三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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アンケート用のタグを残しておくと、ブログ画面の表示に不具合が出るらしい、と気がついたので、これまでに実施したアンケートのタグをすべて削除した。むろん、結果はわかるようになっている。
・市議会不人気アンケート(4月16日−17日):結果
・市長三選アンケート(4月23日−24日):結果
市長三選の支持率は28%、と出た。むろん、この数字をそのまま一般化して考えることには無理がある。投票数がわずか二十五だったということもあるし、それ以外に、一般的な世論調査の場合、対象は無作為に抽出されるというのが建前になっているのだが、当ブログにおけるアンケートは、当然ながら当ブログの閲覧者が対象なのだから、結果には一定のバイアスがかかっているとみるべきであろう、ということもある。かりに一般的な調査方法で市長三選の支持または不支持を尋ねた場合、支持率はもっと高い数値を示すのではないかと思われる。とはいえ、バイアスの存在を念頭に入れて考えたとしても、今回のアンケートで得られた支持率28%という結果には、それなりに民意が反映されているようにも判断される。二十八という数字が、またいいではないか。ニッパチ市長。語呂もよろしい。
こんなことやってて大丈夫なのかよ、とのメールをお寄せくださるかたもあって、うれしいというよりは、ご心配をおかけして恐縮している次第ではあるが、ご懸念にはおよばない。あのブログ市長、現在は失職中だから元ブログ市長とお呼びするべきか、市議会不人気アンケートの鼻祖でいらっしゃる竹原信一さんだって、「そのうち刺されるぞ!」「脅迫されないか?」「嫌がらせを受けないか?」と他人から心配されてはいるものの、電話による脅しめいたことが二回あっただけとのことである。
住民至上主義:2009年04月24日
しかし、4月26日付エントリには、「市議会や市役所の現実」を知って、「死ぬ覚悟、殺される覚悟で告発のチラシ配りを始めました」とも記されている。
住民至上主義:2009年04月26日
「公務員というのは身分です。実際に『公務員の身分』呼んでいます。安定した職場に高い給与と退職金、更に年金まで一般市民とは死ぬまで違います。また、犯罪についても公務員の場合は警察や裁判での扱いまで有利です、公務員仲間が裁くのですから当然でしょう。マスコミも公務員階級には特別の配慮をします。/こういった事を暴露している私が、彼らから気に入られるはずがありません」ともあるから、中先生もおなじ嫌われ者として、少しは気をつけたほうがいいのかもしれん。ま、どーなとさらせ、という気ではいるのだが。
市長三選アンケートとほぼ同時期におこなわれた日経とテレ東の世論調査では、麻生内閣の支持率は32%にはねあがったらしい。はねあがった、というのはオーバーだが、印象としてはそんな感じである。
日本経済新聞:内閣支持率32%、7ポイント上昇 日経世論調査(4月26日)
民主党、終わったな、といったところか、とか思っていたら、名古屋市長選挙はこの結果。
産経新聞:河村氏が初当選 名古屋市長選 (1/2ページ)(4月26日)
しかし、これはどう考えても、候補者個人の人気や知名度による勝利である。
中日新聞:名古屋市長選 個性の勝利かすむ政党(4月27日)
名古屋市政、いきなり波乱ということになるものと予想されるが、それは市民が望んだ波乱であるとみるべきであろう。
中日新聞:公約実現へ波高し 名古屋市長に当選した河村氏(4月27日)
今月に入っておこなわれた十七の市長選挙では、現職勢の旗色がわるかったようである。
朝日新聞:17市長選で現職落選 4月の「ミニ統一地方選」終了(4月27日)
で、名張市はどうよ、というと、こんな感じ。
毎日新聞:名張市:提案公募型事業、積極的に応募を 説明会に40人 /三重(4月26日)
こんなことやってて大丈夫なのかよ、と思う。
・市議会不人気アンケート(4月16日−17日):結果
・市長三選アンケート(4月23日−24日):結果
