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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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ご町内のことしか知らない。知ろうとしない。理解できない。理解しようとしない。ご町内を相対化できない。視点を外在化させられない。外部の人間の話を聴く考えはない、とか平気でいってしまう。

そんなご町内感覚一辺倒なうすらばか連中の話題から離れて、鳥羽の話題。きのうの朝日新聞の記事である。

朝日新聞:鳥羽観光 再生を模索

引用。

   
●歴史・文化資源の活用「強力に」●
吉田新会頭は先月30日、就任の記者会見で「大きな柱の一つとして、地域の歴史や文化を発掘し観光資源として活用するエコミュージアム事業を、強力に進めたい」と強調した。とくに6年後の遷宮に向けて、鳥羽への誘客を強めていく考えだ。

鳥羽市の観光客数(同市調べ)は、91年の699万人をピークに下降線を描き、98年には560万人に落ち込んだ。危機感を抱いた商議所は同年、外部の研究機関に観光地としての評価を依頼したところ、「観光資源は豊かだが、宿泊施設のサービス水準、まちの雰囲気などに問題点が多い」と指摘された。

「大変なショックだった」と清水清嗣・専務理事(52)。会員の約1100社のうち6割近くを観光関連企業が占める。「観光客の落ち込みは死活問題」との意識は強く、「小手先の改善ではなく、観光都市づくりを目指そう」と、3人の副会頭のうち観光担当の吉田副会頭が中心になって模索を始めた。

それまでの観光客は団体客が中心で、水族館や真珠の観光施設、ホテルだけに集中していた。しかし、最近では、個人客の割合が大きくなり、「自由に散策できるコースがほしい」という声が強まっていた。

「各地域で観光資源を発掘できれば、市内を巡る観光ルートができる」という思いが、エコミュージアム事業へとつながった。

同事業の一環として、鳥羽地区では、かつて市内で過ごしたこともある市ゆかりの作家、江戸川乱歩の世界を見せる「鳥羽みなとまち文学館」が02年8月に第1次オープンし、その後も施設を徐々に拡充しており、散策コースの目玉になりつつある。浦村地区では和歌の散策路が整備され、相差地区では海女小屋などを見学するコースづくりが進んでいる。

2002年に485万人まで減った市内の観光客はその後、横ばいが続いた。06年には503万人とやや持ち直したものの、厳しい状況は変わらない。

引用してみたところで、なんの参考にもならぬか。なにしろご町内感覚一辺倒なのであるから。

ご町内感覚の特徴のひとつとして、ご町内でしか通用しない価値観をいくらでも一般化できると思っている、というのもあげておこう。隠街道市、というネーミングなど、まさにご町内感覚そのものである。どーしよーもねーなー。わーっはっは。わーっはっは。
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