忍者ブログ
三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 名張小学校の給食の時間の音楽について
 
 ウェブニュースとして掲載してもらったから、うざいかもしれんけど、みたびご案内申しあげておく次第である。あさってに迫った。
 
 
 ついでだから、天下御免の無断転載。
 
寺子屋講座:先人広く知らせ、来月4日に最終回--伊賀・大超寺 /三重
 
 伊賀市上野寺町の大超寺(坂下充信住職)で06年度から開かれてきた寺子屋講座が7月4日、最終回を迎える。講師に郷土史研究家の中相作さん(57)=名張市蔵持町原出=を迎え、旧上野町長で伊賀の近代化に尽くした実業家の田中善助(1858~1942)を取り上げる。
 
 大超寺は1608年、伊賀を治めた藤堂高虎に付き従った暁誉(ぎょうよ)上人が「大善寺」として開いた。高虎の従兄弟、藤堂良政を祖とする藤堂玄蕃家の菩提寺で、田中善助のほか、明治時代にロシア皇太子を暗殺しようとした津田三蔵など、伊賀地域ゆかりの著名人が多くまつられている。
 
 講座は、坂下住職(61)が寺に眠る先人を広く知ってもらおうと始め、今回で12回目。著名人を一通り紹介し終えたことから、今回で休止することにした。田中善助は岩倉水力発電や伊賀鉄道など多数の事業を手がけ、旧上野町長として下水道を整備するなど、伊賀の近代化に貢献した人物。
 
 坂下住職は「郷土に根差した人たちの力を多くの人に知ってもらいたいと開いてきた。最終的には講座を1冊の本にまとめたい」と話している。講座は午後1時半から(無料)で、事前申し込み不要。問い合わせは同寺(0595・21・2873)へ。【伝田賢史】
 
〔伊賀版〕
 
毎日新聞 2010年6月30日 地方版
 
 おれの肩書は、郷土史研究家、ということになっておる。ほんとは、先日も記したごとく、
 
 「講師に酔っぱらいの中相作さん(57)=名張市蔵持町原出=を迎え」
 
 みたいな感じが望ましいのであるが、世の中というものは思いどおりにはならぬものである。記者のかたから確認の電話を頂戴し、肩書は名張市立図書館嘱託でいいのか、とお尋ねいただいたので、いやいや、あそこはもうやめたの、だから、この手の記事の場合には、郷土史研究家、とかいう肩書になるのが近年の傾向なの、とお伝えしたところ、それで本決まりとなった。しかし、郷土史研究家、なんてことになると、人として落ちるところまで落ちてしまった、という感じがしてしまうべなあ。それにだいたい、研究なんてなんにもしてないんだし。詐欺かよ。
 
 それはそれとして、少しはおれの身にもなってくれよ、の件である。名張市役所のみなさんや、とにかくちゃんとしような、の件である。ちゃんと考えてちゃんと決めよう、の件である。つまり、滅私奉公の出血大サービスで、おれは三冊の目録をつくったわけな。それによって、名張市立図書館における乱歩関連資料の収集と活用を明確に方向づけた、という寸法ではあったんだけど、レベルの問題は最初から頭にあった。名張市役所のみなさんのレベルでは、なにも理解していただけぬであろうな、という危惧は最初からあった。げんに、ほんとになんにもわかんなくて、
 
 「これ二冊ありますけどさなあ、こっちとこっち、表紙は違いますわてなあ。せやけど、中身はほれ、どっちも字ィ書いてあって、二色刷で、ふたつともおんなじですねさ。これ、こっちとこっち、どこが違いますの」
 
 とか尋ねてくれたりしてしまうのが、名張市役所のみなさんのレベルなのである。しかし、いちいち尋ねられたってなあ。おれが通学しておったころの名張市立名張小学校では、みてわからんものはきいてもわからん、という常套句がよく使用されていた。実際に自分の眼でみていながら、それがなんであるのかを判断できないような人間は、いくら人から説明を受けたところで、なにも理解なんかできゃせんのじゃよ、という意味である。ほとんど哲学的な高みに達したフレーズで、さすが地域の名門名張小学校、よい子たちのレベルはかなり高かったということなのであろうな。みてわからんものはきいてもわからん、というのはほんとに至言っつーやつなわけであるけれど、名張小学校のよい子たちや、きみたちにこっそり教えといてあげるけど、みてもきいてもなんにもわからんあほな連中が、ここらあたりにゃずいぶんたくさん棲息しておるのじゃよ。
 
 名張小学校といえば、5月の連休のことであったか、伊賀市内の、というか旧阿山町にあるさる画廊に足を運んだところ、女性の先客がふたりあった。視線やことばを交わすことはしなかったのだが、そのうちむこうから声をかけてくれて、正面から顔を合わせてみると、どちらも名張小学校で同期だった女の子であった。ひとりは炭屋さんの、ひとりはミシン屋さんの娘さんで、おれは同窓会とかに出席しないことにしているからそのせいもあるのか、なんかえらいひさしぶりであった。久闊を叙する、どころの話ではなかったのだが、むこうは長谷製陶でやってるイベントにも足を伸ばしたいとかなんとかで、そのままさよならしたのであった。いや懐かしいなあ名張小学校。一年生のときの担任は谷戸三枝先生であったなあ。いや懐かしいなあ二宮金次郎。
 
 なんの話か。みてわからんものはきいてもわからん、という話である。世間に通用するレベルと、名張市役所のみなさんのレベルとでは、絶望的なほどの開きがあって、さあ困ったな、という話である。とはいえ、まさにみてわからんものはきいてもわからんわけであるから、細かな説明はいっさいせず、先日から記しておるとおり、こんなことになったわけな。
 
 おれ「さーあ、どうよ」
 名張市「またあらためてみんなで話し合いましょう」
 
 この時点で考えるべきことは、まず、乱歩関連資料の収集を継続すべきかどうか、ということであった。おれは継続すべきだと考えていたし、いまも考えているわけだけど、この時点できれいに手を引く、という選択も可能であった。先日も記したとおり、ちょうど立教大学が乱歩の遺産を継承したことでもあるから、そのどさくさにまぎれて手を引いてしまえば、ただの思いつきではじめた資料収集に、所期の目的は達成できましたので、とかなんとかそれなりにかっこつけながらピリオドを打つことができたはずである。
 
 手を引かないというのであれば、まず資料収集の原則というやつを、ちゃんと考えてちゃんと決めなければならない。むろんほんとは、そんな必要はなかった。名張市立図書館から全権委任を受け、おれが考えておれが決めた。その明確な原則にもとづいて、目録三冊をつくったわけである。しかも、世間にきっちり通用するレベル、すなわち最上級の松コースでつくった。おれとしては、そういうレベルで進んでもらいたいとは思うておったわけじゃが、そのあたりはおれの一存で決めることはできない。これからのことをどうするのか。松にするのか、竹にするのか、梅にするのか、それよりさらに下になるのか、とにかく今後のことをちゃんと考えてちゃんと決める必要があった。もとより、収集と表裏一体をなすところの活用という問題もある。これもおれ個人としては、データベースのネット展開みたいなことを進めてもらいたいと思うてはおったのだが、そんなことよりまず、資料収集のガイドラインみたいなのを明確にしなければならない。
 
 だから、なので、そんなこんなで、
 
 「さーあ、どうよ」
 
 という展開に持ち込んだのであったが、
 
 「またあらためてみんなで話し合いましょう」
 
 と先送りが待っておったのである。ま、お役人の常套手段ではあるけれど、やってらんねーよなーまったく、と思っていたところ、さらにだめ押しというわけか、こんなことになってしまった。
 
 名張市「おめーの考えてるとおりにゃしねーよ」
 おれ「へー、だったらどうすんのか、教えてくんない?」
 名張市「……」
 
 これも、それっきりであった。ひどい話ではないか。有能な市民にさんざっぱら滅私奉公をさせておきながら、妙な場所でわけのわからんいちゃもんをつけやがったあげく、いくら尋ねられても自分の考えを述べようとはせず、ただひたすら知らん顔を決め込む。なんかもう、おつむのおよろしくなさの問題は当然あるのだけれど、それ以前の問題として、そういう態度って人としてどうよ。ほんと、いくら催促しても返答してくれんのだからなあ。返答してくれんといえば、おらおらおらおら、でおなじみの名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して送信した質問に、まだお答えが頂戴できておらんではないか。名張市と乱歩蔵びらきの会との癒着結託を鋭く衝いた質問であったのだが、どうして返答がないのであろうな。思いきり逆上してしまうではないか。だから本日、ふたたび「市長への手紙」を利用して、ちょいと催促をばかましてみた。こんなんである。
 
 名張市のなぞがたりなばり事業について、先月7日、下記のとおりお尋ねいたしました。
 
 今年度のなぞがたりなばり事業は、昨年度同様、提案公募型事業として民間団体に委託されるのでしょうか。名張市公式サイトで確認したところ、まだ公募はおこなわれていないようです。つきましては、以下の二点にかんして、お答えを頂戴したいと思います。
 
 (1)今年度なぞがたりなばり事業の委託にともなう民間団体の募集はいつ実施されるのか。
 
 (2)昨年度なぞがたりなばり事業は昨年11月15日から30日までの期間で委託団体が募集され、本年3月23日に事業が実施された。年度当初に委託団体の募集がおこなわれなかったのはなぜか。
 
 上記の質問に、ご回答は頂戴できないのでしょうか。もしも頂戴できないのでしたら、勝手ながらその旨をお知らせいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
 
2010/07/02
 
 いかん。おらおらおらおら、と書き入れるのを忘れておった。やはり人間、本気で逆上してしまうと、ギャグをかます余裕など失ってしまうものらしいな。気ィつけよーっと。
 
 さて、だから、なので、したがって、なあ名張市役所のみなさんや、少しはおれの身にもなってくれんかね、ということになるわけよ。なにを示しても、なにを訊いても、どなたも返答さえしてくださらぬ。返答することすらできんのよ。ものを考えるということが、まるでできないわけな。名張市役所のお偉いかたがたが、もうがたがた、かたがたががたがた、なんてことになると、なんかもうほんとにな、ほんとにいやになってくるわけよ。むろん最初から、いやだなとは思うておった。お役所などというレベルの低いところとかかり合いになるのは、心底いやだいやだと思うておったのじゃが、結局はお役所の仕事をすることになって、そうなればなったで、おれは微力ながらも心血を注いだわけなのな。そういうタイプなわけ。それがどうよ。主体性放棄と責任回避、先送りと丸投げ、そんなことばかりをくり返しているお役所のみなさんが、有能な市民に滅私奉公させといてあとはまったくの知らん顔なんだもんな。やってらんねーんだよばーか。ふつうなら号泣してるところだぜ。
 
 しかし、泣いてたってはじまんないわけな。それに、明けない夜はない、ということか、ありがたいことに、昨年の秋以来、名張市役所のみなさんに、乱歩のことをまじめに考えていただいておるわけである。つまり、
 
 おれ「さーあ、どうよ」
 名張市「またあらためてみんなで話し合いましょう」
 
 というやりとりから、ようやく先に進んでいただけた、ということになるのである。まあ、耳から黒い煙が出たりなんやかんや、いろいろ大変ではあろうけれども、ちゃんと考えてちゃんと決めなければならないことは、ちゃんと考えてちゃんと決めなければならない。つまり、名張小学校のよい子たちから、
 
 「なばりしはどーしてえどがわらんぽのしりょーをあつめてるんですか? しりょーってどんなものなんですか?」
 
 と尋ねられたりしたとき、きっちり答えられるようになっとかないとな、という話なのである。なあ名張小学校のよい子たち、尋ねたことにはちゃんと答えてもらわんとな。しかし懐かしいなあ名張小学校。給食の時間には必ずいつも、校内放送でハチャトゥリアンの「剣の舞」が流れていたのではなかったっけ?
PR
 三年ほど前の誤りを訂正しお詫びする
 
 いかん。ほんとにいかん。きのうも記したが、このエントリのことである。
 
2007年10月04日:眼もくらまんばかりの
 
 とんでもない勘違いを記しておったので、本日はその訂正とお詫びをつづることにした。しかしまあ、ついでである。この「眼もくらまんばかりの」という三年ほど前のエントリ、全文を振り返っておこうか。ま、当時もいまも、おなじことばかりゆうとるわけであるが。
 
江戸川乱歩の著書や関連資料の収集は進める。だが、その活用については何も考えない。考えようとしない。考える能力がない。驚くべきことだが、それが名張市の実態であった。
 
なんのために資料収集をおこなうのか、その根拠が、みごとに欠落している。考えようともしない。せいぜい思いつくのは、市民を対象に乱歩作品の読書会を開くといった程度のことである。それが名張市立図書館の実態であった。
 
 ほんと、おんなじことばっかいってる。なんかもう、おれは怒りっぱなしなわけな。名張市役所のみなさんにたいして、おまえらどうしてものごとを考えないの? と怒りっぱなしであった。ていうか、いまも怒っとるわけであるが。
 
十二年前、平成7・1995年10月に、名張市立図書館の依頼をうけて嘱託になった。経緯はウェブサイト名張人外境の「乱歩文献打明け話」に記してあるから、ここには書かない。
 
嘱託として手がけたのは、いうまでもなく、収集資料の活用である。市立図書館が開館準備の段階から集めてきた資料にもとづいて、江戸川乱歩の書誌をつくることである。一冊目は、乱歩について記された評論や随筆などの目録『乱歩文献データブック』をまとめた。
 
 怒ってるというか、じつはおれ、お願いしておるわけなのな。お役人さまおねげーでごぜーます、と平身低頭して、ちゃんと考えてくだせーまし、とお願いしておる。これはべつに、乱歩や図書館にかぎった話ではなくて、まちなか再生事業だってそうであった。おれはまず名張市にたいして、それから名張まちなか再生委員会にたいしても、ちゃんと考えてちゃんと決めてくれ、ちゃんと決めたことはちゃんと守ってくれ、とお願いしておったわけである。実際にはまあ、全然であったわけだけどな。
 
このあたりのことは、南陀楼綾繁こと河上進さんが、「季刊・本とコンピュータ」平成17・2005年夏号のルポ「そして、本だけが残る──三人の「出版者」との対話」にまとめてくださったので、引用しておく。
 
 書誌の出版を提案した理由を、中さんは「自分が使う立場だったら、絶対欲しいと思ったから」と語る。それとともに、長年かけて集まった乱歩関係の資料を、名張市民だけにしか提供しないのはもったいない。ここにしかない貴重な資料を全国の乱歩ファンや研究者に向けて提供するのが、公共図書館が本来行なうべきサービスなのだという確信もあったという。
 嘱託になってすぐ、次年度の予算を要求するとともに、『文献』(『乱歩文献データブック』のこと──引用者註)の準備にかかった。平井隆太郎(乱歩長男)・中島河太郎(推理小説評論家)両氏に監修を依頼し、先行する資料をもとに調べを進めていった。その後、新聞で『文献』が準備中であることが記事になり、県内外のミステリーマニアから資料を借りたり、情報を得たりすることができた。そうして得たデータをワープロソフトに打ち込んでいき、索引も一人で作成した。『文献』の発行は一九九七年四月(奥付は三月末)。企画から発行まで、約一年半。予算上、年度内に出す必要があったとはいえ、これは驚異的な早さである。
 
