忍者ブログ
三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
[721] [720] [719] [718] [717] [716] [715] [714] [713] [712] [711]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

そもそものスタートは、いってみれば三題噺であった。

・赤岩尾神社
・鬼
・犬

ノンバーバル映画「鬼 The Oni」のモチーフである。演者も加えれば、五題噺となる。

・たむらけんじ
・女優

昨年7月に企画書を提出したとき、もうひとつプラスしておいた。

・獅子頭

いうまでもなく、たむらけんじさんのトレードマークである。深い理由はない。犬と獅子との相同性をうまく利用できれば面白いかな、と考えただけの話である。これで六題噺になった。

昨年12月7日のロケハンで、またひとつ増えた。

・能舞台

そして12月26日、赤岩尾神社の地元、滝之原に伝わる三体の獅子舞が、映画出演はいくらでもOK、ということになった。たむらけんじさんの獅子頭を使用するプランはとりさげ、ほんものの獅子舞に登場してもらうことにした。しめて七題噺である。

・赤岩尾神社
・鬼
・犬
・たむらけんじ
・女優
・能舞台
・獅子舞

もうモチーフのてんこ盛りである。じつに欲の深い話である。わずか五分のノンバーバル映画に、ここまで素材を詰めこんでどうする。ノンバーバル映画をつくるにあたって、ノンバーバル映画が成立しにくくなるような要素ばかりかき集めてどうする。先日も記したとおり、映画の舞台として名張市の赤岩尾神社という場を特定する、ということは、赤岩尾神社がどこにあるのか、登場人物がなぜその神社に行ったのか、そのあたりの説明が必要になる、ということである。さらには、男と女を登場させる、ということは、男女間になんらかのドラマがくりひろげられる、ということである。しかし、そういった説明やドラマは、ふつうの映画であればともかく、ことばを使用できないノンバーバル映画には不向きな要素だというしかない。じつに悩ましい問題である。

ただし、男女間のドラマといったって、たった五分間の映画である。こみいったストーリーを描くのが無理だということは、はなから知れていた。だから企画書の段階で、ごく普遍的な男女のドラマにもちこむしかないだろうな、とは考えていた。要するに、基本となるのは、男は弱く、女は強い、という永遠の真理であり、男は愛嬌、女は度胸、という不変の哲学である。こうした真理や哲学はきわめて普遍的なものなのであって、そこらのジェンダーフリーばかや男女共同参画ばかがいくら気のふれたようなことを口走ろうとも、揺らぐことなどいっさいないはずである。

男女共同参画といえば、名張市役所の三階だか四階だかに人権・男女共同参画推進室というのがある。そこに勤務するスタッフがおととい、「鬼 The Oni」の撮影にずーっとつきあってくれたので、きのうの夕刻、人権・男女共同参画推進室に足を運んで礼を述べた。きのうの夜になって、そのスタッフが赤岩尾神社から俯瞰した比奈知ダム周辺の写真をメールで送ってきてくれたので、ここに掲載しておく。

20090114a.jpg

撮影当日の朝、赤岩尾神社の暗くて急な参道をとぼとぼと、ほんとうにとぼとぼと、なにしろ撮影前日の朝から右足親指の巻き爪がずきずきうずきだしていたので、とぼとぼとしか歩けない。もうたまんない、と思われたのできのう午後、名張市青少年センターの近くにある施術所でみてもらったほどである。施術所では、親指の肉に食いこんだ巻き爪を金属製の小さなへらのようなものでピッ、ピッ、ピッとほじくり返しえぐり出す、という思い出すだけでも失神しそうになる施術をたっぷり一時間、心ゆくまでほどこしてもらい、おかげでびっくりするくらい楽になったのだが、撮影当日の朝はまだずきずきと痛んでいたものだから、赤岩尾神社の暗くて急な参道はとぼとぼのぼることしかできなかったのであるが、参道はやがて、いきなり視界の開ける場所に出る。そこからながめおろした情景がうえの写真で、赤岩尾の鬼神の手荒い祝福を受け、神々しいような雪景色がひろがっていた。あまりに感動的な眺望だったので、カメラをもっていあわせていた人権・男女共同参画推進室スタッフに、ちょっとNさん、ここから写真とってあとで一枚メールで送って、と依頼しておいた次第である。

