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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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がーん。

あちゃーッ。

どっかーん。

どう表現してもいいのだが、思わず叫びたくなるほどの痛棒であった。いやまいったなほんとに。あす28日は江戸川乱歩の命日なのであるが、その日を目前に、ぎゃあぎゃあわめきながら四畳半のたうちまわってしまうほどの痛棒を喰らってしまった。やべーよ実際。とはいえ、予想されていたことでもあった。いつかこんな日がやってくるにちがいないと、かすかな怯えを抱きながら生きてきた。その予想がついに現実となった。いっそせいせいしたようにも思う。しかし、しかしなあ。

江戸川乱歩令息、平井隆太郎先生の『乱歩の軌跡 父の貼雑帖から』が東京創元社から刊行された。ご恵投をたまわった。本体4300円。奥付の発行日は7月28日、つまり乱歩の命日である。昭和53・1978年から翌年にかけて出版された講談社版江戸川乱歩全集の月報に連載された随筆が、三十年のときをへだてて一巻にまとめられた。むろん眼は通していたのだが、内容はほとんど記憶しておらず、図版が多く添えられていることもあって、未知の文章に接するような興趣とともに読み進むことができる。乱歩を知り、研究するうえで、きわめて貴重な資料である。

みたいなことを考えながら、とりあえずぱらぱらとページを繰ったのがおとといのことである。巻末に収められた浜田雄介さんの「解説」を熟読した。デビュー前の乱歩が企画していた「帝国少年新聞」を、新聞研究のオーソリティでいらっしゃる隆太郎先生がどのように考察なさったか、といったじつに興味深いくだりがあって、以下、ちょこっと引用。

   
『帝国少年新聞』のネットワーク作りは、探偵趣味の会を思わせるし、『日和』の知事インタビューは、労働問題について「温情主義」が持ち出されるあたり、「二銭銅貨」の紳士盗賊事件を連想させよう。メディエイターとしての乱歩を知ることは、小説家としての乱歩を捉える上でも無視できない。『貼雑年譜』にはもともと乱歩のメディア遍歴関連のスクラップが多いわけだが、新聞雑誌の編輯や読者獲得の手法、また宣伝や地域との関連などに言及しつつ、メディエイターとして時代の現実に立ち向かおうとした若き日の乱歩に着目したのは、隆太郎氏ならではの見識であった。
この隆太郎氏の着眼の先駆性は、その後の乱歩研究史が証明している。一方には松山巌『乱歩と東京』(PARCO出版局 昭和五十九年)から藤井淑禎編『江戸川乱歩と大衆の二十世紀』(『国文学 解釈と鑑賞』別冊 平成十六年)までの、乱歩ないし乱歩作品の問題系を文化の多領域に広げてその意味を考えてゆこうとする試行がある。また一方には芦辺拓「都市伝説 江戸川乱歩」(『大阪人』平成十七年七月−十八年一月)や小松史生子『乱歩と名古屋』(平成十九年 風媒社)など、デビュー以前の足跡をたどることで作家誕生の秘密に迫る作業も生まれてきている。ホームページ「名張人外境」(http://www.e-net.or.jp/user/stako/)で進行中の中相作「江戸川乱歩年譜集成」は、『探偵小説四十年』と『貼雑年譜』を再検討しつつ、歴史の中の乱歩を克明に描き出す試みである。
これらの研究は、乱歩作品を、例えば海外ミステリの影響や、作者の幻想的資質から解釈するような従来の方向とは明らかに異なっている。方法に甲乙があるわけではないが、社会学やメディア論とも連動する乱歩あるいは探偵小説に対する今日的な関心のありようを考える時、その起点に『乱歩の軌跡』が位置していることは疑いを容れないだろう。

がーん。

あちゃーッ。

どっかーん。

どう表現してもいいのだが、こんなところに自分の名前が出てくるとは、なんぼなんでも予想はできない。びっくりしたり、恥ずかしくなったり、もちろんうれしくなったりありがたく思ったりして、しかしこれはやはり、激烈な痛棒であると認識すべきなのであろうなと了解した。というのも、なにしろウェブサイト名張人外境、このところほったらかしの状態である。「江戸川乱歩年譜集成」の作業もストップしたままである。ゆえに、いつまでもこんなことではいかんぞ、という痛棒を頂戴したと理解するのがまっとうな考えかたというものであろう。それできのうは朝っぱらから、ひさかたぶりで名張人外境の更新にいそしんだ。

