三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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名張まちなか再生委員会の事務局、ここへ来てずいぶん仕事が早くなったんじゃね? 9月4日に開かれた第六回理事会の議事録が、きのう郵送されてきた。より正確に記せば、クロネコメール便で送られてきた。事務局解散へのカウントダウンがはじまって、職務にようやく張りあいが出てきた、といったところか。結構結構。
せっかくだから、さっそく公開することにする。最後の二ページは「資料」ということになっているが、これは第六回理事会で配付された文書、副委員長のひとりから提出されたところの、いわば檄文である。
第6回名張まちなか再生委員会理事会議事録
p.01
p.02
p.03
p.04
p.05
p.06
p.07
p.08
p.09
p.10
p.11
p.12
p.13
p.14
p.15
p.16
p.17
p.18
p.19
「資料」には、「委員長でも誰でも市民委員は、自主的に辞められるが、市事務局だけは、この委員会存在する限り、自ら手を引けない!これが、官民協働の、少なくとも官側から提案された官民協働の宿命だと市事務局は覚悟しなくてはいけない」とある。これが一般的な感覚というものであって、おそらく委員一同、名張市がつくった委員会から名張市が手を引く、なんてことは夢にも思っていなかったはずである。ところが、なんと、この文書が配付されたまさにその席で、手を引きます、と名張市はいったのである。悔い改めよ、名張市! とチクタクマンにいわれてしまうかもしれんぞ。
まったくひどい話である。ひたすら易きにつき、逃げを打ちつづけるのが名張市の十八番であるとはいえ、よくもこんなことが考えられたものである。決められたものである。いやいや、実際にはなにも考えず、ただ遁走いたしましたというだけの話なのであろうが、この決定というやつがそもそもあやしいのである。議事録にあるとおり、委員会から手を引くのは「市の意向です」という事務局の発言にたいし、理事側から「市の意向とは事務局の職員の意見で決まるのですか? あるいは部長会議や室長会議などの会議で決まるのですか、市長の意向で決まるのかどっちですか?」との質問も発せられたのだが、事務局は「それは市としてそうなりました」というあいまいな回答しかできなかった。要するに、名張まちなか再生委員会から脱退する、という名張市の決定がそれなりの正当性を帯びているのかどうか、重みを有しているのかどうか、端的にいってしまえば、はたしてちゃんと決められたものなのかどうか、それすら疑わしいわけである。
これまでにさんざっぱら述べてきたことだから、いちいち具体的には記さないけれど、まったくまあ、このまちなか再生事業にかんしていえば、決定という行為が紙っきれ一枚ほどの重みしか有していない。いとも安易に決定がおこなわれ、その決定がまたいとも容易に覆される。そうかと思うと、いつどこでだれが決めたのかもわからないことが、知らぬまに名張まちなか再生委員会による、あるいは名張市による決定事項としてまかり通っている。そんな例がもう、そこらじゅうにごろごろ転がってるわけよ。だから、先日も記したとおり、
「名張市役所の内部でなにかを決める場合には、その場にかならずひとり、まともな人間を立ち会わせなければならない、というルールをつくったほうがいいんじゃね?」
ということになるのではないか。お役所のなかに「まともな人間」がいるのかどうかというと、これはおおいに望み薄。なにしろここ名張市においては、市民は一流、行政は三流、というのが通り相場であるらしいのだからな。しかし、ここ名張市においては、外部の人間の話を聞く考えはない、というのが合言葉でもあるらしんだから、ほんと、どうすればいいんだろうね。
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