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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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朝から雨である。夜には宇流冨志祢神社秋祭りの宵宮が営まれる。天気予報によれば、雨は午前中だけ、午後はくもり。宵宮の提灯行列には、傘の必要はないようである。

一週間後、来週の土曜には、「隠街道市」の初日を迎える。日程は11月3日と4日の二日間。

ポスターがこれ。

20071027a.jpg

下のほうに記された関連団体を写しておく。

   
主催 名張地区まちづくり推進協議会
協賛 名張商工会議所
協力 名張市物産振興会
□□□古町を考える会
□□□(社)名張市観光協会
□□□皇學館大学
□□□名張能楽振興会
□□□春を呼ぶ会
□□□温故会
□□□名張史跡顕彰会
□□□まちなか再生委員会
□□□名張シンクス

例によって例のごとく、多様な主体の協働であるらしい。昨年は名張まちなか再生委員会の主催で催され、ことしは名張地区まちづくり推進協議会が主催団体ということになっているが、結局のところは、うすらばか集めてなんの騒ぎだ低能ども、という話なのである。

しかしまあ、あんまりきついことは書かないでおくか。どうせ11月3日の講演「タイムスリップ初瀬街道 東海道から参宮表街道へ」で、この隠街道市とかいうコミュニティイベントは、もうぼこぼこに叩かれることになるのだからなあ。
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『名張市史』には、昭和35・1960年から翌年にかけて出版された上下二巻本と、昭和49・1974年に出版された一巻本の改訂版とがある。

昭和36・1961年刊の二巻本下巻、「第四編 産業」に、明治26・1893年6月に津市の三重日報社が出した『三重県下商工人名録』から、名張町のデータが引かれている。

当時の下横町、現在の中町のデータは次のとおり。

   
営業種目 屋号 経営者
呉服太物 くたらや 堀内源助
綿糸・油 鍵屋 関元利祐
酒造 会津屋 梅田伝二
酒造 玉利屋 喜多村角太郎
酒造 綿屋 角田半兵衛
金物 会津屋 梅田千代松
旅館 小田屋 小田喜三郎

明治時代、名張のまちの商業の中心は本町で、この『三重県下商工人名録』によれば、二十七軒の商店が軒をならべていた。中町は上の七軒。この七軒のうち、現在も営業をつづけているのは、当時は綿屋という屋号だったらしい、すみた酒店だけである。

リンク:伊賀まちかど博物館 はなびし庵(すみた酒店)

その後、大正11・1922年に伊賀鉄道、昭和5年に参宮急行電鉄が開通するなど、名張のまちに変化がもたらされ、商業にも影響をおよぼした。本町は中心地ではなくなり、上本町、中町、榊町というラインが新たな繁華街となった。中町にも商店が増えた。

往年の活気はどこにも求めようがないものの、いまの名張まちなかで、商店街のおもかげをいちばんよくとどめているのは、この中町である。
10月22日に撮影。この日、この中町の通りを経由して、平尾の宇流冨志祢神社から新町のお旅所まで、みこしが練った。

20071026a.jpg

撮影地点はここ。交差点に立ち、北西方向にむかって撮影。



『名張市史』(昭和49・1974年)の「第十三編 地誌」から引用。

   
中町 旧称下横町、昭和16年4月1日、中町と改称。町の中央という意味、上本町と榊町にはさまれた商店街である。宇流富志禰神社の一の鳥居(石の鳥居)はこの町の入口にある。
名張町内の道路が舗装をはじめたのは戦後だが、中町では大正10年7月、全長二百メートルにわたって舗装を実施した。

江戸時代、名張藤堂家邸の大手門からまっすぐつづいていたのが本町の通り。それに直交する通りは、横町と呼ばれ、その交差点を境に、つまり上の写真の撮影地点を境に、上横町と下横町にわかれていた。現在、上横町は上本町、下横町が中町。

『角川日本地名大辞典24 三重県』(昭和58・1983年)にもとづいて、中町にあった金融機関と、それが開設された年。
  • 明治33・1900年、名張銀行。
  • 大正11・1922年、農工銀行支店。
  • 昭和23・1948年、名張町農協。
  • 昭和25・1950年、勧業銀行支店。
  • 昭和26・1951年、南都銀行支店。
  • 昭和28・1953年、第三相互銀行支店。
中町の人口の推移。カッコ内は典拠。
  • 明治05・1872年 222人(名張市史)
  • 昭和55・1980年 184人(角川日本地名大辞典24 三重県)
  • 平成19・2007年 098人(名張市公式サイト、10月1日現在)
上に掲載した写真のほぼ中央に、宇流富志禰神社の一の鳥居が小さく写っている。この鳥居については、またあらためて。
来月19日におこなわれるドラフトの上位候補で、阪神やヤクルトがリストアップしている奈良産業大学の桑原謙太郎投手は、名張市生まれ、名張中学校の卒業生だそうである。

