忍者ブログ
三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
[34] [35] [36] [37] [38] [39] [40] [41] [42] [43] [44]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

やなせ宿でこんな催しがスタートした。主催はまちなか運営協議会。

毎日新聞:伊勢湾台風被害写真展:土砂で埋まった街並--30日まで、名張・やなせ宿 /三重(9月20日)

そのやなせ宿の公式サイトにメールを送信した。文面はつぎのとおり。

   
辻本武久様

お世話さまです。9月5日にメールをお送りし、つぎの二点についてお訊きしました。

(1)やなせ宿公式サイト「9月度・主催イベント情報」に、9月15日の「よってだ~こ各号店手作り合同作品展」の案内が掲載され、主催団体として名張地区まちづくり推進協議会などの名があげられている。まちなか運営協議会の主催事業ではないイベントが、やなせ宿公式サイトで「主催イベント」として告知されるのは、明らかに不当なことと判断されるが、これを正当なものと認めるかどうか。

(2)やなせ宿公式サイト「やなせ宿とは」に、やなせ宿は「観光交流センターとして位置づけされた」と明記されているが、名張市公式サイト「市長への手紙」で確認したところによれば、やなせ宿は歴史資料館を主たる用途として整備された、というのが名張市長の主張である。やなせ宿整備の経緯に照らして判断すれば、この市長の言は虚偽であるというしかないが、これを虚偽と認めるかどうか。

お答えはいただけないものと判断してよろしいでしょうか。とりいそぎその点を確認いたしたく思います。

(a)回答する
(b)回答しない

(a)か(b)かのいずれかでお答えをたまわりたく、ご多用中恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

2008/09/21

やなせ宿運営の根幹にかかわる質問である。

名張市長から頂戴した9月18日付回答には、「まちなか運営協議会が現在行っている管理運営は施設整備の当初の目的から勘案しても不適切であるとは考えておりません」とあったが、市民から寄せられた重要な質問に回答しようとしないのは、やなせ宿の運営主体として不適切な態度だと判断せざるをえない。

不合理なことや理不尽なことを尋ねているわけではない。ごくまっとうな質問である。不合理であり理不尽であるのは、どう考えたってまちなか運営協議会であり名張まちなか再生委員会であり、さらにいってしまえば名張市なのである。

ともあれ、返答くらいしてやれよ、と思う。返答するのかしないのか、その返答くらいしてやれよ。
PR
諸羽流正眼崩し胡蝶の舞、きのうのつづき。さっそく舞う。

名張市長にたいする質問の二点目はこれであった。

・現在、やなせ宿の運営はまちなか運営協議会に委託されているが、その運営内容は、当方の直接の知見においても、新聞報道においても、やなせ宿公式サイトから知られるところにおいても、歴史資料館を主用途とした施設にはおよそふさわしくないものといわざるをえない。適切な運営のためには行政による指導が必要であると判断されるが、指導する考えはあるか。また、やなせ宿の運営をまちなか運営協議会に委託している根拠は何か。

回答を引用。

・2点目のまちなか運営協議会の適切な運営のため、行政による指導の考えがあるのかどうかとの質問や、やなせ宿の運営をまちなか運営協議会に委託した根拠についてのお尋ねですが、まちなか運営協議会は、当面は、やなせ宿の管理運営をしつつ、ゆくゆくは既成市街地のまちづくりを担っていこうとして名張まちなか再生委員会から生まれた組織です。

質問に記した「やなせ宿の運営をまちなか運営協議会に委託している根拠」、それについて述べられている。一般的には、こうした場合、つまり自治体が公共施設の運営を民間団体に委託した場合、この団体にはこういう実績があるとか、この団体は運営コストをこれだけに抑えるとか、明確な根拠を示すことが求められる。しかし、それが示されない。回答に記されている根拠らしきものは、まちなか運営協議会が「名張まちなか再生委員会から生まれた組織です」ということだけである。

いうまでもないことだが、まちなか運営協議会は名張まちなか再生委員会の下請け組織ではない。名張市はあくまでも、まちなか運営協議会に直接、やなせ宿の運営を委託している。委託するにあたっては、当然それなりの根拠があるはずである。なければならない。名張まちなか再生委員会から生まれた、などというのはなんの説明にも証明にもならない。しいていえば、名張市がずぶずぶなあなあの癒着構造を全面的に支持している、という事実の証明にはなるであろうが。

しかも、その名張まちなか再生委員会はどんな状態にあるのか。多言は要さぬ。あの委員会が現在、規約や組織の抜本的な見直しとやらを進めているという一事だけをとっても、委員会の現状は容易に察しがつくであろう。それが現実というものである。そうした現実にいっさい眼をむけようとせず、その委員会から「ゆくゆくは既成市街地のまちづくりを担っていこうとして」生まれたものでございます、などといってみたところで、そんなことばには寝言やうわごと以上の重みはあるまい。