 ちなみに南陀楼綾繁さんは、6月13日付エントリにもご登場いただいた。
 
 
 「冒頭で名張市長が挨拶したが、バカ丁寧な敬語を使っていながら、きちんと名張の宣伝をし、聴衆を引き込むその話術には、さすが、ユニークな企画を認めるだけのコトはあるなと感心。一緒に行った漫画家の藤本和也さん(南湖さんの大学の先輩)は「ああいうのを『色悪』と云うんですかね」と。俳優で云えば田宮二郎みたいなカンジ(古すぎるか)。イイ顔を見たなあという気持ち」と名張市長を大絶賛してくださったかたである。
 
 ついでである。「悪名」の予告篇でもごらんいただこうか。
 
 
 「続悪名」も行っとくか。
 
 
 先に進む。
 
収集資料にもとづいて、といっても、名張市立図書館に存在しない資料も多い。お役所の思考法でいえば、所蔵資料だけを目録化すればいいということになるのだが、それでは「自分が使う立場だったら、絶対欲しいと思」う書誌にはならない。
 
市立図書館が所蔵していない資料を確認したり調査したりする作業は半端ではなかったが、とにかく三冊の書誌をまとめることができた。
 
 1. 乱歩文献データブック 平成09・1997年3月31日
 2. 江戸川乱歩執筆年譜  平成10・1998年3月31日
 3. 江戸川乱歩著書目録  平成15・2003年3月31日
 
『乱歩文献データブック』でも「県内外のミステリーマニアから資料を借りたり、情報を得たりすることができた」のだが、そのあとの二冊の書誌をつくる過程では、さらに数多くの方から協力していただいた。
 
とくに三冊目の『江戸川乱歩著書目録』を編纂したときには、全国の乱歩ファンやミステリーマニアのあいだに、名張市立図書館のやろうとしていることへの理解が、ある程度、浸透していることが感じられた。だから、実際、多くの方から激励や教示をたまわることができた。
 
その嬉しさは、文字どおり筆舌につくしがたいものではあったが、『江戸川乱歩著書目録』の解題「ふるさと発見五十年」では、できるかぎりの範囲内でつくしておいた。結びの三段落を引く。
 
 本書編纂にあたっては、平成十三年十二月から立教大学移管後の十四年六月まで数回にわたり、当主の平井隆太郎先生からご高配をいただいて、旧宅に保存された乱歩の著作を調査する機会を得た。もとよりすべてに眼を通せたわけではないが、著書目録として一応の体裁を整えられたのはご遺族のご協力のたまものにほかならない。
 また、小林眞さんのホームページ「小林文庫」(http://www.st.rim.or.jp/~kobashin/)の電子掲示板では、閲覧者からの投稿という形で乱歩の著作についてさまざまなご教示に与った。未知の探偵小説ファンから寄せられた数々のご厚意は、それらの人々の乱歩その人への敬愛のあらわれとしても忘れがたい。お力添えを忝くしたすべての方に心からお礼を申しあげる。
 最後にひとつだけ、残念な事実を記しておかなければならない。江戸川乱歩リファレンスブック1、2のご監修をいただいた中島河太郎先生が、平成十一年五月五日に白玉楼中の人となられた。あらためてご冥福をお祈りする次第である。
 
こうした協力が寄せられたということは、いや、協力といっても、実際には、資料の調査や確認で多くの人に手間や厄介を押しつけただけのことなのだが、とにかくそうした協力をいただくことができたのは、要するに、名張市立図書館がつくろうとしていた書誌に、「それらの人々」が意義や必要性を認めてくださっていたということである。
 
こうした協力関係は、信頼関係につながってゆく。河上進さんの「そして、本だけが残る──三人の「出版者」との対話」には、『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』のことも書いていただいてあるので、引用しておく。
 
 中さんは、千葉県の成田山書道美術館で展示された不木から乱歩宛の書簡を見て、「これは本にしなければ」と決意した。名張市では新規の予算がつかなかったが、三重県が松尾芭蕉の生誕三百六十年にあわせて行なう「秘蔵の国 伊賀の蔵びらき」というプロジェクト(予算は三億円!)内の「乱歩蔵びらき実行委員会」の事業として、予算を取ることができた。
 『子不語の夢』も自治体の発行物としては、きわめて型破りな本である。乱歩、不木の書簡の原文の翻刻に加え、大胆な解釈や推定にまで踏み込んだ脚注や、詳細な索引、論考が収録されている。書簡や封筒の画像を入れ込んだCD-ROMも付いている。もうひとつの特徴は、大学の研究者、ミステリ研究家、小酒井不木サイトの運営者、編集者など、プロ/アマ、アカデミズム/在野の違いにこだわらない人的ネットワークによって本書がつくられたことである。自治体の予算を使いながらも、その枠を大きくはみ出す本づくりを行なっているのだ。
 
 そうであったそうであった。三重県のうすらばかが伊賀地域のうすらばか集めて「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」とかばかな大騒ぎをくりひろげたのであった。なにしろもう右も左もばかである。官民双方ばかである。叱り飛ばしてやった叱り飛ばしてやった。うすらばかまとめていいだけ叱り飛ばしてやったものじゃが、あの事業のおかげで『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』を刊行することができたのだから、三重県民と名張市民のみなさんには、ここであらためてお礼を申しあげておきたいと思う。
 
名張市立図書館のためなら、というか、江戸川乱歩のためなら、いくらだって一肌ぬいでやろう、とおっしゃる方が世の中には存在する。そうした人たちとの協力関係や信頼関係を基盤にすれば、貴重な「人的ネットワーク」を組織することも可能である。そうしたネットワークは、まぎれもなく、名張市という自治体にとっての財産である。
 
そのあたりのことは、『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』にいただいた野呂昭彦知事の序文「江戸川乱歩と「新しい時代の公」」にも、ちゃんと記されている。かつてウェブサイト名張人外境に引いたところを、さらに引用しておく。
 
 近年、政治学や社会学の分野で「ソーシャル・キャピタル」という言葉を耳にします。直訳すれば社会資本という意味になりますが、これは従来のような経済的資本ではなく、人的なネットワークや信頼関係を指す言葉とされ、一般に社会関係資本と訳されています。共通の目的に向けて協働する人と人とのつながりがソーシャル・キャピタルであり、そうした社会関係資本が多く存在すればするほど、その地域はより豊かで魅力的なものになると考えられています。
 今回、「乱歩蔵びらき委員会」の依頼に応えて、第一線でご活躍の研究者の方々から惜しみないご協力をいただけたのは、名張市立図書館を拠点とした社会関係資本が有効に機能した結果であり、伊賀地域や三重県が実施する事業にそうしたソーシャル・キャピタルが実り多い成果をもたらしてくれたことは、今後の地域づくりを考える上でも貴重な事例になるものと期待しております。
 また、伊賀の蔵びらき事業は、三重県が本年四月にスタートさせた総合計画「県民しあわせプラン」のモデルケースとも位置づけられています。この計画では、県民、NPO、地域の団体、企業、行政など多様な主体が対等のパートナーとして協働し、「新しい時代の公」を担っていくことを目指していますが、本書はそうした新しい「公」、それも県境を越えて存在する新しい「公」によって世に送り出されるものといっても過言ではありません。
 
 野呂昭彦知事にも、あらためてお礼を申しあげねばなるまい。それにしても、野呂知事に大絶賛していただいたというのに、名張市立図書館を中心にしたソーシャルキャピタルは完全に雲散霧消してしまったなあ。名張市役所のみなさんはそんなことお思いにならぬであろうが、ほんとに惜しいことをしたものである。
 
三重県においても、あるいは、名張市においても、「協働」や「新しい時代の公」と呼ばれるものの実態は、ひどいものである。先日の監査結果通知書があきらかに示していたとおり、この名張市においては、「協働」という言葉が、官と民の癒着を正当化するものとして使用されている。
 
 そういえば、住民監査請求をぶちかましたりもしたっけなあ。なにしろおれは、怒っておったからな。怒りまくりであったからな。もう半狂乱であった。狂乱の貴公子、みたいな感じであったな。なにしろな、そこらのわけのわからん民間団体だかNPOだかがだな、例のまちなか再生事業にからんでな、駅弁大学三重大学のなんとかおっしゃる御用学者の先生とこっそりつるみやがってな、その先生の研究室だかなんだかと百五十万円ほどの契約を結んでおったわけである。で、その百五十万円ほどは名張市民の税金で支払われておったわけな。しかも、その予算の費目が笑わせるではないか。たしか「名張まちづくり塾」とかいっておった。つまり、6月21日付エントリに記したところとよく似たケースである。
 
 
 まちなか再生事業では、「まちづくり活動推進事業」という名目でコンサルタント料が計上されておったのだが、駅弁大学三重大学への支払いにかんしても、それと似たような粉飾がなされておったわけである。小ずるいのう小ずるいのう。それでまあ、監査委員から監査結果の通知があって、協働だからいいんです、との見解が示されたのであったが、おれはもうのけぞってしまったぞほんとに。それにしても、「この名張市においては、『協働』という言葉が、官と民の癒着を正当化するものとして使用されている」っていうのは、それほど的はずれな指摘でもないと思うんだけど、名張市役所のみなさんはどうお思い?
 
だが、少なくとも『子不語の夢』についていえば、この本の出版が「新しい時代の公」の本来の理念を具体化したものであるとする知事の指摘は、妥当なものといえるだろう。
 
知事ですら、遠く三重県庁で職務にあたる知事ですら、「名張市立図書館を拠点とした社会関係資本」にかんして、こうした認識をおもちでいらっしゃる。だというのに、名張市鴻之台1番町1番地にそびえ立つあの愚者の城、名張市役所の連中と来た日にはどうよ。何も知ろうとせず、何も考えようとせず、ひたすら責任回避に明け暮れるばかりのあの連中はどうよ。
 
 さて、いよいよ問題の箇所である。
 
平成10・1998年のことである。名張市立図書館にお客さんがあった。だいじなお客さんなので、名張市教育委員会の教育次長が挨拶した。ちょうど『江戸川乱歩執筆年譜』が出たばかりだったから、お客さん全員に一冊ずつ手渡し、ご覧いただいていた。
 
テーブルには、『乱歩文献データブック』も置いてあった。と、横から、『江戸川乱歩執筆年譜』と『乱歩文献データブック』を手にした教育次長が、こんなことを訊いてくる。
 
「これ二冊ありますけどさなあ、こっちとこっち、表紙は違いますわてなあ。せやけど、中身はほれ、どっちも字ィ書いてあって、二色刷で、ふたつともおんなじですねさ。これ、こっちとこっち、どこが違いますの」
 
ばかなのである。もう野放図なまでの、眼もくらまんばかりのばかなのである。そもそも本というものは、たんに字を印刷してあるだけのものなのである。その字を読まなければ、中身の違いはわからぬのである。
 
名張市の職員がすべて、全員が全員、どうしようもないばかであるというつもりはない。だいたい、職員個々のことなどよく知らない。だが、総体としてみれば、アベレージを求めるならば、これはもうばかだとしかいいようがないだろう。そして、なかには相当なばかがいて、ただ市職員として甲羅を経ているというそれだけの理由で、その手ひどいばかが教育次長を務めていたのである。
 
大丈夫か名張市。
 
 どうも申しわけない。心からお詫びを申しあげる。ここに「もう野放図なまでの、眼もくらまんばかりのばか」が登場していて、おれはそれが教育次長であったと記しておるのだが、これが完全な勘違いであった。教育次長ではなく、市立図書館のたしか副館長であった。当時はそんなポストがあったように記憶する。どうしてこんな誤りを犯してしまったのであろう。われながら不可解である。ともあれ、とんでもない誤りを遅ればせながらここに訂正し、関係各位に心からお詫びを申しあげる次第である。当時の教育次長がどなたであったのかは存じあげぬのだが、まことに申しわけないことであった。お詫びのことばもありゃしない。
 いかんこれはいかんほんとにいかん
 
 一週間後に近づいたので、うざいかもしれんけど、再度ご案内申しあげる次第である。
 
20100613a.png
 
 地図も再掲。
 
 
 できたてほやほや、当日の配付資料がこれである。ただし、加筆訂正の可能性あり。
 
20100627a.jpg
 
 ちなみに記しておく。この資料の六ページ目に地図がある。福井健二さんの『絵図からみた上野城』から、福井さんのお許しをいただいて転載した。享保年間の上野のまちの地図である。下のほうに広禅寺というお寺があって、その上、方角でいえば東に隣接して、平井隼人という武士の家がある。この平井隼人というのが、乱歩のご先祖さまなわけな。
 
 平井家の初代とされるのは友益という人で、この人は寛文9・1669年、津藩の藩士となった。つまり、藤堂高虎の跡を継いだ二代目藩主、藤堂高次の家臣になったわけ。で、平井友益は天和2・1682年に死去した。その跡継ぎ、すなわち平井家の二代目が陳救という人で、この名は、のぶひら、と読む。通称は、はじめ平三郎、のち隼人。通称っていうのは、要するに、服部半蔵正成の場合は半蔵が通称であり、柳生十兵衛三厳の場合は十兵衛が通称である、ということになる。
 
 で、平井平三郎陳救は天和2・1682年に跡目を継いだ。そのときはわずか二十石五人扶持という微禄だったのだが、貞享2・1685年に百石取りとなり、元禄10・1697年にはさらに百石を加増された。そして寛永4・1707年、一挙に八百石もの加増があって、千石取りの上級藩士になったのであった。隼人という名前は、主君であった四代目藩主、藤堂高睦からこのときにたまわったものである。
 
 当時、平井隼人は江戸詰めだったのであるが、正徳3・1713年にお国附きを願い出た。つまり、入社以来ずーっと東京の支社に勤務していた人間が、津の本社に勤務することを希望した、みたいな話である。これが聞き入れられて、翌年正月、隼人は江戸から津へと引っ越した。ところが、さらにつぎの年、つまり正徳5・1715年のことであるが、隼人は伊賀附きとなった。理由は不明。ともかく、津の本社から伊賀の支社へ転勤になった、みたいなことで、平井隼人陳救はそのまま伊賀に住みつづけ、享保18・1733年に死去したのであった。
 
 享保年間の伊賀上野の城下町図に名前のみえる平井隼人は、まさしく乱歩のご先祖さま、破格の出世をとげた平井家二代目にほかならないのだが、そんなこともあるからなあ名張市役所のみなさんや、乱歩都市交流会議などというばか丸出しなことをぶちあげるのであれば、やっぱ伊賀市にも声をかけてやれよ、川崎克のこともあるだろーが、といつものごとくおちょくりまくってやろうと思っていたのだが、なんかもうどうでもよくなってきた。
 
 とにかくもう、これなのである。
 
 結論まだぁ〜?
 
