忍者ブログ
三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
[40] [41] [42] [43] [44] [45] [46] [47] [48] [49] [50]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「名張まちなか再生委員会規約改正(案)」について記すつもりだったのだが、予定を変更する。きのう、名張市公式サイト「市長への手紙」に寄せた質問への回答が届いた。北京五輪より面白い見ものとなるかどうかはわからぬが、そちらのほうを話題とする。

とりあえず、頂戴した回答の全文を転載。

   
中 相作 さま

このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。

「名張まちなか再生プラン」は平成16年6月から平成17年3月にかけて多くの市民の方々で議論され策定されました。
その中で旧細川邸は、旧家の風情を活かして母屋と蔵を改修し主用途を歴史資料館として整備し、また、来訪者の利便に配慮し駐車場、公衆トイレの整備、物販や飲食なども含む多様な市民のニーズに応えるための施設として整備してまいりました。
従いまして、初瀬ものがたり交流館として改修された「やなせ宿」でも名称は「資料館」から、より親しみのあるものへと変わっているものの、プランに盛り込まれた施設整備の基本的な方向について、変更したものではありません。

今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。

平成20年 8月 7日
名張市長 亀井利克

「プランに盛り込まれた施設整備の基本的な方向について、変更したものではありません」とお答えになるしか、選ぶ道はなかったであろう。あらかじめ知れていたことである。

当方が寄せたのはどんな質問であったのか。7月21日付エントリ「おてがみいただきました」に記してある。

7月21日:おてがみいただきました

引用。

   
ご回答ありがとうございました。重ねてお尋ねいたします。次の点にお答えいただければと存じます。

・名張まちなか再生委員会の歴史拠点整備プロジェクトによる変更、すなわち、細川邸を歴史資料館ではなく初瀬ものがたり交流館として整備するという決定は、正当なものと考えるかどうか。

この場合の「正当」は、あくまでも手続き上の問題であるとお考えください。名張まちなか再生プランは、名張地区既成市街地再生計画策定委員会によって素案がまとめられ、市議会重要施策調査特別委員会でその素案が審議されたあと、素案を公開して市民のパブリックコメントも募集したうえで、最終的に決定されたものです。名張まちなか再生委員会の歴史拠点整備プロジェクトは、プロジェクトだけの判断で、つまり、市議会や市民を無視して、プランに重大な変更を加えてしまいました。この変更、すなわち決定は、はたして正当なものであるのかどうか。その点をお訊きしております。

正当なものとお考えでしょうか。そうではないとお考えでしょうか。ご多用中恐縮ですが、よろしくご回答たまわりますようお願いいたします。

2008/07/21

変更が正当なものだったのかどうか、という質問には、「プランに盛り込まれた施設整備の基本的な方向について、変更したものではありません」としか答えようがない。正当であったと認めれば、市民や市議会を無視したことになるのだし、不当であったと認めれば、やなせ宿整備事業そのものを否定することになる。だから、変更などなかった、と苦しいいいわけを選ぶしか道はない。エントリ「おてがみいただきました」には、こうも記しておいた。

   
回答には「歴史資料館と命名するよりも、プランでも述べているように多様な市民ニーズに応えるためにも」うんぬんとあって、歴史資料館から初瀬街道からくり館への変更は許容範囲内のものである、プランの方針を変更したことにはならない、みたいな逃げがこっそり打たれているのであるが、この線でいくら逃げても逃げきることはできないということは、ここで断言しておいたほうが親切というものであろう。いやまあ、この線も何も、この蟻地獄からは逃れようがないと思うのだが。

これがいったいどんな蟻地獄なんだか、一寸刻み五分試し、頂戴した回答に即して、じっくりみてゆくこととしたい。

──「名張まちなか再生プラン」は平成16年6月から平成17年3月にかけて多くの市民の方々で議論され策定されました。

「多くの市民の方々で」なんてのは、どう考えてもうそっぱちであろう。少なくとも名張市公式サイトの「名張地区既成市街地再生計画 名張まちなか再生プラン」をみるかぎり、ごくわずかな数の名張市民と名張市民ではない大学の先生で、というしかないのではないか。