とはいえ、「江戸川乱歩年譜集成」はほったらかしのままである。というか、落ち着いて作業できる精神状態にないのである。名張市および名張市教育委員会にきっちり落とし前をつけてもらうまで、「『探偵小説四十年』と『貼雑年譜』を再検討しつつ、歴史の中の乱歩を克明に描き出す試み」に沈潜できぬということである。みずからの怠惰と無能を人のせいにしてるみたいな気もするが、つまりはそういうことである。だから名張市長には早くしゃっきりしていただきたい。名張市公式サイトの「市長への手紙」を利用して、インターネット上で名張市長と当方とのやりとりを公開しながら、名張市は乱歩をどうする気? という質問への回答を名張市長にお示しいただくつもりである。

したがって、やなせ宿のことなんて、一日も早くおしまいにしていただかなければ困るのである。あとがつかえているのである。7月21日、「市長への手紙」で送信したのはこんな質問であった。

・名張まちなか再生委員会の歴史拠点整備プロジェクトによる変更、すなわち、細川邸を歴史資料館ではなく初瀬ものがたり交流館として整備するという決定は、正当なものと考えるかどうか。

イエスかノーかでお答えいただける質問である。答えは瞬時に出るはずである。もっとも、答えが出せない、という場合もあるかもしれない。正当なものと考える、と答えてしまったら、名張市長は市民や市議会を無視している、ということになってしまう。現実にはそうなのであるが、まさかそれを公言することはできぬであろう。かといって、正当なものではないと考える、と答えることもできない。名張市はえらく不当なことをやっとります、と認めることなどできるわけがない。だからもう、先日も記したとおり蟻地獄なのである。逃れようはあるまい。腹をくくってお答えいただくしかないように思う。

7月22日に名張市役所で開かれた名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの会議。出席メンバーのなかに、なんというのか、名張市長の腹心、とでもお呼びすべき市職員のかたがいらっしゃったので、はっはーん、市長の命を受けて偵察にいらっしゃったのかな、とか、こーりゃ話は筒抜けだな、とか、いろいろなことを考えて、これさいわいとそれこそ痛棒を供しておいた。たとえば、負け癖のついた犬みたいにいつまでもこそこそ逃げ隠れされてもなあ、みたいなことをいっておいた。自分を無条件で温かく迎え入れてくれる市民にしか顔を向けない、なんてことなら市長失格じゃね? とはいわなかった。いいはしなかったが、腹のなかでは思っている。だからこうして記しておく。筒抜けであろう。

逃れようはないのだから、やなせ宿整備における非を素直にお認めいただいて、やなせ宿のことはその時点からリスタート、ということでいいと思う。取り返しがつかないことも多々あるけれど、リスタートできることはリスタートすべきであろう。それでそのあと、名張市は乱歩をいったいどうするのか、その点について、一寸刻み五分試し、ということでもないけれど、とにかくじっくり詰めてゆきたい。この蟻地獄は、やなせ宿のそれとはわけがちがう。蟻地獄の底で待ちかまえているのは、血も涙もない人間豹である。しかも、ものすごく怒っている。おーこわ。

ところで、きのう、皇學館大学名張学舎で月例文化講座があった。テーマは「江戸川乱歩と名張」。講師は同大学文学部准教授の三品理絵さん。聴講してきた。とてもよかった。三品先生がとても可愛かったのでとてもよかった。こんなこと書いてると張り倒されるか。とにかく面白い講義であった。終了十分前になって乱歩の名前がようやく出てくる、みたいな詐欺めいたことはむろんなかった。

このブログ的に報告しておくとすれば、江戸川乱歩生誕地碑のことであろうか。表通りを歩くと、そこここにせまい路地が道を開いていて、路地の奥にはいろんなものの息づかいが隠れているような気配がある。その入り組んだ路地を探るようにして、また迷いこむようにして、あるいは謎を解くようにして、ようやくたどりつく乱歩の生誕地碑。一本の路地の奥にひそかにたたずんでいる生誕地碑こそは、乱歩の嗜好をそのまま現し、乱歩の世界をそのまま体現している。地元へのリップサービスということではたぶんなく、三品先生は心からそのようにお考えのようであった。名張市民のひとりとして、たいへんうれしいことである。

