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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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名張まちなか再生委員会のええじゃないか臨時総会をあすに控え、やなせ宿について、さらにいささかを記しておく。

毎日新聞:旧細川邸やなせ宿:絶好調 来館者、7カ月間で1万3300人--名張 /三重(1月16日)

引用。

   
一方で、市は運営委託料などとして年間300万円を支出しているが、1年目は貸し館業務などの収益は70万~80万円にとどまる見込み。やなせ宿は今月中にも国の登録有形文化財に指定される見通しで、同室は「来月オープン予定の(江戸川)乱歩生誕地碑広場とともにPRし、何とか100万円の収益を確保したい」と話している。

やなせ宿は無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館なのだから、貸し館業務によって収益をあげている。初年度収益は七十万円とか八十万円とか、そのあたりだという。結構なあがりではないか、と思って利用料金を調べてみようとしたのだが、やなせ宿の公式サイトには利用料金が記されていないようである。施設の予約状況なら、このページで知ることができる。

名張市旧細川邸やなせ宿:施設予約状況

このページにもとづいて、チェックできるかぎりの予約をチェックしてみた。昨年12月25日から今年の3月31日までの期間、ということになるのだが、絶好調なんだから予約殺到であろうなと思っていたところ、わずかにこれだけであった。

・12月25日(木)
母屋和室(店の間)09:00 〜 17:00 名張トラッド(ワンディシェフ)
母屋和室(中の間)09:00 〜 17:00 名張トラッド(ワンディシェフ)
母屋和室(奥の間)09:00 〜 17:00 名張トラッド(ワンデイシェフ)
中蔵 09:00 〜 17:00 名張高校の歴史展示

・12月26日(金)
母屋和室(店の間)09:00 〜 17:00 名張トラッド(ワンディシェフ)
母屋和室(中の間)09:00 〜 17:00 名張トラッド(ワンディシェフ)
母屋和室(奥の間)09:00 〜 17:00 名張トラッド(ワンデイシェフ)
中蔵 09:00 〜 17:00 名張高校の歴史展示

・1月9日(金)
母屋和室(店の間)09:30 〜 13:30 ボランティア協議会(会議)
母屋和室(中の間)09:30 〜 13:30 ボランティア協議会(会議)
母屋和室(奥の間)09:30 〜 13:30 ボランティア協議会(会議)

・1月10日(土)
母屋和室(中の間)13:00 〜 14:00 キッズスクエア
母屋和室(奥の間)13:00 〜 14:00 キッズスクエア

・1月21日(水)
母屋和室(中の間)10:30 〜 16:30 清風会(謡、笛の稽古)
母屋和室(奥の間)10:30 〜 16:30 清風会(謡、笛の稽古)

・1月23日(金)
母屋和室(奥の間)12:00 〜 17:00 (株)アドバンスコープ会議

・1月24日(土)
母屋和室(奥の間)11:30 〜 14:30 金石文研究会(食事会)

・1月31日(土)
母屋和室(奥の間)10:30 〜 13:30 介護センター(宴)打ち合せ

・2月
予約なし

・3月1日(日)
母屋和室(店の間)10:00 〜 17:00 やなせ宿(ひなまつりコンサート)
母屋和室(中の間)10:00 〜 17:00 やなせ宿(ひなまつりコンサート)
母屋和室(奥の間)10:00 〜 17:00 やなせ宿(ひなまつりコンサート)

・3月11日(水)
母屋和室(中の間)11:30 〜 13:30 ふたば家庭教育学級
母屋和室(奥の間)11:30 〜 13:30 ふたば家庭教育学級

大丈夫か。

ほんとに大丈夫か。

ほんっとに絶好調なのかやなせ宿。

絶不調のまちがいではないのかやなせ宿。

絶好調か絶不調かという問題はべつにしても、こういったお寒い利用状況では、さしたる収益があるとも思えない。初年度の貸し館業務その他で七、八十万円の現金が転がりこんでくるのかどうか、少なからず疑問に思われるところなのであるが、これはおそらく、川蔵をまるごとFMなばりのサテライトスタジオとしてアドバンスコープに貸しているから、その賃貸料がやなせ宿のしのぎにおおいに寄与しているのではないかと推測される。

それにしても、観光交流施設であるはずのやなせ宿に、どうしてまたFMなばりのスタジオなんかが入っているのか。それはまあ、観光交流施設とはいってもその実態は無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館なのであるから、FMスタジオであろうがSMクラブであろうが、好きなように貸し館業務を展開すればいいのであるとはいうものの、しかしなあ、しかしもうひとつ、釈然とせんからなあ。なんとなくもやもやした不透明感があって、なんでFMスタジオなの? という疑問が払拭できんからなあ。とはいえ、やなせ宿はもう名張まちなか再生委員会の手を離れてしまった施設だから、あしたのええじゃないか臨時総会にやなせ宿のことをもちだすわけにもいかんしなあ。

まあいいか。当方いずれそのうち、晴れて名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトのチーフに就任した暁には、やなせ宿整備事業の徹底検証をくりひろげ、やなせ宿は今年の4月1日以降、無期限で閉鎖するのが望ましい、との意見もつけて関係方面にばんばんかましてやるつもりである。なにしろ、うえに引いた記事によれば、やなせ宿運営のために今年度つぎこまれた税金が三百万円、来年度もおなじ金額が投入されるとして、やはりうえの記事にあるように、かりに来年度の収益が百万円になったとしても、プラスマイナスすれば二百万円の赤字ということになる。閉鎖したほうがいいのは眼にみえておるではないか。いったん閉鎖して、やなせ宿をいったいどうすればいいのか、一から考え直したほうが絶対いいに決まっているのである。

それはそれとして、やなせ宿整備事業徹底検証のプロセスにおいては、いったいどんな事情や背景や工作や癒着があって、当初は江戸川乱歩に関連して利用されると報じられていた川蔵が、いきなりFMなばりのスタジオなんかになってしまったのか、みたいなことも、ばんばん検証することになるのであろうなあ。なんか、関係各位からはまた、思いっきり嫌われてしまうのであろうなあ。ま、そんなことはもう慣れっこなんだけど。
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なんかもう、名張市は大変である。非常に大変である。先日紹介した「TOPPYのくびったけ@名古屋」というブログでも、やなせ宿にかんして同様のことが指摘されていたのだが、インターネット上において名張市は、ネガティブな話題ばかりが喧伝されている。あるいは、どんな話題もネガティブにしか喧伝されない、といったほうが正確か。とにかく、なにかをしたといっては叩かれ、なにもしなかったといっては叩かれる。名張市が公式サイトをリニューアルすれば、この時期に二千三百万円もかけてやることか、と叩かれる。皇學館大学が撤退を発表すれば、名張市がぼーっとしててなにもしなかったからだ、と叩かれる。あげく、皇學館大学の誘致に賛成したぼんくらはどいつだ、と市議会議員まで叩かれる。さらには、市議会議員はまちがいなくぼんくらだが、県議会議員だって負けず劣らずぼんくらだぞ、と勝ち抜きぼんくら合戦がはじまってしまう。どうしようもない。ほんとにどうしようもない。どうしようもないほど面白い。これはもう、お祭りといっていい状態なのではないか。あるいは、規模は小さいながら、ネット上のええじゃないかと呼んでしかるべき事態ではないのか。

