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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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おらおらおらおらこの地域社会の害虫がよー、でおなじみの名張まちなか再生委員会、きのうの夜は第二回理事会であった。事項書のスキャン画像を掲載しておく。クリックすればごらんいただける。

20090402a.jpg

3月31日付エントリに、きのうの理事会へ向けて「まじめに会議を開いているのは歴史拠点整備プロジェクトチームと乱歩関連事業プロジェクトチームだけだというではないか。残るよっつのプロジェクトチーム、すなわち、水辺、交流拠点、生活拠点、歩行者空間の四チームでは、会議を開くことさえしておらんというではないか」と記したが、これは誤りであった。すまなんだ。関係各位にお詫びを申しあげる。歴史拠点整備と乱歩関連事業のほかに、生活拠点整備プロジェクトチームでも会議が開かれていた。

きのうの理事会では、むっつのプロジェクトチームのチーフから、事項書にある「各プロジェクトチームの確認結果報告」がなされた。そのあと、出席者のひとりから、みっつのプロジェクトチームでは会議が開かれていない、という指摘があった。で、それが事実だと確認された。そこで中先生、それならきょうの理事会は成立しないんじゃね? と疑問を呈し、理事会を流会とするよう提案した。あたりまえのことである。しかし、あたりまえのことがあたりまえにおこなわれない。それが名張まちなか再生委員会なのである。あるいは、名張市なのである、といってもいいであろう。しかしなあ、いつまでもそんなことが通用すると思うておってはいかんぞ。げんに、きのうの理事会では、会議を開かなかったみっつのプロジェクトチームが早急に会議を開催し、そのあともういちど理事会を開いて、「各プロジェクトチームの確認結果報告」をおこなう、ということになった。

したがって、きのうの理事会、事項書どおりには進行しなかった。「各プロジェクトチームの確認結果報告」にもとづいて進められるはずだった「今後の名張まちなか再生委員会(組織)の在り方について」の検討は、もとよりできるはずもない。「まちなか再生における今後の取組みに関する意見等」が話し合われただけである。流会にこそならなかったが、実質的には流会にほかならず、ただ雑談に終始した、という結果となった。むろん、「3.その他」にあげられていた「[参考]平成21年度総会について(仮スケジュール)」についても、まともに話し合われることはなかった。ちなみに、このスケジュールでは6月28日が総会ということになっているのであるけれど、無理なんじゃね? という気がする。6月であろうが7月であろうが8月であろうが、はたして総会が開催できるのかどうか、それすら危ぶまれる状況である。

詳細は、いずれ名張市公式サイトに掲載されるであろう議事録でご確認いただくことにして、名張市において「市長への手紙」への回答を考えたり書いたりしている職員諸君、それから、3月4日に発表された「施政方針」を執筆した職員諸君、きのうの理事会でも、出席者から「今後の計画づくり」に対する批判が出ておったぞ。どんな批判か、みたいなことはいまさら説明するまでもあるまい。これまでこのブログに記してきたような批判が、名張まちなか再生委員会の内部からも表明されるにいたった、と思ってくれたまえ。中先生は、名張市が計画づくりをもちかけてきても、委員会のほうが蹴ってしまうことになるかもしれんぞ、と述べておいた次第であるが、それにしても、ほんとにどうよ、職員諸君。他者への配慮をいっさい忘れ、身勝手きわまりないおもわくばかりふわふわへらへらばかみたいに口走っておって、そんなことでいいと思うておるのかこのすっとこどっこい。そんなあたりまえのこともわからんのか。そんなことだから、おらおらおらおらこの低能がよー、といわれてしまうのである。

おらおらおらおらこの低能がよー、といえば、きのうの理事会では、やなせ宿のことも雑談の話題にのぼった。なんどもいうけど、あの無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館は、いまや名張まちなか再生委員会とは無縁な施設なのである。理事会でなにを話してみたところで、そんなものにはかけらほどの意味もない。どうしてこんなことになってしまったのかというと、それが名張まちなか再生委員会の選択であり判断であり決定だったからなのである。それなりの手続きを踏んで、いってみれば合法的に、やなせ宿はまちなか運営協議会の手中に収まってしまったのである。異常と呼んでいい事態ではあるのだが、もう取り返しはつかない。

ただし、やなせ宿の運営を正常化するのは、じつは簡単なことである。正常化、といってしまっては、まちなか運営協議会が悪者のように聞こえるから、ま、実際に悪者なのではあるけれど、正常化ではなくて初期化ということばをつかうことにする。初期化、というのは、やなせ宿をどんなふうに運営してゆけばいいのか、それをいちから考えられる状態にする、ということである。白紙の状態に戻してしまう、ということである。なにしろあのやなせ宿、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館というのは世をしのぶ仮の姿、その正体は一億円の血税をそそいだ名張市民の共有財産なのである。その共有財産をどのように活用すればいいのか、最初から考えてゆけばいい、というだけの話なのである。だれが考えるのか。名張地区住民に限定する必要はまったくない。名張市民という限定すら邪魔であろう。だれが参加したっていいのである。オープンな場で、自由な提案を応酬する。そこからスタートすればいいのである。

で、先述のとおり、それはごく簡単なことなのである。名張市長が強権を発動すれば、それで済む話なのである。やなせ宿にかんして、名張市はちょいと失敗をいたしました、てへっ、と素直に非を認め、頭をさげるべきところには頭をさげて、そのあと堂々と、やなせ宿初期化宣言を発すればいいのである。いちから英知を結集すればいいのである。いわゆる鶴のひと声、それを発すれば、事態はあっというまに解決に向かうのである。しかし、そんなことはできぬであろうな。無理であろうな。鶴のひと声なんて、とても望めぬことなのであろうな。なにしろ名張市長、ほんとうのことをいってしまうとな、じつはな、鶴さんではなくて亀さんなのじゃからな、ぎゃはははははははははははは、とかなり周到に話をもっていった次第ではあったのだが、遺憾ながら、やや受け、といった程度に終わってしまった。このあたり、議事録ではどのような扱いになっておるのか、おおいに楽しみである。
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4月1日である。新年度に入りはしたが、3月26日付エントリのつづきである。

3月26日:中先生のおさなご講座 拾

つづきといっても、なにがつづいておるのか。会議だのなんだの、あるいはまちの保健室だのなんだの、そんなのが重なったせいでやや混乱気味であるゆえ、ここで確認しておくと、名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して、市長ならびに前教育次長との面談を要請した。そんな場をなぜ要請したのか。「市長への手紙」を利用したやりとりで、先方から「今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします」と乞われたがゆえ、それにお応えするべく、「つきましては、そのための面談の場を設けていただきたく、ご手配をお願いいたします」とお願いしたのである。二回お願いしたのだが、一回目も、それからこんどの二回目も、かんじんの市長と前教育次長にはお目通りがかなわなかった。二回目の面談は3月25日のことで、教育委員会ならびに総合企画政策室との面談、ということになってしまった。で、26日のエントリにはその報告として総合企画政策室篇を記し、きょうはそのつづき、教育委員会篇となるわけである。教育委員会篇というか、より具体的にいえば、市立図書館篇である。

市立図書館といえば、中先生、市立図書館とおさらばして、きょうでちょうど一周年ということになる。おさらばしたおかげで、心おきなく市政批判を展開できるようになった。おらおらおらおらこの低能がよー、などと平気でぎゃあぎゃあわめけるようになった。しかし、おさらばする以前からわめいていたような気もするから、市政批判をくりひろげるために図書館とおさらばした、というわけではない。要するに、図書館のなかにいたってどうしようもないからであった。まったくどうしようもない。図書館が乱歩にかんしてやるべきこと、というのがたしかに存在しているのだが、図書館はいっこうにそれをしようとしないし、図書館のなかでそれをいってみたところで、みごとなまでに埒があかない。だから、図書館とはおさらばして、ひとりの市民として、おらおらうりゃうりゃどりゃどりゃぐりゃぐりゃ、と名張市にたいして真摯で有益な進言を呈することにした次第なのである。

少なくとも一年前には、中先生はそう考えていた。しかし、いまはもう、そんなことは考えてもおらぬ。それはそうであろう。いくら進言しようにも、市長と前教育次長とはなぜかすたこらお逃げになるのだし、かりに進言できたとしても、その進言を理解できるのか。その理解にもとづいて判断し、判断にもとづいて実行する。そんなことができるのか。たぶん、できないであろう。たぶん、ではなくて、絶対に、といってもいいであろう。じつになさけない話ではあるが、それが名張市の実態なのである。といったあたりが、おさらば一年後の結論である。ま、市長をチェンジしないとどうにもならんだろうな、というのが、現時点における実感である。しかし、かりにチェンジできたところで、そこらの県議会議員だの市議会議員だのが次期市長、なんてことでは眼もあてられんのだがなあ。