市長三選の支持率は28%、と出た。むろん、この数字をそのまま一般化して考えることには無理がある。投票数がわずか二十五だったということもあるし、それ以外に、一般的な世論調査の場合、対象は無作為に抽出されるというのが建前になっているのだが、当ブログにおけるアンケートは、当然ながら当ブログの閲覧者が対象なのだから、結果には一定のバイアスがかかっているとみるべきであろう、ということもある。かりに一般的な調査方法で市長三選の支持または不支持を尋ねた場合、支持率はもっと高い数値を示すのではないかと思われる。とはいえ、バイアスの存在を念頭に入れて考えたとしても、今回のアンケートで得られた支持率28%という結果には、それなりに民意が反映されているようにも判断される。二十八という数字が、またいいではないか。ニッパチ市長。語呂もよろしい。
こんなことやってて大丈夫なのかよ、とのメールをお寄せくださるかたもあって、うれしいというよりは、ご心配をおかけして恐縮している次第ではあるが、ご懸念にはおよばない。あのブログ市長、現在は失職中だから元ブログ市長とお呼びするべきか、市議会不人気アンケートの鼻祖でいらっしゃる竹原信一さんだって、「そのうち刺されるぞ!」「脅迫されないか?」「嫌がらせを受けないか?」と他人から心配されてはいるものの、電話による脅しめいたことが二回あっただけとのことである。
住民至上主義:2009年04月24日
しかし、4月26日付エントリには、「市議会や市役所の現実」を知って、「死ぬ覚悟、殺される覚悟で告発のチラシ配りを始めました」とも記されている。
住民至上主義:2009年04月26日
「公務員というのは身分です。実際に『公務員の身分』呼んでいます。安定した職場に高い給与と退職金、更に年金まで一般市民とは死ぬまで違います。また、犯罪についても公務員の場合は警察や裁判での扱いまで有利です、公務員仲間が裁くのですから当然でしょう。マスコミも公務員階級には特別の配慮をします。/こういった事を暴露している私が、彼らから気に入られるはずがありません」ともあるから、中先生もおなじ嫌われ者として、少しは気をつけたほうがいいのかもしれん。ま、どーなとさらせ、という気ではいるのだが。
市長三選アンケートとほぼ同時期におこなわれた日経とテレ東の世論調査では、麻生内閣の支持率は32%にはねあがったらしい。はねあがった、というのはオーバーだが、印象としてはそんな感じである。
日本経済新聞:内閣支持率32%、7ポイント上昇 日経世論調査(4月26日)
民主党、終わったな、といったところか、とか思っていたら、名古屋市長選挙はこの結果。
産経新聞:河村氏が初当選 名古屋市長選 (1/2ページ)(4月26日)
しかし、これはどう考えても、候補者個人の人気や知名度による勝利である。
中日新聞:名古屋市長選 個性の勝利かすむ政党(4月27日)
名古屋市政、いきなり波乱ということになるものと予想されるが、それは市民が望んだ波乱であるとみるべきであろう。
中日新聞:公約実現へ波高し 名古屋市長に当選した河村氏(4月27日)
今月に入っておこなわれた十七の市長選挙では、現職勢の旗色がわるかったようである。
朝日新聞:17市長選で現職落選 4月の「ミニ統一地方選」終了(4月27日)
で、名張市はどうよ、というと、こんな感じ。
毎日新聞:名張市:提案公募型事業、積極的に応募を 説明会に40人 /三重(4月26日)
こんなことやってて大丈夫なのかよ、と思う。
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公益活動ってやつは正直どうなのよという件について
●ブログファンです様
ご投稿ありがとうございます。
毎日新聞の報道によれば、「03年度から続く取り組み」である「提案公募型事業」、今年度分は5月15日締切で募集が進められていて、4月25日の説明会には約四十人が出席したとのことですが、すでに顔ぶれが固定している、ということでしょうか。応募のための手続きが結構煩瑣であると聞きおよびますから、新規参入者にはハードルが高く、結果として経験者が毎年のように予算を獲得する、という構図ができあがっているのかもしれません。とはいえ、この事業におけるいちばんの問題は、そもそもそんなものが必要なのか、という点にあるだろうと思われます。なにしろまあ毎年毎年、趣味かよッ! 娯楽かよッ! 道楽かよッ! ままごとかよッ! といいたくなるような事業のオンパレードみたいな感じになっておりますから、財政難だ財政難だと大騒ぎしている自治体がそんなものに税金つかっていいのかよ、という気になってしまいます。ほんと、こんなことやってて大丈夫なのかよ、と思われてならないのですが、ま、名張市だもの、といったことなのでしょうか。
