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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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きのうは八日戎であった。名張市鍛冶町、蛭子神社の例祭である。午後、足を運んでみたのだが、去年より人出が少ない印象だった。まちの人の話によれば、露店の数も減っているらしい。露天商にとって、八日戎はうまみのあるタカマチではなくなっているということか。

新町まで足を伸ばして、細川邸を撮影してきた。ブルーシートはすでに取り除かれていた。

20080209a.jpg

画面左にみえる背の低い屋根が、母屋から独立して整備された便所のそれかと思われる。名張市が天下に誇る無駄に立派な公衆便所、いよいよ近日公開、といったところか。

写真を撮り終えると、曇天から雪が舞いはじめた。毎月7日と8日の二日だけ、新町の空き家を借りて営業している菓子屋、星安に顔を出すと、「いや雪やわ。やっぱりえびすまつりやなあ」という女性の声が聞こえた。こぞの雪、いまいずこ、といった感慨をおぼえないでもない。

さて、きのうのつづきである。

毎日新聞:やなせ宿:旧細川邸改修概要 観光情報発信や交流スペース設置--名張 /三重

引用。



一方、川蔵は同市出身のミステリー作家、江戸川乱歩に関連する施設にすることなどが検討されていたが、現在具体的な活用法は未定。再生委員会での協議が続いており、市は「遅くても3月には利用法を決めたい」と話している。【金森崇之】

川蔵というのは、ふたつあるうち名張川にちかいほうの蔵である。伊勢湾台風の被害をまともに受けたこともあって損傷が激しく、関係者のあいだでは解体除却することが了解されていたらしいのだが、駅弁大学の御用学者の先生が鶴のひと声、残して改修することになったという。一年ほどまえに聞きおよんだことだから記憶に自信がないのだが、川蔵を残すことになった理由は要するに見映えの問題であったらしい。名張川のほうから眺めた場合、川蔵があったほうが景観としてより良好である、といったところだろう。

景観優先で残されたのだから、とくにこれといった用途は考えられていなかった。いやいや、川蔵のみならず細川邸全体が、とくにこれといった用途のあてもなしに整備されてしまったのだから、川蔵の用途が決まっていなかったことをうんぬんしても意味はないのだが、とにかく何につかっていいのかあてがない。そこで「川蔵は同市出身のミステリー作家、江戸川乱歩に関連する施設にすることなどが検討されていた」という運びになったらしい。

名張まちなか再生委員会の内部では、桝田医院第二病棟の跡地に「江戸川乱歩に関連する施設」を建設する構想が協議されていた。しかし昨年6月、名張市がいきなり乱歩文学館の建設断念を表明し、そのあとの経緯は知るところではなかったのだが、川蔵があいているから乱歩関連の資料でも展示しとくか、といったあんばいの検討がおこなわれていたということか。笑止千万。

できるものならやってみな。たまたま残された川蔵ひとつ、いいようにつかって「江戸川乱歩に関連する施設」をつくってみろこら。ろくに乱歩作品を読んだこともない連中が何をどうあがいても、そんなものができるとはとても思えぬ。かりにできたとしても、名張市は何を考えているのかと失笑を買い、名張市は乱歩をばかにしているのかと憤慨を招くのがオチであろう。

この記事によれば、川蔵の利用法は3月中にまとめられるとのことである。だが、「江戸川乱歩に関連する施設」にこだわっているかぎり、とてもまとめるのは無理なのではないか。いやまあ、こだわらなくたってしょせん無理ではあろうけれども、いったいどうするおつもりなのかな、名張まちなか再生委員会のみなさんは、というより名張市は。

来てくれた来てくれた。粘着さんが来てくれた。僭越ながらずっとスルー申しあげていたそのあいだ、さぞやうずうずうずうずしていらっしゃったのであろうなあ。それにしても粘着さん、いったい何に反応してコメントをお寄せくださるのであろうか。2月4日付のコメントは、前日のエントリに名張まちなか再生委員会の名簿を転載したことへの反応であったのか。つまり、名簿のなかに粘着さんの名前があったということなのか。ならば、8日付コメントは何に対する反応なのか。私物化とか私利私欲とか、そのあたりの言葉に対する反応なのか。どうもよくわからない。しかしまあ、面白いから放置を継続してみようっと。
きのうのつづき。「やなせ宿」の件。