名張市公式サイト:名張地区既成市街地再生計画 名張まちなか再生プラン

「名張地区既成市街地再生計画策定委員会名簿」を転載。

20080808a.jpg

ここにみえる委員のかたは十四人。むろんこれ以外にも、わけのわからんワークショップとかなんやかんやで、プラン策定に携わった人間の数はもう少しカウントできることであろう。しかしそれにしたって、「多くの市民の方々で」ということにはならぬのではないか。いやまあ、多いとか少ないとか、そんな定量性のない形容詞にこだわってみたところでしかたあるまい。そんなことより、どうにもいただけねーなー、と思われるのは、「多くの市民」ということばが隠れみのとして、主体性をあいまいにするための煙幕として使用されている点である。

あらためて確認するまでもないことながら、名張まちなか再生プランの決定にいたるプロセスはどんなものであったかというと、名張地区既成市街地再生計画策定委員会がプランの素案をまとめ、その素案が市議会のチェックと市民のパブリックコメントというハードルをクリアしたあと、最終的に決定されたのである。最終的な決定の責任者は、いうまでもなく名張市長でいらっしゃる。それが証拠に、名張まちなか再生プランの最初のページには、ちゃんと名張市長のお名前が記されているのである。

おかしい。なんかおかしい。念のために名張市公式サイト「名張地区既成市街地再生計画 名張まちなか再生プラン」の第一ページを閲覧したところ、たしかにあったはずの市長のお名前が消えてしまっている。忍者かよ。忍者が煙幕を張って姿を消してしまったのかよ。当該ページのキャプチャ画像がこれ。

20080808b.jpg

名張市公式サイト:名張地区既成市街地再生計画 名張まちなか再生プラン 1

ほんとにおかしいなあ、と思い、手許にある名張まちなか再生プランの現物、A4サイズ三十三ページにおよぶ現物をひっぱりだしてみたところ、やはりお名前があるではないか。当該ページのスキャン画像がこれ。

20080808c.jpg


もちろん、ちょっとした手違いであろう。なにかしら些細なトラブルがあって、名張市公式サイトに掲載された名張まちなか再生プランから市長のお名前が消えてしまったのであろう。消えてしまったのは、まあしかたあるまい。しかし、消えっぱなしではよくない。たとえば、このページには、

「最後になりましたが、『名張まちなか再生プラン』の策定にあたりまして、格別のご尽力をいただきました策定委員会委員やワークショップ委員の皆さま、貴重なご意見をお寄せいただきました市民の皆さまに心から感謝申し上げます」

と記されているのだが、いまのままではどなたが礼を述べていらっしゃるのか、それがさっぱりわからんではないか。謝辞の主体が不明である。こんなことではいかんであろう。だから名張市役所のみなさんや、このブログをご閲覧の名張市役所のみなさんや、連日のご愛読に深甚なる謝意を表する次第であるが、そんなことはともかくとして、どなたでも結構だから庁舎内のしかるべきセクションに連絡して、名張市公式サイトの当該ページにしかるべく修正が加えられるよう、よろしくご手配をいただければ幸甚である。

とんだ余興で時間を取られた。先に進もう。

それでまあ、名張まちなか再生プランが「多くの市民の方々で議論され策定され」たものであったとしても、その策定されたプランがろくでもないものであったということは、7月18日付の回答において名張市長もすでにお認めのところである。

7月21日付エントリ「おてがみいただきました」から、全文を転載。

   
中 相作  さま

このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
メールサーバの障害により回答が遅くなり、お詫び申し上げます。

