三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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きのうのつづきを書いておく。とにかく気が重い、という話である。なーにいってやったって理解すらできんのである、という話である。落とし前のつけかたさえ知らんのではないか、という話である。しかしまあ、こんなふうに初手から決めつけて臨んでは、ネガティブな席にしかならぬことは眼にみえている。名張市長ならびに前教育次長、さらには企画財政部総合企画政策室長あたりにお出ましをいただく面談の場の話である。前教育次長は現在、たしか総務部長をお務めで、総務部長といえばいわゆる事務方のトップなのであるから、考えてみればこの面談の場、名張市の首脳の一部がつどう席となる。世間から低能自治体と揶揄される名張市の首脳であるとはいえ、首脳は首脳である。ぷっ、とか思わず吹き出してしまってはいかんのであって、もう少しいわゆる前向きなことを考えるべきなのかもしれない。
だから、たとえば、これである。
活用の方針も決まってないのに資料を収集してどうする、というしかない回答であるが、それをいってしまっては身も蓋もあるまい。こんなばかなことしかいえんのなら資料の収集なんかやめてしまえ、と思うのが一般的な反応というやつであろうし、ばかがこら活用の方針もよう決めんまま細川邸を整備して無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館をつくったあげく日替わりランチののぼりおっ立ててるような低能自治体はやっぱいうことがちがうよなあ、ははは、ばーか、と感に堪えなくなるのもまたまっとうな反応というやつであるのだが、しかし、よくよく考えてみれば、というか、相手の立場に立って考えてみるならば、これはいささか酷な反応であるかもしれない。
なにしろ相手には、資料とはなにか、収集とはなにか、あるいは、そもそも図書館とはなにか、そういったことがまったく理解できていないのである。なにも知らぬ幼児、おさなごのようなものなのである。知識も見識もあらばこそ、読み書きさえできぬおさなごなのである。本棚をみれば反射的によじ登ってしまうおさなごなのである。それをまともなおとな、常識を身につけた社会人、地域社会に奉仕する公務員だと思いこんでいるから、ばかかこら低能こんなこともわからんのか、と罵倒するしかなくなってくるわけなのだが、しかし、おさなごだと思ってみれば、もう少しわかりやすく、懇切丁寧に、人類愛にみちて教え諭してやることを考えたほうがいいのではないか、という気にもなってくる。それが、ひとりの市民として、名張市という地域社会にわずかながら貢献を果たすことにもつながるのではないか。
だから、教え諭してやることにする。ひととおりのことを教え諭したそのあとで、いよいよ名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して、市長、前教育次長、企画財政部総合企画政策室長との面談を要請することにする。そこでさっそくながら、上に引いた回答の「江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています」といったあたりをさかなにすることにして、収集した資料をどうすればいいのか、おさなごにはそれがわからんわけである。なにしろ、読み書きができない。したがって、資料というのは、読むものではなく、ながめるものである、という認識しかない。つまり、資料ということばは、展示ということばとワンセットなのである。すなわち、おさなごのおつむのなかでは、資料の活用ということばは、展示のためのハコモノの整備ということばと、わかちがたく結びついているのである。ばかかこら低能、と思わずいってしまいそうになったけど、そんなことはいわない。懇切丁寧に教え諭してやる。だから、おさなごよ、泣かずにあしたも読みなさい。
だから、たとえば、これである。
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。 今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。 平成20年10月 9日 □名張市長 亀井利克 |
活用の方針も決まってないのに資料を収集してどうする、というしかない回答であるが、それをいってしまっては身も蓋もあるまい。こんなばかなことしかいえんのなら資料の収集なんかやめてしまえ、と思うのが一般的な反応というやつであろうし、ばかがこら活用の方針もよう決めんまま細川邸を整備して無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館をつくったあげく日替わりランチののぼりおっ立ててるような低能自治体はやっぱいうことがちがうよなあ、ははは、ばーか、と感に堪えなくなるのもまたまっとうな反応というやつであるのだが、しかし、よくよく考えてみれば、というか、相手の立場に立って考えてみるならば、これはいささか酷な反応であるかもしれない。
なにしろ相手には、資料とはなにか、収集とはなにか、あるいは、そもそも図書館とはなにか、そういったことがまったく理解できていないのである。なにも知らぬ幼児、おさなごのようなものなのである。知識も見識もあらばこそ、読み書きさえできぬおさなごなのである。本棚をみれば反射的によじ登ってしまうおさなごなのである。それをまともなおとな、常識を身につけた社会人、地域社会に奉仕する公務員だと思いこんでいるから、ばかかこら低能こんなこともわからんのか、と罵倒するしかなくなってくるわけなのだが、しかし、おさなごだと思ってみれば、もう少しわかりやすく、懇切丁寧に、人類愛にみちて教え諭してやることを考えたほうがいいのではないか、という気にもなってくる。それが、ひとりの市民として、名張市という地域社会にわずかながら貢献を果たすことにもつながるのではないか。
だから、教え諭してやることにする。ひととおりのことを教え諭したそのあとで、いよいよ名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して、市長、前教育次長、企画財政部総合企画政策室長との面談を要請することにする。そこでさっそくながら、上に引いた回答の「江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています」といったあたりをさかなにすることにして、収集した資料をどうすればいいのか、おさなごにはそれがわからんわけである。なにしろ、読み書きができない。したがって、資料というのは、読むものではなく、ながめるものである、という認識しかない。つまり、資料ということばは、展示ということばとワンセットなのである。すなわち、おさなごのおつむのなかでは、資料の活用ということばは、展示のためのハコモノの整備ということばと、わかちがたく結びついているのである。ばかかこら低能、と思わずいってしまいそうになったけど、そんなことはいわない。懇切丁寧に教え諭してやる。だから、おさなごよ、泣かずにあしたも読みなさい。
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