 ほんとにいったい、どうしたというのじゃな? 乱歩のことをまじめにお考えいただいておった名張市役所のみなさんや、耳の穴から黒い煙をもくもく出して、それで終わりか? たったそれだけなのか。なんなんだよまったく。ほったらかしかよ。どこまで市民を愚弄したら気が済むのよ。
 
 いまさらなにいったってしかたないけど、だからおれはもう最初からね、最初からすごくいやだったわけ。お役所とか、行政とか、あるいは名張市立図書館とか、そういうものとかかり合いになるのが、おれは最初からものすごくいやであった。先日も書いたとおり、そもそもの最初、市立図書館の初代館長から、乱歩作品の読書会やってちょ、と頼まれたときなんて、もう速攻でお断りしたわけな。そんな読書会にはなんの意味もなかったからである、ということは先日も記した次第だけど、ほかにもうひとつ、講師をお断りした理由を数えあげることができるかもしれない。それはつまり、名張市立図書館の、というか、名張市役所の、といってもいいんだけど、とにかくまあお役所というやつだよな、お役所などというレベルの低いところとかかわりになるのはとってもいやである、ということであった。
 
 おれはもともと、名張市役所のみなさんのレベルがどれくらい低かろうと、深くかかわることなしに生きてりゃ問題はあるまい、と思っておった。したがってまあ、読書会の話なんて、受ける余地はどこにもなかったわけな。だいたい、読書会の話なんてのが出てきた時点で、そんな程度のことしか思いつかないんだから、名張市立図書館ってのは相当レベルが低いな、とおれは思った。かかり合いになるのはやめとこう、と本気で思った。開館準備の段階から乱歩関連資料を収集し、移転新築を機に館内に乱歩コーナーを開設いたしました、とかうたってみたところで、市立図書館にとって乱歩はしょせんお飾りにすぎんわけだな、と思った。思ったというよりは、事実そのとおりなんだから、よくわかった、現実に即してよく理解了解することができた、ということである。
 
 実際、ひどい話ではある。初代館長といえども、ろくに乱歩作品を読んだことがなく、収集した資料をいかに活用するか、なんてことはもとより、収集するにあたって乱歩関連資料をどう定義するか、みたいなことさえ考えたことがないうえに、だいたいが図書館を利用してものを調べたこともないみたいな感じであったわけな。少なくとも乱歩にかんしていえば、じつにひどい話である。ノービジョン、ノープラン、ノーアイデアの三冠王、じつに名張市らしい話ではあるが、そんな図書館にかかわるのはやめておこうっと、と思わざるをえなかった。
 
 しかし、一年後、またしても依頼されたものだから、つい情にほだされ、魔が差して、というか、べつに頑強に固辞するほどのことでもなかったゆえに、二年だけの約束で読書会の講師を引き受けた、っつーのがやっぱまずかったわけだよなあ。以前にも記したとおり、市立図書館が約束を守らなかったものだからおれは激怒し、だいたいなにが読書会だ、ほかにやるべきことがあるだろーが、と怒鳴りつけてやった。
 
 で、名張市とおれとのあいだで、こんなことになったわけな。
 
 名張市「なにをすればいいのかわかんない」
 おれ「ばーか。市立図書館が収集してる乱歩関連資料をどうして活用しようとしないの?」
 名張市「どうすればいいのかわかんないから、やってくんない?」
 おれ「やってもいいけど、立場っつーものが必要だからな」
 名張市「じゃ、市立図書館の嘱託ってことでよろしく」
 
 おれはもちろん、嘱託として、ちゃんとしたことをしようと考えておった。それは要するに、名張市役所のみなさんのレベルなんて最初から無視する、ということである。正直いって、みなさんのレベルにあわせておった日には、世間に通用するものはできゃせんわけである。まあみなさんは、世間に通用することなんて考えてもおらんのであろうが、ここに税金つかって収集した資料があり、税金つかってそれを活用しようってんだから、世間に通用するもの、ひとさまから重宝がってもらえるものにするのは、ごく当然のことなのである。もっともこのあたり、名張市役所のみなさんとおれとのあいだにおいて、見解の相違というやつが生じる結果となった。
 
 なにを当然と考えるか、ということである。たとえばおれは、ものごとを考えるというのはごくあたりまえのことである、と考える。ところがお役所のみなさんの世界では、なにも考えないというのはごくあたりまえのことである、ということになる。つまりおれは、名張市立図書館の嘱託になった時点で、名張市役所のみなさんみたいなお仕事のしかたはしないぞ、と考えたわけな。いやいや、ことあらためて考えたわけではないけれど、ごくふつうにお仕事をしていたら、お役所のみなさんとは全然ちがうお仕事ぶりになっていた、ということなわけよ。そもそもおれには、お役所のみなさんみたいなお仕事は、いやいや、あんなちんたらちんたらしてるだけのお仕事をお仕事と呼んでいいものかどうか、おおいにあやしいわけではあるんだけれど、とにかくおれにはあんな真似はできない。なーんにも考えることなく、主体性を放棄し、責任を回避し、ただただぼーっとしていて、なにかといえば先送りか丸投げ、どんなことがあっても異動もしくは退職ですべてが初期化され、それでもときどき脊髄反射みたいな反応を示して手柄を立てたがったりする、みたいなお仕事なんて、おれにはとてもできんわけよな。
 
 するってえと、お役所のみなさんのなかに、どうしてものごとを考えたりするわけ? という反応が出てくるようになった。つまり、おまえがなに考えたって、おれたちはなんにも考えないよ、みたいなことになってくるわけである。信じられぬことではあるが、ふしぎでもなんでもないのかもしれんな。考えるという行為が、名張市役所のみなさんのお仕事のなかにはまったく織り込まれていないのだからな。やれやれ、とおれは思った。いやだなあ、つくづくいやだなあ、と思った。最初から予想していたことではあったけれど、名張市役所のみなさんのレベルの低さに直面するのは、ほんとにいやだな、と思った。
 
 たとえば、こういうことである。
 
2007年10月04日:眼もくらまんばかりの
 
 いつもいつも、おんなじことばかり記しておるわけである。おんなじことばかりいってるおれもおれなら、おんなじことばかりいわせてる名張市も名張市だよな、と思いつつ、あ、いかん、と気がついた。これはいかん。ほんとにいかん。いかんいかん。とんでもない勘違いをしておったではないか。いやー、まいった。みずからの愚かしさを思い知って、おれはかなりのショックを受けてしまったぞ。いかんなあ。うーん。うーん。つづく。
 「市長への手紙」でおらおらおらおら
 
 結論まだぁ〜?
 
 と思わず記してみたけれど、そういえば去年のいまごろは、理事会まだぁ〜? とかしきりにゆうておったっけ。名張まちなか再生委員会の理事会のことである。まちなか運営協議会をめぐる、というか、旧細川邸やなせ宿の運営をめぐるインチキがばれてしまったものだから、なにものかの策謀によって、いやいや、なにものか、などとなぞめかす必要は全然なくて、要するに名張市と名張地区まちづくり推進協議会の癒着結託コンビによる策謀であったのだが、いやいや、策謀というにはあまりにも幼稚でおそまつではあったのだが、ばかがやったことなんだから大目にみてやっていただくことにして、理事会の開催がえんえんと先送りされてしまった。だから、理事会まだぁ〜? とこのブログで連日のごとくわめいていたわけなのであるが、ま、あほみたいな話ではあったな。
 
 ところで、名張市のまちなか再生事業は、もう終わった、ということになるのであろうか。先日発表された施政方針には、まちなかのまの字も見当たらなかったぞ。
 
名張市公式サイト > 窓口一覧 > 総合企画政策室 > 施政方針 > 施政方針(平成22年6月)
 
 去年の施政方針には、ちゃんと書かれておった。
 
名張市公式サイト > 窓口一覧 > 総合企画政策室 > 施政方針 > 施政方針(平成21年3月)
 
 ごらんのとおり、「まちなか再生事業については、本年度をもって、一旦事業を終えることから、名張まちなか再生委員会と共に、5ヵ年の事業内容を見据えた今後の計画づくりを進めてまいります」と書かれておった。だからまあ、再生委員会にひとことの相談もなく、いきなりなーに適当なことかましてんの? と思いきり叱り飛ばしてやったのであったっけ。
 
 
 それにしても、まちなか再生事業ってのは、結局のところ、いったいなんだったんだろうな。名張市公式サイト「市長への手紙」にも質問が寄せられていたけれど──
 
名張市公式サイト:窓口一覧 > 広報対話室 > 市長への手紙 > お寄せいただいた主なご意見と回答 > 平成21年度 > まちづくり > 「まちなか再生」事業について(10月6日受付)
 
 まちなか再生事業なんて知らない、という人が名張市民の大半を占めるものとは思われるが、事業に関心を寄せていた市民の印象は、だいたいにおいて、この質問に記されているようなところであろうか。引用しておく。
 
「5つのテーマのまちなか整備」は、今まで、多額の税金を投入して、
 
(1)細川邸の改修しても、一過性のイベント開催場所になってしまったこと。
(2)乱歩生誕の地を『何らの観光資源にもならない』公園にしてしまったこと。
(3)路地裏の道路を整備したこと。
 
くらいで、財政難の上に「税金のムダ遣い」をした行政の不作為の印象があるだけではないでしょうか?
市民としても、「職員7人の引き揚げ理由」は「まちなか再生委員会理事会」への「事情説明」だけでの問題ではなく、市民への「説明責任」として、納得の得られるご説明(公表)をしていただきたく、強く望んでいます。
 
 大山鳴動して鼠一匹、とはこのことであろう。わざわざ名張地区既成市街地再生計画策定委員会なんてのをつくってプランをまとめ、ご丁寧にも名張まちなか再生委員会なんてのをつくっていいだけ大騒ぎしたあげく、あとに残ったのが「一過性のイベント開催場所」とか、「『何らの観光資源にもならない』公園」とか、もう笑う気もせん。名張市はいったいなにを考えておったのであろうか。いやまあ、なにも考えておらなんだのである。この手紙にも、「行政の不作為」と記されているくらいである。なにも考えることなく、ただただ税金を無駄につかった、といったところか。ノービジョン、ノープラン、ノーアイデア、この三拍子がそろっておるようじゃな。きゃはは。ばーか。
 
 とくに、「乱歩生誕の地を『何らの観光資源にもならない』公園にしてしまったこと」っつーのは、おれとしても、かなり痛い。桝田敏明先生のご遺族から桝田医院第二病棟を寄贈していただく話を直接、といったって電話ではあったが、直接うけたまわったおれとしては、穴があったら入りたい、という気がいまもする。「市長への手紙」でこうした質問が投じられていたことを知ると、なんか自分が責められているような気にもなる。みずからの無力を恥じるばかりなり。千載一遇の好機であったのに、じつに残念なことであったわけだが、あれも結局、絵に描いたような行政の不作為であった。なにからなにまで丸投げなんだから、ほんとに困ったものである。しかも、名張まちなか再生委員会みたいなばかの集まりに丸投げしてたんだからな、あんなものはもう、はっきりいってオウンゴールである。ま、ばかはばかとしかつるまないから、結局はそういうことになるしかないのだが、それだけではなかった。ばかはコンサルタントにも丸投げしておったのである。
 
 名張まちなか再生委員会に入会するまで、おれは名張市役所のみなさんがここまでコンサルタント頼みになってるということに、まるで気がつなかった。そのうえ、コンサルタント料を計上するにあたっては、まことに小ずるい粉飾が常態になっていることも知らなかった。たとえば、はじめて出席した平成20・2008年度総会で市の事業予算なるものが示されたのだが、そこに「まちづくり活動推進事業」という名目で四百五十万円が計上されていた。あとで知ったところでは、これがそのまんまコンサルタントのふところに収まることになっていたのである。いわゆるコンサルタント料だったわけであるが、それをまあよくもぬけぬけと、まちづくり活動推進事業でございます、などと大うそかまして粉飾し、まんまと市民の眼をごまかしてくれたものだよなあ名張市役所のみなさんや。小ずるいのう小ずるいのう。
 
 そういえば、先日掲載した名張まちなか再生委員会の第二十一回役員会の議事録でも、コンサルタント料のことが話題になっておった。
 
第21回名張まちなか再生委員会役員会議事概要
 
 「以前は、何人かの株式会社都市環境研究所の職員が会議に参加され、その時は1700万円か2000万円で委託されていました」との発言がある。でもお高いんでしょう? とは思っておったが、こんなに高いものなのか。コンサルタントにここまでぼったくられているということが市民にばれてしまったら、名張市がなにかというと口にする財政難ということば、あっというまにリアリティを失ってしまうことになるのではないか。
 
 そういえば、このブログに寄せられたコメントでも、コンサルタント料のことが話題になっておったな。
 
2008年06月17日:やなせ塾は自腹となった > コンサルまるもうけ
 
 「コンサル費用は書類の作成その他で20年度に関して450万円ですが、すでに2,000万のお金が支払われているらしいです。市の担当部局はすべての計画をコンサルに丸投げして作らせ、まちなか再生委員会には何の権限も与えず責任だけを押しつけています」とのことである。再生委員会になんの権限もないのはたしかであるが、丸投げされたコンサルタントの無能ぶりはどうよ。しかも名張市、二千万円もふんだくられておるというではないか。正確なところを確認しておこう。名張市公式サイト「市長への手紙」の出番である。きょうはこんなことをお訊きしてみた。
 
 名張市のまちなか再生事業についてお訊きいたします。
 
 平成16・2004年から五年のあいだに、まちなか再生事業にかんして、名張市は株式会社都市環境研究所にいわゆるコンサルタント料をいくら支払ったのか。年度別に、費目も明示して、お答えいただきたい。おらおらおらおら。
 
 よろしくお願いいたします。
 
2010/06/21
 
 一般市民からは不作為をそしられ、名張まちなか再生委員会の関係者からは丸投げをなじられて、名張市役所のみなさんもほんとに大変だなとは思うけど、それにしたってもう少し、自分たちの頭でしっかり考える、みたいなことをしてくれてもいいと思う。いまさらいったってしかたないけど、「乱歩生誕の地を『何らの観光資源にもならない』公園にしてしまった」件についていうと、やっぱりもうちょっと真剣に考えてもらいたかった。つまり、おれはある日、一面識もない、ということはなくて、小学生時代には面識があったはずなのだが、それ以降はまったく無縁だった桝田敏明先生のご遺族からお電話を頂戴して、桝田医院第二病棟の土地と建物を名張市に寄贈したい、という申し出をいただいたわけである。で、すぐ市長に電話連絡して、これこれこういう話をいただいたので名張市としてぜひ受けていただきたい、とお願いした。
 
 いやいや、過ぎたことである。いまさらこんなことほじくり返したって、さしたる意味は認められぬであろう。ま、このあたりの事情は、テロになるまで、ひ、み、つ、うふっ、ということでご勘弁いただきたい。しかし、うふっ、なんていうのは、どうにも気色わるくていかんな。
 
 それでまあ、理事会まだぁ〜? とかいってても、いつまでたっても開かれない。しびれを切らした理事有志が、理事会の開会を求めて署名を集める、などという末期症状的なひと幕もあったのだが、そうこうするうち、名張まちなか再生委員会から名張地区まちづくり推進協議会のメンバーが一挙に退会するというわるあがきが演じられたのであったな。第二十二回役員会でいきなり、おまんこ、とおっしゃったかたも、このときご退会になられたのであった。それにしても、どうして、おまんこ、だったのであろうな。
 
