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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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 そろそろ歴史を振り返ってみる
 
 お役所のみなさんにものを考えていただくというのは、ほんとに大変なことなのである。こつ、手順、交渉術、かけひき、などといったものが必要になる。表面的なことや具体的なことから、ゆるやかに話をはじめなければならない。いきなり結論めいたものを求めても、まともな答えは返ってこない。返ってくるのは、たとえばこんな答えである。
 
中 相作 さま
    
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
 
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
 
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
 
平成20年10月 9日
 
 名張市長 亀井利克
 
 だめだこりゃ。ほんと、いかりや長さんじゃないけど、だめだこりゃ、と思ってしまうよな。どのセクションの職員がこの回答を書いてくれたのかはわからんが、こんなおまぬけなことをゆうておってはいかんぞ。もう少し考えような。とはいえ、ものごとを考える習慣のない人間に、いきなりものごとの本質にかかわる答えを求めたところで、返ってくるのはこの程度のお返事でしかないのである。お役所のみなさんのお相手をして、おれはつくづくそれを学習した。うわっつらのことだけで話を済まそうとする人間に、いきなり本質的な問題を提示したってだめなのである。うわっつらのことから入らなければだめなのである。
 
 うわっつらのこと、眼にみえることから、話をはじめる。それが肝要である。たとえば、ここに桜の花がある、ということは、だれにも理解できる。花はそこにみえている。で、花からたどってゆくと、枝というのがある。枝からたどると、幹がある。幹を上から下にたどった先には、いったいなにがあるのか。地面に隠れてみえないけれど、ここには根というものがある。根っこというだいじなものがある。さあ、根っこの問題、本質的な問題、それを考えてみてくれんかね、みたいな感じでもってかないことには、お役所の人にものごとを深く考えてもらうのは無理だと思う。だからまあ、昨年の秋以来、それなりのステップを踏んで、乱歩のことを考える、っつーことをお役所のみなさんにお願いし、花、枝、幹からいよいよ根っこの問題へ、といったあたりまでたどりついた。なんの問題かというと、むろんこれである。
 
中 相作 さま
    
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
 
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
 
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
 
平成20年10月 9日
 
 名張市長 亀井利克
 
 だめだこりゃ、というしかないのであるが、市民生活にはなんの関係もない乱歩資料を収集しておいて、それを活用する方針がないというのでは困るではないか。きのうやきょうのことではない。もう四十年である。四十年も資料収集をつづけていて、活用の方針が決まっていない。そんなばかなことがあるのか。という以上に、そんなばかなことをなにも考えずしれっと公表してしまう無分別さはどうよ。大丈夫か。名張市役所ではどんな無分別無思慮無責任なことを口走っても、すべてそのまままかり通るのか。野放しか。名張市役所ではどんなうすらばかも放し飼いなのか。ばーか。サファリパークみたいなこといってんじゃねーぞすっとこどっこい。
 
 いやー、ようやく調子が出てきたようだな。おれのこの芸風ってのは、血のにじむような修業を重ね、粒々辛苦の果てに身につけたものなのであるけれど、それでも日々の修練を怠ると、腕がなまる、みたいなことになってしまう。ブログをしばらく休んでいたせいで、いささか腕がなまったかな、という自覚があったのだが、調子もなんとか戻ってきたようである。にしても、気をつけなくちゃいかん。要するに、日々これ精進、っつーようなことであろうな。
 
 ではここで、根っこの問題を考える、っつーとこまでたどりついていただいたお役所のみなさんに、お役所のみなさんがこれまで、いかになんにも考えてこなかったか、その歴史をお知らせしておくことにする。おおいに参考としていただきたい。だいたいが、四十年前に考えられていてしかるべき問題なのである。名張市に市立図書館が開設され、乱歩関連資料を収集しますと決めたのであれば、それと同時に、収集資料をどう活用するのか、みたいなことも考えられていてしかるべきなのである。それが四十年もたって、これだもんよ。
 
中 相作 さま
    
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
 
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
 
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
 
平成20年10月 9日
 
 名張市長 亀井利克
 
 さて、いかになんにも考えてこなかったかの歴史、といったって、ごく大ざっぱに振り返るだけだから、何年何月のことであった、みたいな細かいことは無視して話を進める。名張市立図書館の開設は昭和44・1969年のことであったが、それから二十年以上が経過したころの話である。
 
 ある年のある日、おれは市立図書館から、乱歩の読書会を開きたいから講師を引き受けてくれ、と依頼を受けた。むろん、断った。乱歩作品なんてのは、読みたい人間が勝手に読めばいいのである。乱歩を読むか読まないか、そんなものは個人の勝手である。名張市民だからといって、乱歩作品に親しまなければならぬという法はない。公立図書館がわざわざ読書会を開く意味なんて、そんなものはどこにもないはずである。公立図書館が読書会を開いてくれなきゃ乱歩作品を読む気になれない、などと甘ったれたことをいうばかな市民がいるのであれば、そんなやつはもう張り倒してやれ。おれはそう考えたのだが、だからといって読書会を開くなとはいってない。好きなように開いていただいて結構である。しかし、おれには、そんなものの片棒を担ぐ気はさらさらない。それだけの話である。
 
