三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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ぼーっとしてるあいだに、9月もなかばである。
じんわり疲れておる。
夏の疲れが出ておるのか。
そのせいというわけでもあるまいが、その後、これといった進展はない。
なんの進展か。
名張市役所のみなさんに乱歩のことを考えていただいている、その進展である。
だから、地域雑誌「伊賀百筆」に寄稿する漫才も、ほったらかしである。
締切は9月初旬と聞いていたのだが、催促がないのをいいことに、筆をストップさせたままである。
先日も記したとおり、いまだ不確定要素が多いせいで、名張市における乱歩まわりのあれこれを漫才に仕立てることができない。
名張市役所のみなさんに、ちゃんと考えてちゃんと決める、ということをやっていただかないことには、漫才ひとつ書けぬありさま。
ことほどさように、ちゃんと考えてちゃんと決める、というごくふつうのことが、お役所においてはかなりの難事であるらしい。
乱歩まわりのことにかぎらず、名張市政の少なからぬ局面で、ちゃんと考えてちゃんと決める、ということができておらんのではないか、という気にもなってくる。
名張市政といえば、2ちゃんねるの名張市政スレ、例の電波会計士に荒らされてまたまたご臨終、ということになるらしい。
それにしても、いったいなんなんだろうなあれは、とお思いの諸兄姉は、というか、おれもそう思っているのだが、ちょいとググってみられるがよろしい。
Google:電波会計士 松阪
とくに三重県よろずやさんのブログが参考になると思うけど、いくら参考になったところで、いったいなんなんだろうなあのきちがいは、という疑問は解明されることがない。
そんなことはともかく、ちゃんと考えてちゃんと決める、という件である。
お役所では、それがなかなかできない。
逆に、適当に考えて適当に決める、という事例なら、おそらくは掃いて捨てるほどある。
たとえば、例によって例のものを例示するけれど、名張まちなか再生プランなどというのはその最たるものであった。
適当に考えて適当に決めました、の見本みたいなものであった。
ただの思いつきを羅列しただけのプランであった。
だからせめて、おれがパブリックコメントを提出して、歴史資料館なんかできるわけねーじゃねーかばーか、とか、桝田医院第二病棟の活用策がどうして一行も書かれてねーんだよばーか、とか、そういうありがたい忠言を寄せてやったとき、それを素直に受け容れてプランを練り直していさえすれば、もう少しましな展開になっていたであろうものをなあ、などといまからいっても手遅れなれど、名張市は大笑いされることになるかもしれんのだぞ。
「伊賀百筆」の漫才で、名張市のまちなか再生事業が大笑いされてしまうことになるかもしれんのだぞ。
そんなことになるのは、名張市民のひとりとして、すっごくいやである。
のみならず、穴があったら入りたいような気もする。
名張まちなか再生プランといえば、先日、名張まちなか再生委員会から文書が届いていた。
9月24日、やなせ宿で臨時総会が開催され、委員会の解散が協議されるとのことである。
文書のスキャン画像がこれ。
7月26日、名張市役所で開かれた名張まちなか再生委員会の会合は、委員会の理事が四、事務局の市職員が二、計六人という少人数の集まりとなったが、こんどの臨時総会も参加者は少ないのではないかと予想される。
しかしまあ、ちゃんと解散したうえでリスタートするというのだから、委員会が規約に則ってきっちり解散できるよう、関係各位には委任状をしっかりご提出いただくようお願いしておきたい。
名張まちなか再生委員会の歩みもまた、ちゃんと考えてちゃんと決める、ということとはまったく無縁なものであったのだが、やはりいまからいってみたとてしゃーないことである。
せめて名張市には、あの事業の失敗を得がたい教訓として胸に刻むことを望んでおきたいところであるが、無理無理、とても無理であろう。
ことの本質にはいっさい眼を向けようとせず、思いつきを頼りにうわっつらをとりつくろうだけでこと足れりとする。
適切な判断が必要な場合にも、ちゃんと考えてちゃんと決める、ということをせず、脊髄反射的に易きにつくことを選んでしまう。
みかねた市民が忠言しても耳を傾けることはせず、みずから進んで泥沼をめざす。
結局、どうなるのか。
泥沼のなかで身動きがとれなくなり、八方ふさがりになるしかない。
泥沼に踏みこんで八方ふさがりとなり、ついには立ち往生してしまったまちなか再生事業を筆頭に、名張市はそんなことばっかやってんじゃね? という印象がある。
しかしもう、どうだっていい。
ほんとにどうだっていい。
どうせなにいってやったって聞きやしないんだし、聞く聞かない以前にいってやったことを理解できないんだから、おんなじことくり返して好きなだけ八方ふさがりになってればいいのよ。
だからほんとにね、乱歩のことさえちゃんと考えてちゃんと決めてくれれば、あとのことはもうどうだっていいわけね、と訴えつづけてはや一年。
乱歩のことといったって、名張市が手がけている乱歩関連事業とやらも、ほんとにどうだってかまわない。
ミステリ講演会なぞがたりなばりが官製談合の温床となり、あろうことかあるまいことか、官製談合やってまーす、と名張市がみずから嬉々として表明していることだって、腰がくだけそうにはなるけれど、いいさいいさ、華麗にスルーしてやろうじゃないの。
だからそのかわり、テロを中止してやるからそのかわり、名張市立図書館における乱歩のことだけはちゃんとしてくれんかね、と声涙ともにくだらんばかりのお願いをした去年の秋から季節はめぐり、あっというまに一年がたってしまったじゃねーかばーか、なーにちんたらしてやがんだばーか、などと思ってしまわないでもないけれど、とにかくこういう認識までたどりついていただいたわけである。
名張市立図書館が乱歩関連資料を収集するにさいしては、どうやらそのための方針とか基準とかいったものが必要であるらしく、そうした方針や基準とかいったものは、驚くべし、ちゃんと考えてちゃんと決めるべきものであるらしい。
冗談みたいな話であるが、日本でただひとつ、乱歩関連資料の収集をつづけてきた名張市立図書館には、じつは資料収集のうえでなんの方針も基準もなかったのである。
乱歩関連資料を収集いたします、と高らかに宣言しておきながら、どんな資料を収集するのか、収集した資料をどんなふうに活用するのか、そんなことはまったく考えてなかったのである。
では、なにを考えておったのか。
名張市民を対象にした乱歩作品の読書会を開こうかな、などとレベルの低いことを考えておったのである。
そんな程度のことしか考えられなかった。
お家芸である。
ことの本質にはいっさい眼を向けようとせず、思いつきを頼りにうわっつらをとりつくろうだけでこと足れりとする、という名張市のお家芸は、市立図書館の資料収集にも躍如としておったのである。
だからおれは、とっとと逃げたわけな。
乱歩の読書会の講師をやってくれんかと市立図書館から依頼されて、速攻で断ったわけな。
いやいや、そのあたりのことは過去にしつこく記したところではあるけれど、なにしろ話に進展がないものだから、ついつい蒸し返してしまうことになる。
だから方向を変えて、実践的なことを記そう。
実践的な、というのは、乱歩関連資料の収集における実践的なこと、の意味である。
たとえば来月、こんな本が出る。
ポプラ社:(017)異
乱歩作品を収録したアンソロジーである。
「百年文庫」というシリーズの一冊だが、本の大きさは文庫本サイズではないらしい。
価格は七百八十八円。
乱歩の「人でなしの恋」のほか、ビアスの「人間と蛇」、ポーの「ウィリアム・ウィルスン」が収められている。
さて、名張市立図書館はこれをどうするか。
乱歩関連資料として購入すべきかどうか。
以前からいってるとおり、明確な方針や基準は存在していない。
かりに、アンソロジーは収集しない、という方針が打ち出されているのであれば、この『異』という本は乱歩関連資料ではない、ということになる。
したがって、購入する必要はない。
しかし、乱歩の自己収集を踏襲し継承する、という方針にもとづくのであれば、この本もまた収集の対象になる。
乱歩の自作目録では、こうしたアンソロジーも「収録本」として著作に数えられているからである。
つまり、資料収集の方針や基準が明確にされていないことには、わずか七百なんぼの本を一冊購入する場合にも判断がつきかねる、ということになるのである。
ところで、先週木曜のことであったが、乱歩作品を収録したこんな本が出るよ、とこの『異』のことを電話で教えてくださったかたがあった。
それはこちらも承知していたのだが、そのかたによると、これはポプラ社の営業スタッフからお聞きになった情報とのことであったが、この「百年文庫」というシリーズ、分売不可であるという。
それはまったく知らなかったので、さっそくポプラ社のサイトで確認してみたところ、たしかにこうなっていた。
ポプラ社:百年文庫50巻セット(分売不可)
定価は三万九千三百七十五円。
個人で購入するとなると、二の足を踏まざるをえない値段である。
一冊の本を入手するために、まったく必要のない四十九冊の本までいっしょに購入する、というのはかなりきつい話である。
個人のみならず、名張市はなにしろ財政難なのだから、名張市立図書館も二の足を踏んでしまうかもしれない。
七百なんぼの本なら買えるけど、四万ちかい本を乱歩関連資料として購入することはできません、ということになるかもしれない。
しかし、それならそれでいいのである。
ない袖は振れない。
買えないのであれば、買わなければいいのである。
ただしその場合にも、この『異』という本は乱歩関連資料として収集すべき本ではありますが、「百年文庫」をワンセット購入するだけのお金はありませんので、名張市立図書館は『異』という本を所蔵しておりません、といったことをはっきりさせておくことが必要である。
そしてそのうえで、『異』という本の書誌データを、それはもう本屋さんで立ち読みしながらこっそり写してきてでもいいから、乱歩関連資料の一冊として記録しておくことが肝要である。
とにかく、買う買わない以前に、資料収集の方針や基準をはっきりさせておかなければならない、ということなのである。
そんなあたりまえのことが、いったいどうしてできないのか。
市立図書館が開設されたとき、この図書館は乱歩関連資料を収集してまいります、と決めたのであれば、そのときどうして、収集の方針や活用の方向性を明確にする、という当然すぎるほど当然のことをしなかったのか。
おれにはそれがふしぎでならんのだが、久繁哲之介さんの『地域再生の罠──なぜ市民と地方は豊かになれないのか?』から再度引くならば、「勉強しない、働かない、何も考えようとしない、澱んだ空気」が名張市にも市立図書館にも充満していた、ということであろうな。
乱歩関連資料を収集するというのであれば、まず乱歩のことを勉強しなければならん。
そのうえで、市立図書館が乱歩にかんしてどうすればいいのか、それを考えることがどうしたって不可欠である。
ところが実際には、なにも考えようとはせんかったんだもんなあ。
ろくに乱歩作品を読んだこともなく、乱歩のことをまともに考えたこともないおつむで、乱歩の読書会がどーたらこーたら、そんなことを思いつくのが関の山であったのだものなあ。
まったくひどい話である。
前エントリにも記したとおり、乱歩関連資料を収集いたしますと公言した時点で、名張市立図書館はひとつの社会的責務をみずから引き受けた、公的使命をみずから担った、ということになるわけなんだけど、お役所の人には責務とか使命とか、そういったことばは理解できんのであろうからなあ。
しかしまあ、ひどいひどいと嘆いていたってしかたがない。
名張市役所のみなさんが、ちゃんと考えてちゃんと決める、ということにどうか目覚めてくださいますように、とマリアさまにお祈りでもしてみっか。
きゃはは。
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とうとうすだぞおしまいのすだぞ
ついに、す、である。
いろは四十八文字の最後の文字である。
乱歩のことを考える、と題して、四十八のエントリを綴ってきたことになる。
それが、す、まで来た。
つまり、おしまいである。
なんぼなんでも、すが来るまでには名張市役所のみなさんとのおはなしも終わっておるであろうな、と思うておった。
なんのなんの、まだである。
名張市役所のみなさんに、乱歩のことを考える、という不慣れでもあれば不向きでもあることをやっていただいて、まだおしまいになっていない。
だが、ありがたいことに、前エントリでも述べたとおり、こういった認識まではたどりついていただいた。