・そうした経緯により、現在やなせ宿の管理運営をまちなか運営協議会に荷っていただいております。また、まちなか運営協議会への指導ということですが、まちなか運営協議会が現在行っている管理運営は施設整備の当初の目的から勘案しても不適切であるとは考えておりません。

「そうした経緯」とはどういう経緯か。まちなか運営協議会は名張まちなか再生委員会から生まれました、というただそれだけの経緯か。こんな説明では、人を納得させることなどとてもできない。これまでの経緯というのであれば、名張まちなか再生委員会発足以来きょうまでのプロセスをきちんと精査したうえで、経緯なることばを使用すべきであろう。

・プランでも、歴史資料館(現存していた建物中の保存状態の良いものをできるだけ当時の状態を保つよう改修した建物そのものが歴史資料館になりうる)として整備し、多様な市民ニーズに応えるため物販や飲食も含む複合的な利用も可能なものとすることも述べています。また施設の紹介でも、ほとんどの部屋で、展示もおこなえるとしていることからも、呼び方や表現の違いがあっても、やなせ宿の施設をできるだけ多くの人に利用していただき、まちなかの再生の拠点施設にしていくために、努力していただいておりますことをご理解頂きますと共に、出来上がった本施設のよりよい利用に建設的なご協力を頂きますようお願い申し上げます。

これはいったいなにか。「現存していた建物中の保存状態の良いものをできるだけ当時の状態を保つよう改修した建物そのものが歴史資料館になりうる」とはなにごとか。いいわけにしても苦しすぎる。現状保存に意を用いて古い建物を改修すれば、それだけで歴史資料館になりうる? そんな歴史資料館がどこにあるというのか。資料収集に努めもせず、常設展示も企画展もおこなわず、学芸員を配置することもなく、ただ古い建物を昔のままに改修しただけの歴史資料館などというものが、いったいどこに存在するというのか。

ひきつづく説明も、意味が不明である。そもそもこちらは、やなせ宿における物販や飲食を中止せよ、などとは一度もいっていない。好きにすればよかろう。ただし、やなせ宿が歴史資料館を主用途として整備されたというのであれば、物販や飲食のほかに、主用途たる歴史資料館としての運営が進められているはずである。だが、実際には、そんな運営はまったくみられない。ゆえに、歴史資料館という主用途を無視してやなせ宿の運営をつづけるまちなか運営協議会は、施設の運営団体としてあまりにも不適格である。そういう結論になるのが当然であり、市民が行政指導を要請するのもまた当然の話である。

要するに、こちらが求めているのは主用途にかんする説明である。それがいっさいない。主用途ならぬ副用途の説明ばかりである。物販や飲食もよかろう。部屋を展示用に貸し出すのもよかろう。できるだけ多くの人に利用してもらうのも結構なことである。まちなかの再生の拠点施設にするのもまことに結構なことである。しかし、こちらは、主用途にかんする説明を求めている。その点にいっさいふれることなく、ただご理解だのご協力だのを要請するだけでことを済ませているのは、いったいどういう料簡なのか。

正直、大丈夫か、という気がする。しかし、あいにくなことに人間豹である。血も涙もないのである。ただでさえ血も涙もない人間豹が、正直さや誠実さのかけらもないいいわけ、いいのがれ、いいつくろいを眼にして、鉤爪をといでいるのである。これからいったいどうなるのかな。
人間豹刺止鉤爪、というカテゴリを新設した。にんげんひょうとどめのかぎづめ、とお読みいただきたい。そろそろとどめに入ろうか、といったところである。

ブログ開設一周年を迎え、来し方を回顧し行く末を展望する「開設一周年を迎えて」の続篇をつづるつもりでいたのだが、昨日、名張市公式サイト「市長への手紙」に寄せた質問への回答を頂戴した。それを話題とする。

質問はこんなんであった。

   
ご回答ありがとうございました。当方の質問がやや具体性を欠いておりましたので、不備を補ったうえであらためてお尋ねいたします。関連して、別の質問も提出いたします。次の二点となります。よろしくお願いいたします。

・名張まちなか再生プランには、旧細川邸を歴史資料館として整備し、「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」と明記されている。歴史資料館を主たる用途として整備されたというやなせ宿では、現在、名張城下絵図の複写版は展示されているとの由であるが、江戸川乱歩の関連資料は展示されていない。名張市が所有している、または貸与を受けている乱歩関連資料を展示しない理由は何か。