第22回名張まちなか再生委員会役員会 議事概要
 
 厳密にいえば、議事録では「・・・・」と伏せ字にされているのだから、実際にどうだったのかはわからぬものの、フォーレターワーズの伏せ字といえば、おまんこ以外には考えられぬではないか。だから、ネット上で公開されているこの議事録を、たとえば名張小学校のよい子たちが読んだとしてだな、そのよい子たちが名張市役所を訪ねてきて、
 
 「しつもんでーす。あのおじさんはだいじなかいぎのさいちゅーにどーしておまんこっていったんですか?」
 
 とか尋ねられたらどうするよ名張市役所のみなさん、というか、子供になんてことしゃべらせてんだまったく、みたいなことはともかくとして、再生委員会における見苦しい真似はさらにつづいた。遅れに遅れて理事会がようやく開かれたと思ったら、アンケートとりまーす、とかわけのわかんないことになってきた。大丈夫かほんとに、と思っていたところやっぱり大丈夫ではなく、驚くべし、名張市が名張まちなか再生委員会から引く、という驚天動地の展開にいたったのであった。
 
第6回名張まちなか再生委員会理事会議事録
 
 以下略。議事録全文はこのエントリにあり。
 
 
 それでまあ、去年の秋のことだけど、こんなふうな仕儀とはなった次第である。
 
 
 やべーよなほんとに。言論が機能しない、というところまで行ってしまった。話が通じない。こいつらばかだから、なにいってやったって理解できないらしいぜ、ということである。ていうか、こいつらのいってること理解できるやついる? おれだめ、意味不明、もう降参。要するに、行き止まりである。だめだこりゃ。わがこと畢んぬ。やんぬる哉。こうなりゃテロしかねーよなー、ということになった。で、去年の秋のある日、このブログで長くお伝えしてきているとおり、おれは名張市役所のみなさんに、乱歩のことをまじめに考えてくんない? とお願いした。それでそのとき、最初にはっきりいったわけよ。もうな、おれはな、腹が立って腹が立って、ほんとに腹が立ってしかたないわけよ、とお役所の人に告白した。はらわたが煮えくり返っておるのである、と打ち明けた。ぼこぼこにしてやらんことには気が済まんのである、このまま済ませる気なんてさらさらないのである、と申し伝えた。
 
 とはいうものの、実際のところは、その時点でなにをいったって、しょせん手遅れであった。せんないことである。取り返しはつかない。そのかみの静御前だって、昔をいまになすよしもがな、と嘆いておったがな。また昔から、覆水盆に返らず、ともいうではないか。盆に帰らないというのであれば、せめて正月には帰ってくるのであろうか、とか実家の年寄りに心配かけてんじゃねーぞすっとこどっこい、といった話はともかくとして、いまごろいくら怒ったってしかたないんだから、腹立ちやはらわたの煮えくり返りはすべて水に流す。もうなにもいわない。なにも問わないし、だれを責めることもしない。だから、そのかわり、乱歩のことをちゃんと考えてくんない? とお願いした次第であった。だが、じつはここ名張市には、こんな厳しい現実があるわけな。
 
 ──ほんとにもう、お役所あたりのうすらばかがめいっぱいおよろしくないおつむで適当なこと勝手に決めてんじゃねーぞこのすっとこどっこい、いっぺん泣かしたろかこら、と思われてなりません。
 
 まことに嘆かわしい現実である。大きな声ではいえないけれど、お役所あたりにはうすらばかしかおらんのではないか、という疑いを払拭することができない。一例が、まちなか再生事業である。あっちに細川邸があり、こっちに国土交通省のまちづくり交付金があった。で、なにも考えることなく、ただの思いつきで、まちなか再生を実施します、と適当なことを勝手に決めてしまった。そのあとはどうか。不作為である。丸投げである。あらえっさっさ。
 
 あるいは、こんなのもあったな。
 
名張市公式サイト > 窓口一覧 > 総合企画政策室 > 乱歩都市交流会議
 
 これなんて、「お役所あたりのうすらばかがめいっぱいおよろしくないおつむで適当なこと勝手に決めてんじゃねーぞ」と叱り飛ばしてやるべきケースの典型である。しかしひどいな。どうしてここまでひどいのであろうな。どうしてこんな愚劣な思いつきが、そのまま世に出てしまうのであろう。名張市役所の内部で、だれかが乱歩都市交流会議をつくろうと発案し、それがなんらかの場で検討され、最終的に決定されたということなんだろうけど、この発案、検討、決定というプロセスに携わった名張市職員のみなさんは、いったいなにをしておったのか。ふつうであれば、かくも愚かしいうわっつらだけの思いつきなんて、ちょっと検討したら即リジェクトということになるはずなのであるが、なぜすんなり通ってしまうのであろうか。要するに、
 
 ──ほんとにもう、お役所あたりのうすらばかがめいっぱいおよろしくないおつむで適当なこと勝手に決めてんじゃねーぞこのすっとこどっこい、いっぺん泣かしたろかこら、と思われてなりません。
 
 ということなのであろう。それが名張市の厳しい現実なのである。厳しい。非常に厳しい。だから、そもそも、名張市役所のみなさんに、乱歩のことをちゃんと考えてくんない? とお願いしてみても、はかばかしいことには絶対にならない。そんなことは最初から知れておる。しかし、考えてもらわなくちゃしかたがない。それが名張市役所のみなさんのお仕事なのである。不作為とか、丸投げとか、そんなものはお仕事でもなんでもないんだぞ。主体的に考える。それが本来のお仕事である。だが、お役所のみなさんは、考えることが苦手である。なにも考えようとしないし、考えるために必要な知識を身につけようともしない。ただのばかとして一生を貫きます、みたいな感じなのであろうな。だから、おれだって、ただ考えてくれ、とゆうておるわけではない。おれは最初から、去年の秋から、お役所のみなさんが乱歩のことを考える場に、おれも立ち会わせてくれんかね、とゆうとるわけなのな。
 
 それはそうであろう。乱歩作品をまともに読んだことがなく、乱歩がどういう作家だったのか、現在どのように受容されているのかを知ろうともせず、図書館は無料貸本屋だと信じて疑わないようなみなさんに、さあ市立図書館における乱歩関連資料の収集と活用について考えてみてくんない? とかいったって、それは絶対に無理であろう。そんなものは、そこらの犬にむかって、二足歩行してみてくんない? とお願いするようなものである。ただし、いないわけではない。先日、スーパービバホーム名張店で目撃したのだが、なんだかボードビリアンめいた派手な衣装を身につけ、後ろ脚だけで店内を二足歩行している犬がたしかにいた。だから、名張市役所のみなさんだって、やればできるかもしれない。死ぬ気になって奮励すれば、ものを考えることも不可能ではないかもしれない。ていうか、犬に負けてんじゃねーよ。
 
 しかし、自分で思うんだけど、うまく説明できない。どうしておれが、名張市役所のみなさんに乱歩のことをお願いしなければならんのか、そのあたりのことをわかりやすく説明できない。理由は明白。隠してることがふたつあるからである。テロ用に温存してあるネタふたつ、四の五のいわずにばらしてしまえば、話はとてもすんなり進むんだけど、そのあたりがあいまいだから、なんともぐあいがよろしくないのだが、とにかくなあ名張市役所のみなさんや、ほんと、ちっとはおれの身にもなってくれんかね。名張市役所のみなさんから、おれはいいだけコケにされてるわけな。おれがだいじなことをお訊きしても、いっさい返事をしていただけないのである。前教育長がそうだったし、前教育次長もそうであった。
 
 だからといって、前教育長や前教育次長のご自宅を深夜から未明にかけて訪問し、「何人ものヤクザとけんかしたことがある」だの、「マスコミや議員にバラして大っぴらにしたる」だの、「慰謝料や休業補償を払え」だの、そんなこといって脅迫するわけにもいかんしなあ。ほんと、どうすればいいのだろうね。いまのままではいかんよなあ。これはまあ小人閑居して不善をなすというやつなのかもしれんけど、去年の秋からこんにちまで、あれこれお考えいただいた結論がいまだにもたらされないわけだから、なんかあまりにも暇だよなってんで、ついつい、これはけっしてテロではないのだけれど、「市長への手紙」に思わずおらおらおらおらと記してしまう愚挙に出てしもうたではないか。いかんいかん。しかも、それ以前に、名張市と乱歩蔵びらきの会との癒着結託を暴き立てる作戦にも着手してしまったしなあ。ほんとに困る。困る困る。困ってしまって大変だよなあ名張市役所のみなさんや。
 
 結論まだぁ〜?
 少しはおれの身にもなってくれんか
 
 三週間後に迫ったので、伊賀市上野寺町の大超寺が開催している「歴史講座寺子屋」のご案内を少々。
 
20100613a.png
 
 テーマはごらんのとおり「田中善助翁 第3回」であるが、よりくわしくいうと「田中善助翁と仏生山大超寺」となる。田中善助翁についてこの講座でおはなしするのは三回目になるんだけど、考えてみればひどい話で、平成18・2006年10月の第一回では神道のことが、昨年4月の第二回ではキリスト教のことが出てきて、お寺が主催する文字どおりの寺子屋講座だというのにいったいなにをしゃべっておるのか、とわれながらあきれ返ったものであったが、三回目のお座敷でようよう仏教が登場することになった。
 
 大超寺の地図はこちら。
 
 
 それから、上のポスターに「名張市立図書館嘱託」とあるのはちょっとした誤りで、というか、情報としてやや古く、正確には「元名張市立図書館嘱託」である。個人的には、
 
 「講師 中相作氏(酔っぱらい)」
 
 みたいな感じのほうが好みなのであるが、ま、どうだってよろしい。さて、その名張市立図書館の件なのであるが、徐々に徐々に聞く耳を持たなくなってきてしまった名張市役所のみなさんや、きょうはそうでもないけど、おとといもきのうも暑かったなおい。そろそろ夏なわけなんだけど、去年の秋から鋭意ご熟考いただいてきたことの結論は、いくらなんでもそろそろ頂戴できるころかしら。しつこくもいっとくけど、難しいことはなんにもゆうとらんぞ。理不尽なことも、不合理なことも、全然ゆうとらん。要するに、ちゃんとしような、しっかりしような、ということである。考えるべきことはちゃんと考えて、決めるべきことはしっかり決めような、ということである。おれはそれしかゆうとらんぞ。そうであろうが。お出しいただきたい結論は、イエス、あるいは、ノー、そのいずれかである。簡単なことではないか。悩むことなんて、なーんにもないと思うぞ。いったいいつまで知らん顔していらっしゃったら気が済むのかな。おらおらおらおら。
 
 いやいや、おらおらおらおら、とかいってるからよくないんだろうな。ならば、がらりとキャラクターを変えて、泣き落としで行ってみようか。
 
 なあ名張市役所のみなさんや、少しはおれの身にもなってくれんか。な。いくら名張市名物だとはいえ、ほんとにただの思いつきで乱歩関連資料を収集いたします、と決めておいて、そのあとなんにもせんっつーのはまずかろうがと、市民の税金で市民生活にはなんの関係もない資料を購入しておいて、だというのになにもせず、市民相手の乱歩作品の読書会なんかでお茶を濁してちゃまずかろうがと、おれは名張市立図書館を叱り飛ばしてやったわけな。だいじなことだからなんどもいっとくけど、乱歩の関連資料を必要としてる市民なんて、名張市にはひとりも存在していないはずである。だから、名張市立図書館が乱歩関連資料を収集する必要なんて、なかったといえばまったくなかった。ただし、全国でただひとつ、乱歩関連資料を収集する公共図書館として運営をつづけます、と覚悟を決めてやるのであれば、それはおおいに意義のあることである。だから全国を対象に、名張市という自治体の身のたけ身のほどの範囲内で、それなりのことをやりゃあいいのよ。で、そしたらそれなりのことをやっていただけませんか、と市立図書館から依頼されて、つまりこれはいってみれば全権委任、平たくいえば丸投げであったのだが、とにかくそれを受けて、おれはそれなりのことをやったわけな。
 
 いまだにこんな簡単なことが理解できない向きもあるようだから、しつこくもくり返しておくけれど、名張市民だからといって、乱歩作品を読まねばならぬという法はない。そんなものは市民の勝手である。お役所が音頭をとって、さあ市民のみなさん乱歩作品に親しみましょう、などと気のふれたようなことを口走る必要はまったくない。名張市にとって乱歩とはなにか、ということになると、結局のところ、シティセールスの得がたい素材なのである、ということでしかあるまい。お役所のみなさんが好きなことばでいえば、全国発信の素材なわけである。そのあたり、よろしく認識しておくべきだと思うぞ。だから、名張市民を相手にする必要はない。全国発信っつーくらいだから、全国が対象になるわけよ。ただし、残念ながらこのあたりには、ご町内のことしか眼に入らないという連中がとても多い。ちまちましたご町内イベントしか思いつけない連中ばっかなわけな。しかも、そんなご町内イベントは市民からみむきもされないわけ。しかるに、税金だけは無駄につかってくれるわけ。もうどうしようもないではないか。
 
 いくらなんでも、もう少しひろい視野でものを考えることはできんか。ご町内のことしかわからんのだから無理もないかもしれんが、乱歩にかんしてなにかやるというのであれば、どうせなら東京で名張市主催の関連事業をぶちあげる、くらいのことをやってもわるくないと思うぞ。平成14・2002年に池袋でやったときは結構受けたし、そういえば、名張市の市長って田宮二郎みたいじゃね? などという評判がインターネット上を駆けめぐったりもしたしなあ。
 
書評のメルマガ:2002.11.07 Thursday
 
 南陀楼綾繁さんの「南陀楼綾繁のホンのメド」である。引用しておく。
 
【イベント】
★旭堂南湖公演「探偵講談、乱歩を読む。」11月2日・豊島区民センター
演目/「乱歩一代記」(作・芦辺拓)「二銭銅貨」「魔術師」(原作・江戸川乱歩)
主催/三重県名張市
 
 旭堂南湖さんは大阪の講談師。「探偵講談」と銘打ち、江戸川乱歩、川崎ゆきお
(猟奇王!)などをネタにした講談を語っている。今回の公演は、乱歩の出身
地である三重県名張市が主催した一連のイベントの打ち止めを、乱歩の終焉の
地である池袋で行うという粋な企画。冒頭で名張市長が挨拶したが、バカ丁寧
な敬語を使っていながら、きちんと名張の宣伝をし、聴衆を引き込むその話術
には、さすが、ユニークな企画を認めるだけのコトはあるなと感心。一緒に行
った漫画家の藤本和也さん(南湖さんの大学の先輩)は「ああいうのを『色悪』
と云うんですかね」と。俳優で云えば田宮二郎みたいなカンジ(古すぎるか)。
イイ顔を見たなあという気持ち。
 
 300人ぐらい入る会場は満員。推理作家の芦辺拓、真保裕一などミステリ関係
の人々が詰めかけた。「彷書月刊」の夷蔵さんにも遭遇。作家の島村匠さんにご
紹介いただく(『上海禁書(ノワール)』祥伝社・ノンノベル、あのあと買って読
みました!)
 