それにしても、そういうことがどうしてわからんのかなあ名張市役所の人たちには。何も知ろうとせず、何も考えようとせず、モニュメントつくりまーす、みたいなうわっつらの思いつきだけでことを済ませようとする。本質的な問題に思いをいたすことはまったくせず、児戯にひとしいその場しのぎでお茶を濁してこと足れりとする。江戸川乱歩生誕地碑広場のモニュメントなんて、ほんとにその典型である。そのモニュメントこそはまさしく、名張市の無策無能無責任をそのまま現し、底が抜けたとしか思えぬようなあほさをそのまま体現したものになっていたはずなのであるが、話をきれいにぶっ壊してやることができたのはさいわいであった。めでたしめでたし。もっとぶっ壊してやらねばならぬものが、ここ名張市にはまだまだ転がっているのであるけれど。

「江戸川乱歩年譜集成」の話がどこかへ行ってしまった。というか、平井隆太郎先生の『乱歩の軌跡 父の貼雑帖から』の話がどこかへ行ってしまった。まあいいか。人間豹だもの。しかも二日酔いだし。
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昨24日夜、名張市役所で名張まちなか再生委員会の乱歩関連事業検討委員会が開かれた。なんか最近、こんなことばっか書いてる気がする。こんなことではいかんのではないかという気もするのだが、すみやかに報告を進める。7月15日におこなわれた乱歩関連事業検討委員会のつづき、このブログ的には、7月18日付エントリのつづきである。

7月18日:モニュメントが必要なのか

桝田医院第二病棟跡地に整備される江戸川乱歩生誕地碑広場に、新たなモニュメントを設置する必要があるのかどうか。先週の委員会では、約二百万円をかけてモニュメントをつくるという名張市側の構想が明らかにされたので、その半額の百万円をよこすのであれば、コンサルタントとしてモニュメントの話に乗ってやる、と伝えておいた。しかし、名張市からはなんの音沙汰もなかった。

きのうの委員会では、まずその点に苦言を呈した。人が毎晩10時まで電話の横で名張市からの連絡を待っていたというのに、梨のつぶてとはいったいどういうことか。おちょくっとるのか。コンサルタントをないがしろにしたらどんなことになるか、骨身にしみるまで思い知らせてほしいというのか。ならば、思い知らせてやろう。モニュメントの一件、完膚なきまでに叩きつぶしてやろう。

そこで、名張市サイドに確認した。かりにこの委員会でモニュメントはつくらないと決まった場合、名張市にはその決定をうけいれる用意があるのか、と尋ねた。うけいれる、とのことであった。上等である。だから叩きつぶしてやった。きれいに叩きつぶしてやった。モニュメントの話はなかったことになった。予定されていた税金二百万円の無駄づかい、未然に防ぐことができたのである。この点、名張市民各位に胸を張って報告しておきたい。しかしまあ、浮いた二百万円もどっかべつのとこで無駄づかいされることになるのかもしれんが。

叩きつぶしてやったといっても、横車を押したわけではまったくない。横車というなら、むしろ名張市のおはこであろう。モニュメントの話だって、まったくの横車である。名張市が何かを考えたとしたら、それはろくでもない考えである。名張市が何かを決めたとしたら、決定にいたるプロセスはきわめて不当なものである。モニュメントの話だって、ご多分にもれない。じつに不当なプロセスを経て、まさにろくでもないものに税金がつかわれようとしていた。だから、不当でろくでもない点を指摘してやれば、それだけでことは足りる。委員の賛同が得られる。結果はすぐに出た。ごくまっとうな、常識的な、おおかたの市民の納得を得られるはずの答えである。すなわち、名張まちなか再生委員会の乱歩関連事業検討委員会は、今年度実施される江戸川乱歩生誕地碑広場整備事業においてモニュメントをつくるべきではない、との結論にいたった。この判断はそのまま、名張市の判断となる。そのはずである。