・現在、やなせ宿の運営はまちなか運営協議会に委託されているが、その運営内容は、当方の直接の知見においても、新聞報道においても、やなせ宿公式サイトから知られるところにおいても、歴史資料館を主用途とした施設にはおよそふさわしくないものといわざるをえない。適切な運営のためには行政による指導が必要であると判断されるが、指導する考えはあるか。また、やなせ宿の運営をまちなか運営協議会に委託している根拠は何か。

ご多用中恐縮ですが、よろしくご回答たまわりますようお願いいたします。

2008/09/08

頂戴した回答はこんなんである。

   
中 相作 さま

このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました

名張市が所有している、または貸与を受けている乱歩関連資料を展示しない理由は何かとの質問にお答えします。
再生プランでも計画されていたように、乱歩関連資料を展示するため、市立図書館内の乱歩コーナーより展示可能な資料の借用や複製品の作成に努めてきました。また、プレオープン時には、市が所有もしくは貸与を受けている資料のうち可能なものの展示をいたしました。
しかしその後、展示の方法等に係るご意見を頂いたことから、今後は関係者の方々のご支援、ご協力を得ながら、合意が図れるまでは一端片付け、一日も早く展示ができるよう努めてまいりたいと考えております。
2点目のまちなか運営協議会の適切な運営のため、行政による指導の考えがあるのかどうかとの質問や、やなせ宿の運営をまちなか運営協議会に委託した根拠についてのお尋ねですが、まちなか運営協議会は、当面は、やなせ宿の管理運営をしつつ、ゆくゆくは既成市街地のまちづくりを担っていこうとして名張まちなか再生委員会から生まれた組織です。
そうした経緯により、現在やなせ宿の管理運営をまちなか運営協議会に荷っていただいております。また、まちなか運営協議会への指導ということですが、まちなか運営協議会が現在行っている管理運営は施設整備の当初の目的から勘案しても不適切であるとは考えておりません。
プランでも、歴史資料館(現存していた建物中の保存状態の良いものをできるだけ当時の状態を保つよう改修した建物そのものが歴史資料館になりうる)として整備し、多様な市民ニーズに応えるため物販や飲食も含む複合的な利用も可能なものとすることも述べています。また施設の紹介でも、ほとんどの部屋で、展示もおこなえるとしていることからも、呼び方や表現の違いがあっても、やなせ宿の施設をできるだけ多くの人に利用していただき、まちなかの再生の拠点施設にしていくために、努力していただいておりますことをご理解頂きますと共に、出来上がった本施設のよりよい利用に建設的なご協力を頂きますようお願い申し上げます。

今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
平成20年 9月18日
名張市長 亀井利克

経緯を確認しておくと、8月27日付の質問に、やなせ宿に乱歩関連資料が展示されていないのはなぜか、と記した。

8月27日:人間豹秋の陣

9月2日付の回答で、一部関係者の合意が得られないから展示していない、との説明があった。

9月3日:いよいよいけない秋の陣

一部関係者のことなど尋ねていない。名張市が所有している、または貸与を受けている資料をなぜ展示しないのか。9月8日付の質問のひとつめで、その点をただした。

9月8日:予測がつかない秋の陣

だというのに、またこれである。昨日付の回答に、なにが書かれてあるのか。再度引用。読みやすさに配慮して、文章単位で改行する。

・再生プランでも計画されていたように、乱歩関連資料を展示するため、市立図書館内の乱歩コーナーより展示可能な資料の借用や複製品の作成に努めてきました。
・また、プレオープン時には、市が所有もしくは貸与を受けている資料のうち可能なものの展示をいたしました。

結構なことである。努めていただいたり、展示していただいたり、ご苦労なことである。ところが、つぎの段落で、馬脚があらわれる。

・しかしその後、展示の方法等に係るご意見を頂いたことから、今後は関係者の方々のご支援、ご協力を得ながら、合意が図れるまでは一端片付け、一日も早く展示ができるよう努めてまいりたいと考えております。

やっぱり、人のせいなのである。結局は、「関係者の方々」のせいなのである。前回とおなじことしか書かれておらんのである。関係者というのは、乱歩関連資料の所有者ということであろう。しかし、関係者など、まったく関係がない。その関係者がどんな「意見」を述べたとしても、それはその関係者の所蔵資料にかんするものでしかないであろう。

名張市が管理している資料の展示について、その関係者がどんなくちばしをはさめるというのか。かりに、関係者から提供された資料は「展示の方法等」に問題があって展示を中止することになったとしても、それにあわせてそれ以外の資料もすべて、「合意が図れるまでは一端片付け」てしまうなどというばかな話がどこにある。名張市が管理している資料を展示するのに、どうしていちいち関係者の合意が必要なのか。

