研究会というのがあるそうでございます。その研究会から研究したいろんな資料等について、名張市さんに協力したいんだということをごくごく最近でございますが、情報が入ってきておりまして」というところである。なんなんだこのでたらめは。嘘八百は。名張市教育委員会などというのはむろんいまでもばかなのだが、当時からばかだったのだということである。というか、名張市教育委員会はいったいどこまでばかであったら気が済むのか。ばかの頂上をめざしておるのか。
慶應義塾大学に乱歩の研究会なんてものはないのである。ないはずの研究会から研究の資料を提供してもらえるわけなどないのである。存在しない組織から存在しない資料をもらえると本気で考えていたのだから、乞食というのはつくづくあさましいものである。こらばか。このぼんくら委員会。どうせなら正直に、名張市乞食委員会とでも看板をかけ替えておいたらどうだ。
正確なところを記しておく。それは慶應義塾大学推理小説同好会OB会のことである。乱歩を研究する組織なんかではまったくない。会名が示すとおり、内外の推理小説が好きな人たちの集まりである。そのOB会のみなさんから、この定例会が開かれた平成6・1994年ころ、自分たちが私蔵しているミステリー関連書を乱歩の生まれ故郷にある名張市立図書館に寄贈してやろうという申し出をいただいた、というだけの話である。それがどうして乱歩の研究会がどうのこうのという話になってしまったのか。じつに飛躍の多い伝言ゲームであったというしかないが、名張市教育委員会が市議会の定例会で無茶苦茶な答弁をしておったというのはまぎれもない事実である。あの委員会にはおそらく、情報を正確に理解し伝達する能力がないのであろう。
いやはや、ばかをおちょくってると長くなって困るのだが、もう少し説明を加えておく。名張まちなか再生プランがらみでいうと、例のミステリー文庫の具体的なアイテムというのが、この慶應義塾大学推理小説同好会OB会のみなさんからの寄贈図書なのである。長く市立図書館の地下書庫に死蔵されたままである。だから細川邸を整備するというのなら、乱歩が生まれた新町にある細川邸をまちなか再生のために整備するというのなら、乱歩という素材を利用しない手はないし、さらに現実に即していうならば死蔵された寄贈図書をそれこそ再生しない手はないのである。名張まちなか再生プランに対して提出したパブリックコメントにはっきりそう明記しておいてやったというのに、それをいっさい無視したあげく、いまごろになって細川邸の川蔵にミステリー文庫をつくります、いややっぱりつくりませんなどとわけのわからんことほざいてるうすらばかども、やっぱりおまえらをおちょくってると長くなって困る。
長くなってほんとに困るのではあるけれど、さらにいささかを付記しておくならば、名張市は慶應義塾大学推理小説同好会OB会のみなさんから長くご高誼をたまわり、数えてみれば十三年、毎年秋になると首都圏や関西圏などにお住まいのメンバー有志が「名張ツアー」と称して名張まで足を運んでくださっていたのだが、そうした縁も去年で切れてしまった。名張市が愛想を尽かされたということであろう。それはもうしみじみと実感されることである。市民のあずかり知らぬことではあれど、乱歩にかんして、あるいはミステリーにかんして、名張市はこれまでお世話になっていたあちらこちらのみなさんからすっかり愛想を尽かされているのである。
名張ツアー二年目から昨年まで、OB会のみなさんからひとかたならずお引き立てをいただいて、昨年11月には伊賀市の金谷で伊賀牛のすき焼きをご馳走になったりしていた身としては、はっきりいってメンバーのみなさんにあわせる顔がないのである。あわせる顔がないといえば、桝田医院第二病棟をご寄贈くださった桝田敏明先生のご遺族に対してもそうであるし、あるいはなんかもう乱歩のご遺族にも、さらにいえばこれまでさまざまなご協力をかたじけなくしてきた全国の乱歩ファンのみなさんにも、はっきりいってあわせる顔なんてどこにもありゃせんのだぞ実際。
つぎ、市議会議員の再々質問。
P.245 ◆ 議員(竹内秀夫君)
◆議員(竹内秀夫君) 江戸川乱歩先生の資料については、巷間に散逸しているものをそれぞれピックアップして集めていくという、大変なご苦労があると思いますが、これからも鋭意ご努力をお願いしておきたいと思います。先ほど申し上げたご遺族ご所有の重要な資料といいましょうか、大事なものについては、特に、これからも名張が乱歩資料館というものを考えるというか、それを充実していく上において、やはり重要なポイントの一つでもあろうと思いますので、十分情報収集をしていただいて、そういうきっかけがありましたら、その機会をとらまえて十分対処できるような体制を常におとりいただけたらと思うわけであります。せっかく鋭意ご努力願ってた資料も、たった重要なものがないために、画竜点睛を欠くような資料館になるということもあり得るわけでございますので、特にこの点は教育委員会の方へお願いをしておきたいと思うわけであります。 |
だからいくらお願いをしておいたところで、名張市教育委員会なんてまったく頼りにならぬのであるし、「ご遺族ご所有の重要な資料」なんてのを名張みたいな辺鄙な山のなかに提供していただける道理もないのである。名張市としては、みずからの身のたけや身のほど、あるいは分際というものをよくわきまえて、乱歩にかんして分相応に、できることをしっかり地道にきっちり着実にやってゆけばいいのである。ただそれだけの話なのであるが、ろくに乱歩作品を読んだこともなく、乱歩のことを知ろうともせず、もとより乱歩へのリスペクトなどかけらもないくせにやたら乱歩を売名に利用しようとする無教養きわまりない俗物どもには、そんなあたりまえのことすらわからぬのであろうな。
つづいて、平成6・1994年第264回(12月)定例会。
名張市の答弁。質問はふるさと振興基金にかんするもので、乱歩関連事業にも基金をちょこっとつかいましたという報告である。
P.254 ◎ 市長公室長(奥西正利君)
□ご承知のように、ふるさとのこの振興基金といいますのは、昭和63年度から地方交付税等に算入されているものでありまして、平成元年3月におきまして、これの振興基金の設置、管理及び処分に関する条例というものを制定していただきまして、そして、その条例に従って運用益を活用しているところでございます。まず、今まででございますが、平成3年度からこの運用益を活用しておりまして、平成3年度では1,300 万円、名張ミステリーフェスティバルとか、あるいはCATVの出資とか、あるいは名張駅東口広場広域サインとか、あるいは生涯スポーツの国際交流事業と、こういったことに助成なり事業費を支出しているところでございます。平成4年度につきましては、合計で1,518万円余でアメリカ・ジャパンウィーク、オレゴン州との国際交流ですが、それとか、あるいは乱歩ふるさとの発見事業とか、名張薪能とか、夏休み少年洋上教室とか、こういったところに助成なり事業費として活用しているところです。平成5年度におきましては850万円でございまして、これも乱歩の関係の事業とか、あるいは名張薪能等の助成なり事業費として活用しているところです。本年度は、一応予算的には2,530万、その半分に当たります 1,500万円程度につきましては、市制40周年記念事業の財源として充当さしていただいて、あとふるさと振興事業に役立つ夏休みの少年洋上教室とか、あるいは文化、あるいはスポーツ等の国際交流とか、そういったところに助成等を予定しているところでございます。 |
