三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ネガティブといえば、まさしくネガティブである。みごとなまでにネガティブである。むろん、名張市という名の自治体の話である。どこがネガティブかといって、ネガティブなニュースの多さもさることながら、名張市役所がまずネガティブなのである。うそだとお思いなら、あすにでも足を運んでごらんなさい。ものすごくネガティブな空気が、庁舎内全体にどよーんと沈殿している。それがよく実感できるはずである。
あまりにもネガティブなものだから、お役所のみなさんもいいだけ落ちこんでいるのであろう、たまに当方が訪ねてゆくと、職員諸君、こちらをみて顔をほころばせたりするほどである。暗く陰鬱な職場に、突然、まぶしいほどの陽光が射しこんできた、とでもいったところであろう。いやいや、むろん職員諸君、どうせ内心では、あ、またばかが来た、とか思っていやがるのであろうけれども、しかし、顔がほころぶのだからまだいいではないか。これがかりに、当方が顔を出したとたん、その場の職員が全員いっせいに、あれずつない、あれずつない、などといって頭を抱えはじめたらどうであるか。ほんまにもう、ずつのてずつのてしゃらしませんねさ、などといって、あわてて頭痛薬を服用したり、はなはだしきにいたっては、一目散にまちの保健室へ駈けだしてゆくようなことになったりしたら、いったいどうよ。名張市はどうなると思うのよ。そんなことなら、あ、またばかが来た、とかいって笑われているほうが、はるかにましというものではないか。こういう考えかたを、世間ではポジティブシンキングと称する。
名張市役所の職員諸君がネガティブな気持ちになるのも無理はないかもしれないけれど、ポジティブシンキングはやはり大切なことであろう。というのも、ほかならぬ当方が、このところ、とにかくポジティブでなくっちゃな、とみずからにいい聞かせている毎日なのである。理由はなにか。いうまでもなく、ノンバーバル映画「鬼 The Oni」である。あの映画がちゃんと完成してくれるのかどうか、それが心配で心配でしゃらしませんねさ、てなものなのである。ネガティブなほうへネガティブなほうへ、考えが極端に傾いていってしかたないのである。むろん、スタッフには全幅の信頼を寄せている。キャストの演技にも、獅子舞の熱演も含め、一点たりとも心配はない。ひたすら気がかりなのは、やはり脚本なのである。あんな脚本でよかったのかどうか。それを考えはじめると、ほんまにもうずつのてずつのて、まちの保健室へ駈けだしたくなるほどなのである。
映画業界には、よくできたシナリオからできの悪い映画が生まれることはあっても、その逆はない、ということばがある。できの悪いシナリオからは、愚作駄作しか生まれないのである。シナリオのよしあしというのは、映画のできそのものを左右してしまうのである。したがって、演技や演出やカメラワークその他、ほかのあらゆる要素が望みうる最高のものであったとしても、脚本がだめならだめなのである。今回の映画の場合は、望みうる最高の、というよりは、望めるなどとは考えてもいなかったほど最高の、といったレベルで制作が進行しており、撮影に立ち会ってたしかな手応えも感じてはいるのだが、ただ一点、脚本のできが気になってしかたがない。やっぱだめなんじゃね? と自問自答したあげく、どんどんどんどんネガティブな気持ちがふくれあがってくる。まるで名張市役所の職員諸君になったような気分である。
だから先日来、このブログで、脚本の成立過程をことこまかに報告しているのである。ながながと記してきたのは、ただのいいわけにすぎない。脚本を書くにあたってさまざまな制約や条件があったから、結局こんな程度の脚本しかできなかったということを、それはもうぺらぺらぺらぺらと、あたかもかんなくずの親分のごとくぺらぺらぺらぺらと、ひたすら語りまくって責任を少しでも回避しようとしているのである。当方は悪くない、ということを、周囲から批判されるより先にぺらぺらぺらぺらと主張しているのである。作者として、自作の背後に黙ってどっしり構えている、ということができない。自信のなさ、増大する不安、不吉きわまりないネガティブな想念が、当方をどこまでも多弁にしてしまうのである。さあ、どうする。
