三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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のりピー出頭かよ。つか、2ちゃんねる人大杉。でもって、延期しすぎなのが総会である。8月中に予定されていた名張まちなか再生委員会の新年度総会は、再度延期されることとなった。おととい開かれた第五回理事会の合意事項である。ただし、いつ開会されるのかは、まったくの未定である。早くても10月あたりか。おれの実感にもとづいていえば、なんとか年内に開ければいいほうではないか、みたいなところであって、だから理事会の席でも、なんなら総会と忘年会を抱き合わせにしてもいいんじゃね? との意見を述べておいた。年内では収まらなくて年度内、ということになってしまう可能性もあるのだが、9月4日の第六回理事会で、だいたいの線がみえてくるのではないか。
さて、今後のシナリオである。おれのもくろみどおりにことが運ぶとは限らんのだが、もくろんでいるところを記しておく。問題は、いうまでもなく、やなせ宿である。第四回理事会で指摘したとおり、名張市からやなせ宿の管理運営を委託されているまちなか運営協議会は、いまだ存在していない。ただし、これはおれがそのように主張しているだけの話であり、むろんその主張に賛同してくれる理事もあるのだが、ここはやはり、あんな協議会は存在しておりません、ということを理事会で確認しておく必要があるだろう。そのうえで、名張まちなか再生委員会から名張市長に対し、その旨をお伝えしなければならない。かたちとしては、委員長が市長室を訪れ、委員会からの申入書を手渡す、みたいなことでいいのではないか。
あとは、名張市の問題である。というよりは、市長の問題である。惨憺たる失敗に終わったまちなか再生事業、もはや取り返しのつかぬことも少なからずあるが、終わってしまったことはどうしようもない。今後に禍根を残しかねない問題、つまり、いまの時点でけりをつけておかなければならない問題は、結局のところ、ふたつしかない。やなせ宿をどうするか。名張まちなか再生委員会をどうするか。このふたつである。この二点にかんして、市長のお考えをお聞きしたいと思う。これは、不合理なことでも理不尽なことでもない。どのように無残な結果に終わったとしても、まちなか再生事業の最高責任者たる市長は、その結果を引き受けなければならない。すべてを引き受けて、いま現在の現実に裁定をくださなければならない。ごくあたりまえのことである。
したがって、おれのシナリオでは、いつ開かれるのかもわからぬ名張まちなか再生委員会の総会で、市長にお考えを述べていただくことになる。以前にも記したことであるが、まちなか再生事業にかんして、過去を検証し、現在を分析し、将来を展望して、自分の考えを自分のことばで述べていただきたい。それだけである。やなせ宿をどうするのか。名張まちなか再生委員会をどうするのか。熟慮のうえの結論をお示しいただきたい。それだけである。もしも市長が、やなせ宿の管理運営を名張地区まちづくり推進協議会に委託したいとおっしゃるのであれば、ほかの委員、あるいは名張地区住民や名張市民がどう考えるのかはわからないが、おれ個人としては、その結論を尊重し、支持するはずである。名張まちなか再生委員会を解散させたいとおっしゃるのであれば、以前にも記したとおり、解散のための緊急動議くらいおれがいくらでも提出してやるし、市長の口から解散ということばを聞いたとなれば、委員会にとどまろうとする委員なんかひとりもいなくなるはずである。とにかく、最高責任者でいらっしゃる市長に裁定をくだしていただかないかぎり、ことは少しも前進しない。泥沼化するばかりであろう。
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市長を選んで雇っている市民にも責任ってやつはある
●市民様
ご投稿ありがとうございます。
なんといえばいいのか、「市長には軽薄に言い出すことはできても、成果、経過、結果に責任を持つことは出来るでしょうか」とのご質問には、できないと思います、とお答えするしかないのがつらいところです。とはいえ、これは名張市長だけにかぎった話ではなく、そもそもお役所の辞書には「責任」ということばが載っておりませんから、日本全国津々浦々、どこの自治体でも事情は似たり寄ったりではないでしょうか。しかし、それでは困る、と私は思います。ならば、どうすればいいのか。市長にちゃんとしてもらえばいい。そういうことになります。