明けて、平成7・1995年第269回(12月)定例会。乱歩にかんしてどうということもない言及がみられるのみなのであるが、まあひろっておく。
市議会議員の質問。
P.146 ◆ 議員(坪井祥君)
□第3点のまちづくりのことでありますけれども、市長からご答弁をいただきました。実際問題として、私の友人も何回か泊まりがけで尋ねてきておりますけれども、名張ってこんなとこやとは知らなんだということをいろいろおっしゃってくれるわけなんですね。私たちも住ませてもらってやっぱりいい町やったなあと思うんですが、それに対するこの名張市側からの発信というんですか、そういうものがもう一つ足らんのやないかなあということを少し考えておるわけなんです。これは、ほかの資料で申し訳ないんですけども、環境文化研究所の調査、その中で例えて申しますと、観光地としてのイメージアップ戦略という項目がございまして、その方の一つの見方なんですけれども、名張を象徴するものは余り明確ではなかった。例えば、忍者、藤堂家、観阿弥、江戸川乱歩、赤目四十八滝、香落溪、青蓮寺ブドウなどがあるが、これまでも強調しようという動きは少なかったというふうな、これは外部の方の一つの指摘なんですが、一つの聞くべき意見かなあということを私は考えているわけであります。この一つの分析の結果、新しいシンボルを発見して、そのシンボルに基づいた観光キャンペーンというふうなものを打ち出していって、一つの名張のイメージアップをしてはどうだろうとか。あるいは、市の方で観光振興計画をまとめて発表するとか、あるいはふるさと白書の作成をしてみてはどうかとか、ふるさと情報館、こういったものを旧市街地あたりにつくっていって、新旧住民もちろんのこと、外からもたくさんの人々を迎えて町興しをしていったらどうだろう、こういう一つのユニークな提言というふうに私は読ませていただいたんですけども、こういうもので何とか今後の町興しというんですか、十分興ってるやないかということかもわかりませんけど、私は一つのイメージとしてもうちょっと打ち出していくものがあってよいんではないかなあと思うわけなんです。その点お考えをお述べいただくとありがたいと思います。 |
名張市の答弁。
P.149 ◎ 市長(富永英輔君)
□それから、2点目のまちづくりのコンセプトの問題でございますし、名張の町をどうイメージにしていくかと、こういうあたりの取り組みの問題でございます。ですから、例えばこの県内におきましても、それぞれの地域がそれなりの以前からずっと持ち合わせている町のイメージそのものをまちづくりの中に生かし切っているところもあるでしょうし、またそうでないところもある。せっかくの資産がありながらそれを生かし切ってないところもあるだろう、こんなふうに思うわけです。しかし、私は市長になりましたときに一番最初そのことを大事にしようと、これは名張にしかないものをとにかく大事にしていこう、このことをコーポレート・アイデンティティーという形で各企業がおやりになっておりますが、その恣意を私がシティー・アイデンティティーだと、こういうぐあいに申し上げて、名張市の持っている個性、魅力、名張市にしかないもの、これを大事にしながら、これは新旧市民が共有できる大事な大事な財産であります。しかしながら、全世界に発信し得るほどのインパクトを持ったような決定打、実はないことはもう市民の皆さん方十分ご承知のような名張でございますけれども、しかし、しかないものがこれほどたくさん豊富にそろっている町も実はないわけです。赤目四十八滝に象徴されるような、例えば香落溪に象徴されるようなあの柱状節理なんかを、香落溪の柱状節理一つとりましても、あれだけの一つの渓流、いわゆる渓谷の中にあれだけの数の滝が存在をしているという町も実はないわけです。そして、全国650ほどの、660近い都市がございますけれども、市長室からダムの堰堤が見えるなんてな都市もまず全国じゃあ名張だけだろうと、こんなふうにも思うわけですね。ですから、豊かな自然というのはかけがえのない財産だと。そしてまた、この観阿弥が座を興した町、江戸川乱歩が生まれた町、壬申の乱ゆかりの、いわゆる歴史街道の拠点としての初瀬街道、そしてその中の夏見廃寺、美旗古墳群とこう考えてまいりますと、全国に発信し得る自慢すべきものというのはいっぱいあるわけです。 |
おなじく平成7・1995年第269回(12月)定例会。この質問にも乱歩への言及がある。やはりどうということのない言及である。
P.75 ◆ 議員(川合滋君)
□そしてまた、遊の部分ですけれども、名張市には赤目四十八滝、そしてまた香落溪、青蓮寺の観光ブドウ園等、そしてまたそれ以外に観阿弥の創座の地であり、また江戸川乱歩の出生の地であり、夏見廃寺があり、観光資源は幾らでもあるわけですけれども、この観光開発をどのようにしていくのか、またどのようにアピールしているのか。このあたりもお聞かせいただきたいなあと。 |
平成8・1996年もみておくことにして、まず第270回(3月)定例会。教育委員会が新年度教育行政の方針と施策について述べたくだりである。
P.10 ◎ 教育委員長(辻敬治君)
□図書館につきましては、すべてのものをすべての人にという公共図書館の理念に基づいて、市民の多様な要望にこたえられるよう資料を収集、整備し、新鮮で話題性に富んだ魅力のある蔵書づくりとサービスの資質向上に努めてまいります。さらには、乱歩関係資料の充実整備を図るほか、学校教育や社会教育施設との連携、協力によって、地域に密着した親しまれる図書館づくりを進めたいと考えております。 |
おなじく平成8・1996年の第271回(6月)定例会。名張市の答弁である。
P.88 ◎ 市長(富永英輔君)
□それから、3点目に、新しい観光資源の発掘なり、あるいは道路整備の問題でございますけれども、これはもうご所見いただいたとおりでございますので、私どもといたしましても、今日単に、この名張の持っている、そういった自然景観を中心とした観光資源だけではなしに、歴史的な文化遺産も当然のことながら観光資源として活用していこうと、あるいは観阿弥創座の地として能楽を一つの観光資源に、あるいは江戸川乱歩の生誕地としてのミステリーの町としても、あるいはそのほかに、さまざまな地域によりましては祭りだとか、あるいは松明調進行事のような一つの民俗行事もございまして、そういったさまざまなそれこそ非物的な部分も含めて観光資源としてこれから十分活用していけるようにしてまいりたいと、このように考えております。したがって、そういうことを、観光地を、またあるいはそういうものを有機的に結んでいくための観光マップを作成をいたしましたり、そういったこととあわせて、ご所見をいただきましたように、道路整備についてもこれから精いっぱい関係方面へ要望、陳情を重ねまして、早期にそういった道路整備も完成できるように努めてまいりたいと、こう考えております。 |
これまたどうということもない言及であるが、こうしたどうということもない言及合戦からうかがえるのは、いわゆる観光資源としてであれいわゆる全国発信の素材としてであれ、名張市は江戸川乱歩をうまく活用すべきあるということはだいたいわかっているのだけれど、どんなふうに利用すればいいんだか誰にもまったくわかっていない、という一事であろう。あたりまえである。虫のいいことを考えるばかりで、ろくに乱歩作品を読んだこともなく、乱歩のことを知ろうともせず、もとより乱歩へのリスペクトなどかけらも、以下略。