 一年ほどたって、また、市立図書館から同様の依頼があった。市立図書館はどうして、これほどまで乱歩の読書会を開きたがるのか。はっはーん、と思い当たったのは、乱歩生誕百年がちかづいている、ということであった。生誕百年を目前にちょっとした乱歩ブームが起きつつあったころではあり、はっはーん、乱歩生誕地の市立図書館、それも館内に乱歩コーナーを開設している図書館としては、乱歩作品を題材にした読書会のひとつも開いてなければかっこがつかない、ということか。はっはーん。お役所の人間というのはとかく、市民をだしにして点数稼ぎをしたがるものである。うわっつらだけ整えてかっこをつけたがるものである。乱歩の読書会も、結局はそういった種類の思いつきであろう。片棒を担ぐのはもとより気の進まぬことながら、かたくなに拒否しつづけなければならぬほどの問題でもない。
 
 だからまあ、二年だけ、という約束で、講師を引き受けることにした。二年というのは、乱歩生誕百年にあたる平成6・1994年とその前年、その両年度である。で、読書会というのは、以前書いたところから引用するならば、こんなものであった。
 
 読書会で私がどんなことを喋っているのかというと、原稿を準備しているわけではないから克明には記憶していないが、たとえばこんなことを口走っていると思っていただきたい。

 「ですからまあ、異常性欲という考え方がですね、ヨーロッパから日本に伝えられてきた、それが乱歩の時代であったと、こういうふうにいえると思います。で、乱歩はまさにそうしたヨーロッパ的な考え方、正常なものと異常なものを明確に区別してゆく考え方をわがものとして、作品のなかに異常なものをいろいろと描いていったわけです。異常な心理、異常性欲が、乱歩作品にはたくさん登場してきます」

 あるいは、こんなことも喋った。

 「そういうふうに、乱歩がいやらしいことを書いている、異常な心理、異常性欲について書いている、そうした作品がわれわれを惹きつけるのは、結局まあ、われわれのなかにもそうした心理なり性欲が潜在しているということなんです。われわれの心の底の、いわゆる無意識がですね、乱歩作品に描かれた異常さに共鳴しているということです。異常性欲の要素というのは万人に共通しているわけですから、これはもう異常でも何でもない、ごくあたりまえのことなんです。したがいまして、世のなかには異常な性欲など存在しない、あるいは、すべての性欲は異常である、そういうことになります」

 ああ、思い出した。調子に乗ってこんな馬鹿なことまで喋ってしまった。

 「乱歩作品は異常性欲のオンパレードであるみたいなことをいう人がありますけれど、それは正確ではありません。たとえば乱歩が避けて通った異常性欲に糞便愛というものがありまして、糞便、おわかりですね、これに対する愛着というものは、乱歩作品にはまったく見られません。サディズムの本家であるサド公爵はこの糞便愛の所有者でもありまして、あれはマルセイユ事件でしたか何でしたか、街角に立ってる売春婦のお姉さんを何人か連れ込んで、下男といっしょに乱交パーティに興じるという事件を起こしまして、たしかそのとき、サド公爵はお姉さんにおならの出るボンボンを食べさせましてですね、乱交に及びながらときどきお姉さんのお尻のにおいを嗅いでいたということです。はははははは」

 読書会初年度のことであった。親子一緒に参加してくれたお母さんとお嬢さんがいらっしゃったのだが、その二人がある日、会の途中で、二言三言囁きを交すや忍びやかに席を立ち、部屋から退出して、以来ふっつりと姿を見せてくれなくなるという事態が発生した。理由はいうまでもなく、私の喋った内容が羞恥や不快の念を呼び醒ましたからにほかならない。彼女たちはその場にいたたまれなかったのである。読者よ、私は敢えて申しあげるが、これは明らかにセクハラである。セクハラに及んだ本人が断言しているのだから、こんな確実なことはないであろう。当時はちょうどセクシャル・ハラスメントという言葉がマスコミで喧伝され始めたころであって、もしもあのお二人がおおそれながらと訴え出れば、翌日の日刊各紙地方版には、

 「ハレンチ講師、乱歩でセクハラ」

 などといった見出しが三段抜きくらいで躍り、名張市教育委員会のお偉方が眼を白黒させる仕儀となったに相違ないのである。ともあれ、この場をお借りして、あのときのお二人には心からお詫びを申しあげる次第である。
 
 これは、いたしかたのないところであった。乱歩の話をするとなると、どうしたって異常性欲の話題に及ばざるをえない。親子で参加してくださったお母さんとお嬢さんにはほんとにわるいことをした、とは思うけれど、まちがったことをした、とは思わない。むろん、ほかの人間が講師を務めたとしたら、異常性欲の話なんて出なかったかもしれない。しかし、おれがしゃべるとなると、やっぱ出てくる。嬉々として出してしまう。すまんなどうも。ともあれ、そんなこんなで、二年が過ぎたわけね。
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