毎日新聞:やなせ宿:旧細川邸改修概要 観光情報発信や交流スペース設置--名張 /三重

引用。

   
旧市街地(名張地区)の活性化を図る「まちなか再生事業」の一環で、主な施設は▽母屋(木造2階建て)▽中蔵(土蔵造り平屋建て)▽川蔵(同2階建て) ▽物産棟(木造平屋建て)--など。母屋の和室や中蔵は休憩・交流スペースとして利用でき、物産棟では市民らが料理を振る舞う「ワンデイシェフ」などを計画している。

1時間ごとの使用料は、市内在住者の場合、▽和室が150~200円▽物産棟が300円--で、市外在住者は2倍、営利目的の場合は3倍などとなっている。運営は、市民らで作る「名張まちなか再生委員会」(田畑純也委員長)が設置した「まちなか運営協議会」が行う。

委員会だの協議会だの、かなりややこしい。整理しておく。

名張まちなか再生委員会の発足は平成17・2005年6月。

一年後、平成18・2006年6月の総会で、委員会はNPOなばりを発足させた。といってしまうのは正確ではないか。NPOなばり実行委員会が設立された。こういったほうがいいのかな。なんだかややこしくて困ったものだが、いずれにせよ委員会はNPO設置のための動きに出た。細川邸の活用策について検討し、整備後の運営を担当するNPOである。住民監査請求の準備段階で関係資料を精査した結果、このNPOが細川邸にかんするすべての権限を手中にできるよう、この年の総会で規約の改正がおこなわれていたことがわかった。

すなわち、ひとにぎりの人間が細川邸を私物化するために、それなりに知恵をはたらかせて規約改正をおこなったということなのであろうけれど、いくら知恵をしぼっても意味はなかった。細川邸を私物化してどのように私利私欲を追求するか、その知恵が出なかったのである。あまつさえ、よせばいいのに駅弁大学の御用学者とこっそり組んで、まったく必要のない委託研究まで進めていたのである。そしてその研究の費用は名張市が支払っていたのである。なんとおまぬけなことであるのか。

その点にかんして住民監査請求をかましてみたところ、つまり、そこらのNPOが勝手に決めたことにどうして名張市民の血税がつかわれねばならんのか、そんな契約に税金つかって名張市に損害を与えたのだから、名張市長はさっさと全額返還しなさい、という請求であったのだが、名張市の監査委員の先生おふたかたは、NPOだろうがなんだろうが名張市との協働でやったことなんですから問題はありません、と腰が抜けるような判断をお示しになった。忠犬ポチ公、よくぞほざいた。しかしさすがにえらいもので、名張市に対するこの忠心が愛でられたのか、ポチのうちおひとかたはいまや名張市議会の議長先生でいらっしゃる。あっぱれポチの出世物語、めでたしめでたしなのである。さ、まーた夏見の味ふく行ったときポチ呼びつけて遊んでやろうっと。

そんなことはどうでもよろしい。さらに一年後、平成19・2007年6月の総会で設置されたのが、まちなか運営協議会である。NPOなばりが細川邸の活用にかんするプランを提示しようとしないため、細川邸の運営を協議する目的で新たに協議会を発足させたということらしい。ただしこの協議会も、NPOなばりから細川邸活用にかんする具申があるのを待っていただけ、実際には何もしてこなかった、というのが実情であったのではないか。

何もしてこなかった、ということでいえば、まちなか運営協議会というよりも名張まちなか再生委員会そのものが、長く仮死状態をつづけている印象である。能動的に動きだそうとしない。かといって解散もしない。まるで冬眠中の動物のようである。名張市がここへ来て細川邸にかんする発表をおこない、それが新聞記事としてとりあげられたのも、やなせ宿の使用にかんする条例がまとまり、それが3月議会で正式に決定される運びになったからではないかと推測される。ほんとのところをいえば、名張まちなか再生委員会はいまだ冬眠中ではないのか。あるいは、途方に暮れたあまり狸寝入りをつづけるしか手がなくなっているのではないのか。

