三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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三本柱の二本目はPRである
きのうにひきつづいて、「なぞがたりなばり委託事業募集要項」に記された名張市乱歩関連事業ビジョンをみてみる。三本柱の二本目は、「江戸川乱歩生誕地名張市をPRする事業」である。要するに、乱歩を利用して名張市をPRする、乱歩を利用して名張市を有名にする、そういうことである。正直でよろしい。終始一貫、十年一日、名張市が乱歩にかんして考えてきたのは、じつはこういうことなのである。だから、三本柱として併記されてはいるけれど、一本目の「ミステリと江戸川乱歩に関する講演を開催する事業」は、この二本目を実現するための具体策のひとつということになる。乱歩を利用して名張市を有名にしたい、だから、名張市で有名ミステリ作家の講演会を開く、という話である。ねらいはわかる。ただし、残念ながら、すべっておる、こけておる、失敗しておる、という話なのである。
しかしまあ、すべる、こける、失敗する、そんなのは当然のことであろう。おもいつきッ、おもいつきッ、なばりしめーぶつおもいつきッ、と歌の文句にも歌われているかどうかは知らんけど、名張市名物の思いつきでなにをくりひろげてみたところで、なにがどうなるものでもない。かりに、ちゃんとした方針や戦略を考え抜いたうえでことにあたったとしても、地域ゆかりの著名人を利用して地域そのものを有名にする、なんてのは至難のことだと思い知るべきであろう。虫のよすぎる話である。それをまあ、乱歩作品をまともに読んだことがなく、乱歩がどういう作家だったのか、現在どのように受容されているのかを知ろうともしないような人間が、いくらたばになってかかってみたところで、ろくなことはできない。心ある地域住民から、こんなぐあいに叱り飛ばされるのが関の山であろう。
──ほんとにもう、お役所あたりのうすらばかがめいっぱいおよろしくないおつむで適当なこと勝手に決めてんじゃねーぞこのすっとこどっこい、いっぺん泣かしたろかこら、と思われてなりません。
いやいや、こんなぐあいに叱り飛ばすのは、あまりにも酷というものか。そもそも無理な話なのである。PRなんてことを第一義としているかぎり、話は無理でありつづける。PR、PRといってみたところで、いったいなにをPRするのか。名張市の手にあるのは、乱歩は名張で生まれました、という事実だけなのである。そんなもの、いくらPRしたって意味がないではないか。情報発信の全国発信のと騒いでみたところで、いったいなにを発信するのか。名張市は乱歩の生誕地でございます、なんてことを発信しても、いったいどこのだれが受信してくれるというのか。だれも見向きもしてくれんぞ。発信するには中味が必要である。受信してもらえるだけの中味が不可欠である。人が見向きをしてくれるような中味があってはじめて、それを発信することができるのである。これっぽっちの中味もなく、ただPRだけを第一義としているようなあさましい心根では、たぶんなんにも実らない。有名になるとか、ほめられるとか、手柄を立てるとか、評価されるとか、そんなあさましいことを最優先に考えるのではなくて、ちゃんとしたことを地道にこつこつやってさえいれば、結果としてそれがなによりのPRになる、と思い知るべきであろう。下世話にも、結果はあとからついてくる、とかいってな、PRってのは結果にしかすぎない。乱歩のことにかぎらず、名張市がなにかしらちゃんとしたことをやったら、それが結果として名張市のPRになってくれるのである。それによって、名張市という自治体の信頼度も高まってくる。そういうことなのである。
しかし、残念ながら、名張市の信頼度はけっして高くない。3月21日のミステリ講演会には、県内鳥羽市から来てくれた人もあったのだが、その人は名張市にたいして、ちょっと憤っておられた。どんな件かというと、おととしの秋、津、亀山、鳥羽、名張の県内四市で結成された乱歩都市交流会議の件である。あの会議、つくっただけでなんにもしないのはどういうわけ? と鳥羽の人が憤っておられたので、おれはすかさず立ちあがり、おもいつきッ、おもいつきッ、なばりしめーぶつおもいつきッ、と名張市名物思いつき音頭を歌いながら踊ってその場をやりすごそうと考えたのだが、じつは名張市名物思いつき音頭なんてよく知らない。いちど名張音頭保存会で講習を受けてこようとは思っているのだが、とにかく歌いも踊りもできないから、適当にいいわけしてごまかしておいた。
ほんとに困ったものである。おれは名張市民だから、名張市名物思いつきにたいする免疫がある。しかし、名張市民でない人には、そんな免疫はまったくない。だから、みんな信用してしまう。乱歩都市交流会議がなにかをやるんだろうと期待してしまう。ところが、いつまで待っても、なにもしない、なにもはじまらない。なんなんだ? ということになる。去年の秋、東京でも、おれはおなじことを経験した。このブログでも報告したけれど、初対面の人から「乱歩に関係のある都市が集まってなにかやる、という話はどうなったんですか」と質問されて、おれはおおきに難儀した。まったく困ったものである。思いつきに免疫のない人は、思いつきを真に受けてしまう。しかし、思いつきなのだから、それっきりである。なにもしない、なにもはじまらない。おっかしーじゃねーか名張市、と人は思う。そんな人がたまたまおれに会ったら、その人の疑問や批判はおれに向けられる。知らんがなそんなこと。おれにはそういうしかないのだが、それでもおれは詰問され、なじられ、せめられ、さいなまれる。十字砲火を浴びながら、どーしておれがこんな矢面に立たされなきゃならねーんだよ、とおれは思う。もーおやだこんな生活、とも思う。
というわけで、名張市がかかげる乱歩関連事業ビジョン三本柱の二本目、「江戸川乱歩生誕地名張市をPRする事業」にかんしては、PRという言葉を前面に押し出した正直さはおおいに多とするが、PRはあくまでも結果でしかない。第一義的なものとするべきではない。したがってこの二本目には、不可、というはんこを押しておこう。ぺたっ。
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