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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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『名張市史』には、昭和35・1960年から翌年にかけて出版された上下二巻本と、昭和49・1974年に出版された一巻本の改訂版とがある。

昭和36・1961年刊の二巻本下巻、「第四編 産業」に、明治26・1893年6月に津市の三重日報社が出した『三重県下商工人名録』から、名張町のデータが引かれている。

当時の下横町、現在の中町のデータは次のとおり。

   
営業種目 屋号 経営者
呉服太物 くたらや 堀内源助
綿糸・油 鍵屋 関元利祐
酒造 会津屋 梅田伝二
酒造 玉利屋 喜多村角太郎
酒造 綿屋 角田半兵衛
金物 会津屋 梅田千代松
旅館 小田屋 小田喜三郎

明治時代、名張のまちの商業の中心は本町で、この『三重県下商工人名録』によれば、二十七軒の商店が軒をならべていた。中町は上の七軒。この七軒のうち、現在も営業をつづけているのは、当時は綿屋という屋号だったらしい、すみた酒店だけである。

リンク:伊賀まちかど博物館 はなびし庵(すみた酒店)

その後、大正11・1922年に伊賀鉄道、昭和5年に参宮急行電鉄が開通するなど、名張のまちに変化がもたらされ、商業にも影響をおよぼした。本町は中心地ではなくなり、上本町、中町、榊町というラインが新たな繁華街となった。中町にも商店が増えた。

往年の活気はどこにも求めようがないものの、いまの名張まちなかで、商店街のおもかげをいちばんよくとどめているのは、この中町である。
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