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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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しつこくきのうのつづきである。

名張市の細川邸整備事業はいよいよ最終局面を迎えている。そこそこ長い道のりであった。

名張まちなか再生委員会の発足は平成17・2005年6月のことで、しかし当時とくらべると、委員会の内情はかなりさまがわりしているらしい。1月31日の会合その他で聞きおよんだところでは、当初、細川邸を私物化して私利私欲を追求しようとしていた連中は、いまも委員会に籍は置いているものの、実質的には細川邸にかんする検討から完全に身を引いてしまったという。

たとえば、あの駅弁大学の御用学者の先生と最初につるんでくださった方や、あるいは、「おれはこのまちなか再生事業で一億円の金を自由につかえるねん」と豪語していらっしゃった方は、いまや素知らぬ顔で傍観者を決め込んでいるらしい。

したがって、現在の時点で細川邸の整備構想に携わっている委員会の役員なり委員なりは、いってみれば気の毒な役まわりを押しつけられた人たちなのである。名張市が深い考えなど何もなく、ただ漫然と細川邸整備を核とした名張まちなか再生事業に手を出してしまったその尻ぬぐいが、そうした役員なり委員なりに押しつけられているのだといえる。

だが、そんなことは関係ない。内情はどうあれ、名張まちなか再生委員会の無能力はいまや明らかである。程度の悪い市民を委員に任命した名張市の責任は厳しく追及されるべきである。単なる任命責任にはとどまらない。名張まちなか再生プランを策定するにあたって、みずからはどんなビジョンもグランドデザインも示そうとせず、区長会だのまちづくり協議会だのといった関係諸団体からメンバーをかき集めたあげく、名張のことなど何も知らぬ御用学者をトップに据えた委員会を発足させることでよしとした手法そのものが、もうひたすらにあほなのである。

そしてその結果として、名張市民のまえに、なんのために整備されたのかもわからない「やなせ宿」とかいう施設が姿を現そうとしているのである。何がどうなったって、もう取り返しはつかないだろう。名張まちなか再生プランの素案発表以来、パブリックコメントなどであれこれ助言提言をおこない、いままた細川邸活用策の提案を受け容れるかどうかと委員会に検討を要請して、つまりは名張まちなか再生プランとそこそこ長いつきあいになる身として実感されるのは、いまさらどうにもならんぞもう、ということである。あれだけいってやったのに、ということである。

ところで、お気づきの方もおいでであろうが、じつにひさしぶりに粘着さんがおいでくださった。きのうのエントリ「二者択一の問題」に、「新名張市民」との名義でコメントをお寄せくださった。昨年12月24日からスルーしっぱなしの状態だったのであるが、どうやら粘着さん、うずうずうずうず、とうとう粘着気質を抑えられなくなったものとみえる。このまま放置しておいたら、いったいどんな粘着ぶりが発揮されるのかな。ともあれ、粘着さんいらっしゃーい。
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