といったところで登場するのが、いわゆるポジティブシンキングである。ものは考えよう、気のもちよう、ということである。どう考えるのか。けけけ、天下の吉本興業の企画にうまく乗っかって、名張市のプロモーションフィルム一本、まんまとただでつくってやったぜ、けけけ、と考えるのである。それしかないのである。なにしろ、市民の税金は一円もつかっていない。厳密にいえば、公用車三台は使用した。しかしそんなのは、皇學館大学の誘致に投入された約三十五億円の税金にくらべれば、いやいや、くらべようもないほど微々たるものではないか。けけけ。ただである。ただである。しかも、第一線で活躍するスタッフとキャストが全力投球してくれたのである。名張市としてはもう、もって瞑すべきなのだぞ実際。
のみならず、名張市民もまた全身全霊で協力してくれた。いやいや、あれは協力などというなまやさしいものではない。献身である。自由意志にもとづく無償の自己犠牲である。あれはえらいものであった。そして、あの多くの市民の自由意志にもとづく無償の自己犠牲は、いったいなにを求心点としていたのかというと、それはやはり名張市なのである。名張市という地域社会のために、という一点を共通の立脚点として、多くの市民がスペシャルサポーターとして身を挺したのである。ところがどうであるか。市民の協力の、献身の、自己犠牲の求心点であるはずの名張市は、名張市という名の自治体は、いったいなんだというのか。なんなんだこのざまは、なーにやってんだこの腐れ自治体、みたいなことばっかではないか。よりにもよって自治体が、そこに住む市民の気持ちをネガティブなものにしてしまってどうする。いかんではないか。そんなことではいかんではないか。ほんと、悪いことはいわないから、いっぺんまちの保健室へ行ってみてもらってこい。
いかんいかん。せっかくポジティブシンキングに移行したのに、またネガティブになってきた。帰ってきたネガティブマン、みたいなことになってきた。こうなるとやばいぞ。暗黒の未来しか思い浮かんでこない。ノンバーバル映画「鬼 The Oni」関係者全員の顔に、映画の精神的支柱であったはずの人間が泥を塗ってしまう。そして袋だたきにされる。ふと気がつくと、うちの犬までいっしょになって、この精神的支柱を思いきり袋だたきにしている。足蹴にしている。おしっこまでひっかけやがる。そんな暗黒の未来しか予測できない。やばいやばい。ほんとにやばい。そんなことになったら、とくに永遠のJガールあらため豪腕のJガールこと吉本興業の新矢由紀さんなど、ほんとに鬼になってしまうのであろうな。絶対そうなのであろうな。こわい。とてもこわい。死ぬほどこわい。
恐怖に戦慄しながらも、本日の小春ちゃん写真館。ノンバーバル映画シリーズの掉尾を飾って、映画撮影のビフォアとアフターをごらんいただくことにする。
まずは映画撮影以前、ビフォアの写真がこれである。昨年12月21日夕刻、親戚の幼稚園児と散歩したときに撮影した。本番を控え、ときどきもとの飼い主に来てもらって、地獄の特訓をこなしていたころの一枚である。本番において、特訓の成果がよく発揮されたのかどうか。そんなことは、もう考えたくもない。
こんどはアフター。きのう夕刻の写真である。断尾したコーギーの尻などみっともなくて眼もあてられぬものだが、うちの犬にはしっぽがあるから、お尻がとてもかわいい。いくらでも絵になる。あまりにもかわいくて絵になるものだから、映画「鬼 The Oni」はうちの犬のお尻で締めることにした。編集の段階で変更になるかもしれないのだが、少なくとも脚本においては、うちの犬のお尻のカットのあと、画面に「結」というエンドマークが登場する。いわゆるケツつながりである。で、映画の撮影後も、ごらんのとおり、あいかわらずお尻がかわいい。
お尻がこれだけかわいいのだから、花のかんばせはいかばかりかわいいのか、と思ってみてみると、驚くべし。
なんと、犬なのに鬼顔になっておるではないか。うちの犬、こんな顔ではなかったぞ。えらいことではないか。ちょっと〜、Jガールのおねえさ〜ん、いったいどうしてくれるん〜。せっかく山田スミ子さんから、きれいな顔した犬やねって、ほめてもろたゆうのに〜。あんな映画に出たばっかりに、うちの犬、ころっと鬼顔になってしもたやんか〜。