そんなこともまあどうでもよろしい。とにかくさらに一年後、つまりことしの6月から、細川邸を整備したやなせ宿はまちなか運営協議会によって運営されることになる。「休憩・交流スペース」として利用できたり、「ワンデイシェフ」の計画があったりもするそうだが、実質的にはいわゆる貸し館にすぎない。時間いくらでご利用いただけます、というやつである。名張地区第二公民館と揶揄されるゆえんである。

結局のところ、細川邸がどういった目的で整備されたのか、それはいまもってあいまいである。不明である。しかしとりあえず、やなせ宿の使用料は明確にさだめられた。それが現状である。めでたしめでたし。いやいや、めでたくないめでたくない。

あすにつづく。

ふと気になってしまうのだが、粘着さんはいまいずこ。どこにどうしておいでやら。
そろそろ新聞沙汰である。新聞沙汰といってしまっては聞こえが悪かろうが、とにかくきのうの毎日新聞、伊賀版に「やなせ宿」の記事が掲載された。

毎日新聞:やなせ宿:旧細川邸改修概要 観光情報発信や交流スペース設置--名張 /三重

引用。

   
名張市は、今年6月のオープンを目指し、改修工事を進めている旧細川邸「やなせ宿」(同市新町)の施設概要を明らかにした。観光情報の発信や交流スペースを設置するとしている。しかし一部施設の利用法は未定で、今後、市民らで作る委員会で協議を続ける。

やなせ宿のオープンは6月である。改修工事は今月末に竣工する。にもかかわらず、この期におよんでなお、「一部施設の利用法は未定」という異常事態が市民のまえでくりひろげられているのである。しかも始末の悪いことに、たぶん「一部」ではないはずである。名張市による発表の仔細は不明だが、「一部施設の」というのはいわゆる言葉のあやであろう。「一部」などという限定は不要のはずである。やなせ宿という施設をいったいどのように利用するのか、具体的なことは一部どころか何も決まっていないというのが事実に即した表現であろう。

かかる異常事態が意味しているものは何か。細川邸の整備などまったく必要なかったという一事である。

名張まちなか再生プランの策定が開始されたのは、平成16・2004年6月のことである。市議会のチェックや市民のパブリックコメントというハードルをクリアして、プランが正式に決定されたのは平成17・2005年3月。プランを具体化するために名張まちなか再生委員会が結成されたのは同年6月のことである。その委員会が、細川邸を歴史資料館として整備するという構想を、いともあっさりとくつがえしてしまった。

昨年、住民監査請求のための資料として入手した名張まちなか再生委員会の議事録には、平成17・2005年7月29日に開かれた委員会歴史拠点整備プロジェクトの第二回会合で、「細川邸は、歴史資料館ではなく“(仮称)初瀬街道からくり館”を基本テーマとする」と決定されたという記録が残されている。もとより、市議会の承認や市民の合意とはいっさい無縁な決定である。ごくひとにぎりの人間による、密室の内部における勝手な決定である。決定の目的は何か。ひとことでいってしまえば、細川邸の私物化である。

フェアネスやジャスティスがどこにある。税金の具体的なつかいみちを決めるプロセスがこんないいかげんなことでいいのか。いいわけがない。だから名張まちなか再生委員会の事務局に足を運び、しつこく提言を重ねたはずである。委員会にプランをくつがえす権限があるのかどうか。もしもくつがえすというのであれば、プランを策定した名張地区既成市街地再生計画策定委員会を再招集し、プランの練り直しをさせるのが筋ではないか。いくら提言しても意味はなかった。

いやまあ、そんなことはもうどうだってかまわない。昔のことを掘り返してみたところで、もはや取り返しはつかない。ひとつだけ指摘しておくならば、名張市が行政の主体性を発揮し、これまでのプロセスにおいて、要所要所で適切的確な判断と決定を重ねていれば、ここまでの異常事態は回避できたはずである。もちろん名張市に対して、そろそろ行政の主体性を発揮してはどうかとの要請もおこなったのだが、甲斐はなかった。

ともあれ、平成17・2005年6月に発足した名張まちなか再生委員会は、二年半あまりにわたって細川邸の整備にかんする協議検討をつづけてきた。その結果がこれである。細川邸の私物化をもくろんだ連中は、どこにもうまみがないとでも判断したのか、さっさと身を引いてしまった。連中の片棒をかついでいた御用学者も同様である。あとに残されたのは、やなせ宿の活用策を考えることができず途方に暮れている名張まちなか再生委員会の主要メンバーと、あいもかわらぬ主体性放棄を決め込んでいる名張市という自治体である。

