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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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5月26日付エントリ「観阿弥vs乱歩 離」に、ブログ「てらまち・ねっと」からトラックバックがあった。トラックバックというのは、ブログの機能のひとつである。

IT用語辞典:トラックバック(track back)

「てらまち・ねっと」は、岐阜県山県市の市議会議員、寺町知正さんのブログである。といったことはトラバっていただいてはじめて知ったのだが、ともあれ、トラックバック元がこのエントリ。

てらまち・ねっと:◆ふるさと納税/納税者自ら使途を指定して寄付すれば、住民参加の典型になる(6月12日)

いわゆるふるさと納税つながりのトラックバックである。思いも寄らぬことを教えていただいた。ふるさと納税制度を利用して個人的に目的税を実現する試み、といったことになろうか。エントリから要点を引用。

   
ふるさと納税は、「自分の住んでいない自治体への寄付」が宣伝されているところ、それはそれでいいとして、自分の自治体への寄付にも活用できること。

その際に、「指定寄付」として使途を指定することで、今まで納税しっぱなしで使い道に納得できなかった住民税について、新たな負担増なく、自治体に「この仕事に使うべし」と『刻印付の納税』ができるのではないか、と言うこと。

山県市6月定例会における寺町さんの一般質問通告文からも引用。

   
質問事項:ふるさと納税の検討状況と指定寄付による住民参加のすすめ

1. 自分の住む自治体から他の自治体に寄付をできると宣伝されている「ふるさと納税」である。市からすれば、市民が他の自治体に「ふるさと納税」すると市の減収になるので重要なことだが、俗にいう「ふるさと納税」は、実は現在住んでいる自治体に対しても適用できる制度との理解でよいか。

2. その際、納税者が使途を「福祉のために」と総枠的に、あるいは「この事業のために」と具体的に指定した場合、自治体側は、「使途の指定」を含めて拒否できないと理解してよいか。

3. 「指定寄付」はどのような手続きが必要か。

4. 市外の人が山県市に寄付することもあり得る。俗にいう「ふるさと納税」の場合でも、各自治体が、受け皿的に各種基金を設けている、受け入れ寄付の使いみちを例示している、などのことは想定されるが、そのことに関係なく、寄付者側で「指定寄付」することができると理解してよいか。

5. 市内の寄付、市外から寄付、市外への寄付につき、それらの交付税への影響はどのようか。

6. 「ふるさと納税」にからみ、自治体としては、納税者側が寄付をしようと思うアピールや体制が必要なのは明らかだ。
ふるさと納税一連の施策について、検討状況と今後の予定はどのようか。
市においては「基金」など、明確な目的および使途の確約が提示できかつアピールできるシステムが必要ではないか。そのために、基金を設置してはどうか。
また、基金は基金として、外部にアピールするために何を想定するのか。

ふるさと納税制度を利用して、現在ただいま住んでいる自治体に、使途を指定したうえで、住民税の一割なら一割を寄付する。考えてみたこともなかったが、なかなか面白い発想だと思う。これがほんとに実現可能なのであれば、たとえば、手前はやなせ宿の運営費としてこれこれの額を寄付いたします、といったこともできるようになるのかもしれない。あるいはもっとピンポイントで、あの無駄に立派な公衆便所の掃除代として、といった限定も可能になってくるのかもしれない。関係各位にはじつに耳寄りな話であろう。

ちなみに、ふるさと納税制度にかんしては、名張市にはこんな声がある。

三重県名張市の市政について語りませんか?:193 名無しさん@お腹いっぱい。

2ちゃんねるの匿名投稿だからどの程度の信を置くべきかという問題はあるにしても、「ふるさと納税制度利用して14万円を伊賀市に寄付することにしました」といった行動に出る市民が存在するらしい。「もう今の名張市には何の期待もできません」と名張市は愛想をつかされているらしい。無理もないかも、と思ってしまうのが市民としてはつらいところなのであるが、ほかにはこんな声もある。

三重県名張市の市政について語りませんか?:204 名無しさん@お腹いっぱい。

根拠は不明ながら、「ふるさと納税は伊賀市にプラス、名張にはマイナス 顕著に現れるでしょう」との予測を立てる市民も存在している。もっとも伊賀市だって、昨年4月に起きた市長耐震ゴルフ事件、元総務部長のGJによって明らかにされた在日特権問題、ちかくは死者ひとりを出した風呂なし医師点滴騒動といったぐあいに、そこそこ全国的に耳目を集めながら着実にマイナスポイントを稼いでいるわけだから、実際どんなことになるのかはよくわからない。

われらが名張市の6月定例会においても、ふるさと納税制度が議案第五十七号「名張市ふるさと応援基金の設置、管理及び処分に関する条例の制定について」あたりでネタにされ、6月18日に開かれた総務企画委員会で協議がおこなわれたらしいのであるが、ふるさと納税で名張市民が名張市に指定寄付することはできるんだっけ? みたいな話は出なかったものと推測される。委員会の報告は、まあ、あるにはある。

「名張を本気で変える!!」田合たけしの活動日記:総務企画委員会(6月16日)

ただし、このブログには客観性というものがまるで見あたらず、それゆえびっくりするほどひとりよがりな記述がつづくばかり、しかも最近は消防団活動のあいまにほそぼそと議員活動やってます、みたいな感じにすらなってきていて、市議会議員によるまともな議会報告、などといったおもむきは望むべくもない。だから、何も望まぬ。ま、気が向いたらしっかりしてみてくれんかね、といっておくしかないではないか。

ここで、ふるさと納税制度にかんする私見をあらためて述べておくと、すでに制度化されてしまっているんだから、せいぜい利用すればいいんじゃね? ということである。この一点にかんしては、三重県知事とも主張をおなじくしている。それでもって、名張市はどうよというに、過日の新聞報道によれば、名張市ふるさと応援基金のテーマというのがこんなん。

(1)市民主体のまちづくり
(2)水と緑のまちづくり
(3)子供が輝くまちづくり
(4)歴史文化のまちづくり
(5)生涯現役のまちづくり
(6)ふるさと名張の未来に寄与するまちづくり

こんなうすぼんやりした選挙公約みたいなものを並べてみたところで、訴求力なんてこれっぽっちもありゃせんじゃろうが、とかつて記した次第であるが、6月18日の総務企画委員会においてはおそらくたぶん、このまんまゴーサインが出たものであろうなと推測される。正直、「もう今の名張市には何の期待もできません」という市民が出てくるのも無理からぬことかもしれんなあ。とはいえ、ふるさと納税制度を利用して個人的に目的税を実現する試みについては、ここ名張市においても一考あってしかるべきかと判断される次第ではあるが、いったい誰が一考するってんだよ、とか尋ねられたら、さあ? とか答えるしかないのがつらいところか。ほんっと、大丈夫か。

ブログ「てらまち・ねっと」にお礼のコメントを、とも思うのだが、なんだかこっ恥ずかしい気もするので、寺町知正さんへの謝意をここに表しておくこととする。
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困ったものである。困った困った。じつに困った。名張市公式サイト「市長への手紙」のことである。

5月15日、「市長への手紙」に質問を送った。名張まちなか再生プランで歴史資料館として整備されることになっていた細川邸が観光交流施設のやなせ宿に変更された理由は何か、との質問である。音沙汰がないので、五日後に催促した。答えてくれるのか答えてくれないのか、それを答えてくれとお願いした。やはり音沙汰がない。だからこんどは、答えてくれるのか答えてくれないのかという質問に答えてくれるのか答えてくれないのか、それを質問しなければならぬのであろうか。やっとれんがな。

困ったな、と思いつつGoogle検索。

Google:名張市 市長への手紙

こんなのがひっかかってきた。

プリントショップRANDOM:Re:返信:[mail2] 市長への手紙

名張市の消防団活動にかんして「市長への手紙」に質問を投じたところ、ちゃんと返事がきたというではないか。その返事の全文が掲載されているのだが、「まあ、興味があれば読んでください。市長への手紙を書く気がなくなりますけど」というブロガーのコメントが笑える。というか、市民のひとりとしてなさけない気がする。たしかにこの返事、なんとも杓子定規な通り一遍の説明に終始していて、質問した側にとってはとても満足できる回答ではなかったであろうと思われるのだが、ともあれ、「市長への手紙」にはちゃんと回答があるらしいではないか。どうして当方だけがネグレクトされるのか。