市長なんてしょせん、市民が選挙で選び、自分たちの税金で雇っている存在でしかありません。ですから、たとえば「結果に責任を持つことは出来るでしょうか」との疑問を抱かざるをえないような市長には、責任を持ってくださいね、と市民サイドから働きかければいい、ということになるわけです。市民には市長を選んだ責任というやつがありますから、その責任を果たすためには、市長への働きかけが必要な場合も出てくるはずです。げんに、名張まちなか再生委員会におきましては、このエントリにも記しましたとおり、いまや委員会から市長にたいして働きかけをおこなうべきときに来ている、と私は判断しております。
働きかけといったって、たいしたことではありません。けっして、責任を取れ、と迫ることではありません。責任を取れといってみたところで、なにをどうすれば責任を取ったことになるのか、明確な答えなんてだれにも出せないことでしょう。ですから、ここはまず、市長に責任を自覚していただいて、つまり、まちなか再生事業の最高責任者は自分である、ということをよく認識していただいて、そのうえで、いまの時点で、市長として、できることはなにか、なすべきことはなにか、それを熟慮して決断していただく。そのための働きかけです。ものすごくわかりやすい働きかけですから、これが実現しないようなら名張市はほんとに終わりだぞ、ということになると思いますし、もしかしたらこういうことこそが、協働とかいうやつの本来の姿なのではないかしら、とも思います。
しかしまあ、ここ名張市における協働とかいうやつは、行政が市民にたいして、仰せのような白蟻や寄生虫が発生しやすい土壌をたっぷり提供することなのである、みたいなことになってしまっているのかもしれません。なんかもう、いっそ台風でも来ればいいのに、と思わざるをえません。
今後ともよろしくお願いいたします。
ご投稿ありがとうございます。
なんといえばいいのか、「市長には軽薄に言い出すことはできても、成果、経過、結果に責任を持つことは出来るでしょうか」とのご質問には、できないと思います、とお答えするしかないのがつらいところです。とはいえ、これは名張市長だけにかぎった話ではなく、そもそもお役所の辞書には「責任」ということばが載っておりませんから、日本全国津々浦々、どこの自治体でも事情は似たり寄ったりではないでしょうか。しかし、それでは困る、と私は思います。ならば、どうすればいいのか。市長にちゃんとしてもらえばいい。そういうことになります。
市長なんてしょせん、市民が選挙で選び、自分たちの税金で雇っている存在でしかありません。ですから、たとえば「結果に責任を持つことは出来るでしょうか」との疑問を抱かざるをえないような市長には、責任を持ってくださいね、と市民サイドから働きかければいい、ということになるわけです。市民には市長を選んだ責任というやつがありますから、その責任を果たすためには、市長への働きかけが必要な場合も出てくるはずです。げんに、名張まちなか再生委員会におきましては、このエントリにも記しましたとおり、いまや委員会から市長にたいして働きかけをおこなうべきときに来ている、と私は判断しております。
働きかけといったって、たいしたことではありません。けっして、責任を取れ、と迫ることではありません。責任を取れといってみたところで、なにをどうすれば責任を取ったことになるのか、明確な答えなんてだれにも出せないことでしょう。ですから、ここはまず、市長に責任を自覚していただいて、つまり、まちなか再生事業の最高責任者は自分である、ということをよく認識していただいて、そのうえで、いまの時点で、市長として、できることはなにか、なすべきことはなにか、それを熟慮して決断していただく。そのための働きかけです。ものすごくわかりやすい働きかけですから、これが実現しないようなら名張市はほんとに終わりだぞ、ということになると思いますし、もしかしたらこういうことこそが、協働とかいうやつの本来の姿なのではないかしら、とも思います。
しかしまあ、ここ名張市における協働とかいうやつは、行政が市民にたいして、仰せのような白蟻や寄生虫が発生しやすい土壌をたっぷり提供することなのである、みたいなことになってしまっているのかもしれません。なんかもう、いっそ台風でも来ればいいのに、と思わざるをえません。
今後ともよろしくお願いいたします。