名張まちなか再生プランでは、確かに歴史資料館として整備することについて述べております。
その後、プランの具体化の為に設けられたまちなか再生委員会内の歴史プロジェクトで議論をするなかで、主用途としていた歴史的な資料の展示には新たに展示館の建設が必要になることや、管理体制等の課題が浮上してきたことなどもあり、歴史資料館と命名するよりも、プランでも述べているように多様な市民ニーズに応えるためにも物販や飲食なども含む、複合的な利用が可能な施設とすることとなり、既存建造物である町屋を活用した「初瀬ものがたり交流館」として、訪れた人への観光案内や、地域の人との交流を通じ、まちなかの情報発信拠点として施設活用を図り、もって既成市街地の魅力の創出に貢献していく施設として位置づけをしたものです。
今後、やなせ宿として多くの人が本施設を訪れ、まちなかの魅力を高める拠点施設になっていくことを目指すものです。

今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。


平成20年7月18日

名張市長 亀井利克

「主用途としていた歴史的な資料の展示には新たに展示館の建設が必要になることや、管理体制等の課題が浮上してきた」という文言は、名張まちなか再生プランに重大な不備があったことを明示している。「多くの市民の方々で議論され策定されました」という名張まちなか再生プランは、中心的課題であったはずの細川邸の整備にかんして、きわめて重大な不備を有するプランであったということが、ここに歴然と語られているのである。

それにしても、腰が抜けそうになる話ではある。「歴史的な資料の展示には新たに展示館の建設が必要になる」なんてのは、しごくあたりまえの話ではないか。どこの世界に、資料を展示しないですむ歴史資料館があるというのか。「管理体制等の課題が浮上してきた」などというのもちゃんちゃらおかしい。どこの世界に、管理体制のことを考えなくてすむ歴史資料館があるというのか。名張地区既成市街地再生計画策定委員会のみなさんは、いったい何を考えておったのだまったく。何も考えてなどおらなかったのであろうが、それにしても腰が抜けそうになるではないか。

炎熱のさかりの蟻地獄絵巻、つづきはあしたのこととなる。
PR
7月30日の名張まちなか再生委員会役員会で配付された「名張まちなか再生委員会規約改正(案)」のコピーを入手した。経緯は8月4日付エントリのコメントで確認されたい。

8月4日:人間豹が殺気立ってる

昨日付コメント「殺気立つばかりの規約改正案についてひとこと」にも記したとおり、この規約改正案はつかいものにならぬ。けさも殺気立ってる人間豹が、鬼の気合で批判を加える。

名張まちなか再生委員会がどうして、いまごろになって、規約や組織の抜本的な見直しを進める気になったのか、それは知らない。なんらかの事情で、みずからの存在をオーソライズしておく必要が生じた、ということなのかもしれない。だとしたら、規約改正案には、オーソライズのための視点というやつが欠落している。

オーソライズするためには、そもそも名張まちなか再生委員会がなんのための組織なのか、その点を明確にしておく必要がある。委員会がはたして必要なのかどうか、それをはっきりさせておく必要がある。むろん、答えならとっくに出ている。なんのための組織なのかは、きわめてあいまいである。それが現時点での答えである。これは当方ひとりの見解ではなく、昨年10月に提出された名張市考査委員会の事務事業評価報告書でも、つぎのとおり指摘されていたところである。

・「まちなか再生委員会」の位置づけが不明確であり、責任主体の明確化が必要である。

名張まちなか再生委員会の位置づけがなぜ不明確なのか。いうまでもない。委員会を発足させた名張市が、表面的な体裁を整えることだけに終始していたからである。協働がどうのこうのと熱に浮かされたようなことを口走り、本質的な問題をまったく顧慮することなく、というか、名張市にはそんなことを顧慮するための知識も見識もないのであるが、要するに、例によって例のごとく、うわっつらだけをとりつくろって名張まちなか再生委員会を発足させた。明確な位置づけもくそもあるものか。ひらがな二文字で表現するなら、あほなのである。ひらがな三文字でいえば、まぬけなのである。ひらがな四文字ならば、すかたんであろうか。とにかくひどいものである。明確な根拠も目的もなく、その場しのぎの思いつきで組織されたものでしかない名張まちなか再生委員会が、いまさら何を血迷って規約や組織の見直しに走ったのか。先述のとおり、それは知らない。

