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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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新年も三日目となった。愉快な闖入者のせいで長く中断していたのだが、12月7日付エントリ「設立趣意補足 1」のつづきを記す。昨年11月3日に発足した《乱歩と名張》の設立趣意書を補足する。

12月4日:《乱歩と名張》設立趣意

「経緯」の二段落目を引用。

   
名張市ではその後も、乱歩にちなんだ公的施設の構想が一再ならず浮上したが、そのたびに潰え去った。そのときどきの状況はどうあれ、単なる生地であるという稀薄な関係性のみを根拠として乱歩の記念館ないしは文学館を整備するのは、現在ではむしろ無謀な試みであると判断される。かりに乱歩の名を冠した施設整備を行うのであれば、規模においても運営においても、“大乱歩”の名にふさわしいものを目指すことが要請される。そうでなければ、名張市が乱歩を矮小化したという謗りは免れないであろう。また、旧乱歩邸の土地や家屋、乱歩の蔵書などは2002年、遺族から立教大学に一括して譲渡されており、乱歩にちなんだ本格的な記念館や文学館の建設は、いまや実質的に不可能であるとさえいえる。

このとおりのことである。名張市に乱歩文学館だの乱歩記念館だのを建設する必要はない。何度もくり返してきたことであるから、ここには大河漫才「僕の住民監査請求」から引用するにとどめる。

   
「乱歩文学館を望む市民の声はあるのとちがいますか」
「そんな市民がどこにいるねん」
「それを聞いてどうするんですか」
「思いきり叱り飛ばしたるねん」
「叱らんでもええやないですか」
「不心得な市民は叱り飛ばしたらなあかんのですけどたしかに乱歩文学館をつくろうという声は昔からあったんです」
「それやったらよろしがな」
「けどそうゆう市民要望にはきちんとノーをつきつけとかなあきません」
「なんでですねん」
「どうして名張市に乱歩文学館を建設しなければならないのか。かんじんの理由がその要望からは欠落してるんです」
「なんでそんなことわかりますねん」
「そしたら乱歩文学館が必要やゆうてる市民つかまえてなぜそんな施設を税金で建てなあかんのか質問してみなさい」
「どないなりますねん」
「誰のために文学館を建てるのか。そんなもん建てて何をするのか。質問に答えられる市民はひとりもいないはずです」
「乱歩顕彰とかよくいわれますけど」
「それがおこがましいんです」
「なんでですねん」
「顕彰ゆうのは世に知られていないものをひろく知らせることなんです」
「それやったら乱歩は大メジャーですから顕彰なんか必要ないわけですね」
「事実はまったく逆なんです」
「何が逆なんですか」
「乱歩という有名作家の名前を利用して名張市というあまり知られていない自治体を有名にしたいだけの話なんです」
「それが市民要望の本音ですか」
「市民のみならず行政サイドの願望もそうなんです」
「そしたら乱歩文学館構想の正体はやっぱり自己顕示欲とかそんなんですか」
「そこらのお姉さんが有名ブランドに執着する以上のものではありません。要するにうわっつらだけなんです」
「それで乱歩文学館の中身のことがいつまでも決まらなかったわけですか」
「うわっつらのことしか考えられない人間にできるのはせいぜい乱歩文学館ゆうハコモノの名称を思いつくぐらいです」
「そこから先には一歩も進めないと」
「本も読まんような連中が文学館とかいいだすから話がおかしくなるんです」

名張人外境:僕の住民監査請求

つづいて、「現況」の一段落目。

   
私は1995年、名張市立図書館から請われて嘱託となったが、つねに主眼を置いてきたのは収集資料の活用であった。市立図書館が開設準備の段階から収集してきた乱歩関連資料は、全国の図書館にも類を見ない貴重な蔵書であり、その活用の道を探るのが図書館本来の責務であることは論をまたない。収集資料を体系化し、未収集の資料を調査して、1997年に『乱歩文献データブック』、1998年に『江戸川乱歩執筆年譜』、2003年に『江戸川乱歩著書目録』とい う三冊の目録を、名張市立図書館の「江戸川乱歩リファレンスブック」として発行した。

ばかみたいな話である。乱歩にかんする資料を収集したのはいいけれど、それをどう活用するのかということはまったく考えない。それでいて、乱歩の文学館がどうの記念館がこうのとばかみたいなことはしきりに口走る。名張市ってのはどうしようもない。もうちょっと地に足をつけてはどうか。ということで、地に足をつけて、市立図書館が収集した資料にもとづいて、江戸川乱歩リファレンスブックを発行したのである。

「現況」の二段落目。

   
インターネットが普及した現在、これらの目録の内容は市立図書館のウェブサイトで閲覧できるようになっているのが当然であり、乱歩の著書、作品、関連文献などに関しても、市立図書館のサイトで検索が可能になっているのが本来であると考えられる。が、それは実現していない。私はこれまでに二度、そのための予算要求を行ったが、いずれも果たされなかった。一般の蔵書の検索が可能な公立図書館のサイトで、その図書館が独自に収集した資料の検索ができず、発行し た目録のデータが閲覧できないのは、異常と呼んで差し支えない事態である。