以上、いきなり結論めいたものを記してしまったが、3月26日の総合企画政策室篇につづいて、本日は教育委員会篇、というか、市立図書館篇である。ところで、意外なところで名張市立図書館の名前を発見した。山梨県甲府市にある竹中英太郎記念館の公式サイトに、館長でいらっしゃる金子紫さんの、この「紫」というお名前は「ゆかり」とお読みいただきたいのだが、その紫さんのブログがあって、3月29日付のエントリに、ゆくりなくも市立図書館のことを記していただいてあるのである。

竹中英太郎記念館 館長日記:名張人外境の中様が・・・・・(3月29日)

永遠のJガールこと吉本興業の新矢由紀さんが、仕事で山梨へおいでになり、仕事のあいまに、「名張人外境の中様」のおすすめにしたがって竹中英太郎記念館に足をお運びになった、という寸法である。Jガールさんのブログにも、当日のことが記されている。

永遠のJガール:湯村の杜 竹中英太郎記念館(3月29日)

で、金子紫さんのブログ記事に、まさにゆくりなくも、市立図書館の名前が出てきたのである。びっくりした。

   
中様とは、1996年に名張市立図書館が「乱歩文献データーブック」を編集されました際、少しだけ資料のご協力をさせて頂きました。
まだ一度もお目にかかった事が御座いませんが、こうして記念館をご紹介して下さり、有難く思います。

懐かしい。じつに懐かしい。というか、とてもうれしい。紫さんが中先生のことを、というよりは、市立図書館のことや『乱歩文献データブック』のことをおぼえていてくださったのが、素直にうれしい。思い出すなあ。紫さんがお書きのとおり、平成8・1996年のことである。中先生、前年10月から市立図書館の嘱託を務めていて、図書館が収集した資料を活用すべく、『乱歩文献データブック』の編纂にあたっていた。で、竹中英太郎の「『陰獣』因縁話」というエッセイを入手閲読する必要に迫られた。昭和10・1935年9月に出版された『名作挿画全集』第四巻の月報「さしえ」に掲載された文章である。とはいえ、そんなものは国立国会図書館にも所蔵されていないし、版元の平凡社に問い合わせても保存されていなかった。竹中英太郎は昭和63・1988年4月8日、八十一歳で死去していたし、子息の労さんも平成3・1991年5月19日、いまだ六十歳の若さで世を去っていた。といったような生没の年月日はいま確認したのだが、しかし、労さん、六十歳で亡くなっていたのか。つい先日めでたくお誕生日を迎えた中先生、労さんが亡くなった齢まであと四年である。

そんなことはともかく、当時の中先生はいまだ嘱託になりたてで、乱歩にかんする人脈なんてものはまったくなかったし、インターネットもまだまだ普及していなかった。なにかを調べようとしても、すぐ手詰まりになってしまう。竹中英太郎の「『陰獣』因縁話」、さあ、どうすっかなあ、と思案に暮れていたところ、どこかの美術館で竹中英太郎展が開かれたらしいと聞きおよんだので、さっそくその美術館に電話を入れ、英太郎の著作権継承者がどなたなのかを教えてもらった。それが金子紫さんである。英太郎にそんなお嬢さんがいらっしゃったことなど、まるで知らなかった。さっそく、教えてもらった電話番号を、おそるおそるプッシュした。それはもう、おそるおそる、である。なにしろ、あの竹中英太郎のお嬢さんに電話をさしあげるのである。おそるおそる、という感じになってしまうのも無理からぬ話であろう。

ところで、竹中英太郎ってだれよ、とお思いのかたもあるかもしれない。中先生の名張人外境で英太郎の名前を検索してみると、それこそ「『陰獣』因縁話」の筆者としてであったり、画集『百怪、我ガ腸ニ入ル 竹中英太郎作品譜』の著者としてであったり、四十七件がヒットしてきたのだが、なかに平成18・2006年1月25日の「人外境主人伝言」というのがあった。英太郎のこと以外に、市立図書館がどうのこうのという話題も記されていて、

──名張市にはお金がありませんので乱歩の著作や関連文献などのデータをネット上で公開することができません。

といった名張市の真実の姿をネット上で全国発信したりしている。面白いから当日の伝言、全文をここに転載しておく。
 

● 1月25日(水)

 おとといきのうは頭がぼーっとしていたのですが、けさは比較的すっきりしております。さっそくまいりましょう。メールでお問い合わせいただいた件にこの伝言板でお答えする件です。

 1月2日の伝言で、私はある方から頂戴した年賀状を話題にして、

 ──名張市立図書館が『乱歩文献データブック』をつくったとき、編纂開始を報じてもらった朝日新聞三重版の記事をご覧になって、そういうことならと昭和21年創刊の月刊誌「宝石」全冊を名張市立図書館に寄贈してくださったのがこの方で、むろん年季の入った探偵小説ファン。

 と記しました。

 ところが、名張市立図書館のオフィシャルサイトで蔵書検索を試みても、「宝石」のほの字もひっかかってこないではないか。昨年末に掲示板「人外境だより」で話題になっていた横溝正史の謹呈署名入り『真珠郎』も、やはり検索することができないではないか。これはいったいどういうことか、というメールを頂戴した次第です。

 お答えいたします。とはいえ、私は名張市立図書館にその人ありとうたわれたカリスマではあるのですが、実際にはただの嘱託にすぎませんから、図書館の運営そのものにはまったくタッチしておりませんし、運営に関する意見を求められることもありません。蔵書検索についてもそもそもシステムさえとんとわからず、とてもお答えできる立場にないといえばないのですが、思量できるところをお答えするならば、名張市立図書館の蔵書は乱歩に関係があるものとそれ以外のものに分類されていて、前者は検索の対象になっていないということではないでしょうか。

 それがなぜなのか、やはり私にはよくわかりません。まるでばかみたいになんにもわかりません。しかしむろん望ましいことではなく、というより乱歩に関していうならば、名張市立図書館のオフィシャルサイトでは一般的な蔵書検索よりもさらに高度な検索ができるようにしたいものだと私はつねづね考えているのですが、いまだ実現できてはおりません。これはあきらかに私の力不足のせいでありますゆえ、とりあえずお詫びを申しあげておく次第です。

 ここでちょっと振り返っておきますと、あれは名張市立図書館が江戸川乱歩リファレンスブック2『江戸川乱歩執筆年譜』を刊行したあとのことですから1998年。インターネットがかなり普及してきましたので、名張市立図書館もこれまでに出した『乱歩文献データブック』と『江戸川乱歩執筆年譜』のデータをネット上で公開するサービスに着手すべきだろうと考え、私は名張市教育委員会にそのための予算を要求したのですが、提案は採用されるにいたりませんでした。理由はたぶん、予算に余裕がないということであったと判断されます。

 名張市教育委員会をあてにしてぼーっと待ってても仕方ないなと判断し、みずからサイトを開設して『乱歩文献データブック』と『江戸川乱歩執筆年譜』のデータを掲載しはじめたのが1999年のこと。編纂中だった『江戸川乱歩著書目録』の内容も公開して、その『江戸川乱歩著書目録』が完成したのが2003年。その時点で私は再度、江戸川乱歩リファレンスブック全三巻のデータを図書館のサイトに掲載することを名張市教育委員会に提案したのですが、またしてもあっさり蹴られてしまいました。このときにははっきりと、予算がないからという説明がありました。

 私の構想は、単に目録三巻の内容をアップロードすることにとどまるものではありませんでした(すでにして過去形で語っているわけですが)。乱歩に関するさまざまなデータも掲載して、なかんずく圧巻というべきは乱歩の著作権が消滅する日に照準を合わせ、全作品の初出テキストを一挙に公開することまで視野に入れていたのではありましたが(過去形です)、その端緒となるべきリファレンスブック三巻の掲載すら実現できないのですから情けない。無力感にうちひしがれるばかりです。

 ですから結論といたしましては、

 ──名張市にはお金がありませんので乱歩の著作や関連文献などのデータをネット上で公開することができません。

 ということになります。なんか嘘みたいな話ですけど、つまりいくら財政難でもそれくらいの予算はいくらでも捻出できるのではないかと私には思われるのですが、これまでの経緯をたどってみるとそういうことになってしまいます。なんか変だな。

