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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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 すまんすまん。
 
 また、間があいてしまった。
 
 いろいろあってな。
 
 まず、神戸市における横溝正史生誕地碑建立記念イベントの講演会について。
 
 先日もそんな雲行きだとお知らせしておいたのだが、あれが本決まりとなった。
 
 来年もひきつづいて講師をあいつとめることが、正式に決定したのである。
 
 つまり、来年もまた、名張市民のみなさんならびに名張市役所のみなさんに、ゆすりたかりを働くことになったということである。
 
 すまんな。
 
 すまんすまん。
 
 なにぶんのご高配を願いあげる次第である。
 
 先日の講演会をご紹介いただいたブログがあるので、ここでお知らせしておきたい。
 
永遠のJガール:火曜日なれど祝日なり(2010年11月23日)
 
雫石鉄也のとつぜんブログ:横溝正史生誕地碑建立6周年記念イベント(2010年11月23日)
 
KENPRODUCTION 私は眠らない。:乱歩と正史(2010年11月30日)
 
 二銭銅貨煎餅の写真を掲載していただいたエントリもあり、ゆすりたかりを働いた身としてはなにがなし面目をほどこしたような気にもなって、まことにありがたいことであると感謝している。
 
 さて、アドバイザーである。
 
 名張市乱歩関連事業アドバイザーである。
 
 アドバイザーってなに? とお思いの向きもあろう。
 
 いささかの説明を加えておく。
 
 もう一年以上まえのことになるけれど、おらおらおらおら、とおれはごねてやったわけね。
 
 テロかますぞテロ、おらおらおらおら、とごねてやった。
 
 テロかまされるのがいやだったら、乱歩のことをちゃんとやらんかこら、とごねてやった。
 
 しかし、相手は名張市役所のみなさんである。
 
 最初から知れていたことではあるのだが、ちゃんとやる、ということができない。
 
 このブログでいくたびもいくたびも、しつこくも指摘してきたそのとおり、ちゃんと考えて、ちゃんと決める、ということがまったくできない。
 
 ばかみたいに吠えまくってきたとおり、
 
 ──ほんとにもう、お役所あたりのうすらばかがめいっぱいおよろしくないおつむで適当なこと勝手に決めてんじゃねーぞこのすっとこどっこい、いっぺん泣かしたろかこら、と思われてなりません。
 
 というのが、おれの心の叫びだったわけね。
 
 たとえば、今年の6月21日にはこう記した。
 
 ──ほんとにもう、お役所あたりのうすらばかがめいっぱいおよろしくないおつむで適当なこと勝手に決めてんじゃねーぞこのすっとこどっこい、いっぺん泣かしたろかこら、と思われてなりません。
 
 ということなのであろう。それが名張市の厳しい現実なのである。厳しい。非常に厳しい。だから、そもそも、名張市役所のみなさんに、乱歩のことをちゃんと考えてくんない? とお願いしてみても、はかばかしいことには絶対にならない。そんなことは最初から知れておる。しかし、考えてもらわなくちゃしかたがない。それが名張市役所のみなさんのお仕事なのである。不作為とか、丸投げとか、そんなものはお仕事でもなんでもないんだぞ。主体的に考える。それが本来のお仕事である。だが、お役所のみなさんは、考えることが苦手である。なにも考えようとしないし、考えるために必要な知識を身につけようともしない。ただのばかとして一生を貫きます、みたいな感じなのであろうな。だから、おれだって、ただ考えてくれ、とゆうておるわけではない。おれは最初から、去年の秋から、お役所のみなさんが乱歩のことを考える場に、おれも立ち会わせてくれんかね、とゆうとるわけなのな。
 
 つまりおれは、一年以上もまえから、お役所のみなさんに乱歩のことを真剣に考えてくれとお願いし、しかしお役所のみなさんには考えるなんてことは無理無理無理無理、とても不可能なんだから、とりあえず考えるための機会を設定してその場におれを立ち会わせてくれんかね、とお願いしてきたわけなのな。
 
 その願いが天に通じ、名張市にも通じて、控えおろう、名張市乱歩関連事業アドバイザーである、ということにしていただけたのである。
 
 していただけたのではあるが、ほんとのことをいえば、名張市の乱歩関連事業なんて、おれにはまったく興味がない。
 
 そんなのもうやめとけば? とさえ思っているのだが、ほっとけないことがひとつだけある。
 
 乱歩にかんして、ちゃんと考えて、ちゃんと決めていただきたい、と念願してきたことがある。
 
 いうまでもなく、名張市立図書館にかんすることである。
 
 名張市立図書館における乱歩関連資料の収集と活用についてである。
 
 どういうことか。
 
 こういうことなわけ。
 
中 相作 さま
 
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
 
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
 
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
 
平成20年10月 9日
 
 名張市長 亀井利克
 
 おととし10月の文書だが、状況にはいまも変化がない。
 
 この文書に記されているとおり、活用の方針などなにもないまま、名張市立図書館は乱歩関連資料の収集をつづけている。
 
 しかし、活用するあてがないのなら、税金で乱歩関連資料を収集することなんてもうやめたら? と考えるのが、一般的な市民感覚というやつではないか。
 
 じつはおれもそう考えていて、いずれ名張市乱歩関連事業アドバイザーとして、やっぱもうやめたら? というアドバイスをしなければならんかも、と思わないでもない。
 
 とはいえ、それは最悪の結論というやつである。
 
 名張市立図書館にはもちろん、乱歩のことをちゃんとやっていってもらいたい。
 
 それがおれの願いである。
 
 したがって、名張市乱歩関連事業アドバイザーとしては、一般的な市民感覚をもった諸兄姉にも納得していただけるように、収集資料の活用方針を明確にする作業に着手する、ということになるのかというと、そんなことではまったくない。
 
 名張市立図書館はもっと重症である。
 
 どんな状態なのか。
 
 乱歩関連資料というのはそもそもどういうものか、ということが、ちっとも明確になっていないのである。
 
 活用がどうこういう以前に、乱歩関連資料ってなに? ということを、名張市立図書館はちっとも考えておらんのである。
 
 そんなことも考えてなかったの? と首をかしげる向きもおありであろう。
 
 考えてなかった。
 
 なにも考えてなかった。
 
 ふつうなら、ありえねー、という話である。
 
 乱歩関連資料を収集する、と決めたのであれば、まず最初に、乱歩関連資料とはなにか、なにを収集すればいいのか、ということが明確になっていなければならない。
 
 それがもう、ぜんっぜん、なわけなのな。
 
 名張市立図書館の開設は、指折り数えれば四十一年もまえ、昭和44・1969年のことであった。
 
 開設準備の段階から乱歩関連資料を収集しておったのだが、それはただ、古書店に足を運んで乱歩と名のつく商品をとりあえず購入しただけ、ということだったと思われる。
 
 それ以降も、乱歩関連資料とはなにか、なにを収集すればいいのか、ということがまじめに考えられることはなく、古書店の目録から乱歩と名のつく商品を選んで購入していただけ、というのが、名張市立図書館における乱歩関連資料の収集であったと思われる。
 
 どうしてそうだったのか、おれにはようわからん。
 
 名張市立図書館が開館した昭和44・1969年には、ちょうど講談社から歿後第一次乱歩全集が配本中だったわけなんだから、それをぼちぼち読み継いで、小説を、評論を、随筆を、自伝を、と読破していったならば、開館してまもない段階で、乱歩関連資料をどう定義し、どう収集し、どう活用するか、みたいなことの基本線はおのずから明確になっていたはずなのである。
 
 そんな簡単なことがなぜなされなかったのか、おれにはさっぱりわからんのだが、端的にいってしまえば、お役所の風土というやつのせいであると思われる。
 
 それはもう、お役所の風土や、お役人の体質などというものは、じつにひどいものであるからな。
 
 ただし、そうした風土や体質の話には、いまはこれ以上、踏み込まない。
 
 乱歩関連資料をどう定義するか、という眼前の問題について話を進める。
 
 はっきりいって四十年ほど遅くなったわけではあるが、それをきっちり定義することなしに、名張市立図書館は乱歩関連資料を収集することができない。
 
 だったら、いくら四十年遅れだとはいえ、やるべきことはやらなければならない。
 
 たとえば、つい先日、こんなアンソロジーが出た。
 
20101213a.jpg
 
 乱歩の「押絵と旅する男」が収録されている。
 
 これは、名張市立図書館が乱歩関連資料として収集すべき本なのか、そうではないのか。
 
 現時点では、いずれとも決しがたい。
 
 「押絵と旅する男」という作品そのものは、この本を購入しなくたって、名張市立図書館の蔵書でいくらでも読むことができる。
 
 ただし、「押絵と旅する男」がどういう文脈に位置づけられているのか、わかりやすくいえば、ほかの作家のどんな作品といっしょに一冊の本に収められているのか、それを知るためには、この本を購入する必要がある。
 