したがって、規約や組織を抜本的に見直すというのであれば、まず要求されるのは、「殺気立つばかりの規約改正案についてひとこと」にも記したとおり、名張市の認識を再確認することである。いや、再確認なんかではないであろう。これまでにただのいちども確認なんかしたことがないのだから、委員会発足後三年を経過してはじめて、組織の根幹にかかわる確認をおこなうことになる。すなわち、名張市は名張まちなか再生委員会をどのように位置づけているのか、名張市にとって名張まちなか再生委員会とはいったい何か、それを明晰に規定してもらうことが先決である。名張市にそれを要求することが先決なのである。委員会の内部だけでいくら規約改正案を練ってみたところで、そんなのは泥土のうえに家を建てているようなものである。まったくの無駄である。やめといたら?

以上が結論である。これで終わってもいいのだが、愛想がなさすぎるかもしれないので、もう少しつづける。

ここで、現在の規約に眼を通しておくことにする。

名張市公式サイト:名張まちなか再生委員会規約

ページの末尾に記されているとおり、この規約は平成17・2005年の委員会発足総会で正式に承認され、翌年の総会で一部に修正が加えられた。この修正について、少しだけ確認しておく。

まず、参与にかんする規定が新たに加えられた。

   
(参与)
第4条 委員会は、必要に応じて若干名の参与を置くことができる。

どうして参与が必要になったのか。おそらく、退任した名張まちなか再生委員会の初代委員長が委員会の役員としてとどまりつづけるための措置であろう。初代委員長がなぜ退任するにいたったのか、事情は明らかではないが、巷間ひそかにささやかれているところによれば、当方が委員長をいいだけいじめ倒したからであるという。冗談ではない。いじめ倒したおぼえなどない。委員会のやってることがあまりにも無茶苦茶だから、委員長にお会いして、いやまあ、お願いしてもなかなかお目にかかれなかったのだが、それでもなんとか拝眉の機というやつを頂戴して、理非曲直をただしただけの話である。ともあれ、初代委員長はいまも役員会で参与を、まちなか運営協議会では相談役をお務めである。委員長引退後も、まちなか再生のため何かとご尽力をいただいているようである。小判鮫のご隠居、とお呼びしているゆえんである。

また、役員会の規定にも新たな項目が加えられた。

   
(役員会)
第6条 委員会の活動を円滑に運営するため、役員会を設置する。
2 役員会が行う活動は次のとおりとする。
(1)名張まちなか再生プラン全体の執行管理に関すること。
(2)再生整備プロジェクト全体の活動、事業調整及び推進に関すること。
(3)再生整備プロジェクトの事業間調整に関すること。
3 役員会は、必要に応じて専門部会等を置くことができる。

三番目の条項が新しく設けられ、これによって、役員会が密室のなかの独断で「専門部会等」を設置できることになった。専門部会というのは、具体的にいえばNPOなばり実行委員会のことである。やなせ宿にかんする権限をごく少数の人間が一手に掌握し、好きなように運営するための組織である。ただし、このNPOなばり実行委員会はすでに解散しており、現在はその代替組織として発足したまちなか運営協議会、すなわち小判鮫軍団が、やなせ宿を好きなように運営している。

そんなこんなで、平成18・2006年の総会でおこなわれた規約改正は、煎じつめていってしまえば、細川邸をごく一部の人間が私物化するためのものであった。昨年、住民監査請求をおこなうために規約をチェックしてみたところ、おととしの総会でこんなインチキな規約改正がおこなわれていたことが判明した。規約が抱えている重大な不備にはいっさい眼を向けず、細川邸を私物化するためだけに都合よく規約に手を加える。そんなインチキばかりかましてきたのが名張まちなか再生委員会ではないか。いまさら何が抜本的見直しだ。何が規約改正だ。まったくの無駄である。やめといたら?