大辞泉:ええじゃないか

そのまま転載。

   
ええじゃ‐ないか〔ええぢや‐〕
慶応3~4年(1867~68)主に江戸以西の各地で起こった大衆的狂乱。農村のおかげ参りの伝統から発生したもので、老若男女が「ええじゃないか」と高唱、乱舞し、地主・富商の家に入り込んで物品や酒食を強要した。幕府の倒壊を目前にした世直し的な風潮を反映した騒動。おかげ踊り。

ええじゃないかは、「幕府の倒壊を目前にした世直し的な風潮を反映した騒動」とされている。だとすれば、名張市のあぼーんを目前にした世直し的な風潮を反映した騒動が、いまネット上でささやかながらもくりひろげられている、とみることが可能なのではないか。世直し的な風潮の背景には、現状への不満がある。現状が持続することへの不安がある。世直しへの期待がある。しかし、世直しそのものに対する不安もある。現状が打破されたとしても、その先になにが待っているのか、それがみえない、わからないという不安がある。なんかもう、ええじゃないかええじゃないかとわめきたて、騒ぎつづけていなければいても立ってもいられない、といった市民の不安が加速度的に高まり、絶望的な経済状況とあいまって、ええじゃないかと同質の大衆的狂乱を、ごくごく小規模ながらもネット上に引き起こしてしまっているのではないか。それほどに、いまの名張市は危機的状況にあるのではないか。実際、名張市はどうなってしまうのか、との問いに対して、ええじゃないか、と答えるしかないというのが、うそも隠しもない名張市の現状ではないのか。

やや余談になるが、幕末、江戸川乱歩の祖父は津藩藤堂家の上級藩士として、津に屋敷を構えていた。伊勢の国でも、慶応3・1867年の9月から12月にかけて、あっちこっちでええじゃないかの乱痴気騒ぎがくりひろげられ、乱歩の祖父の家もまた、そのターゲットにされてしまった。乱歩のエッセイ「彼」から引いておく。

   
〔前略〕それから、御一新の少し前、「お祓いさん」という奇妙な現象が起って、いつという事なく、裕福な家々へ、大神宮のお札が、空からヒラヒラと降って来る。(無論人為的のものであったに違いない。この奇現象については誰かの考証を読んだ記憶があるが、今その詳細を思い出せない)するとその家では無礼講の大盤振舞をしなければならないのだが、祖父の邸にもその「お祓いさん」が降ったことがあって、その時の乱痴気騒ぎがどんなに物凄かったか。群がる野次馬が邸内に乱れ入って、用意の酒を飲み御馳走を平げ、畳もなにも泥だらけにして、「お〇〇に紙貼れ、破れたら又貼れ」と合唱しながら乱舞すると、邸内の男達女達もそれに引き入れられて、気違いのように踊り狂い、その翌日からは襖障子の張り替え、畳替え、調度の掃除に忙殺されたという話、〔後略〕

さて、名張まちなか再生委員会の臨時総会がいよいよあさってに迫った。せいぜい乱痴気騒ぎをくりひろげて、ええじゃないか総会にもちこんでやりたいと思う。合言葉は「お〇〇に紙貼れ、破れたら又貼れ」である。しかし、こんなことほんとに口走ったら、まちがいなくセクハラであろう。即刻退場にならぬよう、心のなかで「お〇〇に紙貼れ、破れたら又貼れ」と大声を出しながら、名張まちなか再生委員会に引導を渡してくることにしたい。名張まちなか再生委員会の委員各位よ、いっしょに仲よく紙を貼ろうではないか。
続報。

毎日新聞:皇学館大:社会福祉学部撤退の経緯 昨年7月に表面化 補助金と用地が焦点に /三重(1月21日)

引用。

   
市企画財政部によると、伴五十嗣郎学長らは昨年4月、年度当初の恒例のあいさつに市役所を訪れた際、「学生が減り、大学経営が大変厳しい」と報告。撤退の話は出なかったという。

その3カ月後の理事会で計画が表面化し、市側は11月、「市としても、学生確保にできる限りの努力をする。さらなる経営改革を」と要請。しかし、大学幹部は12月、「このままでは大学全体の経営に支障が出る」として、伊勢学舎への統合により経営健全化を図る意向を伝え、理解を求めた。対応した前田國男副市長は再度努力を求めたが、伴学長らは今月8日、撤退を正式に通告、亀井市長は存続を断念した。

皇學館大学の肩をもつわけではないけれど、名張市から「市としても、学生確保にできる限りの努力をする」とかもちかけられたところで、そんな話には毛筋ほどのリアリティも感じることができなかったのではないか。「できる限りの努力をする」なんてこといわれたって、そんなものは、前向きに善処いたします、といったたぐいのお役所ことばの域を半歩も出るものではない。てめーらはおざなりなせりふ並べるだけのくせして、なにがしれっと「さらなる経営改革を」だばーか、と、当方が皇學館大学の人間なら思ったと思う。

リアリティのあることばというのは、たとえばこういうものではないのか。

   
政府はやれること、やらなければならないことをやるが、詰まるところ、わが国がよって立つのは国民の信念と決意である。堤防が決壊した時、見知らぬ人をも助ける親切心であり、暗黒の時に友人が職を失うのを傍観するより、自らの労働時間を削る無私の心である。我々の運命を最終的に決めるのは、煙に覆われた階段を突進する消防士の勇気であり、子どもを育てる親の意思である。

バラク・オバマ米国大統領の就任演説の一節である。

読売新聞:オバマ米大統領、就任演説全文(和文)(1月21日)

名張市に必要なのは、こういう認識なのではないか。こういった呼びかけなのではないか。ひとつの課題を、困難を、危機を、行政と市民が共有しているという認識が、名張市からすっぽり欠落しているのではないか。そうした認識にもとづいて、市民に呼びかけ、市民の共感を得ながら行政を展開するということが、名張市にはまったくできていないのではないか。きのうも記したとおり、ここ名張市においては、なにからなにまで他人ごと、すべてがすべて他人まかせなのである。他者となにかを共有することができない。他者に背を向け、独善におちいっている。そういった印象が強いのである。たとえ市民サイドに、名張市の危機を行政と共有するという信念と決意があったとしても、かんじんの名張市にそうした認識がなく、信念と決意が欠如しているのだとすれば、市民は名張市を見限るしかないであろう。