 ただしこの本、文庫本である。
 
 だから、文庫になる以前の本、いわゆる親本というやつが存在している。
 
 親本を所蔵しているのであれば、文庫本まで購入する必要はないのではないか、という考えもありということになるだろう。
 
 いったいどうすればいいのか、などといちいち思案しなければならんようでは困るから、はっきりした収集方針を決めなければならない。
 
 ただし、おれが決めるわけではない。
 
 おれはあくまでもアドバイザーである。
 
 有用適切なアドバイスをすることはいくらでも可能だが、当然のことながら、最終的な決定権はもっていない。
 
 ちゃんと考えて、ちゃんと決める、というのは、あくまでも名張市立図書館がやるべきことなのである。
 
 お役所の人たちがもっとも苦手とすることではあるが、主体的に考えて、主体的に決める、ということをやってもらわなければならない。
 
 どうなるのであろうな。
 
 アドバイザーとしては、とても不安である。
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 地域雑誌「伊賀百筆」の第二十号、きのうご恵投いただいた。
 
20101208a.jpg
 
 原稿を落としてなんとも申しわけないことをしてしまった、とは思っていたのだが、郵送されてきた二十号にざっと眼を通し、いよいよ申しわけないな、という気になった。
 
 巻頭の特集は「さようなら華房良輔さん」で、つまりこの号、昨年11月8日に逝去された華房良輔さんの追悼号になっている。
 
 ところが、編集後記によれば、華房さんの一周忌に間に合わせるべく編集されたものの、残念ながら果たせなかったという。
 
 やべーな、と思う。
 
 おれがぐずぐずしていたから発行が遅れてしまった、ということであろう。
 
 たぶんそのはずである。
 
 なんとも申しわけない。
 
 「伊賀百筆」関係各位と、さらには華房良輔さんの関係各位、それから天国の華房さんにお詫びを申しあげたい。
 
 そういえば、申しわけないことはほかにもあって、もう十年以上も前のことになるか、華房さんに拙宅へおいでいただいていっしょにお酒を飲んだとき、どうしたことであったのか、うちの犬っころが華房さんに咬みついてしまった。
 
 翌日あらためて、名張市赤目町相楽のご自宅まで、一升瓶ぶらさげてお詫びにあがった次第であったのだが、いやはや、亡くなったあとまでご迷惑をおかけしてしまうとは、じつに申しわけのないことである。
 
 お詫びのしるしにもならないが、「伊賀百筆」第二十号の特集「さようなら華房良輔さん」の内容をお知らせしておく。
 
さようなら華房良輔さん    北出楯夫
ごあいさつ          華房良輔
黄泉の華房良輔兄へ      藤本義一
マイボス・マイメモリー    綱谷隆司郎
ドンキホーテ精神       太田順一
華房さんのこと        番條克治
華房先生の奥様へ       崔文子
華房さんと戎まわしの思い出  井上恵
一周忌を前に         華房洋子
華房さんの略年譜
童話 タヌキの親子      はなぶさりょうすけ
遺稿 美人はなぜ美しいのか  華房良輔
 
 いやー、ほんとに申しわけないことをしてしまった。
 
 重ねてお詫びを申しあげる。
 
 二十号のもうひとつの特集は、伊賀市庁舎の建設問題。
 
 「ほんとに壊してしまっていいの?」と題して、約百ページのボリューム。
 
 編集後記によれば、「伊賀市の医療崩壊が市民生活を脅かしている。今や市民の最大関心事となっているが、安心安全の街づくりを掲げる内保博仁市長までが、入院先を東京の病院にするほどの深刻な有様。そんな中で、市庁舎問題もまた、重要な行政課題となっている。今号の第二特集としたのは、そうした事情である。市民が納得のいく結論を出して欲しいものだと念じている」とのことである。
 
 こちらも内容をお知らせしておく。
 
たった一日の伊賀上野行(考)        藤木隆男
建築文化の継承──市庁舎の存続をめぐって  滝井利彰
市民ととことん「熟議」を尽くしたか?    北出楯夫
 
 「伊賀百筆」第二十号はA5判、二百九十ページ、伊賀百筆編集委員会発行。
 
 伊賀地域の主要書店に並んでいるはずである。
 
 気になるお値段は税込み千と五百円。
 
 よろしければぜひご購読を。
 すまんすまん。
 
 いろいろあってな。
 
 ご報告申しあげるのがすっかり遅くなってしまったが、以下に順を追って記述する。
 
 11月23日(火曜)のできごと
 
 神戸市の東川崎地域福祉センターで、横溝正史生誕地碑建立六周年記念イベントの講演会が催された。
 
 無事に終了した。
 
 二銭銅貨煎餅と乱歩飴、それから名張市の観光PRパンフレットというおみやげ三点セットは、ご来場のかたにもれなくお受け取りいただいた。
 
 しつこいようなれど、血税で二銭銅貨煎餅を購入していただいた名張市民のみなさんと、おみやげ関係でいろいろお手数をおかけした名張市役所のみなさんに、重ねてお礼を申しあげておきたい。
 
 会場では、倉敷市文化産業局文化観光部観光課の職員のかたが三人、横溝正史関連グッズを販売しつつ倉敷市をPRしていらっしゃったので、おれとしては名張市のおみやげ三点セットでなんとか面目を保てたような次第であった。
 
 ちなみに、倉敷市と横溝正史との関係は、まあこういったことである。
 
 
 12月20日までイベントが催されているとのことなので、興味がおありのかたはぜひお運びを。
 
 なかでも「本陣殺人事件」の殺人トリックをオープンセットで再現するショーは迫力満点らしいのだが、今年はすでに予定終了。
 
 来年も催されるのかどうかは、予算がつけば、というその一点にかかっているとのことであった。
 
 販売されていたエコバッグ、ガイドブック、ラリーマップなどの横溝グッズも購入してきたのだが、なかのひとつがこれ。
 
20101129a.jpg
 
 下敷きである。
 
 女の子の顔が猫の顔の下になっている。
 
 下敷きだけにな。
 
 つづいて、こちらが講演の証拠写真。
 
20101129b.jpg
 
 名張市のおみやげ三点セットを手に大喜びの入場者、みたいな写真も撮影してもらえばよかったのだが、そこまで気がつかなかった。
 
 しかしあのおみやげ三点セット、どなたにも喜んでいただけたものと思う。
 
 裏方のみなさんにもお渡ししたので、用意した五十セットはきれいにはけてしまったみたいであった。
 
 ところで、まだ本決まりということではないと思うのだが、横溝正史生誕地碑建立記念イベントの講演会、来年もお座敷がかかりそうな雲行きである。
 
 つまり、二年連続で講演会の講師を仰せつかることになりそうなのである。
 
 なんでそんなことになるのかというと、ま、講演内容が面白かったからというわけなのであろうが、となると当然、来年の講演会でも、名張市名物おみやげ三点セットをご来場のかた全員にお受け取りいただきたく、ついては来年も今年同様のゆすりたかりを働かねばならぬのが浮世のさだめ。
 
 厚かましい話で恐縮ではあるが、関係各位にはいまからご高配をお願いしておく次第である。
 
 ちなみにこの日午後2時30分、おれが講演をはじめたのとほぼ同時刻に、北朝鮮が意味不明な砲撃を開始した。
 
 恐るべし11月23日。
 
 11月25日(木曜)のできごと
 
 11月25日といえば、三島由紀夫の命日である。
 
 憂国忌である。
 
 四十年前、昭和45・1970年のこの日、三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹して自死した。
 
 まさか四十年後のおなじ日、市川海老蔵丈が六本木でぼこぼこにされてしまうとはなあ。
 
 恐るべし11月25日。
 
 そんなことはともかく、よりにもよって憂国忌にこんな辞令を頂戴するなんて、ずいぶん粋な計らいをしていただいたものである。
 
20101129c.jpg
 
 つまり、11月25日から来年の11月24日までの一年間、おれは名張市乱歩関連事業アドバイザーなのである。
 
 名張市長から委嘱していただいたのである。
 
 ふーん、で、それってなに? とおっしゃるかたもおいでであろう。
 
 おれにもよくわからんのだが、まずはこういったものである。
 
20101129d.jpg
 
 乱歩関連事業アドバイザーなんて、むろん名張市はじまって以来はじめてのポストである。
 
 来年11月までなどと悠長なことはいわず、来年3月末まででどうであろうか、とか希望を述べてみたのだが、名張市においてこの手の委嘱は一年単位とするのが基本であるらしく、おれの希望はリジェクトとなった。
 
 もう少しくわしいことは、日をあらためてお伝えする。
 
 11月28日(日曜)のできごと
 
 きのうである。
 
 午後4時から丸之内の名張藤堂家邸跡で、「乱歩in藤堂家邸朗読会」が催された。
 
 名張藤堂家の子孫にして文学座に所属する女優の藤堂陽子さんが、乱歩の「人間椅子」と「押絵と旅する男」の二作品を朗読されたのである。
 
 陽子さんにお目にかかったことはないのだが、ここはぜひともご挨拶を申しあげねばなるまい。
 
 なにしろ、乱歩関連事業アドバイザーであるのだからな。
 
 となると、手ぶらというのもあれである。
 
 なにしろ、乱歩関連事業アドバイザーであるのだからな。
 
 二銭銅貨煎餅をおみやげとすべく、中町の山本松寿堂に足を運んだ。
 
 お休みであった。
 
 あーりゃりゃッ、とか驚き、大急ぎで丸之内の御菓子司さわ田駅前通店に赴いて、乱歩ぱいを購入。
 
 二銭銅貨煎餅も乱歩ぱいも、どちらもおみやげにはうってつけなのだが、乱歩ぱいはパイだけに日持ちしない。
 
 賞味期限は五日間とのことである。
 
 だから、どうしても、乱歩ぱいよりは二銭銅貨煎餅を選択することが多くなるのだが、えこひいきをしているわけではない。
 
 その点、誤解なきようお願いしたい。
 
 なにしろ、乱歩関連事業アドバイザーであるのだからな。
 
 八十五人が入場したとのことで、藤堂邸の座敷は満員の盛況。
 
 陽子さんの朗読は過剰な演出のないごくオーソドックスなもので、耳に心地よい、という感覚を心ゆくまで実感した。
 
 とくに「押絵と旅する男」における弟の語りは、ははあ、これがあの時代の江戸弁の口跡であろうな、とおおいに納得されるところがあり、眼福ならぬ耳福を得たような気がした。
 