名張市立図書館が乱歩関連資料を収集するにさいしては、どうやらそのための方針とか基準とかいったものが必要であるらしく、そうした方針や基準とかいったものは、驚くべし、ちゃんと考えてちゃんと決めるべきものであるらしい。
でもって、なにも考えず、なにも決めようとしない名張市役所のみなさんに、ちゃんと考えてちゃんと決める、ということをしていただいているわけである。
ところで、半月ほど前、2ちゃんねるで知ったことであるが、
──役人はできない理由をすぐにいい
という川柳があるらしい。
ひねりはないが、そのぶんストレートに急所をついている。
役人はできない理由をすぐにいい、か。
ほんと、そのとおりだよな。
日本全国津々浦々、お役人の習性というのはまさしくそうだよな、としみじみ思ってしまう。
ではここで、前エントリにつづいて、久繁哲之介さんの『地域再生の罠──なぜ市民と地方は豊かになれないのか?』から引く。
日本一人口の多い村、岩手県滝沢村が2006年に「日本経営品質賞」を地方自治体として初の受賞は話題を集めた。日本経営品質賞は、顧客視点から経営全体を運営し、自己革新を通じて新しい価値を創出する企業を表彰するものだ。現代日本の地域づくりに最も欠ける「顧客志向」が重視される賞である。「日本経営品質賞公式WEB http://www.jqaward.org/)」に、滝沢村の受賞理由について興味深い文言がある。
自治体固有の風土・文化の打破をめざして、職員一人ひとりの意識改革を進め(以下、略)
「自治体固有の風土・文化の打破をめざし」という文章から、選考委員である財界人が自治体という組織をどのように見ているかをうかがい知ることができる。この文脈を推し量るならば、財界人の目には、「自治体固有の風土・文化」とは「打破されるべきもの」と映っているのであろう。
では、自治体固有の「風土・文化」とは、いったいどのようなものなのだろうか。それをご理解いただくためには、滝沢村を変革した元村長の柳村純一さんの言葉を借りるのが最もわかりやすい。
村長就任当初の滝沢村役場は、ご多分にもれず、“お役所仕事”が幅をきかせていた。縦割り主義の弊害である“縄張り意識”が蔓延し、決してよその部署と連携することはなかった。前例の踏襲ばかり重んじ、新規の施策など受け入れようともしない。“事なかれ主義”の横行、稟議書を提出してから決裁まで二週間を要するスピードの遅さ……。職員を見わたせば、読んでいるのは、新聞といえばスポーツ新聞と競馬新聞だけ、あるいはパチンコ必勝法の雑誌やエロ本の類ばかり。昼間は職場をウロウロしていて、夕方になると残業代目当てに机に向かう職員もいるなど、勉強しない、働かない、何も考えようとしない、澱んだ空気が職場に充満していた(『日本一の村を超優良企業に変えた男』講談社、2007年、3頁)。
この文章には「ただし書き」が必要だと思う。たしかに、ここに書かれるような公務員(前者)は少なからずいる。しかし、公益意識とコスト意識の高い情熱に溢れた優秀な公務員(後者)の方が数的には多い。問題とすべきは、「自治体固有の風土・文化」に支配される世界では、本来なら評価されて当然である後者は評価(昇進)の対象となり難く、前者が権限を有する地位に就いてしまい、公益に結びつかない無駄な事業に税金を浪費し続けていることにある。
この元凶は、財界人も指摘するように、公務員個人にあるのではなく、「自治体固有の風土・文化」にある。この打破は地方の再生、ひいては日本経済活性化にきわめて有効だと思う。
滝沢村の村長がどんな変革を進めたのか、それはこの本には記されていないが、ここにあげられた変革以前の「自治体固有の風土・文化」は、名張市役所にも共通するものではないのか。
「お役所仕事」
「縦割り主義」
「縄張り意識」
「前例の踏襲」
「事なかれ主義」
「スピードの遅さ」
これらはみな、多かれ少なかれ、名張市役所にもみられる傾向ではないのか。
「勉強しない、働かない、何も考えようとしない」
こういった職員もまた、はっきりいって、名張市役所に存在していないわけではあるまい。
というより、ごろごろしているのではないか。
そんなみなさんが束になって、
──役人はできない理由をすぐにいい
みたいな攻撃に出てくるのだから、相手をする市民はたまったものではないと思う。
しかしまあ、いくら名張市役所だって、「勉強しない、働かない、何も考えようとしない」職員ばかり、というわけでもないであろう。
実際、そこそこ有能そうなのに「自治体固有の風土・文化」にスポイルされている、みたいな職員も、みかけないわけではない。
要するに自治体固有の風土と文化がよくないのでござるの巻、といったことか。
変革するのは大変であろうな。
いやいや、そんな遠大なテーマは横におくとして、とりあえずこれである。
名張市立図書館が乱歩関連資料を収集するにさいしては、どうやらそのための方針とか基準とかいったものが必要であるらしく、そうした方針や基準とかいったものは、驚くべし、ちゃんと考えてちゃんと決めるべきものであるらしい。
ほんとのことをいうと、名張市立図書館が乱歩関連資料の収集をつづけるべきかどうか、名張市役所のみなさんには、まずそれを考えていただくべきなのである。
しかし、これを考えると、堂々めぐりになってしまう。
ちゃんとやります、というのであればつづけるべきだし、ちゃんとしたことはできません、というのであれば、そんなことに税金をつかうのはやめるべきである、ということになる。
ちゃんとやるというのは、どういうことか。
それがわからないから、堂々めぐりをするしかないのである。
名張市立図書館における乱歩関連資料の収集について、順序立てて考えてみる。
なぜ収集するのか。
この質問を、根拠や理由を尋ねるものだと解釈するならば、答えは、名張市が乱歩の生誕地だから、ということになる。
乱歩生誕地にある公共図書館が乱歩関連資料を収集するというのは、べつに不自然でも不合理でもない話である。
むろん、収集しなくたってかまわない。
いっぽう、この質問が目的を問うものだとすれば、つまり、なんのために収集するのか、という問いかけだとすれば、答えるのはやや骨かもしれない。
しかし、いずれにせよ、明確な目的もなしに収集するのは、少なくとも税金の使途としてけっして適切なものではない、ということはできるはずである。
さらに、こうした点も明確にしておかなければならない。
なにを収集するのか。
ひとくちに乱歩関連資料といっても、定義のしかたはいくらでもある。
たとえば、乱歩自身の著書にかぎる、というのもありだし、乱歩作品が掲載された新聞と雑誌にかぎる、と規定することも可能である。
必要なのは、資料収集のルールをはっきりさせておくことである。
名張市立図書館には、それがまったくできていなかった。
というか、いま現在もそうである。
なんの方針も基準もない。
しかし、なんの方針も基準もありません、というのは、話として通用しない。
なぜか。
名張市立図書館は過去、収集資料にもとづいて三冊の目録を発行しているからである。
この目録は、いってみれば、名張市立図書館は乱歩が手がけていた自己収集を引き継ぎました、乱歩自身による乱歩関連資料収集の方針と基準を受け継ぎました、という宣言である。
マニフェストである。
これらの目録を手にとれば、名張市立図書館が乱歩の自作目録にもとづき、いわば乱歩の遺志を継ぐかたちで、乱歩関連資料の収集をつづけているということが、よくわかるようになっている。
ところが、困ったことに、「勉強しない、働かない、何も考えようとしない」みなさんには、それがわからない。
そもそも、目録を手にとろうともしない。
たまに手にとっていただいたとしても、
「これ二冊ありますけどさなあ、こっちとこっち、表紙は違いますわてなあ。せやけど、中身はほれ、どっちも字ィ書いてあって、二色刷で、ふたつともおんなじですねさ。これ、こっちとこっち、どこが違いますの」
などと、驚天動地のお尋ねをたまわってしまう次第である。
そんなみなさんが、
──役人はできない理由をすぐにいい
と来るんだから、ほんとにもう大変だぞ。
いやいや、そんなことはまあいいとして、収集の方針や基準を明確にする、ということができたならば、そのあとはこうである。
どう活用するのか。
この問題は、なんのために収集するのか、という問題とリンクしてくる。
つまり、目的である。
収集というのは、明確な目的のもとに進められるべきなのである。
ただ漫然と、乱歩関連資料を収集しますとぶちあげておきながら、なにを集めていいのかもわからず、集めた資料をどう活用していいのかもわからない、みたいなことでいいわけがない。
なんのために、なにを収集し、どう活用するのか、それが一本の線として考えられてなければならんわけである。
しかし、実際には、それがまったくできておらんわけである。
「勉強しない、働かない、何も考えようとしない」みなさんがいくら束になっても、どうにもならんのである。
乱歩作品を読み、乱歩がどういう作家だったのかを理解するだけで、いくらでも適切な判断がくだせるというのに、すなわち、ちゃんと考えてちゃんと決めることができるというのに、それをしようとせんのである。
だから、なにをやっても、思いつきの域を出ることができない。
たとえば、乱歩都市交流会議、という思いつきである。
こんなものに、なにか意味があるのか。
ない。
ないからこそ、ただつくっただけで、そのあとはなにひとつしていないのである。
しかも、三重県内にある乱歩ゆかりの都市をまとめるにあたって、伊賀市をはずすという大失態を演じている。
ちゃんと勉強せず、ちゃんと考えることをせず、ただの脊髄反射的な思いつきだけにもとづいてものごとを決めておるから、こういうことになるのである。
いやまあ、おれだって、名張市行政の実態というものについて、ある程度の知識はあるつもりである。
だから、もうどうしようもないな、とは思うぞ。
乱歩関連事業だけにかぎってみても、乱歩都市交流会議などという愚劣な思いつきを口走る程度のことしかできないし、やはり思いつきではじまったミステリ講演会と来た日には、いまや官製談合の温床になり果ててしまっておるではないか。
ひどい話である。
官製談合なんてのはどこにでも転がってる話かもしれんけれど、さすがにそれを市長名義の文書でうれしげに公表してしまう自治体なんて、たぶんめったにないと思うぞ。
これはもう、モラルハザードと呼んでしかるべき事態であろう。
ここ名張市においては、行政運営のうえで当然要求されるモラルというものが、すっかりおかしくなってしまっているらしい。
なんともひどい話である。
ひどいけれども、どうしようもあるまい。
なにいってやったって、そもそも理解ができんのである。
だから、どうにかしようと思ったらテロしかないんじゃね? と以前からゆうとるわけなのである。
しかし、それもあほらしい。
だから、テロにはせんから乱歩のことを考えてくれんかね、とお願いしているわけである。
名張市立図書館における乱歩関連資料の収集だって、もとはといえば思いつきからはじまったことでしかない。
しかし、資料収集というのは、講演会のように単発的なものではない。
持続的な行為である。
四十年もつづけていれば、資料もそれなりに蓄積されている。
思いつきではじまった資料収集も、ちゃんと方向づけをし、ちゃんと肉づけしてゆくことで、有用有益なデータベースとして全国に発信することができるのである。
そのためには、いまあげたみっつの問いにちゃんと向きあい、ちゃんと考えてちゃんと決める、ということをやっていただく必要がある。
なぜ収集するのか。
なにを収集するのか。
どう活用するのか。
このみっつの問いかけに、ちゃんと答えてくれんかね、ということなのである。
みたいなことをお願いしつづけて、はや一年ちかくが過ぎにけり。
ほんと、これはお願いなわけな。
ちゃんとしてくれ。
ちゃんと考えて、ちゃんと決めてくれ。
おれはそれをお願いしている。
なんべんもしつこく記すけれど、乱歩にかんしてなにをしていいのかわかりません、と名張市立図書館がいうから、こういうことをすればいいのである、とおれは身をもって示してやったわけな。
で、それっきりなのである。
うんともすんとも返答がないのである。
どうしようもないなまったく。
「勉強しない、働かない、何も考えようとしない」みなさんにこんなこといったってしかたないけど、目録三冊を発行したことで、名張市立図書館は乱歩の自己収集を受け継いでおります、とすでに公表しておるわけである。
でもって、自分たちの都合しか考えないみなさんには理解できないことであろうけれども、乱歩関連資料を収集すると決め、それをはじめた時点で、名張市立図書館はひとつの社会的責務をみずから引き受けた、公的使命をみずから担った、ということになるわけなのである。
いややっぱ、理解してはいただけぬかもしれんな。
みたいなことで、8月はきょうでおしまい、いろは四十八文字も最後のすの字になってしまったわけなれど、ほんと、どうするよまったく。
ちゃんと考えてちゃんと決めたい残暑かな
暑い。
ただ暑い。
ひたすら暑い。