そもそも、これはほんとうのことなのか。やなせ宿プレオープン時における乱歩関連資料の展示について、回答に記されているところを列記する。

・市立図書館乱歩コーナーにある資料の借用
・市立図書館乱歩コーナーにある資料の複製品の作成
・市が所有している資料のうち可能なものの展示
・市が貸与を受けている資料のうち可能なものの展示

以上のことが試みられたという。しかし、それはほんとうのことなのか。うそではないのか。乱歩関連資料を展示のために提供した市民のかたから、9月3日に「一部関係者」名義のコメントを頂戴した。それをみるかぎり、回答にあるような展示が実際におこなわれたとは、とても思えないのである。

9月3日:いよいよいけない秋の陣 > はなしつけに行ってきます。

以前にも引用したが、再度お読みいただこう。

・6月のプレオープンに手紙のコピーを展示したいという申し出があった際には、心よく了承いたしました。
・乱歩先生が生まれた新町から乱歩情報が発信され、乱歩生誕地を訪れる人たちにもしっかり見てもらえる場所が出来るんだと楽しみにしておりました。
・ところが当日、愕然としました。
・乱歩関連資料というのは、祖父に宛てた乱歩先生の手紙のコピー1点のみだったのです。
・乱歩と名張の関係をほとんど示されることもなく手紙だけがぽつんとおかれていたのです。
・これではダメだと思いましたので、家族と相談の上、乱歩の扱いについて行政としてちゃんとした方針が出来るまで私どもが所有する品の展示を控えていただくようお願いした次第です。
 

どうもおかしい。やなせ宿のプレオープン時、展示されていた乱歩関連資料は、一部関係者の提供による乱歩書簡のコピーだけであったという。しかし、名張市長の回答には、すでにお読みいただいたとおりの資料が、いったんは展示されたと記されている。それが、一部関係者の意見を容れて、すべて片づけられるにいたったという。常識的に考えれば、一部関係者か、名張市長か、どちらかがうそつきだということになる。

しかも、9月3日付コメントによれば、一部関係者は名張市に対し、「乱歩の扱いについて行政としてちゃんとした方針」を示すことを求めたという。しかし、9月18日付回答によれば、一部関係者から名張市に寄せられたのは、「展示の方法等に係るご意見」であったという。両者の主張には、明らかなくいちがいがある。これも常識的に考えれば、一部関係者から乱歩にかんする方針の明示を求められたにもかかわらず、名張市長はこれを展示方法の問題だとしか認識していない、ということになるであろう。

方針なら、あったはずである。昨年6月定例会での市長答弁である。名張市公式サイトに掲載された記事録からの引用。

   
P.133 ◎ 市長(亀井利克)

それから、まちなかの中で乱歩の関係のお尋ねがあったわけでございます。当方のこれについての考え方は今議会で申し上げたとおりでございまして、桝田病院第2病棟の部分というのは、地域の方々にとりましては生活の場でもあるわけでございます。そんな中で、さまざまなご意見もいただいてまいりました。よって、この場所は生誕の地であることを表現できる公園の整備をいたしていくのがいいのではないかというふうに思っております。
ただでございますけれども、ミステリー文庫であったり、あるいはまた乱歩ゆかりの品も一緒に、その近くといいましょうか、街道沿いといいましょうか、そういう部分に展示する場所が必要であるということは、これもさきに申し上げたとおりでございますので、このことにつきましてこれから関係者とお出会いをさせていただくと、その日程も決めていただいてるところでございます。

この方針は、いったいどうなったのか。名張市長なりの方針はあったものの、やなせ宿の運営方針は名張まちなか再生委員会とかまちなか運営協議会とか、そのあたりが決めたのだから市長方針が反映されるにはいたらなかった、といったことででもあるのか。いやまさか、いくらなんでもそんなことはあるまいけれど、なんとも困ったものである、と嘆きつつ、諸羽流正眼崩し胡蝶の舞、あすにつづく。
9月17日である。ということは、一周年である。このブログは去年の9月17日、中井英夫の命日を期して開設した。【平成20・2008年11月5日追記:「命日」とあるのは「誕生日」の誤りである】

いわゆるジーパンというやつを、もう二十数年、身につけていない。若いころには愛用していて、これがまたすこぶる似合ったものであったが、あるとき、三歳児から老人までがこぞって着用しているジーパンなんて、はいていたって面白くもなんともないではないか、という気になった。それで、身につけるのはやめてしまった。おなじような理由で、つまり、だれもかれもが何かに感染でもしたみたいに手を染めているブログというやつに、わざわざ手を出すつもりはまったくなかった。