つづいて、こんなのもあった。

名張市公式サイト:平成18年名張市議会第319回定例会会議録 第4号

名張市議会のおととし3月の定例会。一般質問に「市長への手紙」への言及があった。

   
次に、ある市民の方から市長への手紙を出したが返事がないので議会の場で答えてほしいとのことです。お尋ねをいたしますのでお答えください。
1点、ランニングコストのかかる奥鹿野へ決めたのはどのようなシミュレーションをしたのですか。
2点目、焼却炉の機種について、他市、どこのメーカーのものを採用しているのかについても比較検討されておりますか。
最後に、1万1,300人の署名による名張のごみは名張で処理するのが基本、伊賀市奥鹿野への建設は反対、名張市内に建設してほしいという市民のこの切実な思いを市長はなぜわかっていただけないのですか。名張市には土地はない、それは理由にはなりません。市の所有地はたくさんあると市民の知るところです。1カ所でも2カ所でもご自分でお願いに行かれましたか。具体的にお答えください。

市長答弁も引いておく。

   
それから、市長への手紙のことについてでございますけれども、これは市長への手紙は常に返させていただいてるわけでございますけれども、今それがちょっとまだおくれているということであろうかと思いますので、このことについてはご理解をいただきたいと思います。
このことにつきまして、先ほども申し上げましたが、平成16年4月に同地区への立地について議会での審議をいただいて以降、定例会ごとにご議論をいただくとともに、昨年7月に行ってまいりました市内14地区での市長のまちかどトークにおいてもご説明を申し上げてきたところでございます。しかしながら、議員からもお話がございましたとおり、市長への手紙としてもいただいている状況にありますことから、振り返ってその内容についてご説明を申し上げます。

「市長への手紙は常に返させていただいてる」と市長が言明していらっしゃる。ただし、「今それがちょっとまだおくれている」みたいなケースはあるようだから、当方への回答もまだ遅れているということか。いやいや、ごく簡単な質問ではないか。答えてくれるのか答えてくれないのかそれを答えてくれと、(a)回答する(b)回答しない、という二者択一方式で尋ねているのである。「常に返させていただいてる」のであれば、(a)回答する、という回答が速攻で返ってきてもよさそうなものなのにね。
5月20日火曜、名張市役所の市街地整備室にメールを送った。

一部を引用。

   
それで、お答えいただきたい質問というのは、要するに、13日付メールで「いやがらせのための施設利用は許可いたしかねます」とのお知らせをいただきましたので、当方はいやがらせなどいたしませんとお伝えした次第で、ですから私がやなせ宿を利用することにはなんの問題もないはずなのですが、ご判断はいかがなものでしょうか、といったことです。ごく簡単な質問であるにもかかわらず、どうしてご回答を頂戴できないのでしょうか。

そもそも、お答えはいただけるのでしょうか。いただけないのでしょうか。とりいそぎその点を確認いたしたく思います。

(a)回答する
(b)回答しない

(a)か(b)かのいずれかでお答えをいただければと思います。ご多用中恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

2008/05/20

21日水曜の朝、市街地整備室から電話が入った。やなせ宿について話したいことがあるから、これから訪問したいという。あいにくと当方、目先の仕事で手が離せない。午後3時以降なら時間が取れるので、その時刻に名張市役所まで足を運ぶと伝えた。

午後3時、名張市役所一階ロビー。市街地整備室からは、残念ながらやなせ宿を利用していただくことはできない、との意向が伝えられたのだが、理由がはっきりしない。やなせ宿や名張まちなか再生委員会を批判する集会にやなせ宿を貸すわけにはいかない、といったことらしいのだが、論理も根拠もあったものではなく、どうにも雲を踏むような話でしかない。そこでやや視点を変え、その決定はいったい誰がくだしたのか、と尋ねた。

やなせ宿をつかわせないならつかわせないでいいけれど、それはやなせ宿を運営するまちなか運営協議会の決定なのか、と質問すると、そうではなく、名張市の判断であるという。これもまたおかしな話である。やなせ宿の運営主体はまちなか運営協議会ということになっているのだが、その主体性というのはいったいどのようなものなのか。まちなか運営協議会にはやなせ宿の利用許可にかんする権限がなく、誰につかわせるか、誰につかわせないか、いちいち名張市におうかがいを立てなければならないというのであれば、まちなか運営協議会はやなせ宿の運営主体なんかでは全然なく、ただの管理人じゃねーかばーか、とみるべきであろうと考えられる次第なのであるが、そのあたりをつっついているとまたややこしくなる。

ごくわかりやすい点をつっつくことにして、やなせ宿の利用許可にかんする判断は名張市がくだすというのであれば、その判断の最終的な責任者は名張市長ということになるのだが、そんなふうに認識しておいていいのかな、と尋ねた。確認するまでもなく、これはあたりまえの話である。ただ、この質問はちょっと酷かもしれないなとも思われた。一介の市職員がその場でうかうかはっきり答えてしまったりしたら、あとあとえらいことになるのは眼にみえている。だから、その質問にたいする答えは保留ということにして、その日の話し合いはそのあたりで水に流し、もう少しよく考えたうえであらためて返答してくれと依頼して、一時間あまりにおよぶ面談を終えた。

名張市の市長は市民の言論を平気で封殺する、などということが公になったら、それはやっぱり、いくらなんでも、とてもとってもまずいことになってしまうであろう。こちらはやなせ宿で講演をおこないたい、と希望している。その講演内容を知ろうともせず、講演には使用させませんといきなり頭ごなしに否定してくるのが名張市であり、つまりは名張市長である。それはもう完全に、名張市長が市民の言論を封殺しているということにほかならない。その判断基準は何か。要するに好悪である。快不快である。講演会なんか開かれて、耳障りなことや耳に痛いことを吹きまくられるのはいやだもん、といったことでしかない。あたかも幼児のごとき判断基準である。

むろん、実際のところは知らない。誰がどこでストップをかけているのか、善良な市民には知りようがない。しかし、かたちのうえでは、やなせ宿で講演をおこないたいという当方の申し出が名張市によって一蹴されるのであれば、名張市長が市民の言論を封殺したということになってしまうのである。もしもほんとにそんなことになってしまったとしたら、これはもうなんとも面白い展開だというしかないであろう。当方はまたぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ、鬼の首でも取ったみたいにぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ、いいだけわめきまくることになるはずである。関係各位はご注意めされよ。

こんどは24日土曜のことである。市街地整備室から、また電話が入った。むろんやなせ宿にかんする連絡で、とりあえず利用の申請書を提出してくれとのことであった。申請はいつから受け付けるのかと尋ねると、6月3日からだという。それは承知しているけれど、電話で仮申請を受け付けているのではないかと確認すると、たしかに受け付けているけれど、いろいろ先約が入っていてなんとかかんとか、との返事である。やれやれ。しかしかまわん。かまわんかまわん。どうだってかまわん。もういうとおりにしてやっがら。6月3日以降、お望みの申請書とやらを出してやっがら。それで文句はねーんだべな。

それにだいたいあれである。きのうも記したそのとおり、来たる6月1日の総会において、当方が名張まちなか再生委員会の委員長になってしまうかもしれんのである。そうなったら委員会主催で講演会をぶちかますことになる。講演では、さあみなさん、きょうも暑い一日となりましたが、やなせ宿は快適です、真新しいエアコンが快適な環境を保ってくれているからです、ところでこのエアコンを納品したり工事したりした業者はといいますと、以下略、みたいなことも洗いざらいばらすことになるかもしれないから、関係各位はご注意めされよ。