 演目のうち、「二銭銅貨」はやや一本調子でツラかった。もともと理詰めの会
話のオモシロさで成り立っているハナシなので、講談には乗りにくいのだろう
が。登場する二人の「遊民」が得るもののない遊びに熱中している様子のむな
しさを描ければ、胸に迫るモノになったのになあ。その点、「魔術師」は元が
活劇なだけに楽しく聞けた。いいタイミングのギャグも楽しめた。南湖さんは
年末に、明石の個人出版社「幻堂」から「乱歩一代記」「探偵講談 猟奇王」
を収録したCDをリリースするとのコトです。
 
 なお、来年には豊島区主催の「江戸川乱歩展」が開かれるとのこと。
2003年1月29日(水)~2月9日(日)
西武百貨店池袋店・イルムス館2階「西武ギャラリー」
 
旭堂南湖サイト「正直南湖」
http://www003.upp.so-net.ne.jp/nanko/
 
 隔世の感を禁じえない。八年前のことであるが、このころは名張市もまだしっかりしておった。以来八年が経過して、なんかもうがたがたじゃね? いやいや、市政全般のことではなく、乱歩限定の話ではあるが、みごとなまでに転がり落ちてしまったという気がする。この八年のあいだに、名張市でいったいなにが進んだのかというと、協働という名の主体性放棄、とでもいったことになろうか。主体性放棄や思考放棄はお役所のおはこではあるけれど、なんかもうやけくそかよと思われるほどの放棄っぷりである。どーしよーもねーなー、なんとかしろよ唐変木、とかいってると泣き落としにはならないか。
 
20071122a.jpg
 
20080313a.jpg
 
20100324a.jpg
 
20100329b.jpg
 
 ともあれ、名張市立図書館の資料活用は、ちゃんとしたことになったわけである。目録三冊つくったということは、資料の収集から活用まで、ちゃんとした方針が定められてその具体化も進んでおります、ということを世に示したということなのである。ただし、前にも書いたけど、名張市役所のみなさんのレベルは無視した。そんなレベルでお仕事してた日にゃ、世間に通用するものやひとさまのお役に立つものはとてもできない。そのあたり、名張市役所のみなさんにも自覚はおありであろう。で、目録三冊ができあがったとき、当時の教育長に、さーあ、どうよ、とお訊きしたところ、またあらためてみんなで話し合いましょう、ということになったのだが、そんな話し合いの場などまったく設けられなかった、ということは先日も記した。もう少しくわしく記しておくと、目録三冊が無事にできあがったので、名張市教育委員会と市立図書館の関係者が、慰労の席を設けてくださったわけである。だから無粋といえば無粋なことではあったのだが、教育長にお会いできる機会なんてめったにないことではあるから、その席で、さあこれからどうしましょう、さーあ、どうよ、とお訊きした次第であった。おれとしては、データベースのネット展開みたいなところに進みたいなとずっと考えていたから、そっちの方向についてはもちろん提案したのだが、まったく逆に、ちょうど乱歩の遺産が立教大学に譲渡された時期でもあったから、この機会に市立図書館は乱歩から手を引くという選択肢もないわけではない、という提案もしておいた。いずれにせよ、決めるのは名張市立図書館、というよりは名張市教育委員会なのである。
 
 それでまあ、いつまで待ってもみんなで話し合う場なんてのは設けられなかった。いっぽう、目録三冊つくったからといって、それで終わりというわけではまったくない。資料の調査とか収集とか、そんなのはもう日々これ精進みたいな持続的な作業であって、こつこつこつこつ地道に継続されるべきものである。だから地道にこつこつやっておったところ、まちなか再生がどうのこうのというばか騒ぎがはじまってしまった。ほんと、ばかだったよなあれは。発表された名張まちなか再生プランの素案というのが、まずどうしようもない大ばかであった。とはいうものの、プランには乱歩の資料がどうのこうのと書いてあるから、市立図書館の嘱託としてほっとけないなと思い、パブリックコメントを提出した。そのあともまあいろいろあったんだけど、なにしろ名張まちなか再生委員会である。話が全然まとまっていかないわけ。にっちもさっちも行かなくなったのであろう、あるとき、委員会の内部に乱歩関連施設整備事業検討委員会なんてのが組織されることになって、招かれたから最初の会合に顔を出した。用件はただひとつ、ばーか、いくら呼ばれたっておまえらに協力なんかしてやんねーよ、ばーか、と委員会にお伝えするためである。それはそうであろう。なにしろあの委員会、最初からインチキばかりであった。だから、最低限のルールもわきまえぬおまえらのインチキにまともな市民が加担するわけねーじゃねーか、みたいなことを吠えてきてやった。
 
 なんかもうほんと、勘弁してくれよと、ものの道理というやつを少しは理解してくれんかと、おれとしてはそういう感じであったな。なあ名張まちなか再生委員会のみなさんや、おまえらにゃなんの権限もないのである。そんなことすら理解できんのか。理解できんとしたらたぶんばかなのであるが、そんなばかがいちいちおれを巻き込もうとしてんじゃねーよ。だいたい巻き込めるとでも思うておるのか。おれはもう最初っから、こんな委員会ができる以前、名張まちなか再生プランの素案が発表された時点から、ずーっと叱り飛ばしつづけてきたのである。おまえらのことだっていいだけ叱り飛ばしてきたではないか。お叱りを受けて考えを改めましたので、というのであればまだしも、おまえら数々のインチキにはしれっとほっかむりを決め込んだままじゃねーか。そのうえなんだと? この期におよんでおれを都合よくつかいたいだと? 聞こえねーよばーか。うすらばかが虫のいいこと並べ立てるのもたいがいにしておけ。それにだいたい、乱歩の生家復元とかミステリー文庫の開設とか、おまえら利いたふうなことほざいてくれてるけど、そんなものどちらもおれがパブリックコメントで提案したアイデアではないか。だったらどうしておれの提案を受けてプランを修正しなかったんだよインチキ自治体。おまえら知ってるか。そういうのをパクリっていうんだぜ。ぬすっとっていうんだぜ。しまいにゃ訴えるぞこのすっとこどっこい、とかまあ吠えた吠えた。いいだけ吠えまくってきてやった。
 
 みたいなことを記すために、この日の会合の内容を報告したウェブサイトの記事を読み返していたところ、『地域再生の条件』という本のことが出てきた。転載しておく。 
 
 きのうのつづきに入る前に別の話題。タイトルに興味をおぼえて本間義人さんの『地域再生の条件』を読みはじめました。岩波新書の1月の新刊。「はじめに」にいきなり「まちづくり交付金制度」のことが出てきました。名張まちなか再生プランはこの交付金をあてにして策定されたものです。
 
 2005年に地域再生法が施行され、政府が地域再生プログラムを策定したことが紹介されたあと──
 
 これより前の二〇〇四年三月には都市再生特別措置法が改正され、まちづくり交付金制度が創設されています。政府は二〇〇二年四月に都市再生本部において「全国都市再生のための緊急措置──稚内から石垣まで」なる推進策を決定しています。まちづくり交付金制度は、その一環として自治体のまちづくり施策に交付金を出すというものです。二〇〇五年度予算では一三三〇億円が計三八四地区に支出(つまり一地区あたり三・五億円)されています。
 果たして、これらの法制度や政策により衰退した地域がよみがえることができるかどうか。おそらく無理だといっていいでしょう。なぜなら法制度や政策の対象が、従来の公共事業と変わらない物的な対象とされているからです。たとえば、地域再生法の特例措置の対象は道路、農道、林道、下水道、集落排水施設、港湾施設、漁港施設などとなっています。これらの整備に特例をみとめることが地域再生につながるでしょうか。こうした土木建設事業は地域開発の主要事業として、これまでも行われてきたことではありませんか。政府が行おうとしていることは、ピントがずれています。
 こうした政策には、まず地域を再生するためのコンセプト(全体を貫く基本的な視点や考え方)が見られません。なぜ、地域が衰退していっているのか、荒廃していっているのか、その前提に始まり、それらをよみがえらせるのに第一に必要なのは何かというものが見当たらないのです。本当に必要なものは、道路や農道、あるいは林道といったものではないはずなのに、なおそれらにばかり目を向けているのです。これでは地域の再生がなるはずもありません。
 
 おそらく無理だといっていいでしょう、とはまた身も蓋もない指摘ですけど、この私だとてそう思う。政府のみならず地域再生の現場でも、旧態依然とした価値観や手法が幅を利かしておるからである。地域社会に知恵さえあれば、ピントがずれた政策を利用してなにかしら有効な手だてを講じることができるかもしれない。しかしそんなことは無理である。それを可能ならしめるためには「コンセプト」を見つけることが必要だとこの著者は主張していらっしゃるのだし、私がこれまで述べてきたところに即していうならば名張まちなかという地域のアイデンティティの拠りどころをどこに見いだせばいいのか、みたいなことをまず明確にしなければならない。しかし地域再生の現場において、あるいは名張まちなか再生プランにおいて、そんなことはいっさい無視されておるのである。
 
 さらに引用。
 
 しかし、地方の側にはワラをもつかまんばかりに、この政府の法制度と施策に拠って地域再生を図ろうとしている自治体がなお多く見受けられます。おそらく、それでは地域再生がなるはずもないといっていいでしょう。政府の施策により地域が再生されるなら、今日なお衰退と荒廃に苦しむ地域(ごく一部の例外を除き)は存在しないはずだからです。都市についても同様のことがいえるでしょう。規制緩和策が都市にとって真にのぞましい施策であったなら、都市の混乱と欠陥はとっくに解消しているはずだからです。しかし、その混乱と欠陥はますますひどくなっているのが実態です。
 それでは地域を再生するにあたって必要なコンセプトとはどういうものなのか。それが問われることになります。どうしたら人々が自立した暮らしを営める地域となりうるのかが、そのコンセプトでなければならないのはいうまでもありません。しかし、そのコンセプトは、ある前提があってはじめて成立するもので、これなしにはありえません。では、その前提とは何なのでしょうか。
 
 興味を惹かれた方は本屋さんへどうぞ。気になるお値段は本体七百四十円。名張まちなか再生委員会のみなさんもお読みになられてはいかがかしら。
 
 この「はじめに」には、
 
 ──人々が豊かに生活できる場の実現こそが、「真の再生」なのです。
 
 とも記されており、私が以前からいってるのも似たようなことなのであって、名張まちなかの再生というのであればそれはまずなにより生活の場としての再生でなければならないはずなのですが、名張まちなか再生プランにはそうした視点が完全に欠落している、こんなプランはまったくだめである、つまりは温かい血の通ったプランではないのである、みたいなことはおとといの第一回乱歩関連施設整備事業検討委員会においてもはっきり指摘しておきました。
 
 なんつーか、国土交通省のまちづくり交付金に手を出した時点で、名張市におけるまちなか再生事業の失敗は約束されていたのかもしれんな、という気もしてきた次第であるが、そんなことはともかく、名張まちなか再生委員会の乱歩関連施設整備事業検討委員会の席でのことである。当時の教育次長が出席していらっしゃって、議題とはなんの関係もないことであったが、なぜか突然、市立図書館の話題をお出しになった。乱歩関連資料の収集と活用にかんして、端的にいえば、おめーの考えてるとおりにゃしねーよ、との唐突なご宣告をたまわったのである。なんでこんな話が出てくるのかな、とは思いつつ、およそその場にふさわしくない話題ではあったから、てめーこらおぼえとけよな、とか思いながら、その場ではそのままスルーして、あとになってからその教育次長にこんなメールをお出しした。
 
 お世話になっております。単刀直入に申しあげます。以下に一点、質問を記します。ご多用中恐縮ですが、お答えをいただければ幸甚です。
 
 名張市教育委員会は市立図書館の運営における江戸川乱歩の扱いについて、構想や方向性のようなものをおもちなのでしょうか。おもちなのであれば、それを示していただきたく思います。また、これからお考えになるというのであればその時期はいつごろなのか、構想や方向性は存在しないというのであればその旨をお知らせいただきたく思います。
 
 私個人は、これまでに市立図書館が発行した江戸川乱歩リファレンスブックによって具体的に示しましたとおり、図書館が過去に収集した乱歩関連資料にもとづいて、全国を対象にしたサービスを提供することが望ましいと考えております。そのサービスはインターネットを活用して進めるべきであるとも愚考いたします。
 
 しかるに、2月1日に開かれた名張まちなか再生委員会の第一回乱歩関連施設整備事業検討委員会において、貴職は私の考えを必ずしもそのまま受け容れるとはかぎらないという旨のご発言をなさいました。正確なところは事務局による録音を聴いてみなければわかりませんが、とにかく貴職は、私が示した方向性を100%受け容れるかそうでないか、それはこれから考えることであるとおっしゃったように記憶しております。
 
 私にとってこれは驚くべきご発言で、名張まちなか再生プランには直接関係のないことですから委員会の席では何も申しあげませんでしたが、貴職にお訊きして確認したいことは少なからず存在いたします。しかし、いまはほかのことには触れません。ただひとつ、私の示したところをそのまま受け容れるにせよそうでないにせよ、名張市教育委員会が市立図書館の運営における乱歩の扱いをどのようにお考えなのか、あるいはお考えではないのか、その点に関して上記の一点をお訊きする次第です。
 
 お答えはメールでお願いできればと思います。また、お答えは当方のサイトで公開させていただきたく思っておりますが、もしも差し支えがある場合は非公開といたしますので、その旨お知らせくださいますようお願いいたします。
 
 年度末を迎えてお忙しいところ、勝手なお願いを申しあげて心苦しく思っております。よろしくお願い申しあげます。
 
2007/02/28
 
 二回か三回、催促のメールもお出ししたのであるが、ガン無視であった。公務員などというものはしょせん無責任なものであろうけれども、どうやらこの名張市というインチキ自治体では、教育次長という重職にある職員でさえ、公務の場での発言にいっさい責任を持たなくていい、ということになっておるらしいな。ひどい話じゃねーかうすらとんかち。ほんとにひどい。ひどいッ、ひどいわッ、死ぬほどひどいわッ、みたいな感じで、ようやく泣き落としモードになってきた。なあ名張市役所のみなさんや、ひどい話だとは思わんか実際。少しはおれの身にもなってくれんか。とにかく前教育次長ったらとってもひどい人であって、ひとことの返答さえしていただけないんだぞ。たまんねーよなーまったく。てめーにはなんの考えもないくせに、ひとのやったことには平気でけちをつけやがる。けちをつけるったって、まともなけちではありゃせんのよ。名張市立図書館がつくった目録三冊、たぶんろくに眼を通しもしないで、ずいぶん大変そうである、とかそんな印象だけでけちをつけてやがんのな。たまらんよなまったく。その場その場で出たとこまかせの思いつきをふかれた日にゃあ、現場で仕事してる人間はたまったもんじゃねーよなあ名張市役所のみなさんや。いやー、お察しするお察しする。
 