あすにつづく。
いや鬱である鬱である。正真正銘の鬱なのであるが、ちゃんと葬送はしなければ、ということで便法を思いついた。名張市公式サイトにある市議会の会議録にもとづいて、名張市における乱歩なるものの変遷をあとづけておくことにする。要するに、「乱歩」という語で検索をかけてみるだけの話なのであるが。
市議会といえば、名張市の3月定例会が3日に開会し、市の公式サイトに新年度の施政方針が掲載された。
名張市公式サイト:施政方針 平成20年3月
細川邸改めやなせ宿にかんする記述を引いておく。
こんなことでもいっておくしかないのであろうが、少しは反省というものがあったのかな。しょせんきれいごとに終始するだけの施政方針で、まさか細川邸の整備事業はみごとなまでの大失敗でございました、てへっ、そこらのうすらばか何十人と集めたところでなんの役にも立ちませんでした、てへっ、てへっ、などと正直なところを開陳するのはできない相談であるにしても、今後ということもあるのだから、ちっとは反省というものをしてもらわなければ困るのである。
ついでだから、反省材料として、以前にも引いたものだが、昨年10月に提出された名張市考査委員会の事務事業評価報告書にみえる評価を引いてみる。
名張市公式サイト:平成19年度外部評価結果
名張市公式サイト:考査委員会事務事業評価報告書(pdf)
こうした評価は新年度の施政方針に、いささかなりとも反映されているのであろうか。そんなことはまったくないようにみえる。名張まちなか再生委員会の位置づけはあいまいなままであり、行政は主体性放棄の一点張りである。反省なんて少しもしておらんのではないか。
さらについでである。去年の施政方針から引いてみる。
名張市公式サイト:施政方針 平成19年2月
「市民・行政・大学」の三位一体はどうなったか。市民といったって、いまや細川邸改めやなせ宿に直接かかわっているのはごくわずかな数の市民である。市民という言葉が有している普遍性など、もはやどこにも認められぬ連中である。行政となるとこれはもう、先述のごとく一から十まで主体性放棄の一点張りを貫き通している。そして大学というのは、これはどの大学のことであるのか。三重大学か、皇學館大学か。いずれにしても、大学の影などどこにも見あたらぬではないか。ただしまあ、中学生がつくった壁新聞のような、などと表現してしまうのは中学生諸君にほんとに申しわけないのであるが、案内板だけはなんとか年度内に設置されるようである。
ついでじゃついでじゃ。おととしの施政方針。
名張市公式サイト:施政方針 平成18年3月
もう何もいう気がしないから、さらにそのまえの年にさかのぼる。
名張市公式サイト:施政方針 平成17年3月
平成17・2005年3月の時点では、細川邸は公設民営の歴史資料館として整備されることが決まっていた。それが名張まちなか再生プランの核であった。名張市議会が承認を与えたのは、あくまでも細川邸を歴史資料館にする構想が盛りこまれた名張まちなか再生プランである。それがいつのまにかあっさりとくつがえされ、細川邸は無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館になってしまったのである。名張市議会のみなさんはこのあたり、いったいどのようにお考えなのであろうか。あろうか、なんて尋ねてみたってしかたねーのか。
まえおきが長くなった。名張市公式サイトに掲載された市議会会議録の話題に移る。
名張市公式サイト:名張市議会会議録
掲載されたうち最古の会議録は、平成6・1994年のそれである。ときあたかも、生誕百年を迎えて乱歩ブームが起きていたころのことである。
それでは、平成6・1994年第263回(9月)定例会。
市議会議員の質問。
えらいものである。当時はまだ、名張市にも財政的余裕というものがあったのである。乱歩資料を含む郷土資料の購入費に、なんと二百万円の補正予算を組む余裕があったのである。どこの話かとぞ思う。
名張市教育委員会の答弁。
名張市教育委員会などというのはむろんいまでもばかなのだが、当時からばかだったのだということである。この答弁では、なんのために資料を収集しているのかがわからない。資料収集が目的化しているのである。収集した資料をどう活用するのかということがまったく考えられていない。どうやら自慢するための資料であるらしい。名張市は頑張っておりますという売名のための資料であるらしい。ばかかこら低能。
しかもなさけないことに、そうした資料の収集は東京の古書店まかせであったらしい。みずから乱歩の資料にかんする知識を身につけようとするのが先決であろう。乱歩作品を読み、乱歩がどういう作家であったかを知ることが先であろう。ところが、そういうことは何もせんわけである。すべてあなたまかせなのである。あなーたっとー呼べーばー、あほーかっとー答ーえるー。まさしくあほなのである。それで恰好だけはつけたいのである。名張市は頑張っておりますと誇りたいのである。誉められたいのである。ばーか。そんな低能自治体だれが誉めるか。
市議会議員の再質問。
ハコモノの話である。ただし、これは無理からぬところであろう。当時、乱歩の資料が将来にわたって散逸をまぬがれ、信のおける機関や団体などの手で恒久的に保管されるという保証はどこにもなかった。だからこの時点では、名張市が乱歩関連資料を買いあさり、資料の散逸をわずかでも防ぐ役割を買って出ることには、それなりの正当性が認められたはずである。
ようやく調子が出てきた。えーいッ。うすらばかども校庭にならばせて順に張り倒してやる勢いで、あすにつづくぞ。
市議会といえば、名張市の3月定例会が3日に開会し、市の公式サイトに新年度の施政方針が掲載された。
名張市公式サイト:施政方針 平成20年3月
細川邸改めやなせ宿にかんする記述を引いておく。
□まちなか再生につきましては、本年6月にオープン予定の旧細川邸「やなせ宿」は、市民をはじめ、多くの来訪者の交流拠点施設として、地域の皆様方が主体となって、多様な事業が展開されるよう大いに期待をいたしているところでございます。また、本事業につきましては平成20年度も引き続き、城下川沿いの道路修景、太鼓門散策道整備、桝田医院第2病棟の跡地整備などに取り組んでまいります。
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こんなことでもいっておくしかないのであろうが、少しは反省というものがあったのかな。しょせんきれいごとに終始するだけの施政方針で、まさか細川邸の整備事業はみごとなまでの大失敗でございました、てへっ、そこらのうすらばか何十人と集めたところでなんの役にも立ちませんでした、てへっ、てへっ、などと正直なところを開陳するのはできない相談であるにしても、今後ということもあるのだから、ちっとは反省というものをしてもらわなければ困るのである。
ついでだから、反省材料として、以前にも引いたものだが、昨年10月に提出された名張市考査委員会の事務事業評価報告書にみえる評価を引いてみる。
名張市公式サイト:平成19年度外部評価結果
名張市公式サイト:考査委員会事務事業評価報告書(pdf)
シートNO.