さて、市街地整備室にメールを送信したのとおなじ5月20日火曜、名張市公式サイトの「市長への手紙」にも投稿した。

文面はつぎのとおり。

   
5月15日に、つぎの質問をお送りしました。

・名張まちなか再生プランで歴史資料館として整備されることになっていた細川邸が観光交流施設のやなせ宿に変更された理由は何か。

そもそも、お答えはいただけるのでしょうか。いただけないのでしょうか。とりいそぎその点を確認いたしたく思います。

(a)回答する
(b)回答しない

(a)か(b)かのいずれかでお答えをいただければと思います。ご多用中恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

2008/05/20

かように催促したにもかかわらず、回答はまだである。複雑な話ではまったくない。答えてくれるのか答えてくれないのかそれを答えてくれと依頼したのに、答えてくれるのか答えてくれないのかそれを答えてくれないのである。どうなっておるのか。ただまあ、これも言論の封殺であることには変わりがないであろう。質問に答えようとしない。相手の言論を無視してしまう。相手の存在を完全に黙殺してしまう。オーウェルの「一九八四年」ふうにいえばアンパーソンにしてしまうということなのだが、こんな幼稚拙劣な手法がこの時代、首尾よく通用すると本気で思うておる人がいるのかしら。

さてさて、本日のテーマ、レスポンスの比較である。5月20日というおなじ日、ほぼ同時刻に、名張市役所の市街地整備室と名張市公式サイトの「市長への手紙」にアプローチしてみたところ、前者からは上述のごとき反応があったのだが、後者からはなんの音沙汰もない。すなわち、レスポンスそのものがない。市街地整備室のレスポンスにもいいお点はさしあげられないのであるけれど、レスポンスがあったことはおおいに多とするべきであろう。よって、レスポンスの比較はつぎのごとし。

市街地整備室>>>(越えられない壁)>>>「市長への手紙」

しっかりしろよな。
さきおとといからきのうにかけて、連投のはずが連休になってしまった。いろいろ考えなければならぬことがあったのだとお思いいただきたい。やや飲みすぎでややへろへろ、という事情もあるにはあったのであるが。

さて、三連休のあとの本日は守破離の離、序破急守破離の最終戦となる。

5月17日:観阿弥vs乱歩 序
5月18日:観阿弥vs乱歩 破
5月19日:観阿弥vs乱歩 急
5月21日:観阿弥vs乱歩 守
5月22日:観阿弥vs乱歩 破

それでいったい、なんの話であったのか。ふるさと納税制度の話である。5月24日付伊和新聞の「記者ノート」に、この話題がとりあげられていた。5月15日に開かれた市議会総務企画常任委員会で、名張市がこの制度を受けて「ふるさと応援基金」なる制度を新設すると発表したという。

引用。

   
○…ふるさと納税制度ができたことはご存知だろうか─。都市の納税者が故郷の町に納税できるという制度だ。自分がやってみようと考えた人はいるかも知れない。これが、本格的に実施されれば、東京都などの都会の財源に影響がでるといわれている。「このような法案が成立するとは思っていなかった。名張市は元の人口は3万人、新住民の方が多い」とここでも税収を心配する市長(同区長会で)。[引用者註──「同区長会」は5月14日に開かれた名張市区長会総会のこと。その席で市長が「道路特定財源がなくなると、自治体は借金の返済財源がなくなる。そこで、地方は激しく国に陳情している」と述べたことを受けている]
○…同制度は、故郷の自治体に寄付した場合、その金額より少し減額されて、現住地の自治体へ納める住民税から、控除されるというもの(計算式がある)。

誤認があるので、まずそれを訂しておく。ふるさと納税制度には、「故郷の自治体」という限定は存在しない。この制度を利用すれば、生まれ故郷はもちろんのこと、縁もゆかりもない自治体に寄付することだってできるのである。

適当なウェブニュースをリンクしておく。

中日新聞:ふるさと納税 ぜひわが県へわが町へ HPで情報を提供 郷土愛をくすぐる環境保護を訴え(2月21日)

そもそも、ふるさと納税というネーミングがよろしくない。じつにまぎらわしい。この記事にあるとおり、「住所地ではない自治体に『寄付』する制度であり、『納税』ではない。また、『ふるさと』は『以前に住んでいた自治体』と限定されておらず、個人的に応援したい自治体に寄付することも許容範囲だ」というのがふるさと納税制度なのであるが、伊和新聞の記事を読むかぎり、生まれ故郷にしか寄付ができないといった思い込みに立って、総務企画常任委員会の議事が進められたような印象がある。名張市による説明に不備があったのか、あるいは記者個人の思い込みか、そのへんはよくわからない。

ともあれ、名張市が新設する基金のテーマとして掲げられるのが、5月16日付毎日新聞でも報じられていたが、この記事によればこれである。

(1)市民主体のまちづくり
(2)水と緑のまちづくり
(3)子供が輝くまちづくり
(4)歴史文化のまちづくり
(5)生涯現役のまちづくり
(6)ふるさと名張の未来に寄与するまちづくり

選挙の公約じゃねーんだぞばーか、との批判はすでに記したが、この日の常任委員会では、議員からこんな発言があったという。

「ばくぜんとしたものに寄付が集まるとは思わない。事業と目標金額、期限を決めた募金でないとだめだ」

「神社の造営の寄付でも、何度も足を運び、寄付金額を公表することで協力が得られる」

「名張市の原住民は3万人、新住民は5万人。名張市以外にふるさとを持つ人が多い。入るより出る方が多いのではないか」

「名張出身者で、居住地の行政が気に入らないので、名張市に寄付をするという人がいるかも」

名張市議会というのは、もしかしたら乞食の集まりででもあるのだろうか。さもしく、あさましく、いじましいことばっか口走られても、市民としては困ってしまうではないか。そんないちゃもんをつけてる暇があるのだったら、たまにゃ有効な提案でもしてみたらどうだ、と思われてならぬのであるけれど、名張市議会のアベレージはこんなところかもしれない。なにしろ、結構ひどいらしい。

やはり伊和新聞の4月19日号、コラム「伊和天地」にこんなことが記されていた。

   
▼伊賀市の議長選挙で、候補者に共通した所信表明があった。「議会基本条例で決められた議会報告会を充実させる」「チェック機関としての使命を忘れることなく、行政との緊張関係を維持する」公約だ。つまり、議会報告会を通じて市民との接触を保ち、市民の意見を常に聞く、行政を常にチェックし、行政との馴れ合いをしないというものだ▼当然、明白の行動だが、名張市議会では実現していない。名張市議会では、行政に協力しない議員は、議長にはなれないといわれている。過去、議案に反対した議員は、議長にはなれないという不文律があるそうだ。これでは、行政を監視することはおろか、市民を代表して意見を述べることもできない▼名張市議会の歴代には、市長の番頭だといわれる議長も存在した。議会は市民に代わって市長や行政マンを監視するのが本来の仕事だが、市長や行政の手助けをやり、本来、副市長が行うべき議会工作や外部との工作、調整に走る番頭議長も。言い換えれば、市民が雇っているガードマンが、監視の対象者と馴れ合いになっているということだ

市議会議員がガードマンなのかどうかという問題はさておいて、ここに書かれていることがほんとだとしたら、困ったもんだよなあ名張市議会。議長になるためには議員の本分を抛擲し、恥知らずにも行政べったり、ずぶずぶなあなあの泥沼に首までどっぷりつからなければならんのか。ポチしか議長になれんのか。げんにまあ、議長はポチなのであるけれど。