余談ながら、名張市行政の全般にわたって、こうした事例はごろごろしているのではないか。おおざっぱにいってしまえば、名張市が何かを考え、何かを決めたとしたら、それは少なからぬ場合において間違いなのである。その間違いを未然に防ぐには、名張市の内部にもぐりこみ、何かが考えられ、決められてゆくプロセス、その現場に立ち会っておかしな点を指摘してやる必要がある。そうしないかぎり、名張市は際限もなく間違いを犯しつづけるのではないか。

間違いといえば、きのうの委員会では、あの不細工な案内板はどうする気だ、という問題でも一発かましておいた。この案内板である。

20080423a.jpg

幼稚園児の切り貼り遊びというしかない、なんともおそまつな案内板である。一日二十四時間、一年三百六十五日、瞬時の休みもなく、名張市ならびに名張市教育委員会がいかにあほかということを満天下に発信しつづけてくれている案内板である。名張市と名張市教育委員会があほであるというのはまぎれもない事実であるが、それをひろく世間に訴えたいというのであれば、名張市の庁舎に「てまえどもはあほでございます」と大書した垂れ幕でもぶらさげておけばいいのである。何もこんな案内板でみずからのあほを売りこむことはないではないか。したがってこの案内板、本来であれば撤去すべきなのであるが、そこまではいわない。いったって、撤去なんかできるわけがない。しかし、あきらかな誤りは訂正しろよな、ということは、6月1日の名張まちなか再生委員会の総会でいっておいた。案内板を担当した歩行者空間整備プロジェクトのリーダーからは、検討しますとの返答があった。7月30日の役員会ではその検討の結果も発表されるんだろうな、ときのうの委員会で念を押しておいた。

あすにつづく。つづかないかもしれない。なんかもう、どうだっていい感じなんだけど。
きのうのつづき。

やなせ宿は、誰からも望まれることなく生まれてきたかわいそうな赤子である。口さがない世間からは、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館とからかわれ、さげすまれている。最近では、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館with小判鮫、とまでいわれて、ばかにされている。不憫でならぬ。しかし、だからといって、関係者を集めてまとめて批判してやろう、というのではない。8月30日に開かれるやなせ宿連続講座やなせ塾第四回の話である。糾弾や弾劾の場ではない。関係各位に、たったひとことでいい、やなせ宿というかわいそうな子供にやさしいことばをかけてやってもらいたい。そのために設ける場である。もとより当方個人の考えではあるが、7月22日夜に開かれた名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの会議では、ほぼ当方の考えに沿ってやなせ塾第四回の内容が決定された。

このあとの手順としては、役員会への報告が待っているらしい。名張まちなか再生委員会の役員会が7月30日に開かれるそうで、その席上、やなせ塾の第三回と第四回をこんなぐあいに開催いたします、と歴史拠点整備プロジェクトが報告をおこなうという。役員会ではたぶんやなせ塾にかんする意見も出されるであろうから、かんなくずの親分がその意見をプロジェクトにもって帰り、役員会の意見も勘案しながら最終決定にもちこむ、ということになるらしいのであるが、なんともややこしい話である。ま、役員会がどんな反応を示すのか、いささかの興味をおぼえぬでもない。

したがって、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館with小判鮫を知の殿堂に生まれ変わらせるやなせ宿連続講座やなせ塾の第三回と第四回の詳細を発表できるのは、7月30日の役員会を受けて開かれる歴史拠点整備プロジェクトの会議が終わってから、ということになる。

といったようなことである。7月22日に名張市役所で開かれた名張まちなか再生委員会の歴史拠点整備プロジェクト、数えて十六回目の会議の概要は以上のようなことであった。むろんほかにもいろいろと話はあって、たとえば名張市がやなせ塾の向こうを張って開催する、ということはまったくないのだが、なばり学講座とやらの話題も出た。名張市の公式サイトにメニューが掲載されているとのことであったが、確認してみるとこれである。

名張市公式サイト:ふるさとづくりゼミナール 学習メニュー

うちみたところ、笑えそうな講座がひとつもない。そんなことではだめだろうがと思うのだが、それはまあいいとして、ふと疑問に思われたのは、どうして江戸川乱歩をテーマにした講座がないのか、ということである。たとえば名張市がいわゆるふるさと納税を呼びかけるページにも、乱歩の名前がちゃんと出ている。