10月18日のウェブニュース。

スポーツニッポン:奈良産大・桑原、プロ入りを表明「自信が出来た」

翌19日のウェブニュース。

サンケイスポーツ:ヤクルト、ドラフト隠し玉に奈良産大・桑原をリストアップ
玉乃湯は榊町にある。

20071025a.jpg

写真タイトルは、「煙突のある風景──榊町にて」。

このあたりは、じょーげ、と呼ばれる。漢字では、城下、と書く。この写真でいえば、むかって右に位置する高台に、江戸期、名張藤堂家の陣屋があった。名張の人間にとって、それは城であった。その下だから、じょーげ、と呼びならわされた。

写真にみえる簗瀬水路も、このあたりでは城下川と呼ばれる。むろん、じょーげがわ、と発音される。

玉乃湯も、じょーげの風呂屋、と呼ばれることが多い。21日の日曜、午後6時ごろに足を運んだ。番台で尋ねると、開業以来八十年、ご主人で三代目だそうである。



すぐ横の駐車場に三台分、玉乃湯のスペースがある。
名張市
産経新聞:磯部さんと徳地さん スポレク優勝で名張市長に報告
毎日新聞:スポレクあおもり:「達成感伝えたい」 優勝の2人、市長に報告--名張 /三重
毎日新聞:名張・百合が丘小:ま~るい音色、響いたよ クラシック“合奏” /三重
毎日新聞:名張の斎場移転訴訟:前市長の支払い確定--最高裁 /三重
毎日新聞:名張の斎場移転訴訟:最高裁、上告退ける決定 2審判決が確定 /三重

伊賀市
朝日新聞:だんじり 提灯浮かぶ 上野天神祭
産経新聞:上野天神祭が開幕 提灯にあかり 城下町に風情
毎日新聞:菜の花エコシンポ:藤井・滋賀県環境生協理事長が講演--伊賀  /三重
毎日新聞:上野天神秋祭:400年の姿、闇夜に浮かぶ--伊賀 /三重
毎日新聞:県事務所:鉛検出のGS、汚染対策完了--伊賀 /三重
中日新聞:だんじりが伊賀路の秋彩る 上野天神祭が開幕
中日新聞:フクロウと忍者重なる油彩画 伊賀上野城で上田さん個展
伊勢新聞:だんじり幻想的 上野天神祭 幕開け 伊賀

伊賀広域
毎日新聞:旧青山町地区:可燃ごみ袋45リットル20円 09年1月有料化--伊賀広域 /三重

三重県
読売新聞:桂文治しのび落語会 四日市で来月 福団治さんら一席
10月13日に発行された伊賀タウン情報「YOU」10月前半号(469号)の読者投稿欄「声」に、「名張市、30代男性」の投稿があった。引用しておく。

   
名張の秋祭りへの思い

○…秋も深まり、名張の秋祭りの時期が近づいてきました。
ここ数年の祭りは、残念なことに寂しくなる一方。本祭のお神輿イベントは、クローズアップされるも、宵宮の裃行列は参加人数も少なくなり、昔のような大勢の氏子による勇壮な行列が見られなくなりました。
歴史や元々の祭りの規模も違うので比較するのもなんですが、同じ時期に行われる上野天神秋祭は、近年メディアへの露出やイベントとしての努力などの結果、伊賀市全体で盛り上がって、秋の一大イベントとして成功しているように思えます。
その半面、名張は聞くところによると、行事の簡素化などにより、祭りの行事自体が縮小されているようです。
名張のまちに掲出されたポスター。

20071024a.jpg

内容を写しておく。

   
名張秋祭り
宇流冨志禰神社

10/27(土)
宵宮神事
宇流冨志禰神社お旅所(新町)を20:30出発

10/28(日)
獅子舞・太鼓の競演
ジャスコ前で12:30より
みこし巡行
ジャスコ前で13:30より
だんじり・七福神・太鼓台・子どもみこしなど

共催
名張地区まちづくり推進協議会
奉斉会
名張商工会議所
名張市観光協会

お問合わせ
0595-64-2605(名張公民館)

ちなみに記しておくと、「斉」と「斎」では字の意味がちがう。ポスターにある「奉斉会」は、正しくは「奉斎会」である。まあ、どうでもいいようなことだが。

このポスター以外、名張の秋祭りがどこでPRされているかというと、名張市観光協会公式サイトの「名張秋祭り」くらいなものか。

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