あまりにも暑いから、句点で自動的に改行することによって、エントリの風通しが少しはよくなるのではないか、とばかなことを思いついてしまった。
視覚的効果、というやつである。
だから、句点が来ると改行している。
ちなみに、句点というのは「。」、読点というのは「、」のことである。
おれはかなり最近まで、これを反対におぼえていた。
「、」が句点だと思いこんでいた。
いまでもときどき、誤用しそうになる。
ま、どうだっていいことだけどな。
さて、暑い暑いとぼやいてるあいだに、盆も終わった。
暦の上では秋である。
もう秋かよ。
びっくりすてすまうべな。
くり返し記しているとおり、テロにはせんから乱歩のことをちゃんと考えてくれんかね、と名張市役所のみなさんにお願いしたのは昨年秋のことである。
以来、早くも一年が経過しようとしている。
大変である。
大変なことである。
お役所のみなさんにまともにものを考えていただくっつーのは、ほんとに大変なことである、と、しみじみ実感してしまうっちゃ。
それはまあ、ものごとをまともに考える習慣がなく、そもそも考える能力がなく、考えるための知識も皆無なみなさんである。
多くを望めないことはわかっておる。
だからこそ、時間をかけてゆっくりと、表層的なことからスタートして本質的なところへ近づいていただいたのであるが、それにしたって一年もかかろうとはなあ。
とはいうものの、ここにいたるまでには、あ、こりゃだめだな、もう限界だな、耳から黒い煙が出てきたな、と思われたときもあったのだから、そうした危機を無事に乗り越え、依然として考えつづけていただいているということに、心から感謝を捧げたいと思う。
もう、全然ちがっておるからな。
なにがちがっておるのか。
おれが名張市立図書館の乱歩資料担当嘱託を勤めていた当時にくらべると、これはもう劇的な変化である。
天と地ほどに、ちがっておる。
お役所の人たちが、おれの申し出を受けて、ちゃんとものを考えてくださっておるのである。
嘱託やってるころは、そんなことは全然なかった。
ひどいものであった。
お役所の人たちは、嘱託なんかのいうことには、てんで耳を傾けない。
耳を傾けたふりをすることはあっても、すべて先送りして知らん顔である。
あるいは、なにを尋ねられてもだんまりを重ねて、いっさい答えようとしない。
ひたすら知らん顔である。
ひどいものであった。
それがどうよ。
いまや、あの名張市役所のみなさんに、市立図書館が乱歩のことをどうすればいいのか、っつーことを親身になって考えていただいておるのじゃからな。
まるで夢みたいな話ではないか。
ただまあ、考えていただくといったって、しょせんは名張市役所のみなさんである。
ろくに乱歩作品を読んだこともなく、そもそも本さえ読まず、乱歩のことなどまったく知らず、図書館の機能や役割なんてものもほとんど理解できておらず、図書館における資料収集というのがどんなことなんだか、そんなのはもうちんぷんかんぷん、みたいなみなさんがたである。
考えていただくことには、最初からかなりの無理がある。
実現不可能な要求である、といっていいであろう。
耳の穴から黒い煙がもーくもく、みたいなことになるのも、そりゃもうすっかたなかんべや。
しかし、しかしありがたいことに、現時点において、ようやく、次のようなことを、ぼんやりとではあるが、名張市役所のみなさんにご理解いただけたらしいのである。
名張市立図書館が乱歩関連資料を収集するにさいしては、どうやらそのための方針とか基準とかいったものが必要であるらしく、そうした方針や基準とかいったものは、驚くべし、ちゃんと考えてちゃんと決めるべきものであるらしい。
うれしさのあまり、思わず太字にしてしまったが、ようやくここまで来た。
ちゃんと考えてちゃんと決める、というのはだいじなことである、ということを名張市役所のみなさんに、おぼろげながらそれとなくご理解いただけたようなのである。
慶賀である。
祝着である。
昨年の秋以来、ほぼ一年の時間をかけて、名張市役所のみなさんにようやくここまでのことをご理解いただけたらしいのである。
ありがたやありがたや。
ほんと、さっきも書いたけど、あ、こりゃだめだな、もう限界だな、耳から黒い煙が出てきたな、と思わざるをえないときもあった。
あれはたしか、今年の春のことであった。
名張市役所のみなさんに、乱歩関連資料を収集するうえにおいては、乱歩その人がおおいに参考になるぞなもし、という話をしていたときのことである。
乱歩は、コレクターとしても知られた人であった。
日本でも有数の個人コレクションだった近世資料なんかのほかに、いわゆる自己収集もせっせとつづけていた。
自分の著書や作品の目録をつくり、自分のことが出てくる新聞や雑誌の記事まで集めていたのである。
つまり、乱歩関連資料の収集を乱歩自身が進めていた、ということである。
どういうことか。
名張市立図書館が乱歩関連資料を収集するのであれば、乱歩の自己収集をそのまま引き継ぐことが可能である、ということなのである。
乱歩がつくった目録やスクラップブックを参照すれば、乱歩の自己収集における方針や基準といったものは、おのずから知ることができる。
すなわち、名張市立図書館が乱歩の自己収集を継承することができるのである。
みたいなあたりで、耳の穴から煙が出てきそうになった。
このあたりのレベルになると、むろん難解な話ではまったくないのじゃが、名張市役所のみなさんにはあまり理解していただけないのじゃよ。
5月12日付エントリには、
「乱歩の自作目録や『貼雑年譜』なんかの話題を出したとき、おれにはもう、はっきりと煙がみえてしまった」
と書いてある。
2010年05月12日:乱歩のことを考える(ゐ)
ほんと、おしまいだな、と思った。
こりゃだめだな、もう限界だな、やっぱテロしかないみたいだな、と思わざるをえなかった。
しかし、それがどうよ。
先述のとおり、危機を無事に乗り越え、依然として乱歩のことを考えつづけていただいているのである。
ありがたいことである。
重ねて謝意を表しておきたい。
それにしても、お役所というのは、じつに難儀なところである。
そもそも、名張市役所のみなさんにいまお考えいただいていること、つまり、名張市立図書館は乱歩のことをどうすればいいんだろうね、みたいなことは、四十年以上前に名張市立図書館が考えなければならなかったことである。
つまり、市立図書館が開館準備を進めていたとき、ということである。
乱歩関連資料の収集に努めます、というのであれば、資料収集の方針や基準、さらには活用の方向性なんてことは、ぜひとも明確にしておかなければならなかった。
乱歩の死去は昭和40・1965年7月、名張市立図書館の開館は昭和44・1969年7月だったのだから、乱歩の自己収集を名張市立図書館が引き継ぐのは、いわゆる流れとしても、あり、だったはずである。
ところが実際には、名張市立図書館は乱歩関連資料を収集します、という看板を掲げるだけで、資料収集の方針や基準を具体的に検討する、なんてことはまったくしなかった。
理由はわからんが、たぶん、資料収集というのがどういうことなのか、あるいは、乱歩というのがどういう作家なのか、市立図書館関係者には、そのあたりがまったく理解できていなかったということであろう。
それこそ理解しがたい話であるが、それが実態であった。
乱歩関連資料を収集しよう、というところまでは思いつく。
そのあと、神田あたりの古書店で乱歩の著作をまとめ買いする、ということまではできる。
だから、名張市立図書館は、開館準備の段階で、そこまでのことをしたようである。
ところが、あとがつづかない。
乱歩関連資料の収集といったって、なにを収集するのか、収集の方針と基準をどうするのか、それを考えることができない。
収集した資料をどう活用するのか、そんなことにはまったく考えが及ばない。
いやまったくひどいものであるが、おかげでようやく、ほぼ一年がかりで、名張市役所のみなさんに理解していただくことができたようである。
名張市立図書館が乱歩関連資料を収集するにさいしては、どうやらそのための方針とか基準とかいったものが必要であるらしく、そうした方針や基準とかいったものは、驚くべし、ちゃんと考えてちゃんと決めるべきものであるらしい。
こんなあたりまえのことを理解するのに、どうして一年もかかるのか、とおっしゃる向きもおありかもしれないが、いやいや、名張市役所のレベルというのはほんとにひどいものだから、こんなあたりまえのことを理解していただくことからはじめなければならぬのである。
なにしろ、これだぞ。
中 相作 さま
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
平成20年10月 9日
名張市長 亀井利克
ひどいものである。
名張市立図書館は、活用方針なんてなにも考えずに乱歩関連資料を収集しております、だってさ。
こんなこといってた日には、市民生活にはなんの関係もない乱歩関連資料の収集にかんして、市民の理解や納得、共感なんてものは得られないのではないかしら。
しかも、活用のみならず、それ以前の段階で、そもそも資料の収集ということにかんしてだって、なにも考えてなくてもう無茶苦茶なのだっちゃ。
そんなことではいかんがな。
だからおれは、乱歩のことでなにをしたらいいのかわからない、と市立図書館がいうから、資料の収集から活用まで、まずこの程度のことをしておけばまちがいないであろうな、みたいな線を示してやったわけなのだが、さーあ、どうよ、と尋ねても返答しようとせんわけね。
教育長による先送りとか、教育次長によるだんまりとか、そんなひどい仕打ちばかり受けてきたのである。
いじめかよ。
無力な嘱託をいじめてんじゃねーよ。
しかし、ようやく、ほぼ一年がかりで、あたりまえのことをご理解いただけたのである。
本来であれば、市立図書館の開館時に考えられ、決められていなければならなかったことが、いまごろになってようやく、ちゃんと考えられ、ちゃんと決められようとしているのである。
しかし、無理じゃね? とお思いの諸兄姉もおありであろう。
なにしろ、ものごとをまともに考える習慣がなく、そもそも考える能力がなく、考えるための知識も皆無なみなさんに、さらには、ろくに乱歩作品を読んだこともなく、そもそも本さえ読まず、乱歩のことなどまったく知らず、図書館の機能や役割なんてものもほとんど理解できておらず、図書館における資料収集というのがどんなことなんだか、そんなのはもうちんぷんかんぷん、みたいなみなさんがたに、ちゃんと考えてちゃんと決める、なんてことができるのであろうか。
できない。
できるわけがない。
あえらになにゃでけよど、と、名張ことばで書いてみた。
なにしろ、お役所の人たちである。
それはもう、ひどいものである。
先月、久繁哲之介さんの『地域再生の罠──なぜ市民と地方は豊かになれないのか?』という本が出た。
Amazon.co.jp:地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか? (ちくま新書) [新書]
読んでみると、いろいろと笑えるところがあった。
お役所の人たちのひどい習性にかんするエピソードを引いておく。
空き店舗対策としてあるアイデアを提案したところ、お役所の人たちが自分たちの勝手な都合だけにもとづいて難癖をつけてきたでござるの巻、といったことである。
空き店舗対策を推進するのは商工会か自治体、つまり広義の「公務員」である。起業につき物の「リスク」から最も縁遠い公務員が、「市民の皆さん、少しばかり金融支援してあげるから、“リスクをとって”ゆめショップで夢を追いませんか?」「お店を開くチャレンジをしてください」と言っても、市民の心に響かないのは当然だろう。
「週末起業」や「インターネット(以下、ネットと略す)起業」は数年前に流行語となった。潜在的な起業願望者は多いし、会社に勤めながら起業する人の数も実際に増加してもいる。だが、起業は大きな「リスク」を伴うし、いきなり自分の資産と時間の多くを起業に投資するのも難しい。だから、他の収入源を確保した状態で、かつ短時間でもできる「週末起業」や「ネット起業」なら、起業にチャレンジできるだろう。
起業に潜むリスクの何たるかを理解し、できればそれを回避したいという市民ニーズを少しでも想像できる人間ならば、顧客のこない無人商店街に「毎日しかも長時間、店に立つ義務のある」チャレンジショップの開店を市民にすすめることなどできないはずだ。
拙著『日本版スローシティ』にて、出店希望者と消費者のニーズについて論じたが、そこで提案したのは「曜日毎に出店者を募る空き店舗施策」である(146頁)。
出店は週に1日でよい街路市の仕組みを、他都市の「商店街空き店舗対策」に応用することを提案したい。曜日毎に出店者を募れば、消費者は7通りの消費と都市風景を楽しめる。出店者は低リスクで出店できる。
この提言に、自治体は次のような難色を示す。
・曜日毎、あるいは1日ごと募集・賃貸は管理が大変だ。