ばかかこら低能。一億もかけて無駄に立派な公衆便所つき第二公民館なんかつくってんじゃねーぞこのすっとこどっこい。

あすにつづく。

それにしても、粘着さんはどうなさったのであろうか。2月4日にひと声、春を待ちわびる鶯のようにさえずってくださったあと、ふたたび沈黙を守っていらっしゃるのであるけれど。
きのうのつづき。

なんのつづきかというと、1月31日に名張市役所で開かれた名張まちなか再生委員会の会合の報告、そのつづきである。

報告ではあるのだが、報告することは何もない、というけったいな報告である。名張まちなか再生委員会に検討を依頼してあった件について、これは昨年11月から12月にかけて、委員会の委員長と、委員会の内部組織であるまちなか運営協議会の会長と、このおふたかたに直接お会いして、当方の趣意を記した書類もお渡ししたうえでお願いした件なのであるが、委員会ではまったく検討がなされていなかった。で、委員会の参与である市議会議員おふたかたが肝煎りとなって、この日の会合を開いていただいたということになるのであるが、なにしろ検討がなされていなかったのだから、こちらとしては得るところなど何もない。

そういう報告なのである。狐につままれたみたいな話だから、報告を書いていても張り合いというものがない。おなじことをくり返し書きつけるだけみたいな感じである。細川邸をめぐるこれまでの動きを確認しておいてもいいのだが、これまでさんざん記してきたことだから、どうも気が乗らない。

要するにこちらとしては、なんというのか、すべては去年のうちに終わった話なのであって、1月6日付エントリ「設立趣意補足 5」にも記したとおり、「まあ、こちらとしてはできるだけのことはやってきたつもりである。やるべきことはやってきたつもりである。江戸川乱歩にかんしても、名張まちなか再生プランにかんしても、めいっぱいのことはしてきたつもりである。だから、年があらたまったいまの時点では、すべては過ぎてしまったことであり、思い残すことは何もないという心境である」といった感じであって、あとはどういう結論が出されるのかをみとどけるだけだという気分である。

ただし、名張まちなか再生委員会からどんな結論がもたらされるかは知れている。いまさら当方の提案を諾とすることはできないだろう。名張市に判断を仰いだとしても、2月4日付エントリ「二者択一の問題」に記したとおり、やはり結果は知れていよう。だから現実的な話としては、かりにこれからNPOを組織してなんらかの活動を進めることになったとしても、その拠点として細川邸を利用することは不可能だということになる。そうなると、こちらとしても構想を練り直さなければならない。

あるいは、まったく新しい構想を考えなければならないかもしれない。新しい構想というと聞こえはいいけれど、はっきりいってそんなものはほとんどないに等しいのであるが、1月31日の会合では一応、新しい構想のことにも簡単に言及しておいた。つまり、こちらの提示したプランが名張まちなか再生委員会に受け容れられなかったとしても、そのときにはまた別の構想を考えればいいだけの話なのであるから、良心の呵責や罪の意識を感じることなく、こちらの提案をばっさりやってくださって結構である、ということをお伝えしておいた。

ともあれ、得るところがなかったのは事実であるけれど、1月31日の会合を開いていただけたことにかんしては、名張まちなか再生委員会に深甚なる謝意を表しておきたい。肝煎り役を買って出てくださった市議会議員おふたかたとは、会合のあと市役所地下の食堂でコーヒーをごいっしょしたのだが、このつぎはお酒をごいっしょしたいということで話をまとめてきた。こういう話はすぐにまとまる。

ところで、粘着さんはどうしていらっしゃるのであろうか。新しいコメントはまだである。本日も放置なり。
名張市
産経新聞:元中学校用地の事業者募集、2度目も借り手なし 名張市
毎日新聞:地震防災講演会:今後の課題は要援護者の把握--名張 /三重
毎日新聞:八日戎:商売繁盛を願う 名張・蛭子神社で7、8日 /三重
毎日新聞:コミュニティーバス:名張・錦生の計画、奈良・宇陀市関係地域も参画 /三重
毎日新聞:地域福祉バス:名張市青蓮寺・百合が丘地区で導入 来月試行、4月本格運行 /三重
毎日新聞:名張市:ボランティア用ごみ袋に広告掲載 1口5万円で募集 /三重