それがどうして、ブログを開設することになどなったのか。名張のまちを記録しておく必要がある、と考えたからである。衰退いちじるしい、そしてその衰退がさらに度を深めてゆくであろう名張のまちを、文章と写真で記録しておく必要がある。あるいは、このまちでどんな歴史が刻まれ、どんな生活が営まれたのか、過去の文献にもとづいて整理し、公開しておく必要がある。そう考えたからである。だから、ブログタイトルの下にあるとおり、これは「三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ」なのである。

ほかの理由もあった。平成11・1999年の10月、ウェブサイトを開設した。メインコンテンツは江戸川乱歩のデータであるが、ブログなどというものがいまだ存在しないころから、毎日のように文章を発表していた。すると、この地域のことに話題がおよぶ場合もある。たとえば平成16・2004年、三重県が芭蕉生誕三百六十年にかこつけた「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」という事業を実施したとき、その予算をかすめ取って江戸川乱歩と小酒井不木の往復書簡集を刊行しようと考えたため、官民合同の事業実施組織に軽く首をつっこむことになった。これがひどい組織であった。どいつもこいつもばかばかりだったものだから、こんな連中が三億もの税金の具体的なつかいみちを決めていいわけがないと、ウェブサイトでうすらばか各位をいいだけこきおろす仕儀となった。事業は、さんざんな悪評のうちに終了した。

しかし、それだけでは終わらなかった。平成17・2005年、悪夢がよみがえった。このあたりのことはウェブサイトに記したので、同年7月2日付の文章から引用しておく。

   
欺瞞という名の幕開け

堅苦しいようだが、自己紹介から始めよう。
俺は名張市立図書館の乱歩資料担当嘱託。嘱託というのはいつクビが飛んでも不思議ではないポジションだが、いまのところは現役だ。名張市教育委員会と半年単位で契約を交わしている。九月末日には契約が切れることになるが、それから先も嘱託でいられるという保証はどこにもない。
七月一日の朝。俺は名張市役所の玄関前に立ち、その堂々たるファサードを見あげていた。降り出した小雨が頬に冷たい。これから庁舎内を巡回するのだろう、セールスレディらしい若い女が俺を小走りに追い抜いてゆく。俺はトゥミのメッセンジャーバッグを抱え直し、正面に見える扉に進んだ。その先にはお役所という名の伏魔殿が待ち受けている。
三日前のことだ。俺はこの伏魔殿の都市計画室という部署にメールを入れた。名張まちなか再生委員会の事務局はどこにあるのか、それを問い合わせるメールだった。委員会のことは新聞記事で知った。見覚えのある名前だった。
名張まちなか再生プラン──。
名張市がそんな名前のプランを公表したのは今年二月のことだ。それに基づいてパブリックコメントが募集された。プランはいまだ正式に決定されてはいない。市民の意見を募って見るべきものがあればプランに反映させる。それがパブリックコメント制度の建前だ。
プランには歴史資料館の整備構想が盛り込まれていた。新町に細川邸という旧家がある。人が住まなくなった民家で、文化財的価値を有する建築物ではないが、それを歴史資料館として整備するのだという。名張市のオフィシャルサイトに掲載されたそのプランを読んで、俺は目を疑った。
そこには「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」という文章が記されていた。そしてそれだけしか書かれてはいなかった。歴史資料館の整備構想を示すプランに、肝腎の歴史資料の説明がわずかにそれだけしか書かれていなかったのだ。俺は職業倫理に突き動かされ、プランの不備を指摘するパブリックコメントを一気に書き飛ばした。
都市計画室は名張市役所の四階にある。名張まちなか再生委員会の事務局はここに置かれている。メールへの返事の電話でそう教えられた俺は、尋ねたいことがあるからと担当者との面談を要請した。指定された日時は七月一日午前九時。俺は八時五十五分に都市計画室に到着した。訪れるのはパブリックコメントを提出したとき以来のことだ。
担当職員二人とテーブルに着き、俺はまず自分の立場について説明した。お役所の縦割りシステムからいえば、図書館の嘱託である俺が建設部の職掌に口を出すのは明らかな越権行為だ。だが、そんな理屈はお役所の内部でしか通用しない。名張市役所に厳然として縦割りシステムが存在しているという事実は、市民に対するエクスキューズにはならない。
俺は江戸川乱歩という作家に関する仕事をするために、名張市民の税金から一定の報酬を得ている。図書館とは関係ない部署の事業であっても、乱歩に関するものなら俺はその事業に対して助言や協力を惜しむべきではないだろう。お役所の人間の目にはいかに奇異で非常識なものに映ろうとも、それが俺の職業倫理なのだ。
一時間ほどいて、俺は都市計画室をあとにした。市役所の四階から一階まで階段を降りながら、俺はたまたま捲き込まれることになったある事件を思い出していた。
──伊賀の蔵びらき事件……。
俺の職業倫理はあの事件と同じ匂いを嗅ぎつけている。名張まちなか再生プランがかすかな腐臭のように放っている、官民合同という名の欺瞞の匂い。三重県の行政が深く関わっていた伊賀の蔵びらき事件は結局迷宮入りとなり、一人の逮捕者も出すことはなかったが、結果として曖昧な汚名が青痣のように残った。その汚名は三重県のものなのか、あるいは俺自身に背負わされたものなのか。
もっとも、たとえその汚名が俺のものであったとしても、三重県には俺を表だって批難することはできない。俺を批難することはそのままみずからへの批判を呼び覚ますことにつながるからだ。そしてそれ以前に、俺は公立図書館というお役所に身を置きながら公式には存在を否定された人間、一箇のアンパーソンであるからだ。存在しない人間をあげつらうことは、たぶん神様にだってできない相談だ。少なくともヴィトゲンシュタインならそういうだろう。
俺は玄関の扉を押し開けた。これは間違いなく魔法の扉だ。それぞれの家庭や地域社会では善良な一市民に過ぎない公務員たちは、毎朝この扉を通過するたびに、まるでいきなりスイッチをオンにされたとでもいうように、お役所という無責任構造の一部と化し、システムの奴隷と化してしまう。外の世界の常識を忘れ、責任回避を金城鉄壁の行動原理とする、お役人と呼ばれる非人間的な生き物に変身してしまうのだ。
全館禁煙という拷問から解放された俺は、プリントシャツの胸ポケットからマイルドセブンライトを取り出し、ひしゃげたパッケージからひしゃげた煙草を取り出した。パッケージには喫煙の害が以前よりでかでかと印刷されている。喫煙は、あなたにとって脳卒中の危険性を高めます。親切なことだ。日本はいつからこれほど人に優しい国になったのだろう。
ジッポのオイルが切れかけているらしく、なかなかつかなかった火はしばらく弱々しく揺れたあと、マッチのそれのようにふっと消えてしまった。マッチという言葉の連想から、俺は若くして自死を選んだある歌人の歌を思い出し、それから同じくマッチが想起させた別の歌人の歌を口にしてみた。
──身捨つるほどの祖国はありや。
火のついていない煙草をくわえたまま見あげると、雨はいつのまにかあがっていた。それでも空は幾重もの雲に覆われ、安っぽい書き割りめいて暗く垂れ込めつづけていた。