   
我々の挑戦は新しいものかもしれない。我々がそれに立ち向かう手段も新しいものかもしれない。しかし、我々の成功は、誠実や勤勉、勇気、公正、寛容、好奇心、忠誠心、愛国心といった価値観にかかっている。これらは、昔から変わらぬ真実である。これらは、歴史を通じて進歩を遂げるため静かな力となってきた。必要とされるのは、そうした真実に立ち返ることだ。

いま我々に求められているのは、新しい責任の時代に入ることだ。米国民一人ひとりが自分自身と自国、世界に義務を負うことを認識し、その義務をいやいや引き受けるのではなく喜んで機会をとらえることだ。困難な任務に我々のすべてを与えることこそ、心を満たし、我々の個性を示すのだ。

名張市はいまだに、昔ながらの無責任の時代にある。自分自身と名張市に義務を負うことを認識し、その義務をいやいや引き受けるのではなく喜んで機会をとらえて、困難な任務にすべてを与えようとする市民がげんに存在しているというのに、名張市はそうした市民に背を向け、行政と市民とのあいだにいたずらに深いみぞをつくって、無責任という名のバリアに閉じこもったまま、およそ市民の共感を得ることのできないリアリティ皆無のきれいごとを並べ立てているだけなのである。

それにしても名張市、ほんっとネガティブだな。ここまでネガティブでいいものかどうか、と思って探してみると、ポジティブっぽいニュースもないわけではない。名張まちなかの話である。

毎日新聞:旧細川邸やなせ宿:絶好調 来館者、7カ月間で1万3300人--名張 /三重(1月16日)

引用。

   
昨年6月にオープンした名張市新町の旧細川邸やなせ宿の来館者数が、昨年末までの約7カ月間で1万3300人に上っていることが15日、分かった。既に1年目の目標だった1万2000人を超えており、市は「予想以上の人気」と喜んでいる。【金森崇之】

やなせ宿には、夏場を中心に多くの来館者があり、11月には隠(なばり)街道市が開かれた2、3両日だけで計約2000人が訪れ、月間でも最も多い約3100人を記録した。市によると、コンサートなどのイベントに毎回100人程度が訪れていることや、日替わりで市民が昼食をつくって販売するワンデーシェフの実施などで、リピーターが増えていることも好調の理由だという。

結構なことである。あのやなせ宿、約七か月で一万三千三百人の入場者があったという。結構なことである。一か月あたり約千九百人、一日あたり六十人あまりが入場したことになる。結構なことである。コンサートなどのイベントやワンデーシェフが、なかなかの人気を集めているという。結構なことである。

結構結構、まことに結構なことである。やなせ宿が無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館として食堂化路線をまっしぐらに突っ走ったなれの果ての姿、眼もあてられぬほどの現況を、現在ただいまのあのありさまを、名張市役所のみなさんは喜んでいらっしゃる。是としていらっしゃる。諒としていらっしゃる。すなわち名張市は、いいだけ無茶苦茶だった整備のプロセスからはかたくなに眼をそらし、すったもんだはいっさいなかったことにして、眼前にあるごく表面的な事実、入場者数というきわめて局所的な要因だけをおおげさにクローズアップすることで、やなせ宿整備事業の総体をまるごと追認し、すべてよしとしようとしているのである。

ポジティブシンキングは大切なことだ、とは書いた。たしかに書いた。げんに大切なことである。しかし、ここまでのポジティブシンキング、ふつうの人間には恥ずかしくってとてもできんぞ。鉄面皮にもほどがある。厚顔無恥にも限度がある。ここまであからさまに開き直られてしまった日にゃ、けっこですなけっこですな、まことに結構なことでございますな、といってやるしかないではないか。ただまあ、これまでの経緯はおおよそ知り抜いていながらも、一年目の来館者数は一万二千人を目標としております、などとまったく無根拠な数字をでっちあげ、「予想以上の人気」とでもいっておくしかないお役所のみなさんの立場というやつは、当方とて理解できぬわけでもない。宮仕えのつらいところ、といったところか。だから、民の出番だというのである。

きのうのコメントに、昨年12月18日に開かれた名張まちなか再生委員会次期役員準備会の議事録を引用しておいた。

1月20日:委員会よ赤岩尾へ行きゃれ > ポジティブなんだかネガティブなんだかなんなんだ

当方の発言の一部である。再掲しておく。

   
(中歴史拠点整備PTチーフ)
・プロジェクトチームの独自性・独立性・主体性ということで、プロジェクトチームの役割が、よく理解できないのでお聞きするのですが、歴史拠点整備PTで、市長に文書を提出したいと考えています。
・今までの経緯の説明ですね、反省点。はっきり申し上げまして、色々と見方はあるでしょうけど、細川邸の整備事業は失敗したのです。
・現在の運営ということではなく、整備が終わるまで、委員会ができて、プロジェクトチームが色々と討議し、結局、大成功という結果には終わりませんでした。
・私たちも反省すべき点はありますし、行政側にもあります。私たちの反省点を書いて、例えば、まちなか再生プランという壁があって、そこに歴史資料館とか、公設民営という縛りがあって、そのような越えられない壁があり、話しがうまくいかず頓挫したという結果になったわけですが、そのような反省点を含めて市長に報告書を出して、その点についてもお聞きして、これまでの経緯を市民の方に報告しないと、市民に申し訳ができないと思います、失敗した当事者ですから。
・直接たずさわった人間としては、市民に申し訳ないと考えています。ですから、私たちの良くなかったところを市民の方にさらすことになるのですが、そういう風にやっていかないと、同じことが永遠と繰り返されてしまうのではないかと。
・このようにプロジェクトとして、市長に文書を提出して、回答を求めて、提言をするということは可能でしょうか。

なにいってんだかもうひとつよくわからないから、論旨を述べておく。要するに、名張まちなか再生委員会の歴史拠点整備プロジェクトは、やなせ宿整備のプロセスをきっちり検証する、ということである。紆余曲折を経て、結局は名張市における失政のシンボルになってしまったやなせ宿にかんして、市長の見解をただし、市民にも報告する、ということである。お役所には、こうした習慣はまったくない。やりっ放しのやり逃げである。いい例が、まさに皇學館大学ではないのか。とどのつまり名張市は、誘致しただけ、誘致しっぱなし、ということだったのではないのか。名張市は皇學館大学のまちなか研究室に対し、主体的にかかわろうとしたことがなかったのではあるまいか、との推測はきのう記したが、スケールを大きくして推測を重ねるならば、皇學館大学そのものにも、名張市は主体的に、なんつったって税金三十五億円を投入した主体である、主体も主体、大主体なのであるというのに、主体的にかかわろうとはいっさいしなかったのではないか。