以上、また結論にいたってしまった。だいたいがもう、規約の改正なんてことには意味がないのである。それ以上に、名張まちなか再生委員会そのものに意味がないのである。とっとと解散しろこら。

しかしまあ、ご参考までに、ということもある。あすは規約改正案の具体的な文面をお知らせすることにする。
きのう、愛知県からお客さんがあった。

愛知県では現在、全五十八巻におよぶ県史の編纂刊行が進められている。

愛知県公式サイト:県史編さん室

なかに『文化編』という巻があって、県史としてはあまり例のない試みらしいのだが、愛知県ゆかりの近代文学者による、愛知県にかかわりのある作品を収録して、一巻を編むことになっているという。となると、乱歩は三歳から十八歳までを名古屋で過ごしているのだから、当然、作品収録候補作家ということになる。その資料調査のため、愛知県史編さん委員会近現代史社会文化部会の調査執筆委員のかたと、愛知県総務部法務文書課県史編さん室の職員のかた、このおふたりがきのう、わざわざ名張市立図書館まで足を運んでくださったのである。ただし、市立図書館は乱歩にかんしてまったく無知だから、いわゆる対応ってやつがまるでできない。

そのため、今年3月末で図書館とおさらばした当方に、お鉢がまわってきたという寸法である。愛知県総務部長名義の7月28日付資料調査協力依頼書も頂戴した。なのできのうの朝、近鉄名張駅までおふたりをお迎えにあがり、名張市立図書館、清風亭、江戸川乱歩生誕地碑広場整備予定地、名張シティホテル一階ぐりーんどろっぷ、さらに市立図書館、そして名張駅、とご案内して、所期の目的を果たしていただいた。十全であったかどうかはわからぬが、まあある程度、果たしていただけたのではないかと思う。

『文化編』収録の乱歩作品にかんしては、愛知県を舞台にした短篇小説、なんて都合のいいものがあれば話は早いのだが、あいにくそんなものは存在しない。愛知県とのゆかりをあえて付会するならば、たとえば名古屋の大須ホテルの便所に初稿が捨てられた「押絵と旅する男」が考えられる。作品の質にも問題はない。乱歩の、というよりは昭和を代表する短篇小説である。だからといって、いってみればどこでだって読めるそんな作品を、わざわざ愛知県史の一巻に収録する必要があるのかどうか、ということにはなるであろう。

そこで、小酒井不木との合作小説「ラムール」はどうか、と提案しておいた。ごく短い作品で、末尾には乱歩のこんな註記がある。

   
(この一篇は名古屋の小酒井さんのお宅で、前半を私が後半を小酒井さんが、その場で書き上げた合作である。思出のよすがにのせておく)

それこそこの文章をよすがとすれば、「ラムール」は名古屋ゆかりの小説ということになるはずである。初出誌の「騒人」なんて名張市立図書館は所蔵していないので、初刊の『悪人志願』から「ラムール」をコピーして、お持ち帰りいただいた。「新青年」の誌面からは、「押絵と旅する男」や「亡き小酒井不木氏を偲ぶ」のコピー、厳密にいえば復刻版のコピーのコピーなんかもお持ちいただいた。

随筆では、「乱歩打明け話」や「旅順海戦館」をはじめとして、名古屋が登場する作品は少なくない。『文化編』収録作品は昭和20・1945年までに発表されたもの、という規定が設けられているそうなので、昭和34・1959年の「国家ごっこ」あたりも面白いのだが、残念ながら対象とはならない。しかし、随筆の収録作品にはことかかないはずである。

