忍者ブログ
三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
[98] [97] [96] [95] [94] [93] [92] [91] [90] [89] [88]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

10月22日に撮影。この日、この中町の通りを経由して、平尾の宇流冨志祢神社から新町のお旅所まで、みこしが練った。

20071026a.jpg

撮影地点はここ。交差点に立ち、北西方向にむかって撮影。



『名張市史』(昭和49・1974年)の「第十三編 地誌」から引用。

   
中町 旧称下横町、昭和16年4月1日、中町と改称。町の中央という意味、上本町と榊町にはさまれた商店街である。宇流富志禰神社の一の鳥居(石の鳥居)はこの町の入口にある。
名張町内の道路が舗装をはじめたのは戦後だが、中町では大正10年7月、全長二百メートルにわたって舗装を実施した。

江戸時代、名張藤堂家邸の大手門からまっすぐつづいていたのが本町の通り。それに直交する通りは、横町と呼ばれ、その交差点を境に、つまり上の写真の撮影地点を境に、上横町と下横町にわかれていた。現在、上横町は上本町、下横町が中町。

『角川日本地名大辞典24 三重県』(昭和58・1983年)にもとづいて、中町にあった金融機関と、それが開設された年。
  • 明治33・1900年、名張銀行。
  • 大正11・1922年、農工銀行支店。
  • 昭和23・1948年、名張町農協。
  • 昭和25・1950年、勧業銀行支店。
  • 昭和26・1951年、南都銀行支店。
  • 昭和28・1953年、第三相互銀行支店。
中町の人口の推移。カッコ内は典拠。
  • 明治05・1872年 222人(名張市史)
  • 昭和55・1980年 184人(角川日本地名大辞典24 三重県)
  • 平成19・2007年 098人(名張市公式サイト、10月1日現在)
上に掲載した写真のほぼ中央に、宇流富志禰神社の一の鳥居が小さく写っている。この鳥居については、またあらためて。
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
メールアドレス
URL
コメント
パスワード
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:

Copyright NAKA Shosaku 2007-2012