4022 事務事業名 中心市街地活性化事業 総合評価 継続(事務改善) 主な意見 ・「まちなか再生委員会」の位置づけが不明確であり、責任主体の明確化が必要である。 ・指定管理者の導入は公募を前提とすべきであり、NPO法人への特命は望ましくない。 ・計画が楽観論過ぎるので、組織、権利関係を明確にするため、条例の担保が必要である。 ・ワークショップとしての位置づけを明確にし、事業決定権は市長にあることを明らかにする必要がある。 |
こうした評価は新年度の施政方針に、いささかなりとも反映されているのであろうか。そんなことはまったくないようにみえる。名張まちなか再生委員会の位置づけはあいまいなままであり、行政は主体性放棄の一点張りである。反省なんて少しもしておらんのではないか。
さらについでである。去年の施政方針から引いてみる。
名張市公式サイト:施政方針 平成19年2月
□「名張まちなか再生事業」については、市民・行政・大学の三者が連携を行い、細川邸を改修し、まちなかの交流拠点として活用を図るとともに、江戸川乱歩生誕地碑のある桝田医院元第2病棟跡地利用に向けた取組みや、名張地区の名所を紹介する案内板設置の取組みを進めます。
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「市民・行政・大学」の三位一体はどうなったか。市民といったって、いまや細川邸改めやなせ宿に直接かかわっているのはごくわずかな数の市民である。市民という言葉が有している普遍性など、もはやどこにも認められぬ連中である。行政となるとこれはもう、先述のごとく一から十まで主体性放棄の一点張りを貫き通している。そして大学というのは、これはどの大学のことであるのか。三重大学か、皇學館大学か。いずれにしても、大学の影などどこにも見あたらぬではないか。ただしまあ、中学生がつくった壁新聞のような、などと表現してしまうのは中学生諸君にほんとに申しわけないのであるが、案内板だけはなんとか年度内に設置されるようである。
ついでじゃついでじゃ。おととしの施政方針。
名張市公式サイト:施政方針 平成18年3月
活気にあふれる「元気先進都市」を目指す主な取組として、中央西土地区画整理事業や公共下水道事業、また、名張地区においては、歴史・文化の活用、まちなか研究室や学生サロンなど地域住民との活発な交流や活動を推進し、名張市の顔となる中心市街地の活性化に取り組みます。
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もう何もいう気がしないから、さらにそのまえの年にさかのぼる。
名張市公式サイト:施政方針 平成17年3月
□また、市民との協働により策定しました名張地区既成市街地再生計画「名張まちなか再生プラン」を基本に、自然や歴史、文化などの地域資源を積極的に活用した魅力あるまちづくりを目指し、市民や事業者などの参加と連携のもと、計画的に事業を推進してまいります。
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平成17・2005年3月の時点では、細川邸は公設民営の歴史資料館として整備されることが決まっていた。それが名張まちなか再生プランの核であった。名張市議会が承認を与えたのは、あくまでも細川邸を歴史資料館にする構想が盛りこまれた名張まちなか再生プランである。それがいつのまにかあっさりとくつがえされ、細川邸は無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館になってしまったのである。名張市議会のみなさんはこのあたり、いったいどのようにお考えなのであろうか。あろうか、なんて尋ねてみたってしかたねーのか。
まえおきが長くなった。名張市公式サイトに掲載された市議会会議録の話題に移る。
名張市公式サイト:名張市議会会議録
掲載されたうち最古の会議録は、平成6・1994年のそれである。ときあたかも、生誕百年を迎えて乱歩ブームが起きていたころのことである。
それでは、平成6・1994年第263回(9月)定例会。
市議会議員の質問。
P.239 ◆ 議員(竹内秀夫君)
□次に、教育関係の予算の中で図書館関係でありますけども、図書の購入の費用としての郷土、それから乱歩資料の購入として補正が200万円計上されております。この資料については、巷間に散らばっております資料を購入するところの予算と見受けるわけでございますが、特に乱歩の資料に関しましてお尋ねをしておきたいのは、名張市が乱歩資料館を充実していくと、これからも充実を図っていって、乱歩生誕の地としての、名張としての資料館を充実していくという場合に、今後その関係資料を集める場合に、特に対策を必要とされて構想をお持ちなのかどうか、この際お尋ねをしておきたいと思うわけであります。 |
えらいものである。当時はまだ、名張市にも財政的余裕というものがあったのである。乱歩資料を含む郷土資料の購入費に、なんと二百万円の補正予算を組む余裕があったのである。どこの話かとぞ思う。
名張市教育委員会の答弁。
P.240 ◎ 教育長(梅田馨君)
◎教育長(梅田馨君) 江戸川乱歩先生の図書購入については、名張市として最大の努力をして、名張は乱歩の発祥の地として恥じない、また誇れるような収集をしたいというふうなことで頑張っているところでございまして、過去いろいろとお骨折りをいただいておるおかげで、現在約400点近く、もちろん遺品、写真、著書等を含めてでございますが、そのぐらいの点数を担保さしていただいているところでございます。現状におきましては、いつ何どきこの先生の資料が本屋さん等に出回るかわからん状況の中で、東京の神田の本屋さん街等で、過去にいろいろと名張がこういう活動をしておるということをお願いしていること等がありまして、出たらすぐに図書館の方に通報をいただいて、即座にその品物を抑えさしていただいているという状況でございまして、できるだけ多くそういうふうなアンテナを全国に向けて、名張市はやはり乱歩に力を入れているんだということをPRしているのが現状でございます。かなり、現状、東京のそういう重立った本屋さんでは、名張はこれにかかわって力を入れているということを認識していただいていると見えまして、ごく最近等、いつ何どきかわかりませんが、通報をいただいて購入をさしていただいておるわけでございまして、現在もそういうことで補正予算でお願いしているのは、実は既決の予算を、一般図書の予算を購入さしていただいて、先食いさしていただいておる関係上、それをフォローする意味で補正予算を財政当局にお願いして対応をお願いしたわけでございます。そのような状態で、今後も一層の収集の努力をしてまいりたいと、かように考えております。 |
名張市教育委員会などというのはむろんいまでもばかなのだが、当時からばかだったのだということである。この答弁では、なんのために資料を収集しているのかがわからない。資料収集が目的化しているのである。収集した資料をどう活用するのかということがまったく考えられていない。どうやら自慢するための資料であるらしい。名張市は頑張っておりますという売名のための資料であるらしい。ばかかこら低能。