これもばかみたいな話である。せっかくつくった江戸川乱歩リファレンスブックである。そのデータをインターネット上で公開するというあたりまえのことが、名張市にはどうしてできないのか。

「現況」三段落目。

   
乱歩が生まれた名張のまちに目を転じると、2004年度に策定された「名張まちなか再生プラン」の具体化が進められつつあるが、中心的課題と目されていた細川邸の活用については、具体的な決定を見ないまま来春の開館を迎えようとしている。これもまた異常な事態というしかない。私は2005年、プランの素 案に対して提出したパブリックコメントで、名張市立図書館に展示されている乱歩の著書や遺品、図書館が寄贈を受けたミステリー関連図書を細川邸に集め、ミ ステリー専門図書館として整備するよう提案した。受け入れられることはなかったが、この提案自体はいまも有効であると判断する。

名張まちなか再生プランや細川邸の整備構想にかんしても、これまでに何度となくしつこいくらい記してきたから、ここにはくり返さない。名張まちなか再生プランが、新しい年を迎えて、近い将来にどんな帰結を迎えるのかという点にかんしては、残念ながらさっぱり見通しがつかない。

以上の「経緯」と「現況」を「官と民」という視点から整理しておくと、最初に来るのは民である。昭和27・1952年、乱歩がはじめて生家跡に立ったふるさと発見を契機として、昭和30・1955年に乱歩の生誕地碑が建立された。こうした一連の動きにたずさわったのは、本町で書店を営んでいた岡村繁次郎をはじめとする民の立場の人間であった。

昭和40・1965年に乱歩が死去し、それからしばらくして、名張市に乱歩記念館建設運動が起こった。これも民の動きである。しかし、運動は実を結ばず、昭和44・1969年に開設された名張市立図書館が、乱歩関連資料の収集を手がけることで、運動の意を継ぐこととなった。つまりここにおいて、民から官へのバトンタッチがおこなわれたのである。

民からバトンをうけた官においては、すなわち市立図書館においては、乱歩関連資料の収集がつづけられた。昭和62・1987年、市立図書館の移転に際しては、館内に乱歩コーナーが設けられ、乱歩の著書や遺品が展示された。しかし、収集資料の活用という点では、なんの動きもみられなかった。平成7・1995年、市立図書館は乱歩資料担当嘱託を雇い入れ、収集資料にもとづいて江戸川乱歩リファレンスブックを発行した。すなわち、民の立場にいた人間が官の一部に嘱託としてポジションを得ることで、図書館本来の責務である収集資料の活用が、多少なりとも前進した。ここにも官民のささやかな協働とかいうものを認めることが可能かもしれない。

しかし、そのささやかな協働にも限界があって、それを如実に実感させられることは少なからずあった。官の末端にポジションを得て何を主張し、何を提案してみても、容れられることはほとんどない。たしかに江戸川乱歩リファレンスブックを発行することはできた。予算300万円程度の単年度事業として目録を発行することは可能であった。だが、そのデータをインターネット上で公開し、将来にわたって増補をつづけてゆくという提案になると、扉はいともあっさりと鎖されてしまうのである。

ここで私事をうちあけておくならば、今年の3月末で一年単位の契約が切れるので、それを機に名張市立図書館とは無縁な人間になる予定である。もうあほらしいというか、やってらんないというか、知らんがなというか、とにかくあと白波と身を引くこととしたのだが、そうなると、名張市と江戸川乱歩を結ぶ糸はぷっつり切れてしまうかもしれない。それは惜しいことである。残念なことである。もったいないことである。

そんなことでいいのかどうか、鬱々と悩んだあげく、NPOをつくってはどうかという思いつきにたどりついた。もともと組織や団体にはできるだけかかわらないようにしてきた人間である。NPOのことなど何も知らない。しかしいろいろなことを考えあわせた結果、《NPO乱歩と名張》を発足させることで、昭和27・1952年のふるさと発見以来、ほそぼそとではあるが連綿として継承されてきた一本の線のうえ、つまりは乱歩と名張の関係性の継続という一本の線のうえに、いわゆる官と民との協働でより豊かな実りのようなものをもたらすことができるのではないか。そう考え、その可能性を探る第一歩として、とりあえず名張まちなか再生委員会に話をもちこんだのが昨年11月12日のことであった。

以来、新しい年を迎えても、名張まちなか再生委員会からはうんともすんとも応答がない。なんかもう、めんどくさくてしかたがない。というか、これはもうどうにもならんだろうな、という予感がする。予感というよりは、手応えである。もう名張まちなか再生委員会とか、あるいは名張市とか、まともに相手にするのはやめようかしら、という気がしないでもないかな、というのが平成20・2008年の年頭における抱負である。抱負というか、なんというか。
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