 公演後、ちょっとおはなしをうかがった。
 
 やや立ち入ったこともお訊きした。
 
 ご父君の高伸さんは昭和40・1965年10月15日、五十一歳でご逝去、ということは事前に調べてわかっていたのだが、ご母堂の合子さん、これは、合子、と書いて、あいこ、とお読みするのだが、合子さんはいつごろお亡くなりになったのでしょうか、とお訊きしたところ、合子さんはまだお亡くなりになっていない、と陽子さんからお教えいただいた。
 
 まずい。
 
 非常にまずい。
 
 まずいことこのうえない。
 
 なんということをお訊きしてしまったのか。
 
 世が世なら、無礼者ッ、そこに直れッ、手討ちにいたすッ、という流れになっていたこと必定なのであるが、そんなことにならない世の中でほんとによかったと思う。
 
 こんなアドバイザーで大丈夫かよ、とも思うけど。
 
 それはともかく、きのうの朗読会は先述のごとく盛況で、なんとか恒例にならぬものかと思わしめる内容でもあった。
 
 陽子さんにそのあたりのことをうかがってみると、藤堂家に伝わる雛人形を飾って、雛にまつわる小説を朗読してみたい、との腹案をおもちであった。
 
 面白いと思う。
 
 残念ながら、乱歩にはお雛さまの出てくる作品はないのだが、三島由紀夫の「雛の宿」とか、芥川龍之介の「雛」とか、あのあたりを藤堂邸の座敷で、それも雛人形の飾られた座敷で、藤堂家のお姫さまの朗読で聴いたらどんな感じがするのであろうか。
 
 関係各位にはぜひご検討いただきたいものである、と記しておくこととする。
 
 なにしろ、アドバイザーであるのだからな。
 すまんすまん。
 
 いろいろと用事があってな。
 
 おととい7日は亡母の三回忌で、室生寺へ納骨に行ってきた。
 
 平成10・1998年9月、台風七号の強風で被害を受け、二年後に修復が完了した国宝の五重塔は、こんな感じで秋の薄ら陽を浴びておった。
 
20101109a.jpg
 
 ところで、あの台風七号で倒れた杉の年輪を解析したら、こんなことがわかったという。
 
 
 寒いのはいやじゃのう、とぞ思う。
 
 それから、ほかにもいろいろ、たとえば黙々とこんなのをつくる用事もあってな。
 
20101105b.jpg
 
 このチラシでもちょっとだけ、こんなぐあいに、名張市のことを宣伝しておいた。
 
奇絶怪絶! 驚天動地! 先着五十名にこれだけの特典!
▼三重県名張市民の血税で購入いたせし銘菓二銭銅貨煎餅
▼何処の店にても購ふことあたはざるノーベル製菓乱歩飴
▼江戸川乱歩生誕の町が手に取るやうに判るパンフレツト
 
 11月23日当日には、講演の冒頭で煎餅や飴やパンフの説明をしてくるつもりなのであるが、そうやって説明するだけで名張市の宣伝になるのだから、やはりおみやげというのは便利なものである。
 
 血税で二銭銅貨煎餅を購入していただいた名張市民のみなさんと、おみやげ関係でいろいろお手数をおかけしている名張市役所のみなさんに、あらためてお礼を申しあげる次第である。
 
 さて、文化の日のエントリのつづき。
 
 どんな話であったか。
 
 まず、こんなことを尋ねてみたわけ。
 
 いつもお世話さまです。
 
 市事業の民間委託についてお訊きしたいのですが、委託団体を公募する場合、その対象団体に市職員が加わっていることに問題はないのでしょうか。
 
 よろしくお願いいたします。
 
2010/10/21
 
 回答はこうであった。
 
中 相作 様
 
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
 
私は、職員に対し、区や自治会等の地域活動や市民公益活動、ボランティア活動にできるだけ参画するよう勧めているところです。
 一方で、市がそれらの団体と委託契約等の関係を結ぶ事例も増えており、地域団体や市民活動団体の代表者、役員など意思決定に関わらない範囲での参画ならば問題はないと考えますが、誤解を招くことのないよう一定のルールは必要であると考えています。 
 なお、市職員が営利を目的とする会社の役員などに就任すること、営利を目的とする私企業を営むことおよび報酬を得て他の事務、事業に従事することは禁止されております。
 
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
 
平成22年11月1日
 
名張市長 亀井利克
 
 まずいぞ。
 
 いかにもまずいぞ。
 
 なにがまずいのか。
 
 問題なのは、「地域団体や市民活動団体の代表者、役員など意思決定に関わらない範囲での参画ならば問題はない」というところである。
 
 つまり名張市は、そこらの「地域団体や市民活動団体」において意思決定をおこなうのは「代表者、役員など」である、と考えておるわけなのね。
 
 意思決定は代表や役員といった一部の人間にのみ許された行為であり、代表でもなければ役員でもない人間は意思決定にかかわることができない、というわけなんだけど、そんなたわけたことをゆうておってはまずいぞほんとに。
 
 代表や役員、つまりいわゆる上の人間だけが意思決定にかかわるような組織運営を、専制的な運営、という。
 
 いわゆる下の人間も含め、組織に所属するすべての人間が意思決定にかかわるような組織運営を、民主的な運営、という。
 
 現在ただいま、この日本という国において、たいていの地域団体や市民活動団体は民主的な運営というやつを建前としているはずである。
 
 団体のことは団体のみんなで決めましょう、という建前になっているはずである。
 
 むろん実際には、ごく一部の人間によって仕切られている専制的な組織なんて、ふつうにごろごろしていることであろう。
 
 しかし、だからといって、かりそめにも市長名義の文書において、「地域団体や市民活動団体の代表者、役員など」でない人間はその団体の「意思決定に関わらない」などと、世間の建前を無視したことを明言してしまうのはいかがなものであろうな。
 
 専制的な組織運営を認めてしまうのはいかがなものか。
 
 民主的な組織運営を否定してしまうのはいかがなものか。
 
 否定されるべきなのは、いうまでもなく、専制的な運営のほうなのである。
 
 近い例をあげれば、名張まちなか再生委員会がそうだったではないか。
 
 あの委員会においては、きわめて専制的な運営が進められておった。
 
 一部の人間が独断でものごとを決めておった。
 
 それもそのはず、委員会の規約に意思決定のルールが規定されておらなんだのである。
 
 さすがに、それではまずかろう、という声が出て、規約を改正して意思決定のルールを明確にしよう、ということになった。
 
 つまり名張まちなか再生委員会は、発足以来の専制的な運営を否定し、民主的な運営への移行を実現しつつあったわけなんだけど、道なかばにして解散ということになってしまった。
 
 むろんあの解散だって、きわめて民主的に決定されたものである。
 
 解散するか否か、規約にのっとって委員全員の意見を集約し、その結果、解散と決まったのである。
 
 委員会に所属する一部の人間が解散を決めた、ということではまったくなく、みんなで考えてみんなで決めたのである。
 
 名張まちなか再生委員会の委員全員が、むろん委任や棄権という方法で意思を表明した委員もあったけれど、とにかく全員が、委員会としての意思決定にかかわったのである。
 
 委員全員による意思決定を可能ならしめるよう、規約が改正されていたのである。
 
 しかし、そんなのは驚くべきことでもなんでもない。
 
 ごくあたりまえのことなわけね。
 
 ここにひとつの団体があるとして、その団体の意思決定には団体に所属するすべての人間がかかわっている、というのは、現在ただいまの日本国においては、ごくふつうでごくごくあたりまえのことなわけ。
 
 ところがここ名張市では、あたりまえのことがあたりまえではなく、あたりまえではないことがあたりまえである、というなんだか「マクベス」に出てくる三人の魔女の呪文みたいなことになっておるのじゃ。
 
 とはいえ、腑に落ちるといえば、これほど腑に落ちる話もない。
 
 名張まちなか再生委員会の運営は、どうしてあそこまで無茶苦茶だったのか。
 
 とどのつまり、委員会を発足させた名張市という自治体の体質が反映されていたからである、と考えれば、とてもよく腑に落ちる。
 
 名張市はどうも、専制的な組織運営が好きみたいなのである。
 
 一部の人間だけで意思決定を進めてしまう、みたいな組織運営が好きらしいのである。
 
 だから、なにか組織をつくらせても、専制的な組織しかつくれない。
 
 あまりにも専制的なものだから,もうちょっと民主的じゃないとまずいんじゃね? という声が組織の内部から出てくるほど専制的な組織しかつくれない。
 
 そのひとつが名張まちなか再生委員会であった。
 
 ほんと、そんなことじゃまずいぞ。
 
 しかし、さらにまずいのは、これはそこらの団体だけの話ではない、ということである。
 
 名張市という団体じたいの問題でもある,ということである。
 
 名張市という名の地方公共団体においても、どうやら事情はおなじであるらしいなおい、ということである。
 
 ここ名張市においては,一般市民なんか相手にせず、ごく一部の人間だけを相手にして、地方公共団体の意思決定が進められている、みたいなとこがあるんじゃね?
 