名張市公式サイト:ふるさと納税の実施について(実施要項)

「日本探偵小説の創始者 江戸川乱歩生誕の地」とぶちあげているではないか。だったら、なばり学講座とやらのテーマとして乱歩をとりあげるくらいのことはしてもいいのではないか。それをなぜしない。できないのか。できないのであろうな。名張市だもの。

それはそれとして、名張市公式サイトによれば、11月15日のなばり学講座第五回「まちなみ探検(名張地区旧市街地)」の講師がいまだ決まってないというではないか。それはお困りであろう。名張まちなか再生委員会のニューヒーローとしても、とても見すごしにはできぬ話である。じゃによって、講師ならいくらでも引き受けて進ぜよう。これほどうってつけの講師はほかにおらぬぞ。苦しゅうない。遠慮は無用じゃ。頼ってまいれ。名張市教育委員会生涯学習室からの講師依頼、待っておるぞ。

最後にひとつ、かんなくずの親分からのお知らせである。名張まちなか再生委員会とはなんの関係もない話だが、名張川納涼花火大会が催される7月26日、やなせ塾懇親会の会場であった新町の酒蔵空間で、親分が飲食のあきないをするらしい。親分がぺらぺら説明するのをすべて聞き流しておったから、くわしいことはよく知らぬのだが、酒を飲ませたり鮎を食べさせたりするという。やなせ塾懇親会の例からも知れるとおり、親分の段取りだから赤字が出るのは必定であろうが、ま、気が向いたらのぞいてやっていただきたい。かんなくずの親分、きっと大喜びすることであろう。
昨22日夜、名張市役所で名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの会議が催された。一週間前、先週の火曜日には乱歩関連事業検討委員会が開かれた。あすの夜もまた、乱歩関連事業検討委員会である。地域社会の害虫である名張まちなか再生委員会を派手にぶっ壊してやることを唯一の目的としてメンバーに加わったというのに、なんでここまで精励恪勤しなければならんのか、とぞ思う。

議題はつぎのとおり。

1.やなせ塾の反省について
2.今後の活動について
3.その他

一点目。やなせ宿連続講座やなせ塾第一回ならびに第二回の反省である。歴史拠点整備プロジェクトリーダー、かんなくずの親分からは、二回の講座はともに好評で、当方の話をもっと聴きたい、とおっしゃる方も少なくないとの報告があった。ついで、親分から発言を求められたので、講師としては反省すべき点など何ひとつない、と述べておいた。そんなもの、あるわけないではないか。

二点目。やなせ塾の第三回と第四回については、6月11日のプロジェクト会議で内容の合意はみていたのだが、日程が未定であった。

6月15日:やなせ塾にも死亡フラグか

きのうの会議で、第三回は8月23日土曜日、第四回は8月30日土曜日、と決まった。

6月11日の会議で配られた資料から、日程だけに訂正を加え、第三回と第四回の「開催要項」を引く。ほかにも、たとえば主催者などに訂正すべき点があるのだが、資料のままとしておく。

   
第3週
・テーマ 「やなせ宿」の可能性を考える
・サブテーマ 「おもてなしの研究」
・開催目的 町家の持つ機能と美しさをフルに引き出し、夏の宵に心づくしのおもてなしを考えます。
・主催 名張まちなか再生委員会、名張市、名張市教育委員会
・会場 旧細川邸「やなせ宿」
   8月23日午後6:00開場・6:30開始
・形式 体験講座
   心地よい音楽や、行燈の優しい光等、心癒される町家空間を体験します。
・入場予定者数 50名
・スケジュール 午後6:00 受付
       午後6:30 主催者あいさつ、趣旨説明他
       午後6:45 自由体験
       午後8:15 茶話会
       午後8:50 主催者謝辞
       午後9:00 閉会