・週6日は開店してくれないと困る。
この考え方には呆れるほかはない。大変なのも困るのも、「自治体の都合」にすぎない。現状のチャレンジショップ制度は、自治体は管理に手を焼く必要もないから制度運用に困ることもないだろう。しかし、今の制度では出店者の負担が大きすぎるために、出店への応募者がいないわけだ。その結果、商店街はどんどん衰退している。
私が提案する「曜日毎テナント、日替わりテナント制度」はすでに導入事例がある。この先例が示しているのは、制度をあらためて出店者の都合に配慮すれば、少なくとも応募者が名乗りをあげてくれるということだ。むろん、いいことばかりではない。「曜日毎テナント、日替わりテナント制度」を実施したケースでは、管理は大変になるし、テナントが埋まらない曜日が生じることもある。私の提言には、粗(あら)も課題もあることは先刻承知している。しかし、ともかく空き店舗が埋まり、シャッター商店街が小さな輝きを取り戻したのである。
残念なことに、自治体関係者の目には、シャッター商店街が取り戻した小さな輝きが見えないらしい。彼らは、粗を見つける能力、やらない理由を探す能力、それを正当化する能力は非常に優れていると痛感させられる。そして、現状の硬直的なチャレンジショップの制度を、出店希望者と消費者の志向、すなわち市民志向に寄り添うように改めない自治体思考は、地域衰退の大きな要因と言わざるをえない。
ほんと、お役所の人たちと渡りあったことのある人なら、多かれ少なかれ、似たようなことを経験しているのではないかと思われる。
否定することからはじめる。
不可能性を並べ立てることからはじめる。
要するに、「粗を見つける能力、やらない理由を探す能力、それを正当化する能力」をフルに発揮して、なにもしなくて済むように話をもってゆく。
それが、お役所の人たちの習性というか、体質というか、第二の天性というか、要するに全国共通の実態なのである。
とくに近年は、やらない理由の王座に財政難ということばが君臨していて、お役所の人たちにとってかけがえのない免罪符となっておる。
お金がないからできません。
ない袖は振れません。
あしからずご了承ください。
すこぶる便利なことばである。
しかも、お役所の人たちには、「市民志向に寄り添う」ということができない。
お役所の人たちと渡りあったことのある人なら、彼らが自分たちの都合をいいたてるばかりで、その視界から市民という存在がきれいに欠落していることに気がつくはずである。
いや、しかしまあ、それはそれとして、とにかく現時点では、素直に喜んでおきたいと思う。
じつにありがたいことである。
なにしろこれなのである。
名張市立図書館が乱歩関連資料を収集するにさいしては、どうやらそのための方針とか基準とかいったものが必要であるらしく、そうした方針や基準とかいったものは、驚くべし、ちゃんと考えてちゃんと決めるべきものであるらしい。
このごくごくあたりまえのことに、名張市役所のみなさんがようやく気づいてくれたのである。
とりあえず、殺気立ってくるような残暑のなかで、そのことを喜んでおきたいと思う。
つらつらと思い返せば、おれはひたすら、ちゃんとしてくれ、ちゃんとしてくれ、とお願いしてきたのである。
乱歩のことだって、まちなか再生のことだって、さらには伊賀の蔵びらきのことだって、とにかくちゃんとしてくれ、ちゃんとしてくれと、夏の終わりの蝉のごとく、ただそれだけをやかましく訴えつづけてきたのである。
それがようよう、ちゃんとしていただけることになったみたいなのである。
しかし、遅いといえば遅い。
あんまり遅いから、地域雑誌『伊賀百筆』の漫才も、どんな展開にすればいいのか決めかねている。
暑さのせいで頭がぼーっとして、そのせいで決められないのかもしれんけどなあ。
ほんと、どうすっぺや。
再生委員会はついにめでたく解散である
残り十一日となった。
アドビ社のサイト作成ソフト Dreamweaver を導入すべきかどうか、いまだ結論を出せずにいる。いわゆる他力な問題だからである。名張市はどうすんだよ、という話だからである。毎度ぶうぶうゆうとるとおり、名張市がデータベースのネット展開というごくあたりまえのことをやってくれさえすれば、おれが自分のサイトに乱歩のデータベースを掲載している必要はなくなってしまう。だから、そうなったら、いま開設しているウェブサイト名張人外境を整理し、ブログとしてリニューアルすることもじゅうぶん可能であろうと思われる。ならば、どこのブログサービスを利用すべきか。
WordPress がよさげである、と思った。ブログツールとしては、いまやユーザー数が世界ナンバーワンだという説があるし、いろいろカスタマイズできるみたいだから面白げでもある、と考えて、最新版をダウンロードしてみた。
WordPress | 日本語:ホーム
これをインストールするためには、サーバーが次の条件を満たしていなければならない。いわゆる動作環境というやつである。
・PHP バージョン 4.3 以上
・MySQL バージョン 4.1.2 以上
とはいえ、ちんぷんかんぷんである。だから、プロバイダにメールで尋ねてみた。すぐに返信があって、
「弊社サーバーには PHP, MySQL がインストールされておらず、ワードプレスをご利用いただくことができません」
とのことであった。さらに、
「現在のところ、弊社 Web サーバーで PHP, MySQL に対応する予定はございませんので、申し訳ございませんが、ご了承下さい」
とのことでもあった。このブロバイダのみならず、たいていのプロバイダのサーバーは WordPress に対応できないみたいである。だから、もしも WordPress を利用してブログを開設するのであれば、どこかに WordPress を利用できるレンタルサーバーを確保しなければならない、という面倒なことになるのだが、WordPress でウェブサイトを整理して再構築するのもいいかもしれない、とは思う。しかしまあ、とにもかくにも、名張市がデータベースのネット展開をどうしてくれるおつもりでいらっしゃるのか、みたいなことも含めてそろそろ結論をお出しいただかないことには、どうにもならん話なのである。あと十一日のあいだに、なんとか結論を出していただければありがたいのじゃが。
さて、先日もお知らせしたとおり、きのうの夜、名張市役所で名張まちなか再生委員会の会合が開かれた。出席者は、委員会の理事が四、事務局の市職員が二、合計六人であった。ちなみに現在、理事の総数は十人だという。で、喜ぶべきことに、名張まちなか再生委員会は正式に解散することになった。慶賀に堪えない。委員会をぶっ壊してやると宣言して入会した身にとって、こんにちまでの経緯はどうあれ、目標としていた解散がようよう実現するのだから、こんなうれしいことはない。しかも、うやむやのうちにおしまいになってしまう、というのではなく、ちゃんと総会を招集し、規約にのっとって解散を決議するのだから、じつにあっぱれな話である。総会の日程は未定だが、9月上旬をめどに調整が進められることになった。9月に開かれる臨時総会で、名張まちなか再生委員会はまずまちがいなく解散する、という寸法である。
いっぽうで、新しい組織を発足させる準備も進められる。名張まちなか再生委員会の後継組織というべきか、まちなか再生を目的とした新組織が誕生することになる。どんな組織ができるのかはわからんが、名張まちなか再生委員会というのはずいぶんおまぬけな組織であって、おまぬけさの一例をあげれば、自分たちにはなんの権限もないということにすら気がついていなかったほどおまぬけなのであったが、新組織がそのおまぬけさから脱却するのは、じつはかなり難しいと思う。名張まちなか再生委員会とおんなじところでただ堂々めぐりをしてるだけ、みたいなことになる可能性が少なくない。それを避けるためには、どうしたって名張まちなか再生委員会の失敗から学ぶ必要があるわけなんだけど、しかしなあ、過去の失敗から学べば学ぶほど、いくらやったってだめだこりゃ、ということに気がついてしまう、ということになってしまうはずだしなあ。ただまあ、おれにはその新しい組織に加わる気なんてさらさらないから、どうだっていい話ではある。
いやいや、どうだっていい、ということもないか。漫才のネタとして、とてもだいじな話ではある。そういえば、これも9月早々であったか、と書いてもなんのことだかおわかりにならぬであろうが、地域雑誌「伊賀百筆」に漫才を書くことになっておって、その締切が9月初旬なのである。漫才のネタは、乱歩の件、ということになっておる。つまり、桝田医院第二病棟の寄贈に端を発したまちなか再生事業における乱歩がらみの一件、ぜひとも経緯を記録しとくべきじゃね? というのが「伊賀百筆」編集部の意向であって、記録しておくことはいうまでもなく大切なのであるけれど、乱歩がらみの一件とゆうたとて、結局は名張市が大風呂敷をひろげて大失敗に終わったまちなか再生事業そのものを語らなければまともな記録にはならぬわけじゃから、結構大変なことになるのではないかと思われるし、それ以前の問題として、総会の日程と締切の時期がみごとにかぶってるってどうよ。9月初旬締切で渾身の大河漫才を書き下ろすとなると、そろそろ書きはじめなくてはならぬところなのであるけれど、あれやこれや不確定要素が多くてとても着手できないではないか。どうすっぺや。ていうか、漫才書くのおひさだから、過去の作品読んでおさらいしなくては。
まずこれ。六年前に「伊賀百筆」に寄稿した漫才である。
生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき記念特別大漫才
もう六年も前のことになるのか、とびっくりしてしまうと同時に、いつまでこんなあほなことをして喜んでおるのであろうなおれは、となさけないような気分にもなるけれど、つづいてはこちら。三年前、住民監査請求をぶちかましたとき参考資料として提出した漫才である。しかし、漫才やるのも三年ぶりか。
僕の住民監査請求
第一部 迷走篇(pdf)
第二部 惑乱篇(pdf)
第三部 猜疑篇(pdf)
第四部 零落篇(pdf)
それにまあ、名張市役所のみなさんからお出しいただく結論がどんなものになるのか、それによって漫才の内容にもちがいが出てくるはずだから、ほんと、不確定要素が多くて困ったものじゃな。
名張まちなか再生委員会に動きあり
三連休だから、というわけでもないのだが、きのう、津市大谷町の三重県立美術館へ行ってきた。「川喜田半泥子のすべて展」というのをやっている。津のまちを通過して美術館までたどりつくと、駐車場の入口に誘導員が立っていた。たしかに車がたくさん停まっていて、駐車場のなかにも誘導員の姿がみえる。空きスペースに駐車して玄関まで歩いたが、いつになく人が多い。出てきた人とこれから入る人が、むろん混雑というほどではないけれど、三々五々、連れだって歩いている。この美術館でこれほどのにぎわいに遭遇するのははじめてではないか、と思いながら玄関横の窓口に立つと、ガラスのむこうにスタッフはおらず、ガラスには貼り紙があって、きょうは入館料が無料です、みたいなことが書いてある。それで人が多いのか、なんともプアな話ではないか、と納得しながらロビーに入ると、やはり人が多い。展示室も同様である。入館者の列がほぼ途切れることなく展示品の前に連なっていて、たちまちうんざりした。美術館は本来、もっと閑散としているべきものである。展示場を軽く一巡して、早々に出た。観覧の感想としては、ま、しょせん金持ちの道楽だよな、と不遜なことを書き記しておく。
昼はうなぎ、と行く前から決めていたので、美術館から丸之内養正町の新玉亭に移動した。NHK 津放送局のすぐそばである。津はうなぎの消費量日本一のまちである、というまことしやかなうわさがあって、なるほどうなぎ屋は少なからず存在しているようなのだが、のれんをくぐったことがあるのは新玉亭だけである。ここも人が多く、店の外にも客が立っている。ほぼ満杯の駐車場になんとか潜り込んで店に入ると、満員だから待ち時間は一時間ほどになるという。うなぎというのは待ってなんぼ、待たせてなんぼの食べものではあるけれど、さすがに一時間も待つのはつらい。すごすごと退散して、こうなるとなんのあてもない。国道二十三号線を南下してゆくと、やがて左手に和食さと津本町店というのがみえてきた。ここでいい、ということにして、駐車場で車から降りると、すぐ裏に津球場が位置しているらしく、高校野球県予選を応援するブラスバンドの大音量が降り注いでくる。店内は満席で、しばらく待たなければならない。何名さまでお待ちのなんとかさま、という呼び出しの五回目でテーブルに着くことができた。ひつまむしセット、というメニューがあったので、それを注文する。和食さとでひつまぶしを食べたからといって、津でうなぎを食ってきた、ということにはならないと思われるのだが、そんなのはどうだってかまわない。美酒美食に興味があるわけではさらさらなく、グルメなんぞではまったくない。