ちょっと〜、夜になってから撮ってみたら、眼ェが光って、ますますこわい顔になってるやんか〜。Jガールのおねえさ〜ん、なにもうちの犬まで道連れにすることないやんかあ〜。まことにえらいことである。
あまりにもネガティブなものだから、お役所のみなさんもいいだけ落ちこんでいるのであろう、たまに当方が訪ねてゆくと、職員諸君、こちらをみて顔をほころばせたりするほどである。暗く陰鬱な職場に、突然、まぶしいほどの陽光が射しこんできた、とでもいったところであろう。いやいや、むろん職員諸君、どうせ内心では、あ、またばかが来た、とか思っていやがるのであろうけれども、しかし、顔がほころぶのだからまだいいではないか。これがかりに、当方が顔を出したとたん、その場の職員が全員いっせいに、あれずつない、あれずつない、などといって頭を抱えはじめたらどうであるか。ほんまにもう、ずつのてずつのてしゃらしませんねさ、などといって、あわてて頭痛薬を服用したり、はなはだしきにいたっては、一目散にまちの保健室へ駈けだしてゆくようなことになったりしたら、いったいどうよ。名張市はどうなると思うのよ。そんなことなら、あ、またばかが来た、とかいって笑われているほうが、はるかにましというものではないか。こういう考えかたを、世間ではポジティブシンキングと称する。
名張市役所の職員諸君がネガティブな気持ちになるのも無理はないかもしれないけれど、ポジティブシンキングはやはり大切なことであろう。というのも、ほかならぬ当方が、このところ、とにかくポジティブでなくっちゃな、とみずからにいい聞かせている毎日なのである。理由はなにか。いうまでもなく、ノンバーバル映画「鬼 The Oni」である。あの映画がちゃんと完成してくれるのかどうか、それが心配で心配でしゃらしませんねさ、てなものなのである。ネガティブなほうへネガティブなほうへ、考えが極端に傾いていってしかたないのである。むろん、スタッフには全幅の信頼を寄せている。キャストの演技にも、獅子舞の熱演も含め、一点たりとも心配はない。ひたすら気がかりなのは、やはり脚本なのである。あんな脚本でよかったのかどうか。それを考えはじめると、ほんまにもうずつのてずつのて、まちの保健室へ駈けだしたくなるほどなのである。
映画業界には、よくできたシナリオからできの悪い映画が生まれることはあっても、その逆はない、ということばがある。できの悪いシナリオからは、愚作駄作しか生まれないのである。シナリオのよしあしというのは、映画のできそのものを左右してしまうのである。したがって、演技や演出やカメラワークその他、ほかのあらゆる要素が望みうる最高のものであったとしても、脚本がだめならだめなのである。今回の映画の場合は、望みうる最高の、というよりは、望めるなどとは考えてもいなかったほど最高の、といったレベルで制作が進行しており、撮影に立ち会ってたしかな手応えも感じてはいるのだが、ただ一点、脚本のできが気になってしかたがない。やっぱだめなんじゃね? と自問自答したあげく、どんどんどんどんネガティブな気持ちがふくれあがってくる。まるで名張市役所の職員諸君になったような気分である。
だから先日来、このブログで、脚本の成立過程をことこまかに報告しているのである。ながながと記してきたのは、ただのいいわけにすぎない。脚本を書くにあたってさまざまな制約や条件があったから、結局こんな程度の脚本しかできなかったということを、それはもうぺらぺらぺらぺらと、あたかもかんなくずの親分のごとくぺらぺらぺらぺらと、ひたすら語りまくって責任を少しでも回避しようとしているのである。当方は悪くない、ということを、周囲から批判されるより先にぺらぺらぺらぺらと主張しているのである。作者として、自作の背後に黙ってどっしり構えている、ということができない。自信のなさ、増大する不安、不吉きわまりないネガティブな想念が、当方をどこまでも多弁にしてしまうのである。さあ、どうする。