つまり、三重県による官民合同事業のあと、名張市によるまちなか再生事業に首をつっこむことになった。あの名張まちなか再生プランに「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」と記されていなかったら、乱歩の名前さえ出てこなかったら、こちらから首をつっこむことにはならなかったはずである。しかし、乱歩の名が出てしまった以上、知らん顔をしていられる立場ではなかった。名張まちなか再生委員会に協力を申し出たのだが、ばかというやつはどうしようもない。途中経過はすっ飛ばしてしまうが、ウェブサイトには頻繁に、名張の話題が登場するようになった。

ウェブサイトが汚れてしまうではないか、と思った。愚かしいにもほどがある、と嘆かざるをえない名張の現実が、連日のごとくウェブサイトに登場するのである。目障りったらありゃしない、と思った。それで、名張の話題をウェブサイトからスピンオフさせるために、名張の話題に特化したネット上の場として、ブログを開設するべきかと考えた。喫緊の問題としては、昨年7月28日に提出した住民監査請求の結果が、そろそろ通知されてくるころでもあった。監査結果を徹底的にぼこぼこにしてやる場として、やはりプログが必要かと判断された。9月17日のブログ開設を祝福してくれるかのように、9月20日に監査結果が通知されてきた。いいだけぼこぼこにしてやった。

2007年9月20日:住民監査請求2007
2007年9月21日:住民監査請求棄却
2007年9月22日:監査結果吟味(1) コピー&ペーストに気をつけろの巻
2007年9月23日:監査結果吟味(2) 何もあきらかにされておらんぞの巻
2007年9月24日:監査結果吟味(3) 協働はきょうもインチキだったの巻
2007年9月25日:監査結果吟味(4) 眼をそむけたら事実はみえないの巻
2007年9月26日:監査結果吟味(5) ほんとは黒だが白ということにの巻

早いものである。あっというまに一年が経過した。むろん、事態は好転などしていない。逆である。もはやまったくの手詰まりである。名張市自慢の官民協働はどうなったのか。知れたことである。官は責任の回避である。主体性の放棄である。民は私利私欲である。金銭欲、名誉欲、権勢欲、支配欲、もろもろの欲の見本市である。名張まちなか再生プランはどうなったのか。名張まちなか再生委員会はどうなったのか。細川邸はどうなったのか。そして、名張のまちはいったいどうなったのか。9月16日、ウェブサイトに記したところをそのまま引いておく。