しかもなさけないことに、そうした資料の収集は東京の古書店まかせであったらしい。みずから乱歩の資料にかんする知識を身につけようとするのが先決であろう。乱歩作品を読み、乱歩がどういう作家であったかを知ることが先であろう。ところが、そういうことは何もせんわけである。すべてあなたまかせなのである。あなーたっとー呼べーばー、あほーかっとー答ーえるー。まさしくあほなのである。それで恰好だけはつけたいのである。名張市は頑張っておりますと誇りたいのである。誉められたいのである。ばーか。そんな低能自治体だれが誉めるか。
市議会議員の再質問。
P.242 ◆ 議員(竹内秀夫君)
□次に、乱歩の資料の問題でございますが、一般に巷間流れております資料をピックアップして少しでも蓄積していくという、これも大変大事なことでありましょう。それはそれとして、これからも鋭意ご努力をお願いし、資料の充実を図っていただきたいと思いますし、やはり、名張市も一つの看板といいましょうか、名張としての重要ポイントとして乱歩先生というものを考えるならば、それに伴うところの予算も十分対応していかなければいけないものであろうと考えております。ただ、問題は、江戸川乱歩先生のところのご遺族の方が保有する資料、これがかなりまとまった資料をお持ちのように聞いております。その資料を名張市がぜひちょうだいするということも大きな課題ではないかと思うわけです。その点について、関係者からもそのことの重要であることも聞かされたのを記憶しておるわけでございますが、その点に対してどういうふうにこれから名張市として対応していこうと考えておられるのか。やはり資料室というような規模ではなくて、江戸川乱歩先生の資料館というようなものを別途につくられるとか、そういったような根本的な見直しというようなものもこれからの受け皿としては必要なのではないかと思うわけです。その点について、教育委員会、また市長の方でも何かそれに対しての構想といいましょうか、お考えがありましたら、ぜひこの際お聞かせをいただきたいと思います。 |
ハコモノの話である。ただし、これは無理からぬところであろう。当時、乱歩の資料が将来にわたって散逸をまぬがれ、信のおける機関や団体などの手で恒久的に保管されるという保証はどこにもなかった。だからこの時点では、名張市が乱歩関連資料を買いあさり、資料の散逸をわずかでも防ぐ役割を買って出ることには、それなりの正当性が認められたはずである。
ようやく調子が出てきた。えーいッ。うすらばかども校庭にならばせて順に張り倒してやる勢いで、あすにつづくぞ。
きょうも肌寒い。しかしこれは、風邪であるとか気候であるとか、あるいは二日酔いであるとか、そういったもののせいばかりでもないのではないか。この肌寒いような無力感や虚脱感、へたをすれば絶望感のようなものは、いったい何に発しているのか。これは葬送の気配ではないのか。どうもそんな気がする。ひとことでいえば、名張市って終わりじゃね? そんな感じなのである。
ま、そんなことはどうだってかまわない。名張市のことなんかもう知らない。ただし、江戸川乱歩だけはちゃんと葬送しておかねばなるまい。3月いっぱいで名張市立図書館とおさらばする身である。たぶんその時点で、乱歩と名張市の縁というものも、うわべのことはともかく、実質的本質的なレベルではぷっつり切れてしまうはずである。あとのことは知らぬ。好きにするがよい。とはいえ、ろくに乱歩作品を読んだこともなく、乱歩のことを知ろうともせず、もとより乱歩へのリスペクトなどかけらもないうすらばかがいったい何をどうするというのだあんぽんたん。
そういった次第で、なんとも鬱々としてしかたないのであるが、あすあたりから乱歩葬送の話題に入りたい。おさらばの準備である。それにしても鬱だよなあまったく。
ま、そんなことはどうだってかまわない。名張市のことなんかもう知らない。ただし、江戸川乱歩だけはちゃんと葬送しておかねばなるまい。3月いっぱいで名張市立図書館とおさらばする身である。たぶんその時点で、乱歩と名張市の縁というものも、うわべのことはともかく、実質的本質的なレベルではぷっつり切れてしまうはずである。あとのことは知らぬ。好きにするがよい。とはいえ、ろくに乱歩作品を読んだこともなく、乱歩のことを知ろうともせず、もとより乱歩へのリスペクトなどかけらもないうすらばかがいったい何をどうするというのだあんぽんたん。
そういった次第で、なんとも鬱々としてしかたないのであるが、あすあたりから乱歩葬送の話題に入りたい。おさらばの準備である。それにしても鬱だよなあまったく。
きのうはまいった。前の晩、ろくに眠らずに思案に暮れていたものだから、二日酔いもひどくて、朝から体調は最悪であった。そんな状態で思案に結論を出すと、いわゆる前向きな考えはまず生まれない。
だから、NPOなんてつくるのは面倒だし、なんかもうすべてがどうでもいいや、という気になって、乱歩のことからは完全に手を引いてしまおうという気になった。
こうした場合、つまり、乱歩のことを手がけるためにNPOでもつくるか、と思い立ったりした場合、それを伝えて助力を依頼しなければならない相手というのが、名張市内にふたり、存在する。
うちひとりには、おととい、名張市長との面談があった日、夕刻に会ってNPOのことを伝えた。そのときは、NPOに対して前向きでいられたのだが、一夜あけたきのうは、体調不良のせいもあって、その考えがほぼ逆転していた。
で、おととい名張を留守にしていたというもうひとりには、きのうの夕刻に会うことができたのだが、いろいろ気にかけてもらったり世話になったりしたけれど、あまりにもあほらしくなったので、乱歩のことからはいっさい手を引くことにする、と伝えた。
ただしこれは、最終的な結論ではない。おとといはNPOをつくることに傾いていた考えが、きのうは乱歩から手を引くことに傾いていた、ただそれだけのことである。いやそんな、早まるな、と慰留され、
「中さん、飲みすぎでぽっくりいかんといてえや」
と忠言をもらって、帰ってきた。たしかにこのところ、やけ酒の度をすごしている。
さて、いったいどうしたものであろうか。
だから、NPOなんてつくるのは面倒だし、なんかもうすべてがどうでもいいや、という気になって、乱歩のことからは完全に手を引いてしまおうという気になった。
こうした場合、つまり、乱歩のことを手がけるためにNPOでもつくるか、と思い立ったりした場合、それを伝えて助力を依頼しなければならない相手というのが、名張市内にふたり、存在する。
うちひとりには、おととい、名張市長との面談があった日、夕刻に会ってNPOのことを伝えた。そのときは、NPOに対して前向きでいられたのだが、一夜あけたきのうは、体調不良のせいもあって、その考えがほぼ逆転していた。
で、おととい名張を留守にしていたというもうひとりには、きのうの夕刻に会うことができたのだが、いろいろ気にかけてもらったり世話になったりしたけれど、あまりにもあほらしくなったので、乱歩のことからはいっさい手を引くことにする、と伝えた。
ただしこれは、最終的な結論ではない。おとといはNPOをつくることに傾いていた考えが、きのうは乱歩から手を引くことに傾いていた、ただそれだけのことである。いやそんな、早まるな、と慰留され、
「中さん、飲みすぎでぽっくりいかんといてえや」
と忠言をもらって、帰ってきた。たしかにこのところ、やけ酒の度をすごしている。
さて、いったいどうしたものであろうか。
きのうの朝、名張市役所の秘書室から、電話連絡が入った。午後1時からなら、市長と面談できるとのことである。で、その時間に市役所を訪れ、拝眉の機を得た。