 要するに、名張市という団体そのものがまったく民主的ではない,ということになってくるんじゃね?
 
 そう考えると、じつによく腑に落ちる。
 
 市民不在であるとか、癒着結託最優先であるとか、以前から指摘しておったことはすべて、名張市が専制的であるという一点に起因している、と理解することが可能である。
 
 そう理解すると、じつによく腑に落ちるわけである。
 
 べつにまあ、腑に落ちたからって、なにがどうなるものでもないわけじゃがのう。
 
 しかしそれにしても、どうして名張市は、団体の意思決定は上の人間だけがやればいいあるよ、下の人間には意思決定させないあるよ、みたいなことをおおっぴらにゆうてしまうのであろうか。
 
 うちは民主的ないあるよポコペン、みたいなことをなんで公言してしまうのであろうな。
 
 子のたまわく、民はこれに由らしむべし、これに知らしむべからずポコペン、みたいなことなのであろうかのう。
 
 うーむ。
 
 なにがどうなっているのであろうなあ。
 
 もしかしたら、の話であるが、もしかしたらもしかして、名張市役所のみなさんには、民主主義ということばの意味が理解できておらんのかもしれんなあ。
 
 名張市役所のみなさんは、もしかしたらポコペンあるか。
 
 ならば、そんなポコペンきわまりないみなさんのために、ここで民主主義ということばの意味を確認しておくことにしよう。
 
 Yahoo!辞書の大辞泉には、こんなふうに書いてある。
 
みんしゅ‐しゅぎ【民主主義】
人民が権力を所有し行使する政治形態。古代ギリシャに始まり、17、18世紀の市民革命を経て成立した近代国家の主要な政治原理および政治形態となった。近代民主主義においては、国民主権・基本的人権・法の支配・権力の分立などが重要とされる。現代では政治形態だけでなく、広く一般に、人間の自由と平等を尊重する立場をいう。デモクラシー。
 
 デモクラシーだぞデモクラシー。
 
 大正デモクラシーとかそうゆうの、学校で習ったことがあるじゃろうが。
 
 大正といったらデモクラシー、灯台といったらモトクラシー、アリエッティといったらカリグラシー、とかそんなようなことを学校で教わったはずじゃというのに,どうしてデモクラシーすなわち民主主義ということばを理解できないのかなあ。
 
 あるいは、名張市役所のみなさんには、日本国憲法の前文に明記されている主権在民の精神が理解できておらんのかもしれんなあ、というべきか。
 
 主権在民だぞ主権在民。
 
 日本国憲法の前文にはな、「ここに主権が国民に存することを宣言し」とか書いてあってだな、みたいなこと、いまさら、説明しても、しかたないか。
 
 ま、しかたないであろうな。
 
 しかたなんか、あるはずがないであろうな。
 
 うーむ。
 
 まいったなあ。
 
 まいったまいった。
 
 あいかわらず話が通じないんだもんなあ。
 
 そもそもは、名張市が民間団体を公募する場合の平等性、みたいなことがテーマだったわけなのね。
 
 まあもちろん、これも以前からいってることだけど、ここ名張市にはジャスティスやフェアネスということばが存在しておらんわけだから、名張市役所のみなさんには平等というのがどういうことなのか、それが理解できておらんのかもしれん。
 
 むしろ、ずぶずぶなあなあこそがデフォルト、と考えておくべきなのかもしれん。
 
 しかしそれにしたって、平等性をテーマにした話がおよそ見当違いのところに流れていってしまい、しかもその見当違いな話から、名張市は民主的ないあるよポコペン、などとチャイニーズもびっくりな表明が飛び出してきて、はっはーん、そこまではっきりポコペンなんだから平等なんてことをテーマにするのはどだい無理だわな、と思い知らされてしまうんだからどうよこの説得力。
 
 では、ここらでひとつ、例のひとふし、悪声ながらもつとめてみるか。
 
 きょうは太字でやってみる。
 
 いくら田舎のお役所じゃとて
 
  はあどーしたどしたあ
 
 ずんずびずばーん
 
  ぱっぱやーん
 
 ここまであほではちょいと困る
 
  それからどしたあ
 
 ずんずびずばーん
 
  ぱっぱやーん
 
 ちょいとどころかだいぶ困る
 
  はあもっともだーあもっともだあ
 
 ずんずびずばーん
 
  ぱっぱやーん
 
   ぱっぱやーん
 
    ぱっぱやーん
 
 以上、正調名張市役所音頭スキャット付き、であった。
 
 交響曲第九番合唱付き、みたいなものだとご理解いただきたい。
 
 さてつづいては、なぞがたりなばりの怪事件である。
 
 名張市が誇る癒着結託の花形団体、乱歩蔵びらきの会から頂戴した回答の件である。
 
 エントリの流れをたどっておく。
 
 
 で、11月1日のつづき。
 
 (8)名張市公式サイトに掲載されている貴会の「なぞがたりなばり委託事業応募企画書」には、貴会の設立が平成17・2005年5月であると記されていますが、にもかかわらず「活動内容」には平成16・2004年度の事業が三件、列挙されています。これは明らかな虚偽記載であると判断されますが、虚偽記載であることをお認めになりますか。
 
 別紙1の団体概要書、設立目的欄に「乱歩蔵びらきの会は、前身を「乱歩蔵びらき委員会」といい、(以下略)」と記載しています。活動内容欄にもそのことを記載しておくべきでした。
 
 ツッコミどころ満載で、どこから手をつけるべきか迷うほどじゃが、ここ名張市ではこういういいわけが通用する、ということにしてしまうのも妙案かもしれん。
 
 むろん、一般的には、こんなずぶずぶなあなあの癒着結託体質まるだしのいいわけ、とても通用するものではない。
 
 乱歩蔵びらきの会が発足したのは、「平成17年5月17日」である、とここに明記されている。
 
20101109b.jpg
 
 平成17年というのは、西暦でいえば2005年である。
 
 2005年に発足した団体は、タイムマシンでも使用しないかぎり、2004年に活動することはできない。
 
 前身があろうがなかろうが、乱歩蔵びらきの会の設立が平成17・2005年5月17日だというのであれば、乱歩蔵びらきの会の活動はその日以降のことになる。
 
 それ以前にさかのぼることはできない。
 
 あたりまえのことである。
 
 しかしまあ、マクベスだもんな。
 
 あたりまえのことがあたりまえではなく、あたりまえではないことがあたりまえである、ということになってるんだからな。
 
 ほんと、ここ名張市においては主体性ってやつがまるで問題にされなくて、なにからなにまでずぶずぶのなあなあではあるのじゃが、しかしそれにしたってレディースアンドジェントルメンアンドおとっつぁんおっかさん、前身はすなわちそのまま現団体である、などという強弁が、はたまた、乱歩蔵びらき委員会が名称を変更して乱歩蔵びらきの会になりました、などという正当化が、はたして通用するものであろうか。
 
 苦しいと思うぞ。
 
 苦しい苦しい。
 
 とっても苦しい。
 
 設立年月日は「平成17年5月17日」であると明言している以上、この一件は四の五のいわなくたって完全にアウトではあるのじゃが、あえてこのいいわけが通用することにして、乱歩蔵びらきの会が平成16・2004年度に実施した事業をネタにするのも面白いかもしれん。
 
 たとえば平成16・2004年10月に乱歩蔵びらき委員会が発行した『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』の発行者責任、乱歩蔵びらきの会がきっちり背負いきれるものかどうか、なんていう展開も漫才としては面白いかもしれんなあ。
 
 ちょっと考えてみよう。
 
 (9)同じく「活動内容」に「2009年 江戸川乱歩生誕地整備事業に参画 乱歩生誕地碑広場」とありますが、参画内容を具体的にお教えください。
 
 生誕地碑広場での完成記念式典へ裏方として参加し、同時にやなせ宿で「写真で見る乱歩と名張」展を開催しました。
 
 尋ねてみなければ、わからんものである。
 
 「江戸川乱歩生誕地整備事業」とあるものだから、おれはまたてっきり、桝田敏明先生のご遺族から寄贈していただいた土地建物を官民双方のうすらばかが寄ってたかってあやしげな神社みたいな広場にしてしまった江戸川乱歩生誕地整備事業に乱歩蔵びらきの会が参画したものだと思ってしまったではないか。
 
 実際には、整備事業そのものに参画したのではなくて、官民双方のうすらばかがあの整備事業を惨憺たる失敗に終わらせてしまったあと、尻馬に乗るみたいにして旧細川邸やなせ宿で展示会を開催いたしました、ということであったか。
 
