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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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がーん。

あちゃーッ。

どっかーん。

どう表現してもいいのだが、思わず叫びたくなるほどの痛棒であった。いやまいったなほんとに。あす28日は江戸川乱歩の命日なのであるが、その日を目前に、ぎゃあぎゃあわめきながら四畳半のたうちまわってしまうほどの痛棒を喰らってしまった。やべーよ実際。とはいえ、予想されていたことでもあった。いつかこんな日がやってくるにちがいないと、かすかな怯えを抱きながら生きてきた。その予想がついに現実となった。いっそせいせいしたようにも思う。しかし、しかしなあ。

江戸川乱歩令息、平井隆太郎先生の『乱歩の軌跡 父の貼雑帖から』が東京創元社から刊行された。ご恵投をたまわった。本体4300円。奥付の発行日は7月28日、つまり乱歩の命日である。昭和53・1978年から翌年にかけて出版された講談社版江戸川乱歩全集の月報に連載された随筆が、三十年のときをへだてて一巻にまとめられた。むろん眼は通していたのだが、内容はほとんど記憶しておらず、図版が多く添えられていることもあって、未知の文章に接するような興趣とともに読み進むことができる。乱歩を知り、研究するうえで、きわめて貴重な資料である。

みたいなことを考えながら、とりあえずぱらぱらとページを繰ったのがおとといのことである。巻末に収められた浜田雄介さんの「解説」を熟読した。デビュー前の乱歩が企画していた「帝国少年新聞」を、新聞研究のオーソリティでいらっしゃる隆太郎先生がどのように考察なさったか、といったじつに興味深いくだりがあって、以下、ちょこっと引用。

   
『帝国少年新聞』のネットワーク作りは、探偵趣味の会を思わせるし、『日和』の知事インタビューは、労働問題について「温情主義」が持ち出されるあたり、「二銭銅貨」の紳士盗賊事件を連想させよう。メディエイターとしての乱歩を知ることは、小説家としての乱歩を捉える上でも無視できない。『貼雑年譜』にはもともと乱歩のメディア遍歴関連のスクラップが多いわけだが、新聞雑誌の編輯や読者獲得の手法、また宣伝や地域との関連などに言及しつつ、メディエイターとして時代の現実に立ち向かおうとした若き日の乱歩に着目したのは、隆太郎氏ならではの見識であった。
この隆太郎氏の着眼の先駆性は、その後の乱歩研究史が証明している。一方には松山巌『乱歩と東京』(PARCO出版局 昭和五十九年)から藤井淑禎編『江戸川乱歩と大衆の二十世紀』(『国文学 解釈と鑑賞』別冊 平成十六年)までの、乱歩ないし乱歩作品の問題系を文化の多領域に広げてその意味を考えてゆこうとする試行がある。また一方には芦辺拓「都市伝説 江戸川乱歩」(『大阪人』平成十七年七月−十八年一月)や小松史生子『乱歩と名古屋』(平成十九年 風媒社)など、デビュー以前の足跡をたどることで作家誕生の秘密に迫る作業も生まれてきている。ホームページ「名張人外境」(http://www.e-net.or.jp/user/stako/)で進行中の中相作「江戸川乱歩年譜集成」は、『探偵小説四十年』と『貼雑年譜』を再検討しつつ、歴史の中の乱歩を克明に描き出す試みである。
これらの研究は、乱歩作品を、例えば海外ミステリの影響や、作者の幻想的資質から解釈するような従来の方向とは明らかに異なっている。方法に甲乙があるわけではないが、社会学やメディア論とも連動する乱歩あるいは探偵小説に対する今日的な関心のありようを考える時、その起点に『乱歩の軌跡』が位置していることは疑いを容れないだろう。

がーん。

あちゃーッ。

どっかーん。

どう表現してもいいのだが、こんなところに自分の名前が出てくるとは、なんぼなんでも予想はできない。びっくりしたり、恥ずかしくなったり、もちろんうれしくなったりありがたく思ったりして、しかしこれはやはり、激烈な痛棒であると認識すべきなのであろうなと了解した。というのも、なにしろウェブサイト名張人外境、このところほったらかしの状態である。「江戸川乱歩年譜集成」の作業もストップしたままである。ゆえに、いつまでもこんなことではいかんぞ、という痛棒を頂戴したと理解するのがまっとうな考えかたというものであろう。それできのうは朝っぱらから、ひさかたぶりで名張人外境の更新にいそしんだ。

とはいえ、「江戸川乱歩年譜集成」はほったらかしのままである。というか、落ち着いて作業できる精神状態にないのである。名張市および名張市教育委員会にきっちり落とし前をつけてもらうまで、「『探偵小説四十年』と『貼雑年譜』を再検討しつつ、歴史の中の乱歩を克明に描き出す試み」に沈潜できぬということである。みずからの怠惰と無能を人のせいにしてるみたいな気もするが、つまりはそういうことである。だから名張市長には早くしゃっきりしていただきたい。名張市公式サイトの「市長への手紙」を利用して、インターネット上で名張市長と当方とのやりとりを公開しながら、名張市は乱歩をどうする気? という質問への回答を名張市長にお示しいただくつもりである。