そういえば、やはり伊和新聞、5月17日号の「記者ノート」には、「議会の沈黙に疑問の声/富貴ヶ丘民営保育所問題」との見出しが立てられ、こんなことが報じられていた。

   
○…亀井名張市長に提出された幼稚園、保育所の一元化を検討する「名張市就学前教育・保育に関する検討委員会」の提言書が13日、同じく教育民生委員会に報告された。担当監の説明後、吉住委員長は「本件は報告ということにとどめたい」と発言し、議員も了承した。
○…提言書には付帯意見として「富貴ヶ丘の民設、民営保育所設置は、結果として議論の混乱を招いたことは遺憾である」と書かれていたが、担当監は全く触れなかった。名張市が富貴ヶ丘の市有地に、民間保育所の誘致を進めている計画に対し、市内の3幼稚園経営者が2月、異議申し立てと計画の見直しを求める意見書を提出していた問題だけに、何らかの発言があるものと思われたが、出席議員もあえて?触れなかった。
○…この件について本紙に投書があった。「大阪で無認可の保育所を営んでいる株式会社が、名張市の土地を無償で借り受け、財政非常事態宣言をしている名張市が、建設補助金と運営費を出すという話について、名張市は何を考えているのか。どうして議会はチェックしないのか」という内容だ。「議会の沈黙はどうしてなのか」という疑問も当然か。

議員先生に沈黙してもらったりしてた日にゃ市民の立場がねーじゃねーか、と善良な市民のひとりとしては思わざるをえない。ほんっと、大丈夫か名張市、と善良な市民には案じられてならぬ次第なのであるけれど、それ以前の問題として、話が横道にそれすぎてしまった。伊和新聞で報じられた名張市議会のおそまつさについ眼を奪われてしまった結果なのであるが、こんなことではいかん。本題はあくまでもふるさと納税制度であり、それにからむところの「観阿弥vs乱歩」というテーマが、序破急守破離とつづいた六連戦の命題なのである。

とはいえ、命題の答えなら最初から知れている。これまでみてきたとおり、観阿弥と乱歩という名張市の二枚看板、ここからあえてどちらかを選択するとなれば、選ばれるべきはやはり乱歩であろう。したがって名張市が、ふるさと納税制度で能楽振興をはかりますとぶちあげるだけで、乱歩のことは知りませんなんてことにしてしまうのだとしたら、それはずいぶんもったいない話である。だが、かりに、ふるさと納税制度を利用して乱歩顕彰を進めます、なんていってみたっておんなじことである。内容空疎なお題目であることには変わりがない。能楽振興であろうが乱歩顕彰であろうが、うわっつらだけのお題目をいくら掲げたって誰からも相手にされるわけがないのである。

それでまあ、これが結論なのである。なんというのか、ふるさと納税制度を受けて新たな制度を設けます、なんていってみたところで、うすぼんやりした選挙公約のごときテーマを並べることしかできない。つまりタクティクスというものがどこにもない。ふるさと納税の寄付で能楽振興をはかります、なんていってみたところで、具体的な方向性など何ひとつ示されることがない。やはりタクティクスが存在しないのである。観阿弥よりは乱歩のほうが看板として有効だから、という理由でこの能楽振興を乱歩顕彰にさしかえてみたところで、事情はまったくおなじである。観阿弥vs乱歩という二項対立を設定して、さてどっちがいいのかな、などと考えることじたいが無意味なのである。名張市がもう少ししっかりしないことには、てんで話にならんのである。

お題目を掲げるまえに、観阿弥であれ乱歩であれ、名張市はいったい何をどうするのか、どうしたいのか、明確な方向性を示すことが必要であろう。ふるさと納税制度なんてものがなくたって、そうした方向性をきっちり示すのはあったりまえの話なのである。そして、その方向性のもとで、いままで何をしてきたのか、どれだけの蓄積があるのか、それを検証することが不可欠である。その方向性の未来に、名張市はいったい何をみているのか、どんなビジョンをくっきりと描いているのか、その展望を明らかにすることが不可欠である。それをやらなきゃ話にならんだろーが、という話なのであるが、能楽振興や乱歩顕彰にはとどまらず、この名張市はそういったことが全般的にいたって苦手なようである。過去を検証することも未来を展望することもせず、ここ名張市では要するに、その場その場の思いつきだけでものごとが進められているらしいということは、細川邸改めやなせ宿の整備事業からもよくよく知られるところであろう。

大丈夫か名張市。ほんっと、大丈夫か。
Googleのあとは、Wikipediaで比較してみる。

Wikipedia:観阿弥

伊賀市、上野市といった地名はみえるが、名張市の名は発見できない。この項目にかぎっていえば、観阿弥と名張はまったくの無関係ということになる。

Wikipedia:江戸川乱歩

ここにはもちろん、名張の名前をみることができる。Wikipediaのみならず、一般的な百科事典のたぐいであれば、乱歩の出身地として名張が出てくるのは当然のことであろう。

たとえば、こんなぐあい。

Japan Knowledge:日本大百科全書

   
江戸川乱歩
えどがわらんぽ
[1894—1965]
推理作家。本名平井太郎。明治27年10月21日、三重県名張市に生まれる。

Wikipediaの乱歩の項目には、参考文献のリストが掲載されている。これがいかにもWikipediaらしく、わずか二点があげられただけのおそまつさなのだが、そのうちの一点が名張市立図書館の『江戸川乱歩著書目録』である。この項目を読めば、乱歩の出身地である名張市の図書館が乱歩の著書を収集して目録を発行したのだなということが、よほどのまぬけでないかぎり理解できるはずであろう。さらに、関連項目として三重FCランポーレも紹介されていて、名張市のサッカークラブが乱歩にちなんだ名前で活動しているのだなということが、やはりかなりのばかでないかぎり理解できるはずなのである。

要するに、Wikipediaの項目だけからでも、名張市が乱歩の生誕地であるという歴史的事実のみならず、乱歩と名張の現在における関係性も、ある程度は察しをつけることができるのである。つまりは、観阿弥よりは乱歩のほうが、名張市にゆかりが深いということである。むろん乱歩だって、たまたま生まれたというだけで、名張との関係性はごく稀薄である。しかしそれにしても、また、ポピュラリティの問題はべつにしても、観阿弥よりも乱歩が名張市の看板にふさわしいということは、確実にいえるはずなのである。

ついでだから、こんなGoogle検索も試みておく。

Google:観阿弥 名張
Google:江戸川乱歩 名張

さてそれで、能楽振興と乱歩顕彰の問題である。名張市がこのふたつをどう考えているのか、具体的なところはよくわからない。むろん実際には、何も考えていないとみるべきであろう。せいぜいが、たんに目先のこと、うわっつらのことだけでお茶をにごしている。それが現状であろう。

で、これをみてみる。

名張市公式サイト:名張市事務事業評価報告書(pdf)

昨年10月に発表された報告書から、観阿弥と乱歩に関連のある事務事業をピックアップしてみる。

まず、観阿弥ゆかりの能楽振興関連。

   
シートNO.
1104

事務事業名
ふるさと能文化振興事業

総合評価
継続(事務改善)

主な意見
・文化財保護、顕彰の立場か、投資戦略かが明確でない。「能楽のまち名張」を作り上げる戦略を明確にする必要がある。
・いかに経費を抑えるかを考え、教育委員会だけでなく、観光協会、商工会議所、その他民間団体との共催や協賛金収入等を検討すべきである。
・市民にばかりPRしているが、市主導で市外にもPRすることで、観光誘致、宿泊等にも繋げられる。市民と市外で料金を変えてもよい。
・他の能の町とのネットワークや担い手を育て、将来的に民間に実施してもらえるよう投資が必要である。

つづいて、乱歩顕彰関連。

   
シートNO.
1007

事務事業名
なぞがたりなばり講演会

総合評価
事業継続(拡大)

主な意見
・全面的に市で実施することが望ましい。現在の経費の範囲内で、全国PR等も必要。
・乱歩を起爆剤として観光集客の基盤を作るべき。

要するにまあ、評価そのものが目先だけ、うわっつらだけのものになっているわけであるが、肝心の事務事業が目先ばかりを追い、うわっつらをかいなでするだけのものなのであるから、これもいたしかたのないところか。いまさらことごとしく論評を加える気にもなれない。
念のため、辞書へのリンク

大辞泉:序破急

語釈のトップに「雅楽で、楽曲を構成する三つの楽章」とあることから察しをつけると、序破急というのは雅楽から出たことばであるらしい。能の世界でもつかわれるが、それは観阿弥の子、世阿弥が著した能の理論書「風姿花伝」に、この序破急なることばが使用されているからだと思われる。能の世界における序破急の、いうならば淵源が「風姿花伝」なのである。

