三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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5月の話である。
5月29日:おてがみまだかな 上
遅れに遅れて、というか、こんなエントリがあったことなどほとんど忘れていたのだが、本日はそのつづき、「下」となる。
きのう、名張市企画財政部広報対話室からメールが届いた。件名は「『市長への手紙』返事の遅延について」。
そういう事情であったとは知らなんだ。なんだシカトかよ、放置プレーかよ、といつか邪推し、決めつけていた。伊賀者だものとはいうものの、人を疑い勘ぐることしかできぬ自分が恥ずかしい。むろん、プロバイダはいったいどんなメンテナンスしてんだよ、などといったツッコミはいくらでも可能であるが、とりあえず返信を送っておいた。最近、名張市役所の特定のセクションやまちなか運営協議会あたりでは、当方のメールが「不幸のメール」と呼ばれて蛇蝎のごとく忌み嫌われているらしいのだが、通知にたいする礼は述べておくべきだろう。
文面は次のとおり。件名は「お世話さまです」としたのだが、これはむしろ「幸福のメール」としておくべきであったか。
この一件、きょうの中日新聞で報じられている。
中日新聞:市民のメール30通“放置” 名張市HP、サーバー故障
よく考えてみると、状況はなんだかややこしい。名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して送信したのは、こんな質問であった。
・名張まちなか再生プランで歴史資料館として整備されることになっていた細川邸が観光交流施設のやなせ宿に変更された理由は何か。
細川邸を歴史資料館として整備する、という名張まちなか再生プランの構想をひっくり返したのは、どこでもない、名張まちなか再生委員会の歴史拠点整備プロジェクトである。そして当方、いまやそのプロジェクトの花形メンバーなのである。なんともややこしい話ではないか。5月29日付エントリ「おてがみまだかな 上」を書いた時点ではまだ知らされていなかったのだが、その前日、28日の夜に開かれた名張まちなか再生委員会の役員会で、当方の委員会加入が認められていたのである。それはとても信じられぬことであったので、翌日のエントリはこんなぐあいになった。
5月30日:超へんてこな命運である
あとの展開は、もう無茶苦茶である。6月1日の名張まちなか再生委員会総会から、7月5日のやなせ塾懇親会まで、まるで予想もしていなかったことがつぎつぎに起きて、気がついてみれば、いまや当方、名張まちなか再生委員会のニューヒーローと呼ばれる身となっている。世の中ってのはほんと、わっかんねーもんだよなあ。ともあれ、名張市企画財政部広報対話室の要請にしたがい、「返事につきましては、今しばらくお待ち」することとする。これから何がどうなるのか、はっきりいって見当もつかんのだが。
5月29日:おてがみまだかな 上
遅れに遅れて、というか、こんなエントリがあったことなどほとんど忘れていたのだが、本日はそのつづき、「下」となる。
きのう、名張市企画財政部広報対話室からメールが届いた。件名は「『市長への手紙』返事の遅延について」。
中 相作 様
「市長への手紙」をお寄せいただきありがとうございます。 お寄せいただいたメールが、メールサーバの障害により、「市長への手紙」のメールアドレスに到着していないことが、7月9日判明いたしました。大変ご迷惑をおかけし、心からお詫び申し上げます。 現在、プロバイダから記録を取り寄せ、市長に回送中でございます。 返事につきましては、今しばらくお待ちいただきますようお願い申し上げます。 今後は、このようなことが、起こらないように細心の注意を払ってまいりますので、よろしくお願い申し上げます。 |
そういう事情であったとは知らなんだ。なんだシカトかよ、放置プレーかよ、といつか邪推し、決めつけていた。伊賀者だものとはいうものの、人を疑い勘ぐることしかできぬ自分が恥ずかしい。むろん、プロバイダはいったいどんなメンテナンスしてんだよ、などといったツッコミはいくらでも可能であるが、とりあえず返信を送っておいた。最近、名張市役所の特定のセクションやまちなか運営協議会あたりでは、当方のメールが「不幸のメール」と呼ばれて蛇蝎のごとく忌み嫌われているらしいのだが、通知にたいする礼は述べておくべきだろう。
文面は次のとおり。件名は「お世話さまです」としたのだが、これはむしろ「幸福のメール」としておくべきであったか。
メール拝受いたしました。「市長への手紙」のご返事の遅延の件、了解いたしました。わざわざお知らせをいただき、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
2008/07/11 |
この一件、きょうの中日新聞で報じられている。
中日新聞:市民のメール30通“放置” 名張市HP、サーバー故障
よく考えてみると、状況はなんだかややこしい。名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して送信したのは、こんな質問であった。
・名張まちなか再生プランで歴史資料館として整備されることになっていた細川邸が観光交流施設のやなせ宿に変更された理由は何か。
細川邸を歴史資料館として整備する、という名張まちなか再生プランの構想をひっくり返したのは、どこでもない、名張まちなか再生委員会の歴史拠点整備プロジェクトである。そして当方、いまやそのプロジェクトの花形メンバーなのである。なんともややこしい話ではないか。5月29日付エントリ「おてがみまだかな 上」を書いた時点ではまだ知らされていなかったのだが、その前日、28日の夜に開かれた名張まちなか再生委員会の役員会で、当方の委員会加入が認められていたのである。それはとても信じられぬことであったので、翌日のエントリはこんなぐあいになった。
5月30日:超へんてこな命運である
あとの展開は、もう無茶苦茶である。6月1日の名張まちなか再生委員会総会から、7月5日のやなせ塾懇親会まで、まるで予想もしていなかったことがつぎつぎに起きて、気がついてみれば、いまや当方、名張まちなか再生委員会のニューヒーローと呼ばれる身となっている。世の中ってのはほんと、わっかんねーもんだよなあ。ともあれ、名張市企画財政部広報対話室の要請にしたがい、「返事につきましては、今しばらくお待ち」することとする。これから何がどうなるのか、はっきりいって見当もつかんのだが。
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