 あすにつづきます。

  本日のアップデート
RAMPO Up-To-Date●2005

 ▼2005年1月

 妖美と反逆 竹中英太郎の謎を追う 鈴木義昭

 東海大学にかかわりが深いらしい月刊誌「望星」の昨年1月号に掲載。三回連載の「中」にあたります。掲示板「人外境だより」で古畑拓三郎さんが話題にしていらっしゃいましたので、その連載には乱歩の名前が出てくるのかとお訊きしてみたところ、古畑さんは連載全ページのコピーをどーんと送ってきてくださいました。

 じつにじつにありがたいことであり、古畑さんに深甚なる謝意を表しつつ、「乱歩・久作・横溝とともに」という小見出しのあるあたりから引用。

 
 数多くの作家の作品に挿絵を描いた英太郎だが、やはり乱歩、久作、横溝は英太郎にとって特別な作家と言っていいだろう。

 特に江戸川乱歩とは昭和三年の『陰獣』以来「名コンビ」と持て囃され、乱歩のそれ以後の主要な作品の挿絵は英太郎が描くことになる。『悪夢』『押絵と旅する男』など『新青年』に発表された乱歩作品のほとんどは、英太郎の手によるものだった。『新青年』と同じ博文館の『朝日』に連載した『盲獣』も話題を呼んだ。そんな乱歩と英太郎の間に、いつ頃からか不和が生じる。英太郎は乱歩の作品を書きながら、乱歩に対する不満を募らせたのだ。それは、流行作家の処世とそれに加担する自己嫌悪のようなものだろう。そして、とうとうすべての不満を吐き出すかのようにして、「かくあるべき挿絵」とも言うべき作品となる『大江春泥作品画譜』(昭和十年)を描いて、乱歩と訣別する。同時にこれは、画壇への「遺書」ともなる。

 古畑さんからは、「太陽」の1988年1月号に掲載された竹中英太郎のインタビュー記事のコピーもあわせて頂戴いたしました。「モボ・モガの時代」という連載の一篇です。英太郎の逝去はこの年4月8日のことで、古畑さんによればこのインタビューが「最後の肉声」。

 「『新青年』に颯爽とデビュー」という小見出しのあるあたりから引きましょう。「新青年」の編集長だった横溝正史から挿絵の依頼を受け、英太郎が手渡されたのは乱歩の「陰獣」の原稿であった。

 
 ところが私はね、大衆文学を軽蔑してましてね。身すぎ世すぎのために書いてはいるけれども、こんなものは一時の腰かけであって、本業にする気は全然ないんだと。で、何が江戸川乱歩だと。二一、二の生意気盛りですものね。ましてや三年筆を絶っていた乱歩の再起作だなんていうことはわからんですからね、横溝さんも冒険ですよね。

 ついでですから、インタビューの最後の段落も引いておきます。

 
 何か新しいものを求めようとする意欲は今もあるんです。私がものごころついた時分の教えというのは体当たり。右も左もそうでしたね。体をぶつければ本望だと。何かぶっつけたい、そして死にたいという気持ちは今もあります。だから、こいつを殺せば世の中が良くなるとか何百人が助かるということがあればね、そういう悪い奴が目の前にいれば、ふっ飛ばされるかもしれんが、八一歳、体をぶっつけてもいいという気持ちは今も持っているんです。

 ひたすら恐れ入るしかありません。こういう心意気のことを、人は気骨と呼ぶのでしょう。いくらかでもあやかりたいものですがとてもとても。

 あすにつづきます。

 
気骨というか、反骨というか、侠骨というか、「こいつを殺せば世の中が良くなるとか何百人が助かるということがあればね、そういう悪い奴が目の前にいれば、ふっ飛ばされるかもしれんが、八一歳、体をぶっつけてもいいという気持ちは今も持っているんです」と最晩年において高らかに宣言していた人のお嬢さんなんだから、それはもう、ほんと、おそるおそるであったのだが、実際に電話でお話しした金子紫さんは、じつにさっばりして気さくなかたであったという記憶がある。

厚かましいお願いをおそるおそる申し出てみたところ、わかりました、あるはずだから探してコピーを送ってあげます、みたいな感じでご快諾をいただき、それからまもなく、月報「さしえ」第四号の、「『陰獣』因縁話」が掲載されたページだけでなく全ページのコピーを、市立図書館まで送ってきてくださった。はっきりいって、感激した。竹中英太郎のお嬢さんと電話でお話ししたというだけでも感激したのに、わざわざコピーまで送っていただいたのだから、ほんとに感激した。

その後、平成16・2004年の4月、竹中英太郎記念館が開設され、一度はお邪魔しなければと思いつつ、ついずるずると先延ばししてこんにちにいたったわけなのであるが、そんな不義理を重ねていたにもかかわらず、紫さんが『乱歩文献データブック』のことをおぼえていてくださったのがうれしく、それをわざわざブログでご紹介いただいたのもまた、とてもうれしいことであった。紫さんのブログにコメントを投稿しようかとも思うのだが、なんか、恥ずかしくてできない。だから、当ブログにこそこそと、紫さんへの謝意を記しておく次第である。それにしても、ほんとにいちど、竹中英太郎記念館にお邪魔して、金子紫さんにご挨拶を申しあげなければならんなあ、とぞ思う。

ついでに、いやいや、ついでにといっては失礼だが、中先生の進言を素直に容れて、竹中英太郎記念館まで足を運んでくださった永遠のJガールさんにも、お礼を申しあげておきたい。ちなみに記しておけば、中先生の進言を素直に受け容れる人には、きっといいことがあるはずなのである。逆に、かたくなに進言を容れようとしないとどうなるのかというと、いまの名張市みたいなことになるのである。まったくまあ、大笑いである。ばーか。

話が横道にそれてしまった。つづきはまたあしたである。
いかん。うっかりしておった。すまんすまん。名張市において「市長への手紙」の回答を考えたり書いたりしている職員諸君、どうもすまんかったな。中先生、3月19日付エントリに記したことをころっと忘れておった。

3月19日:中先生の添削講座 功労篇

「3月17日付『市長への手紙』の回答が着信したら、そのあとこの質問を送信する予定である。楽しみにしていてくれたまえ」と書いてある。この質問、とあるのは、これである。

   
名張市公式サイトにおいて、3月31日に表彰される市政功労者の名簿を閲覧いたしました。ふしぎなことに、私の名前が掲載されておりません。どうしてでしょうか。これまで市政に多大な貢献を果たしてきた私の名前が、功労者名簿にみあたりません。これはいったい、どうしたことなのでしょうか。どうしてなのか、どうしたことなのか、そればかり考えて、きのうの夜はとうとう一睡もできませんでした。たぶん、なにかの手違いだと思います。おそれいります。ご確認をお願いいたします。

もしも、万一、これが手違いの結果ではなく、私が最初から市政功労者表彰の対象になっていなかったというのであれば、それはとても信じられないことです。私が過去、骨身を惜しまず、一身を挺して、名張市政に貢献してまいりましたことは、貴職におかれてもよくご承知おきいただいているところであると拝察いたします。そんな私がなぜ、いったいどうして、市政功労者表彰の栄に浴することができなかったのか、選ばれなかったのか。いくら考えても理解できず、また、納得もできません。ぜひとも理由をお聞かせいただきたく、ご回答をお願い申しあげます。

公務ご多用のところ恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

ころっと忘れておった。3月27日に「返信:市長への手紙(みたび名張まちなか再生の今後の計画づくりについて)」が着信したのだから、そのあとはこの質問を送信するべきであった。おりしも、きょう3月31日は市政功労者表彰式がおこなわれる日である。さあ、どうしようかな。

ほんと、どうしようかな。市政功労にかんする質問はとりさげて、やっぱこっちの質問を送信することにしようかな。

「平成19年6月2日、名張市役所で開かれた名張まちなか再生委員会の定期総会において、委員会側が乱歩文学館の建設構想を検討中であったにもかかわらず、名張市側が一方的に建設の断念を発表したのは、不適切なことであったと認めるか」

しかし、市政功労者の件も中先生にとっては重要な問題だしなあ。迷うよなあ。どうすっかなあ、と悩んでおったところ、きのうの夜はまた会議であった。

   
乱歩関連事業PT事項書
 
日時:平成21年3月30日(月)19:30〜
場所:名張市役所304会議室

1.あいさつ

2.報告事項
1)臨時総会 1月25日
2)第1回まちなか再生委員会理事会 2月25日
3)乱歩生誕地碑広場工事完成記念式 2月28日
4)その他

3.協議事項
1)当プロジェクトチームの位置づけについて
2)今後の組織の方向性について
3)まちなか再生における今後のとりくみについて
4)その他

4.その他

会議会議でいやになる。4月1日に開かれる理事会へ向けて、プロジェクトチーム単位で意見のとりまとめをおこなう、みたいなことで会議が開かれておるのだが、きのうの会議で聞きおよんだところによれば、まじめに会議を開いているのは歴史拠点整備プロジェクトチームと乱歩関連事業プロジェクトチームだけだというではないか。残るよっつのプロジェクトチーム、すなわち、水辺、交流拠点、生活拠点、歩行者空間の四チームでは、会議を開くことさえしておらんというではないか。話にならんなまったく。