 いやいや、名張市役所のみなさんも同様のご苦労をお抱えであろうと推測する次第ではあるけれど、きょうはおれが泣き落としをかましてるわけだから、いいだけおれに泣かせろ。それはもうね、名張市役所のみなさんには想像もできないことだと思う。名張市立図書館が開館当初からもうちょっとしっかりしていたら、つまり乱歩関連資料の収集と活用についてちゃんとした方針を打ち出していたら、おれが苦労する必要は全然なかったわけなんだけど、そんなものが全然なかったところから、それも松竹梅でいえば松のレベルをめざそうってんだから、おれみたいな有能な人間でも調査編纂その他の作業でさすがにへばりそうになった。なにしろ時間の工面をするのが一苦労であったし、市立図書館嘱託として市民のみなさんから月八万円のお手当はありがたく頂戴していたんだけど、あれこれいろいろと必要があって身銭も切りまくったし、なんかいまから振り返ると、よくやったよな、と自分で自分をほめてやりたい気がするのだが、なにしろ松コースである。名張市役所のみなさんにはおそらく、なにがなにやらご理解いただけぬであろうほどのハイレベルである。とはいえ、名張市の身のたけ身のほどの範囲内での話である。それをだなあ名張市役所のみなさんや、中身もろくろく確認せずにいきなり否定して、ならどうすりゃいいの? おれは図書館の嘱託として教育委員会が決めたことに従わなきゃならんのだから、どうすりゃいいのか教えてくれよ、と尋ねたっていっさいガン無視なのである。たーまんねーよなーまったく。
 
 で、おれは名張市立図書館とおさらばしたわけな、というとこまで飛んでしまうと話がつながんないわけだけど、先日も記したとおり、テロ用に温存してあるネタがふたつあって、そのふたつを披露しさえすれば、話の流れはすんなりご理解いただけるはずである。といったって、なにもテロのために公開を見合わせていたわけではない。必要がなかったからネタにしなかっただけの話で、ただしかりにテロになるとしたら、余は如何にしてテロリストとなりし乎、みたいなことを説明する必要が生じてくる。そうなった場合には、そのふたつのネタというか、エピソードというか、ジグソーパズルの最後のピースふたつというか、それを明らかにしなければ話がはじまらないんだけど、テロなんてことにはなるはずがないんだから、話のつながりがやや不明瞭なことには眼をつむっていただくしかないように思う。すまんなどうも。しかし、テロだのなんだのと剣呑なことばかり綴っておっては、泣き落としもくそもないではないか。柄にもないことはやるもんじゃねーよな。とはいうものの、なあ名張市役所のみなさんや、ほんと、少しはおれの身にもなってくれんか。
 こんな「市長への手紙」を出してみた
 
 いやー、しばらくぼーっとしてるあいだに、5月末決着がどうのこうの、とかいう話じゃ全然なくなってしまったな。すべて飛んでしまった。米軍基地も口蹄疫も、なんかよう知らんけど重要法案とかいうやつも、ちゃぶ台ひっくり返したみたいにみんな吹っ飛んでしまって、きれいに初期化されましたあ〜、みたいな感じになってしまったぞなもし。これはいったいなんなんだろうな。いっぽう、おれのほうはというと、5月末決着、なんてことはまったくなかった。現在ただいまの印象を述べるとすれば、名張市役所のみなさんが徐々に徐々に聞く耳を持たなくなってきてしまった、みたいなところであろうか。あッ、ヒヨドリさんがぼくを呼んでる、とかばかなこといわせてんじゃねーよ。
 
 しかしまたどうして、名張市役所のみなさんが徐々に徐々に聞く耳を持たなくなってきてしまったのかな。もしかしたら、耳の穴から黒い煙を出しすぎたせいではないのか。耳の穴にすすがたまって、なにも聞こえなくなってしまったのではないか。なんなら耳掃除してあげようか。それとも、耳の穴から手をつっこんで奥歯がたがたいわせてあげようか。あたり前田のクラッカー、なんつってな。それにしても、名張市役所のみなさんはほんとに聞く耳をなくしてしまったのであろうか。おれはごくまっとうな、それこそあたり前田のクラッカーみたいなことしかいってないのに、どうして聞く耳がなくなってしまうのかな。きょうは耳にっちょ、とかふかしてんじゃねーぞこら。
 
 おれは名張市役所のみなさんに、もうちょっとちゃんとしてくれんか、とお願いしておる。ちゃんとしていただきたいところは多々あれど、せめて乱歩のことだけはちゃんとしてくれんか、とお願いしておる。むろん、お役所のみなさんには、目先のものしかみえない。うわっつらのことしかわからない。そんなことは百も承知のそのうえで、できるだけ本質的な問題を考えていただくように話を進めてきたつもりであったのだが、もう限界ということなのであろうか。そうだとしたら、限界なら限界で、ちゃんとそういってくれなくては困るではないか。こちらにも段取りというものがある。しかしそれにしても、こんな単純な問題でいきなり限界っつーのも妙な話だぞ実際。それになあ、お役所のみなさんには耳慣れぬことばであろうけれども、世の中には責任とか責務とか、あるいは使命とか、そういうことばがあってだな、いやいや、こんなこといっててもしかたないか、っつーわけで、名張市公式サイト「市長への手紙」を利用してこんな質問を送信した。
 
 名張市のなぞがたりなばり事業についてお訊きいたします。
 
 今年度のなぞがたりなばり事業は、昨年度同様、提案公募型事業として民間団体に委託されるのでしょうか。名張市公式サイトで確認したところ、まだ公募はおこなわれていないようです。つきましては、以下の二点にかんして、お答えを頂戴したいと思います。
 
 (1)今年度なぞがたりなばり事業の委託にともなう民間団体の募集はいつ実施されるのか。
 
 (2)昨年度なぞがたりなばり事業は昨年11月15日から30日までの期間で委託団体が募集され、本年3月23日に事業が実施された。年度当初に委託団体の募集がおこなわれなかったのはなぜか。
 
 以上です。よろしくお願いいたします。
 
2010/06/07
 
 ここで、「市長への手紙」担当職員のみなさんにアドバイスしとこうか。この質問のポイントはどこか。ひとことでいえば、名張市名物の癒着結託構造である。名張市と乱歩蔵びらきの会は癒着結託してるんですか? ということである。さるにても、こうしたずぶずぶなあなあの構造は、名張市民の眼にはどう映っているのか。
 
◯名張市について書き込んでみましょうPART11◯:755-756
 
 こんなのもある。
 
名張市の市政について語りませんか?Part2:28
 
 あんまり関係ないかもしれんけど、こんなのもあったぞ。
 
◯名張市について書き込んでみましょうPART11◯:736
 
 しかも、名張市における癒着結託構造のことは、どうやら一部の伊賀市民の耳にも届いておるようである。昨年6月のことになるが、ロビーコンサートという催しがあったから伊賀市四十九町の三重県伊賀県民センターに足を運んだ。旧知の伊賀市民のかたにばったりお会いして、しばらく世間話を交わした。11月に伊賀市の市長選挙が控えていたから、話の内容もその方面のことがメインだったのだが、やがて名張市の話題に移行して、その知人から、名張市はがんじがらめらしいな、といわれてしもうた。名張市政ってのは各種癒着結託関係でがんじがらめになってるらしいな、ということである。ひゃっはー、ばれてまっか、てなものである。伊賀市の市長選挙に重大な関心を寄せている伊賀市民ともなれば、名張市の内情もある程度は把握しているものと知れ。
 
 昨年12月のことである。イガデハクというアート系イベントがあったから伊賀市ゆめが丘一丁目の三重県立ゆめドームうえのに足を運んだ。初対面の伊賀市民のかたと話す機会があって、このブログのことが話に出たあと、ああいうことってやっぱり絶対あるんでしょうね、といわれてしもうた。ああいうこと、というのは、まちなか再生事業における名張市と名張地区まちづくり推進協議会の癒着結託のことである。その人はそんなこと全然ご存じなかったのだが、このブログでまちなか再生の裏に存在している癒着結託構造のことを知り、こういうことは絶対あるだろうな、と得心されたとのことであった。名張市政にまったく関心のない伊賀市民ではあっても、このブログによって名張市政の内実を知ってしまうこともあるのだと知れ。
 
 まちなか再生事業といえば、名張市公式サイト「市長への手紙」にこんなのがあるぞ、ということを2チャンネル名張市政スレで教えられた。
 
名張市の市政について語りませんか?Part2:33
 
 つまり、これである。
 
名張市公式サイト:窓口一覧 > 広報対話室 > 市長への手紙 > お寄せいただいた主なご意見と回答 > 平成21年度 > まちづくり > 「まちなか再生」事業について(10月6日受付)
 
 こりゃまたずいぶんひどい内容ではないか。「市長への手紙」担当職員はもうちょっとしっかり答えなければだめぞなもし。この市民が寄せた意見の要旨は、「職員7人の引き揚げ理由」、つまり名張市が名張まちなか再生委員会から引いてしまったことについて、市民にもちゃんと説明してくれねばなんねぞ、ということである。ところが回答はどうよ。そもそも答えになっておらんではないか。ま、説明責任を果たせという市民サイドの要求にたいして、手前どもには説明能力なんてございません、と身をもって示した回答である、とはいえるかもしれんが、それにしたってひどいものである。とはいうものの、まちなか再生事業にかんしていえば、お役所のみなさんが、手前どもがまちがっておりました、手前どもがわるうございました、とみずから認めないかぎり、まともな説明なんて永遠にできっこあるまい。「市長への手紙」担当職員のかたには心から同情申しあげる次第である。しかしほんと、行政は無謬でございます、みたいなたわごとをいつまでほざきつづける気なんだろうな。
 
 さて、アドバイスである。去年のことから話をはじめることにして、なぞがたりなばり事業は昨年度から民間団体に委託されることになった。毎年恒例の事業だから、昨年3月の定例会で承認された新年度予算には、おそらくなぞがたりなばりの事業予算も組み込まれていたはずである。ならば、年度当初に委託団体の募集がおこなわれてしかるべきではないのか。受託する団体にとっては、なにしろはじめてのことである。準備期間にはできるだけ余裕があったほうがいいはずである。しかるに、募集がおこなわれたのは11月であった。どうもおかしい。なにか裏があるのか。だから、こう質問した。
 
 (2)昨年度なぞがたりなばり事業は昨年11月15日から30日までの期間で委託団体が募集され、本年3月23日に事業が実施された。年度当初に委託団体の募集がおこなわれなかったのはなぜか。
 
 回答するにあたって注意しなければならないのは、ひとつめの質問とのからみである。
 
 (1)今年度なぞがたりなばり事業の委託にともなう民間団体の募集はいつ実施されるのか。
 
 今年度事業の委託団体募集も、年度当初に実施されてしかるべきだと思われるのであるが、いまだ募集されてはいないようである。昨年度につづいて今年度も、どうして年度当初に募集しないのか、といったあたりの整合性に意を用いるべきであろう。しかも、さらにおかしいことがあるから、そのあたりとの関連にも気をつけよう。つまり、なぞがたりなばり関連事業とやらの委託は、すでに決定しているわけである。
 
名張市公式サイト:窓口一覧 > 地域経営室 > 名張市提案公募型事業について > 平成22年度提案公募型事業 > 平成22年度 「新しい公」委託事業選考結果について
 
 じつにおかしな話である。そもそも、関連事業を別立てにする必要がどこにあるというのか。なぞがたりなばり事業そのものに含めてしまえばいいではないか。かりに、事業と関連事業をそれぞれ別の民間団体が受託する、たとえば、なぞがたりなばり事業は名張まちなか再生委員会が、なぞがたりなばり関連事業は乱歩蔵びらきの会が担当する、なんてことになったとしたら、なんだか話がややこしくなってしまうであろうが。それとも、絶対そんなことにならないように、名張市名物アンダーザテーブルでなにか秘密の取り決めでもなされておるのかしら。なーんかあやしいな。
 
 というわけで、なぞがたりなばり事業における癒着結託構造にスポットをあてよう、というのがこの質問のねらいである。この事業にかんしては、まだほかにもつっついてやるべきことが多々あるのだけれど、本日はこれだけとしておく。名張市役所のみなさんがいつまでも聞く耳を持ってくれないようなら、まーた暇つぶしにつっつくことにする。つっつかれるのはいやだ、とおっしゃるのであれば、乱歩蔵びらきの会はいちど名張市役所のみなさんと密談でもお進めになってはいかがなものか。ちなみに、乱歩蔵びらきの会が受託したなぞがたりなばり関連事業を含む委託事業の募集要項はこんなあんばいである。
 
名張市公式サイト:窓口一覧 > 地域経営室 > 名張市提案公募型事業について > 平成22年度提案公募型事業 > 求む!!市民活動のちから~まちを元気にする事業実施団体を募集~ > 『新しい公』委託事業募集要項 [PDF:610.9KB]
 
 この要項によれば、なぞがたりなばり関連事業というのは「ミステリー講演会『なぞがたりなばり』の20周年記念にあわせた江戸川乱歩生誕地・名張を全国発信し、市民が郷土の興味や誇りを持つ事業」ということらしいのだが、なんか日本語があやしいなおい。しっかりしろよほんとに。それはそれとして、「江戸川乱歩生誕地・名張を全国発信し」なんてことは、乱歩がらみで名張のまちを案内することすらできず、インターネット不可、往復はがきのみOK、とかいってた乱歩蔵びらきの会にはとても不可能だと思えるのだがなあ。いったいどうすんだろうなあ。
 「市長への手紙」担当職員のみなさんへ
 
 本日は、名張市役所で名張市公式サイト「市長への手紙」を担当していらっしゃる職員のかたに、というか、人事異動の関係でこれから担当することになる職員のかたに、ということになるかもしれんわけだが、ひとことご挨拶を申しあげておく。5月末決着ができなかったら、つぎ行くわよ、と5月26日付エントリに記しておいたことではあり、月が変わったら「市長への手紙」担当職員はちょっと忙しくなるかもしれん。とはいえ、まだテロではない。安心してくれ。
 
 で、まずお詫びである。昨年秋、「市長への手紙」を利用して、乱歩都市交流会議のことを質問した。むろん、回答は頂戴した。しかし、サイトで公開する機会がなくてそのままになっておったところ、一か月ほど前、パソコンがぶっ壊れてすべてのデータが消えてしまい、「市長への手紙」の回答も永遠に失われてしまった。名張市役所に依頼して当該の回答を再送信してもらうことは可能であろうが、そこまでする気はない。せっかくお書きいただいた回答がこんなことになってしまったのは、じつに申しわけのないことである。お詫びする次第である。
 
 それでまあ、なんどもなんどもしつこく書くけど、どうして乱歩都市交流会議のことを質問したのかというと、去年の秋、東京に行ったとき、初めてお会いした乱歩ファンのかたから、「乱歩に関係のある都市が集まってなにかやる、という話はどうなったんですか」と尋ねられたからである。詳細はこちらでどうぞ。
 
