三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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毎度おなじみ、2ちゃんねるの名張市政スレ。正式名称は「三重県名張市の市政について語りませんか?Part3」となるのだが、スレッド最下部に「このスレを見ている人はこんなスレも見ています」と2ちゃんねる内の別スレが表示されている。なかに、「桐生市役所 part3 [公務員]」というのがあることに気がついた。桐生市政と名張市政の双方に興味をもつ人間が存在している、というわけである。ま、ネット上で市民レベルの自治体間交流が進んでいる、といったところか。
桐生市政スレもなかなかの盛況で、日本全国津々浦々、どちらの土地にお邪魔しても市議会議員の先生などというのはしょせん程度のおよろしくないものだということがあらためて知られる次第であるが、しかしまあ、名張市議会よりは桐生市議会のほうがなんぼかまし、というべきであろうな。市議会の抱えている問題、市民に知らされるべきであるのに知らされていなかった情報、あるいはもっと端的に、市議会議員一般がいかに愚かで市民のことなど眼中になく、自身の虚栄や利得のみに忠実な俗物であるのか、みたいな事実が少しずつ、ほかならぬ市議会議員がブログというパーソナルツールを利用することによって、少しずつだが明るみに出されつつあるようだからな。
その点、名張市議会はまだまだである。市議会議員はブログを開設してどんどん情報公開を進めたらどうよ、と考える市民は少なからず存在しているはずなのであるが、ただし、だからってなにも、定例会開会中の市議会議員の昼食はこんなんです〜、とかあなた市民はそういう情報を求めてるわけじゃないんだからね。なんかもう昨今、名張市の市政ならびに市議会にかんしていうならば、なによりもあきらめが先に立ってしまう、というのがおれの実感である。
ふと思いついたので、桐生市政スレと近づきになったしるしに、このあたりのレスにフォロー少々。
桐生市役所 part3:480-481
フォローったって、キャプチャ画像でも残しておけば動かぬ証拠となったはずのところ、そんな証拠などなにもないただの目撃情報である。信憑性のかけらもない、といわれてしまえばそれまでなのであるが、問題のブログの問題のエントリ、つまりこれの件である。
つぶくのブログ:政敵で、同期の競争相手で、友でもあった、近藤健司議員の死を悼む(7月13日)
このエントリに一件、コメントが寄せられていた。エントリがアップされてから、あまり時間がたっていないころの投稿だったはずである。内容はたしか、近藤健司議員の死とネット掲示板の投稿とを安易に結びつけるのはいかがなものか、といったことだったと記憶する。ちゃんと裏を取ってエントリを書いたのか、といったニュアンスも含まれていたかもしれない。うろおぼえで恐縮だが、おれもこのエントリには同様の疑問を感じたので、共感しながらそのコメントを読んだ。で、たぶんその翌日、ブログの開設者や閲覧者からどんなコメントが寄せられているのか、それが気になって再度アクセスしてみたところ、たしかにあったはずのコメントが削除されていた。というより、ブログそのもののコメント機能がオフにされていた。つまり、コメントを受け付けないブログになってしまっていたのである。
言論の府、ということばがあって、一般的には国会を指す。しかし、国会のみにとどまらず、すべての議会は言論の府なのである。市町村議会だって都道府県議会だって、言論の府であることには間違いがない。言論の府においては、いうまでもなく、言論の自由が死守されるべきなのである。ヴォルテールの名言とされる「私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」というのは、いまウィキペディアで確認してみたところ、ヴォルテールの言ではないとする説もあるらしいのだが、とにかくまあ、言論に拠って立つ人間にとって、言論の自由とはそういったものなのである。
「私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」
かっけーよなー、とは思うけど、そこは人間、そりの合わない意見や、とくに自分にむけられた批判なんてものは、できれば耳をふさいでやり過ごしたい。しかし、それをやってしまったら、言論の府に立つ資格はなくなってしまう。言論に拠って立つ政治家として、失格じゃね? ということになってしまう。政治家が言論の場で他人の言論を無視したり、オーバーにいうなら封殺したり圧殺したりしてしまったら、その時点で政治家失格の烙印がおされてしまう、ということである。政治家が開設するブログにかんして述べるならば、最初からコメント機能をオフにしておく、というのは全然OKなのであるが、機能をオンにしておきながら、都合のわるいコメントが投稿されたら速攻でオフにしてしまう、なんてのはいただけない。人の言論を圧殺してしまったことになる。あるいは、コメント機能に検閲制を採用し、都合のいいコメントだけを選んで掲載する、なんてのも明らかにまずい。まずいぞほんと。自分は政治家失格である、とみずから証明しているわけだからな。
そんなことをつらつら考えてくってえと、名張市議会はほんとに言論の府か? という疑問がわいてくる。きのうもふれた9月15日の特別委員会、あれはまあじつにひどいもので、たとえばそこらの八百屋に入って、かぼちゃはありますか? と尋ねたところ、八百屋の大将が、きゅうりはあした仕入れてきます、と答えるような論戦がつづいただけ、という印象が強い。質疑応答がまったくかみ合っていないのである。ややおおげさにいえば、言論というやつが機能していないのである。言論の府で言論が機能しない、となると、そんなものは言論の府ではない、ということになる。あまりにもまずいよな。言論が機能しないということは、言論が死んでしまったということである。言論の死である。この言論の死ってやつもまた、古来テロリズムに根拠を与えつづけてきたところのものなのである。ほんと、気をつけような。
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