ほんと、話にならない。2月25日の理事会でプロジェクトチーム単位の会議を開こうね、とお約束したのに。そのお約束を守ってるのは中先生が参加しているプロジェクトチームだけだというのである。じつにふざけた話である。しかしまあ、プロジェクトチーム単位で会議を開いてみたところで、なにがどうなるというものでもない。げんにきのうの会議でも、なにがどうなったというわけではない。名張まちなか再生委員会などというインチキ委員会は、なんどもいうけどぶっ壊してやる以外にどうしようもないのである。ということで、あすは第二回理事会である。まーたいいだけぎゃあぎゃあわめいてやんなきゃな。
おとといのつづきである。名張市において「市長への手紙」の回答を考えたり書いたりしている職員諸君、「名張市はみずから発足させた各種委員会の自立性や主体性をいっさい認めようとしない、と判断せざるをえない。このように判断して差し支えないか」との質問を受けて、はい、そのように判断していただいて結構です、と答えることはとてもできぬであろうけれども、しかし、しかしなあ、というあたりからのつづきである。おとといも記したとおり、名張市が各種委員会の自立性や主体性を認めていないというのは、いまや公然たる事実ではないのか。

おととい発行された伊和新聞に、名張市議会議員による報告会の記事が掲載されていた。梶田淑子さんが代表をお務めの自由クラブという会派が、3月17日、名張産業振興センターアスピアで開催した。見出しには「市民、市政へ厳しい意見や不満を…」とあるが、市民の発言にはこんなものもあったと報じられている。

   
Q3 名張市は金がないといって補助金を一律カットしている。市民活動は沈滞傾向にある。老人会も補助金が3分の1になり、退会者が増えてきた。
一方、名張市にはやたらと委員会が多い。行政が誘導する結論を出すだけの委員会は、日当のムダだ。まちの保健室も大きなムダだ。来客はほとんどなく、保健婦さんは暇をもてあましている。本当に健康相談したい人は、医者の所へ行くはずだ。

まちの保健室はもはや、「大きなムダ」、このひとことで片づけられておる、みたいなことは、いまは関係がない。問題は、名張市がつくった委員会なんて、「行政が誘導する結論を出すだけ」の組織である、との指摘である。きついなあ。きついきつい。しかし、これはいまや、一部の市民にとっては周知の事実なのではないか。いやいや、市民がどうこういう以前に、名張市の職員諸君はどうよ。名張市が腐るほどつくった委員会、そのどれもこれも、あらかじめ決められている「結論」を市民との協働とかいうお題目のもとにオーソライズして「誘導」するための隠れみのでしかない、なんてことは職員諸君、君たちは百も承知の二百も合点のはずではないか。しかし、しかしなあ、市民から「行政が誘導する結論を出すだけの委員会は、日当のムダだ」と指摘されても、はい、そのとおりでございます、と正直に答えることはできんものなあ。困ったものだよなあ。

ではここで、3月27日午後2時58分31秒に着信した「市長への手紙」の回答をごらんいただく。件名は「返信:市長への手紙(みたび名張まちなか再生の今後の計画づくりについて)」。

   
中 相作 様

このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
ご質問に関しまして以下のとおり回答します。

【ご質問】
1)3月23日付回答に記されていた「市街地整備室を主担当として、総合企画政策室・健康福祉政策室・商工観光室・都市計画室・道路河川室・営繕住宅室・教育委員会事務局生涯学習室等によるプロジェクト」は、いつ設置されるのか。
【回答】
平成21年4月末までには設置したいと考えています。

【ご質問】
2)3月23日付回答には「今後の計画づくり」の「具体的な日程」を「名張まちなか再生委員会と共に決定」するとあるが、名張まちなか再生委員会との決定は、いつ、どのような場でなされるのか。
【回答】
平成21年6月での名張まちなか再生委員会総会での決定を想定しています。

【ご質問】
3)「今後の計画づくり」について名張まちなか再生委員会に知らせることなく、いきなり施政方針で発表したのは、委員会の自立性や主体性を無視した行為であり、明らかに不適切なことである。これを不適切ではないと主張するのであれば、名張市はみずから発足させた各種委員会の自立性や主体性をいっさい認めようとしない、と判断せざるをえない。このように判断して差し支えないか。
【回答】
市として、今後の計画づくりについて名張まちなか再生委員会と共に進めることを表明したことをもって、名張まちなか再生委員会の自立性や主体性を認めないものではないと考えております。

【ご質問】
4)「今後の計画づくり」によって新たな計画が策定されるのにともない、名張まちなか再生プランは無効化されるのか。
【回答】
「今後の計画づくり」は、過去5ヵ年の事業を踏まえたうえで、今後行なうべき事業、行なうことのできる事業について、十分議論したうえでの計画づくりを想定しています。名張まちなか再生プランをさらに有効にするための計画づくりに取り組みたいと考えておりますので、ご協力の程よろしくお願いいたします。

今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。

平成21年 3月27日
名張市長 亀井利克

ほんと、どうするよ、名張市において「市長への手紙」の回答を考えたり書いたりしている職員諸君。「名張まちなか再生委員会の自立性や主体性を認めないものではないと考えております」とでも答えておくしかないことはわかるけれども、しかし、こう答えたことによって、名張市における施政方針というものはでございますな、ただの思いつきを書き並べたものにすぎないわけでございまして、たとえ相手のある問題であっても、相手の事情や意向にはまるで配慮せず、たんなる行政サイドの勝手なおもわくをふわふわへらへら、それはもう寝言かたわごとみたいにじつに軽々しく、あろうことか庁舎内部のすり合わせさえなしに、ただのその場しのぎででっちあげたものにすぎないわけでございまして、名張市民のみなさまにおかれましては、あのような施政方針をいっさい信用することなく市民生活をお送りいただきますよう、衷心よりお願いを申しあげる次第でございます、ほんとにあんなもの、屁のつっぱりにもなりゃしません、と名張市長みずからが宣言したのもいっしょなのだからなあ。やってられんよなあまったく。あまりにもやってられんから、やってられんついでに、3月24日付エントリで予告したとおりの質問を送信してやるか。

3月24日:中先生の添削講座 自立篇

こういう質問である。

「平成19年6月2日、名張市役所で開かれた名張まちなか再生委員会の定期総会において、委員会側が乱歩文学館の建設構想を検討中であったにもかかわらず、名張市側が一方的に建設の断念を発表したのは、不適切なことであったと認めるか」

問題としては同質であるが、程度のわるさには拍車がかかっておる。「行政が誘導する結論を出すだけの委員会」との評言に即していうならば、誘導することすらできなくていきなり結論を押しつけた、というぶざまさである。いいかげんにしておけ。この話のどこに、委員会の自立性や主体性があるというのか。ほんとにいいかげんにしておけ。ただまあこの場合、名張市がとてもラッキーだったのは、中先生がいまだ名張まちなか再生委員会に加わっていなかった、ということであろう。なにしろあの委員会、自分たちがひとつの自立した組織であり、自立した組織としての主体性を有している、ということが理解できておらん。だから、自分たちの自立性や主体性を踏みにじられても、そんなことにはまったく気がつかない。気がつかないから、曲がりなりにもことが進む。げんにことが進んだのだから、よかったなあ名張市。あほな自治体があほを集めてあほな委員会をつくり、一般市民がのけぞってしまうほどあほなことをぶちかましても、あほとあほとのもたれ合いでなんとかことが進んだのだからなあ。しかし、こんなあほなことをいつまでつづけるのか、と憤っている市民だって存在するのであるけれど、あほのみなさんはそれにすら気づかぬというのか。

そんなことはともかく、どうしたものであろうな、名張市において「市長への手紙」の回答を考えたり書いたりしている職員諸君。

「平成19年6月2日、名張市役所で開かれた名張まちなか再生委員会の定期総会において、委員会側が乱歩文学館の建設構想を検討中であったにもかかわらず、名張市側が一方的に建設の断念を発表したのは、不適切なことであったと認めるか」