この「風姿花伝」には問答集、つまりQ&Aコーナーみたいなパートがあって、その問いのひとつに、「能に、序破急をば、何とか定むべきや」というのがある。能においては、序破急ということを、どんなふうに決めればいいのでしょうか、といった意味である。すでに確立されていた序破急という構成原理を、能の世界ではどのように考えればいいのか、ということである。つまり序破急は、けっして能楽独自のものではなく、世阿弥の独創ということでもさらさらない。

おなじく三つの要素による構成を示すことばに、守破離というのがある。序破急にくらべて、あまり一般的ではない。ネット版大辞泉にも掲載されていない。そこで、小学館の精選版日本国語大辞典を引いてみる。「しゅばつ」のあとには「シュバリエ」がつづいていて、「しゅはり」という項目は立てられていない。ならば、と三巻本の精選版ではない十巻本のほうを引いてみる。「じゅばつ」「しゅはなお」につづいて、ちゃんと「しゅはり」が登場する。

引用。

   
しゅ-は-り【守破離】[名]剣道や茶道で、修業上の段階を示したもの。守は、型、技を確実に身につける段階、破は、発展する段階、離は、独自の新しいものを確立する段階。*茶話抄「守破離といふ事軍法用、尤用方間違ひ候へ共、茶道に取て申候はば、守は下手〈略〉破は上手〈略〉離は名人」

守破離というのは、たぶん能楽には関係のないことばであろう。もとより「風姿花伝」にはみられないことばで、世阿弥が使用していたとも考えられない。三つの要素によるコンポジションというかコンストラクションというか、構成法、構成原理、構成概念、そういったものを表現することばとしてまず序破急があり、あとになって守破離ということばが生まれたのだが、やがて両者が混同されて、守破離のルーツは能であり世阿弥であり「風姿花伝」であるといった誤認が生じるにいたったのではないかと推測される。

名張市公式サイト:施政方針 平成20年3月

このページに「能の世界に、『守破離(しゅはり)』という言葉がございます。原典については諸説あるようでございますが、一説では名張市とも深いかかわりがある能楽の大成者である観阿弥の子、世阿弥が遺した「風姿花伝(ふうしかでん)」に由来すると云われています。『守破離(しゅはり)』という言葉の「守」は師の教えを守る、「破」は自分の殻を破る、「離」はもっと先へ進んで従来の世界から離れ、新しい世界を創造するという意味でございます」とあるのも、そういった混同や誤認のひとつであるというべきだろう。

もともとは剣道や茶道、あるいは軍法といった世界でもちいられるようになったらしいことばを、名張が観阿弥ゆかりの地であることからやや強引に能と結びつけてみました、といった観が否めない。むりやり感が漂っているし、とってつけた感も否定できない。こういったむりやり感やとってつけた感があるかぎり、人の心に届く文章にはならないだろう。それにそもそも、能楽や観阿弥、あるいは世阿弥に興味をもっている人がこれを読んだら、おそらくは鼻白んでしまうことであろう。引いてしまうことであろう。そんな人にむかって、名張市はふるさと納税の寄付でもって能楽振興をはかります、などといっても笑われてしまうだけではないのか。

さてそれで、なんの話かというと、序と破と急の三回で終わるはずだったシリーズが、急を終えてもまだ終わらない、という話である。急のあとを何にするかと悩んだすえ、名張市の施政方針に鑑みて、守破離を踏襲することとした。きょうは急を受けての守である。すなわち、序破急三連投のあとは守破離三連投のシリーズとなる。あわせて六連投。鉄腕とお呼びいただきたい。

ではここで、観阿弥と乱歩の二枚看板、Googleを利用して比較してみる。

Google:観阿弥
Google:江戸川乱歩

ひっかかってきたのは、観阿弥が約2万3200件、江戸川乱歩が約72万6000件。といったようなことを試みるまでもなく、ポピュラリティにおいて乱歩が観阿弥を圧倒しているのは誰にだってわかる道理であろう。当代の日本人にとって、どちらがより親しい存在なのか。あえて尋ねるまでもない。名張市の看板として利用するのであれば、観阿弥よりは乱歩のほうが有効だということになる。

にもかかわらず名張市は、観阿弥と乱歩という二枚看板のうち、観阿弥にちなんだ能楽振興はそのままにして、乱歩顕彰とやらには知らん顔を決めこむことにしたらしい。乱歩が生まれた新町に一億円をかけて公共施設を整備しても、それを乱歩と関連づけようとはしない。

いやいや、5月10日と11日に催された見学会では、やなせ宿にも乱歩の年譜や写真が掲示されていたらしい。アドバンスコープの公式サイトで、その画像をみることができる。

アドバンスコープ:旬の映像 名張市旧細川邸「やなせ宿」来月オープンを前に内覧会(wmv)

些細なことにこだわるようだが、このニュース動画では、やなせ宿が「やなせしゅく」と発音されている。どうも気になる。こういった場合は当然、いわゆる連濁となって、「やなせじゅく」と読まれるべきだろう。「妻」は「つま」だが、「新妻」は「にいづま」である。「髪」は「かみ」だが、「乱れ髪」は「みだれがみ」である。そうか、新妻の乱れ髪か、ゆうべも乱れたのか、などと朝っぱらからよけいなことは考えなくてもいいのだが、とにかく「新宿」は「しんじゅく」であり「原宿」は「はらじゅく」なのである。それをどうして、ここ名張市では、「やなせ宿」をあえて濁らずに「やなせしゅく」と読ませるのか。どうにも意図がわからない。ま、やなせ宿にかんしてはわからないことだらけなのであるけれど。

さて、そのやなせ宿である。やなせ宿に乱歩のパネルが掲示されているからといって、それはただそれだけの話である。名張市立図書館の乱歩コーナーにあったパネルをちょっと移動してみました、というだけの話である。例によって例のごとき切り貼りにすぎない。まさかこの程度のことで、やなせ宿は乱歩顕彰に取り組んでおります、などと吹聴してまわるばかはさすがにいないだろうと思われるのだが、しかしなにしろ目先のこと、うわっつらのことしかわからない人間ばかりなのである。実際にどうなるのかは想像がつかないし、予断を許さない。

あすにつづく。守のあとは破である。
念のため、辞書へのリンク。

大辞泉:序破急

さて、観阿弥と乱歩。名張市が掲げるこの二枚看板のうち、観阿弥のほうは、ふるさと納税による寄付でもって能楽振興をはかります、といった方向性が示されて、前途洋々たるものがある。ところが乱歩は、なんだかどこかへ消えてしまったような印象である。桝田医院第二病棟跡はただの広場になってしまうだけだし、乱歩が生まれた新町にあるやなせ宿は、乱歩とはまるで無縁の、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館でしかない。むろん、名張市によって乱歩顕彰とやらの方向性が示されることも、みごとなほどにいっさいない。

どうしてこんなことになったのか、という点の考察は他日にゆずることにして、観阿弥vs乱歩、というテーマに沿って比較を試みる。いうまでもなく、名張市の看板としての比較である。

まず、辞書へのリンク。

大辞泉:観阿弥
大辞泉:江戸川乱歩

どちらの語釈にも、名張という地名は出てこない。地名ということでいえば、前者は「伊賀の人」、後者は「三重の生まれ」と、それぞれの出身地が記されているのみである。ただし、観阿弥が伊賀の人であるというのは、かつての通説ではあったとしても、現在ではやや乱暴な断定であるというべきだろう。

さらに、辞書へのリンク、と行きたいところだが、有償サイトに掲載されている辞書なので、直接ごらんいただくことができない。一部を引用する。

Japan Knowledge:日本大百科全書

   
観阿弥
かんあみ
 [1333—84]
南北朝時代の能役者、能作者。観世(かんぜ)流の初代大夫(たゆう)。実名結崎清次(ゆうざききよつぐ)、通称三郎、芸名観世。大和(やまと)(奈良県)の古い山田猿楽(さるがく)の家に生まれ、のちに結崎座(観世座)を創立する。1374年(文中3・応安7)初めて京都に進出し、12歳の長男世阿弥(ぜあみ)とともに今熊野(いまくまの)で演じた新しい芸能は、青年将軍足利義満(あしかがよしみつ)の心をとらえた。