ちなみに、1月12日の撮影では、名張市の公用車が三台、朝から晩までフル稼働し、名張市ならびに名張市教育委員会の職員が合計四人、やはりフル回転で撮影を手伝ってくれた。実際のところを確認してはいないのだが、おそらく公務員の業務としてではなく、自由意志にもとづく無償奉仕として、ということだったのであろう。休日返上のただ働き、という寸法である。むろん、映画の制作費から内々でギャラが出る、というようなことはまったくない。純粋無垢のノーギャラである。ご苦労であった。ただまあ、名張と大阪でうちあげをぶちかます予定にはなっているので、そこではたらふく飲み食いしてもらえるはずである。いうまでもないことだが、うちあげは純粋無垢の割り勘である。ご苦労である。

それで12月26日、滝之原の獅子舞という新しい足かせが加わって、映画は七題噺の様相を呈した。なんかもう、がんじがらめである。永遠のJガールこと吉本興業の新矢由紀さんの手で、ぎっちぎちの亀甲しばりを決められてしまったようなものである。だが、どうやらこれでおしまいらしいな、とは思われた。わずか五分のノンバーバル映画に、素材モチーフがこれ以上てんこ盛りされることはないであろう。Jガールのあねさんから与えられたすべての足かせをいったん身に受けて、脱出不可能とみえる亀甲しばりから奇術師フーディーニのごとく脱出することができるかどうか。そのあたりが、ノンバーバル映画「鬼 The Oni」の精神的支柱と仰がれる人間の器量のみせどころであり、伊賀地域の知のリーダーと称される人間の本領であろうな、と思いあがったことを考えながら、そろそろ脚本を書かなくちゃ、ということになった。

ほんものの獅子舞が登場するのだから、能舞台に鬼を出現させてやるか、と思いあたり、ならばやっぱり能で行くか、と結論した。企画書の段階から、能の様式を生かすことは意識していたのだが、能舞台に般若の面をつけた狂女を立たせ、BGMとして謡曲を流すことにした。謡曲は、まことにベタな話ではあるが、四番目物の「鉄輪」とした。曲名は、かなわ、と読む。ひとことでいってしまえば、女が鬼になる話である。女が鬼になって、自分を捨てた男に復讐しようとするものの、神にさまたげられて退散してしまう。そんな話である。そういえば、新藤兼人監督に「鉄輪」という映画があったな、とは思ったが、そんなことはこのさい関係がない。ただまあ、能という伝統を現代にふさわしいかたちで再生させるという一点では、新藤兼人監督とおなじことをやるわけである、と思いあがったことを考えながら、ほんとにそろそろ脚本を書かなくちゃな、とあせりながら思った。

能の要素をとりいれるとなると、狂女の所作指導と謡曲の録音には、どうしたって専門家の協力が欠かせない。名張能楽振興会のさる会員のかたに電話を入れ、やぶから棒に協力を依頼したのは12月31日のことである。おおみそかになんとも人騒がせなことではあったが、話はとんとんと進んだ。1月4日には名張能楽振興会の会長さんのお宅にお邪魔し、さらに1月11日、名張能楽振興会の所属会派が一堂に会する新春謡曲仕舞大会の会場である名張市青少年センターで、この日はJガールのあねさんにも駆けつけていただいたのだが、各会派代表のみなさんにお会いして直接お願いしたうえで、その翌日にはもう上小波田の観阿弥ふるさと公園、日も暮れて寒風が吹きすさび、火の気などどこにもない能舞台で所作指導をやっていただいたのだから、なんともあわただしいことではあった。

ここで振り返るならば、そもそも、Jガールのあねさんが赤岩尾神社で写真を撮ったら鬼みたいな顔に写っていた、というのが出発点だったのである。さらにそのもとをたどれば、このブログにちょこっと赤岩尾神社のことを記し、それがあねさんの眼にとまった、というのがすべての起点だったのである。以来六か月あまり、ただの思いつきがごろごろごろごろと雪玉のように転がり、まったく無関係だった人間をつぎつぎとまきこんで、ひとつの巨大な雪玉になってしまった。なんというのか、台風のようなものが名張市を通りすぎていった、といったような印象もある。ともあれ、ひょうたんから駒みたいな映画の話が具体化し、撮影も無事に終了して、いちばん驚いているのはJガールのあねさんではないのかとも思われる次第であるが、あねさんからはきのう、こんなコメントを頂戴した。