あと、『貼雑年譜』にみえる名古屋関連の記述を活字に起こし、地図を図版で添えるのも一興だと思われる。東京創元社版『貼雑年譜』の関連ページを写真撮影していただいた。ちなみに調査執筆委員のかたは、立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センターにも調査にいらっしゃったそうで、乱歩が名古屋時代に発行した「中央少年」のコピーも入手されたとのことであった。

愛知県史の『文化編』に乱歩作品が収録されるのかどうか、それはまだわからないし、収録されたとしても、刊行は三年ほど先のことになるらしい。乱歩ファンは気長にお待ちいただきたい。

さて、問題は名張市である。名張市はいったいいつまで、こんなばかみたいな状況を放置しておくのか。館内に江戸川乱歩コーナーを開設し、乱歩関連資料の収集に長く努めてまいりました、という名張市立図書館が、乱歩にかんする問い合わせや照会にまともにこたえることができないのである。名張市立図書館にはもはや、乱歩の看板をおろしてしまうしか選ぶ道がないのではないか。

ほんと、どうする気? みたいなことは、いずれ名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して、名張市長にはっきり白黒をつけていただくつもりである。きっちり落とし前をつけていただくつもりである。とはいうものの、7月21日に「市長への手紙」として送信した質問に、いまだ回答を頂戴できていない。

・名張まちなか再生委員会の歴史拠点整備プロジェクトによる変更、すなわち、細川邸を歴史資料館ではなく初瀬ものがたり交流館として整備するという決定は、正当なものと考えるかどうか。

こんな質問であったのだが、いったいどうなっているのかな。まーたサーバーの不調なのかな。
けさはそれほど暑くない感じがする。だからあんまり殺気立ってないような気がする。ごく穏当な話題として、名張まちなか再生委員会からのお知らせをひとつ。無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館with小判鮫のロゴマークが決定した。

名張市公式サイト:名張市旧細川邸やなせ宿「ロゴマーク」選考結果

これである。

20080805a.jpg

このロゴマーク、いったいどこが募集したのか。たぶん名張市である。選考に携わったのは、まちなか運営協議会である。まちなか運営協議会というのは、地域社会の害虫たる名張まちなか再生委員会からスピンオフした組織で、さしずめまあ、小判鮫軍団、といったところか。6月1日の名張まちなか再生委員会総会で配付された資料によれば、顔ぶれはこんなん。

20080602e.gif

まちなか運営協議会というのは、どうやら名張まちなか再生委員会にとっても不可侵の領域であるらしく、6月1日の総会においても、協議会について、あるいはやなせ宿について、協議はいっさいおこなわれなかった。紙きれ一枚に「施設管理、企画運営を受託し、名張市旧細川邸『やなせ宿』の施設管理を行う」と記し、名簿を添えただけの報告資料とやらを配付して、それでおしまいであった。この協議会の規約もいずれいいかげんなしろものであろうと推測されるのだが、委員会の規約と足並みをそろえて見直しが進められている、という話は聞かない。なにしろ不可侵である。他者の介入を許さず、他者には何も明らかにしない密室のなかで、小判鮫軍団がいったい何をたくらんでいるのか、一般市民には、いやいや、名張まちなか再生委員会の委員にさえ、知りようがないのである。

ところで、この無駄に立派な以下略のやなせ宿は、先日頂戴した「市長への手紙」の回答、すなわち、名張まちなか再生プランでは細川邸を歴史資料館として整備することが決まっていたのに、名張まちなか再生委員会がそれを初瀬ものがたり交流館に変更したのはなぜ? という質問への回答には、こうあった。

   
名張まちなか再生プランでは、確かに歴史資料館として整備することについて述べております。
その後、プランの具体化の為に設けられたまちなか再生委員会内の歴史プロジェクトで議論をするなかで、主用途としていた歴史的な資料の展示には新たに展示館の建設が必要になることや、管理体制等の課題が浮上してきたことなどもあり、歴史資料館と命名するよりも、プランでも述べているように多様な市民ニーズに応えるためにも物販や飲食なども含む、複合的な利用が可能な施設とすることとなり、既存建造物である町屋を活用した「初瀬ものがたり交流館」として、訪れた人への観光案内や、地域の人との交流を通じ、まちなかの情報発信拠点として施設活用を図り、もって既成市街地の魅力の創出に貢献していく施設として位置づけをしたものです。
今後、やなせ宿として多くの人が本施設を訪れ、まちなかの魅力を高める拠点施設になっていくことを目指すものです。