名張市公式サイト「市長への手紙」を利用してこの質問を送信してみたところで、これまでと同様、職員諸君がいいわけいいのがれいいつくろいに苦労するだけのことであろう。論理もなければ根拠もなく、ただひたすら白を黒だと主張する回答が返ってくる。それだけの話であろう。そんなことでは、こっちだって面白くもなんともないもんなあ。職員諸君、ほんとに困ったものだよなあ。とりあえず、この質問を送信するかどうか、きょうのところは決定を保留しておく。いわゆる先送りである。
きのうの続報である。3月26日夜、名張まちなか再生委員会の歴史拠点整備プロジェクト、数えて十八回目の会議。やなせ宿は4月1日からどうなるの? と質問した。なにしろ中先生、委員会をぶっ壊すことしか考えておらんのだから、組織の方向性だの今後の取り組みだの、そんな話題はすべてスルーだったのであるが、やなせ宿のことは気になっていた。だから、やなせ宿はどうよ、と事務局に質問した。

ちなみに、あの無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館は、いまや名張まちなか再生委員会とは無縁の施設である。したがって、歴史拠点整備プロジェクトの会議で話題にするのは筋の通らぬ話である、ということになる。しかし、なにしろ名張市である。名張市における筋などというものは、いいだけねじくれ曲がっておるのである。筋が通っておらんのは名張市のほうなのである。それはもう、みごとなまでに筋が通らん。あほなのであるからな。

やなせ宿のオープンは、昨年6月7日のことであった。「陽光うららかな土曜の朝、名張のまちにはいつものとおり人影がなく、新町通りに入ってもなお閑散としている。やなせ宿に着き、無駄に立派な公衆便所のまえを通過して、裏に、つまり名張川のほうにまわってみると、そこに人だかりがあって、セレモニーの会場がしつらえられていた」と当ブログ当日のエントリに書いてある。そうであったそうであった。午前10時からテープカットがおこなわれ、副市長と市議会議長と名張まちなか再生委員会委員長が紅白のテープにはさみをお入れになったのであったな。

オープンこそ6月であったが、年度開始の4月にオープンすることは可能であった。やなせ宿の改修工事は前年度中に終了していたからである。なぜ6月になったかというと、名張市がじつにうっかりしていて、やなせ宿がなんのための施設なのか、それを決めることなく施設整備を進めてしまったからである。本来であれば、ありえない話である。しかし、ここ名張市には、そんな話が実際にあったのである。ま、あほなのであるからな。

伊賀タウン情報 YOU:総工費1億円 名張の観光交流施設「やなせ宿」どうなる?何する?(2008年4月11日)

引用。

   
一方、実質的な運営は市の「公設民営」の方針から、05年6月に組織された、市民らによる「名張まちなか再生委員会(田畑純也委員長)」が民営化について協議してきた。その結果、当初は同委員会が立ち上げた団体が運営を任される予定だったが、これまでの役員会などで、同委員会設置の「まちなか運営協議会」が当面の運営を行うことが決定した。名張市が09度の指定管理者を目指して運営団体を公募し、同協議会も新たな運営組織を再発足するという。

まちなか運営協議会が当面の運営をおこなうことになった、とある。当面というのは、今年の3月末までのことである。どんな協議会なのか。昨年6月の名張まちなか再生委員会の総会において、やなせ宿のことはまったく話題にのぼらなかったのであるが、なぜか、まちなか運営協議会にかんする報告資料が配付された。これである。

20080602e.gif

報告ったって、ただこれだけのものである。なにを報告しておるのかもようわからん。やなせ宿の運営を受託したのなら、どんだけの予算が転がりこんできたのか、その程度のことは報告したらんかとも思うのだが、それすらない。ちなみに、昨年6月から今年の3月までの委託費として、名張市から協議会に二百七十七万円が転がりこんだと聞き及ぶ。ただまあ、こうして報告資料をみてみると、会計監査のかたもいらっしゃることだから、年度末を迎えて、せめて監査報告くらいは公開されるのであろうな。

ところで、このまちなか運営協議会、おとといの会議では評判が無茶苦茶であった。最悪最低、とはこのことであろう。横で聞いていて、協議会が気の毒になったほどである。不透明であるとか、風通しがわるいとか、実質的には名張地区まちづくり推進協議会そのものであるとか、てめーら公務員たる市職員が民間団体であるまちなか運営協議会に使役されていてどうするよおら、おらおらおらおら、うりゃうりゃうりゃうりゃ、どりゃどりゃどりゃどりゃ、ぐりゃぐりゃぐりゃぐりゃ、とか、それはもうさんざんであった。まあやかましいやかましい。ついでに記しておくならば、名張地区住民のあいだからも、あの協議会にかんしてはわるい話しか聞こえてこないという。越後屋、おぬしも相当のワルよのう、みたいな感じであろうか。

このやなせ宿、名張まちなか再生プランでは歴史資料館として整備し、公設民営方式で運営する、とされていたのであるが、歴史資料館にはならなかった。公設民営方式のほうも、オープン時には導入されるにいたらなかった、先に引用した記事にあるとおり、まちなか運営協議会が「当面の運営を行う」ということになった。いわゆる見切り発車である。見切り発車はしたものの、「名張市が09度の指定管理者を目指して運営団体を公募し」ということにはなっていた。しかし、そうはならなかった。指定管理者の募集はおこなわれなかった。名張市はまた、市民にうそをついたのである。

ではやなせ宿、新年度はどうなるのか。おとといの会議で事務局にただしたところ、明快な回答は得られなかった。どうしてまともに答えないのか、理解に苦しんだ次第であるが、とにかく口ごもったような返答しか返ってこない、しかし、どうやら、案ずるに、新年度においてもひきつづき、まちなか運営協議会が「当面の運営を行う」ということになっておるようである。どうもそんな気配であった。まったくまあ、なにをやっておるのか。ずるずるずるずると、まあずるずるずるずると、ものごとをちゃんと決めることがなにもできずにただずるずると、ほんとにずるずるずるずるずるずるずるずる、牛のよだれみたいにずるずるずるずる目先のことだけにかまけてずるずるずるずる、いいだけずるずるしたあげくそれまでのずるずるのプロセスを既成事実として積みあげて、やなせ宿を食堂にしてしまえばそれで満足なのかな名張市は。さっぱりわけがわからん。ま、あほなのであるからな。

わけがわからんことは、もうひとつある。施政方針に記されていた「今後の計画づくり」とやらのことである。施政方針の執筆は秘書室の担当であると聞き及んだが、その秘書室、まちなか再生事業の現場とはなんのすり合わせもなしに「今後の計画づくり」をぶちあげてくれたらしいな。きのうも記したとおり、おとといの会議でそれを看取することができた。いくら内容空疎なものとはいえ、施政方針だぞ施政方針、その施政方針がそんな適当なものでいいと思うておるのかまったく、と思っていたら、「市長への手紙」の回答がきのう届いた。着信時間は午後2時58分31秒。名張市において「市長への手紙」の回答を考えたり書いたりしている職員諸君、どうもご苦労であった。

しかし、しかしなあ。それはまあ、市民から「名張市はみずから発足させた各種委員会の自立性や主体性をいっさい認めようとしない、と判断せざるをえない。このように判断して差し支えないか」と尋ねられて、はい、そのように判断していただいて結構です、と答えることはできぬであろうが、その程度のことは中先生とてわからぬわけではないのであるが、しかし、しかしなあ、名張市が各種委員会の自立性や主体性を認めていないのは歴然たる事実なのだからなあ。だいたいが、自立性や主体性というのがどういうものなのか、それすら理解できておらんのだからなあ。職員諸君、ほんとに困ったものではないか。つらいよなあ。つらいつらい。おたがいほんとつらいよなあ。というところで、以下、あすにつづく。というか、あしたはお休みになるかもしれん。よろしくどうぞ。
──コメント欄に投稿しようとしたら、「投稿禁止文字エラーです(URLもしくは<A<タグの貼り付け過多)」という表示が出て、投稿できない。投稿禁止文字などといわれても、中先生、べつに卑猥なことも書いておらんのであるが、なんどやっても結果はおなじである。投稿できない。しかたないので、そのコメントをこのエントリに掲載しておく。

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●広田恵三様

ご投稿ありがとうございます。

わざわざご閲覧いただき、お礼を申しあげます。

なにしろまあ日本全国津々浦々、どちらの土地にお邪魔いたしましても市議会議員の先生などというのはしょせん程度のおよろしくないものと相場が決まっているもののようなのですが、なかでも程度のおよろしくないのは、市民から選ばれた議員であるというあたりまえの事実すら忘れはて、あるいは、そもそも理解することができず、市民には終始お尻をお向けになって平然としていらっしゃる、行政の手駒、ですとか、市長の番頭、ですとか、そんなふうに呼ぶしかない先生がたであろうと愚考いたします。そういう先生がたは、もっと簡単に、ポチ、とお呼びしても差し支えないように思われますし、ただもう単純に、あほ、とお呼びしてもよろしいのではないでしょうか。