10月5日付エントリ「この先も乱歩にかんして」に記したとおり、「こちらでNPOをつくって、名張市がやるべきことをやってやるしかないのではないか」との結論に達したので、はたしてそれが可能かどうか、つまり、たとえば五年なら五年と期限を切って、市立図書館の収集資料にもとづき、あらたに資料調査も進めたうえで、インターネット上に乱歩にかんするデータベースを構築することをメインに、ほかにも関連する出版や催事などの活動をつづけるとした場合、名張市からNPOへの民間委託というかたちをとることが可能なのかどうか、市長にお会いしてそれを確認したかったのである。
いまだ海のものとも山のものともつかぬ話だから、市長からは、企画書を書いて提出するように、という指示があっただけで、きのうの面談はそれで終わった。
そのあと、ずーっと悩みっぱなしである。
いまの立場では、何を提案しても実現できる見込みはあまりない。だが、やっておくべきことは少なからずある。だからNPOでやるしかないなと、一応の結論には達したのだが、そもそもNPOなるもののことがよくわからないし、自分でそんなものを組織するとなると、あらたな苦労を抱え込むだけのような気もする。
さて、どうしたものか。それを考えて、思い悩み不安になり、きのうの夜はほとんど眠れなかった。こんな経験は、たぶんはじめてのことである。
10月5日付エントリ「この先も乱歩にかんして」に記したとおり、「こちらでNPOをつくって、名張市がやるべきことをやってやるしかないのではないか」との結論に達したので、はたしてそれが可能かどうか、つまり、たとえば五年なら五年と期限を切って、市立図書館の収集資料にもとづき、あらたに資料調査も進めたうえで、インターネット上に乱歩にかんするデータベースを構築することをメインに、ほかにも関連する出版や催事などの活動をつづけるとした場合、名張市からNPOへの民間委託というかたちをとることが可能なのかどうか、市長にお会いしてそれを確認したかったのである。
いまだ海のものとも山のものともつかぬ話だから、市長からは、企画書を書いて提出するように、という指示があっただけで、きのうの面談はそれで終わった。
そのあと、ずーっと悩みっぱなしである。
いまの立場では、何を提案しても実現できる見込みはあまりない。だが、やっておくべきことは少なからずある。だからNPOでやるしかないなと、一応の結論には達したのだが、そもそもNPOなるもののことがよくわからないし、自分でそんなものを組織するとなると、あらたな苦労を抱え込むだけのような気もする。
さて、どうしたものか。それを考えて、思い悩み不安になり、きのうの夜はほとんど眠れなかった。こんな経験は、たぶんはじめてのことである。
名張市役所の秘書室から返事がとどかないので、あらためてメールを送信した。
メールの件名は「おねがいできますか」。 内容はつぎのとおり。
メールの件名は「おねがいできますか」。 内容はつぎのとおり。
名張市役所秘書室御中
□どうもお世話さまです。ご多用中恐縮ですが、昨日メールでお願いしました件、ご手配いただけるのかどうか、メールでご返事を頂戴できればと存じます。 □念のために以下、昨日と同文で。 □お世話になっております。ご多用中恐縮ですが、お聞き届けいただきたいことがありますので、以下に申し述べます。 □江戸川乱歩のことにかんして、市長のご見解を承りたく、また、当方の提案もお伝えいたしたく、勝手ながら、市長から拝眉の機を頂戴したいと考えております。日時をご指定いただければ、市長室にお邪魔いたします。 □よろしくご手配くださいますよう、お願い申しあげます。 2007/10/10 |
三連休が終わった。6日土曜日に送ろうとし、お役所が休みだからと思いとどまっていたメールを、ついいましがた送信した。
メールの件名は「おねがい」。 内容はつぎのとおり。
メールの件名は「おねがい」。 内容はつぎのとおり。
名張市役所秘書室御中
□お世話になっております。ご多用中恐縮ですが、お聞き届けいただきたいことがありますので、以下に申し述べます。 □江戸川乱歩のことにかんして、市長のご見解を承りたく、また、当方の提案もお伝えいたしたく、勝手ながら、市長から拝眉の機を頂戴したいと考えております。日時をご指定いただければ、市長室にお邪魔いたします。 □よろしくご手配くださいますよう、お願い申しあげます。 2007/10/09 |
昨5日、名張市の9月定例会が終わった。議案の審議は9月28日に終了していた。きのうは役員改選がおこなわれたのである。
定例会が終わるのを待って、名張市役所の秘書室にメールを送信するつもりであった。こんな内容である。
だが、きょうは土曜日である。三連休の初日である。
送信するのは休み明けのこととする。
定例会が終わるのを待って、名張市役所の秘書室にメールを送信するつもりであった。こんな内容である。
□お世話になっております。ご多用中恐縮ですが、お聞き届けいただきたいことがありますので、以下に申し述べます。
□江戸川乱歩のことにかんして、市長のご見解を承りたく、また、当方の提案もお伝えいたしたく、勝手ながら、市長から拝眉の機を頂戴したいと考えております。日時をご指定いただければ、市長室にお邪魔いたします。 □よろしくご手配くださいますよう、お願い申しあげます。 |
だが、きょうは土曜日である。三連休の初日である。
送信するのは休み明けのこととする。
平成11・1999年10月21日、ウェブサイト名張人外境を開設した。
きのうにつづいて、南陀楼綾繁こと河上進さんの「そして、本だけが残る──三人の「出版者」との対話」から引用。
時間の流れはこうである。
だから二冊目が出たあと、平成11・1999年度事業として、書誌二冊の内容をネット上で公開するための予算を要求したのだが、蹴られてしまった。「だったら自分でやるわ」と考えたのが、たぶんこの年の春のことで、半年あまりの準備期間のあと、江戸川乱歩の誕生日にあたる10月21日、名張人外境をオープンした。
公共図書館がインターネットを利用してサービスを提供するのは、いまやあたりまえの話である。図書館のサイトにアクセスすれば、蔵書を容易に検索できる。
しかし、名張市立図書館のサイトでは、一般の蔵書は検索できても、江戸川乱歩にかんするデータにふれることはできない。尋常なことではない。異常なことである。しかし関係者は、だれひとりとして、そのことに疑問を抱かない。
平成15・2003年、三冊目の『江戸川乱歩著書目録』を刊行した直後、面談の機会があったので、当時の教育長に直接、リファレンスブックが三冊そろったのだから、名張市立図書館のサイトに三冊のデータを掲載し、高度な検索ができるようにするべきであると提案した。結局、実現しなかった。
これは普通では考えられないことだから、少し前まで、どうして名張市立図書館のサイトに江戸川乱歩関連のデータが存在しないのかと、それこそ疑問を抱いた人からたまにメールが届くことがあった。
しかし最近は、それもない。名張市って、どうやらどうしようもない自治体みたいだな、といった認識が、ウェブサイト名張人外境を通じて、そこそこ定着してきたのではないか。
予算化を二度要求し、二度とも却下された時点で、名張市立図書館のサイトに江戸川乱歩リファレンスブックのデータを掲載することはあきらめた。
そして迎えた平成16・2004年。三重県が官民合同で展開した芭蕉生誕三百六十年記念事業の年である。三億円の公金に官民双方のうすらばかが群がり寄った年である。