今後ともよろしくお願いいたします。
●市民様
ご投稿ありがとうございます。
おそらく、名張市役所の人たちのなかにも、あるいは、名張市民のなかにも、公益とはなにか、という問いをつきつけられて、明快にすらすら答えられる人間なんて、ひとりもいないのではないかと思われます。少なくとも私には、とても無理です。答えることができません。だからこそ、公益をお題目とした事業を展開するのであれば、公益とはなにか、という一点において、官民双方、まずある程度の共通認識に立っておくべく努める必要があります。ところが、名張市だもの、そういった点への配慮はまったくなく、公益活動、という名のもとによーいどん、てんでんばらばら思い思いの市民公益活動とやらの号砲をぶっ放してしまったみたいです。
とはいえ、ひとり名張市のみならず、たとえばおとなりの伊賀市においても、あるいは三重県においても、事情は似たり寄ったりではないのかとも思われます。おととい、伊賀市の大超寺というお寺でちょっとしゃべったときにレジュメを配付したのですが──
レジュメ:田中善助翁と資本主義の倫理(pdf)
http://www.e-net.or.jp/user/stako/20090425a.pdf
そこに収めた講演要旨から引いておきます。二年半ほど前の講演において、県が提唱した「新しい時代の公」というお題目にツッコミを入れたパートです。
……………………………………………………………………………
公益という観点 住民が行政にすべてを委ねてきたいわゆるお任せ民主主義から脱却し、そこに住む人間自身の社会参加によって地域社会づくりを進めたいという自治体の呼びかけが、「新しい時代の公」という言葉にはこめられていると見える。だが現実には、松尾芭蕉生誕360年記念事業の例からも知れるとおり、官と民による「協働」の試みはいまだ着実な成果をもたらすに至っていない。
その理由のひとつは、地域住民が「公」という概念を理解できていないことに求められる。田中善助はつねに公益という観点に立ってすべての事業を企画し、実現していったが、私たちもまたそれぞれの立場で、それぞれの能力に応じて、それぞれの主体性に基づきながら、田中善助のように公益とは何かということについて考えつづけなければ、「新しい時代の公」が実現される日はいつまで待っても訪れない。
……………………………………………………………………………
地域住民はもちろん、公務員すなわちパブリックサーバントたるお役所の人たちだって、公とはなにか、パブリックとはなにか、公益とはなにか、そんなことを真剣に考えてみたことなどいちどもない、という人が大半、というか、ほとんど、というか、すべてを占めている、といってもいいのかもしれませんが、とにかくそんな状態なのであろうなと推測される次第で、公ってやつがもう無茶苦茶。なにもわかっておらんお役所の人たちが、驚くべきことに公益活動を選考するだの審査するだの、そんな思いあがったことやってるんですから、官民双方ぐるになって、いったいなーにばかなことやってんの、というしかありません。そのあたりのことは、おととし住民監査請求をかましましたとき、参考資料として提出した漫才にもちょこっと書いておきました。
漫才:僕の住民監査請求 第四部 零落篇(pdf)
http://www.e-net.or.jp/user/stako/Images/DE-2007124.pdf
「新しい時代の公」をおちょくってやったパートを引いてみます。
……………………………………………………………………………
「難しいこと考える必要はありません」
「どないしました」
「ただの思いつきでOKです」
「なんの話ですねん」
「だいたいわれわれにもただの思いつきしかないんですから心配ご無用」
「君いったい誰やねん」
「お役所の人です」
「どうゆうことなんですか」
「お役所の人たちが“新しい時代の公”というお題目を掲げて地域住民に呼びかけるときの心の声はこんなんかなと」
「そんな心の声では困りますがな」
「けど“新しい時代の公”の実態はこんなもんですから」
「深いことは考えないんですか」
「お役所の人が公とは何かみたいなことを真剣に考えたりすると思いますか」