項目執筆は増田正造さん。「大和(やまと)(奈良県)の古い山田猿楽(さるがく)の家に生まれ」と記されていて、観阿弥伊賀出生説は否定されている。

Japan Knowledge:日本人名大辞典

   
観阿弥
かんあみ
1333‐1384
南北朝時代の能役者,能作者。
世阿弥(観世元清)の父。観世流の初代大夫(たゆう)。正慶(しょうきょう)2=元弘(げんこう)3年大和(奈良県)の山田猿楽の家に生まれる。結崎(ゆうざき)座(のち観世座)をひきい,京都に進出。応安7=文中3年(1374)ごろ今熊野で演じた猿楽を契機に将軍足利義満の後援をうけ,一座の基礎をきずく。

この辞書もまた、「大和(奈良県)の山田猿楽の家に生まれる」として、観阿弥伊賀出生説を一蹴している。

観阿弥の出自については、こちらのネット版辞書でややくわしいところを読むことができる。

Wikipedia:観阿弥 観阿弥の出自

要するに、観阿弥の出自はよくわからない、はっきりしていない、諸説あっていずれとも断定しがたい、ということである。

ところで、名張市が能楽振興とやらに入れあげているのは、観阿弥の出身地が伊賀かもしれないということが理由なのではない。観阿弥が名張で猿楽の座を創立した、というのがその理由である。典拠は、観阿弥の子、世阿弥の芸談を筆録した「世子六十以後申楽談儀」、俗に申楽談儀と呼ばれる能楽の理論書である。

関連箇所を引用。底本は新潮日本古典集成『世阿弥芸術論集』。

   
この座の翁は弥勒打なり。伊賀小波多にて、座を建て初められし時、伊賀にて尋ね出だし奉つし面なり。

大意はこうなる。この座、つまり観阿弥がおこした観世座が所有している翁の面は、弥勒という名前の面打ち、つまり能面作家がつくったものである。この面は、伊賀小波多、つまり現在の名張市上小波田あるいは下小波田で、はじめて座を建てたとき、といっても劇場を建設したということではなく、猿楽の一座を旗揚げしたということなのであるが、そのとき、伊賀でみつけだしてきた面である。

ここにはっきりと、名張の小波田ではじめて座を建てた、と記されている。だから名張市は観阿弥創座の地であり、ぜひとも能楽振興をはかりたい、という話の流れになるわけであるが、それってほんとかよ、という話だってある。というか、そっちの話のほうが主流である。

げんに、『世阿弥芸術論集』の頭註には、「伊賀小波多にて」ではじまる文章にかんして、こう記されている。

   
三重県名張市小波田。「伊賀小波多にて」は、「座を建て初められし」にかかるのでなく、「伊賀にて」と重複はするが、「尋ね出だし」にかかるとする説もあって注目される。

要するに、小波田は単に翁の面を手に入れた場所であって、観阿弥がはじめて座を建てた場所ではない、とする説もあるということである。申楽談儀はいわゆる口述筆記だから、修飾関係が錯綜することも皆無ではなかっただろう。そして現在では、そちらの説のほうがむしろ有力なのである。

平凡社の日本史大事典から引用。

   
観阿弥 かんあみ
一三三三−八四(元弘三−至徳元/元中元・五・十九)
南北朝時代の能役者、能作者。「かんなみ」とも呼ぶ。通称観世三郎。名は清次。法名宗音。猿楽座の創立について、伊賀国伊賀郡小波多とする説と大和国城下郡結崎とする説があるが、現在は後者が有力。

まあそういったことである。ちなみに当方も、観阿弥がはじめて座を建てたのは、伊賀ではなくて大和の結崎であろうと考えている。当方の考えなどはどうでもいいとしても、どうでもよくないのは、観阿弥創座の地として能楽振興をはかります、という名張市のお題目は、その根拠があまりしっかりしていないということである。だが、もちろんそれだってかまわない。名張市が観阿弥ゆかりの地として、能楽振興を真剣に考えているというのであれば、それはそれで結構なことである。

だが、それならば、名張市公式サイトにあるこのページはどうよ。

名張市公式サイト:観阿弥

これはちょっとまずいであろう。人が歴史にむきあうにさいして、まず要求されるのは公正であり公平であろうとすることである。だがこのページには、そうした姿勢はみじんも感じられない。観阿弥は名張ではじめて座を建てました、とする無批判な思い込みしかここにはない。能楽や観阿弥に興味をもっている人がこのページを読んだとしたら、おそらく辟易してしまうのではないか。郷土びいき一辺倒にこりかたまっている田舎者のかたくなさなど、人をして鼻白ませるものでしかないのである。

もっとも、ここ名張市では何から何まで、などと一般化するのは危険であるとしても、少なくともやなせ宿にかんしていえば、公正さや公平さを完全に無視して話が進められてきた。ジャスティスやフェアネスはいいように踏みにじられてきた。いまも踏みにじられつづけている。だから観阿弥にかんする歴史資料にむきあうにしても、公正や公平なんて重んじなくたっていっこうにかまわない、ということなのか。それが名張市というところなのか。

ま、好きにしろばーか、というしかないことではあるけれど、そんな自治体がいくら能楽振興を叫んでも、それならばふるさと納税制度を利用して些少ながらも寄付いたしましょうと、そんなこといってくれる人なんかどこを探したっていないのではないか。それにだいたい、能楽振興というお題目を掲げただけではどうにもならない。そんなものはごくごく適当な選挙の公約のようなものでしかない。能楽振興のためにいったい何をするのか、具体的なところをきっちりと示さないことには、市民の理解や共感はかけらほども得られぬことであろう。

しかし、ちょっと困ったな。観阿弥vs乱歩、というテーマのうち、観阿弥について記しただけで時間がなくなってしまったではないか。

あすにつづく。しかしそれにしても、ほんとに困ったな。序破急の急のあとは、いったい何にすればいいのかしら。
ふるさと納税の話題である。

毎日新聞:ふるさと納税:受け皿に応援基金 6テーマから選び寄付--名張市が実施要項 /三重

この記事によれば、設けられるテーマはつぎのとおり。

▽市民主権のまちづくり
▽水と緑のまちづくり
▽子どもが輝くまちづくり
▽歴史・文化と地域資源を活(い)かしたまちづくり
▽生涯現役のまちづくり
▽ふるさと名張の未来に寄与する事業

まるで選挙の公約である。こんなものではだめであろう。なんともうさんくさくて、信用する気にとてもなれない。こんな抽象的なお題目をいくら掲げてみたところで、さあ寄付しようと思う人間は出てきてくれないのではないか。だいたいどうして、こんなテーマを設定しなければならないのか。テーマなど不要であろう。

三重県のほうがまだましである。

三重県公式サイト:美し国三重ふるさと応援サイト

テーマは設けられていない。ただ「三重県の取組」なるものが、つぎのとおり紹介されているだけである。

▽2009年から6年間にわたる「美(うま)し国おこし・三重」に取り組みます
▽新しい県立博物館の整備に取り組みます
▽「2009年第29回世界新体操選手権」が開催されます
▽ぜひ住みたい、訪れてみたいと感じていただける、観光の魅力づくりを進めています
▽「高度部材イノベーションセンター」が3月にオープンしました

これでいいはずである。テーマを設けて寄付を募るなどというもの欲しげなことをしなくたって、名張市はこんなことをしています、こんなことを目指しています、だから応援してください、と訴えるだけでいいはずである。選挙公約ではないのである。ご町内だけを相手に適当なこと吹きまくっとけばいい、という話ではまったくない。

情報発信だの全国発信だの、何かといえばそんな能書きを並べたてるくせに、実際にはご町内感覚から一歩も抜け出せないのだから困ってしまう。案内板デザイン講座につづいて情報発信講座でも開くべきところなのかもしれないが、とりあえず三重県の公式サイトふうに名張市を紹介するとなればどうなるか。見本をひとつ示しておく。