ま、あと出しじゃんけんみたいなことをいってたってしかたはないけれど、自分たちのやったことをふり返って検証する、という習慣がお役所にはまったくないのだから、はばかりながら民の出番、やなせ宿整備にかんする検証はきっちりかましてみたいと思う。念のためにいっとくと、これはあと出しじゃんけんでも、うしろ向きな行為でもない。名張市の未来のために、名張市が二度とおんなじ愚をくり返さないために、名張市にチェンジを迫るために、まことに面倒なことではあるけれど、いっちょぶちかましとかなしゃーないんとちゃうか、みたいなことなのである。
ほんとにネガティブなニュースしかないみたいである。名張まちなかの話である。

毎日新聞:皇学館大:社会福祉学部撤退 「まちなか研究室」と同事務室、存続か閉鎖か /三重(1月20日)

引用。

   
皇学館大社会福祉学部(名張市春日丘7)の撤退に伴い、同学部が旧町(名張地区)に設けた拠点「まちなか研究室」(榊町)と同事務室(栄町)の存廃に注目が集まっている。大学側は「名張撤退後も数年間は活用する」としているが、その後は未定。両拠点では学生、教師が講義や課外活動に取り組むなど、にぎわい創出に貢献してきた。撤退で旧町から学生が激減することは避けられず、衰退にさらに拍車がかかるのではないか、との懸念が上がっている。【渕脇直樹】

まちなか研究室は学生のフィールドワークと情報発信の拠点。大学と市、名張地区の3者が「まちなか研究室連絡協議会」を設置し、開設にこぎつけた。

事務室が06年9月、空き店舗に開設され、その後、研究室が榊町集議所に設けられた。講義や公開ゼミナールが開かれ、地域情報誌「おきつも情報局」が編集されている。

学生は地域福祉や郷土史研究の現地調査の際、研究所や事務室を足がかりに旧町住民らへのインタビューや資料収集をしている。拠点はその研究結果発表の場でもある。

大変なことである。まちなか研究室ではこれまで、というか、いまも継続中ということなのであろうけれど、さまざまな試みがなされてきたらしい。記事からひろってみると、こんな感じである。

・学生、教師が講義や課外活動に取り組む
・講義や公開ゼミナール
・地域情報誌「おきつも情報局」
・旧町住民らへのインタビューや資料収集
・研究結果発表

こうした試みがすべて消えてしまう可能性が出てきたのだから、大変なことであろう。しかし、大変なことなのかな、という気もする。なぜかといえば、はっきりいうけど、もしもこうした試みが今後も必要だというのなら、継続することはいくらだって可能なはずだからである。まちなか研究室がなくなってしまうのは名張市にとって大きな損失である、と名張市が本気で考えているのであれば、皇學館大学がかりに完全に手を引いてしまったとしても、まちなか研究室を存続させるのはいたって容易なことである。しかし、そんなことはありえない。ひさしぶりにこのフレーズを使用するけど、なにしろ、名張市だもの。

そもそも、名張市という自治体には、ものごとを主体的に考える、ということができない。なにからなにまで、みんながみーんな、他人ごとなのである。なにするにしたって、結局は他人まかせなのである。だから、かりに皇學館大学から、まちなか研究室を閉鎖します、みたいなことが伝えられたとしたら、あ、そうでんのか、そらまた、えらい残念なことでおますなあ、みたいなことでおしまいであろう。残念なことではおますけど、まちなか研究室が名張のまちにまいてくれた芽は、名張市がしっかり育ててみせますぞなもし、とはいわぬであろう。自分の手でなにかやる、ということはいっさいしない。それが名張市の生きる道なのである。なんかもう、よッ、にっぽんいちッ、と声をかけてやりたいような気がする。

それにまあ、まちなか研究室におけるあれこれの活動は、あくまでも皇學館大学が手がけているという点にこそ、意味があったのである。むろん大学側にとっては、なにしろいまや、大学といえどもいわゆる地域に開かれた教育研究機関として、社会性というやつを深く自覚し広く訴えねばならぬ時代なのであって、名張のまちを教育の場や素材とするのは避けて通れないところであろうから、その点において、まちなか研究室には大きな意味があったはずである。いっぽう、名張市にとっても、地方都市にとってまぎれもないステータスシンボルである四年制大学の学生諸君や指導陣が、ほかならぬ名張のまちでなにかしらの活動を進めてくれているということには、ま、シンボルを誇示するためのアクセサリーのような意味があった、ということにはなるだろう。というか、それしかなかった。あるいは、それだけで満足であった。そういうことであったと思う。ただそれだけのことであり、それ以上のことはなにもなかった。つまり、名張市がまちなか研究室に主体的にかかわっていった、なんてことは全然なかったはずである。だって、名張市だもの。

だから、皇學館大学というブランドがなくなってしまうのであれば、まちなか研究室そのものは、名張市にとってなんの意味もないものになってしまう。そこで進められていたのがどれほど意義のある試みであったとしても、皇學館大学というブランドがなければ、そこにかけらほどの意味も意義も、価値も可能性も見いだすことができない。それが名張市なのである。したがって、そんな心配は万にひとつもないのだけれど、皇學館大学によってまちなか研究室で進められている試みを、かりに皇學館大学が撤退したとしてもそのまま継続したい、と名張市が考えるのであれば、その役割をになうべく白羽の矢が放たれるのは、さしずめ名張まちなか再生委員会の歴史拠点整備プロジェクトなのであろうな。

まちなか研究室で、小学生や中学生や高校生、さらには一般市民を対象にした公開ゼミナールを開いたり、地域情報誌を発行したり、名張地区を対象にインタビューや資料収集をおこなったり、その研究結果を発表したり、みたいなことはできると思う。名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトなら、そういったことが可能である。むろんこれらの事業は、先述のとおり、あくまでも皇學館大学の学生諸君によって進められていた点にこそ意義があったのだが、事業そのものを継続したいというのであれば、名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトがバトンを引き継ぐのは、いくらだってOKなのである。

ただしそれは、名張市の主体的なバックアップが得られるのであれば、という話である。さらにもうひとつ、ただし、という接続詞を用いて話を進めるならば、名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトにその気があれば、という話でもある。しかし、ないない。全然ない。そんなつもりはまったくない。あってたまるか。歴史拠点整備プロジェクトのサブチーフとして、というか、もうすぐチーフになる人間としてはっきりいっといてやるけど、うちのプロジェクトはもう、名張市なんぞとはつるまない。そんなことは金輪際おことわりである。名張市みたいなネガティブ自治体、もうこりごりなのである。だれがつるむかばーか。ばかはばかとつるんでおればいいのである。