第4週
・テーマ まちなかのあすを語る
・サブテーマ 「まちなか再生とは」
・開催目的 まちなか再生にとってほんとうに必要なものは何か? どうすれば再生するのか? 再生とは何か? 根本に立ち戻ってともに考える。
・主催 名張まちなか再生委員会、名張市、名張市教育委員会
・会場 旧細川邸「やなせ宿」
   8月30日午後6:00開場・6:30開始
・形式 座談会
・出席予定者 名張まちなか再生委員会・正副委員長
      まちなか運営協議会・会長
      名張地区既成市街地再生計画策定委員会・委員長
      名張市長
      名張市環境部長
      名張市議会・議長
      名張市教育委員会・委員長
      名張商工会議所・会頭
・入場予定者数 20名
・スケジュール 午後6:00 受付
       午後6:30 主催者あいさつ、趣旨説明他
       午後6:45 討論会
       午後8:15 質疑応答
       午後8:50 主催者謝辞
       午後9:00 閉会

第三回「おもてなしの研究」は、なんだかつかみどころのない講座である。しかし、かまわん。消化試合である。とにかく早くやれ、とせっついておいた。

つづく第四回は、かんなくずの親分にはディスカッションの場としたい意向があったようだが、そんなことはとても無理である、これは顔見世興行である、とつっぱねておいた。やなせ宿の整備にそれぞれの立場で携わっていただいた各位から、ひとり五分間でもいいから、やなせ宿について、あるいは、やなせ宿を核としたまちなか再生について、自由におはなしいただければそれでいい。歴史拠点整備プロジェクトのメンバーは、そして第四回に参加する一般市民は、それを拝聴するだけである。われわれは謙虚でなければならない。何よりも謙虚な姿勢が求められる。きのうの会議では、その点を力説しておいた。

討論など、まったく必要がない。そんなことをしても、出席者の話はみごとなまでにかみ合わぬであろう。収拾がつかなくなることは眼にみえている。必要なのは討論ではなく、顔見世である。やなせ宿関係各位に顔をみせていただいて、やなせ宿の整備事業に、それぞれの立場で、けりというやつをつけていただきたい。つけていただかねばならない。当方のねらいは、端的にいえば、これはきのうもはっきり主張しておいたのだが、名張市長に早く楽になっていただきたい、ということである。やなせ宿の座敷で、やなせ宿について語ることで、やなせ宿整備事業の最高責任者として、名張まちなかの住民の前で、というよりは名張市民の前で、事業にとりあえずのけりをつけていただきたい。かなりすっきりしていただけるのではないか。胸のつかえが下りたような気分を味わっていただけるのではないか。そのうえで、名張まちなか再生のために、むろん再生なんて実際にはほぼ不可能であろうけれども、あの名張まちなかのために、市長という立場でさらなるご尽力をお願いしたい。

だから第四回は、いってみれば憑きもの落としの場なのである。名張市長のみならず、ほかの出席予定者各位もたぶんご同様だと拝察する次第であるが、やなせ宿ということばを眼にしたり耳にしたりするたびに、心のなかにこわばりが生じてしまうような状態でいらっしゃるのではないか。そこまでセンシティブな人間ばかりでもないか、という気もするのだが、それはそれとして、とにもかくにも、やなせ宿ということばに接しただけでいちいちこわばられてちゃ困るのである。そんなことでは、「まちなかのあすを語る」なんてことができるはずがないのである。だから、やなせ宿という憑きものを落とすために、顔見世興行の舞台にお立ちいただき、自由におしゃべりいただきたい。それが何よりの憑きもの落としとなるはずである。そして、憑きものが落ちた柔軟な精神で、やなせ宿の今後のことを、名張まちなかのあすのことを、真剣に考えていただきたい。それが当方のもくろみである。

ゆえに討論など、まったく必要がない。出席者同士の会話の要もない。さらに、これもきのう釘を刺しておいたのだが、一般参加者との質疑応答の機会なんてのも無用である。出席者各位には、素直に、正直に、虚心に、坦懐に、飾ったりとりつくろったりすることはいっさいせず、赤心を推して人の腹中に置く、といった心意気で、それぞれの考えを述べていただければそれでいいのである。出席者各位のことばはそれで充分、聴いている人間の心に届くはずである。それでもその場でなんのかんのいってくる人間がいたとしたら、そんな不心得なやつは当方がきれいに黙らせてやる。