といったところで登場するのが、いわゆるポジティブシンキングである。ものは考えよう、気のもちよう、ということである。どう考えるのか。けけけ、天下の吉本興業の企画にうまく乗っかって、名張市のプロモーションフィルム一本、まんまとただでつくってやったぜ、けけけ、と考えるのである。それしかないのである。なにしろ、市民の税金は一円もつかっていない。厳密にいえば、公用車三台は使用した。しかしそんなのは、皇學館大学の誘致に投入された約三十五億円の税金にくらべれば、いやいや、くらべようもないほど微々たるものではないか。けけけ。ただである。ただである。しかも、第一線で活躍するスタッフとキャストが全力投球してくれたのである。名張市としてはもう、もって瞑すべきなのだぞ実際。
のみならず、名張市民もまた全身全霊で協力してくれた。いやいや、あれは協力などというなまやさしいものではない。献身である。自由意志にもとづく無償の自己犠牲である。あれはえらいものであった。そして、あの多くの市民の自由意志にもとづく無償の自己犠牲は、いったいなにを求心点としていたのかというと、それはやはり名張市なのである。名張市という地域社会のために、という一点を共通の立脚点として、多くの市民がスペシャルサポーターとして身を挺したのである。ところがどうであるか。市民の協力の、献身の、自己犠牲の求心点であるはずの名張市は、名張市という名の自治体は、いったいなんだというのか。なんなんだこのざまは、なーにやってんだこの腐れ自治体、みたいなことばっかではないか。よりにもよって自治体が、そこに住む市民の気持ちをネガティブなものにしてしまってどうする。いかんではないか。そんなことではいかんではないか。ほんと、悪いことはいわないから、いっぺんまちの保健室へ行ってみてもらってこい。
いかんいかん。せっかくポジティブシンキングに移行したのに、またネガティブになってきた。帰ってきたネガティブマン、みたいなことになってきた。こうなるとやばいぞ。暗黒の未来しか思い浮かんでこない。ノンバーバル映画「鬼 The Oni」関係者全員の顔に、映画の精神的支柱であったはずの人間が泥を塗ってしまう。そして袋だたきにされる。ふと気がつくと、うちの犬までいっしょになって、この精神的支柱を思いきり袋だたきにしている。足蹴にしている。おしっこまでひっかけやがる。そんな暗黒の未来しか予測できない。やばいやばい。ほんとにやばい。そんなことになったら、とくに永遠のJガールあらため豪腕のJガールこと吉本興業の新矢由紀さんなど、ほんとに鬼になってしまうのであろうな。絶対そうなのであろうな。こわい。とてもこわい。死ぬほどこわい。
恐怖に戦慄しながらも、本日の小春ちゃん写真館。ノンバーバル映画シリーズの掉尾を飾って、映画撮影のビフォアとアフターをごらんいただくことにする。
まずは映画撮影以前、ビフォアの写真がこれである。昨年12月21日夕刻、親戚の幼稚園児と散歩したときに撮影した。本番を控え、ときどきもとの飼い主に来てもらって、地獄の特訓をこなしていたころの一枚である。本番において、特訓の成果がよく発揮されたのかどうか。そんなことは、もう考えたくもない。
こんどはアフター。きのう夕刻の写真である。断尾したコーギーの尻などみっともなくて眼もあてられぬものだが、うちの犬にはしっぽがあるから、お尻がとてもかわいい。いくらでも絵になる。あまりにもかわいくて絵になるものだから、映画「鬼 The Oni」はうちの犬のお尻で締めることにした。編集の段階で変更になるかもしれないのだが、少なくとも脚本においては、うちの犬のお尻のカットのあと、画面に「結」というエンドマークが登場する。いわゆるケツつながりである。で、映画の撮影後も、ごらんのとおり、あいかわらずお尻がかわいい。
お尻がこれだけかわいいのだから、花のかんばせはいかばかりかわいいのか、と思ってみてみると、驚くべし。
なんと、犬なのに鬼顔になっておるではないか。うちの犬、こんな顔ではなかったぞ。えらいことではないか。ちょっと〜、Jガールのおねえさ〜ん、いったいどうしてくれるん〜。せっかく山田スミ子さんから、きれいな顔した犬やねって、ほめてもろたゆうのに〜。あんな映画に出たばっかりに、うちの犬、ころっと鬼顔になってしもたやんか〜。
ちょっと〜、夜になってから撮ってみたら、眼ェが光って、ますますこわい顔になってるやんか〜。Jガールのおねえさ〜ん、なにもうちの犬まで道連れにすることないやんかあ〜。まことにえらいことである。