 うーむ。
 
 しかし、困ったな。
 
 あの江戸川乱歩生誕地整備事業がみるも無惨な大失敗にいたった経緯こそ、おれが地域雑誌「伊賀百筆」の編集部から求められているテーマなのである。
 
 じゃが、乱歩蔵びらきの会に尋ねてみたところで、なーんにもわかりゃせん、ということであるらしい。
 
 それはそうかもしれんな。
 
 一連の経緯を確認するためには、どうすればいいのか。
 
 やっぱ、名張市公式サイト「市長への手紙」を利用するのが手っ取り早いか。
 
 ちょっと考えてみよう。
 
 (10)貴会がミステリー講演会なぞがたりなばりを共催するにいたった経緯をお教えください。
 
 先に書きましたが、18回なぞがたりなばりの開催以前に、同事業の委託の動きがあることを聞いており、一度なぞがたりなばりの開催に参加し、どのような事業であるかを見ることと、当会は主に乱歩映画のポスターや生家模型を会場に展示することでPRにもつながると考えました。
 
 以前にも書いたとおり、おれはこの質問によって、「お役所との癒着結託って、どうやったらうまくできるんですか」ということを知ろうと考えた。
 
 この回答からは、やっぱお役所の人たちとずぶずぶなあなあになっておくことがたいせつ、それが癒着結託の秘訣である、という結論を導き出すことができるであろう。
 
 一般市民には知ることのできない情報、つまりこの場合は、なぞがたりなばり事業を民間団体に委託する動きがある、という情報をいち早く知るためには、市職員のみなさんとずぶずぶなあなあになっておかなければならない、ということである。
 
 もうひとつ、回答から判明したところを記しておこう。
 
 回答には、「一度なぞがたりなばりの開催に参加し、どのような事業であるかを見ること」と記されている。
 
 この文章から、なにがわかるか。
 
 乱歩蔵びらきの会は、平成20・2008年11月に第十八回なぞがたりなばりが実施されるまで、それが「どのような事業であるか」を知らなかった、ということが判明した。
 
 たいしたものである。
 
 それがどんな事業であるかを知らなかった団体が、その事業をいきなり共催し、その翌年度には事業を委託されているのである。
 
 じつにたいしたものである。
 
 てゆーか、大丈夫かよ。
 
 てゆーか、恐るべし癒着結託。
 
 てゆーか、もう少しぼろが出ないような回答を心がけたほうがいいと思うぞ。
 
 (11)講演会に先がけてまちなかミニツアーが催されましたが、貴会はどうしてミニツアーの案内を担当なさらなかったのでしょうか。
 
 ミニツアー自体は、地域経営室が運営し、当会に依頼はありませんでした。
 
 このあたり、注意を要するであろうな。
 
 癒着結託の脆弱さが露呈している。
 
 なにしろ共催団体なのであるから、主催団体と力を合わせ、いってみれば一心同体になって事業を実施するのがふつうであろうと思われるのじゃが、依頼があったとかなかったとか、そんな他人行儀で水くさいひとごとみたいなことをゆうておっていいものかどうか。
 
 かりに依頼のことを問題にするのであれば、地域経営室は乱歩蔵びらきの会にミニツアーの案内役は務まらない、と考えていたことになるのではないか。
 
 ミニツアーの案内役については、当時もいささかを記した。
 
 
 一部を引用。
 
かりに名張市が、名張のまちを案内するというただそれだけのことさえできない自治体になってしまったのだとしても、名張市名物の官民協働はどうした。たとえば、名張まちなか再生委員会があるではないか。あの委員会には歩行者空間整備プロジェクトというのがあって、江戸川乱歩生誕地碑広場をはじめとして、まちなかの四か所に八百万円ほどかけて案内板を設置してくれたのである。ならば、そのプロジェクトのチーフあたりが、まちなかミニツアーの案内にお立ちになればいいのではないか。というか、立つべきである。そんなこともできなくて、なにが歩行者空間整備プロジェクトか、なにが名張まちなか再生委員会か、なにが協働か。
 
名張まちなか再生委員会は無理だとしても、名張市公式サイトのなぞがたりなばりのページには、「主催:名張市 共催:乱歩蔵びらきの会 協賛:社団法人日本推理作家協会」と書いてあるのだから、乱歩蔵びらきの会はどうした、という話になる。当然、そんな話になる。名張のまちを乱歩がらみで案内することもできない組織が、ごたいそうに乱歩の看板をかかげて活動しているのか、という話になる。というか、乱歩蔵びらきの会は、すでに活動を停止しているのではなかったのか。ことしはたぶん、総会も開催してないはずである。だから、こんなところに名前が出ているのを見て、ちょっとびっくりしたというのが正直なところである。
 
 (12)もしもいま、まちなかミニツアーの案内を依頼されたとしたら、お引き受けになりますか。
 
 わかりません。その時点での判断になると思います。
 
 この質問にかんしては、以前こう記した。
 
 お引き受けにならない、に百ガバス。
 
 倍率どん。
 
 さらに倍。
 
 いやー、わかりません、などという回答が返ってくるとは思わなんだなあ。
 
 百ガバスすってしもうたではないか。
 
 (13)貴会の平成20・2008年度通常総会はいつ開かれたのでしょうか。
 
 平成20年10月13日です。
 
 上の引用にも、「乱歩蔵びらきの会は、すでに活動を停止しているのではなかったのか。ことしはたぶん、総会も開催してないはずである」とあるのじゃが、一般的には年度当初に開催される通常総会がなぜ10月もなかばになって、というか、第十八回なぞがたりなばり講演会を一か月ほどあとに控えた時期にずれ込んだのかということが、あるいはネタになるかもしれんな、と考えて質問した次第である。
 
 最後にもうひとつだけ、お訊きします。
 
 (14)私も貴会に入会したいのですが、入会の資格や手続き、活動内容、会費などについてお教えください。
 
 会則を末尾に添付します。
 
 ただ、中さんは以前から「乱歩蔵びらきの会」やその類の会には参画しないと公言されていました。今になって、入会したいと言われるのはなぜでしょうか。
 
 乱歩蔵びらきの会に入会したい理由はただひとつ、漫才のネタとするためである。
 
 むろん、漫才のネタなんて、どうにでもなる。
 
 回答を頂戴できなかったらできなかったで、それを漫才のネタにすることは可能であるし、今回頂戴した回答だけでもむろんじゅうぶんネタになる。
 
 はっきりいって、おれが乱歩蔵びらきの会に入会を申し込む、というそれだけでもネタにはなるのである。
 
 めでたく入会できても、不幸にして入会できなくても、どっちだって爆笑もののネタにすることは可能なのである。
 
 さていったい、どんなふうに料理すればいいのやら、とか思案しておったところ、ついさっきのことなのであるが、地域雑誌「伊賀百筆」の編集部からはがきが届いた。
 
 がーん。
 
 がーんがーん。
 
 がーんがーんがーん
 
 がーんがーんがーんがーん。
 
 えらいことじゃ。
 
 「伊賀百筆」の第二十号、とうとう締切が来てしまった。
 
 それはそうであろうなあ。
 
 当初は9月初旬が締切であった。
 
 それをずるずると引き伸ばし、じゃというのに、この状態からいまだ一行も進んでおらんのだからなあ。
 
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 せっかく依頼していただいた編集部にはまことに申しわけないことながら、おれの漫才は間に合わなかった、ということでご勘弁いただくしかない。
 
 いやー、これだけはやってはいけない、ということをやってしまったなあ。
 
 こんなことしてると、ほんと、だれからも相手にされなくなるからなあ。
 
 反省しなければならんなあ。
 
 ちなみに「伊賀百筆」第二十号、節目の号にふさわしい立派なボリュームで、なおかつ伊賀市の市庁舎問題に一石を投じる内容になるという。
 
 刮目して待たれよ。
 
 しっかし、「伊賀百筆」第二十号には間に合わなかったとしても、漫才いったい、どうすっぺやなあ。
 すまんすまん。
 
 乱歩蔵びらきの会から頂戴した回答を素材にエントリを綴っているのだが、妙にあいだがあいてしまう。
 
 たったかたったか軽快に筆を進めたいところなれど、雑務雑用いろいろあってそうもいかんのよ。
 
 ご回答いただいた乱歩蔵びらきの会にも、さらにはご閲覧の諸兄姉にも、なんだか申しわけないなとは思うておるのじゃが、ご海容いただければ幸甚である。
 
 それから、きのうはまた、乱歩蔵びらきの会の回答に関連したコメントもお寄せいただいた。
 
2010年11月01日:なぞがたりの謎が謎を呼ぶ > 業務委託の件(11月1日)
 
 要するにまあ、官民双方、業務の委託受託にあたってはくれぐれも身ぎれいでいような、ということである。
 
 人からとやかくいわれたり、勘ぐられたり、怪しまれたり、疑われたり、そんなことはないようにしような、ということである。
 
 あらためて確認しとくけど、名張市が事業委託のために民間団体を募集し、五つの団体がそれに応じたとしてみよう。
 
 団体A……市民 市民 市民 市民 市民 市職員
 団体B……市民 市民 市民 市民 市民 市民
 団体C……市民 市民 市民 市民 市民 市民
 団体D……市民 市民 市民 市民 市民 市民
 団体E……市民 市民 市民 市民 市民 市民
 
 こうした図式において、はたして平等性は担保されているのか、ということが問題なわけ。
 
 以前にも記したとおり、「市職員というのは、公募する側の人間であり、一般市民が知りえない行政内部の情報を容易に知りうる立場にあると目される人間であり、さらにいえば、当該事業担当部署の職員ではなくたって、その部署になんらかの働きかけができるかもしれないと目される人間でもある」わけね。
 