1月13日:鬼神の哄笑が聞こえる > 名張の皆様ありがとうございました

Jガールのあねさんとて、はじめて赤岩尾神社に立ったときには、まさか半年後の1月12日、日の暮れた神社の境内で、肌を刺すような寒さのなか、長くつらい待ち時間を耐えてくれていた獅子舞関係者にようやく出番が訪れ、三体の獅子舞がエグザイルふうに踊るという意想外な演出プランが展開されたあと、ついにクライマックス、般若の面をつけた狂女の周囲を獅子舞三体が輪を描いてぐるぐるまわる、などというシーンが撮影されることになろうとは、夢にも思っていらっしゃらなかったはずである。

いやまあ、ついおとといのことなのに、あの狂女と獅子舞による夢幻的なシーンばかりは、文字どおり夢まぼろしのようなものとして思い返される。この世で現実に起きたことだとは、とても思えない。獅子舞の動きは演出レベルのアイデアによるもので、脚本では具体的なことにはいっさいふれていなかったのだが、面白い演出にしあげてもらえたことがありがたい。ついでに記しておくと、脚本が完成したのは、構想半年、執筆半日、1月5日のことであった、と思っていたのだが、いま確認したところ、第一稿の提出が12月30日、決定稿の完成が1月5日のことであった。おなじく1月5日、名張市からメディアに提出するニュースリリース用に、と依頼され、あわてて書きなぐった映画の内容紹介がこれ。

   
赤岩尾神社は三重県名張市滝之原の山中にある。社殿はなく、巨大な岩盤を神体として祀った不思議な神社である。何かに導かれるように神社を訪れた男と女は、境内の異様な雰囲気に立ちすくむ。些細なきっかけで諍いを始めた二人は、やがて容赦のない応酬の果てに……。現実と異界が交錯した世界に、女、男、神、鬼、犬が入り乱れて「笑いと平和」のドラマをくりひろげる。

そんなこんなで、年末から年始にかけて、この名張市をノンバーバル映画「鬼 The Oni」が台風のように通りすぎていった、といった印象である。Jガールのあねさんもコメントにお書きのとおり、この台風に快くまきこまれていただいたみなさんには、感謝のことば以外なにもない。うちあげの席であらためてお礼を申しあげることになるはずだが、きのう、名張市役所で確認したところでは、と書いて思い出したのだけれど、撮影を手伝ってくれた四人の市職員のうち三人には、きのう市役所内で礼を述べることができたのだが、ひとりだけ、市役所から離れた市史編さん室勤務のスタッフがいて、それにしても名張市史はいつ刊行がはじまるのか、名張市には市史を出版することの意味が理解できておらんのではないか、まったく困ったものである、みたいなことはともかくとして、きのうはなにしろ右足親指の肉に食いこんだ巻き爪を金属製の小さなへらのようなものでピッ、ピッ、ピッとほじくり返しえぐり出してもらうのに予想外に時間がかかり、市役所に到着したのが夕刻かなり遅い時間になってしまったので、市史編さん室には足を運べず、したがっていまだに謝意を表することのできていない職員がひとり存在しているわけなのであるが、そんな話はこのさいだから横においておくことにして、とにかくきのう市役所で確認したところでは、市役所のごくごく一部で天満の但馬屋が話題になっているらしい。1月9日夜、Jガールのあねさんならびに映像関係スタッフと、脚本にもとづいて打ち合わせをした店である。近く催されるはずの大阪でのうちあげは、この但馬屋を会場にしてもいいのだが、しかしやっぱり、炭火焼肉たむらでやるのが本来ではないのか、という気もする。じつに悩ましい問題である。
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
メールアドレス
URL
コメント
パスワード
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:

Copyright NAKA Shosaku 2007-2012