それにしても、もう二年前のことになるのだが、ちょっと親しくなった皇學館大学女子学生のおねえさんから聞いたところによると、社会福祉学部で福祉を学んでも、就職先にいわゆる福祉の現場を志望する学生は、ほとんどといっていいほどいなくなった、とのことであった。福祉をとりまく労働環境の劣悪さが、そうした傾向を余儀なくもたらしたのであろう。日本は、どうなってしまうのか。おねえさんは、元気にしているのか。
ノンバーバル映画をめぐる大騒ぎも一段落したので、こんどはなにをして遊ぼうかな、ということになると、まず控えているのは、名張まちなか再生委員会の臨時総会である。これはもう、誠心誠意、委員会を正面から叩きつぶしてやるべく努めねばならぬであろう。恩返しというやつである。なにしろ、名張まちなか再生委員会こそは、ノンバーバル映画「鬼 The Oni」の生みの親なのである。

昨年5月30日のエントリをお読みいただきたい。当方のコメントの「赤岩尾神社で武運長久を祈願してきたいような」というタイトルが、あの映画の出発点となったのである。当方が名張まちなか再生委員会に加わっていなければ、あの映画は生まれてなどいなかったのである。

平成20・2008年5月30日:超へんてこな命運である

名張まちなか再生委員会からは、1月8日付の文書を添えて、「平成20年度名張まちなか再生委員会臨時総会資料」が郵送されてきている。文書の内容はこうである。

   
平成20年度名張まちなか再生委員会臨時総会の資料送付について

先般ご案内申し上げました標記臨時総会の資料につきまして、別添のとおり送付いたします。
なお、当初のご案内のとおり下記日程で開催させていただきますが、ご出席いただけない場合は、必ず、下記の表決状もしくは表決委任状のいずれかを、平成21年1月20日(火)までに、FAX・電子メール・郵送等によりまして、事務局までご提出いただきますようお願い申し上げます。
臨時総会開催日時・場所 平成21年1月25日(日) 名張市役所3階 303・304会議室
            受付:9時30分 開会:10時00分

そういえば、うっかり失念していた。このエントリへのコメントで、ひとつ質問を頂戴していた。

1月11日:ノンバーバル映画の重圧 > 無題

「総会は傍聴ありなのでしょうか」とのお尋ねであるが、臨時総会を非公開としなければならぬ理由など、どこにもないはずである。傍聴を拒否する必要など、なにひとつないはずである。興味がおありのかたはどんどん詰めかけていただいて、名張まちなか再生委員会というのがいったいどんな組織なのか、生でとっくりごらんいただくのも一興であろう。盗撮したビデオをYouTubeで流していただいてもいいと思う。

それにしても、1月25日の臨時総会、ただでは収まらぬであろうな。大荒れの総会になりそうな予感がする。ま、名張まちなか再生委員会もそろそろ年貢の納めどきである、ということなのであろうが、年貢を納めるのはいやだという向きは、滝之原の赤岩尾神社に参拝し、武運長久を祈願してきてはいかがなものか。なんといってもあの神社、感動的なまでに霊験があらたかである。苦しいときの神頼み、ということばもあるくらいである。ここはひとつ、赤岩尾の鬼神の加護をこいねがってきたほうがいいのではないか。ただし、鬼神から、わしゃあ、あほの相手はせんことにしとるけえ、すまんのう、とかいわれたとしても、それは当方の関知するところではない。
たむらけんじさんが監督を務め、うちの犬が主役を張るノンバーバル映画「鬼 The Oni」は3月、沖縄国際映画祭で公開される。くわしいことはまったくわからない。公式サイトのリンクを掲げておく。

沖縄国際映画祭:トップページ

会場がどこなのかもよくわからぬが、主演女優なのだから、当然、うちの犬は赤絨毯のうえを歩いて会場入りすることになるはずである。しかし、実際には、そんなことにはならないと思う。飛行機などという身のほどをわきまえぬ乗りものに乗るつもりなどまったくないし、それにそもそも沖縄などというところにはなんの興味もないからである。犬がではなく、飼い主が、である。

しかしまあ、わざわざ沖縄になんか行かなくたって、名張市民に「鬼 The Oni」をごらんいただく場は、沖縄国際映画祭が開かれたあとということになるかもしれぬが、たぶん設定できるのではないか。名張市内の会場であれば、うちの主演女優も気軽に舞台挨拶ができることであろう。しかしその場合も、犬の世話はもと飼い主に丸投げして、いまの飼い主は会場にさえ行かぬのではないか。どうもそんな気がする。家のなかで寝っ転がって、ばかかこら低能、とか意味もなく叫んでいそうな気がする。
ネガティブといえば、まさしくネガティブである。みごとなまでにネガティブである。むろん、名張市という名の自治体の話である。どこがネガティブかといって、ネガティブなニュースの多さもさることながら、名張市役所がまずネガティブなのである。うそだとお思いなら、あすにでも足を運んでごらんなさい。ものすごくネガティブな空気が、庁舎内全体にどよーんと沈殿している。それがよく実感できるはずである。

あまりにもネガティブなものだから、お役所のみなさんもいいだけ落ちこんでいるのであろう、たまに当方が訪ねてゆくと、職員諸君、こちらをみて顔をほころばせたりするほどである。暗く陰鬱な職場に、突然、まぶしいほどの陽光が射しこんできた、とでもいったところであろう。いやいや、むろん職員諸君、どうせ内心では、あ、またばかが来た、とか思っていやがるのであろうけれども、しかし、顔がほころぶのだからまだいいではないか。これがかりに、当方が顔を出したとたん、その場の職員が全員いっせいに、あれずつない、あれずつない、などといって頭を抱えはじめたらどうであるか。ほんまにもう、ずつのてずつのてしゃらしませんねさ、などといって、あわてて頭痛薬を服用したり、はなはだしきにいたっては、一目散にまちの保健室へ駈けだしてゆくようなことになったりしたら、いったいどうよ。名張市はどうなると思うのよ。そんなことなら、あ、またばかが来た、とかいって笑われているほうが、はるかにましというものではないか。こういう考えかたを、世間ではポジティブシンキングと称する。

名張市役所の職員諸君がネガティブな気持ちになるのも無理はないかもしれないけれど、ポジティブシンキングはやはり大切なことであろう。というのも、ほかならぬ当方が、このところ、とにかくポジティブでなくっちゃな、とみずからにいい聞かせている毎日なのである。理由はなにか。いうまでもなく、ノンバーバル映画「鬼 The Oni」である。あの映画がちゃんと完成してくれるのかどうか、それが心配で心配でしゃらしませんねさ、てなものなのである。ネガティブなほうへネガティブなほうへ、考えが極端に傾いていってしかたないのである。むろん、スタッフには全幅の信頼を寄せている。キャストの演技にも、獅子舞の熱演も含め、一点たりとも心配はない。ひたすら気がかりなのは、やはり脚本なのである。あんな脚本でよかったのかどうか。それを考えはじめると、ほんまにもうずつのてずつのて、まちの保健室へ駈けだしたくなるほどなのである。