PR
この記事にコメントする
いまさらいったいなにがポジティブシンキングかと
●永遠の鬼ガール様
ご投稿ありがとうございます。
うちの犬はアジア系ではなく、いうならばヨーロピアン、原産地はイギリスです。ウェルシュコーギーというくらいで、ウェールズの荒野を元気よく走りまわっていた種族を祖先にいただいております。ですから、東洋的なクールビューティにはほど遠く、正反対のホットビューティが本分となっていて、映画撮影の現場では、赤岩尾のボンバーガール、とでも呼ぶべきホットさで、あたりをかけまわり、雪をも溶かし、太陽さえ招き寄せたのではないかと思われます。したがいまして、クールビューティな鬼顔になるのは、できれば避けたいところです。なんか、避けがたいのかもしれませんけど、お願いですから、うちの犬だけは、道連れにするのを勘弁してやっていただけないでしょうか。
今後の方針といたしましては、私がいちおう名張の加藤増吉になりまして、加藤増吉というのは、元祖お嬢、美空ひばり大先生のおとうさんの名前なのですが、私が名張の加藤増吉になって、犬のお嬢に殺到するオファーのとりしきりにあたりたいと考えております。撮影などの実際の現場には、もと飼い主系のお嬢さまおふたりから、学校も塾もガールスカウトも休んでかけつけてやる、という力強いおことばを頂戴しておりますので、名張の加藤増吉といたしましては、現場は人に丸投げして、ひたすらギャラの勘定に没頭できることであろうと皮算用しているような次第ではあり、コッハーへのオッハー、早く来てくれないものでしょうか。とりあえず、地元CATV局のアドバンスコープあたりから、名張が生んだ大型新進女優への取材依頼があってもいいようなものなのですが、いまだにありゃしません。そういえば、撮影当日の取材タイムには、アドバンスコープからも女性記者のかたが馳せ参じてくださって、ご挨拶をいただいたものですから、うちもそろそろ加入せなあかんかなとは思てるんですけど、と申しあげておいたのですが、ちゃんとCATVに加入しなければ、コッハーへのオッハーは届かない、ということなのでしょうか。
ポジティブシンキングの件にかんしましては、いまさらなーにとっぽいこといってんの、みたいなところでしょうか。新矢さんのポジティブシンキング、この場合の「ポジティブシンキング」には「脳天気な思いつき」という訳語をあてるべきだと思われますが、名張で映画を撮りたいな、という根拠も成算も必然性も具体性もない新矢さんのポジティブシンキングにあれだけ多くの人間がまきこまれ、ふりまわされ、たたきのめされ、精神をおかされ、肉体をむしばまれ、凍死したり餓死したりしそうになり、あやうく天に見放されそうになりさえしたというのにまあ、うちの犬の秘められた芸名を聞いてなにが「今も思い出してはクスッとしております」か、なーにが「気持ちがネガティブになりそうな時はそれを思いだしポジティブシンキングしようと考えている今日この頃です」か、なーにたわけたことぬかしておるのかこの脳天気プロデューサー、ばかこぐでねえぞこのくそたれが、などと思っている人間はたぶんひとりもいないことでしょうけど、そもそもネガティブなかただとはとてもお見受けできませんから、しいてポジティブシンキングにお努めになる必要もないのではないかと愚考いたします。
今後ともよろしくお願いいたします。
ご投稿ありがとうございます。
うちの犬はアジア系ではなく、いうならばヨーロピアン、原産地はイギリスです。ウェルシュコーギーというくらいで、ウェールズの荒野を元気よく走りまわっていた種族を祖先にいただいております。ですから、東洋的なクールビューティにはほど遠く、正反対のホットビューティが本分となっていて、映画撮影の現場では、赤岩尾のボンバーガール、とでも呼ぶべきホットさで、あたりをかけまわり、雪をも溶かし、太陽さえ招き寄せたのではないかと思われます。したがいまして、クールビューティな鬼顔になるのは、できれば避けたいところです。なんか、避けがたいのかもしれませんけど、お願いですから、うちの犬だけは、道連れにするのを勘弁してやっていただけないでしょうか。