   
9月13日の土曜日は、日本を代表するミステリファン組織であるSRの会が三重県伊勢市で開催する2008年度全国大会の初日でした。伊勢といえば名張、名張といえば乱歩ということになりますので、大会日程には「乱歩生誕地を訪ねるオプショナルツアー」も組み込まれ、全国から十数人の方がわざわざ名張を訪れてくださいました。まず名張市立図書館の乱歩コーナー、それから雑草が生い茂って荒廃ぶりがただごとでない江戸川乱歩生誕地碑広場整備予定地、さらには土曜の午後だというのに人っ子ひとり通らなくてひたすら閑散としまくっている名張のまち、そういったあたりをぶらぶらしていただき、木屋正酒造や山本松寿堂や角田酒店で名張の銘酒銘菓もご購入いただいたのですが、ふらふら歩いてると秋の陽射しを浴びた名張のまちには静かな終末感が隠しようもなく漂っていて、名張もほんとに終わりだなとあらためて実感された次第でした。

江戸川乱歩生誕地碑広場整備予定地に立ったのはしばらくぶりのことだったが、残暑のなか、夏草がたけだけしく繁茂していて、荒廃ということばはけっしておおげさなものではない。SRの会のみなさんの印象も、むろんいいものではなかったであろう。こうしたファンは横の連携が密接だから、というか、そもそも名張訪問のあとにはミステリファンの全国大会が控えていたのだから、名張にある乱歩の生誕地碑がどんなひどいありさまになっているか、情報はたちまち全国のミステリファンにひろがったと考えるべきかもしれない。げんにおひとり、乱歩生誕地碑周辺の惨状にふれて、名張市は観光資源をもう少し大事にするべきだ、とメールで伝えてくださったかたがあった。しかしまあ、無理であろう。もうどうしようもない。

名張のまちを歩いたことは夏のあいだ一度もなかったと記憶するが、ウェブサイトにも記したとおり、もう完全に終わったな、という印象であった。終末感ということばも、やはりおおげさなものではない。じつはSRの会の全国大会は、平成6・1994年には名張市で開催された。乱歩生誕百年の年である。名張市主催の記念イベントにあわせて、全国大会が企画された。当時の名張市長は、そのイベントに全国から参加者があった、と何度も自慢げに吹聴していらっしゃったが、それはSRの会の全国大会が開催されたからこその参加者だったのである。ともあれ、以来十四年のあいだに、名張のまちの衰退はいよいよ深刻なものになってしまった。というか、もう手の施しようがないまでになっている。むろんこれは名張だけの問題ではなく、全国の地方が似たり寄ったりの事情であるだろう。ごく一部の大都市を除いて、この国には急速な壊死が訪れているといっていい。

とか書いていたら、ついいましがた、名張まちなか再生委員会事務局からメールが届いた。この質問への回答である。

   
名張まちなか再生委員会事務局御中

お世話さまです。名張まちなか再生委員会について、ちょっとお尋ねいたします。下記の二点について、メールでお答えいただければ幸甚です。

(1)7月30日に役員会が開かれ、委員会の規約の改正案が示されたそうですが、その規約改正案について審議する臨時総会は、いつ開催されるのでしょうか。

(2)6月1日の総会で、江戸川乱歩生誕地碑広場に設置された案内板について、文言の明らかな誤りを訂正することは可能かと質問し、歩行者空間整備プロジェクトのチーフから「検討します」との回答をいただいたのですが、検討の結果はどうなったのでしょうか。

以上です。ご多用中恐縮ですが、よろしくご回答たまわりますようお願いを申しあげます。

2008/09/09

さっき頂戴した回答がこれ。

   
2008/09/09名張まちなか再生委員会事務局へのお尋ねについて
(1) 規約改正案を審議する臨時総会の開催時期について
<回答>—7月30日の役員会で配布した改正原案以降も若干の見直しをかけており、現在規約改正原案について調整中です。
調整後は役員会に諮り、役員会での意見のまとまり方等によって時期が変わってまいりますので、今後役員会と相談の上決めてまいります。

(2) 平成20年度の総会での案内板の文言表記の誤りについて
訂正することの可能性についての検討結果について
<回答>—修正します。

そういうことだそうである。あの規約改正案、「若干の見直し」といった程度のことではどうにもならない。名張まちなか再生委員会という組織の本質に眼をむけなければ、つかいものにならない。しかしまあ、こちらとしては臨時総会を待つしか手がない。あと、まちなか運営協議会の会長あての9月5日付質問、名張市公式サイト「市長への手紙」への9月8日付質問は、いずれもいまだ回答が寄せられぬのだが、これも待つしか手がないようである。あんまり遅いようだったら催促はかましてみるけれど。
当面、返事待ちである。整理しておく。