それにしても、これはもちろん車の窓からながめただけの印象だが、津もいまや、人が歩かないまち、ということになってしまったようである。人影というものが、まちなかに絶えてみあたらない。人が絶えたわけではないから、県立美術館であれ、新玉亭であれ、和食さとであれ、趣味や飲食といった明確な目的を果たすための場には、それなりに人があふれている。だが、人は目的地まで自動車で最短距離を移動するだけで、まちをぶらぶら歩くことはしない。買いものも同様だろう。商店街というものが存在していた時代には、夕食の準備ひとつするにしても、商店街を歩いて食材を買い揃えるのがあたりまえだった。だが、われわれはそんな手間のかかることはしない。自動車で大型店に乗りつけ、ワゴンというのか、カートというのか、商品を入れるための手押し車に必要なものを詰め込み、レジで支払いを済ませて自動車に積み込むと、あとは自分の家に直行するだけである。まちを歩く、という習慣は、いつのまにかすっかり失われてしまい、まちを舞台にしたイベントが催される日にかぎって復活する、ということになってしまった。これはむろん、津だけの話ではない。全国のいたるところがそうなっているはずで、名張のまちも例に洩れない。きょうあたり、名張のまちは炎熱に灼かれて死んだみたいに沈黙しているに相違ないのだが、今週土曜日には恒例の名張川納涼花火大会が催されるから、一日だけのにぎわいがみられることになるはずである。
さて、名張まちなか再生委員会の話題である。長く休眠状態にあった再生委員会に、ようやく動きがある。近く会合が開かれることになった。三連休初日の7月17日土曜日、名張市の都市整備部市街地整備室から封書が届いた。会合の日程は、こうなっている。
記
日時:平成22年7月26日 午後7時〜
場所:名張市役所 3階301会議室にて
添えられた文章によると、委員会を再スタートさせる方向で、話し合いがおこなわれるようである。副委員長が行政サイドとぼちぼち打ち合わせを重ね、ようよう会合が開けるところまで来た、ということらしい。もっとも、おれは以前からいってるとおり、まちなかよさようなら、ということにする。たぶんこの会合のあと、そう遠くない時点で、名張まちなか再生委員会が正式に招集されることになるみたいだから、おれが委員会から引くのは、そのときのことになると思う。そのあと、委員会がどうなるのかは、いまの時点ではさっぱりわからないし、どうなったっていいのだが、けりをつけるというか、けじめをつけるというか、そのあたりはどうすべきか。つまり、以前にも記したことだが、まちなか運営協議会が名張市から旧細川邸やなせ宿の管理運営を委託されていることにはなんの根拠も正当性もない、という問題と、やなせ宿は開設二年度目から指定管理者制度を導入することになっていた、という問題。このふたつの問題はクリアにしておきたいなとおれは思っているのだが、委員会がどう判断するのかはよくわからない。問題にするのか、しないのか、どちらにしようかな、委員会のいうとおり、ということにするつもりである。少なくともおれ個人が、やなせ宿のことで名張市のインチキをただしまくる、みたいなことにする気はない。
なにしろもう、なーにいってやったって無駄なんだからな。名張市はどうして名張地区まちづくり推進協議会とそこまで癒着結託しなきゃならんのじゃ? と尋ねてみたところで、癒着結託にはなんの問題もない、っつーのが名張市の認識なのである。蛙のつらに小便、馬の耳に念仏、のれんに腕押し、豆腐にかすがい、ぬかに釘、っつーやつであって、もう勘弁してくれよ、と思うておったのじゃが、まーだ勘弁はしてくれぬらしい。つまり、この件である。
すなわち、
──なぞがたりなばり講演会を委託する民間団体の募集が年度はじめにおこなわれなかったのはなぜ?
という質問に対して、
──特定の民間団体と官製談合をしっかり進めたあとで委託団体を募集したからです。
という回答が返ってきたわけなのである。それはおれだって、たいがい耐性はついてきてるぞ。名張市役所のみなさんのうそに騙され、いいわけに惑わされ、ずいぶんひどい目に遭わされて、たいがいのことには驚かなくなった。しかし、まだこれほどびっくりせにゃならんことが待ち受けていたとはなあ。官製談合やってましたあ〜ッ、とかお役所が教えてくれるわけよ。ふつうは隠すぞこんなこと。それがどうよ。
「受け皿となる団体との調整に時間を費やしたために」
とか、キリッ、みたいな感じで教えてくれるわけよ。ていうか、もうドヤ顔なわけよ。だから、
──まちなか再生事業で名張市が支払ったコンサルタント料はいくら?
という質問に対しては、
──総額三千十万七千七百円ッ。
という回答も返ってきたわけなんだけど、これももしかしたらドヤ顔なのか? 財政の苦しい時期であるにもかかわらず、まちなか再生のためにこれだけの予算を注ぎ込みました、どやッ、みたいな感じなのか? まさかそんなことはないと思うけど、もしもそんなことだったのだとしたら、そういうのっておかしくないか?
だからもうおれは、まちなか再生なんてことからは、きれいにさよならしてしまうわけなのである。まちなか再生から、というよりは、名張市という自治体から、といったほうが正確かもしれんのだが、とにかくもうやだ、もーおやだこんな生活、っつー感じなわけなのである。しかし、しかし乱歩のことだけはちゃんとしてもらわなくっちゃ困るから、テロにもしないでおとなしくしてるわけなんだけど、ほんとにいったいどうなるのであろうなあ。とかいってるあいだに三連休もそろそろおしまいで、あれこれしなければならんことにはまったく手がつかず、とくに Dreamweaver というサイト作成ソフトを導入するかどうするか、いまだに結論が出ておらぬありさまだというのじゃから、
──結論まだぁ〜?
と自分自身にゆうてみるっちゃ。
この癒着結託症候群をどうすっぺ
なんか毎日むしむしして、すっきりせんのは困ったものである。
なおかつ、これである。
どうして名張市は、こんなことばかりやっているのだろう。
引用。
1. 「今年度のなぞがたりなばり事業の委託にともなう民間団体の募集はいつ実施されるのか。」について
【回答】
結論から申しますと、平成22年度のなぞがたりなばり講演会事業は名張市直営で行います。したがって民間団体への委託募集は行いません。
今年度は「なぞがたりなばり」が20回目を迎えるため、記念事業として実施したいと考え、その財源として(財)自治総合センターのシンポジウム助成事業に助成申請をしたところ、平成22年4月1日付で助成が認められました。この助成は本年度に限るもので、しかも事業実施者は市に限定され、市以外の団体との共催や委託が認められていません。そのため採択された事業(なぞがたりなばり講演会とシンポジウムの開催)は名張市直営で行い、事業を盛り上げていただくイベント等の実施を民間団体にお願いしたいと考えています。
この一点目は、あえて不問に付す、ということにしておこう。実際には、市民不在もここまで来たか、とうたた感慨に堪えない。つねづねゆうておることではあるが、名張市役所のみなさんは自分のこと、自分たちのことしか考えない。市民のことなど屁とも思っていない。サーバントであるにもかかわらず、サービス対象を念頭におく、ということができない。自分たちの勝手な都合をろくに説明もせず市民に押しつけて、それが行政運営であると勘違いしている。しかし、そんなのは、いまにはじまったことではない。長い歴史と伝統がある。いまさら驚くにはあたらない。だから不問に付す。というよりも、一点目の質問は二点目の質問を引き出し、引き立たせるための一石であった。
で、二点目。
2. 「昨年度なぞがたりなばり事業は昨年11月15日から30日までの期間で委託団体が募集され、本年3月23日に事業が実施された。年度当初に委託団体の募集が行われなかったのはなぜか。」について
【回答】
平成21年度の第19回なぞがたりなばり講演会事業も、当初から民間団体に実施をお願いする方向でしたが、同事業を委託するのは初めての試みであり、募集はしたものの応ずる団体がないという事態を避けたいと考え、受け皿となる団体との調整に時間を費やしたために募集の開始が秋になってしまいました。
平成23年度においては、他の委託事業と同時に年度当初になぞがたりなばり講演会事業の募集をすることとしておりますのでご理解いただきますようお願いします。
思わず眼を疑ってしまう。
ここになにが書かれてあるのか。
逐語的に確認してゆくことにする。
「平成21年度の第19回なぞがたりなばり講演会事業も、」
↓
今年の3月21日、名張産業振興センターアスピアで催された講演会のことである。今回の講師は今野敏さんに決まった、とおれが伝え聞いたのは、去年の10月2日のことであった。ちなみに、なぞがたりなばりはこれまで、むろん例外はあったにせよ、10月に開催されるのが恒例であった。
「当初から民間団体に実施をお願いする方向でしたが、」
↓
なぜかはわからない。理由は知れない。目的は不明である。しかし、方向として、流れとして、趨勢として、名張市の主催事業が民間団体に委託されることが増えてきている。深いことはなにも考えない。わからない。説明もできない。しかし、民間に委託するのがトレンドである。トレンドっつーことばも古いけど、民間団体にお願いするのはなんとなくかっこいんじゃね? みたいなのが、お役所のみなさんがぼーっとお考えのところであろうか。しかし、たとえば8月7日に催される恒例のなばり夏能、あれが赤目の里山を育てる会というNPOに委託されるなんてのは、どうにも無理がありまくりの話ではないかという気がする。
「同事業を委託するのは初めての試みであり、」
↓
民間委託を考えるのもいいけど、なぞがたりなばりがほんとに必要な事業なのかどうか、必要ではあるとしても、いまのやりかたでいいのかどうか、そのあたりのことを死ぬほど頭つかって考え抜くのがお役所のみなさんの務めなのである、などといっても理解していただけぬのであろうな。
「募集はしたものの応ずる団体がないという事態を避けたいと考え、」
↓
なにも理解はできなくても、こういうことだけはぴんと来るわけである。つまり、かっこつけたい、という欲望だけは一人前なのである。かっこわるいのはいやである、ということにはきわめて敏感で、もしかしたら応募がゼロなのではないか、とちゃんと将来予測までできるのである。先日引いたマックス・ウェーバーの言にこと寄せていうならば、この名張市というインチキ自治体には、情熱も責任感も判断力もないけれど、虚栄心だけはたっぷりある、ということになるであろう。
「受け皿となる団体との調整に時間を費やしたために募集の開始が秋になってしまいました。」
↓
はい終了。
ここで終了。
名張市終了のお知らせ。
気はたしかか、というしかない。
驚くべし、というより、泣けてくるよな実際。
名張市はなんとゆうておるのか。談合しました、とゆうておるのである。民間団体を募集しても応募がなかったら困るので、募集するまでに「受け皿となる団体」、つまり乱歩蔵びらきの会のことなのであるが、癒着結託団体と入念に談合を重ね、調整が終わってから団体の募集をはじめました、とゆうておるのである。あほなのである。死ぬほどあほなのである。ここまでアンフェアなことをぶちかまし、それをしれっと公表している、ということは、なにがフェアで、なにがフェアでないのか、名張市にはその区別さえついておらぬということなのである。あほなのである。死ぬほどあほなのである。いっぺん死んでみるかこののーたりん。しかし、それにしても、ほんと、ほんとにもうね、もうちょっとしっかりしてみてくれんかね。
なあ名張市役所のみなさんや、民間団体の公募というのは、いうまでもなく競争である。どんな団体が応募してくるか、いくつの団体が応募してくるか、それはわからない。じゃというのに、名張市はいったいなにをしたのじゃ。名張市名物アンダーザテーブルにおいて、乱歩蔵びらきの会と癒着結託しておったのである。競争の場に、その競争を仕切る立場の人間が、みずから談合を持ち込んでいたのである。で、話がすっかりまとまってから、さーあ、民間委託でございます、この指とまれでございます、よーいどんでございます、と委託団体の募集をはじめたのである。
しかもこれ、名張市長名義だぞ。名張市長名義の文書において、つまり、名張市長みずからがはっきりと、名張市は癒着結託を全力で推進しております、アンダーザテーブルは談合の花盛りでございます、ずぶずぶなあなあシンドロームここに極まれりでございます、と力強く主張していらっしゃる、ということになる。なかなか正直でよろしい、とは思うけど、なあ名張市役所のみなさんや、おれのゆうとることは理解していただけないのか。事業委託のための民間団体を募集するに際して、事前にこっそり特定の団体と話を進めるなんていうのは、みなさんにとってごくあたりまえのことなのか。そんなのはアンフェアな行為では全然ない、というのがみなさんの認識なのか。なんかもう、あほらしくなってくるよな実際。