「考えなあきませんがな」
「そんなお役所の人たちが“新しい時代の公”とか呼びかけたおかげで公というものがすっかり変質してしまいました」
「どうしてなんですか」
「官民のみなさん双方ともに公とは何かとか公と私との関係はどうあるべきかとかまったく考えようとしませんから」
「けどいちおう公の話なんですから」
「ですからそれは表層的で個別的で恣意的で欲望の器でしかない公なんですね」
「ちょっと難しいんですけど」
「ひとことでゆうたら私にとっての公」
「私にとっての公ですか」
「個人が思いつきで公を規定する。それをそのまま一般化してあやしまない」
「そんな適当なことでええんですか」
「しかも私にとっての公は私にとって心地よいものでなければならない」
「心地よいといいますと」
「公に携わる私の名誉欲とか権力欲とか自己顕示欲とか金銭欲とかを満足させてくれるのが公でなければならない」
「えらい身勝手な話ですな」
「けど伊賀の蔵びらきにおける“新しい時代の公”はまさにそうでしたから」
「そうやったかもしれませんね」
「ですから名張市の市民公益活動実践事業なんかもね」
「市民からいろいろ事業プランを募集して毎年やってますけど」
「完全にプチ伊賀の蔵びらきですから」
「伊賀の蔵びらき事業の縮小版ですか」
「たとえば細川邸の裏にピラミッドとスフィンクスの看板を立てて喜んでる気のふれたようなあほがいましたけど」
「おととしの夏のことでしたか」
「名張市はあんなインチキ事業を税金でバックアップしてたわけですから」
「あれが公益活動実践事業やと主張されたらさすがに引いてしまいます」
「結局“新しい時代の公”の名のもとに公という概念が変質してさらにその公の断片化や私物化が進行してるわけです」
「公の私物化ですか」
「げんに細川邸はイベントとか飲食とかのための施設としてそこらのNPOに私物化されようとしてるんですから」
「かなりおかしな話になってます」
「まちの歴史になんの関係もない新しい施設をつくってそんなもんどこがまちなか再生やねんゆう話なんです」
「再生からかけ離れてしまいました」
……………………………………………………………………………
細川邸の裏にピラミッドとスフィンクスの看板をおっ立ててくれた地域住民各位の古傷にふれる結果になってしまいましたが、そんなことはどうでもかまいません。とにかくもう、お役所が公益活動というお題目をかかげるだけで、共通認識のなんのといった深いことやあとさきのことはなにも考えず、ただひたすらに思い思いのてんでんばらばら、好きなように「表層的で個別的で恣意的で欲望の器でしかない公」を氾濫させてしまう地域住民が少なからず存在しているわけで、こういった官と民との共犯関係、なんとかならんものかとは思うのですが、結局のところはまあ、名張市だもの、といっておくしかないのでしょうか。
それにしても、この漫才はおととしの7月30日に名張市の監査委員事務局に提出したものなのですが、なんとその時点で、「げんに細川邸はイベントとか飲食とかのための施設としてそこらのNPOに私物化されようとしてるんですから」とやなせ宿のいまある姿を正確に予言していたわけですから、われながらなかなか鋭かったな、と思います。厳密にいえば、名張まちなか再生委員会によるNPO構想はぽしゃってしまい、いま現在はまちなか運営協議会がやなせ宿の私物化を進めているわけなのですが、名張市なんかおなじくおととし夏の段階で、「細川邸の管理・運営は公設民営方式とし、交流の場としてだれもが気軽に集える空間とする」などという大うそをぶっこいており、その証拠として「広報なばり」の一昨年8月12日号のスキャン画像を本日付エントリに掲載しておきましたが、それにくらべれば私のほうがはるかによく現実を認識していた、ということになります。しかしほんとに名張市ってやつは、ま、名張市だもの、ということか。
今後ともよろしくお願いいたします。
ご投稿ありがとうございます。