やなせ宿館長、つまりまちなか運営協議会の会長には、やなせ宿公式サイトにメールを送信し、こんなことをお訊きした。9月5日のことである。

   
(1)やなせ宿公式サイト「9月度・主催イベント情報」に、9月15日の「よってだ~こ各号店手作り合同作品展」の案内が掲載され、主催団体として名張地区まちづくり推進協議会などの名があげられている。まちなか運営協議会の主催事業ではないイベントが、やなせ宿公式サイトで「主催イベント」として告知されるのは、明らかに不当なことと判断されるが、これを正当なものと認めるかどうか。

(2)やなせ宿公式サイト「やなせ宿とは」に、やなせ宿は「観光交流センターとして位置づけされた」と明記されているが、名張市公式サイト「市長への手紙」で確認したところによれば、やなせ宿は歴史資料館を主たる用途として整備された、というのが名張市長の主張である。やなせ宿整備の経緯に照らして判断すれば、この市長の言は虚偽であるというしかないが、これを虚偽と認めるかどうか。

名張市長には、名張市公式サイトの「市長への手紙」を利用して、こんなことをお訊きした。9月8日のことである。

   
・名張まちなか再生プランには、旧細川邸を歴史資料館として整備し、「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」と明記されている。歴史資料館を主たる用途として整備されたというやなせ宿では、現在、名張城下絵図の複写版は展示されているとの由であるが、江戸川乱歩の関連資料は展示されていない。名張市が所有している、または貸与を受けている乱歩関連資料を展示しない理由は何か。

・現在、やなせ宿の運営はまちなか運営協議会に委託されているが、その運営内容は、当方の直接の知見においても、新聞報道においても、やなせ宿公式サイトから知られるところにおいても、歴史資料館を主用途とした施設にはおよそふさわしくないものといわざるをえない。適切な運営のためには行政による指導が必要であると判断されるが、指導する考えはあるか。また、やなせ宿の運営をまちなか運営協議会に委託している根拠は何か。

名張まちなか再生委員会事務局へは、名張市都市環境部市街地整備室にメールを送信し、こんなことをお訊きした。9月9日のことである。

   
(1)7月30日に役員会が開かれ、委員会の規約の改正案が示されたそうですが、その規約改正案について審議する臨時総会は、いつ開催されるのでしょうか。

(2)6月1日の総会で、江戸川乱歩生誕地碑広場に設置された案内板について、文言の明らかな誤りを訂正することは可能かと質問し、歩行者空間整備プロジェクトのチーフから「検討します」との回答をいただいたのですが、検討の結果はどうなったのでしょうか。

以上である。同時多発的に世直しの矢を三本、的をはずすことなく放った次第である。返答する気はさらさらない、などという不届きな相手もあるかもしれぬが、まあ当面は返事待ちである。
いよいよ秋らしくなってきて、きょうは重陽の節句である。さわやかな秋風とともに、名張市の都市環境部市街地整備室へ不幸のメールを送信した。件名は「規約改正案その他について」。内容はつぎのとおり。

   
名張まちなか再生委員会事務局御中

お世話さまです。名張まちなか再生委員会について、ちょっとお尋ねいたします。下記の二点について、メールでお答えいただければ幸甚です。

(1)7月30日に役員会が開かれ、委員会の規約の改正案が示されたそうですが、その規約改正案について審議する臨時総会は、いつ開催されるのでしょうか。

(2)6月1日の総会で、江戸川乱歩生誕地碑広場に設置された案内板について、文言の明らかな誤りを訂正することは可能かと質問し、歩行者空間整備プロジェクトのチーフから「検討します」との回答をいただいたのですが、検討の結果はどうなったのでしょうか。

以上です。ご多用中恐縮ですが、よろしくご回答たまわりますようお願いを申しあげます。

2008/09/09

じつはもう一点、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館with小判鮫を知の殿堂に生まれ変わらせるやなせ宿連続講座やなせ塾の第三回と第四回はどうなっておるのか、という点も確認したいのだが、これは6月30日の役員会において、企画そのものが歴史拠点整備プロジェクトに差し戻されたと聞きおよぶ。だから早いとこプロジェクトの会議を開かなければならんはずなのだが、かんなくずの親分が怠慢なのか戦線離脱してしまったのか、とにかくいつまでたっても開かれない。どいつもこいつも、まったく困ったものである。

Copyright NAKA Shosaku 2007-2012