むろん、私は、日本全国津々浦々、すべての土地の市議会議員の先生がたを存じあげているわけではありませんが、これはいわゆるスープの味見の問題でしょう。つまり、スープの味見をするのに鍋一杯のスープをすべて飲む必要はない、ということで、名張市議会の現状から、日本全国津々浦々の市議会の状況をある程度推測することは可能であろうと考えます。一斑をみて全豹を知る、という寸法です。市議会議員の先生がたのいわゆる視察にかんしましても、実質は観光旅行にすぎないのではないかという市民の疑念は、疑念と申しますか、すでに了解事項となっていると申しあげてもいいように思われるのですが、それこそ日本全国津々浦々に遍在しているのではないかと想像しております。

名張市の場合はどうかと申しますと、たとえば2ちゃんねるの地方自治・知事@2ch掲示板に「三重県名張市の市政について語りませんか?Part2」というのがあって、これがなかなかの良スレなのですが、試みに「視察」ということばを検索してみると、「名張市の議員の視察って九州とか東北、北海道とか/多くないですか。遠方観光地付近多いなって感じるのは私だけ/地域的共通性があるほうが、施策に生かしやすくないですか」とか、「九州、北海道など温泉遠隔地に行って、何の報告もフィード/バックもしたことのない、亀井市政の事なかれ与党もどきの自民、公明の/市議とは雲泥の差と思いませんか」とか、「今回は意味がある視察としても、議会を見ていると、/その成果が感じられない。/議員の視察は、観光旅行と言われるだけ」とか、「F氏の功績はこれ/『議員の海外視察、政調費の充当可能に 名張市議会』」とか、なんだかもうさんざんなことが書かれております。URLを掲げておきますので、いちどお読みいただければと思います。

http://society6.2ch.net/test/read.cgi/mayor/1228055283/l50

ついでに記しておきますと、貴ブログ1月23日付エントリ「三重県名張市」に3月4日、「名張一市民」という名義でコメントが寄せられていて、なかに「今名張でもタウン情報誌で問題になっている政務調査」というくだりがあるのですが、当地のフリーペーパーのことなどよくおわかりにならないであろうと拝察いたしますので、当該記事ウェブ版へのリンクを掲げておきます。「伊賀タウン情報 YOU」というサイトに掲載されたものです。

すっきりしてる? 政調費 名張市議会(2月13日)
http://www.iga-younet.co.jp/modules/weblog/details.php?blog_id=1259
スッキリしてる?【政調費】(2月27日)
http://www.iga-younet.co.jp/modules/weblog/details.php?blog_id=1271
スッキリしてる? 政調費(3月13日)
http://www.iga-younet.co.jp/modules/weblog/details.php?blog_id=1277

こうした報道に接した市民が市議会に対して抱く不信や疑念は、けっして「偏見」ということばで片づけられるべきものではありません。議員による視察の実態は観光旅行であるとする市民の認識もまた、根拠があいまいであるという点は否定できないにしても、一概に「偏見」として否定されるべきものではないと思います。ごくふつうの市民感覚に立脚した疑問や認識を「偏見」というひとことで排除してしまう市議会議員が存在するとしたら、その議員がはたして市民に顔を向けているのか、市民の立場に立っているのか、おおいに疑問だと申しあげなければなりません。

さて、頂戴したコメントをありがたく拝読いたしましたが、広田恵三さん、あなたはいったいどうなのでしょうか。洲本市の市民に顔を向けていらっしゃるのか、市民の立場に立っていらっしゃるのか。たとえば、名張市のまちの保健室が「費用対効果の面で優れて」いると述べていらっしゃいますが、二十七人の人間を五千万円程度の人件費で雇っている、だから費用対効果の面ですぐれている、とおっしゃるのは、またずいぶんとけったいなご指摘です。費用対効果を問題にするのであれば、その五千万円がどのような効果をあげているのか、その点を検証しなければ意味はありません。広田さんのおっしゃる費用対効果ということばからは、市民の存在がみごとに欠落しております。市民を完全に排除してしまって、お役所内部の都合だけで費用対効果を論じていらっしゃる、という印象です。

貴ブログの1月23日付エントリを拝読いたしましても、感想は似たようなものです。広田さんの視察報告は、名張市の行政サイドの説明をそのまま鵜呑みにし、引き写しただけのものだという印象が否めません。まちの保健室を視察なさったとき、地域住民の声はお聞きになられたのでしょうか。それとも、市の職員や保健室のスタッフから説明をお受けになっただけなのでしょうか。もしも後者であったとすれば、きわめて表層的で一面的な視察である、と申しあげざるをえません。

ご参考までに、さきほどお知らせしました2ちゃんねるのスレッドで、こんどはまちの保健室にかんするレスをひろってみますと、こんなあんばいになります。

「福祉といいながらすべてをカット 無駄な予算はつける まちの保健室など」

「まちのほけん室ってなんなん なんか役にたってんの」

「まちのほけん室や経済災害、福祉の理想郷なんて/ことばあそびで悦に入り、自慰行為してる、再建団体転落」

「先ほど、まちの保健室の前を通りましたが誰も訪問していません。/いつも職員の姿しか見えません。/誰のために、何のために始めた事なの本当にこれでよいのですか」

「まちの保健室はひどいですね。/あそこの職員は仕事が無くてヒマでかわいそう/まるでサンデー毎日。/そのうち発狂するのではと思い心配しています。/市長は酷なことしますね」

「器だけで中身のない政策が多いですね。/地域づくり委員会、ゆめづくり広場、まちの保健室などなど」

「亀井市政になってから、とくに行政にサンクコストがありません。/まちの保健室、まちなか再生、税金贈答まるなげ保育所、ゴミ問題、新斎場建設、行政内部の機構改革などなど」

貴ブログに寄せられた「名張一市民」名義のコメントにも、こんなことが記されています。

「名張市民のどなたに聞いても、『町の保健室』なんて/なんの役にもたっておりません。全市民がそう思って/います。保健室に従事する方も、『給料もらってわるいわ』とか/『掃除でもしてよ』『何もすることがない』と聞き及びます」

このコメントには、まちの保健室を「貴市の施策として組み込まぬよう、僭越ながら申し上げます」との文言もみられるのですが、このコメントをお読みになって、広田さんはどうお思いになられたのでしょう。もとより、匿名の投稿です。全面的に信を置けとは申しません。しかし、まったく無根拠なでたらめが書かれているわけでもないでしょう。

「3月議会でまちの保健室の取り組みを紹介させていただき、実現に向け提案した」とおっしゃるのは、この3月4日付のコメントも考慮に入れたご提案だったのでしょうか。それとも、名張市の行政サイドによる説明を鵜呑みにした表層的で一面的な視察結果だけにもとづいて、「名張一市民」名義の地域住民の声などは「偏見」として排除したご提案だったのでしょうか。貴ブログに掲載されたデータをもとに算出してみましたところ、このエントリのコメントに記しましたとおり、名張市のまちの保健室の来所者は一日ひとりである、という結果が出たのですが、こうした数字に示されている費用対効果の問題もご勘案のうえで、洲本市におけるまちの保健室の実現をご提案なさったのでしょうか。

もっとも、私は、まちの保健室という発想そのものを否定しているわけではありません。仰せのとおり、かなりの可能性を秘めた発想だと考えております。しかし、少なくともここ名張市においては、その可能性はいまだ芽を出してもいないというのが現実です。もしも洲本市でまちの保健室が実現されるのであれば、名張市の轍を踏むことなく、それこそ「地域住民の熱意と創意工夫」によって、真に地域住民のための施設として、整備され、運営が進められるよう、祈念しております。

今後ともよろしくお願いいたします。

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──以上である。ちなみに、「名張一市民」名義のコメントが寄せられた広田恵三さんのブログのエントリはこちら。

広田恵三の視察報告ブログ:三重県名張市(2009年1月23日)

もうひとつちなみに、当ブログにお寄せいただいた広田恵三さんのコメントはこちら。

3月4日:うすらとんかち理事会 続 > 無題
おらおらおらおら、きのうのつづきだおら、となるはずだったのだが、よく考えてみたら、きのうの夜、名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの会議があった。本日はそっちの報告となる。

