忍者ブログ
三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
[605] [604] [603] [602] [601] [600] [599] [598] [597] [596] [595]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

けさはそれほど暑くない感じがする。だからあんまり殺気立ってないような気がする。ごく穏当な話題として、名張まちなか再生委員会からのお知らせをひとつ。無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館with小判鮫のロゴマークが決定した。

名張市公式サイト:名張市旧細川邸やなせ宿「ロゴマーク」選考結果

これである。

20080805a.jpg

このロゴマーク、いったいどこが募集したのか。たぶん名張市である。選考に携わったのは、まちなか運営協議会である。まちなか運営協議会というのは、地域社会の害虫たる名張まちなか再生委員会からスピンオフした組織で、さしずめまあ、小判鮫軍団、といったところか。6月1日の名張まちなか再生委員会総会で配付された資料によれば、顔ぶれはこんなん。

20080602e.gif

まちなか運営協議会というのは、どうやら名張まちなか再生委員会にとっても不可侵の領域であるらしく、6月1日の総会においても、協議会について、あるいはやなせ宿について、協議はいっさいおこなわれなかった。紙きれ一枚に「施設管理、企画運営を受託し、名張市旧細川邸『やなせ宿』の施設管理を行う」と記し、名簿を添えただけの報告資料とやらを配付して、それでおしまいであった。この協議会の規約もいずれいいかげんなしろものであろうと推測されるのだが、委員会の規約と足並みをそろえて見直しが進められている、という話は聞かない。なにしろ不可侵である。他者の介入を許さず、他者には何も明らかにしない密室のなかで、小判鮫軍団がいったい何をたくらんでいるのか、一般市民には、いやいや、名張まちなか再生委員会の委員にさえ、知りようがないのである。

ところで、この無駄に立派な以下略のやなせ宿は、先日頂戴した「市長への手紙」の回答、すなわち、名張まちなか再生プランでは細川邸を歴史資料館として整備することが決まっていたのに、名張まちなか再生委員会がそれを初瀬ものがたり交流館に変更したのはなぜ? という質問への回答には、こうあった。

   
名張まちなか再生プランでは、確かに歴史資料館として整備することについて述べております。
その後、プランの具体化の為に設けられたまちなか再生委員会内の歴史プロジェクトで議論をするなかで、主用途としていた歴史的な資料の展示には新たに展示館の建設が必要になることや、管理体制等の課題が浮上してきたことなどもあり、歴史資料館と命名するよりも、プランでも述べているように多様な市民ニーズに応えるためにも物販や飲食なども含む、複合的な利用が可能な施設とすることとなり、既存建造物である町屋を活用した「初瀬ものがたり交流館」として、訪れた人への観光案内や、地域の人との交流を通じ、まちなかの情報発信拠点として施設活用を図り、もって既成市街地の魅力の創出に貢献していく施設として位置づけをしたものです。
今後、やなせ宿として多くの人が本施設を訪れ、まちなかの魅力を高める拠点施設になっていくことを目指すものです。

「訪れた人への観光案内や、地域の人との交流を通じ、まちなかの情報発信拠点として施設活用を図り、もって既成市街地の魅力の創出に貢献していく施設として位置づけをした」という位置づけそのものは、初瀬ものがたり交流館という構想がやなせ宿に変更されてしまったいまも、そのまま生きていると判断すべきであろう。

観光案内、交流、情報発信、魅力創出、と並べられたテーマが達成されつつあるのかどうかはわからぬが、やなせ宿はまちなかの情報発信拠点です、というのであれば、ちゃんと自前のサイトも開設しているのだから、やなせ宿のロゴマークが決定しました、くらいの情報はやなせ宿公式サイトで発信してもいいのではないか。ワンデイシェフのメニューだけ紹介してればそれでいい、というものでもないであろう。そもそも、公式サイトのどこを探してもロゴマークが見あたらないなんてことでは、応募してくれた八人の市民に失礼ではないか、という話にもなってくる。さあどうする小判鮫軍団。どうするどうする。思案にあまるようなら、小判鮫のご隠居に相談してみるという手もあるぞ。
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
メールアドレス
URL
コメント
パスワード
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:

Copyright NAKA Shosaku 2007-2012