▽江戸川乱歩が生まれた名張のまちの再生を進めています。

これでいいはずである。乱歩の名前をうまく利用しろ、というのは、たとえばこういうことなのである。市民主権がどうの水と緑がこうのと、そんなうすぼんやりしたことをいってたってしかたあるまい。誰もふりむいてはくれぬであろう。その点、乱歩というビッグネームを使用するだけで、お題目がくっきりとした輪郭を帯び、たちまちキャッチーになることがわかるだろう。多少なりとも、名張市の個性や独自性を訴えることができるだろう。なかにゃついふらふら、寄付のひとつもしてやろうかという人が出てくるかもしれない。

むろん、もう少しくわしい紹介も必要だろう。こんな感じか。

・名張のまちに一億円をかけて観光交流施設やなせ宿をつくりました。
・無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館として大評判です。
・食堂化路線も本格化しました。
・イベントの切り貼りもやってます。
・早く名張市民に認知してもらいたいな。

いかんいかん。こんなことではいかん。むろん事実ではあるのだが、こんなことを正直に公表したら寄付なんて誰もしてくれんぞ。だから名張まちなか再生プランの素案が発表された時点から、もうちょっとちゃんとせんかといいつづけてきたのであるが、いまとなっては手遅れか。

毎日の記事に戻る。名張市の皮算用では、六テーマでふるさと納税、つまりは寄付を募って、「具体的には、小中学校校舎の耐震化や能楽振興などへの活用を想定している」らしいのだが、こんなことを公表する必要はないであろう。これはまさしく取らぬ狸の皮算用というやつであって、狸の姿も見えぬうちから、早手回しにあんなことをしたいこんなことをしたいと、そんなおもわくを発表する必要はないはずである。さもしく、あさましく、いじましい感じがするし、世の中には早とちりな人が結構いるものだから、寄付が集まらなければ小中学校の校舎を耐震化できないのか、と思ってしまう市民も出てくるかもしれない。

それにしても、これはどうよ。小中学校校舎の耐震化、能楽振興。名張市の皮算用に、どうしてこのふたつがあげられているのか。前者はまだわかる。きわめて具体的な話である。いっぽう後者は、とてもあいまいな印象である。能楽振興というお題目のもとにいったいどんな事業が進められるのか、いくら考えてもみえてこない。

といったところでようやく、「観阿弥vs乱歩」なるテーマに逢着することとなる。

観阿弥と乱歩は、名張市の二枚看板のようなものである。ある、というか、あった、というか。こうした二枚看板路線が明確に打ち出されたのは前市長の時代の話で、観阿弥関連では名張薪能、乱歩関連ではミステリ講演会が、具体的な事業として回を重ねてきている。お役所のそれこそ二枚看板であるハコモノ崇拝主義とイベント尊重思想の域を出るものではないけれど、郷土ゆかりのビッグネームを利用して名張市のグレードをアップさせるという戦略が、そこにはたしかにあったのである。

ところが、ここへ来て、乱歩の名前が消えはじめている。あたかも御神酒徳利のごとく、いや、おみきどっくりという比喩はもはや通用しなくなっているのかもしれないが、とにかくいつもいっしょだった二枚看板、梅に鶯、松に鶴、朝吉ゆうたら清次でんがなとばかりに黄金のタッグを組んでいた観阿弥と乱歩、ワンセットで語られることの多かった能楽振興と乱歩顕彰、このツートップがいつのまにか、エンタツアチャコのごとく、いやいや、エンタツアチャコなどといってももはや通用しないであろうけれども、とにかく不可解なコンビ別れにいたっているらしいのである。ここにはいったい、どんな戦略があるのか。たぶん、戦略なんて何もないのであるが。

あすにつづく。破のあとは急である。
まだである。きのうも届かなかった。名張市からの回答がまだ届かない。いったいどうしたのかな。週明けにまた催促してみようっと。

だからきょうは、やなせ宿の話題からは離れて、それでもやっぱり、大丈夫か名張市、という話題となる。ネタならいくらだって転がっている。たとえば、きのうの毎日新聞の記事。

毎日新聞:ふるさと納税:受け皿に応援基金 6テーマから選び寄付--名張市が実施要項 /三重

引用。

   
◇来月下旬から実施

名張市は15日、今年度から始まる「ふるさと納税」の実施要項を明らかにした。「市ふるさと応援基金」を新設し、「市民主権のまちづくり」など6テーマから使途を選び、寄付してもらう。関係条例案を6月定例市議会に提出し、同下旬から実施する。市議会総務企画委員会で、黒岩良信・企画財政部長が明らかにした。【金森崇之】

ふるさと納税は個人住民税の1割(1口5000円)を限度に、住民票がある自治体以外にも寄付金として納付することが認められる制度。

寄付を募集するのは、市民主権のまちづくりのほか、水と緑のまちづくり▽子どもが輝くまちづくり▽歴史・文化と地域資源を活(い)かしたまちづくり▽生涯現役のまちづくり▽ふるさと名張の未来に寄与する事業。具体的には、小中学校校舎の耐震化や能楽振興などへの活用を想定している。

ふるさと納税制度については、2月24日付エントリにいささかを記した。

2月24日:やなせ宿川蔵暗中模索模様

結論は「恩義もわきまえぬ自治体に、誰が寄付などしてくれようか」ということであった。名張市には金がなく、知恵もなく、そのうえ始末の悪いことに、ものの道理や人の道といったものもわきまえていない。人からこうむった恩義に報いることを知らぬ自治体に、誰がふるさと納税なんかしてくれるかばーか、ということである。なんの知恵もないくせにうわっつらだけのまちなか再生に手を出して、金もないのに無駄なハコモノつくってるような自治体に誰が寄付なんかしてくれるかばーか、ということなのであるが、きょうはやなせ宿のことにはふれない。

それにしても、名張市に金がないのはたしかであろう。おとといの毎日新聞の記事。

毎日新聞:図書購入費:小中学校措置率、名張市は県内ワースト3 他に転用、購入39% /三重

引用。

   
◇伊賀市は下から8番目--文科省調査

国が昨年度、小中学校の図書購入費として名張市に支出した地方交付税約1372万円のうち、実際に図書が購入されたのは約540万円(39・4%)にとどまっていたことが、文部科学省の調査で分かった。財政難で他の目的に使われたのが原因で、県内29市町で御浜町(36%)、朝日町(37・8%)に次ぐ3番目に低い水準。伊賀市は836万円(48・6%)で下から8番目だった。【金森崇之】

国は、小中学校の目標蔵書数を定めた「学校図書館図書標準」の達成を促すため、昨年度から図書購入費を大幅に増額。しかし、購入費は地方交付税で、使途を各自治体が決められるため、全国でも予算措置率は78%、県は65・9%にとどまっている。

名張市では、小学校に交付された約737万円のうち約310万円(42%)、中学校で約635万円のうち約230万円(36・3%)のみが実際の購入に使われた。

子供に本くらい買ってやれよばーか、とは思う。一般家庭のたとえでいうならば、子供に本を買ってやるために用意してあったお金をついつい生活費にまわしてしまいました、申しわけない気持ちでいっぱいです、といったところであろうか。名張市の所帯はそれほど苦しいのか、ともあらためて思われる次第なのであるが、しかしそれにしたって、子供に本くらい買ってやれよばーか。

読書が特権的な行為であるといい募るつもりはないし、それどころか、そもそもきわめて月並みなことをいうわけなのであるが、本を読むというのはやはり大切なことである。何かしらの情報を身につけるといったいわば功利的な読書ももちろんだけれど、おつむが柔軟な子供のうちに本を読むことで、ものを考えることとか想像することとか、そういったおつむの訓練ができるのである。それが大切なことなのである。そういった訓練ができていないと、大人になってもものごとを深く考えることができず、はたまた想像力がないものだから、他人からこうむった恩義にもあきれるくらい鈍感になってしまう。要するにまあ、官民双方のやなせ宿関係者は、子供のころからいまにいたるまでろくに本なんか読んでこなかったということなのであろうが、きょうはやなせ宿のことにはふれない。

