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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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ほんとにネガティブなニュースしかないみたいである。名張まちなかの話である。

毎日新聞:皇学館大:社会福祉学部撤退 「まちなか研究室」と同事務室、存続か閉鎖か /三重(1月20日)

引用。

   
皇学館大社会福祉学部(名張市春日丘7)の撤退に伴い、同学部が旧町(名張地区)に設けた拠点「まちなか研究室」(榊町)と同事務室(栄町)の存廃に注目が集まっている。大学側は「名張撤退後も数年間は活用する」としているが、その後は未定。両拠点では学生、教師が講義や課外活動に取り組むなど、にぎわい創出に貢献してきた。撤退で旧町から学生が激減することは避けられず、衰退にさらに拍車がかかるのではないか、との懸念が上がっている。【渕脇直樹】

まちなか研究室は学生のフィールドワークと情報発信の拠点。大学と市、名張地区の3者が「まちなか研究室連絡協議会」を設置し、開設にこぎつけた。

事務室が06年9月、空き店舗に開設され、その後、研究室が榊町集議所に設けられた。講義や公開ゼミナールが開かれ、地域情報誌「おきつも情報局」が編集されている。

学生は地域福祉や郷土史研究の現地調査の際、研究所や事務室を足がかりに旧町住民らへのインタビューや資料収集をしている。拠点はその研究結果発表の場でもある。

大変なことである。まちなか研究室ではこれまで、というか、いまも継続中ということなのであろうけれど、さまざまな試みがなされてきたらしい。記事からひろってみると、こんな感じである。

・学生、教師が講義や課外活動に取り組む
・講義や公開ゼミナール
・地域情報誌「おきつも情報局」
・旧町住民らへのインタビューや資料収集
・研究結果発表

こうした試みがすべて消えてしまう可能性が出てきたのだから、大変なことであろう。しかし、大変なことなのかな、という気もする。なぜかといえば、はっきりいうけど、もしもこうした試みが今後も必要だというのなら、継続することはいくらだって可能なはずだからである。まちなか研究室がなくなってしまうのは名張市にとって大きな損失である、と名張市が本気で考えているのであれば、皇學館大学がかりに完全に手を引いてしまったとしても、まちなか研究室を存続させるのはいたって容易なことである。しかし、そんなことはありえない。ひさしぶりにこのフレーズを使用するけど、なにしろ、名張市だもの。

そもそも、名張市という自治体には、ものごとを主体的に考える、ということができない。なにからなにまで、みんながみーんな、他人ごとなのである。なにするにしたって、結局は他人まかせなのである。だから、かりに皇學館大学から、まちなか研究室を閉鎖します、みたいなことが伝えられたとしたら、あ、そうでんのか、そらまた、えらい残念なことでおますなあ、みたいなことでおしまいであろう。残念なことではおますけど、まちなか研究室が名張のまちにまいてくれた芽は、名張市がしっかり育ててみせますぞなもし、とはいわぬであろう。自分の手でなにかやる、ということはいっさいしない。それが名張市の生きる道なのである。なんかもう、よッ、にっぽんいちッ、と声をかけてやりたいような気がする。

それにまあ、まちなか研究室におけるあれこれの活動は、あくまでも皇學館大学が手がけているという点にこそ、意味があったのである。むろん大学側にとっては、なにしろいまや、大学といえどもいわゆる地域に開かれた教育研究機関として、社会性というやつを深く自覚し広く訴えねばならぬ時代なのであって、名張のまちを教育の場や素材とするのは避けて通れないところであろうから、その点において、まちなか研究室には大きな意味があったはずである。いっぽう、名張市にとっても、地方都市にとってまぎれもないステータスシンボルである四年制大学の学生諸君や指導陣が、ほかならぬ名張のまちでなにかしらの活動を進めてくれているということには、ま、シンボルを誇示するためのアクセサリーのような意味があった、ということにはなるだろう。というか、それしかなかった。あるいは、それだけで満足であった。そういうことであったと思う。ただそれだけのことであり、それ以上のことはなにもなかった。つまり、名張市がまちなか研究室に主体的にかかわっていった、なんてことは全然なかったはずである。だって、名張市だもの。

だから、皇學館大学というブランドがなくなってしまうのであれば、まちなか研究室そのものは、名張市にとってなんの意味もないものになってしまう。そこで進められていたのがどれほど意義のある試みであったとしても、皇學館大学というブランドがなければ、そこにかけらほどの意味も意義も、価値も可能性も見いだすことができない。それが名張市なのである。したがって、そんな心配は万にひとつもないのだけれど、皇學館大学によってまちなか研究室で進められている試みを、かりに皇學館大学が撤退したとしてもそのまま継続したい、と名張市が考えるのであれば、その役割をになうべく白羽の矢が放たれるのは、さしずめ名張まちなか再生委員会の歴史拠点整備プロジェクトなのであろうな。

まちなか研究室で、小学生や中学生や高校生、さらには一般市民を対象にした公開ゼミナールを開いたり、地域情報誌を発行したり、名張地区を対象にインタビューや資料収集をおこなったり、その研究結果を発表したり、みたいなことはできると思う。名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトなら、そういったことが可能である。むろんこれらの事業は、先述のとおり、あくまでも皇學館大学の学生諸君によって進められていた点にこそ意義があったのだが、事業そのものを継続したいというのであれば、名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトがバトンを引き継ぐのは、いくらだってOKなのである。

ただしそれは、名張市の主体的なバックアップが得られるのであれば、という話である。さらにもうひとつ、ただし、という接続詞を用いて話を進めるならば、名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトにその気があれば、という話でもある。しかし、ないない。全然ない。そんなつもりはまったくない。あってたまるか。歴史拠点整備プロジェクトのサブチーフとして、というか、もうすぐチーフになる人間としてはっきりいっといてやるけど、うちのプロジェクトはもう、名張市なんぞとはつるまない。そんなことは金輪際おことわりである。名張市みたいなネガティブ自治体、もうこりごりなのである。だれがつるむかばーか。ばかはばかとつるんでおればいいのである。

それにしても、もう二年前のことになるのだが、ちょっと親しくなった皇學館大学女子学生のおねえさんから聞いたところによると、社会福祉学部で福祉を学んでも、就職先にいわゆる福祉の現場を志望する学生は、ほとんどといっていいほどいなくなった、とのことであった。福祉をとりまく労働環境の劣悪さが、そうした傾向を余儀なくもたらしたのであろう。日本は、どうなってしまうのか。おねえさんは、元気にしているのか。
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