 団体Aに所属している市職員が、行政内部の情報を団体Aにこっそり漏洩することで、公募という競争の場で団体Aが有利な位置に立ってしまう、ということは当然あるはずである。
 
 あるいは、団体Aに所属している市職員が、委託される事業の担当部署に赴き、事業担当職員に団体Aを委託団体に選ぶよう人知れず依頼ないしは強要する、といったことがまったくないとは断言できない。
 
 つまり団体Aは、市の職員が加わっているというただそれだけの理由で、疑いの眼でみられてしまうわけ。
 
 団体Aがほかの団体とおなじスタートラインに立っているのかどうか、まずその点に、市民の疑いの眼が向けられるわけ。
 
 その公募そのものが、公正なのか、公平なのか、平等なのか、それが疑われてしまうわけ。
 
 ま、水嶋ヒロ君のポプラ社小説大賞出来レース疑惑、みたいなものなわけな。
 
 すなわち官民双方、一点の疑念も抱かれることのないよう、身ぎれいのうえにも身ぎれいでいなきゃだめだよな、ということなのである。
 
 でもって、おとといには、名張市公式サイト「市長への手紙」の回答も頂戴した。
 
 まいった。
 
 すっかりまいった。
 
 話が通じておらんのである。
 
 難儀じゃ。
 
 おおいに難儀じゃ。
 
 とりあえず、頂戴した回答をお読みいただくことにして、まず、おれが送信した質問はこんなんであった。
 
 いつもお世話さまです。
 
 市事業の民間委託についてお訊きしたいのですが、委託団体を公募する場合、その対象団体に市職員が加わっていることに問題はないのでしょうか。
 
 よろしくお願いいたします。
 
2010/10/21
 
 つづいて、おととい着信した回答。
 
中 相作 様
 
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
 
私は、職員に対し、区や自治会等の地域活動や市民公益活動、ボランティア活動にできるだけ参画するよう勧めているところです。
 一方で、市がそれらの団体と委託契約等の関係を結ぶ事例も増えており、地域団体や市民活動団体の代表者、役員など意思決定に関わらない範囲での参画ならば問題はないと考えますが、誤解を招くことのないよう一定のルールは必要であると考えています。 
 なお、市職員が営利を目的とする会社の役員などに就任すること、営利を目的とする私企業を営むことおよび報酬を得て他の事務、事業に従事することは禁止されております。
 
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
 
平成22年11月1日
 
名張市長 亀井利克
 
 な。
 
 まいるじゃろ。
 
 おれが尋ねたのは、上に記したとおりのことである。
 
 それが全然、伝わっておらんのよな。
 
 おれはなにも、名張市の職員が民間団体に加わることには問題がある、とゆうておるわけではないのね。
 
 好きなように加わっていただいて、好きなだけ活動に汗を流していただけばいいのである。
 
 おれが尋ねたのは、上述のごとく、市職員の加わった民間団体が市の公募にくつわを並べることに問題はないのか、ということなのね。
 
 ところが、頂戴した回答には、市職員が民間団体に加わることにかんする見解しか記されておらんのである。
 
 名張市役所のみなさん、おれのいってることが、それほど理解不能か。
 
 たしかにまあ、おれの質問は、いささか説明不足であったかもしれん。
 
 しかし、「委託団体を公募する場合、その対象団体に市職員が加わっていることに問題はないのでしょうか」というのは、それほど意の汲みにくい質問か?
 
 そんなことはあるまい。
 
 名張市役所のみなさんは、いうまでもなく「公募」する側にいる。
 
 ところが、その公募の「対象団体」のなかに、名張市役所のみなさんが入っている団体がある。
 
 これはちょっと、まずいんじゃね? どう? というごくごく簡単な質問である。
 
 この程度のことは、いちいち懇切丁寧に説明しなくたって、すんなりわかってくれてもいいと思うのじゃがなあ。
 
 早い話、きのう頂戴したコメントによれば、旧細川邸やなせ宿の管理運営を手がけているまちなか運営協議会だって、「当初は市職員もメンバーに名を連ねていたのですが、市の業務委託を受けるにあたって、まずかろうと言うことで全員引き上げたと言うことです」とのことであった。
 
 な。
 
 あの名張まちなか再生委員会、ずぶずぶなあなあの名張まちなか再生委員会にだって、委託する側の人間が受託する団体に名を連ねているのはまずかろうよ、という程度のことは判断できたのである。
 
 名張市役所のみなさんには、そんなことすらできぬというのか。
 
 まいった。
 
 いやまいった。
 
 ほんとまいった。
 
 難儀じゃ。
 
 ほんと難儀じゃ。
 
 とはいえ、いま述べたのは、予想された難儀であった。
 
 予想できなかった難儀もある。
 
 難儀が二本立てになってるわけな。
 
 ふたつめの難儀というのは、いったいなにか。
 
 「地域団体や市民活動団体の代表者、役員など意思決定に関わらない範囲での参画ならば問題はないと考えますが」という箇所である。
 
 これはいったいなにか。
 
 わけがわからん。
 
 しかし、先日、地域経営室から頂戴した回答よりは、よくわかった。
 
 おれは地域経営室に、こんなふうに質問したわけ。
 
 (a)名張市が事業を民間団体に委託する場合、その団体に名張市の職員が加わっていることに問題はないのでしょうか。
 
 地域経営室の回答は、こうであった。
 
 市職員がその団体の代表者でなければ、ただちに問題にはならないと考えます。
 
 「市職員がその団体の代表でなければ」という留保の意味が、おれにはさっぱりわからんかった。
 
 しかし、「市長への手紙」の回答を読んで、そのあたりのことがようやくわかった。
 
 「市職員がその団体の代表者でなければ」
 
 とあるだけではわからなかったことが、
 
 「地域団体や市民活動団体の代表者、役員など意思決定に関わらない範囲での参画ならば」
 
 と説明されていたことで、ようやくわかった。
 
 で、愕然とした。
 
 愕然とはしたけれど、ものすごく腑に落ちた。
 
 名張市ってのは、そうだよなあ実際、と気持ちいいくらい腑に落ちた。
 
 つまり、ここ名張市においては、「団体の代表」ないしは「地域団体や市民活動団体の代表者、役員など」といった人間でなければ、その団体の「意思決定」にかかわることができない、ということになっているらしいのである。
 
 とんでもない話である。
 
 しかし、ものすごく腑に落ちる話でもある。
 
 ところで、えーっと、名張市役所のみなさんや。
 
 おれのいってること、そろそろわかんなくなってきたぞ〜、みたいな感じでいらっしゃるのであろうか。
 
 話はすでに、事業委託だの公募だの市職員だの、そんなものにはまったく関係ないところに進んできているのじゃが、ま、きょうのところはここまでとしておこうか。
 すまんすまん。
 
 10月30日、31日と、あいだがあいてしまったが、10月29日のつづきである。
 
 今年3月21日に催された第十九回ミステリー講演会なぞがたりなばりに関する質問に、乱歩蔵びらきの会からお答えを頂戴した、という話題のつづき。
 
 (2)講演会のPRはどういう手段で進められたのでしょうか。
 
    チラシの配布、ポスターの掲示に加え、ケーブルテレビへ出演し、アナウンサーによるインタビュー形式でPRしました
 
 名張市外へのPRという点で、改善の余地あり、といったところか。
 
 名張市内でPRしたところで、ミステリーに興味があるという市民の数などわずかなものであろう。
 
 さりとて、名張市外へのPRとなると、何をどうすればいいのか、雲をつかむような話というしかあるまい。
 
 この手の事業の難しさが、そういうところにあるわけである。
 
 (3)講演会入場券の予約は往復はがきで受け付けるとのことでしたが、前年度までのようにインターネットが利用できなかったのはなぜでしょうか
 
    19年度は当会が名張市から委託を受けて事業を行ったため、名張市のインターネット環境(市のホームページやメールアドレス)を使うことができませんでした。
 
 あたりまえである。
 
 民間団体として市の事業の委託を受けたのだから、名張市のインターネット環境が利用できないのはあたりまえである。
 
 名張市のインターネット環境が利用できないのは最初からわかっているのだから、民間団体が自前でインターネット環境を用意し、名張市が実施していたサービスのレベルを維持するべきであったと判断されるのじゃが、どうしてそうしなかったのかな、とお訊きしたのじゃがのうばあさんや。
 
 前項の名張市外へのPRという点においても、インターネットの活用は不可欠であると考えられる。
 
名張市公式サイト:なぞがたりなばり > なぞがたりなばり委託事業募集要項(pdf)
 
 この要項には、「対象事業」のひとつとして「江戸川乱歩生誕地名張市をPRする事業」があげられているが、ここにいう「PR」は名張市外へ向けたものだと考えるべきであろう。
 
 だとすれば、PRにあたってインターネットを活用できていないという点において、改善の余地あり、と判断せざるをえない。
 
 (4)委託団体の募集が開始されたのは昨年11月15日でしたが、貴会と市当局による調整がおこなわれたのはいつでしょうか。
   
 (5)調整の内容はどういったものだったのでしょうか。
 
 (6)調整は市当局から貴会に働きかけたものか、あるいは逆に貴会から市当局に働きかけたものか、いずれだったのでしょうか。
 
 (7)公募以前の段階、つまり一般の市民には情報がいっさい開示されていない段階で、市当局と特定の民間団体とが調整を進めるのは不正な行為である、という認識は貴会におありだったのでしょうか。
 
