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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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おさなごのみなさんに、「図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています」というたわごとにかんして、懇切丁寧にわかりやすく、人類愛にみちて教え諭してやることとする。

そもそもなぜ、名張市立図書館が乱歩に関連する図書や雑誌を収集しなければならんのか。その一点の説明が、おさなごのみなさんにはできるかな、できないかな。たぶんできないのであろうな。しかし、答えは簡単である。これまでやってきたことだから、ということでしかないのである。市立図書館は開館以来、乱歩関連資料の収集に努めてまいりました、ということでしかない。それはまあ、それでいいということにしても、いうにことかいて「名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが」とはどういうことか。ばかかこら低能。いいかげんにしないとしまいにゃ張っ倒すぞ。

いや、いかんいかん。怒ってはいかん。おさなご相手に怒ってはいかんな。よしよし。中先生はもう怒らんから、おさなごのみなさんは泣かんでもよろしい。それにしても、名張市立図書館の開館は昭和44・1969年のことである。ちょうど四十年前である。四十年の長きにわたって乱歩関連資料を収集してきたというのに、その資料をどうやって活用するべきか、具体的な方針は現在のところございません、なんてしれっとほざいてしまうのは、とても恥ずかしいことである。その程度のことはわきまえておくべきであろう。これが名張市だから、まだいいのである。かりに吉本新喜劇だとしたら、現在のところございませーん、などとおさなごのみなさんがあほなことを高らかに口走ったとたん、舞台にいるすべての人間が思いきりずっこけてしまうのだからな。

前例墨守は、いってみればお役所の伝統である。とはいえ、さすがに近年、お役所の人たちも「見直し」なることばをおぼえてきたではないか。聖域なき見直し、などといっておるではないか。ならば、これまでつつけてきたことでも、前例を無批判に踏襲するのではなく、聖域なき見直しとやらの対象にするべきであろう。それがまあなんなんだこのすっとこどっこい、などということを、考えてみれば中先生、ずーっとずーっと、いいつづけておるのじゃ。めんどうだから、昔の漫才から引いておく。六年前、平成15・2003年6月に発表した漫才である。当時、三重県が「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」などというあほな事業の準備を進めていたのであるが、関係各位があまりにもあほであったので、思いきりおちょくってやった。

名張人外境:乱歩文献打明け話 > 第二十五回 芭蕉さんは行くのか

   
「でも最近では行政の無謬性ゆう神話もすっかり崩壊してしまいまして」
「行政の無謬性といいますと」
「お役所は間違いを犯さないということです。つまりいったん計画が決定されたら親が死んでもそれを実施すると」
「親は関係ありませんがな」
「しかし現実にはとくに何十年もかかる大型事業なんか時間経過にともなう自己矛盾ゆうのが当然出てくるわけでして」
「計画決定したときとは社会情勢その他がいろいろ変わってきますからね」
「ですからいったん決まった計画でもあとで検討を加えた結果白紙に戻すべきだと判断される場合も出てきます」
「長野県の脱ダム宣言をきっかけに大型ダムの建設計画も見直されてますし」
「行政は決して無謬ではないわけです」
「時代に応じてさまざまな要素を検討していかなあかんゆうことですね」
「ところがお役所ではいまだに封建時代さながらの前例墨守体質が支配的で」
「前例をそのまま引き継いでたら時代に即応した検討はできないんですけどね」
「しかしいつまでも前例を墨守していられる状況ではなくなりました」
「どんな状況になったんですか」
「不況が長引いてどこの地方自治体もおおむね財政難にあえいでます」
「名張市も財政非常事態ですし」
「税収が減る一方ですからまず予算の面で前例を維持できなくなってるんです」
「その結果さまざまな事業が厳しい見直しを迫られてるゆうわけですな」
「つまりこの財政難は自治体にとって千載一遇のチャンスでもあるんです」
「税金のつかい道としてほんまに必要なことと必要でないことをきっちり見きわめるええ機会かもしれんですな」
「一方に無謬性神話の崩壊がありもう一方に財政難がある。そのはざまで地方自治体には柔軟で身軽な体質に生まれ変わることが要請されてるんです。現状からの脱皮を図らなあかんわけなんです」
「どないしたらよろしねん」
「じゃーん。しょうもないことに税金つかうのはやめましょうキャンペーン」
「せやからどんなキャンペーンやねん」
「ほんまに必要なことにしか税金はつかいませんと広くアピールするわけです」
「どないしてアピールしますねん」
「『生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき』事業を心ある地域住民の手で血祭りにあげましてですね」
「そんな乱暴なことしたらあかんがな」
「三重県が伊賀地域にこんな事業を提案してきたんですけど税金の使途として適正有効ではなく不必要だと判断されましたので叩きつぶしてやりましてんと」
「せやからもうちょっと穏便な表現はできないんですか君の場合」
「芭蕉さんがどこ行こうが勝手なんですけど端的にゆうてこの事業は三重県が伊賀地域に予算ばらまいて住民に媚びを売るためのものでしかないですからね」
「それはもう無茶苦茶な偏見ですがな」
「それでまたそんな事業に飛びついてしまう地域住民の心根もじつにさもしい」
「さもしさは関係ないと思いますけど」
「なんやったらさもしさのつれづれに手紙でもしたためましょかあなたに」
「そんな手紙絶対いらんっちゅうねん」

しかし、三重県もあれだぞ。性懲りもなく「美し国おこし・三重」などと浮かれまくったようなこと口走ってると、またいつなんどき派手に叩かれることになるかもしれんのだぞ。少しは気をつけるように。

そんなことはともかく、名張市立図書館による乱歩資料の収集は、スタート時点では意義のあることであった。乱歩資料を専門的に収集する図書館なんて、日本全国どこにもなかったのだし、東京の乱歩邸に遺された資料が散逸してしまう可能性だってあったのだから、名張市が乱歩資料の収集に名乗りをあげたのは意味のあることであった。しかし、以来四十年が経過して、乱歩の遺産は立教大学に継承された。散逸の心配はなくなったのである。いっぽう、名張市はどうかというと、「名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございません」などとまあすっとこどっこいがなにを血迷うておるのか。しまいにゃ蹴っ倒すぞこの便所下駄自治体。

いやいや。泣かんでもよろしい。要は、四十年にわたってつづけてきた乱歩資料の収集も、ここらできっちり見直してみてはどうか、ということなのである。ちゃんと協議検討して、さっくり結論を出すことはできんのかということである。ちゃんと協議検討を進めたならば、もう収集なんかしなくてもいいんじゃね? とさっくり結論が出るはずだと思われるのであるけれど、しかし、なにしろおさなごだからなあ。ほんとにどうしようもないんだからなあ。いやいや、泣かんでよろしい泣かんでよろしい。
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