毎日新聞の報道によれば、「03年度から続く取り組み」である「提案公募型事業」、今年度分は5月15日締切で募集が進められていて、4月25日の説明会には約四十人が出席したとのことですが、すでに顔ぶれが固定している、ということでしょうか。応募のための手続きが結構煩瑣であると聞きおよびますから、新規参入者にはハードルが高く、結果として経験者が毎年のように予算を獲得する、という構図ができあがっているのかもしれません。とはいえ、この事業におけるいちばんの問題は、そもそもそんなものが必要なのか、という点にあるだろうと思われます。なにしろまあ毎年毎年、趣味かよッ! 娯楽かよッ! 道楽かよッ! ままごとかよッ! といいたくなるような事業のオンパレードみたいな感じになっておりますから、財政難だ財政難だと大騒ぎしている自治体がそんなものに税金つかっていいのかよ、という気になってしまいます。ほんと、こんなことやってて大丈夫なのかよ、と思われてならないのですが、ま、名張市だもの、といったことなのでしょうか。
今後ともよろしくお願いいたします。
●市民様
ご投稿ありがとうございます。
おそらく、名張市役所の人たちのなかにも、あるいは、名張市民のなかにも、公益とはなにか、という問いをつきつけられて、明快にすらすら答えられる人間なんて、ひとりもいないのではないかと思われます。少なくとも私には、とても無理です。答えることができません。だからこそ、公益をお題目とした事業を展開するのであれば、公益とはなにか、という一点において、官民双方、まずある程度の共通認識に立っておくべく努める必要があります。ところが、名張市だもの、そういった点への配慮はまったくなく、公益活動、という名のもとによーいどん、てんでんばらばら思い思いの市民公益活動とやらの号砲をぶっ放してしまったみたいです。
とはいえ、ひとり名張市のみならず、たとえばおとなりの伊賀市においても、あるいは三重県においても、事情は似たり寄ったりではないのかとも思われます。おととい、伊賀市の大超寺というお寺でちょっとしゃべったときにレジュメを配付したのですが──
レジュメ:田中善助翁と資本主義の倫理(pdf)
http://www.e-net.or.jp/user/stako/20090425a.pdf
そこに収めた講演要旨から引いておきます。二年半ほど前の講演において、県が提唱した「新しい時代の公」というお題目にツッコミを入れたパートです。
……………………………………………………………………………
公益という観点 住民が行政にすべてを委ねてきたいわゆるお任せ民主主義から脱却し、そこに住む人間自身の社会参加によって地域社会づくりを進めたいという自治体の呼びかけが、「新しい時代の公」という言葉にはこめられていると見える。だが現実には、松尾芭蕉生誕360年記念事業の例からも知れるとおり、官と民による「協働」の試みはいまだ着実な成果をもたらすに至っていない。
その理由のひとつは、地域住民が「公」という概念を理解できていないことに求められる。田中善助はつねに公益という観点に立ってすべての事業を企画し、実現していったが、私たちもまたそれぞれの立場で、それぞれの能力に応じて、それぞれの主体性に基づきながら、田中善助のように公益とは何かということについて考えつづけなければ、「新しい時代の公」が実現される日はいつまで待っても訪れない。
……………………………………………………………………………
地域住民はもちろん、公務員すなわちパブリックサーバントたるお役所の人たちだって、公とはなにか、パブリックとはなにか、公益とはなにか、そんなことを真剣に考えてみたことなどいちどもない、という人が大半、というか、ほとんど、というか、すべてを占めている、といってもいいのかもしれませんが、とにかくそんな状態なのであろうなと推測される次第で、公ってやつがもう無茶苦茶。なにもわかっておらんお役所の人たちが、驚くべきことに公益活動を選考するだの審査するだの、そんな思いあがったことやってるんですから、官民双方ぐるになって、いったいなーにばかなことやってんの、というしかありません。そのあたりのことは、おととし住民監査請求をかましましたとき、参考資料として提出した漫才にもちょこっと書いておきました。
漫才:僕の住民監査請求 第四部 零落篇(pdf)
http://www.e-net.or.jp/user/stako/Images/DE-2007124.pdf
「新しい時代の公」をおちょくってやったパートを引いてみます。
……………………………………………………………………………
「難しいこと考える必要はありません」
「どないしました」
「ただの思いつきでOKです」
「なんの話ですねん」
「だいたいわれわれにもただの思いつきしかないんですから心配ご無用」