ただし、いわゆる教養主義的な読書を押しつけてしまっては、子供にはかえって拒否反応が出てしまうかもしれない。まず本を読むことそのものの面白さに気がつく、ということが子供の読書において重要なことであろう。そういった場合、いたって重宝なのがミステリというジャンルである。この場合においても、乱歩はやはり最強のカードなのである。乱歩の少年ものに限定しなくたって、読書という行為への水先案内人、本を読むことの面白さを端的に教えてくれるナビゲーターは、やはりミステリ小説なのであろうなと、自身の経験からいっても断言できるように思う。

こんなことは以前にも書いたぞ、と思われたので、ウェブサイト名張人外境の過去ログを検索してみた。やっぱりおなじことばかりいってるぞ、ということが確認された。下記リンク先のページをすべて、一から十までお読みいただきたい。

名張人外境:人外境主人伝言 2007年1月上旬

ほんとにおなじことばかりいっておる。われながら恥ずかしくなってくるけれど、いいようにいえば、考えにブレがないということであろう。考えがブレまくりつづけている名張市よりも、一介の市民のいってることのほうがよほどまともでまっとうである、ということであろう。

とまれかくまれ、子供と読書の関係について、山口雅也さんの『ステーションの奥の奥』からの引用を再掲しておく。

   
「じゃ、時間がないから叔父さんはもう行くが──。」
「ちょっと待って。」陽太はすがるように言った。「もう、叔父さんとは逢えないの?」
「ああ、たぶんな。」そこで夜之介は陽太の目を真剣な眼差しで見据えて、「屋根裏部屋の本やなにかは一切お前にやるよ。」と、言った。
「え? そんなの貰っても困るよ。いらないよ。無駄だよ。叔父さんがいなくなったら、誰が面白い本を教えてくれるっていうの?」
夜之介叔父は優しく微笑みながら、
「俺がいなくても、お前はもう自分で面白い本を見つけられる力を充分持っている。それに留美花ちゃんという、いい読書友だちも出来たじゃないか。」
「でも……。」陽太は今、どんなものにも代えがたいものを一つ失ってしまうような気がしていた。
「──叔父さんが一つだけ言い残しておきたいことは、ともかく、嫌というほどたくさん本を読めということだ。本を読んで知識を増し、思考力を鍛えるんだ。お前は身体が小さいから、腕力や体力で勝負するよりも、知力で勝負しろ。他人に言われるままじゃなくて、自分自身の頭で考えられるようになれ。お前にはそれができる。知性は人間にとって、吸血鬼の超能力にも劣らない最高の武器だということを忘れるな。だから、本を読んでおけよな。」
それだけ性急に言うと、夜之介叔父は踵を返した。その広い背中に向かって陽太が最後の声を掛ける。
「叔父さん、ほんとに、ほんとに、もう逢えないの?」

まったくなあ、「本を読んで知識を増し、思考力を鍛える」なんてことを全然してこなかった人間が、この名張市のあちこちを仕切っているのだからなあ。困ったものだよなあ。お役所なんてそんなものさという声もあろうけれども、そんなこともないみたいだぞということが、4月22日付毎日新聞の記事を読めばわかる。

毎日新聞:読書活動推進計画:子どもの活字離れ防止へ、5項目に数値目標--伊賀市教委 /三重

伊賀市の肩をもつ気はないけれど、この事業だけをみてものをいうならば、伊賀市というのはまともでまっとうな大人である。ならば名張市はどうよというならば、やっば幼児だというしかないよなあ。

あすにつづく。序のあとは破である。
3月24日に「しばらくこのブログはお休みとして」と記したのだが、気が向いたので記録を少々。

24日、国土交通省が公示地価を公表し、翌日の日刊紙地方版で三重県の状況が報じられた。以下、伊賀地域関係分を引用しておく。

朝日新聞:北勢、上昇地点が急増 公示地価

▽商業地
「名張市はマイナス4・7%(同マイナス5・2%)、熊野市がマイナス4・5%(同マイナス7・6%)と、下落率が高いままだ。郊外型量販店の進出などで中心商業地が空洞化しているためという」
▽住宅地
「大阪方面への通勤者の居住が減った名張市はマイナス3・8%」

産経新聞:三重県内の公示地価 16年連続の下落 下落率は減少傾向

▽住宅地
「伊賀市では上昇地点もみられる」
「県全体の変動率(マイナス1・7%)に対して、熊野市、名張市、鈴鹿市、尾鷲市が3%以上の下落率を示した」
▽商業地
「県全体の変動率(マイナス1・5%)に対して、名張市、熊野市、志摩市、明和町が4%を超える下落率を示した」

毎日新聞:公示地価:県内、16年連続下落 桑名や四日市など33地点上昇 /三重

▽住宅地
「伊賀地域では、大阪方面への通勤者減少などにより、引き続き住宅需要が減退しており名張、伊賀両市の5地点が下落率上位10位以内に入った」
「市町別の下落率は、名張市が3・8%と、3年連続で最も高かった」
▽商業地
「下落率が最も高かった名張市上本町は、アーケード商店街で、郊外型店舗の影響や事業者の高齢化などが要因」
「市町別の下落率では、住宅地と同様、名張市が4・7%と最も高かった」

読売新聞:公示地価住宅、商業地とも下落 16年連続、幅は縮小傾向

▽住宅地
「人口減少が著しい東紀州や伊勢志摩地域、大阪方面への都心回帰が続いている伊賀地域では、依然として下落傾向が強い」
「伊賀市ゆめが丘は1・0%の上昇に転じた。市内に良質な住宅団地が少ないうえ、長く続いた下落で値ごろ感が出て、需要が高まったという」
「市町別の平均下落率は、名張市(3・8%)、熊野市(3・5%)、鈴鹿市(3・0%)、尾鷲市(同)が3%以上と高かった」
▽商業地
「伊勢志摩や伊賀、東紀州地域は、観光客の伸び悩みや中心商業地の空洞化、地域産業の停滞などで下落が続いている」
「名張市上本町は下落率が7・0%と最も高く、郊外店の進出や事業者の高齢化などで空洞化が進んだ影響が出た」
「下落率が最も高いのは名張市の4・7%で、熊野市(4・5%)、志摩市(4・4%)、明和町(4・1%)で4%超の下落となっている」

中日新聞:県内地価、持ち直し傾向広がる 住宅11、商業21地点で上昇

▽住宅地
「伊賀は名張市が3万8700円、伊賀市が3万4900円。ともに大阪方面への通勤圏だが、都心回帰傾向の強まりで住宅団地などが供給過剰となり、特に名張はマイナス3・8%と県内で最も下がった」
▽商業地
「伊賀では名張市が6万7800円で下落率は県内で最大の4・7%。東紀州は尾鷲市7万8600円、熊野市7万1200円の順。人口減や産業の停滞などにより全体で4・0%ダウンした」

伊勢新聞:県内の地価公示 16年連続下落

▽住宅地
「地域別では、北勢の平均価格が五万千三百円、下落率1・3%▽中南勢が同四万八千二百円、同2・2%▽伊勢志摩が同三万七千七百円、同1・9%▽伊賀が同三万五千九百円、同3%▽東紀州が同三万六千円、同3%―」
▽商業地
「最大の下落率となったのは「名張市上本町三七(ファッションサロンサワ)」でマイナス7%。アーケード商店街で、郊外型店の営業や事業者の高齢化で近年空洞化が著しく、繁華性の低下などが要因」
「地域別では、北勢が平均価格八万三千八百円、下落率0・2%▽中南勢が同九万五千六百円、同1・8%▽伊勢志摩が同七万四千二百円、同2・8%▽伊賀が同六万七千二百円、同3・4%▽東紀州が同七万四千九百円、同4%―」

以上。

市町別の下落率では住宅地も商業地も名張市が県内のトップ、つまり名張市が下落率二冠王に輝いたというニュースである。

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