三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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大正二年(一九一三)
年齢:十八歳→十九歳、数え年二十歳
学年:大学予科一年→本科一年
住居:東京市小石川区春日町→牛込区喜久井町五番地
三月
平井太郎、帝国少年新聞の発行を企画し、「主意書」「推薦状」「支部について」を印刷。費用として菅生辰次郎の弟・邦三に二十円を出資してもらったが、資金がつづかず、新聞も発行できなかった。[貼雑年譜]
三月二十七日(木)
太郎、上京した母方の祖母・本堂つまと牛込区喜久井町五番地に住宅を借りて同居。つまは太郎の苦労を見かねて上京した。名古屋から太郎の弟・通を呼び寄せて三人で暮らしたが、通は夏ごろ、朝鮮の父母のもとに帰った。家には本堂つまの表札と並べて帝国少年新聞社の札を掲げた。[貼雑年譜]
七月
太郎、早稲田大学経済学部予科修了。[貼雑年譜]
九月
太郎、早稲田大学政治経済学部本科に進み、経済学を専攻する。[貼雑年譜]
九月二十五日(木)
太郎の親友、丹下高福が名古屋市で死去。太郎、丹下家から届いた電報の裏に「吃驚落胆」「南無阿弥陀仏」と記す。[貼雑年譜]
[2012年5月16日]
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