したがって、やなせ宿のことなんて、一日も早くおしまいにしていただかなければ困るのである。あとがつかえているのである。7月21日、「市長への手紙」で送信したのはこんな質問であった。

・名張まちなか再生委員会の歴史拠点整備プロジェクトによる変更、すなわち、細川邸を歴史資料館ではなく初瀬ものがたり交流館として整備するという決定は、正当なものと考えるかどうか。

イエスかノーかでお答えいただける質問である。答えは瞬時に出るはずである。もっとも、答えが出せない、という場合もあるかもしれない。正当なものと考える、と答えてしまったら、名張市長は市民や市議会を無視している、ということになってしまう。現実にはそうなのであるが、まさかそれを公言することはできぬであろう。かといって、正当なものではないと考える、と答えることもできない。名張市はえらく不当なことをやっとります、と認めることなどできるわけがない。だからもう、先日も記したとおり蟻地獄なのである。逃れようはあるまい。腹をくくってお答えいただくしかないように思う。

7月22日に名張市役所で開かれた名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの会議。出席メンバーのなかに、なんというのか、名張市長の腹心、とでもお呼びすべき市職員のかたがいらっしゃったので、はっはーん、市長の命を受けて偵察にいらっしゃったのかな、とか、こーりゃ話は筒抜けだな、とか、いろいろなことを考えて、これさいわいとそれこそ痛棒を供しておいた。たとえば、負け癖のついた犬みたいにいつまでもこそこそ逃げ隠れされてもなあ、みたいなことをいっておいた。自分を無条件で温かく迎え入れてくれる市民にしか顔を向けない、なんてことなら市長失格じゃね? とはいわなかった。いいはしなかったが、腹のなかでは思っている。だからこうして記しておく。筒抜けであろう。

逃れようはないのだから、やなせ宿整備における非を素直にお認めいただいて、やなせ宿のことはその時点からリスタート、ということでいいと思う。取り返しがつかないことも多々あるけれど、リスタートできることはリスタートすべきであろう。それでそのあと、名張市は乱歩をいったいどうするのか、その点について、一寸刻み五分試し、ということでもないけれど、とにかくじっくり詰めてゆきたい。この蟻地獄は、やなせ宿のそれとはわけがちがう。蟻地獄の底で待ちかまえているのは、血も涙もない人間豹である。しかも、ものすごく怒っている。おーこわ。

ところで、きのう、皇學館大学名張学舎で月例文化講座があった。テーマは「江戸川乱歩と名張」。講師は同大学文学部准教授の三品理絵さん。聴講してきた。とてもよかった。三品先生がとても可愛かったのでとてもよかった。こんなこと書いてると張り倒されるか。とにかく面白い講義であった。終了十分前になって乱歩の名前がようやく出てくる、みたいな詐欺めいたことはむろんなかった。

このブログ的に報告しておくとすれば、江戸川乱歩生誕地碑のことであろうか。表通りを歩くと、そこここにせまい路地が道を開いていて、路地の奥にはいろんなものの息づかいが隠れているような気配がある。その入り組んだ路地を探るようにして、また迷いこむようにして、あるいは謎を解くようにして、ようやくたどりつく乱歩の生誕地碑。一本の路地の奥にひそかにたたずんでいる生誕地碑こそは、乱歩の嗜好をそのまま現し、乱歩の世界をそのまま体現している。地元へのリップサービスということではたぶんなく、三品先生は心からそのようにお考えのようであった。名張市民のひとりとして、たいへんうれしいことである。

それにしても、そういうことがどうしてわからんのかなあ名張市役所の人たちには。何も知ろうとせず、何も考えようとせず、モニュメントつくりまーす、みたいなうわっつらの思いつきだけでことを済ませようとする。本質的な問題に思いをいたすことはまったくせず、児戯にひとしいその場しのぎでお茶を濁してこと足れりとする。江戸川乱歩生誕地碑広場のモニュメントなんて、ほんとにその典型である。そのモニュメントこそはまさしく、名張市の無策無能無責任をそのまま現し、底が抜けたとしか思えぬようなあほさをそのまま体現したものになっていたはずなのであるが、話をきれいにぶっ壊してやることができたのはさいわいであった。めでたしめでたし。もっとぶっ壊してやらねばならぬものが、ここ名張市にはまだまだ転がっているのであるけれど。

「江戸川乱歩年譜集成」の話がどこかへ行ってしまった。というか、平井隆太郎先生の『乱歩の軌跡 父の貼雑帖から』の話がどこかへ行ってしまった。まあいいか。人間豹だもの。しかも二日酔いだし。
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