映画業界には、よくできたシナリオからできの悪い映画が生まれることはあっても、その逆はない、ということばがある。できの悪いシナリオからは、愚作駄作しか生まれないのである。シナリオのよしあしというのは、映画のできそのものを左右してしまうのである。したがって、演技や演出やカメラワークその他、ほかのあらゆる要素が望みうる最高のものであったとしても、脚本がだめならだめなのである。今回の映画の場合は、望みうる最高の、というよりは、望めるなどとは考えてもいなかったほど最高の、といったレベルで制作が進行しており、撮影に立ち会ってたしかな手応えも感じてはいるのだが、ただ一点、脚本のできが気になってしかたがない。やっぱだめなんじゃね? と自問自答したあげく、どんどんどんどんネガティブな気持ちがふくれあがってくる。まるで名張市役所の職員諸君になったような気分である。

だから先日来、このブログで、脚本の成立過程をことこまかに報告しているのである。ながながと記してきたのは、ただのいいわけにすぎない。脚本を書くにあたってさまざまな制約や条件があったから、結局こんな程度の脚本しかできなかったということを、それはもうぺらぺらぺらぺらと、あたかもかんなくずの親分のごとくぺらぺらぺらぺらと、ひたすら語りまくって責任を少しでも回避しようとしているのである。当方は悪くない、ということを、周囲から批判されるより先にぺらぺらぺらぺらと主張しているのである。作者として、自作の背後に黙ってどっしり構えている、ということができない。自信のなさ、増大する不安、不吉きわまりないネガティブな想念が、当方をどこまでも多弁にしてしまうのである。さあ、どうする。

といったところで登場するのが、いわゆるポジティブシンキングである。ものは考えよう、気のもちよう、ということである。どう考えるのか。けけけ、天下の吉本興業の企画にうまく乗っかって、名張市のプロモーションフィルム一本、まんまとただでつくってやったぜ、けけけ、と考えるのである。それしかないのである。なにしろ、市民の税金は一円もつかっていない。厳密にいえば、公用車三台は使用した。しかしそんなのは、皇學館大学の誘致に投入された約三十五億円の税金にくらべれば、いやいや、くらべようもないほど微々たるものではないか。けけけ。ただである。ただである。しかも、第一線で活躍するスタッフとキャストが全力投球してくれたのである。名張市としてはもう、もって瞑すべきなのだぞ実際。

のみならず、名張市民もまた全身全霊で協力してくれた。いやいや、あれは協力などというなまやさしいものではない。献身である。自由意志にもとづく無償の自己犠牲である。あれはえらいものであった。そして、あの多くの市民の自由意志にもとづく無償の自己犠牲は、いったいなにを求心点としていたのかというと、それはやはり名張市なのである。名張市という地域社会のために、という一点を共通の立脚点として、多くの市民がスペシャルサポーターとして身を挺したのである。ところがどうであるか。市民の協力の、献身の、自己犠牲の求心点であるはずの名張市は、名張市という名の自治体は、いったいなんだというのか。なんなんだこのざまは、なーにやってんだこの腐れ自治体、みたいなことばっかではないか。よりにもよって自治体が、そこに住む市民の気持ちをネガティブなものにしてしまってどうする。いかんではないか。そんなことではいかんではないか。ほんと、悪いことはいわないから、いっぺんまちの保健室へ行ってみてもらってこい。

いかんいかん。せっかくポジティブシンキングに移行したのに、またネガティブになってきた。帰ってきたネガティブマン、みたいなことになってきた。こうなるとやばいぞ。暗黒の未来しか思い浮かんでこない。ノンバーバル映画「鬼 The Oni」関係者全員の顔に、映画の精神的支柱であったはずの人間が泥を塗ってしまう。そして袋だたきにされる。ふと気がつくと、うちの犬までいっしょになって、この精神的支柱を思いきり袋だたきにしている。足蹴にしている。おしっこまでひっかけやがる。そんな暗黒の未来しか予測できない。やばいやばい。ほんとにやばい。そんなことになったら、とくに永遠のJガールあらため豪腕のJガールこと吉本興業の新矢由紀さんなど、ほんとに鬼になってしまうのであろうな。絶対そうなのであろうな。こわい。とてもこわい。死ぬほどこわい。

恐怖に戦慄しながらも、本日の小春ちゃん写真館。ノンバーバル映画シリーズの掉尾を飾って、映画撮影のビフォアとアフターをごらんいただくことにする。

まずは映画撮影以前、ビフォアの写真がこれである。昨年12月21日夕刻、親戚の幼稚園児と散歩したときに撮影した。本番を控え、ときどきもとの飼い主に来てもらって、地獄の特訓をこなしていたころの一枚である。本番において、特訓の成果がよく発揮されたのかどうか。そんなことは、もう考えたくもない。

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こんどはアフター。きのう夕刻の写真である。断尾したコーギーの尻などみっともなくて眼もあてられぬものだが、うちの犬にはしっぽがあるから、お尻がとてもかわいい。いくらでも絵になる。あまりにもかわいくて絵になるものだから、映画「鬼 The Oni」はうちの犬のお尻で締めることにした。編集の段階で変更になるかもしれないのだが、少なくとも脚本においては、うちの犬のお尻のカットのあと、画面に「結」というエンドマークが登場する。いわゆるケツつながりである。で、映画の撮影後も、ごらんのとおり、あいかわらずお尻がかわいい。

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お尻がこれだけかわいいのだから、花のかんばせはいかばかりかわいいのか、と思ってみてみると、驚くべし。


なんと、犬なのに鬼顔になっておるではないか。うちの犬、こんな顔ではなかったぞ。えらいことではないか。ちょっと〜、Jガールのおねえさ〜ん、いったいどうしてくれるん〜。せっかく山田スミ子さんから、きれいな顔した犬やねって、ほめてもろたゆうのに〜。あんな映画に出たばっかりに、うちの犬、ころっと鬼顔になってしもたやんか〜。

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ちょっと〜、夜になってから撮ってみたら、眼ェが光って、ますますこわい顔になってるやんか〜。Jガールのおねえさ〜ん、なにもうちの犬まで道連れにすることないやんかあ〜。まことにえらいことである。
小春ちゃんカワユス、とかそこそこ評判がいいみたいなので、ついつい調子に乗り、本日も小春ちゃん写真館。1月12日、名張市滝之原の赤岩尾神社で撮影した一枚である。キャストを中心に、いあわせたスペシャルサポーターがずらりと勢揃いした。なかに加えてもらったうちの犬は、山田スミ子さんにしっかりおさえていただいて、やはり相当かしこそうにみえる。この写真も、永遠のJガールあらため豪腕のJガールこと吉本興業の新矢由紀さんから送っていただいた。メディア取材用に整列した集合写真で、伊賀タウン情報YOUのウェブニュースにも、このときの写真が掲載されている。したがって、肖像権の問題はきれいにクリアしているものと、手前勝手に判断しておく。