 (4)~(7)まとめて
 第19回なぞがたりなばりの件で、名張市地域経営室から「なぞがたりなばりの委託を募集した場合、乱歩蔵びらきの会は応募してもらえるか?」という話があったのは昨年7月ごろです。ただ、なぞがたりなばりの運営を委託しようという動きがあることはすでに平成20年秋の第18回なぞがたりなばり以前に担当者から聞いていましたし、中さんもお聞きになったはずです。
 事業運営を民間から公募したけれども、応募者はゼロだったという事態を避けたい(と私は担当者から聞きました)ために、あらかじめ関係者に受託の可能性や考え方を打診するのは、別に誇ることではありませんが、不正な行為であるとも考えていません。
 
 さて、面白くなってきた。
 
 そもそも最初の疑問は、こういうものだったわけな。
 
 昨年度なぞがたりなばり事業は昨年11月15日から30日までの期間で委託団体が募集され、本年3月23日に事業が実施された。年度当初に委託団体の募集がおこなわれなかったのはなぜか。
 
 委託団体の募集は年度当初におこなわれるのがふつうじゃね? ということである。
 
 だから、遅れた理由を問いただしたところ、名張市の説明はこうであった。
 
 平成21年度の第19回なぞがたりなばり講演会事業も、当初から民間団体に実施をお願いする方向でしたが、同事業を委託するのは初めての試みであり、募集はしたものの応ずる団体がないという事態を避けたいと考え、受け皿となる団体との調整に時間を費やしたために募集の開始が秋になってしまいました。
 
 で、乱歩蔵びらきの会から頂戴した回答によって、名張市から同会に対し、委託団体の募集に応じてくれるかどうかという打診があったのは昨年7月ごろのことであった、ということが明らかになった。
 
 それはあくまでも、「打診」であったという。
 
 しかし名張市は、それは「調整」であったとしている。
 
 しかも、その調整には時間が費やされた、ともいう。
 
 双方の証言に、微妙なずれがある。
 
 単なる打診であったのか、時間をかけた調整であったのか。
 
 いったい、どっちなのであろうな。
 
 それに、名張市から働きかけがあったという7月ごろを、年度当初と呼ぶことにはかなりの無理がある。
 
 どうして、年度当初にはなんの動きもなかったのであろうな。
 
 そして、7月に働きかけがあったあと、実際に民間団体の公募がおこなわれたのは、11月も後半のことであった。
 
 なんか、話の流れがなめらかではない。
 
 すんなりも、すっきりも、していない。
 
 スカッとせんのうばあさんや、という印象がある。
 
 ずんずびずばーん
 
  ぱっぱやーん
 
 ずんずびずばーん
 
  ぱっぱやーん
 
 あまりにもスカッとせんものじゃから、ちょっと、スキャット、してみましたがのうじいさんや。
 
 うーむ。
 
 謎が謎を呼ぶなぞがたりなばり、といった様相を呈してきたけれど、漫才のネタとしてはそこそこ面白いものになってきたのではないか。
 
 このあたりの証言のくいちがいにどんなツッコミを入れればいいのか、ちょっと思案してみることにする。
 きのう、「つづきはあしたということにしようかのうじいさんや」とかいっときながら、きょうはつづきを綴る時間がとれなんだ。
 
 お詫びを申しあげる。
 
 ところで、先日ゆすりたかりに成功した名張市の乱歩飴、去年東京で配ったものを永久保存してくださっている向きもあるらしい。
 
 このエントリにちょっと記した。
 
名張人外境ブログ:正史はいつ毒づいたのか(2010年10月29日)
 
 ありがたいことではないか。
 きのうも記したとおり、名張市企画財政部地域経営室からメールを頂戴した。
 
 すなわち、10月13日、地域経営室にメールを送信し、乱歩蔵びらきの会と地域経営室への質問を伝えた。
 
 
 その回答をおととい、メールでお送りいただいたという寸法である。
 
 乱歩蔵びらきの会と地域経営室には、あらためてお礼を申しあげる次第である。
 
 で、乱歩蔵びらきの会から頂戴した回答には、反問というか、逆質問というか、要するにおれへの質問もお書きいただいてあるので、それには当然、お答えしなければならない。
 
 さて、どうするか。
 
 とりあえず、ご閲覧の諸兄姉に回答をごらんいただき、そのあとあれこれ述べてみることで、なぞがたりなばりの怪事件の謎に挑戦する、ということにするか。
 
 では、地域経営室の回答から。
 
 お送りいただいたのはワード文書であったが、それをJPG画像にしてごらんいただく。
 
20101029a.jpg
 
 質問と回答を、前者はこの色、後者はこの色で転載。
 
 (a)名張市が事業を民間団体に委託する場合、その団体に名張市の職員が加わっていることに問題はないのでしょうか。
 
 市職員がその団体の代表者でなければ、ただちに問題にはならないと考えます。
 
 名張市がなんらかの事業を委託するための民間団体を公募し、かりにA、B、C、D、Eという五つの団体がそれに応じたとします。そのうちの団体Aには市職員が入会していますが、残り四団体には市職員は加わっていないと仮定してみてください。こんな図式になるわけです。
 
 団体A……市民 市民 市民 市民 市民 市職員
 団体B……市民 市民 市民 市民 市民 市民
 団体C……市民 市民 市民 市民 市民 市民
 団体D……市民 市民 市民 市民 市民 市民
 団体E……市民 市民 市民 市民 市民 市民
 
 募集する側の人間が、応募する側に加わっている。これは、公正や公平、あるいは平等といった観点から考えた場合、はたして適切なことなのでしょうか。ここにはなんの問題もないのでしょうか。李下の冠、瓜田の履、といった故事をもちだすつもりはありませんが、名張市にはこうした場合の指針やガイドラインといったものは存在していないのでしょうか。
 
 ご指摘の「李下に冠を正さず」と言う観点での指針は、現在ありません。
 指針や事前の情報の開示については検討する必要があると考えています。
 
 この件については、10月21日と22日に記した。
 
 
 
 要するに、公募という競争の場に平等が担保されているのか、という問題なわけである。
 
 この問題については10月21日、名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して、こう質問した。
 
 いつもお世話さまです。
 
 市事業の民間委託についてお訊きしたいのですが、委託団体を公募する場合、その対象団体に市職員が加わっていることに問題はないのでしょうか。
 
 よろしくお願いいたします。
 
2010/10/21
 
 どうしてわざわざ「市長への手紙」で質問したのかというと、これがきわめて重要な問題だからである。
 
 重要であるがゆえに、いちいち市民から尋ねられる以前に、名張市がちゃんと考えてちゃんと決めておくべき問題でもあった。
 
 市事業の民間委託がどうのこうのというのであれば、どうのこうのいうときにちゃんと考え、ちゃんと決めておくべき問題であった。
 
 じゃが、名張市はそれをせんかったわけよね。
 
 いつもいってるとおり、そもそも名張市には、ちゃんと考えてちゃんと決める、というあたりまえのことができないわけ。
 
 しかも、これも以前からいってるとおり、とくにまちなか再生事業にかんしていってきたとおり、名張市にはジャスティスやフェアネスということばが存在しとらんわけな。
 
 公正とか、公平とか、平等とか、そういう概念が存在してないわけよね。
 
 そのうえ、ちっとはてめーらのおつむで考えてみろこら、と市民が切なるお願いをしたならば、なんと耳の穴から黒い煙をもくもく吐き出しながらぶっ倒れてしまうお茶目さん、それが名張市なのである。
 
 だからまあ、「市長への手紙」担当職員のかたにおかれては、10月21日付のおれの質問へのお答えは、念のために名張市の顧問弁護士にもご相談いただいたうえでお書きいただいたほうがいいと思うぞ。
 
 以前にも記したとおり、頂戴する回答はこうした場合の指針やガイドラインとなるはずのものなんだから、思いつきだの脊髄反射だのみたいなお答えでは、今後に禍根を残すことにもなりかねないっちゃよ。
 
 ということで、この問題にかんしては、「市長への手紙」の回答が届いたあとで、またあらためて考えてみたい。
 
 (b)貴セクションにお訊きするのは筋違いかもしれませんが、名張市公式サイト「なぞがたりなばり」のページ(http://www.city.nabari.lg.jp/hp/menu000009200/hpg000009144.htm)にどうして第18回がみあたらないのでしょうか。
 
 第18回芦辺拓先生の講演の原稿起こしが完了していないからです。現在はテープ起こしをした粗原稿をチェックしています。ちなみに過去の講演の録音テープも順次原稿起こしをしています。
 