   
第18回歴史拠点整備プロジェクト事項書
 
日時:平成21年3月26日
午後7時30分〜
場所:名張市役所304会議室

□開会の挨拶

1.第1回名張まちなか再生委員会理事会の討議報告及び今後の組織の方向性の確認について

2.まちなか再生における今後の取組みについて

3.その他

まず、反省点。

──ケータイで市長を呼び出せ。

という定番ギャグであるが、きのうはかますのを失念してしまった。うっかりしておった。名張まちなか再生委員会の会合に出席したさいには、かならず一回、

──ケータイで市長を呼び出せ。

というギャグをくりひろげてやると固く決意していたのであるが、じつに不覚なことであった。ただし、きのうの会議では、中さんやないけどほんまにいっぺん市長呼んでこい、おらおらおらおら、うりゃうりゃうりゃうりゃ、どりゃどりゃどりゃどりゃ、ぐりゃぐりゃぐりゃぐりゃ、などと猛り狂っているメンバーがいて、かなりやかましかった。つまり、中先生個人としては不覚であったのだが、歴史拠点整備プロジェクトとしては、定番ギャグの保存と継承に努めることができたわけである。慶賀である。今後ともプロジェクト一丸となって、

──ケータイで市長を呼び出せ。

という定番ギャグを大切にしてゆきたいと、誓いを新たにした次第である。

それでまあ、会議といったって、もうろくなものではない。なんのために集まったのかすら、中先生にはよく理解できなかった。わけのわからんことを、あるいは、どうにもならぬことを、あれこれとしゃべっていただけである。中先生、そんなことには興味がない。名張まちなか再生委員会をぶっ壊すことしか考えていないのだから、組織の方向性だの今後の取り組みだの、そんなことどうだっていいのであるが、名張市において「市長への手紙」の回答を考えたり書いたりしている職員諸君、きのうの会議で名張まちなか再生委員会事務局の職員諸君に、施政方針に書かれてあった「今後の計画づくり」のことを尋ねてみたのだが、まともな返事を聞くことはできなかったぞ。

それに、やっぱり、案の定、施政方針の執筆にあたって、まちなか再生事業の現場とすり合わせをする、なんてことはいっさいなかったようであるな。むろん、事務局の職員諸君が、そんなことを言明したわけではない。しかし、事務局とやりとりしているうちに、それが明らかにわかった。それにしても、事務局職員諸君もじつに気の毒なものである。だから、名張市において「市長への手紙」の回答を書いたり考えたりしている職員諸君、君たちも気の毒といえば気の毒なのであるが、ま、性根を据えた回答をお願いしたい。
ちょうど一か月後のこととなったので、ちょっと宣伝しておく。

伊賀市上野寺町にある大超寺で、4月26日の日曜、寺子屋歴史講座が開かれる。


講師は中先生で、テーマは「田中善助翁と資本主義の倫理」、といってしまうと、ちょっと堅苦しいか。しかしまあ、そんなような内容である。

資本主義の倫理、というフレーズからお察しのかたもおありかと思うが、マックス・ウェーバーに依拠した内容となる。もっとも、伊賀に近代の開幕を告げた田中善助という実業家にウェーバーのいう「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」をみいだしたのは伊賀市の故滝本潤造さんであって、中先生はその驥尾に付すだけの話である。

と書いてから気がついたのだが、この寺子屋歴史講座、開講時間が不明である。いずれ連絡があるはずなので、判明したらまたお知らせする。聴講無料。むろん、どなたにも聴講していただける。
きのうの件である。

   
中 相作 様

教育委員会及び総合企画政策室とお会いいただく日を下記のとおり調整しましたので、よろしくお願いします。
なお、都合が悪い場合は下記まで、ご連絡ください。
        記
日時 平成21年3月25日(水)午後2時〜
場所 市役所405会議室(4階)

昨日午後2時、名張市役所四〇五会議室。きのうのエントリにも記したけれど、職員諸君が相手なのだから、話などなにも進まない。面談は四十分ほどで終了した。

事前に二点、要請しておいた。

・市立図書館が平成20年度に収集した乱歩関連資料のリストと、収集に要した予算の総額とをお示しいただきたい。

・乱歩都市交流会議の平成21年度事業計画をお示しいただきたい。

まず、乱歩都市交流会議について。昨年11月1日付毎日新聞ウェブニュースを無断転載。

   
江戸川乱歩:偉業後世に ゆかりの名張、亀山など4市、連携して情報発信へ /三重

◇名張、亀山、鳥羽、津
探偵・推理小説の大家、江戸川乱歩(1894~1965、本名・平井太郎)の偉業を後世に伝えようと、乱歩にゆかりのある名張、亀山、鳥羽、津の4市が連携して情報発信する「乱歩都市交流会議」を設立することになり、津市の県庁で31日、設立趣意書への署名式が行われた。【田中功一】

乱歩は名張市で生まれ、生後8カ月で父の転勤に伴い亀山市に転居した。名古屋市などでの生活を経て17年から19年まで鳥羽市の造船所に勤務し、その間に結婚した。津市には、平井家の菩提(ぼだい)寺がある。

交流会議設立は、乱歩の長編小説「人間豹(ひょう)」を歌舞伎にした「江戸宵闇妖鉤爪(えどのやみあやしのかぎつめ)」が、歌舞伎俳優の松本幸四郎さんらによって、東京・国立劇場で上演(3~26日)されることになったのがきっかけ。そのPRのために劇場担当者が7月、名張市を訪問し、話を聞いた亀井利克市長が「県内の乱歩ゆかりの市が連携して、乱歩だけでなく地域の情報も発信しよう」と他の3市に働きかけ、トントン拍子で設立が決まった。

署名式には、4市長と立会人の野呂昭彦知事が出席した。亀井市長と野呂知事のあいさつの後、「乱歩をはぐくんだ4市の取り組みを大いに応援する」という乱歩の孫、平井憲太郎さん(東京在住)からのメッセージが披露された。

4市は国立劇場での上演期間中、各市を紹介するパネル展示や物産販売などを行うほか、今後は各市が行っている乱歩関連イベントで相互に情報提供し、観光や文化振興に役立てる。

思いつきである。名張市名物思いつきである。思いつきじゃなければ名張市じゃない、でおなじみの思いつきである。思わず感心してしまうほどみごとなまでにあとさき考えぬその場かぎりの思いつきである。最初から知れていたことではあったのだが、ただの思いつきにすぎないということをしかと確認するために、きのうの席で乱歩都市交流会議の平成21・2009年度事業計画を示してくれるよう、あらかじめ要請しておいた次第である。むろん、そんな計画など、あるわけがない。担当セクションの総合企画政策室でさえ、こんな思いつきのことは忘れてしまっていたのではないか。

で、尋ねたところ、思っていたとおり、新年度の事業計画はない。ついでにいえば、予算もない。事務局なんてものも設置されていない。会議の発足以来こんにちまで、四市の担当職員が集まったことすらない。要するに、昨年11月、乱歩歌舞伎が上演された国立劇場でパネル展示と物産販売をおこなっただけ、あとはなーんにもやってない。それが、ごたいそうに四人の市長に知事まで加わって署名式なんぞとやらをぶちかました乱歩都市交流会議の実態である。なーにやってんだすっとこどっこい。

で、今年の乱歩歌舞伎ではどうするの、と尋ねた。国立劇場の公式サイトではまだ発表されていないけれど、たぶん今年の10月、乱歩歌舞伎の第二弾が上演される。そのときにはどうするのかと尋ねたのだが、驚くべし、というべきか、案の定、というべきか、名張市の総合企画政策室はそんなことすらご存じないのであるから困ったもので、昨年11月19日付朝日新聞ウェブニュースを無断転載しておいてあげよう。

   
幸四郎、染五郎の乱歩歌舞伎第2弾が決定
         
松本幸四郎(66)市川染五郎(35)が主演し東京・国立劇場で上演中の江戸川乱歩原作の歌舞伎「江戸宵闇妖鉤爪(えどのやみあやしのかぎづめ)」が好評で、来年10月に同劇場で乱歩歌舞伎第2弾が上演されることが18日、分かった。

乱歩作品の歌舞伎化は初めてだが、人間豹(ひょう)恩田役の染五郎が宙乗りをみせるラストで拍手がやまず、乱歩の孫も観劇。土日は満員札止めになるなど大入りが続き、早くも乱歩歌舞伎第2弾の上演が決まった。明智小五郎役で演出も兼ねる幸四郎は「『勧進帳』1000回を達成した翌日からけいこに入り、連日朝から深夜までやったけれど、その疲れも吹き飛んだ。乱歩さんも喜んでいると思うと胸がいっぱいで、夢のようです」。