伊賀市
産経新聞:伊賀市議選でガソリン代を過剰請求 議長が適正処理を文書で通知
産経新聞:「くノ一」イレブンの雄姿見て 岡三証券伊賀支店で写真展
毎日新聞:伊賀市元総務部長詐欺:督促状を不適切処理、月内に職員を処分--市長表明 /三重
毎日新聞:伊賀市:公金紛失の課長を戒告処分 /三重
中日新聞:鬼頭に大鏡もち… 島ケ原温泉修正会前に供え物展
伊勢新聞:5台玉突き3人重軽傷 国道凍結、スリップか 伊賀
伊勢新聞:
写真で見る「FCくノ一」伊賀で展示
プレスリリース:
セカンドライフの伊賀忍者屋敷がいよいよオープン!!
BroadBand Watch:伊賀上野観光協会、Second Life内に「伊賀流忍者の里」を開設
nikkei BPnet:Second Lifeに忍者屋敷をオープン、伊賀上野観光協会
INTERNET Watch:Second Lifeで忍法「水蜘蛛の術」、伊賀上野観光協会が「忍者屋敷」開設
しつこくきのうのつづきである。

名張市の細川邸整備事業はいよいよ最終局面を迎えている。そこそこ長い道のりであった。

名張まちなか再生委員会の発足は平成17・2005年6月のことで、しかし当時とくらべると、委員会の内情はかなりさまがわりしているらしい。1月31日の会合その他で聞きおよんだところでは、当初、細川邸を私物化して私利私欲を追求しようとしていた連中は、いまも委員会に籍は置いているものの、実質的には細川邸にかんする検討から完全に身を引いてしまったという。

たとえば、あの駅弁大学の御用学者の先生と最初につるんでくださった方や、あるいは、「おれはこのまちなか再生事業で一億円の金を自由につかえるねん」と豪語していらっしゃった方は、いまや素知らぬ顔で傍観者を決め込んでいるらしい。

したがって、現在の時点で細川邸の整備構想に携わっている委員会の役員なり委員なりは、いってみれば気の毒な役まわりを押しつけられた人たちなのである。名張市が深い考えなど何もなく、ただ漫然と細川邸整備を核とした名張まちなか再生事業に手を出してしまったその尻ぬぐいが、そうした役員なり委員なりに押しつけられているのだといえる。

だが、そんなことは関係ない。内情はどうあれ、名張まちなか再生委員会の無能力はいまや明らかである。程度の悪い市民を委員に任命した名張市の責任は厳しく追及されるべきである。単なる任命責任にはとどまらない。名張まちなか再生プランを策定するにあたって、みずからはどんなビジョンもグランドデザインも示そうとせず、区長会だのまちづくり協議会だのといった関係諸団体からメンバーをかき集めたあげく、名張のことなど何も知らぬ御用学者をトップに据えた委員会を発足させることでよしとした手法そのものが、もうひたすらにあほなのである。

そしてその結果として、名張市民のまえに、なんのために整備されたのかもわからない「やなせ宿」とかいう施設が姿を現そうとしているのである。何がどうなったって、もう取り返しはつかないだろう。名張まちなか再生プランの素案発表以来、パブリックコメントなどであれこれ助言提言をおこない、いままた細川邸活用策の提案を受け容れるかどうかと委員会に検討を要請して、つまりは名張まちなか再生プランとそこそこ長いつきあいになる身として実感されるのは、いまさらどうにもならんぞもう、ということである。あれだけいってやったのに、ということである。

ところで、お気づきの方もおいでであろうが、じつにひさしぶりに粘着さんがおいでくださった。きのうのエントリ「二者択一の問題」に、「新名張市民」との名義でコメントをお寄せくださった。昨年12月24日からスルーしっぱなしの状態だったのであるが、どうやら粘着さん、うずうずうずうず、とうとう粘着気質を抑えられなくなったものとみえる。このまま放置しておいたら、いったいどんな粘着ぶりが発揮されるのかな。ともあれ、粘着さんいらっしゃーい。

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