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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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細川邸思い出のアルバム。撮影は、昨年4月。タイトルは、とくになし。

20071123a.jpg

かりにタイトルをつけるとすれば、かなりベタではあるが、「諸悪の根源」とでもいったところか。

名張まちなか再生委員会からは、まちなか運営協議会にかんする連絡が、まだこない。あの委員会もやはり、諸悪の根源と呼ばれるべきであろう。

名張市の手にかかると、古い民家であれ、住民による組織であれ、すべてが諸悪の根源と化してしまうのである。

おそるべし名張市。ていうか、大丈夫か名張市。
11月20日、名張市議会の重要施策調査特別委員会が開かれ、平成20・2008年度から三年間の中期財政見通しが明らかにされた。

きのうの日刊各紙地方版でいっせいに報じられたはずだが、ネット上では二紙の記事を読むことができる。

朝日新聞:2010年度12億円超不足 名張市財源
毎日新聞:名張市:財源不足6億5000万円 施設使用料値上げ検討--08~10年度 /三重

ちょっとややこしいが、朝日の見出しでとりあげられているのは、平成22・2010年度には単年度で12億円あまり足りなくなるという、財源不足の見込み額。毎日の見出しでは、基金の取り崩しなどで不足分を補ってもなお、三年間で6億5000万円が不足することになるという試算額が示されている。

いずれにしても、平成22・2010年度末には、ピーク時の平成7・1995年度末に35億円以上あった財政調整基金が、わずか35万円になってしまうらしい。35億が35万か。ほとんど感動的なまでの蕩尽ぶりである。

毎日の記事から引用。

   
市議会重要施策調査特別委員会で、黒岩良信・企画財政部長が明らかにした。市によると、国の「三位一体改革」などの影響で歳入が減少していること に加え、高齢化による扶助費の増大などが原因。歳入と歳出の差額は▽08年度が6億5000万円▽09年度が7億6000万円▽10年度が12億2300 万円--の不足で、退職手当債の発行や基金の取り崩しで対応しても、依然計6億5000万円が足りないという。これに伴い、ピーク時の95年度末に約35 億円あった財政調整基金は10年度末には約35万円にまで落ち込む見通し。

一方、財政健全化緊急対策の数値を具体化したことなどで、財源不足は大幅に改善。さらに今後、市有財産の売却や業務の民間委託を進め、10年度には各公民館や市総合体育館の施設使用料を約10~15%値上げすることなどを検討して財源不足を解消する考え。

「財源不足は大幅に改善」とあるのは、昨年度発表された中期財政見通しとの比較。一年前には、今年度から三年間で21億円の財源が不足するとされていた。それがことしは6億5000万円だというのだから、こうなると、たんなる数字のマジックではないかという気がしてこないでもない。

名張市議会の田合豪議員による委員会報告でも、そのあたりのことはどうもあいまいである。

「名張を本気で変える!!」田合たけしの活動日記:今日の会議の中で

「昨年、市民は21億の財政見通しに不安や危機感を感じたはず。きっちりと、広報で昨年との違いを示し、何故そうなったのかのかも説明責任を果たす」べきであるという田合さんの主張は、ごくまっとうなものであると思える。詳細は、上のリンク先記事で直接お読みいただきたい。

ともあれ、名張市の財政難はきわめて深刻なものである。にもかかわらず、なんのための施設なのかさえはっきりしないまま、細川邸の整備は着々と進行している。これはもう、金もないのに何つくってんの、というしかない事業なのである。異常な事態なのである。

ではここで、細川邸思い出のアルバム。

20071122a.jpg

撮影は、平成17・2005年7月。タイトルは、「発狂した夏」。細川邸のうらっかわ、名張川沿いの道路に面して、こんな看板が掲げられたこともあったのだが、かくも愚かなことしか考えつけない程度の悪い手合いにつけ込まれ、牛耳られ、ひっかきまわされたあげくにどうよ。すべては白紙に戻ってしまい、細川邸は意味もなく、ただ改修されているのである。

大丈夫か名張市。
名張市
朝日新聞:全国石材技能選手権で厚生労働大臣賞
朝日新聞:2010年度12億円超不足 名張市財源
毎日新聞:名張毒ぶどう酒事件:奥西死刑囚弁護団、特別抗告理由を最高裁に説明 /三重
毎日新聞:写真展:わが街、愛する風景 アマ写真家・増岡さん、日常生活題材に--名張 /三重
毎日新聞:名張の斎場移転訴訟:敗訴確定、前市長に2826万円請求--市 /三重
毎日新聞:名張市:市役所10部83室制を見直し 課題多く再び改革、来春から段階的に /三重
毎日新聞:名張市:財源不足6億5000万円 施設使用料値上げ検討--08~10年度 /三重

伊賀市
朝日新聞:新酒初搾り早速店頭に 伊賀・若戎酒造
毎日新聞:イヌセンブリ:絶滅危惧2類、伊賀市内に群生地 武田さんが発見 /三重
毎日新聞:写真展:駆ける電車を追って 上野高同好会、28点展示--伊賀・あすまで /三重
毎日新聞:ブリキのおもちゃ展:懐かしい手触り 伊賀で25日まで /三重
中日新聞:黄や赤のモミジ鮮やか 伊賀の新大仏寺で見ごろ
中日新聞:文化祭を23日に一般開放 上野農業高、農産品格安販売
伊勢新聞:23日に伊賀市VS甲賀市 勝者に陣羽織 手裏剣打ちと綱引きで激突

三重県
毎日新聞:事件・事故24時:窃盗容疑で男2人逮捕 /三重
伊勢新聞:県文化審 博物館整備素案を了承 具体的内容盛り込まず
あーあ。そろそろじれてきたなあ。じれったいじれったい。自慢ではないが気は短い。いらちである。ちんたらしてるやつは蹴り飛ばしたくなる。