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山田スミ子さんに出演していただけるとは、じつは思っていなかった。ノンバーバル映画「鬼 The Oni」に女優がひとり出演するということは、企画書の段階から決まっていた。しかし、いったいだれが出てくれるのか、それは白紙の状態だった。当然、吉本興業の所属タレントから選ばれることにはなっていたのだが、Jガールのあねさんが山田スミ子さんと親しくしていらっしゃると聞きおよんでいたので、いまはもう吉本所属ではないけれど、山田スミ子さんにお願いできないか、とあねさんに話をもちかけてみた。山田スミ子さんのあの、いまふうにいえばキレ芸、あの迫力がぜひ欲しい、と思ったからである。

山田スミ子さんがまだ吉本興業の所属タレントだったころ、朝日放送制作の「あっちこっち丁稚」という番組があった。花登筺脚本の「番頭はんと丁稚どん」の流れを汲む、というか、完璧なパクリじゃね? という説もあるのだが、ともあれ正統的な上方コメディである。舞台は、とある老舗。その御寮はんを演じていたのが山田スミ子さんで、旦那はん役の前田五郎さんを毎回毎回、耳をつんざくような大音声で怒鳴りつけたあげく、本気で横っつらを張っ倒してしまうキレ芸、いやまあ、当時はキレ芸ということばはなかったのだが、怒髪天をつく勢いでくりひろげられるルーティンギャグに毎度大笑いしていた身としては、あの迫力がぜひ欲しい、と思わずにいられなかった。

というのも、「鬼 The Oni」は、女が本気で怒る映画なのである。耐えに耐え、しのびにしのんでいた女が、とうとうキレてしまい、男にむかって怒りを爆発させる映画なのである。だったらやっぱ、女優は山田スミ子さんじゃね? ということにならざるをえない。いま大阪でキレ芸といえば、第一人者は橋下徹大阪府知事ということになっているらしいのだが、そんなことはないそんなことはない。山田スミ子さんこそが、昔もいまも変わることのないキレ芸の第一人者でいらっしゃる。そのはずである。しかし、もう吉本とは関係のない女優さんである。いったいどうなることかしら、と首尾を案じてやきもきやきもきしていたところ、Jガールのあねさんから、山田スミ子さんが出演を快諾してくださいました、と連絡が入った。あ、そう、と涼しい顔して答えておいたのだが、内心では欣喜雀躍した。

撮影現場の山田スミ子さんには、スタッフの期待をうわまわる熱演を披露していただけたようである。当方、撮影の最前線に立ち会ったわけではないので、あとでJガールのあねさんから教えてもらったのだが、それはもう迫力満点の激怒ぶりで、相手役のたむらけんじさんのみならず、その場にいあわせたスタッフやスペシャルサポーターの男性全員、思わずこうべを垂れ、肩を落とし、二度と立ち直れないかと思うほどの絶望の淵に突き落とされてしまったという。最近テレビでおみかけすることがあまりなく、いささか寂しい思いをしていたのだが、山田スミ子さんの健在が名張市で実証されたことになるのだから、市民のひとりとして、また、ファンのひとりとして、思わず感が極まってしまう。

さらにうれしいことに、撮影を終えてお帰りになるとき、山田スミ子さんがわざわざ手を差し伸べてくださった。いわゆる握手である。シェイクハンドである。あわてて手袋をとり、てのひらをズボンでこすってから、押しいただくようにして、握手の栄に浴した。いずれそのうち、Jガールのあねさんもまじえて、大阪でお酒でも、みたいな話にもなった。天にものぼる気持ち、とはこのことであろう。びっくり仰天有頂天、うちのとうちゃん腸捻転、てなものである。聞けば、山田スミ子さんはたむらけんじさんとこの映画が初顔合わせとのことで、当日の取材でたむらけんじさんがおっしゃったことばをそのまま借用すれば、この「鬼 The Oni」という映画、期せずして、まことにうれしい「出会い系映画」になってくれたわけである。

それではここで、本日の小春ちゃん写真館、きのうにつづいておまけの三連投としゃれこむ。肖像権の問題は無視できぬところだが、天下の吉本興業の提供写真である、さがりおろう、ということにして、堂々と掲載する。こちらもメディアの取材用シーンで、このときの写真が掲載された日刊紙もあったのだが、それらの紙面では、うちの犬がじつにまぬけそうに写っていた。訓練を受けた犬ならば、役者のとなりに行儀よくおすわりし、それることのないカメラ目線、みたいなことは朝飯前なのであろうが、うちの犬の場合、少しもじっとしていなかったらしい。とにかく落ち着きなく動きまわる。ローブを上にひっぱって、前肢が宙に浮いた状態にしておくしかなかったようである。だからごらんのとおり、山田スミ子さんに大技ネックハンギングツリーを決めていただきながらの撮影とはなった。じっとしてさえいれば、そこそこかしこくみえるのだがなあ。

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それにしても、と、この写真に写っている雪をみるにつけても思い返されるのだが、とにかく寒い日であった。寒い寒い一日であった。日本映画の歴史をふり返ってみても、国内ロケにかぎっていえば、あれほどの酷寒のなかでロケが敢行されたのは、森谷司郎監督の「八甲田山」以来のことではないのか。新田次郎原作のあの映画では、天は、天はわれわれを見放した、という北大路欣也さんの痛切きわまりない絶叫が印象的で、映画のテレビCMでも流され、ちょっとした流行語にもなって、当時の日本人はなにかというと天に見放されていたものであったが、おなじ酷寒のロケではあっても、今回の撮影ときたらもう神が最大限に味方してくれたようなものであり、赤岩尾の鬼神がご利益お恵み霊験奇蹟の椀飯振舞をしてくれたのだから、関係者一同、赤岩尾神社に足を向けては寝られないはずである。

そんなこんなで、ノンバーバル映画「鬼 The Oni」は神のおおいなる祝福のもとに撮影されたのであるが、われらが名張市はどうなのかというと、そろそろ天にも見放されるころであろうか。いやまあ天はともかく、皇學館大学には見放されたようである。

伊賀タウン情報YOU:名張キャンパスを2011年度から伊勢に統合 経済的補助も検討 皇學館大学会見(1月16日)
朝日新聞:皇学館大 名張から撤退(1月17日)
産経新聞:皇学館大、名張学舎廃止へ 三重(1月17日)
毎日新聞:皇学館大:社会福祉学部、名張から撤退 「地元に貢献」関係者驚き /三重(1月17日)
中日新聞:皇学館大が名張学舎撤退 市の経営改善案も実らず(1月17日)