 
 ついでにこちらもどうぞ。
 
 
 もうひとつ、ついでにお知らせしておく。去年の秋、東京のトーク&ディスカッションでしゃべったことを、電子書籍もどきのファイルにまとめ、iPad の国内発売開始から一日遅れで配信した。トークの席では、名張市民の税金で購入していただいた二銭銅貨煎餅が好評だったのだが、電子書籍もどきの「はしがき」にはそのあたりのこともちらっと記しておいた。名張市民のみなさんにあらためて謝意を表しつつ、ここにお知らせしておく次第である。興味がおありのかたはご一読を。
 
名張人外境:涙香、「新青年」、乱歩(pdf)
 
 さて、乱歩都市交流会議について回答しなければならん「市長への手紙」担当職員も大変だろうけれど、この会議のことを尋ねられてもまともに答えることができないおれだって、まあそこそこ大変なわけである。しかし、名張市のことを気にかけてくれている乱歩ファンが存在する、というのはおおいにありがたいことでもあるから、なんとか質問にお答えしなければならんと考え、「市長への手紙」を利用した次第であったのだが、じつをいうと、頂戴した回答はなんだか意味不明であった。だから、サイトで公開するのがためらわれ、公開しないままずるずると日が過ぎたわけなのであるが、それはまあ、乱歩都市交流会議なんてただの思いつきなんだから、いったいなにやるんですか? とか、どうしてなにもしないんですか? とか、そんなことを尋ねたところで、まともな答えが返ってくるわけはない。ほんと、「市長への手紙」担当職員も大変であろう。お察し申しあげる。
 
 したがって、もしもこの先、なにかの拍子に、またしても「市長への手紙」で乱歩都市交流会議について質問する、みたいなことになった場合には、もうちょい絞りこんで尋ねることにする。つまり、あの会議にどうして伊賀市が入ってないんですか? ということである。これはかなりおかしなことである。うそだと思うのなら、天国の乱歩に訊いてみな。あるいは、天国の川崎克に訊いてみな。ていうか、これはもう克の令孫、川崎二郎先生が激怒なさってもふしぎではない話なのである。だから、質問はこんな感じになる。
 
 ──平成20・2008年10月31日、名張市の提唱で設立された乱歩都市交流会議に伊賀市が加わっていないのはなぜか。
 
 川崎二郎先生のお名前が出てきたのだから、片手落ちを防ぐため、中井洽先生にもご登場いただく。じつはこれも、昨年秋、東京で尋ねられたことである。すなわち、「ミステリー文庫はどうしたあッ」ということなわけな。ミステリー文庫ってのは、平成17・2005年の12月議会で明らかにされた構想であるが、朝日新聞のコラム「青鉛筆」で「推理小説の生みの親、江戸川乱歩の生誕地である三重県名張市は5日、古今東西の推理小説を一堂に集めた『ミステリー文庫』を設置する方針を明らかにした」といったぐあいに報じられたものだから、少なからぬ人の眼にとまってしまった。で、いまだに期待してくれてる人がいて、たまにお会いすると、あの話はどうなったんだこら、とかいっておれが叱られるわけなのな。
 
 この話が、中井洽先生にどう結びつくのか。ミステリー文庫ってのは要するに、名張市立図書館が寄贈を受けたミステリー関係の本や雑誌を活用しよう、という話であった。乱歩の生まれ故郷の図書館だから、ってんでミステリー関係の蔵書を寄贈してくれるかたが、そう多くはないけれど、いらっしゃることはいらっしゃる。しかし、残念ながら、頂戴した本は長く死蔵されたままになっておる。で、その寄贈本の大部分は、慶應義塾大学推理小説同好会OB会のメンバーから寄せられたものなのであるが、中井先生はこの会のメンバーでいらっしゃって、おれが市立図書館の嘱託になる以前の話だから、くわしいことはよく知らないのだが、OB会と市立図書館との橋渡し役もお務めいただいたはずである。それで、名張市はどうよ。市議会の場でミステリー文庫を設置する方針を明らかにしておきながら、その後はなんの音沙汰もなく、ただのほほんとしておるのである。これはもう、中井洽先生が激怒なさってもふしぎではない話なのである。おれもこの問題がどうなったのかを知りたいとは思ってるので、なにかの拍子に、「市長への手紙」でこんなことを質問するかもしれない。
 
 ──平成17・2005年の12月議会で明らかにされたミステリー文庫構想はどうなったのか。もともとどのような構想であったのか、どのような進捗があったのか、どのような理由で実現しなかったのか。
 
 それにしても、川崎二郎先生からも中井洽先生からもお叱りを受けてしまうというのでは、それも乱歩がらみのことでお叱りを頂戴してしまうというのでは、さすがにちょっといただけないぞ。むろん、川崎先生も中井先生も、こんな些細なことでいちいちお怒りにはならぬはずであるし、そもそも乱歩都市交流会議やミステリー文庫のことなんかご存じないとは思うけれど、もしもお知りになったらどんな印象をお抱きになるであろうな。それでなくても近年、名張市という自治体は地元選出の国会議員の先生がたから疎んじられてるんじゃね? とおれは思っているのであるが、実際にはどうなんだろうな。
 
 乱歩がらみでいえば、5月18日付エントリに記したことも、「市長への手紙」で質問するかもしれんぞ。
 
 
 要するに、「名張市からなぞがたりなばり関連事業の委託を受けた乱歩蔵びらきの会にもしも市職員が加わっているのだとしたら、それってかなりまずいんじゃね?」ということである。ちなみに昨年度は、こんなあんばいであった。
 
名張市公式サイト:地域経営室 > なぞがたりなばり > 第19回なぞがたりなばり > なぞがたりなばり委託事業応募企画書(pdf)
 
 この企画書の時点では、役員名簿に名張市職員のみなさんの名がみえておる。5月18日付エントリに記したからここにはくり返さないけれど、ほんと、この手の問題はここらでいちどよく考えておく必要があると思う。というか、ここらで明確なガイドラインみたいなものを打ち出しておかないことには、市職員のみなさんが市民として民間団体で活動するうえで、なにかと支障が生じることになるはずである。ところが、名張市役所のみなさんはこういった方面にはとんと無頓着と来ていらっしゃるものだから、市民がわざわざ「市長への手紙」を利用して、市役所のみなさんのお世話をしなきゃならんわけなのな。んっとに勘弁してくれよ、とは思うけど、お世話ついでにもうひとつお知らせしておくと、この企画書には、乱歩蔵びらきの会の設立が「平成17年5月17日」と記されている。しかし、「活動内容」として、それ以前のことが記されている。名張市役所のみなさんや、世間じゃこういうのを、虚偽記載っていうんだぜ。わざわざそんな真似をしなくたって、名張市の癒着結託構造はなにしろ万全なんだから、設立以後の活動を列記しただけで全然OKだと思うんだけど、どうしてそこまでして、あさはかな見栄を張りたがるのであろうな。とにかくまあ、官民協働して市民の眼をごまかします、というのであれば、もうちょっとうまくごまかそうな。
 
 官民協働して市民の眼をごまかす、っつーことになると、思い出されるのはまちなか再生事業である。名張まちなか再生委員会には、いまのところ具体的な動きはない。活動を再開しても、どんな活動内容になるかはわからない。ただし、旧細川邸やなせ宿にかんして、まちなか運営協議会の問題と、指定管理者制度の問題、このふたつが解決されぬまま継続しているのはたしかである。前者は委員会内部の問題であるが、後者は名張市の問題である。やなせ宿には開設二年度目から指定管理者制度を導入いたします、といったのは名張市である。そのはずである。おれが名張まちなか再生委員会に入る以前の話だから、どういった場で約束されたのかはわからんのだが、とにかくそのはずである。少なくともおれが入会した時点では、二年度目から指定管理者制度でやんす、という前提で話が進んでおった。じゃというのに、どうしてそうはならなかったのじゃな? みたいなことを「市長への手紙」で確認することは可能であろう。活動を再開した名張まちなか再生委員会がそうするかもしれないし、おれにはそんな気は全然ないんだけど、これから先、なにかの拍子に、もしかしたらおれがそうするかもしれない。「市長への手紙」の回答を担当することになる職員のみなさんは、いまから準備しといたほうがいいかもしれんぞ。
 
 いやいや、そんなことはまあ、なんつの? いまのおれにとっては二次的な問題なわけ。一次的なのはなにかっつーと、いわずと知れた乱歩のことなわけな。それでもう、名張市役所のみなさんにも、よくよくおわかりいただけたことであろう。名張市立図書館は乱歩の関連資料を収集してるわけだけど、資料の活用についてはなんにも考えておらず、それどころか、資料の収集方針さえまったく決まってないわけ。さすがにそれはまずかろうよ。まずい、と思ってくれよな。市民からまったく必要とされていない資料を税金で購入し、それをそのまま死蔵してるってのは、さすがにまずいとは思わんかね、名張市役所のみなさんや。わからんのなら教えてやるけど、それはやっぱりまずいわけである。だから、ちゃんと考えてくれ、とお願いして、しかしどうせ無理だろうなと、考えることなんてできねーだろーなと、そんなことはこちとら百も承知だから、その考える場におれを立ち会わせてくれんかね、とお願いしておるわけである。無理なことはまったくお願いしておらんつもりなのであるがなあ。
 
 ということで、5月もきょうでおしまいである。名張市役所のみなさんや、来月もどうぞよろしくな。とくに「市長への手紙」をご担当のみなさんには、もしかしたら多忙な日々を過ごしていただくことになるかもしれんのだが、どーかひとつ、よろしく頼むわ。まだテロではないんだから、その点は安心しておってくれ。
 沖縄米軍基地問題も気にかかるけれど
 
 さーあ、どうよ、とかいってるあいだに、5月もそろそろおしまいである。沖縄の米軍基地問題じゃないんだから、5月末決着、といった期限は設けてないわけだが、昨年の秋以来、名張市役所のみなさんには誠心誠意、乱歩のことをお考えいただいてきた。耳の穴から黒い煙がもーくもく、みたいなところまで来ていただいた。もう無理ぽ、というところまで来てしまった。しかし、そこまで考えこまねばならんことではまったくない。簡単なことであろう。というかもう、毎度毎度おんなじこといってるのがじつにばからしいんだけど、名張市役所のみなさんのためにひとこと述べておく。
 
 まず、名張市立図書館は開館以来一貫して、というか、開館準備の段階から、乱歩関連資料を収集してきた。これはおわかりであろうな。では、なんでそんなことしたの? という疑問に答えられる職員のかたはいらっしゃるであろうか。つまり、市立図書館が乱歩関連資料を集めなければならぬ理由、根拠、必要性、必然性、そんなものはなんにもないわけよ。乱歩関連資料を必要としている名張市民がひとりでもいるのか、ということになると、おれのみるところ、ただのひとりも存在していない。だったら、そんなもん市民の税金で収集してんじゃねーよ、ということになる。おわかりであろうな、名張市役所のみなさんや。
 
 だから、もう手を引きゃいいのよ。どうせ思いつきではじめたことである。乱歩の関連資料を収集してます、とかいうことにしたら、なんかかっこつくんじゃね? みたいな話ではないか。思いつきの域を一歩も出るものではない。それが証拠に、収集資料をどう活用するか、なんてことはもちろん、資料収集の方針すらなーんにもない。開館以来四十年たってるっていうのに、なーんにもない、というのが市立図書館の現状である。だから、目録三冊を出したあと、当時の教育長に、さーあ、どうよ、とお訊きした、という話は先日も記したけど、そのとき、方向性としては、市立図書館はここらで乱歩から手を引く、という選択も可能である、とも進言したわけなおれは。
 
 どういうことか。ちょうどそのころ、乱歩のご遺族から立教大学に乱歩の遺産が譲渡された。名張市立図書館としては、そういうことになりましたから乱歩から手を引きます、というチャンスではあった。むろん、じつはなんの関係もない。立教大学と名張市立図書館では、ともに乱歩のことを手がけるといったって、守備範囲はまるでちがっているんだから、乱歩の遺産が立教に譲渡されましたから市立図書館は乱歩から手を引きます、なんて話には論理的な脈絡はいっさいない。しかし、雰囲気としては、なんとなく説得力がありそうな話である。思いつきではじめたことから手を引くうえでは、まあまあの好機であったと思われるのだが、この進言は容れられなかった。
 
 逆に、データベースのネット展開、みたいな方向性も進言したのであるが、こちらもやはり容れられなかった。これは、一昨年5月21日に開かれた名張まちなか再生委員会の第二十一回役員会でも、「具体的な事業計画として、情報発信事業、名張市が長年やってきた膨大なデータベースも含めて、電子的メッセージライブラリーの創設」といった感じで言及されていたところである。おれが入会する前のことだから、委員会の内部でなにがどうなってこんな話が出てきたのか、それはまったくわからんのだが、とにかくそんな話が出ておった。もっとも、こんなものは名張まちなか再生委員会がやるべきことではまったくない。もしもやるというのなら市立図書館がやらなくてどうするよ、という話なのであるが、名張市役所のみなさんはとりあえず、市民サイドにこういう声がある、もっとありていにいえば、データベースのネット展開、みたいなことに眼を向けようとしない市立図書館への批判がある、ということであると認識すべきであろう。
 
 で、どうしたらいいんだろうね、という話である。市民から求められてもいない乱歩関連資料を収集したというのであれば、せめてちゃんと活用しような、という話である。おれとしては、せっかくだから松竹梅でいえば松コースくらいのレベルで活用するべきだと思うんだけど、どうもそれではお気に召さないとおっしゃる向きがあるようである。だったらそれでいいけれど、しかし竹でも梅でもいいから、乱歩の関連資料を活用してます、ということにしとかないとまずいぞ。それ以前に、資料を収集してますというのなら、せめて収集方針くらいきっちり決めとかなくちゃまずいぞ。しかし、できない。なにをどうしたらいいのかがさっぱりわからない。やめとけよ、といってもやめない。じゃあ、ちゃんとやれよ、といってもやらない。ぐずぐずぐずぐず、なにも考えずにただ先送りするばかりである。そんなことではいかんだろう、ということは、いくら名張市役所のみなさんにだって、すんなり理解していただけるはずである。
 
 で、どうしたらいいんだろうね、という話である。ちゃんと考えような、ちゃんと決めような、という話である。しかし、名張市役所のみなさんには、考えることも、決めることも、なにもできない。だったら、その考える場におれを立ち会わせてくれんかね、とお願いしておる。そもそもの最初から、ずーっとそんなふうにゆうとろーが。しかし、その返答が、いまだにいただけない。いったいどうなっておるのであろうな。なにしろ昨年秋からの話である。こちらで勝手に期限を設けるのは恐縮であるが、5月末決着、ということを希望しておきたいな。それが無理だったら、つぎのステップに進むわけだけど、早まるな早まるな。またテロにはならん。それにしても名張市役所のみなさん、ちゃんとしような、しっかりしような。なにからなにまで思いつきだわひとごとだわ先送りだわ、みたいなことはもう勘弁してくれよな。
 眼が血走ってしまう犬っころの命日
 
 いやー、命日だわ。犬の命日。前に飼ってた犬っころが三年前、平成19・2007年の5月21日未明に永眠した。その前の犬の命日は5月25日と来ているから、中井英夫の「五月は喪服の季」というフレーズがしみじみ実感されたりもするなあ。そういえば、犬が死んだとき、うちの庭には必ずマーガレットが白く咲き誇っておったっけ。
 