11月13日付エントリ「細川邸乗っ取り作戦」に記したとおり、名張まちなか再生委員会の委員長にお会いし、《NPO乱歩と名張》なんてのをつくって細川邸活用の担い手として名乗りをあげたなら、名張まちなか再生委員会はいったいどんなふうに取り扱ってくれるのかな、とおうかがいを立てたのは11月12日のことである。まちなか運営協議会とやらの役員会を開いて検討していただけることになったのだが、以来、いまだに連絡がない。

役員のみなさんがそれぞれお忙しいのであろうことは想像にかたくないのだが、二週間も三週間も連絡がないということになれば、名張まちなか再生委員会をすっ飛ばしてつぎのステップへ進まざるをえない。

現況を確認しておくと、こんなぐあいである。
  • NPOなばり
  • NPO乱歩と名張
《NPO乱歩と名張》はまだ結成されていないのだが、とにかく名張まちなか再生委員会にたいして、こうした図式を示しているのである。細川邸を管理運営するための組織として結成されながら、いまだに活用策を提示できていないNPOなばりのかわりに、新しいNPOが細川邸の活用策を提言することは可能か。その点が、近く開かれるはずのまちなか運営協議会によって検討されることになっている。これが現況である。

しかし、名張まちなか再生委員会そのものが、じつはまったく信をおけない組織なのである。結成以来インチキにインチキを重ね、そのあげく膠着状態におちいって、いまやほとんど機能停止に立ちいたっている組織なのである。名張市考査委員会からも、なんのための組織なのかがあいまいである、位置づけを明確にしろとだめ出しされたような組織なのである。

だから、名張まちなか再生委員会をすっ飛ばしたとしたら、つぎのステップはこうなる。
  • 名張まちなか再生委員会
  • NPO乱歩と名張
この両者が肩を並べる。来年2月には改修が完工する細川邸にかんして、いまだに結論を出すことのできない委員会のかわりに、新しいNPOが細川邸の活用策を提言することは可能か。それを問うことになるはずなのであるが、まだそのステップには達していない、当面は、名張まちなか再生委員会の返事待ちということになる。

ところで、緊急シンポジウムなんていうのはどうであろうか。《NPO乱歩と名張》を結成するために発足させた市民組織《乱歩と名張》と、名張まちなか再生委員会との共催で、細川邸をめぐる緊急シンポジウムを開催し、むろんこの期におよんで手遅れではあるかもしれないけれど、過去の経緯を説明し、現在の状況を報告して、多少なりとも説明責任というものをはたしてみたうえで、細川邸の活用について一般の参加者もまじえて話し合う場がいま、必要ではないかと判断される次第である。

しかし、名張まちなか再生委員会は、とても話を受けてはくれんだろうな。だったら、シンポジウムは無理だとしても、まちなか運営協議会の役員会を早急に開いていただきたい、とこの場でお願いしておきたい。それともうひとつ、細川邸は名張まちなか再生委員会の私物ではないということも、きわめてあたりまえのことではあるが、そんなあったりまえのことさえ理解できていない向きもあるようなので、あえてこの場でお伝えしておきたい。

しかしじれったいなあ。ああ。じれてきたじれてきた。
『名張市史』下巻( 昭和36・1961年)の「第四編 産業」から、『三重県下商工人名録』(明治26・1893年)に記された名張町の「商工人」のうち、榊町のデータを引用。

   
営業種目 屋号 経営者
西洋小間物
岩本源三郎
紙・砂糖・畳表・荒物・薬・運送 小間物屋 岡島新八郎
米・油・肥料 古手屋 池田仁七郎
金物・打刃物 藤川屋 藤本清平
打刃物 鍛冶勘 藤田勘兵衛
材木 短野屋 木村菊松
青物・乾物   山村由右衛門
通運会社
小川松太郎

いまもひきつづいて営業している店は、一軒もない。
撮影は、11月11日午後、小雨があがったあと。路面が濡れている。

20071119a.jpg

場所はここ。北のほうにむかって撮影。



『名張市史』(昭和49・1974年)の「第十三編 地誌」から引用。

   
榊町 『三国地誌』宇流富志禰神社の項に「いま簗瀬に榊町あり、土俗相伝う。神護景雲年中、常陸国より遷幸(鹿島神)の時、先駆〔みさきはらい〕の榊の枝を御鎮座の後この地に衝植えしが、遂に根を生じて繁茂し、近古までその木あり。よって町の名になれりという。昔はこのあたりまで社地にして、俗にいわゆる馬場先なり。故に榊町の入口に大鳥居あり」とある。この伝説は信じがたい。町の形成せられた江戸時代の初期にはこのあたりが名張町のはずれで、江戸中期に書かれた『伊水温故』でもなお榊町は「上野口」となっている。旧鎮守は八阪社。

この町には昔、名張郵便局があった。『角川日本地名大辞典24 三重県』(昭和58・1983年)によれば、開設は明治7・1874年。同18・1885年、本町に移転し、大正8・1919年、ふたたび榊町へ。昭和39・1964年、栄町に移転するまで存続した。

榊町の人口の推移。カッコ内は典拠。
  • 明治05・1872年 194人(名張市史)
  • 昭和55・1980年 171人(角川日本地名大辞典24 三重県)
  • 平成19・2007年 092人(名張市公式サイト、11月1日現在)
榊町に名張郵便局があったころ、その郵便局の前で、東田という写真屋が営業していた。その家の男の子と、名張小学校から名張中学校まで同期だったのだが、その後の消息はいっさい不明である。

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