とはいえ、おれはそもそも、「市長への手紙」に記されている回答、つまり、乱歩蔵びらきの会との調整に時間を費やしたから委託団体の募集が遅くなりました、という説明なんて少しも信用しておらんのである。いったいどんな調整が必要だったというのかな。日本推理作家協会との連絡は行政サイドが担当し、乱歩蔵びらきの会はそのあたりの交渉にはいっさいノータッチであったというし、3月に実施されたなぞがたりなばり事業を振り返ってみるに、民間委託になったといったって目新しいところなんてどこにもみあたらず、むしろインターネットを利用したチケット申し込みが不可というじつにおまぬけなことになってしまって、イベントとしてはより閉鎖的な方向に進んでしまったというしかなく、げんに入場者は四十人に届かなかった。あんなイベントのいったいどこで、半年以上も時間をかけた調整が進められたというのであろうな。
ていうか、うそじゃね? うそなんじゃね? 大うそだろうがよ。息をするようにうそをつく、とちまたで評判になっている名張市役所のみなさんである。なんのかんの適当なこと書いてあるけど、昨年度のなぞがたりなばり事業における委託団体の募集が年度当初どころか11月後半にまでずれ込んだ理由ってのは、もしかしたらほかにあるのではないかと思われるわけである。その本当の理由を隠すために適当な理由をでっちあげてみたのはいいけれど、なにしろ名張市である。癒着結託症候群が蔓延し、官民双方ずぶずぶなあなあの泥の海にどっぷりつかっておるのであるから、笑止千万、フェアとアンフェアの区別すらつかない。あほなのである。死ぬほどのあほなのである。だから、ルールなんていっさい無視した行政運営を平気でかましてまーす、とかしれっと記して墓穴を掘る結果となったのである。いっぺん死んでみるかこのうすらとんかち。
しかしほんと、いくらなんでも、もうやってらんない、という気がする。いっそひと思いに、
──やっぱテロにするわ。
ということにしてしまうか。いやいや、それはないそれはない。今年のなぞがたりなばり事業を無茶苦茶にしてやろうか、とは思わないでもないけど、
──やっぱテロにするわ。
みたいなことにする気はない。いまのところない。心配ご無用である。
どうよこのコンサルタント依存症
名張市公式サイト「市長への手紙」の件である。
6月7日、なぞがたりなばり事業にかんする質問を「市長への手紙」として送信した。返信が届かなかったため、7月2日、「市長への手紙」を利用して回答を催促した。
6月21日、まちなか再生事業にかんする質問を「市長への手紙」として送信した。返信が届かなかったため、7月9日、「市長への手紙」を利用して回答を催促した。
きのう、「市長への手紙」を担当している名張市の広報対話室から封書が届いた。なぞがたりなばり事業にかんする質問には6月17日、まちなか再生事業にかんする質問には6月25日、それぞれ回答をメールで送信してくれたとのことである。どうやら通信事故があったらしい。もしかしたら、パソコンを新しくしたせいなのかどうか、おれのつかってるメールソフトが「市長への手紙」の返信をスパムメールと判断した、といったことだったのかもしれない。ともあれ、「市長への手紙」担当職員のかたにはとんだご厄介をおかけした。広報対話室にメールを送って謝意を表しておいたが、このエントリでもあらためてお礼を申しあげておく次第である。
さて、メールでは届かなかった「市長への手紙」の回答、広報対話室からプリントアウトしたものを郵送していただいたので、そのスキャン画像を掲げておく。
まず、なぞがたりなばり事業にかんする質問への回答。
だいじなところをテキストに起こしておく。
1. 「今年度のなぞがたりなばり事業の委託にともなう民間団体の募集はいつ実施されるのか。」について
【回答】
結論から申しますと、平成22年度のなぞがたりなばり講演会事業は名張市直営で行います。したがって民間団体への委託募集は行いません。
今年度は「なぞがたりなばり」が20回目を迎えるため、記念事業として実施したいと考え、その財源として(財)自治総合センターのシンポジウム助成事業に助成申請をしたところ、平成22年4月1日付で助成が認められました。この助成は本年度に限るもので、しかも事業実施者は市に限定され、市以外の団体との共催や委託が認められていません。そのため採択された事業(なぞがたりなばり講演会とシンポジウムの開催)は名張市直営で行い、事業を盛り上げていただくイベント等の実施を民間団体にお願いしたいと考えています。
2. 「昨年度なぞがたりなばり事業は昨年11月15日から30日までの期間で委託団体が募集され、本年3月23日に事業が実施された。年度当初に委託団体の募集が行われなかったのはなぜか。」について
【回答】
平成21年度の第19回なぞがたりなばり講演会事業も、当初から民間団体に実施をお願いする方向でしたが、同事業を委託するのは初めての試みであり、募集はしたものの応ずる団体がないという事態を避けたいと考え、受け皿となる団体との調整に時間を費やしたために募集の開始が秋になってしまいました。
平成23年度においては、他の委託事業と同時に年度当初になぞがたりなばり講演会事業の募集をすることとしておりますのでご理解いただきますようお願いします。
なんかもう、思わず眼を疑ってしまうよな。
つづいて、まちなか再生事業にかんする質問への回答。
こちらもやはり、眼を疑ってしまう。
平成20・2008年度の委託料のことは知っておった。名張まちなか再生委員会の総会資料に示されておったからである。ただし、総会資料では「まちづくり活動推進事業」という名目になっておった。今回の回答では「名張地区既成市街地まちづくり事業評価等支援調査業務委託」となっておるから、市の予算書にはこのように書かれておったのであろうな。要するに、まちづくり交付金がらみで国土交通省に提出する報告書の作成をコンサルタントに丸投げしたということなのだと思われるが、再生委員会の総会資料では「まちづくり活動推進事業」などと適当なこといってごまかしているあたり、小ずるいのう小ずるいのう、というしかあるまい。しかし、小ずるいのどうのという以前に、こんなものはどう考えたって職員のみなさんがやるべきお仕事ではないか、という疑問が先に立つわけよ。できるはずのお仕事であると思われるのじゃが、無理なのかしら。
それにしても、まちなか再生事業で名張市がコンサルタントに支払った委託料、気になるお値段は総額なんと三千十万七千七百円だったっていうんだから、えーッ、と驚いてしまうではないか。あの事業の場合、旧細川邸やなせ宿の整備に一億円もかけたということばかりが喧伝されたわけだったんだけど、市民の眼が届かないところで税金がこんなつかわれかたもしておったということである。名張市役所のみなさんはべつに驚きもせんかもしれんが、ふつうの市民の感覚でいうならば、こんなものは常軌を逸した金額である、ということになるのではないか。いやいや、金額も金額であるけれど、そもそもどうしてここまでコンサルタントに依存してしまうのか、という疑問が先に立つわけよ。なあ名張市役所のみなさんや、なにからなにまでコンサルタントに丸投げして、だったらみなさん、毎日いったいどんなお仕事なさってるわけ? とふしぎに思う市民がいてもふしぎではないと思うぞ。
とくに、平成17・2005年の「名張地区既成市街地再生事業実施計画作成等業務委託」に一千二百三十二万七百円、っつーのがひどいよな。これは要するに、名張まちなか再生プランのとりまとめをコンサルタントに丸投げしました、ということなのじゃと思われるのじゃが、ひでー話じゃねーかまったくよー。名張地区既成市街地再生計画策定委員会などというご大層な委員会を発足させ、そこらの駅弁大学の御用学者の先生にその委員長をお願いし、めいっぱいかっこつけまくって策定したもののかんじんの中身がすかすかだったせいでなんの役にも立たなかったあのプラン、つまりこれのことだけど──
名張市公式サイト:名張まちなか再生プラン(pdf)
このおそまつなプランをまとめるために千二百万円もつかいました、っつーか、どぶに捨てました、っつーことなわけなのであるが、やってらんねーよなーまったくよー。なんでひとごとなんだよ。なんで丸投げなんだよ。なんで知らん顔なんだよ。名張のまちを再生いたしますというのであれば、そのために死ぬほど頭つかって考え抜くべきなのはまず名張市役所のみなさんなのである。それがみなさんのお仕事なのである。それがまあどうよ。はなっから主体性を放棄し、責任を回避し、ちゃんと考えるということをせず、ちゃんと決めるということをせず、いや、いやいや、いやいやいやいや、蒸し返すのはやめておこう。いまさらなにいったってしかたあるまい。名張市役所のみなさんのコンサルタント依存症、もはやどうにもならんレベルのものであろうからなあ。みなさんはもう、手前どもは意地でもなんにも考えません、と固く決意していらっしゃるのであろうからなあ。やってらんねーよなーまったくよー。
なぞがたりなばりのことは、またあらためて、じっくり、念入りに、ねちねちと、ということにする。
おれの残り日数は二十七日だってさ
おらおらおらおらおらおらおらおらあッ。
おらおらあッ。
らおらあッ。
おらあッ。
らあッ。
あッ。
ッ。
と、気合を入れておいたほうがいいであろうな。大相撲名古屋場所こそ生中継されないものの、参院選の開票速報からサッカーワールドカップの決勝へとなだれ込む怒濤のテレビ視聴日程が待ち構えておる。
おらおらおらおらおらおらおらおらあッ。
おらおらあッ。
らおらあッ。
おらあッ。
らあッ。
あッ。
ッ。
と、鬼の気合で臨むべきであろうな。とはいえ、本日は夕刻から桔梗が丘あたりでどーんと一席、嬉々としてパーティの予定が入っておるがゆえに、そこでへべれけになってしまったら開票速報も決勝もさっぱりわやになってしまうではないか、という気もする。
ただいま午前5時22分、インターネットでドイツの勝利が報じられた。ウルグアイとの三位決定戦の結果である。えらいもので、ドイツの水族館にいるたこのパウル君、またまた予想を的中させてしまったではないか。わが国のマスメディアは、いっそパウル君に参院選の結果を予想してもらったらどうなのじゃろう。いやいや、名張市民の感覚でいま選挙といえば、参議院議員よりは市議会議員か。たこのパウル君に占ってもらいたいという市議選立候補予定者のかたも、結構いらっしゃるのかもしれんなあ。それにしても、権力の分け前にあずかろうと思ったら、たとえ選挙のときだけとはいえ、そこそこしんどい目をみなければならぬのであろうなあ。
「──政治をおこなう者は権力を求める」とマックス・ウェーバーは述べておる。「その場合、権力を別の目的(高邁な目的または利己的な目的)のための手段として追求するか、それとも権力を『それ自体のために』、つまり権力自体がもたらす優越感を満喫するために追求するか、そのどちらかである」とな。底本は岩波文庫『職業としての政治』、脇圭平訳で、著者名の表記はウェーバーではなくヴェーバー。高邁な目的を実現するために権力を求める、という人が市議会議員になってくれるのはおおいに歓迎であるけれど、優越感を満喫するために市議会議員になりました、などというあんぽんたんな人が大挙して当選してくれたりしたらなんとしょう。ああしょんがいな。
かくいうおれの場合は、多少なりとも権力の分け前にあずかれる身であったなら、自分の優越感なんてどうでもいいから、高邁な目的のために権力を有効利用する、みたいな話をとっとと進めておるところなのであるが、権力なんてものからはできるだけ遠ざかっていたいと念願しておる身であるゆえに、たとえば乱歩のことで名張市役所のみなさんにお願いを申しあげたりする場合でも、それはもう、おねげーでごぜーますだ、おねげーでごぜーますだ、と三拝九拝しなければならんのである。いやはや、なんかもう徒労感さえおぼえてしまう次第ではあるが、こんなところでぐずぐずゆうてみたとていたしかたあるまいな。
さて、7月9日付のエントリにウェブサイトの更新について記したあと、更新をさぼっていることがえらく気になってきたものだから、アドビ社の公式サイトから Dreamweaver というサイト作成ソフトの無償体験版をダウンロードし、ウェブサイトにちょいと手を入れてみた。ま、こんな感じである。
名張人外境:トップページ
無償体験版は一か月しか利用できない。それ以上つかおうと思ったら、ちゃんとソフトを購入しなければならない。しかし、データベースのネット展開、というごくあたりまえのことを名張市がやってくれるのであれば、おれがこんなサイトを開設している必要はまったくなくなってしまう。サイトなんかなくても、ブログでじゅうぶん、ということになる。だから、サイト作成ソフトを購入する必要もなくなってくる。どうなるのであろうな。名張市役所のみなさんに虫のいいお願いをすることができるのであれば、おねげーでごぜーますだ絶賛展開中の、
──結論まだぁ〜?