「訪れた人への観光案内や、地域の人との交流を通じ、まちなかの情報発信拠点として施設活用を図り、もって既成市街地の魅力の創出に貢献していく施設として位置づけをした」という位置づけそのものは、初瀬ものがたり交流館という構想がやなせ宿に変更されてしまったいまも、そのまま生きていると判断すべきであろう。

観光案内、交流、情報発信、魅力創出、と並べられたテーマが達成されつつあるのかどうかはわからぬが、やなせ宿はまちなかの情報発信拠点です、というのであれば、ちゃんと自前のサイトも開設しているのだから、やなせ宿のロゴマークが決定しました、くらいの情報はやなせ宿公式サイトで発信してもいいのではないか。ワンデイシェフのメニューだけ紹介してればそれでいい、というものでもないであろう。そもそも、公式サイトのどこを探してもロゴマークが見あたらないなんてことでは、応募してくれた八人の市民に失礼ではないか、という話にもなってくる。さあどうする小判鮫軍団。どうするどうする。思案にあまるようなら、小判鮫のご隠居に相談してみるという手もあるぞ。
暑い。きょうも暑い。朝からじわーっと暑い感じである。早くも殺気立ってきている。地域社会の害虫、名張まちなか再生委員会の話題となる。

6月1日、名張まちなか再生委員会の総会に出席し、役員改選にさいして委員長に立候補しようとした。できなかった。仔細は6月5日付エントリに記した。

6月5日:再生委員会総会落胆傷心図

引用。

   
6月1日、名張市役所一階大会議室、名張まちなか再生委員会総会、議案第二号「役員改選(案)について」。

当然のことだが、役員会で事前に案がまとめられていた。総会では、それを承認するだけのシャンシャン議案として扱われる。提出された役員改選案がこれ。
 
20080605a.gif

この案がシャンシャン承認されそうになったところで、発言の許可を求め、委員長に立候補はできないのか、と質問した。議長から、規約には立候補のことが明記されていない、との回答があった。その規約の条文を朗読していただきたい、と依頼した。委員長は委員の互選によって選ばれる、といった意味の条文が朗読された。委員の互選というのだから、委員の立候補を受けて投票で委員長が決められることになっても、なんら差し支えはあるまい。規約の条文をそのように解釈することは、牽強付会でも我田引水でもないはずである。いったいどうなるのか、と質した。

委員長から、それならばいまから前に出て、立候補にあたっての弁を述べてみてはどうか、との提案があった。おかしな話である。立候補にかんする明確なシステムが存在していない場で、立候補もどきの演説ごっこをかましてみても意味はない。だから断った。すると委員長から、委員会の規約にはたしかに不備が多く、総会が終わったら規約や組織の抜本的な見直しをおこなうことになっている、との説明があった。だからきょうのところは、この改選案をお認めいただけないか、との申し出があったので、この場ではこれ以上のことは求めない、とそれを了承した。

そんなこんなで、名張まちなか再生委員会の規約や組織の抜本的な見直しが進められるはずなのであるが、総会から二か月が経過したというのに、例によってちんたらしている。あいかわらずちんたらしている。7月30日の役員会で規約の見直しが協議されたらしいのだが、じつにちんたらしているようである。

7月31日:役員会から一夜あけた朝に > 役員会報告

この報告には、役員会で規約改正案が示されたものの、「規約案はあくまでも土台となるもので、完成品になるまでにはまだまだ時間がかかりそうです」とある。たぶん、無理だと思う。名張まちなか再生委員会には、首尾一貫した規約を制定する能力なんかないはずである。しかしまあ、かりに規約が改正されたとしよう。どうなるのか。

