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大正十三年(一九二四)
年齢:二十九歳→三十歳、数え年三十一歳
職業:大阪毎日新聞広告部勤務
住居:大阪府北河内郡門真村一番地
→北河内郡守口町二六六番地→守口町外島六九四番地
一月三十一日(木)
「二癈人」を脱稿。[初出末尾]
四月一日(火)
繁男の家に近い守口町二六六番地に転居。このころ、関東大震災に遭って大阪に移住した家元から河東節を習った。[探偵小説四十年 大正十三年度の主な出来事/昭和25年2月]
五月二十八日(水)
森下雨村に手紙、探偵小説の芸術性などについて質問した。[江戸川乱歩推理文庫64]
六月一日(日)
「新青年」六月号(第五巻第七号)の奥付発行日。「二癈人」が掲載された。
六月
「双生児」を脱稿。[初刊末尾]
八月五日(火)
「新青年」夏期増刊号(第五巻第十号)の奥付発行日。掲載された評論をむさぼるように読み、久米正雄、加藤武雄らの文章におおいに刺戟を受けた。とくに佐藤春夫が「探偵小説小論」に記した探偵小説の定義は長く記憶にとどまった。[探偵小説四十年 私を刺戟した評論/昭和25年3月]
九月
繁男が咽喉癌であることが判明し、ふたたび守口町外島六九四番地の繁男の家に同居した。家族は、繁男、きく、通、敏男、玉子、隆、隆太郎。[探偵小説四十年 大正十三年度の主な出来事/昭和25年2月][貼雑年譜]
十月一日(水)
「新青年」十月秋季増大号(第五巻第十一号)の奥付発行日。「双生児」が掲載された。
十月五日(日)
川東節の満寿会が大阪市北区曽根崎上四丁目の千原で第一回披露会を開催し、繁男とともに出演した。[貼雑年譜]
十月
「D坂の殺人事件」を脱稿。[初刊末尾]
十一月
「心理試験」を脱稿。繁男ときくの前で朗読したところ繁男が面白がってくれたため、「新青年」夏期増刊号に掲載された探偵小説論の要所を読みあげて職業作家になることの許しを乞い、繁男の諒承を得た。[探偵小説四十年 私を刺戟した評論/昭和25年3月]
十一月二十六日(水)
小酒井不木に手紙、二、三日前に書きあげた「心理試験」を別便で送り、それを一読して探偵小説家として一人前になれるかどうか判断してくれるよう依頼した。[子不語の夢]
十一月二十九日(土)
不木が乱歩に手紙、「心理試験」に感服したと述べ、探偵小説家として立つことを勧めた。[子不語の夢]
十一月三十日(日)
文筆だけで生活することを決意し、大阪毎日新聞社を退社した。[探偵小説四十年 大正十三年度の主な出来/昭和25年2月]
このころ
雨村が乱歩に手紙、「新青年」に六回連続で短篇を書よう依頼された。[探偵小説四十年 「D坂」と「心理試験」/昭和25年3月]
十二月五日(金)
不木に手紙、探偵小説に専念する決意を伝えた。[子不語の夢]
十二月二十九日(月)
不木に手紙、翌年一月に上京する途次、訪問したいと伝えた。[子不語の夢]
十二月
「黒手組」を脱稿。[初刊末尾]
[2012年6月11日]