 了解。
 
 ということにしておくか。
 
 もしもツッコミを入れるとすれば、どんなことになるのか。
 
 当該ページがこれである。
 
名張市公式サイト:なぞがたりなばり
 
 ごらんのとおり、このページに当然あるはずの「第18回なぞがたりなばり」という項目がない。
 
 理由は、「芦辺拓先生の講演の原稿起こしが完了していないから」であるという。
 
 かりに、あくまでも、かりに、の話だが、ツッコミを入れるとすれば、ならば第十五回はどうよ、といったことになる。
 
名張市公式サイト:なぞがたりなばり > 第15回なぞがたりなばり
 
 ごらんのとおり、「有栖川有栖氏の講演録は現在作成中です」とある。
 
 つまり、第十五回も第十八回も、講演録がまだできあがっていない、ということである。
 
 じゃというのに、「第15回なぞがたりなばり」という項目はあっても、なぜか「第18回なぞがたりなばり」という項目はないのじゃからのうばあさんや。
 
 ふしぎなことじゃのうじいさんや。
 
 ふつうなら、「なぞがたりなばり」のページに「第18回なぞがたりなばり」という項目も立ててじゃな、そのリンク先のページに「芦辺拓氏の講演録は現在作成中です」と書いておく、ということになるのではないかのう。
 
 てゆーかそれ以前に、第十八回は二年前の秋、第十五回は五年前の秋の開催なんだから、そのへんどうよ、というツッコミも可能なんだけど、ま、すべて不問に付してしまう。
 
 了解、ということにしてしまう。
 
 このあたりをスルーしても、漫才のネタならほかにごろごろ転がっておるからな。
 
 回答をお寄せくださった地域経営室のみなさんにお礼を申しあげ、おつぎは乱歩蔵びらきの会からの回答である。
 
 こちらもまず、現物のJPG画像をごらんいただく。
 
20101029b.jpg
 
20101029c.jpg
 
20101029d.jpg
 
 で、順にみてゆく。
 
 平成22・2010年3月21日に催された第19回ミステリー講演会なぞがたりなばりについてお訊きします。
 
 (1)講演会の有料入場者数は何人だったのでしょうか。
 
    45名です。
 
 うーん。
 
 いきなりおかしいのうばあさんや。
 
 会場で数えてみたところ、四十人を切っておったのはたしかなのじゃが。
 
20100324a.jpg
 
 この写真の入場者数を数えてみたところ、三十四人である。
 
 撮影者であるおれも有料入場者だから、ひとり増えて三十五人。
 
 ただし、この写真の入場者には、乱歩のご遺族、日本推理作家協会のスタッフ、たぶん徳間書店だと思うんだけど出版社の編集者、そういったみなさんも含まれていて、入場料は頂戴していないはずである。
 
 かりに頂戴しておったとしても、この写真の時点における有料入場者は三十五人なのである。
 
 撮影したあとから入場してきた人がいた、ということはなかったと思うし、だいたいおれはこの日、今野さんのおはなしを最後まで聴講して、いやー、四十人に届かなかったなあ、とあらためて思った記憶があるから、四十五人という数字は信じがたい。
 
 あるいはこれは、当日販売分も含め、売れたチケットが四十五枚であった、ということなのであろうか。
 
 なんかようわからんけど、うーん、いきなりおかしいなあ、これこそほんとに謎だよなあ、とか思いつつ、つづきはあしたということにしようかのうじいさんや。
 涼しいというより、寒い。
 
 ほんとに寒くなった。
 
 しかも、きょうは名張のまちのお祭りだというのに、朝から雨模様である。
 
 お祭り見物に出かけるのは、やめにしようか。
 
 24日の日曜日、伊賀市まで足を運んで、上野天神祭の足揃えの儀を見物し、小玉町のストークでカレーを食べてきたことでもあるから、今年の名張祭りはスルーということでいいか。
 
 みたいな話はいいとして、名張市民のみなさんにお礼を申しあげなければならない。
 
 きのう、名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して二銭銅貨煎餅その他をおねだりしたところ、さっそくお聞き届けいただいた。
 
 きのうのうちに頂戴したご返事がこれ。
 
中 相作 様 
 
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
 
二銭銅貨煎餅、ノーベル製菓の飴、PRパンフレットの件、承知いたしました。
講演の成功をご祈念申し上げますと共に、名張のPRもよろしくお願いいたします。
 
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
 
平成22年10月27日
 名張市長 亀井利克
 
 けさ、次のようなメールを送信した。
 
 メール拝受いたしました。さっそくお聞き届けいただき、お礼を申しあげます。お手数をおかけいたしますが、ご送付は下記の宛先にお願い申しあげます。神戸探偵小説愛好會の代表のご自宅です。
 
■■■■■■■■■■■■
 
 よろしくお願いいたします。
 
2010/10/28
 
 「■」で伏字としたのは、個人情報保護のため三行にわたって削除した箇所である。
 
 名張市民のみなさんの血税で二銭銅貨煎餅を購入していただくわけであり、心からお礼を申しあげる次第である。
 
 市民のみなさん、どうもありがとう。
 
 ついでに宣伝しとくと、講演会はこんな感じ。
 
20101028a.jpg
 
 講演タイトルは「仮題」とあるが、まんま「横溝正史と江戸川乱歩」で本決まりである。
 
 考えてみれば、このパターンで日本全国津々浦々、どこへ行ってもそれなりの講演ができるのではないか。
 
 伊賀市へ行ったら、川崎克と江戸川乱歩。
 
 津市へ行ったら、藤堂高虎と江戸川乱歩。
 
 桑名市へ行ったら、辰野九紫と江戸川乱歩。
 
 県境を越えて名古屋へ行ったら、小酒井不木と江戸川乱歩。
 
 岡戸武平と江戸川乱歩、なんてのもあるでよ。
 
 いやいや、そんなことはまあどうでもいいとして、きのうは名張市企画財政部地域経営室からもメールを頂戴し、さっきこんな返信を送信したところである。
 
 メール拝受いたしました。添付していただいたファイル三点──「乱歩蔵びらきの会回答」「地域経営室回答」「乱歩蔵びらきの会会則」──もたしかに落掌いたしました。お手数をおかけいたしました。ご丁寧なお答えをたまわり、お礼を申しあげます。乱歩蔵びらきの会のみなさんにもよしなにお伝えください。またあらためてメールをさしあげます。今後ともよろしくお願いいたします。
 
2010/10/28
 
 乱歩蔵びらきの会への質問には、「ご回答は当方のブログで公開いたしたいと考えておりますが、もしも差し支えがある場合には、その旨をお知らせいただければ非公開といたします」と記しておいたのだが、非公開とせよ、との指示はなかったので、ご閲覧の諸兄姉に全文をお読みいただくこととするが、残念なことにけさは時間がない。
 
 またあした、ということでどうぞご勘弁を。
 
 ではでは、名張市民のみなさんに重ねてお礼を申しあげつつ。
 秋も深まって、そろそろ冬である。
 
 寒くなったなあ、とか思いながら、名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して、こんなお願いを送信した。
 
 いつもお世話さまです。
 
 11月23日、神戸市で開催される「横溝正史先生生誕地碑建立6周年記念イベント」で、「横溝正史と江戸川乱歩」と題した講演をおこなうことになりました。
 
 横溝正史の生誕地碑は2004年11月23日、神戸市中央区東川崎町に建立され、それ以来毎年、東川崎ふれあいのまちづくり協議会と神戸探偵小説愛好會の主催による記念イベントが実施されております。
 
 ちなみに、昨年の講師は有栖川有栖さんで、神戸新聞でこのように報じられました。
 
横溝正史の生誕地碑建立5年 有栖川有栖さん講演
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0002534221.shtml
 
 つきましては、昨年10月、ミステリー文学資料館の「トーク&ディスカッション」の際にもたいへん厚かましいお願いを申しあげ、ご快諾をいただいた次第でしたが、今年も昨年同様、ご来場のみなさんに山本松寿堂の二銭銅貨煎餅を一袋ずつお配りいたしたく、また昨年は、ノーベル製菓の乱歩飴をあわせてお送りいただくご高配をたまわり、こちらも来場者のかたにおおいに好評でしたので、例によって厚かましいお願いではありますが、二銭銅貨煎餅と乱歩飴をそれぞれ五十袋、それから、名張市をPRするパンフレットなどがございましたらお手数ですがそれもいっしょに五十部、横溝正史生誕地碑の建立六周年記念イベントにお送りいただければまことに幸甚に存じます。
 
 不躾なお願いでまことに恐縮ですが、名張市のシティセールスにわずかながらも寄与できる機会であると判断されますので、なにとぞお聞き届けいただきたく、もしもご承諾いただけましたら送付先などをあらためてお知らせいたしますので、勝手ながらご返事をお待ち申しあげる次第です。
 
 よろしくお願いいたします。
 
2010/10/27
 
 お願いというよりも、ま、ゆすりたかりである。
 
 おらおらおらおら。
 
 ゆすられたかられる名張市民のみなさんには、あらかじめお詫びを申しあげておく次第である。
 
 しかし、二銭銅貨煎餅も乱歩飴も、去年はなかなかの好評であった。
 
 今年もなんとか、乱歩生誕地の市民からのプレゼントとして、講演会においでくださったみなさんにお受け取りいただけたらうれしいな。
 
 そういえば先日、竹中英太郎記念館に二銭銅貨煎餅をお送りしたのじゃが、やはりそこそこ喜んでいただけたみたいであった。
 
竹中英太郎記念館 館長日記:名張市の中 相作様から・・・・・・・(2010年10月8日)
 
 二銭銅貨煎餅、なんと、竹中英太郎の霊前に供えていただいたという。
 
 ありがたいことではないか。

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