困ったことになる。まず名張市が困ったことになる。そもそも規約をつくったのは誰なのか。名張市である。名張市が三年前、名張まちなか再生委員会を発足させるにさいして、不備だらけの規約を制定したのである。不備が多いことは、6月1日の総会で委員長もお認めであった。だから抜本的な見直しが必要だとされている。つまり、規約を改正することはそのまま、名張市があほであったという事実を委員会が公式に証明してしまうことなのである。むろんそんなのは周知の事実というやつなのであるが、ここで問題となるのは、名張市はどうしてそんな不備だらけの規約をつくったのか、そんなものしかつくれなかったのか、ということである。その点が検証されなければならない。これは名張市の問題である。ここで的確な検証が進められなければ、名張市はおなじあやまちをくり返しつづけることになる。

名張まちなか再生委員会も困ったことになる。いまさらこんなことが問題になるのはいかにも手遅れなのであるけれど、問題にならないよりはまだましであろう。つまり、そんな不備だらけの規約しかもってないようないいかげんな委員会、はたして組織として大丈夫なのかよ、ということが問題となる。そんな組織が決定したことを、正当なものと認めていいのかどうか。そんな組織が決定したことにもとづいて、だいじな税金をつかってしまってよかったのかよ、ということである。その点も検証されなければならない。委員会がみずから検証しなければならない。たとえば、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館with小判鮫のやなせ宿。あのやなせ宿の整備は完全な失敗であった。当方にはそのように判断される。では、名張まちなか再生委員会はどう判断するのか。規約の改正にあたっては、そうした検証が要求される。検証の結果が、新たな規約に反映されていなければならない。

つまり、名張まちなか再生委員会が現在の規約の抜本的見直しをおこない、不備を十全に補った新たな規約を制定したとしたら、委員会はそれまでにやってきたことを公式に否定することになるはずなのである。不備な規約にもとづいて協議し、決定してきたことのすべてを、みずから否定してしまうことになるはずなのである。規約の改正がどこまで踏みこんでなされるのか、それはわからない。現時点では不明である。しかし、規約や組織を抜本的に見直すという以上、小手先の応急処置で済む話ではないはずである。済ませてはいけないはずである。

とはいうものの、先述のごとく、名張まちなか再生委員会には首尾一貫した規約をつくることなどできないであろう。委員会は何を目的としているのか、名張市との関係はどうなっているのか、そういった根本的な問題を考えることなど、あの委員会にはとても無理だと思われる次第であるが、どうやら規約改正の叩き台らしきものはできあがっているようだから、その叩き台からじっくり叩きつぶしてやることとしたい。ところが、その叩き台とやらはどうすれば手に入るのか、それがわからぬ。一般の委員には、叩き台は示されぬということなのか。よく考えてみたならば、名張まちなか再生委員会の委員と呼ばれる人間がどれくらい存在しているのか、正確な数字を把握している人間はひとりもいないというのだから、委員全員に叩き台を示すことなんて、あの委員会はまったく考えておらんのかもしれんなあ。殺気立つなあ。殺気立つ殺気立つ。ほんとに殺気立ってくるよなあ。

それはそれとして、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館with小判鮫を知の殿堂に生まれ変わらせるやなせ宿連続講座やなせ塾の第三回と第四回は、先日も記したとおり、話が役員会から歴史拠点整備プロジェクトに差し戻されたということなのであるが、かんなくずの親分はいったいどうするつもりなのであろうか。プロジェクトの会議がまた召集されることになるのかもしれぬが、そろそろかんなくずの親分には荷が重くなってきているのかもわからない。そろそろ出番なのかもしれんなあ。殺気立った人間豹の出番なのかもしれんなあ。やたら暑いからあんまり出たくはないんだけどなあ。

Copyright NAKA Shosaku 2007-2012