ばかかこらうすらばかども、と思いきり吠え立ててみたのだが、ばかでありうすらばかである人間にそんなことを尋ねてみても、意味はなかった。
協働だ、新しい時代の公だ、と意味不明のお題目をかかげて騒ぎまくるばかの元気なこと元気なこと。ほとほと感服しているあいだに、三億円はあっというまにどぶに捨てられてしまった。ただまあ、三億円のうちの五百五十万円で、『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』を刊行することができたのだから、それでよしとしておく。
この年、平成16・2004年は、桝田医院第二病棟が所有者から名張市に寄贈された年でもあった。すでに記したことだから、この話題は省略するとして、この年は、名張まちなか再生プランの策定がはじまった年でもあった。
翌年の1月に素案が発表され、それではじめて名張まちなか再生プランのことを知った。読んでみたが、ひどいプランであった。仔細は省くが、とにかくひどい内容であったことは、プランがいまや雲散霧消しているらしいことからも理解できるだろう。
なかでもひどかったのは、新町の細川邸を歴史資料館にするという構想である。これもどうひどいのか、あちらこちらにさんざん書いてきたことだから、ここでは割愛する。
細川邸を名張市立図書館のミステリ分室にする、というアイディアを、パブリックコメントとして提出した。ねらいのひとつは、名張市立図書館に展示されている乱歩の遺品を、乱歩が生まれた新町で公開することであった。市立図書館は、名張まちなかの導線から、いささか離れすぎている。
もうひとつのねらいは、慶應義塾大学推理小説同好会OB会のメンバーから名張市立図書館に寄贈され、図書館の地下書庫に死蔵されているミステリー関連図書を、この分室の開架に収めて閲覧に供することである。この点にかんしては、細部にわたる構想がいろいろとあるのだが、ここでは省く。
ミステリー関連図書のデータは当然、インターネットで公開することになる。となれば、江戸川乱歩リファレンスブックの内容も、高度な検索機能をそなえて公開できることになる。これもねらいのひとつ、というか、最大のねらいであった。
しかし、この提案も実らなかった。ボスは駅弁大学の御用学者、委員は区長会だのまちづくり推進協議会だのからの寄せ集め、なんともおそまつな委員会によってまとめられたひどい素案が、そのまま名張まちなか再生プランとして正式に決定された。
大丈夫か名張市。
いやいや、全然大丈夫なんかではないのであるこんなインチキ自治体。うわっつらのことしか考えられず、本来なすべきことには眼をむけようともしない。いやもうほんと、でたらめなのである。
以前にも記したが、江戸川乱歩という作家と名張という土地とは、ほとんどといっていいほど無縁である。だが、名張市立図書館が開館準備の段階から関連資料を収集し、それにもとづいて江戸川乱歩リファレンスブックを刊行したことで、乱歩と名張のあいだには、新しい関係性というものが築かれている。
作品を読もうとせず、どんな作家であるのかを知ろうともせず、せいぜいが自治体の自己宣伝の素材だと考えることしかできず、ときどき発作のように記念館だ文学館だと騒ぎ立てては、何もできずにあっさり投げ出してしまう。うすらばかというのはまったく困ったものであるが、何をいってもしかたがない。名張市というのはその程度の自治体なのである。
この先も乱歩にかんして無策無能でありつづけるのなら、名張市はいさぎよく乱歩から手を引いてしまえばいいのである。だが、それはおおきにもったいないことである。江戸川乱歩という偉大な作家と縁を切ってしまうのは、名張市という自治体にとって、けっして得策ではない。
没後四十年以上を経過したいま、平成19・2007年のいま、乱歩はいったいどのような作家として時代に受容されているのか。9月に刊行されたアンソロジー『江戸川乱歩と13の宝石 第二集』(光文社文庫)に収められた新保博久さんの「解題 雑誌フリークとしての江戸川乱歩」から引いておく。
モンスターのような作家である。乱歩という作家を自己宣伝の素材としかみない人のために記すならば、素材としては最高である。これ以上の素材は、どこをさがしたって存在しない。
ほとんど無縁であるとはいえ、乱歩が名張のまちに生まれたことはたしかなのだし、名張市立図書館が収集資料にもとづいて乱歩という作家と新たな関係を結び、名張市民のあずかり知らぬところではあろうけれども、市立図書館のリファレンスブックがある程度、名張市の自己宣伝に役立っていることもまた事実なのである。
だから、縁を切るのはもったいない。あまりにも、もったいない。さりとて名張市は、あいもかわらず無策無能である。『乱歩文献データブック』と『江戸川乱歩執筆年譜』を両手にもち、どちらの本にも字が書いてあるから中身はおなじではないのか、と尋ねてくるようなばかが教育次長を務めていたような自治体なのである。もはや、何を期待することもできない。
だから悩んだ。ひと夏、おおいに悩んだ。これ以上、名張市に何を提案しても無駄である。いくら叱り飛ばしても意味はない。それだけは、はっきりしている。だったら、どうすればいいのか。
こちらでNPOをつくって、名張市がやるべきことをやってやるしかないのではないか。
ひとまずこういった結論にたどりついた。とはいえ、まだ、迷っている。
きのうにつづいて、南陀楼綾繁こと河上進さんの「そして、本だけが残る──三人の「出版者」との対話」から引用。
□一九九九年、中さんは「名張人外境」(http://www.e-net.or.jp/user/stako/)というサイトをオープンした。図書館の事業として提案したが予算がつかず、「だったら自分でやるわ」とはじめたものだ。『文献』(『乱歩文献データブック』のこと──引用者註)『年譜』(『江戸川乱歩執筆年譜』のこと──引用者註)のデータを掲載し、進行中の『著書』(『江戸川乱歩著書目録』のこと──引用者註)については調査済みのデータを公開した。このサイトを見た人から、新たな情報が多く寄せられた。
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時間の流れはこうである。
- 乱歩文献データブック 平成09・1997年3月31日
- 江戸川乱歩執筆年譜 平成10・1998年3月31日
- 江戸川乱歩著書目録 平成15・2003年3月31日
だから二冊目が出たあと、平成11・1999年度事業として、書誌二冊の内容をネット上で公開するための予算を要求したのだが、蹴られてしまった。「だったら自分でやるわ」と考えたのが、たぶんこの年の春のことで、半年あまりの準備期間のあと、江戸川乱歩の誕生日にあたる10月21日、名張人外境をオープンした。
公共図書館がインターネットを利用してサービスを提供するのは、いまやあたりまえの話である。図書館のサイトにアクセスすれば、蔵書を容易に検索できる。
しかし、名張市立図書館のサイトでは、一般の蔵書は検索できても、江戸川乱歩にかんするデータにふれることはできない。尋常なことではない。異常なことである。しかし関係者は、だれひとりとして、そのことに疑問を抱かない。
平成15・2003年、三冊目の『江戸川乱歩著書目録』を刊行した直後、面談の機会があったので、当時の教育長に直接、リファレンスブックが三冊そろったのだから、名張市立図書館のサイトに三冊のデータを掲載し、高度な検索ができるようにするべきであると提案した。結局、実現しなかった。