むろん、名張まちなかをテーマにしたパネルディスカッションが必要でない、ということではない。必要とあれば別の機会、別の日のやなせ塾で、そうした場を設ければいいだけの話である。無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館、いやいや、最近では無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館with小判鮫、という評価も定着しつつあるらしいのだが、とにかくあのやなせ宿を知の殿堂に生まれ変わらせる連続講座やなせ塾は、第一回と第二回の圧倒的な好評を受け、今後も継続するという方針がきのう確認された。したがって、いつの日かのやなせ塾で、かんなくずの親分が大車輪の活躍をみせるパネルディスカッションを好きなだけぶちかませばいいのである。しかし、やなせ塾第四回をその場としてはならない。それは賢明なことではない。

あすにつづく。
まさかこんなことになるとは予想もしていなかったのだが、江戸川乱歩というカテゴリを追加した。そのうえで、お知らせ。

江戸川乱歩の「人間豹」を原作にした新作歌舞伎「江戸宵闇妖鉤爪(えどのやみあやしのかぎづめ)─明智小五郎と人間豹─」が11月、国立劇場で公演される。出演は松本幸四郎さん、市川染五郎さんら。

日本芸術文化振興会:11月歌舞伎公演「江戸宵闇妖鉤爪(えどのやみあやしのかぎづめ)」
日本芸術文化振興会:「江戸宵闇妖鉤爪」チラシA面
日本芸術文化振興会:「江戸宵闇妖鉤爪」チラシB面

7月15日に開かれた名張まちなか再生委員会乱歩関連事業検討委員会の席上、行政サイドからこの公演の告知があった。たしかその日の昼、国立劇場スタッフが名張市役所を訪れ、どのセクションにおいてであったのかは知らないが、こんな公演がありますので、と挨拶してくださったとのことであった。無駄足であったと思う。名張市役所のみなさんには、打てば響く、ということがまったくない。あ、そうでんのか、右から左、それでおしまい。PRも何もあったものではない。「人間豹」が歌舞伎になります、と国立劇場からじきじきに案内をいただけるということは、名張市が乱歩にかんしてそれだけの潜在的可能性を有しているということなのだが、ま、そんなことはどうだっていいのか。

「人間豹」が歌舞伎になる。なかなか眼のつけどころがいいと思う。乱歩作品の歌舞伎性とでも呼ぶべき側面を最初に発見したのはたぶん三島由紀夫で、「黒蜥蜴」はまさにそうした戯曲であった。劇中には歌舞伎の割台詞の趣向も採用されている。ちなみに6月19日、大阪の梅田芸術劇場で美輪明宏さん演出主演その他の「黒蜥蜴」を観劇したのだが、以前の公演とはかなり演出が変わっているところもあり、この割台詞のシーンなど、能の所作をとりいれたうえに最後はちゃんと見得まで切る演出が面白く、とはいえ、お茶目な美輪さんちょい遊びすぎ、と思われぬでもなかったのだが、いっそ歌舞伎にしてしまえばどんな外連もOKであろう。げんに「江戸宵闇妖鉤爪」のチラシには、

「市川染五郎 大凧にて宙乗り相勤め申し候」

と記されていて、この一文を読むだけで、たぶんラストシーンであろうな、とか思い、いまからわくわくしてくる。みたいなことは、名張市役所あたりで話題にしたってさっぱり通じないことだろうと思う。もっとも、名張市職員有志による「江戸宵闇妖鉤爪」観劇ツアーが催行されるというのであれば、コンサルタントとして同伴するのはやぶさかではない。いつでもいってきなさい。

そんなことはどうでもいいとして、「人間豹」が歌舞伎になるというめでたいニュースが飛びこんできたのだから、こちらもそろそろ人間豹の本性をむきだしにして、名張市および名張市教育委員会に神算鬼謀の最終決戦を挑むこととしたい。ひらたくいえば、というか、あまり穏当でないことばを使用していうならば、乱歩のことできっちり落とし前をつけてもらう。とはいえ、それより先にやなせ宿の問題があったか。名張市公式サイト「市長への手紙」でやなせ宿のことをちょいちょいとかたづけたら、そのまま江戸川乱歩というテーマに移行して、いよいよ人間豹の出番となる。しばし待たれよ。けどまあ、待ってました高麗屋ッ、とかそういうのはいいから。

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