今後の方針といたしましては、私がいちおう名張の加藤増吉になりまして、加藤増吉というのは、元祖お嬢、美空ひばり大先生のおとうさんの名前なのですが、私が名張の加藤増吉になって、犬のお嬢に殺到するオファーのとりしきりにあたりたいと考えております。撮影などの実際の現場には、もと飼い主系のお嬢さまおふたりから、学校も塾もガールスカウトも休んでかけつけてやる、という力強いおことばを頂戴しておりますので、名張の加藤増吉といたしましては、現場は人に丸投げして、ひたすらギャラの勘定に没頭できることであろうと皮算用しているような次第ではあり、コッハーへのオッハー、早く来てくれないものでしょうか。とりあえず、地元CATV局のアドバンスコープあたりから、名張が生んだ大型新進女優への取材依頼があってもいいようなものなのですが、いまだにありゃしません。そういえば、撮影当日の取材タイムには、アドバンスコープからも女性記者のかたが馳せ参じてくださって、ご挨拶をいただいたものですから、うちもそろそろ加入せなあかんかなとは思てるんですけど、と申しあげておいたのですが、ちゃんとCATVに加入しなければ、コッハーへのオッハーは届かない、ということなのでしょうか。
ポジティブシンキングの件にかんしましては、いまさらなーにとっぽいこといってんの、みたいなところでしょうか。新矢さんのポジティブシンキング、この場合の「ポジティブシンキング」には「脳天気な思いつき」という訳語をあてるべきだと思われますが、名張で映画を撮りたいな、という根拠も成算も必然性も具体性もない新矢さんのポジティブシンキングにあれだけ多くの人間がまきこまれ、ふりまわされ、たたきのめされ、精神をおかされ、肉体をむしばまれ、凍死したり餓死したりしそうになり、あやうく天に見放されそうになりさえしたというのにまあ、うちの犬の秘められた芸名を聞いてなにが「今も思い出してはクスッとしております」か、なーにが「気持ちがネガティブになりそうな時はそれを思いだしポジティブシンキングしようと考えている今日この頃です」か、なーにたわけたことぬかしておるのかこの脳天気プロデューサー、ばかこぐでねえぞこのくそたれが、などと思っている人間はたぶんひとりもいないことでしょうけど、そもそもネガティブなかただとはとてもお見受けできませんから、しいてポジティブシンキングにお努めになる必要もないのではないかと愚考いたします。
今後ともよろしくお願いいたします。
クールビューティ小春ちゃん
まことにおめでとうございます。
赤岩尾の小春あねさんの面目躍如、これぞクールビューティの真骨頂、いよいよ本領発揮ですね。
ほんものの美人はむやみやたらと笑いませんし、あいそ笑いや媚びとは無縁なもの。ぜひお次は月9のヒロインなどという生やさしいドラマのオファーは受けずに、ボンドガールか韓流宮廷ドラマに出演なさってくださいませ。きっとコッハーという愛称で国民的アイドルとしてブレークなさること必定です。
それにしてもクールビューティ赤岩尾の小春あねの以前の芸名がブルーベリーであり、デビュー当時の名がなんとゴマアブラだったという衝撃の事実を、撮影待機中に以前の飼い主さまのお嬢様がたから聞きおよび……(笑)すみません、今も思い出してはクスッとしております。
気持ちがネガティブになりそうな時はそれを思いだしポジティブシンキングしようと考えている今日この頃です。
赤岩尾の小春あねさんの面目躍如、これぞクールビューティの真骨頂、いよいよ本領発揮ですね。
ほんものの美人はむやみやたらと笑いませんし、あいそ笑いや媚びとは無縁なもの。ぜひお次は月9のヒロインなどという生やさしいドラマのオファーは受けずに、ボンドガールか韓流宮廷ドラマに出演なさってくださいませ。きっとコッハーという愛称で国民的アイドルとしてブレークなさること必定です。
それにしてもクールビューティ赤岩尾の小春あねの以前の芸名がブルーベリーであり、デビュー当時の名がなんとゴマアブラだったという衝撃の事実を、撮影待機中に以前の飼い主さまのお嬢様がたから聞きおよび……(笑)すみません、今も思い出してはクスッとしております。
気持ちがネガティブになりそうな時はそれを思いだしポジティブシンキングしようと考えている今日この頃です。