これは普通では考えられないことだから、少し前まで、どうして名張市立図書館のサイトに江戸川乱歩関連のデータが存在しないのかと、それこそ疑問を抱いた人からたまにメールが届くことがあった。
しかし最近は、それもない。名張市って、どうやらどうしようもない自治体みたいだな、といった認識が、ウェブサイト名張人外境を通じて、そこそこ定着してきたのではないか。
予算化を二度要求し、二度とも却下された時点で、名張市立図書館のサイトに江戸川乱歩リファレンスブックのデータを掲載することはあきらめた。
そして迎えた平成16・2004年。三重県が官民合同で展開した芭蕉生誕三百六十年記念事業の年である。三億円の公金に官民双方のうすらばかが群がり寄った年である。
ばかかこらうすらばかども、と思いきり吠え立ててみたのだが、ばかでありうすらばかである人間にそんなことを尋ねてみても、意味はなかった。
協働だ、新しい時代の公だ、と意味不明のお題目をかかげて騒ぎまくるばかの元気なこと元気なこと。ほとほと感服しているあいだに、三億円はあっというまにどぶに捨てられてしまった。ただまあ、三億円のうちの五百五十万円で、『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』を刊行することができたのだから、それでよしとしておく。
この年、平成16・2004年は、桝田医院第二病棟が所有者から名張市に寄贈された年でもあった。すでに記したことだから、この話題は省略するとして、この年は、名張まちなか再生プランの策定がはじまった年でもあった。
翌年の1月に素案が発表され、それではじめて名張まちなか再生プランのことを知った。読んでみたが、ひどいプランであった。仔細は省くが、とにかくひどい内容であったことは、プランがいまや雲散霧消しているらしいことからも理解できるだろう。
なかでもひどかったのは、新町の細川邸を歴史資料館にするという構想である。これもどうひどいのか、あちらこちらにさんざん書いてきたことだから、ここでは割愛する。
細川邸を名張市立図書館のミステリ分室にする、というアイディアを、パブリックコメントとして提出した。ねらいのひとつは、名張市立図書館に展示されている乱歩の遺品を、乱歩が生まれた新町で公開することであった。市立図書館は、名張まちなかの導線から、いささか離れすぎている。
もうひとつのねらいは、慶應義塾大学推理小説同好会OB会のメンバーから名張市立図書館に寄贈され、図書館の地下書庫に死蔵されているミステリー関連図書を、この分室の開架に収めて閲覧に供することである。この点にかんしては、細部にわたる構想がいろいろとあるのだが、ここでは省く。
ミステリー関連図書のデータは当然、インターネットで公開することになる。となれば、江戸川乱歩リファレンスブックの内容も、高度な検索機能をそなえて公開できることになる。これもねらいのひとつ、というか、最大のねらいであった。
しかし、この提案も実らなかった。ボスは駅弁大学の御用学者、委員は区長会だのまちづくり推進協議会だのからの寄せ集め、なんともおそまつな委員会によってまとめられたひどい素案が、そのまま名張まちなか再生プランとして正式に決定された。
大丈夫か名張市。
いやいや、全然大丈夫なんかではないのであるこんなインチキ自治体。うわっつらのことしか考えられず、本来なすべきことには眼をむけようともしない。いやもうほんと、でたらめなのである。
以前にも記したが、江戸川乱歩という作家と名張という土地とは、ほとんどといっていいほど無縁である。だが、名張市立図書館が開館準備の段階から関連資料を収集し、それにもとづいて江戸川乱歩リファレンスブックを刊行したことで、乱歩と名張のあいだには、新しい関係性というものが築かれている。
作品を読もうとせず、どんな作家であるのかを知ろうともせず、せいぜいが自治体の自己宣伝の素材だと考えることしかできず、ときどき発作のように記念館だ文学館だと騒ぎ立てては、何もできずにあっさり投げ出してしまう。うすらばかというのはまったく困ったものであるが、何をいってもしかたがない。名張市というのはその程度の自治体なのである。
この先も乱歩にかんして無策無能でありつづけるのなら、名張市はいさぎよく乱歩から手を引いてしまえばいいのである。だが、それはおおきにもったいないことである。江戸川乱歩という偉大な作家と縁を切ってしまうのは、名張市という自治体にとって、けっして得策ではない。
没後四十年以上を経過したいま、平成19・2007年のいま、乱歩はいったいどのような作家として時代に受容されているのか。9月に刊行されたアンソロジー『江戸川乱歩と13の宝石 第二集』(光文社文庫)に収められた新保博久さんの「解題 雑誌フリークとしての江戸川乱歩」から引いておく。
□ことし平成十九年はまた本アンソロジー二巻のほか、平野嘉彦著『ホフマンと乱歩 人形と光学器械のエロス』(みすず書房)、小松史生子著『乱歩と名古屋』(名古屋・風媒社)、三島由紀夫の劇化『黒蜥蜴』の初文庫化(学研M文庫)、別冊宝島編『僕たちの好きな明智小五郎』(宝島社)、本文庫版全集の註釈者である平山雄一著『江戸川乱歩小説キーワード辞典』(東京書籍)、あるいは宝塚花組公演「明智小五郎の事件簿─黒蜥蜴」(原作とも三島脚本とも異なる明智と黒蜥蜴との関係の設定に、観客席で人間椅子から転げ落ちそうになった)、「エロチック乱歩」(アートポート)と総称される佐藤圭作監督「人間椅子」と三原光尋監督「屋根裏の散歩者」の映画リメイク(ストーリーはともども原作とはほとんど別物だが)など、乱歩関連の出版・上演・上映が相次ぎ、応接に暇がないほどである。これらは原著者没後四十二年を閲してなお新たな魅力を引き出せる乱歩作品の普遍性と奥深さとを証するものだが、その謦咳に触れた作家からも本来以上の力量を発揮させる乱歩自身の人間としての吸引力まで窺わせるのは本書と前集だといったら、自画自賛にすぎるだろうか。
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モンスターのような作家である。乱歩という作家を自己宣伝の素材としかみない人のために記すならば、素材としては最高である。これ以上の素材は、どこをさがしたって存在しない。
ほとんど無縁であるとはいえ、乱歩が名張のまちに生まれたことはたしかなのだし、名張市立図書館が収集資料にもとづいて乱歩という作家と新たな関係を結び、名張市民のあずかり知らぬところではあろうけれども、市立図書館のリファレンスブックがある程度、名張市の自己宣伝に役立っていることもまた事実なのである。
だから、縁を切るのはもったいない。あまりにも、もったいない。さりとて名張市は、あいもかわらず無策無能である。『乱歩文献データブック』と『江戸川乱歩執筆年譜』を両手にもち、どちらの本にも字が書いてあるから中身はおなじではないのか、と尋ねてくるようなばかが教育次長を務めていたような自治体なのである。もはや、何を期待することもできない。
だから悩んだ。ひと夏、おおいに悩んだ。これ以上、名張市に何を提案しても無駄である。いくら叱り飛ばしても意味はない。それだけは、はっきりしている。だったら、どうすればいいのか。
こちらでNPOをつくって、名張市がやるべきことをやってやるしかないのではないか。
ひとまずこういった結論にたどりついた。とはいえ、まだ、迷っている。