皇學館大学に見放された、といってしまっては語弊もあろうが、市民感情に立脚すればそういうことになるのではないか。最近の名張市にはろくな話題がないものだから、たむらけんじと山田スミ子、滝之原で映画ロケ! みたいな明るいニュースを提供できてよかったな、と思っていたのだが、それもすぐにかき消されてしまった。ネガティブなニュースばかりが引きも切らない。それが名張市の現実である。
本日の小春ちゃん写真館。1月12日、名張市滝之原の赤岩尾神社で、もと飼い主に抱かれながら、撮影の出番待ちをしているところだと思う。永遠のJガールあらため豪腕のJガールこと吉本興業の新矢由紀さんから、メールで送っていただいた一枚。こうしてみると、かしこそうな顔をしてはいるのだが、撮影現場ではどうだったのであろうか。なんかもう、ばか丸出しという勢いで、あちらへこちらへと走りまわっていたらしい、みたいなことは、撮影当日にもその翌日にも、かすかに小耳にはさんだのであるが、ああもう、聞きたくない聞きたくない。

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この写真は、Jガールのあねさんのブログにも掲載されている。あねさんの撮影当日の獅子奮迅をまのあたりにした身としては、このエントリを一読して、涙ぐましくなるのを禁じえなかった。

永遠のJガール:ノンバーバル映画「鬼~The Oni」撮影当日(1月12日)

ここでいったんノンバーバル映画「鬼 The Oni」から離れ、名張まちなかの話題に移る。「TOPPYのくびったけ@名古屋」なるブログに、1月11日から14日まで、四日連続で名張のまちの紹介記事が掲載されている。ありがたいことである。いわゆるまちづくりの方向性についても、いろいろと示唆に富んでいる。名張のまちの「負のオーラ」といった忌憚のない指摘もあり、よそから訪れてくれた人の視点の貴重さが、あらためて実感される次第である。とくに名張まちなか再生委員会のみなさんには、じっくりご一読いただきたい。いやまあ、読んでもらってもしかたないか。しかたないしかたない。読んでくれなくたって全然OKである。

それにしても、名張市民のなかにはひどいやつがいるようである。このブログ記事によれば、やなせ宿にかんして、インターネット上にネガティブなことを書いている名張市民が多いという。どんならんやっちゃな。どこのどいつか。やなせ宿ならびにやなせ宿関係者にまつわる悪口雑言罵詈讒謗、わざわざインターネットで発信している不心得な市民というのは、いったいどこのどいつか。おなじ市民として恥ずかしく、また、なさけない。名張まちなかを愛する市民のひとりとして、そんなネガティブな情報を全世界に発信しているような不届きな市民など、みつけ次第成敗してやる。ぼっこぼこにしてやる。こそこそ逃げ隠れしてないでとっとと出てこいこの便所下駄が。ほんまにどんならんやっちゃな。

それでは、名張のまちをご紹介いただいた「TOPPYのくびったけ@名古屋」のTOPPYさんに感謝を捧げつつ、以下にリンクを。

発展の基礎は冷遇の果てに?…名張藤堂家邸跡(1月11日)
往来は今も激しいけど…隣り合う寂しさと温かさ−名張中町(1月12日)
江戸末期の町屋で交流しようよ−旧細川邸・やなせ宿(1月13日)
乱歩の故郷で探偵気分?−江戸川乱歩生誕地碑広場(1月14日)

ついでだから、本日の小春ちゃん写真館、おまけとして、やはりJガールのあねさんから送っていただいた写真のうち、撮影現場の三連投をごらんいただく。両サイドのおふたりは、右がたむらけんじさん、左が山田スミ子さん。ともに得がたい脇役として、うちの犬の映画初主演をしっかり支えてくださった。ありがたいことである。

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こうしてみると、ほんとにかしこそうな犬なのだがなあ。ああもう、聞きたくない聞きたくない。
それにしても、やはり台風のようなものであったな、とあらためて思い返される。Jガール台風と呼ぶべきか。ノンバーバル映画「鬼 The Oni」という台風の中心、台風の目になったのは、まぎれもなく永遠のJガールこと吉本興業の新矢由紀さんだったのだから、Jガール台風とでも呼ぶしかあるまい。この台風はまあえらいもので、ぶっちゃけていえば無茶苦茶であった。名張で映画を撮る、という堅忍不抜の決意がまず存在していて、それはすべてに優先した。ノンバーバル映画という形式そのものさえ、この無茶苦茶な台風によって強引にねじ伏せられてしまった。

Jガールのあねさんから、赤岩尾神社を舞台にノンバーバル映画を撮りたい、と打ち明けられたときには、さすがにびっくりした。もしかしたらこの人には、ノンバーバル映画の特性というやつがまるで理解できていないのではないか、と疑われた。そんなことをしたら、これまでにも記したとおり、ノンバーバル映画にとってきわめて不利な条件を、のっけから抱えこむことになるからである。積載量をはるかにオーバーした荷物を積んで、小舟が大海に漕ぎだすようなものである。無謀なことこのうえない。

しかし、Jガールのあねさんがなぜか名張のことを気に入ってくださり、名張にここまで目をかけてくださっているのだから、それに報いるのが人の道だろうな、とは思われた。それに、名張市にとっては、棚からぼた餅みたいにしてチャンスが転がりこんできた、ということでもあるのだし、と考え直して、あねさんからつぎつぎにくりだされる野放図なまでの無理難題、涼しい顔してことごとく受けいれることにした。なにしろ当方、ひろく大きな心のもちぬしであり、伊賀地域における知のリーダーでもある。有能で人間的魅力にあふれているだけでなく、非のうちどころがないほどの変わり者でもある。あねさんの意志を最大限に尊重し、ノンバーバル映画を強引にねじ伏せる手伝いに努めた。

できあがる作品は、おそらく、規格外の異色作にして超大作、ということになるだろうと思う。ノンバーバル映画にとって不利な要素をかき集めた作品だから、およそ規格外であることはまちがいない。吉本興業の所属タレント百人が参加する今回の企画において、実際にどんな作品がつくられているのかはわからないが、テレビのバラエティ番組の延長みたいな内容の映画が多いのではないかとは想像されるから、それに比較すればかなりの異色作ということになるだろう。しかも、わずか五分のノンバーバル映画に、正気の沙汰とは思えぬほどの手間ひまをかけ、じつに多くの人をまきこんでしまったのだから、まごうかたなき超大作である。

結果として、Jガールのあねさんの思いつきからスタートしたノンバーバル映画「鬼 The Oni」は、あねさん自身の堅忍不抜の意志によって完成を迎えることになった、というしかないであろう。赤岩尾の鬼神もまた、あねさんの不撓不屈をこそめでたもうたのだと思われる。めでたもうたというか、あきれたもうたというか、唖然としたもうたというか、もう好きにしろと思いたもうたというか、とにかくまあ、無茶苦茶な企画を大車輪で実現してしまったあねさんの豪腕には、男は弱く、女は強い、という永遠の真理を思い出しながら、おそれいるしかないと思う。男は愛嬌、女は度胸、という不変の哲学を、あらためて噛みしめるしかないと思う。いっそもう、永遠のJガールから豪腕のJガールへ、これを機に改名なさってはいかがなものかとも思う。

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