10年前から企画を温め、恩田と色男神谷の2役の染五郎も「言い出したのは僕だけにうれしい。2度、3度と見てくださる方もいて客席の熱気を感じます」。幸四郎が新作歌舞伎上演のために立ち上げた「梨苑座」が来年で10周年を迎え、その記念公演ともなる。上演作品について、幸四郎が「小五郎と怪人二十面相の対決が見たいという方や続編をという方もいる」と言えば、染五郎は「恩田は最後に『また会おう』と言っているだけに、続編をやりたい」と熱望。乱歩歌舞伎のシリーズ化もありそうだ。

いたしかたはあるまい。乱歩のことなどなにも知らず、そもそも関心すらない職員諸君が、さあ乱歩都市交流会議だ蜂の頭ださんまのしっぽだといわれたところで、なにをどうしていいのかさっぱりわからんのも無理はない。しかし、その会議とやらをでっちあげるきっかけになった乱歩歌舞伎にかんする情報くらい、ちゃんとキャッチしておかなくてどうする。むろん、無理であろう。なにかというと情報発信だの全国発信だのと利いたふうなことを口走るくせに、この名張市という名のインチキ自治体には情報の受発信などまるでできない。乱歩をテーマに全国発信、とかいって、いったいなにをやっておるのか。江戸川乱歩賞の授賞式でノーベル製菓謹製の乱歩飴を配る程度のことなのである。

ともあれ、名張市が亀山、鳥羽、津の三市に呼びかけて、というか、実際には思いつきを押しつけただけの話なのであるが、華々しく設立された乱歩都市交流会議とやらの実態は、そんな程度のものなのである。名張市がやってるのは、そんな程度のことでしかないのである。ただの思いつきで会議とやらをでっちあげ、乱歩歌舞伎という人のふんどしをちゃっかり借りて、さあ情報発信でございますとうわっつらだけの展示と販売、それだけやっておしまいなのである。市民のひとりとして恥ずかしく、またなさけない。ほんと、なさけなくって不覚にも落涙しそうである。おさなごよ、おさなごよ。おとな泣かせてどうするよ。市民泣かせてどうするよ。

ただまあ、こんなあほな会議をつくってしまったのは事実なのであるから、ほかの三市だってこんな会議のことなど忘れてしまっているのであろうけれども、今年の秋には国立劇場で乱歩歌舞伎の第二弾が上演されるはずなのだし、ときをおなじくして10月3日から11月15日まで神奈川近代文学館で「大乱歩展」という大規模な特別展も開催されるのだから、このふたつを手がかりに乱歩都市交流会議としてなにかできることがないかどうか、ちょっと考えてみなさい、と中先生は総合企画政策室にアドバイスしておいた。職員諸君にこうした的確なアドバイスができるからこそ、中先生は人から先生と呼ばれ、あがめられておるのである。とはいえ、ものになるかどうか、それはわからない。あとは職員諸君の腕次第である。

以上、総合企画政策室篇であった。以下、教育委員会篇は、おらおらおらおら、あすにつづく。
中断していたおさなご講座、一か月以上のインターバルを経て、第九回目となる。

2月22日の第八回は、こんなんであった。

   
中先生のおさなご講座も第八回を迎えたが、しかし、という気はする。しかし、いかにも現実性というやつがないではないか。中先生、いってることにおかしな点はないのであるが、おかしな点がないからこそ、お役所というおかしな世界では現実性がほとんどゼロになってしまう。名張市という自治体には、江戸川乱歩をどのように扱えばいいのか、とくに、四十年間にわたって収集してきた乱歩関連資料をどのように活用すればいいのか、それを考えることができない。ちゃんとやれ、といってやっても、いつまでたっても先送りである。中先生、じつはもう、あきらめている。あきらめてはいるが、市立図書館の嘱託として乱歩資料活用の道を身をもって示し、その道をあっさり否定されてしまった人間として、せめて落とし前だけはつけてもらわなくっちゃな、という気ではいた。しかし、落とし前のつけかたも知らないだろうしな、と考え、もう少し前向きな話にはならんものか、と考え直して、名張市がみずからの主体性のもと、乱歩をテーマに関係者や市民と話し合う場を設け、乱歩にかんして自治体としての理解や判断や実行をうながしてはどうか、との結論にいたった。とにかく、先送りはやめて、ちゃんと考えてもらいたい。ちゃんと考えるべきである。これは、ごくまっとうで、どこにもおかしな点のない話なのであるが、名張市の現実というやつのなかに置いてみると、たちまち現実性のない話になってしまう。自分が幼児のごとく無力である、という気になってしまう。どっちがおさなごなんだか、ようわからんようになってくる。いやはや、困ったものである。とはいうものの、やるだけのことは、やっとかなくちゃならんであろうしなあ。いつまでたっても堂々めぐりか。なんとも憂鬱な話である。

とりあえず、きょう、動きはある。流れを確認しておく。

名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して、こんなことを要請した。

   
3月9日付「市長への手紙」において、貴職と前教育次長との面談の場を設けていただきますよう、あらためてお願い申しあげましたが、昨年10月に発足した乱歩都市交流会議の担当部署職員のかたにもご同席をたまわりたく、勝手なお願いばかり並べたてて恐縮ですが、ご高配を願いあげる次第です。

また、その面談の席において、市立図書館が平成20年度に収集した乱歩関連資料のリストと、収集に要した予算の総額とをお示しいただきたく、お手数ながらご手配をお願い申しあげます。

2009/03/11

回答があった。

   
中 相作 様

このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
ご依頼のありました面談につきましては、教育委員会及び乱歩都市交流会議の担当部署である総合企画政策室で、対応させていただきますのでよろしくお願いします。
なお、日時については、後ほど担当から連絡させます。
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。

平成21年3月13日

名張市長 亀井利克

殿にお目通りかなわず、である。市長と前教育次長は、手に手をとって雲隠れ、といったところか。しかし、市長はともかくとしても、前教育次長はいったいどういうおつもりなのかな。これでかりに、あくまでも、かりに、という話でしかないのだが、これでかりに中先生が次期名張市長、ということにでもなったら、あの人は早期退職するしか選ぶ道がないのではないか。むろん中先生、市長になって前教育次長をいじめ倒す、みたいなことをする気はない。するわけがない。中市長にとって職員諸君は、ともに地域社会に一身を挺する同志である。いじめてどうする。ただし、職員諸君の指導教育善導教化には努めるつもりである。げんにいまも、名張市公式サイト「市長への手紙」の回答を考えたり書いたりしている職員諸君を相手に、全身全霊で指導教育善導教化を進めているところなのである。中先生の指導よろしきを得て、職員諸君が長足の進歩を示してくれていることは、ご閲覧各位にもおわかりであろう。この調子で進めてゆけば、市長になる以前から、つまり来年の市長選挙までに、職員諸君のポテンシャルをそこそこ高めてもらうことも可能かもしれない。とはいうものの、中先生は選挙戦などという愚劣でダーティなことに手を染めるつもりはさらさらないから、その点は職員諸君、おおいに残念なことであろうな。ま、勘弁してくれたまえ。

で、教育委員会ならびに総合企画政策室との面談は、きょう午後2時からである。

   
中 相作 様

教育委員会及び総合企画政策室とお会いいただく日を下記のとおり調整しましたので、よろしくお願いします。
なお、都合が悪い場合は下記まで、ご連絡ください。
        記
日時 平成21年3月25日(水)午後2時〜
場所 市役所405会議室(4階)

こんなことを要請しておいた。

   
メール拝受しました。ご多用中、お手数をおかけしました。ご指定の日時にお邪魔いたします。つきましては、以下二点、うち一点は先日もお願いしたものですが、教育委員会と総合企画政策室にお伝えいただきますよう願いあげます。

・市立図書館が平成20年度に収集した乱歩関連資料のリストと、収集に要した予算の総額とをお示しいただきたい。

・乱歩都市交流会議の平成21年度事業計画をお示しいただきたい。

よろしくお願いいたします。

2009/03/14

せっかく面談の場を設定していただいたのだから、喜んでお邪魔はするのだけれど、なんの実りもない面談になることは眼にみえている。職員諸君と面談しても、話は一歩も進まぬであろう。こちらからもっていった話を、市長がどう理解し、どう判断し、どう実行するのか。こちらの眼目はそれなのであるから、職員諸君にただ聞き置いていただくだけでは、失礼ながら意味などなにもないのである。それはともかくとして、名張市職員の諸君、本日午後2時、市役所四階に足を運びさえすれば、中先生にいくらでも石をぶつけることができるぞ。中先生に文句のある向きはどうぞいらっしゃい。お待ちしておる。

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