「君いったい誰やねん」
「お役所の人です」
「どうゆうことなんですか」
「お役所の人たちが“新しい時代の公”というお題目を掲げて地域住民に呼びかけるときの心の声はこんなんかなと」
「そんな心の声では困りますがな」
「けど“新しい時代の公”の実態はこんなもんですから」
「深いことは考えないんですか」
「お役所の人が公とは何かみたいなことを真剣に考えたりすると思いますか」
「考えなあきませんがな」
「そんなお役所の人たちが“新しい時代の公”とか呼びかけたおかげで公というものがすっかり変質してしまいました」
「どうしてなんですか」
「官民のみなさん双方ともに公とは何かとか公と私との関係はどうあるべきかとかまったく考えようとしませんから」
「けどいちおう公の話なんですから」
「ですからそれは表層的で個別的で恣意的で欲望の器でしかない公なんですね」
「ちょっと難しいんですけど」
「ひとことでゆうたら私にとっての公」
「私にとっての公ですか」
「個人が思いつきで公を規定する。それをそのまま一般化してあやしまない」
「そんな適当なことでええんですか」
「しかも私にとっての公は私にとって心地よいものでなければならない」
「心地よいといいますと」
「公に携わる私の名誉欲とか権力欲とか自己顕示欲とか金銭欲とかを満足させてくれるのが公でなければならない」
「えらい身勝手な話ですな」
「けど伊賀の蔵びらきにおける“新しい時代の公”はまさにそうでしたから」
「そうやったかもしれませんね」
「ですから名張市の市民公益活動実践事業なんかもね」
「市民からいろいろ事業プランを募集して毎年やってますけど」
「完全にプチ伊賀の蔵びらきですから」
「伊賀の蔵びらき事業の縮小版ですか」
「たとえば細川邸の裏にピラミッドとスフィンクスの看板を立てて喜んでる気のふれたようなあほがいましたけど」
「おととしの夏のことでしたか」
「名張市はあんなインチキ事業を税金でバックアップしてたわけですから」
「あれが公益活動実践事業やと主張されたらさすがに引いてしまいます」
「結局“新しい時代の公”の名のもとに公という概念が変質してさらにその公の断片化や私物化が進行してるわけです」
「公の私物化ですか」
「げんに細川邸はイベントとか飲食とかのための施設としてそこらのNPOに私物化されようとしてるんですから」
「かなりおかしな話になってます」
「まちの歴史になんの関係もない新しい施設をつくってそんなもんどこがまちなか再生やねんゆう話なんです」
「再生からかけ離れてしまいました」
……………………………………………………………………………
細川邸の裏にピラミッドとスフィンクスの看板をおっ立ててくれた地域住民各位の古傷にふれる結果になってしまいましたが、そんなことはどうでもかまいません。とにかくもう、お役所が公益活動というお題目をかかげるだけで、共通認識のなんのといった深いことやあとさきのことはなにも考えず、ただひたすらに思い思いのてんでんばらばら、好きなように「表層的で個別的で恣意的で欲望の器でしかない公」を氾濫させてしまう地域住民が少なからず存在しているわけで、こういった官と民との共犯関係、なんとかならんものかとは思うのですが、結局のところはまあ、名張市だもの、といっておくしかないのでしょうか。
それにしても、この漫才はおととしの7月30日に名張市の監査委員事務局に提出したものなのですが、なんとその時点で、「げんに細川邸はイベントとか飲食とかのための施設としてそこらのNPOに私物化されようとしてるんですから」とやなせ宿のいまある姿を正確に予言していたわけですから、われながらなかなか鋭かったな、と思います。厳密にいえば、名張まちなか再生委員会によるNPO構想はぽしゃってしまい、いま現在はまちなか運営協議会がやなせ宿の私物化を進めているわけなのですが、名張市なんかおなじくおととし夏の段階で、「細川邸の管理・運営は公設民営方式とし、交流の場としてだれもが気軽に集える空間とする」などという大うそをぶっこいており、その証拠として「広報なばり」の一昨年8月12日号のスキャン画像を本日付エントリに掲載しておきましたが、それにくらべれば私のほうがはるかによく現実を認識していた、ということになります。しかしほんとに名張市ってやつは、ま、名張市だもの、ということか。
今後ともよろしくお願いいたします。