 とか感慨にふけりつつ、さーあ、どうよ、っつーことなわけな。名張まちなか再生委員会にかんする話題はまた、なんらかの動きが出てきたときにお知らせする。しかし関係各位、案ずることはないと思うぞ。まちなか運営協議会の問題と、指定管理者制度の問題。旧細川邸やなせ宿にまつわるこのふたつの問題は、いやいや、やなせ宿にかんしてはほかにもいろいろあるわけだが、少なくともこのふたつの問題は、名張まちなか再生委員会と直接的なかかわりを有している。再生委員会がもしも活動を再開するのであれば、とても等閑視することはできない。委員会の責任において決着をつけるべき問題なのである、とおれには思われる次第であるが、なんつったっておれはもう、まちなかよさようなら、さらば再生委員会、なわけなんだから、この問題のことを申し伝えてはおくけれど、おれのいない再生委員会がふたつの問題に正対するのかどうか、それはわからない。それにまあ、再生委員会のメンバーではなくなったとしても、その気になりさえすれば、ひとりの市民としてこの問題を追及することはいくらだって可能であろう。しかし、現段階ではそんなことする気はさらさらないんだから、どちらも心配はご無用である。
 
 さて、さーあ、どうよ、というのは、むろん乱歩のことである。名張市立図書館は収集資料の活用なんてまったく考えてなかったから、そんなことじゃだめじゃん、っつーことになって、とりあえず目録三冊をつくったわけ。いずれもはなはだ好評で、去年の秋、神奈川近代文学館で開かれた「大乱歩展」でお会いした文学館の学芸員のかたからは、あの目録が手放せませんでした、とのおことばも頂戴した。むろんお世辞も入っているのであろうが、かなりお役に立てたはずではある。なんでかっていうと、お役所の刊行物にしては珍しく、利用者の立場に立ってつくってあるからである。でもって、三冊目の目録は、日本推理作家協会賞はどうも無理みたいだなと思われたから、玄人筋向けのゲスナー賞ねらいで行ったわけ。確実に受賞できるものと思っておったところ、これがまたしてもあてはずれ、金賞銀賞は獲得できず、入選にとどまってしまった。いやまあ、入選だってとても名誉なことなのであるが。
 
雄松堂書店:ゲスナー賞 > 第4回受賞作品
 
 名張市立図書館の『江戸川乱歩著書目録』は目録・索引部門にエントリーされたんだけど、この部門で銀賞になった南方熊楠顕彰会の『南方熊楠邸蔵書目録』と『南方熊楠邸資料目録』というのはすごいものであった。出たときに思いがけず寄贈していただいたから、どんな目録なんだかはよく知っておったのであるが、それとおんなじ土俵に立つことになろうとはうかつにも気がつかなんだなあ、みたいなことはいいとして、目録を編んだ南方熊楠資料研究会のサイトがこれ。
 
南方熊楠資料研究会:トップページ
 
 会の活動は終了している。「南方熊楠資料研究会の終了について」から引用。
 
 私ども南方熊楠資料研究会は、南方文枝さんおよび田辺市・南方熊楠邸保存顕彰会からの委嘱を受けて、十年以上にわたって南方邸資料の調査と目録作成を行って来ました。その成果は、『南方熊楠邸蔵書目録』『南方熊楠邸資料目録』として、それぞれ平成16年夏と平成17年春に刊行されました。
 
 南方熊楠の遺した蔵書・資料は平成12年に、唯一の遺族だった文枝さんより田辺市に遺贈され、田辺市は現在、これら南方邸資料を管理する顕彰・普及・研究施設となる「南方熊楠顕彰館(英語名:ミナカタ・クマグス・アーカイブズ)」の設立準備を進めています。同館の発足を一年後に控えて、邸蔵書及び資料目録の編纂という目標を完了した当南方熊楠資料研究会は、ウェブ管理・移管などの残務処理部門を残して、今春をもって組織としての活動を終了することになりました。
 
 今後は、両『目録』とその基礎資料を基とする南方邸資料の研究が、熊楠顕彰事業の一環として、田辺市及び南方熊楠顕彰館によって進められます。私ども南方熊楠資料研究会のメンバーも、今後の邸資料の研究・調査に、それぞれの形で引き続き参加することになります。その内容・成果のご報告は、ウェブ上にて新しい形で行えるかと思います。今後とも、私どもの活動に、ご支援をいただけますよう、お願い申し上げます。(2005. 4. 1 南方熊楠資料研究会幹事)
 
 いまさらいってもしかたないけど、これがまっとうな手順というやつである。熊楠の蔵書や資料が、遺族から地元自治体に寄贈された。それを受けて調査が進められ、その成果が目録として刊行されるいっぽうで、南方熊楠顕彰館の設立準備が進められた。これがごく一般的なブロセスなわけな。で、顕彰館は四年前にオープンした。
 
南方熊楠顕彰館:トップページ
 
 ところが、ここ名張市においては、これがあたりまえのことではないのである。なんかもういきなり、名張まちなか再生プランなんてものが発表されてしまい、旧細川邸は歴史資料館にいたします、なんてことになってしまうのである。あとさきのことはなにも考えず、ただの思いつきでこういうことになってしまうのである。あほなのである、という以上に、すでにして正気の沙汰ではないぞこんなの。とはいえ、いまさらそんなこといってみたってしかたがない。だから、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館のことはどうだっていいとして、とにかく、そもそも資料ってのはそういうものなわけな。
 
 寄贈されたものであれ、購入したものであれ、なんらかの価値が認められる資料を所蔵しているのであれば、それをいかに活用するかを考えるのはあたりまえのことである。あたりまえというよりもな、市民の税金で資料を購入したんだったら、そこまで考えるのは当然の責務である。それを考えないというのであれば、そんなものはこら、市民にたいする違背行為である。で、そうした資料を活用するための施設が必要だというのであれば、市民の納得を得たうえでつくりゃいいわけよ。ところが、ここ名張市においては、そんなことはまったくない。乱歩文学館だの乱歩記念館だの、そんな話がいきなり降ってくるのである。あとさきのことはなにも考えず、ただの思いつきでこういうことになってしまうのである。あほなのである、という以上に、すでにして正気の沙汰ではないぞこんなの。ほんと、名張市ってのはどうしてここまで無茶苦茶なんだろうな。思いつきだけなんだろうな。南方熊楠顕彰館がある田辺市とは、人口でいえばほぼ同レベルだというのに、名張市ってのはどうして、おんなじような規模の自治体がやってるようなことがまったくできず、市民が恥ずかしくなるほどの軽薄さでうわっつらのことだけにかまけてしまい、ここまで常軌を逸してしまうのであろうな。
 
 さて、目録三冊ができあがって、さーあ、どうよ、と当時の教育長にお訊きしたわけ。このかたはおれがお仕えしたふたりめの教育長でいらっしゃって、前任者のかたとは異なり、れっきとした教育やくざ三教組ご出身のかたであったが、そんなことはともかく、ここであらためて確認しておくならば、目録をつくったってことは、資料収集の方針も、資料活用の方向性も、どっちも明確に存在しているということである。目録の存在そのものが、そういった方針や方向性をはっきりと示しているのである。目録を手にとって解題や本文を読んでみれば、そんなことはもう一目瞭然なわけよ。で、とりあえずここまで来たけど、このあとはどうよ、とお訊きしてみたところ、教育長からは、またあらためてみんなで話し合いましょう、とのおことばをいただいた。当然のことながら、そんな話し合いの場はいっさい設けられなかった。お役所のみなさんの感覚では、適当なこと並べてその場しのぎをかましてりゃそれでいい、ということなのであろうけれども、ほんとにもう勘弁してくれんか。
 
 それでまあ、その後もいろいろあって、何があったのかを記そうかとも思うのであるが、現段階ではすっ飛ばしておく。そんなことには絶対ならないはずなのだが、万が一、それはもうほんとにありえないことといっていいんだけど、万一テロになったときのためのネタとして温存しておきたいエピソードもないわけではないから、ここには書かないということにして、それでおれは、だめだこりゃ、と思ったわけ。ほんとにもう、だめだこりゃ、というしかないわけ。だから、名張市立図書館とおさらばして、そのうえでなんとかせにゃならんな、ということにしたのであるが、それからまた温存ネタがあれこれとあって、しかも、いっぽうでは名張まちなか再生委員会が無茶苦茶な状態になっておったわけな。なんかもうほんと、わけがわかんないくらい無茶苦茶であったのだが、ある日、名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して、こんなことにしてみた。
 
ご回答ありがとうございました。やなせ宿にかんするお尋ねはひとまずここまでとし、新しい質問を提出いたします。つぎの一点です。
 
・名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針はあるか。
 
念のために申し添えますと、展示用資料のことをお尋ねしているわけではありません。市立図書館が開館準備の段階から収集してきた図書や雑誌などの資料のことです。この点につきましては、昨年の2月から3月にかけて、名張市教育委員会の当時の教育次長にお訊きしたのですが、お答えはいただけませんでした。その後、公文書公開請求によって確認したところでも、乱歩関連資料の活用にかんする公文書は存在していないとのことでしたので、具体的な方針はまとめられていないものと推測される次第ですが、念のためにお尋ねいたします。
 
ご多用中恐縮ですが、よろしくご回答たまわりますようお願いいたします。
 
2008/09/28
 
 
 で、その回答が、例のこれだったわけ。
 
中 相作 さま
 
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
 
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
 
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
 
平成20年10月 9日
 
 名張市長 亀井利克
 
 そこで、こういうことにした。
 
ご回答ありがとうございました。せっかくの仰せですから、おことばに甘えて、「貴重なご意見・ご提案」を具申したいと思います。つきましては、そのための面談の場を設けていただきたく、ご手配をお願いいたします。面談の場には、貴職のほか、教育長と前教育次長にもご臨席たまわりますよう、勝手ながら願いあげます。面談の日時と場所のご連絡をお待ちしております。ご多用中恐縮ですが、よろしくお願いいたします。
 
2008/10/10
 
 したら、こんなことになった。
 
中 相作 さま
 
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
 
ご要望の面談の件につきまして、次のとおり予定させていただきます。
なお、今回は教育委員会として、ご意見・ご提案を承らせていただきますので、ご了承ください。
 
【日 時】:10月29日(水) 午前11時
【場 所】:名張市役所 3階 教育委員会室
 
ご都合が悪い場合には、ご連絡をお願い致します。
連絡先:63−7402 広報対話室 大西
 
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
 
平成20年10月20日
 
 名張市長 亀井利克
 
 なんかもう、あらためて読み返すだけで自分の眼が悪鬼のごとく血走ってくるのがよくわかるのであるが、ここは隠忍自重しておくべきであろう。なにしろ犬っころの命日である。静かに菩提を弔ってやらねばな。
 まちなか再生委員会は再生するのか 
 
 きのうのエントリに、やや正確さを欠く記述があった。「名張まちなか再生委員会はどうなってしまったのであろうな。まだ解散はしていない。とはいうものの、なんの動きもない」という箇所である。先週、正確にいえば5月13日の木曜日、再生委員会のメンバーのひとりから別件でメールが届いたのだが、再生委員会の話題も出てきて、近いうち委員会についてあれこれ話し合おう、ということになった。日程などはまったくの未定だが、きのう「なんの動きもない」と記したのはやや不正確であったかと考え、ここに訂正しておく次第である。
 
 とはいえ、きのうも記したとおり、おれ自身はもう、さらば再生委員会、といった感じなわけである。近くおこなわれるはずの話し合いの場で、ということにはならないと思うが、委員会のしかるべき会合で退会届を提出し、さらば再生委員会、ということにするつもりである。少なくとも現段階では、そういうことにするつもりである。そのあと委員会がどうなるのかは、解散か存続かといったことも含めて、これもまた少なくとも現段階では、だれにもわからない。
 
 かりに活動を存続させるというのであれば、まず組織を立て直すことが必要になる。委員の募集も要請されるであろう。募集対象は、なにも名張地区住民に限定することはない。名張市民に限定する必要もない。入りたいという人間に入ってもらえばいいのである。ただし、そこらのいわゆる偉い人のためにあらかじめ指定席を用意する、みたいなことはしちゃいかんであろう。で、組織の立て直しとなると、いったいだれが新しい委員長になるのか、ということが端的な問題として浮上してくる。無責任な思いつきをあえて書きつけておくならば、先月の名張市長選挙で惜しくも当選にいたらなかった新人候補者のかたにお願いするのがいいのではないか、とおれは思う。むろん、受けていただけるかどうかは不明である。しかし、なんか、面白い話だと思うぞ。
 
 そうなると、きのう記した思いつきがリンクしてきて、今年度のなぞがたりなばり事業の委託団体として名張まちなか再生委員会が手をあげる、っつー話もますます面白くなってくる。とはいっても、名張まちなか再生委員会が仕切り直して活動を再開し、まず組織の立て直しを図りました、ということになったのであれば、そのつぎになすべきなのは、まちなかの再生っていったいなんなんだろうね、みたいなテーマをじっくり話し合うことである。かつての再生委員会には、それがまったくなかった。かりそめにもまちなか再生を謳った組織が、まちなかの再生とはなにか、といった点の最低限の合意もなしに活動してたってんだから、ほんとに無茶苦茶だったのな。というか、組織発足後三年目にしてようやく、この委員会にはなんの権限もないんじゃね? と気がついたような組織なんだから、無茶苦茶なのはわかりきってんだけどな。
 
 名張まちなか再生委員会がめでたくリスタートを果たしたからといって、なにもいきなりイベント請負団体になってしまう必要はないのであるが、しかし、この話は面白いと思う。乱歩蔵びらきの会と名張まちなか再生委員会、このふたつの団体がなぞがたりなばり事業をめぐって競合した場合、名張市はいったいどちらを選択するのか。これは結構みものだと思うけどなあ。みものだという以上に、再生委員会がなぞがたりなばりを主催することになったら、それなりの波及効果もみこめるのではないかしら。とにかくまあ、近く再生委員会メンバーと会ったときに、こんな話も持ちかけてみるか。おれみたいな嫌われものは委員会からとっとと身を引いて、先月の名張市長選挙で惜しくも当選にいたらなかった新人候補者のかたに新しい委員長にご就任いただく。それがほんとにいいと思うんだけど、ご閲覧の諸兄姉はいかがお考えであろうか。
 
 ところで、旧細川邸やなせ宿の問題はどうなるのか。きのうも記したことであるが、名張まちなか再生委員会はいまだあの問題をひきずっているはずである。ひとつは、まちなか運営協議会が名張市からやなせ宿の管理運営を委託されていることにはなんの根拠も正当性もない、という問題。もうひとつは、やなせ宿は開設二年度目から指定管理者制度を導入することになっていた、という問題。おれは委員会からおさらばするわけだが、委員会としてはこのふたつの問題に決着をつけておかねばならんはずである、みたいなことも、近く再生委員会メンバーと会ったときに申し伝えておくこととしたい。
 
 それはそれとして、名張市役所のみなさんにおかれては、乱歩の件でそろそろ結論をお出しいただけるころなのであろうか。

Copyright NAKA Shosaku 2007-2012