という件にかんしては、体験版の期限が切れるまでに結論をお出しいただければとてもありがたいと思う。現在ただいまは、こんな状態になっておるのじゃ。
残り日数は二十七日だってさ。いくらなんでも、いろいろ忙しいから市議会議員選挙が終わってから結論を出してやる、などということにはならぬと思うのじゃが、ここで市議会議員選挙に雄々しくチャレンジされる立候補予定者のみなさんのため、マックス・ウェーバーが説くところの政治家にとって重要な資質というやつをお知らせしておくか。すなわち、「政治家にとっては、情熱(Leidenschaft)──責任感(Verantwortungsgefühl)──判断力(Augenmaß)の三つの資質がとくに重要であるといえよう」とのことである。情熱と責任感と判断力と、なんつったらなんか、恋しさとせつなさと心強さと、みたいな感じではあるわけで、なんかおれもほんとに古いよなあおい、みたいな感じでもあるわけだが、では逆に、政治家が不断に克服すべき敵とはなんぞ?
「だから政治家は、自分の内部に巣くうごくありふれた、あまりにも人間的な敵を不断に克服していかなければならない」とウェーバーはゆうておる。「この場合の敵とはごく卑俗な虚栄心のことで、これこそ一切の没主観的な献身と距離──この場合、自分自身に対する距離──にとって不倶戴天の敵である」っつーわけなんだけど、情熱も責任感も判断力もきれいにないかわり、みぐるしい虚栄心だけは売るほどあります、みたいなばかが多くて困っちゃうよな実際。これはべつに、そこらのお程度のおよろしくない政治家の先生にかぎった話ではないんだけどな。
ではここで、きょうからあしたにかけての怒濤のテレビ視聴を無事に乗り切るべく、もう一度気合を入れておこうか。
おらおらおらおらおらおらおらおらあッ。
おらおらあッ。
らおらあッ。
おらあッ。
らあッ。
あッ。
ッ。
もういっちょいっとく。
おらおらおらおらおらおらおらおらあッ。
おらおらあッ。
らおらあッ。
おらあッ。
らあッ。
あッ。
ッ。
三連投でやっちゃうもんね。
おらおらおらおらおらおらおらおらあッ。
おらおらあッ。
らおらあッ。
おらあッ。
らあッ。
あッ。
ッ。
よーし。夕方から夜にかけての怒濤の展開に備えるべく、これからぐっすり朝寝してやろうっと。
ウェブサイトの更新を休んでいる理由
本日はまず、名張市民のみなさんにお知らせである。「問題小説」7月号に、3月21日に催されたミステリ講演会なぞがたりなばりの講演録が掲載されている。講師は今野敏さん、タイトルは「謎の魅力」。
徳間書店:問題小説
なぞがたりなばりの講演内容が商業誌に掲載されるのは、平成15・2003年11月8日に催された高村薫さんの「警察小説を解剖する」が翌年、「小説新潮」3月臨時増刊「警察小説大全集」の巻頭に載せられて以来のことだと思う。
ここまででかでかと三重県名張市の名を出してもらってるわけなんだから、名張市公式サイトでうれしげに告知する、くらいのことをしてもいいと思うのであるが、名張市役所のゆかいな仲間たちのみなさん、いったいどうなのであろうな。
ついでだから、「創」7月号。若松孝二さんの「正義の戦争はないということを伝えたい」が掲載されている。8月14日に一般公開される映画「キャタピラー」をめぐるインタビューである。
創出版:月刊「創」のご案内
乱歩の名前は二回、こんな感じで語られている。
あの映画は、江戸川乱歩の『芋虫』に反戦のメッセージを重ねたんですが、寺島さんには脚本の第一稿を直したときからお願いしました。脚本もはじめは若い女性に書かせたんだけども、何回書かせても、どうしても江戸川乱歩の『芋虫』になっちゃうんですよ。だから、そうじゃないと言って鉛筆で描き直して、普通はちゃんと印刷し直したものを出すけれども、鉛筆で直したままの脚本を寺島さんに渡したんです。そしたら逆に寺島さんはそれに感動したらしいですね。
だからな、反戦のメッセージを重ねようが重ねまいが、そんなことはどうだってかまわない。問題は、あんなもん完璧に乱歩の「芋虫」じゃねーか、っつーことなのである。もとより、原作をどう料理しようと、そんなことは監督の勝手である。すべてのテキストは読者の誤読にむかってのみ開かれている、とヴァレリーもゆーとろーが。ヴァレリーとかまたずいぶん古かろーが。とかそんなことは大きなお世話じゃろーが。しかし、原作は原作である。その点だけは、はっきりしておかねばならない。したがって、「キャタピラー」の原作は「芋虫」でございますとクレジットを入れ、原作料もきっちり耳をそろえて支払ったうえで、それから好きなだけ能書きたれりゃいいんだよばーか、という話なのである。しまいにゃ張っ倒すぞこのぬすっと、という話なわけなのな。
いやいや、こんなのは本来、ウェブサイト名張人外境に記すべきことなれど、いまちょっと事情があって、というか、べつに隠すこともないからその事情というやつを記しておくならば、というか、このブログでもさんざん大騒ぎしたことなんだけど、4月の下旬、いきなり天罰がくだって、パソコンがぶっ壊れてしまった。しかたないから、新しいパソコンを買った。ソフトのたぐいもすべて、あらたに買いそろえねばならない。ウェブサイトを更新するにあたって、おれはアドビ社のGoLiveというソフトを使用していたのだが、これはとっくの昔に生産中止になっておる。したがって、GoLive以外のウェブサイト作成ソフトを購入しなければならない。購入するのはいいとしても、その新しいソフトの操作法、また最初からお勉強しなければならんのかあ、とか思ってちょっと億劫な気分になり、いまだ購入にはいたっておらぬのである。
ウェブサイト名張人外境は、平成11・1999年10月21日に開設した。名張市立図書館の三冊の目録のうち二冊までが完成して、そろそろネットも利用しなくちゃな、と思ってつくったサイトである。二冊の目録の不備をフォローする、というのがサイトを開設した目的のひとつであった。つまり、目録二冊を出したあと、おおげさにいえば全国から、あれが洩れてる、とか、これが抜けてる、とか、目録としての不備を指摘する声をたくさんお寄せいただいた。印刷物の場合であれば、増補訂正というのは大変な作業である。しかしインターネットなら、ごく簡単な作業で済む。だから、とりあえずサイトをつくって、増補訂正を加えつつ、目録二冊のデータをネット上にアップロードしていった。サイト開設のもうひとつの目的としては、三冊目の目録をネット上で公開しながら編纂する、ということもあった。
ここで念のために記しておくと、この時点でもいちおう、名張市の予算が取れないかどうか、軽くじたばたしてみた。いうまでもないことながら、名張市立図書館が発行した目録のデータは、市立図書館の公式サイトに掲載されるべきものである。だれだって、そう考える。おれもそう考えた。だからそうなるように、いささかじたばたしてはみたのだが、このときはリジェクトされた。そこで、基本となる目録三冊、印刷物としてひととおり完成させたあとで市立図書館の公式サイトに登場させよう、と思い直し、とはいうものの、目録二冊の増補訂正と三冊目編纂のためのサイトは一日も早く欲しかったから、ならば自分でつくってしまおう、と考えて名張人外境を開設した。
ところが、いまにいたっても、名張市立図書館の公式サイトに乱歩のデータベースはみあたらない。だから、昨年の秋以来、名張市役所のみなさんに乱歩のことをお考えいただくにあたっても、この方面のこと、つまり、データベースのネット展開のことも、さーあ、どうよ、とお訊きしておる。いつかも記した比喩でいうなら、幹や根っこではなく、花ということである。名張市役所のみなさんに、本質的な問題をご理解いただくことはほぼ不可能である。しかし、目先のことならわかっていただけるのである。おれのウェブサイトを閲覧していただくことは可能なのである。やれありがたや。じつにありがたいことではないか。だから、おれのサイトには名張市立図書館の目録のデータが著作権を無視して違法に掲載されとるのやが、あんなもんどう考えたかて市立図書館が面倒みるべきコンテンツやゆうことくらいはわかっていただけるのではないかしら、とお願いし、それから順を追って、花、枝、幹、根、というふうに話を進めてきた次第ではあったのだが、いやなに、根っこの問題といったって、じつはごく単純なことである。名張小学校のよい子たちからこんなふうに尋ねられたとき、いったいどう答えればいいのかな、という話なのである。
「なばりしはどーしてえどがわらんぽのしりょーをあつめてるんですか? しりょーってどんなものなんですか?」
さてそれで、
──結論まだぁ〜?
というお預けの日々がつづいておるわけであるが、いずれそのうち、データベースのネット展開という問題についても、名張市なりの結論がもたらされるはずである。いやいや、名張市なりの結論、などというご大層なものではまったくない。ごくあたりまえに進められていなければならぬことである。げんにおれなんて、この件にかんしてはもうあっちこっちのみなさんから、あたりまえのことをどうしてしないのか、とお叱りを頂戴してきた次第なのであるが、ようよう名張市のお答えをいただけるようになった。名張市がデータベースのネット展開というごくあたりまえのことをやってくれるのかどうか、その結論をじっくりお聞きしてから、自分のサイトの身の振りかたを考えることにしたいと思って、だからウェブサイトのほうは現在ただいま、ほったらかしにしておるわけなのであるけれど、しかしまあ、なんていうのか、お答えといい、結論といってみたところで、そんなものはずいぶんあやしいものでしかなく、要するに名張市役所のみなさんには、まともにものを考えるということがおできにならないのだから、昨年の秋以来、おれが一貫してお願いしておるのは、乱歩のことをまじめに考えてくれんか、ということ以上に、その考える場におれを立ち会わせてくれんか、ということなのである。名張市役所のゆかいな仲間たちのみなさんや、あんたらを野放しにしといた日には、結局はこんなことにならざるをえんのだもんなあ。
──ほんとにもう、お役所あたりのうすらばかがめいっぱいおよろしくないおつむで適当なこと勝手に決めてんじゃねーぞこのすっとこどっこい、いっぺん泣かしたろかこら、と思われてなりません。
ほんとにもう、なに適当なこと勝手に決めてんだろうなあ、ということで思い出したんだけど、官と民によるおそまつなインチキを鋭く指摘した「市長への手紙」はどうなったのであろうか。インチキを指摘されると黙り込んでしまい、なにを尋ねられてもいっさい返答しない、というのは名張市ではよくみられるシーンだからべつに驚きもせんわけだが、返答なしでだんまりを決め込んでばかりでは、名張市と乱歩蔵びらきの会との癒着結託はやっぱほんものなんだな、と市民の眼に映じてしまうのではないかしら、と思われる次第である。ま、お尋ねしたのはこんなことであった。
名張市のなぞがたりなばり事業についてお訊きいたします。
今年度のなぞがたりなばり事業は、昨年度同様、提案公募型事業として民間団体に委託されるのでしょうか。名張市公式サイトで確認したところ、まだ公募はおこなわれていないようです。つきましては、以下の二点にかんして、お答えを頂戴したいと思います。
(1)今年度なぞがたりなばり事業の委託にともなう民間団体の募集はいつ実施されるのか。
(2)昨年度なぞがたりなばり事業は昨年11月15日から30日までの期間で委託団体が募集され、本年3月23日に事業が実施された。年度当初に委託団体の募集がおこなわれなかったのはなぜか。
以上です。よろしくお願いいたします。
2010/06/07
しかし、なーんにも反応がない、だから、こんな感じで催促した。
名張市のなぞがたりなばり事業について、先月7日、下記のとおりお尋ねいたしました。
今年度のなぞがたりなばり事業は、昨年度同様、提案公募型事業として民間団体に委託されるのでしょうか。名張市公式サイトで確認したところ、まだ公募はおこなわれていないようです。つきましては、以下の二点にかんして、お答えを頂戴したいと思います。
(1)今年度なぞがたりなばり事業の委託にともなう民間団体の募集はいつ実施されるのか。
(2)昨年度なぞがたりなばり事業は昨年11月15日から30日までの期間で委託団体が募集され、本年3月23日に事業が実施された。年度当初に委託団体の募集がおこなわれなかったのはなぜか。
上記の質問に、ご回答は頂戴できないのでしょうか。もしも頂戴できないのでしたら、勝手ながらその旨をお知らせいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
2010/07/02
逆上していたせいで、おらおらおらおら、と記すのを忘れてしまったのであるが、それはそれとして、催促までしたというのに、どうしてお答えがいただけぬであろうな。名張市政の宿痾と呼ぶべき癒着結託症候群、専門用語でいえばずぶずぶなあなあシンドロームというやつであるけれど、それがいよいよ重篤になって、もう返答することもできなくなった、ということなのであろうか。
そういえば、もうひとつの宿痾たるコンサルタント依存症にも、おれは鋭くメスを入れたのであった。こんなことをお尋ねしてみたのだが、こんどは、おらおらおらおら、と忘れることなく書きつけておいてやったぞ。
名張市のまちなか再生事業についてお訊きいたします。
平成16・2004年から五年のあいだに、まちなか再生事業にかんして、名張市は株式会社都市環境研究所にいわゆるコンサルタント料をいくら支払ったのか。年度別に、費目も明示して、お答えいただきたい。おらおらおらおら。
よろしくお願いいたします。
2010/06/21
こちらも音沙汰なしである。なんなんだよいったい。名張市役所において「市長への手紙」に関係しておられるみなさんや、もしかしたらあれか、おれからなにを尋ねられても回答する必要なんかねーぞこら、みたいな通達が出されておるのか。まさかそんなことはないと思うけど、だとしたら、なんでほったらかしなんだろうな。これまでは、たとえ意味不明な内容ではあっても、とにかく回答を頂戴することはできていたのじゃが、いったいどうなってしまったのであろうなあ。いかにも不審に堪えぬゆえ、ついうっかり、本日、ぱんぱかぱーん、と催促をばかましてしまったではないか。おらおらおらおら、とさらに追加もしてやったしな。苦しゅうない。サービスじゃサービスじゃ。
名張市のまちなか再生事業について、先月21日、下記のとおりお尋ねいたしました。
平成16・2004年から五年のあいだに、まちなか再生事業にかんして、名張市は株式会社都市環境研究所にいわゆるコンサルタント料をいくら支払ったのか。年度別に、費目も明示して、お答えいただきたい。おらおらおらおら。
上記の質問に、ご回答は頂戴できないのでしょうか。もしも頂戴できないのでしたら、勝手ながらその旨をお知らせいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
おらおらおらおらおらおらおらおらあッ。
おらおらあッ。
らおらあッ。
おらあッ。
らあッ。
あッ。
ッ。
2010/07/09
おらおらおらおら、と書きつけるにあたっては、めいっぱいエコーを効かせた感じをタイポグラフィックに表現してみた。なかなかスタイリッシュじゃね?
さるにても、つらつら顧みるに、平成15・2003年10月22日水曜日のことでござったな。以前から記しているとおり、教育長にお目にかかる機会を頂戴したおれは、
「さーあ、どうよ」
とお尋ねし、
「またあらためてみんなで話し合いましょう」
とのお答えをたまわったのであった。が、そのときはそれっきりで終わってしまい、以来、あっというまに七年近くの月日が経過してしまった。ミラボー橋の下をセーヌが流れ、新町橋の下を名張川が流れた、というわけなんだけど、ちょっと怠慢だったかな、とはわれながら思う。七年前、教育長からせっかくおことばを頂戴したのだから、さらにしつこく催促申しあげ、みんなで話し合う場を設定していただいて、その場で乱歩のことをちゃんと考えてちゃんと決めておきさえすれば、いまごろになって名張市役所のみなさんに、耳の穴から黒い煙をもくもく出しながら乱歩のことをお考えいただくようなことにはなっておらなんだのじゃ。
しかし、かりに七年前、みんなで話し合う場を設定していただいておったとしても、教育長であれ、市立図書館長であれ、少なくとも乱歩のことを考える、という一点においては、なんの役にも立ちゃせん人たちであったからなあ。いやいや、名張市役所のゆかいな仲間たち全員にお集まりいただいても、立ちゃせん立ちゃせん、役には立ちゃせん、ということにしかならぬのは、もう火をみるよりも明らかであったもんなあ。とはいえ、七年前、データベースのネット展開のことは、軽く考えてはいただいた。しかし、教育委員会側の考えというのは、おれのサイトにあるコンテンツをそのまま市立図書館の公式サイトに載せればいいんだろう、みたいなことであって、いやそんなことではなくてな、とこちらの考えを伝えたところ、話はそれっきりになってしまい、以来むなしく日が過ぎたわけである。ミラボー橋の下をセーヌが流れ、うちの近所の橋の下をシャックリ川が流れたわけである。
とはいえ、平成15・2003年10月22日水曜日からこちら、おれの怠慢はあったにしても、いろんなことがつぎからつぎにやってきて、落ち着いてお仕事できんばい、みたいな感じではあったなあ。とりあえず翌年には、三重県が伊賀地域を舞台に、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」というばか長いタイトルのばか騒ぎをぶちかましてくれたのであった。いやはや、おれはほんとにびっくりしたぞ。なにしろ、事業関係者が官民双方、全員あほなのであった。あほしかおらなんだ。つぎからつぎ、あとからあと、とにかくあほしか出てこんわけよ。だから、ちぎっては投げちぎっては投げ、みたいな感じでそこらじゅう叱り飛ばしておったわけなのじゃが、いやはや、あほを相手にあほなことをしてしまったなあ、としみじみ反省していたらさらにその翌年、平成17・2005年には名張市においてまちなか再生事業が本格化しやがってな、これもまあじつにひどいものであった。うすらばかがうすらばか集めてなんの騒ぎだばーか、おらおらおらおらおらおらおらおらあッ、とばかりに官民双方を叱り飛ばし叱り飛ばし、それでも足りなくてなお叱り飛ばしてやったものであったのじゃが、とどのつまりはあのていたらくであった。なんなんだろうなほんとに、とは思うけれど、平成15・2003年10月22日水曜日から七年近くが経過して、ここにようやく、またあらためてみんなで話し合いましょう、という前教育長のおことばを実現していただけそうになったような気がしないでもないのはうれしいかぎりである。名張市役所のゆかいな仲間たちのみなさん、ほんとによろしくな。
ところで、2ちゃんねるで名張市が話題になっとるぞおッ。
げんきっこどうぶつニュース+@2ch掲示板:【三重】名張市職員「低炭素社会を考え実践する日」 ノー残業・ライトダウン運動・エコ通勤を実行
というか、ほとんど話題になっとらんぞおッ。
新諸国物語関連動画アソートメント
いかにも唐突ではあるが、YouTubeからひろってみた新諸国物語関連の動画。
白鳥の騎士
笛吹童子
風小僧
紅孔雀
オテナの塔
七つの誓い
以上。
さて、それにしても、なんだかほんとに大変なのである。名張市役所のみなさんにちょいとものごとを考えていただこうと思うたら、そのための努力たるや半端ないものが要求されるわけである。しかも、なにしろお役所のみなさんである。目先のことしかみえず、うわっつらのことしかわからない。ちゃんと考えてちゃんと決める、という習慣がない。そのための能力もなければ知識もない。主体性を放棄し、責任を回避し、先送りと丸投げをくり返し、官尊民卑に凝りかたまっておる。なおかつ基本、小ずるい小ずるい。うそをつくことなんか朝飯前である。いやほんと、いくらなりゆきとはいえ、そういった人たちを相手にするのはじつに大変ではあるのだが、なりゆきなんだからしかたがない。名張市役所のゆかいな仲間たちのみなさんには、あらためてよろしくお願い申しあげる次第である。
さて、なりゆきのことをもう少し記しておこう。とはいえ、テロ用の温存ネタを秘匿しながら、ということになるから、あまりご理解いただけぬかもしれない。
秘密のエピソードその一。
秘密のエピソードその二。
さてそのふたつのエピソードのあとで、とつづけてみてもなにもわからんがな。よーし。方針にいささかの変更を加えて、秘密のエピソードその二についていくらか明かすことにしよう。このブログでふれたこともあるから、そもそも極秘のネタというわけでもないのだが、つまりおれは、いやー、こーりゃもうどーしよーもねーなー、と思ったわけである。思ってしまったわけである。なーにいってやったって、名張市はもうだめである。なにも考えようとしない。人の声に耳を傾けようともしない。だいたいがもう、なにかを理解するとか、その理解にもとづいて判断するとか、そういうことがまったくできない。だめだこりゃ、という寸法である。
そこで、いっちょNPOでもつくるか、とおれは思った。まだまだ名張市立図書館でやるべきことはたくさんあった。というか、乱歩関連資料の収集と活用なんてのは、やるのであれば永遠につづけにゃならんものだし、まだまだ調査しなければならんことだっていっぱいある。名張市がいつまでも着手しようとしないデータベースのネット展開なんてのも、ふつうに考えれば当然のことのように進めなければならぬはずのものである。しかし、動かぬ。名張市は動かぬ。そこで、市立図書館に身を置いておってもどうにも身動きがとれないから、市立図書館と連携するNPOをつくったらどうじゃろうか、と考えたのであったが、もともと組織というやつが好きではない。というか、嫌いである。組織なんてものとはできるだけ無縁でいたい、と思うておる。世のNPOなんてものにも、いい印象は抱いておらぬ。そんな人間が、一時的に血迷った結果だとはいえ、NPOでもつくるか、と考えたんだから、よほどのことであったのだろうな、とわれながら思ってしまうが、とどのつまり、NPOの結成にはいたらなかった。不徳のいたすところであった、といまはいっておくことにするが、秘密のエピソードその二はこのあたりの経緯にまつわるものである。
さて、それで、結局、これからどうなるのであろうな。なあ、名張市役所のゆかいな仲間たちのみなさんや。ほんとにどうなるのであろうな。おれはもう、はっきりいって、名張市という自治体のことはあきらめておる。いくらいなかのお役所だからといって、ここまでお程度がおよろしくないのはいったいどうしてだろうな、とは思うけれど、いくら叱り飛ばしてやったところで、もうどうにもならんだろうという気がする。気がするどころか、確信がある。だから、もうどうだっていいわけだけど、乱歩のことだけはちゃんと決着をつけてくれよな。おれにめいっぱいのことをさせときながら、あと白波では困るではないか。乱歩のことをちゃんと考えてちゃんと決める。それが名張市の責務というやつなわけなんだけど、ゆかいな仲間たちのみなさんに責任とか使命とか、そんなことばは通用せんのであったよなあ。まったくまあ、どないすんねん。